ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



人生、ストレスが多いよね。どうやったら、こんなストレスから逃れられるのかな? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『心を癒す ストレス・フリーの幸福論』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう教えておられます。

まえがき
 人間の数だけ悩みはあるだろう。その数多い悩みの中から、できるだけ共通の要素を取り出し、対処法を考えるのが宗教家の仕事だろう。
 本書は、当会の支部精舎で、主として地方の会員のために話した内容をもとにしているので、あまり気どらない、気楽な目線で、私の基本的な考えが述べられている。
 折々の、心の指針として、生きていくことの意味や心の気づきになると幸いである。

あとがき
 ある意味で、世界一「ストレスフル」なはずの私が、「ストレスレス」になる話をしているのだから、人生は面白い。宗教的覚醒の時から、三十年以上、満身創痍となってもよかったはずの人生が、「愛を与える」という「観の転回」のため、全身、これ金剛身となった。
 人生の悩みを解決するためには、まずは、目の前の小さな諸問題を作業として一つ一つ片づけてゆくことだ。そして、目の前に自由と創造の余地を広げてゆくことだ。あとは大きな意味での天運をがっちりと受けとめることだ。
 仕事が速いという実務能力の訓練が、あなたの心の宗教性をも救うという、変わった逆体験もするだろう。すべては神のために、と考えることだ。
(1、216~217ページ)

ついに出ました。

人生のストレスに悩んでいるすべての方にお勧めできる、幸福論の決定版です。

一人でも多くの方が、本書によって、平穏な心を取り戻されますように!

『心を癒す ストレス・フリーの幸福論』大川隆法著


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レムリアって古代文明があったんじゃないの。幸福の科学では、そう教えられてないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神々が語る レムリアの真実』(幸福の科学出版)で、九次元霊にして、ラムディア文明では大聖エレマリアとして生まれた、ゼウスの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 世間では、一般に、今あなたが言ったラムディア文明は、「レムリア文明」という名前で呼ばれております。
 しかし、大多数の方がご存じないようですが、この「レムリア」という名前を付けたのは、現代人というか、おそらく、ここ百年ぐらいの人だと思うのです。
 「レムリア」という言葉の起源は「レムール」であり、レムールとはキツネザルのことです。これは、現在、アフリカの東側にある、マダガスカルという島に棲んでいる、希少種のサルなのです。
 このレムールというキツネザルが、海を隔てて点々と存在する幾つかの島に棲んでいるんですね。しかし、キツネザルが海を泳いでいけるはずはありませんし、まったく偶然に、別の島で自然発生したとも思えません。
 そのため、「海を隔てた幾つかの島に、レムールというキツネザルがいるのだから、昔、それらの島々をつなぐものがあったのではないか。その辺に大陸があったに違いない」という仮説を立てた人がいるのです。
 そして、その大陸を、レムールの名を取って、「レムリア大陸」と名付けたんですね。
 ですから、私がその時代に生きていたとき、そこが「レムリア」と呼ばれた事実はありません。それで、大川隆法総裁は、『太陽の法』の改訂版を書かれたときに、「ラムディア」という名前に変更されました。これが、当時の本当の名前に、かなり近い発音の仕方です。
 したがって、「レムリアという大陸、あるいは文明があって、そのレムリア人です」と言っているものは、だいたい、嘘だと思って間違いありません。それは嘘です。レムリアとは、キツネザルの名前から来た、仮想の大陸名なのです。(中略)
 今、西洋のほうでは、そのレムリア大陸とムー大陸を混同する学説もあります。レムリアとムーの区別がつかなくて、「レムリア即ムー」と考えているのです。
 その場合、ムーの位置を南インド洋のほうに持ってくる説もあれば、レムリアを太平洋のほうに持ってくる説もありますし、「レムリアはハワイのほうにあった」とする説などもあり、いろいろな説が出ているようです。
 ただ、先ほど言いましたように、「レムール」という言葉は、当時の言葉ではなく、れっきとした英語です(lemur(リーマー))。「レムール」という、キツネザルを意味する英語があって、そこから、「レムリア」という大陸名が出てきているわけです。
 そのキツネザルの分布を見ると、アフリカ大陸のなかにはいません。ところが、アフリカ大陸から離れた島、「古代動物の宝庫」とも言われるマダガスカル島にはいます。そして、インドなどのユーラシア大陸にもいないのですが、インド洋上の島にはいるのです。
 だから、キツネザルのいる所を結んでいけば、「アフリカの東からインドの南のほうにかけて、地続きの巨大な大陸があった」ということが推定されるんですね。
 これは、いわゆる「ムー文明」とは違う文明なのです。混同されることがあるのですが、ムーとは違う文明です。ムーはムーとしてありました。
(20~25ページ)

この問題については、すでに、九次元大霊マヌ神の言葉をご紹介したことがありました。

マヌ神のほうが、今回のゼウス神の霊言(本書の第1章に収録)を引用してますので、ちょっとご紹介の順番があとさきになってしまっています。

いずれにしても、ここで語られているのが「レムリアの真実」だってことは、とても重要な情報だと私は思うのです。

『神々が語る レムリアの真実』大川隆法著


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世の中を変えていくために、勇気とか行動力って必要なんじゃないかと思うんだけど、でもそんなのどうしたら持てるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?、

幸福の科学の大川隆法先生は、『この国を守り抜け』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人は、人間心を超えた「正しさ」というものがあると思えばこそ、謙虚になり、この世の権力闘争などの権謀術数的な戦いを超えて、普遍的で永遠の「正しさ」とは何かを求める、崇高な心を持ち続けることができます。
 しかし、そういう考え方を持たなければ、この世において、「長いものには巻かれよ」「強い者に対しては、争わずに、従うほうが得策である」「正しいことであっても、言わないほうが自分自身の得になる」というような考え方が当たり前になり、「勇気を持って提言し、世の中を変えていこう」とする人が、非常に少なくなっていくと思うのです。
 現状として出来上がっている、政府だとか、法律だとか、そのような大きな体系を乗り越えて、未来社会を構築するためには、勇気ある行動が必要です。そして、それだけの「勇気と行動力」というものは、やはり、この世を超えた何かを信じなければ、生まれてこないのです。
 例えば、日本であれば、今から約百五十年前の幕末になりますが、吉田松陰という思想家がいました。
 この人は、アメリカから、ペリーが黒船(艦隊)を率いてやって来たときに、その船に乗り込み、「アメリカに留学したい」と直訴したのですが、断られてしまいます。
 そのため、海外への密航を企てた罪で、国のご禁制、要するに法律に触れ、他の条件も加わりましたが、その罪がもとで、死刑になりました。
 今も、非常に尊敬されている人ですが、現時点で考えてみて、吉田松陰が、ペリーの船に乗り込んでアメリカに渡り、向こうの国を見てこようとしたことに、いったい何の間違いがあるでしょうか。
 それは当たり前のことです。あれだけの勉強をした思想家がアメリカへ行き、現地を見聞してきたならば、必ずや、日本を変える力が生まれたことでしょう。
 また、同じく明治維新の志士のなかには、坂本龍馬という、非常に人気のある人がいます。
 この人も、土佐藩(現在の高知県)を脱藩し、脱藩浪人として、日本の新しい国づくりのために活躍しましたが、当時は、そうした脱藩をすると、犯罪人になり、追いかけ回されるような時代だったのです。これも、今から考えると、やはりおかしいでしょう。
 そのように、あとから考えると、おかしいことであっても、その当時、「当然だ」と思われていたことは、たくさんあるのです。
 そして、それは、現在ただいまにもあるということです。私たちが生きている現代においても、あとから考えると、「どう見ても、それはおかしい」と思われるような考え方にとらわれている面が、そうとうあるということを知らなければならないと思います。
 そういう状況から、未来を拓いていくのは、ごく一部の勇気ある人々です。
 そうした勇気ある人々が、この地上を超えた霊天上界にある、「仏の心」「神の心」を心として行動しなければ、やはり、この世での常識や法律の力を乗り越えて向上することは、難しいだろうと思うのです。
(209~212ページ)

人は、人間心を超えた、普遍的で永遠の「正しさ」があると思えばこそ、謙虚になり、崇高な心を持ち続けることができる。

確立した政府だとか法律だとかを乗り越えて、未来社会を構築するためには、勇気と行動力が必要であるが、それは、この世を超えた何かを信じなければ、生まれてこない。

そうした勇気ある人々が、この地上を超えた霊天上界にある「仏の心」「神の心」を心として行動しなければ、この世での常識や法律の力を乗り越えて向上することは難しい──。

まずは、この世を超えた何かを信じること。

その何かの典型は、仏であり、神でありましょう。

深い信仰をもった人々が立ち上がり、勇気と行動力をもって、この世の中を変えていきたいものだと、私は強く思っているのです。

『この国を守り抜け』大川隆法著


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週刊文春が、またものすごく変な記事を書いて、幸福の科学に訴えられたって聞いたよ。なんでなのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『「文春」に未来はあるのか──創業者・菊池寛の霊言』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう教えておられます。

まえがき
 実は、私が月刊『文藝春秋』を初めて読んだのは、小学校一~二年生の頃である。早熟な少年ではあるが、徳島県の実家の離れには、「直木賞候補」に二度なった小説家の伯母が住んでおり、私はよく遊びに行っていた。夜は自宅で、「文春」や「新潮」、「講談社」などの毎月の新作小説について、父や伯母、兄や私が食後に批評座談をやっていた。田舎の天才文学少年であったのである。
 東京で作家活動するよう、出版社に口説かれて上京する伯母の中川静子を、阿波川島駅まで見送ったのは、もう四十六、七年も前になろうか。夜行列車だったような気がするが、いつまでもいつまでも駅のホームで手を振り続けた。
 東京のホテルでカン詰め状態になりながら、編集者につつかれて、伯母は連載小説を書き続けていたが、一年ばかしで出版社とけんか別れして帰ってきたので、また駅まで出迎えに行った。伯母が、編集者に、「小説に男女のからみをもっと書け」「恥毛の一本一本まで目に見えるように克明に描写しろ」と言われ続けて、「悪しき商業ジャーナリズム」「売らんかな主義」と訣別すると批判していたのが印象的だった。その後、彼女は郷土作家になり、郷土の歴史をていねいに調べ上げて、「徳島新聞」などに毎日連載して、その一生を閉じた。
 私も、妻よりも蔵書を愛した男である。十何万冊はある書庫を、ボーッと瞑想しながら回遊するのが好きである。出版社には何の恨みもない。
 今回、心ならずも、文春の創始者であり、「直木賞」「芥川賞」の創設者でもある菊池寛を批判する立場になってしまった。
 言論は自由である。しかし、ここまで書物文化を愛している人を傷つけ、メシの種にするのは、誇りある出版社としては自殺行為なのではないか。良質の作家も、良識ある読者も失ってしまうのではないか。「文春」に未来はあるのか。じっくりと考えてみたいと思う。

あとがき
 商業雑誌の未来は厳しいのかと思うが、一定の節度は守ってほしいものだ。また宗教から除名された人の意見をうのみにするのは、危険だと思う。破門されるには、それなりの理由がある。しかし、宗教家は、彼らが犯した罪を公表しないで胸に秘めていることが多い。その意味で、取材の自由がまかり通らぬこともままあるであろう。
 いずれにせよ、聖なるものを見失ったら、国家はその中心軸を失ってしまうだろう。
 もっと目に見えぬ世界や、神仏に対して、畏敬の念を持つ国家でありたいものだ。
(1~2、187ページ)

「文藝春秋」は、誇りある出版社としては自殺行為を行なってしまった、「文春」に未来はない、と大川隆法先生は言外に語っておられるように思えます。

この週刊文春の記事に対して、あっと言う間に単行本の書籍で反撃しておられるのも電光石火で驚きですが、教団もかなり怒っているのでしょうか、3億円もの損害賠償訴訟だと報じられています。

どういう展開になるのか、続報を待ちたいと私は思うのです。

『「文春」に未来はあるのか』大川隆法著


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「如来」(にょらい)については、一度、ご紹介しました。今日は、その第二弾になります。

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は『太陽の法』幸福の科学出版刊において、「仏は人間の魂を平等に創ったが、平等だけではなく、その働き相応に評価する公平という観点からも人間を見ている」ということを語りました。
 その公平とは、多くの人を指導する人には、それなりの立場と役割、力を与えるということです。如来という一段高い境地は、この公平の原理から成り立っているのです。
 仏の子として平等に分かれてきたもののなかで、幾転生をくり返すうちに、大いなる叡智を獲得した者に対しては、それなりの立場につかせて、さらに大いなる自己実現を任せる。これが仏の考えだと言えます。
 そこで、如来の機能とは何かを考えると、結局、如来とは仏の代理人としての機能を持っている人と言うことができます。
 仏というものは、人間のように手足があって、そこここに現われて動くものではありません。仏は、この大宇宙、この広大なる多次元空間をも創出している存在ですから、それを人間が手に取って見るようなわけにはいきません。
 そのかわり、仏を感じさせるような偉大なる存在として、如来があるのではないでしょうか。すなわち、人びとに仏そのものを感じさせるために、如来は存在しているのです。これが如来は「存在の愛」の体現者であるということの根本の理由です。
 如来は「真実から来た」存在ですけれども、絶対的真理がそこにあるような存在とは、その存在自体が人間に対する愛である存在ということになりましょう。つまり、人間を大いに啓発し、啓蒙し、幸福な境地に誘いてやまない存在――それが如来なのです。ということは、如来とは光そのものでもあり、また、仏の化身でもあると言えます。
 人間には、仏そのものを見、仏そのものを理解し、仏そのものをつかみきることはできません。しかし、如来というものを通して、仏を類推することはできるのではないでしょうか。仏を類推し、仏の慈悲を推し量るための手本として、如来がいるのです。
 仏を直接に見ることはできないが、如来を通して、仏の偉大な慈悲、仏の偉大なる存在というものを、人間はやがて感じ取っていくのです。
 したがって、如来の存在の意味とは、結局のところ、教育にあるわけです。如来は、その存在自体が、衆人、万人に対する教育機能を持っているのだと言えます。
(236~239ページ)

如来という一段高い境地は、公平の原理から成り立っており、仏の子として平等に分かれてきたなかで幾転生をくり返すうちに、大いなる叡智を獲得した者である。

如来とは仏の代理人としての機能を持っており、仏を感じさせる偉大なる存在である。

仏を直接に見ることはできないが、如来を通して、仏の偉大な慈悲、仏の偉大なる存在というものを人間は感じ取っていくのであり、如来の存在の意味は、衆人に対する教育機能にある──。

冒頭で触れられている『太陽の法』の教えについては、ご紹介したことがありました。

「如来」と呼ばれる高級霊について、また少しだけ、理解が進んだ気が私はするのです。

『永遠の法』大川隆法著


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天才教育って、できるものなのかな。なにかヒントってないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』(幸福の科学出版)で、有名な哲学者であるカントの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 天才教育の可否については、難しいところがある。
 幼少時に全部が決まるとは言えないけれども、いわゆる天才といわれる人は、学齢期に上がる前あたりの体験にかなり大きく影響されていることが多い。そのあたりの年齢で、どういう影響を受けたかということは、けっこう、本人は忘れていくんだけれども、それが深く潜っていて、大人になってから出てくることが多いね。
 例えば、ユダヤ人は、ノーベル賞学者に占めるパーセンテージがものすごく大きいでしょう? ノーベル賞を取っている人の何割かは、ユダヤ人のはずだよ。
 ユダヤ人は、人口で言えば、世界中で一千何百万人しかいないよね。しかし、これだけの人数しかいない割には、ノーベル賞を取る天才がたくさん出ている。
 その理由は何かと言うと、幼少時代に、ユダヤ教の『旧約聖書』、まあ、言わば、神様や預言者の歴史、あるいは民族の歴史を、親が繰り返し読み聞かせているからだ。また、子供に素読もさせているのかもしれない。そういうものが子供の脳に刺激を与えて、それが、今度、学問領域で活躍するようになったときに、さまざまなインスピレーションを受けるためのもとになってくるんだね。
 だから、宗教教育を幼いうちに上手にやることが、天才教育につながる面が必ずあると思う。内容が、全部、分かるとは思えないし、自分たちで自主的に読めるところまでは、たぶんいかないと思うけれども、大切な真理の本の一節を、毎回、読み聞かせるというかたちで構わないから、レベルをそれほど下げずに、通してやっていると、将来的に天才が現れてくることもある。
 そういう高次なバイブレーションを、脳のどこかに残しておくことだ。そこに、天才教育の可能性があるね。
 幸福の科学学園の中高では、ちょっと遅いんですよ。実は、もう少し早いうちに刺激が要るんだ。
 あと、用心すべきことは、小学校以降に起きる、あの異文化の子供たちからの攻撃だな。
 「“アパッチ族”の襲撃を受けるから、つまり、信仰を持たない子供たちからいじめられて、“少数民族”として迫害を受けるから、それに対して、子供をどう護るか」ということが、次の使命としてはある。
 けれども、ユダヤ人を見れば分かるように、宗教教育や歴史教育をきちんとやっていることが、天才をつくるうえで大事になるね。
(105~107ページ)

天才といわれる人は、学齢期前の体験に大きく影響されていることが多い。

例えば、ユダヤ人がノーベル賞学者に占める割合がとても大きい理由は、幼少時代に『旧約聖書』を親が繰り返し読み聞かせてたり、素読させたりしているからである。

宗教教育を幼いうちに上手にやって、高次なバイブレーションを脳のどこかに残しておくことが、天才教育につながる面が必ずある──。

なるほど、なるほど、と今日も思います。

カントという哲学者の業績をみたとき、「天才」と呼ぶことに反対する人は少ないのではないでしょうか。このカントの言葉は、天才教育のための大いなるヒントではないかと私は思うのです。

『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』大川隆法著


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とにかく挫折だよね。人生、これ以上の苦難とか困難とか、ないんじゃないの。人生終わったよね? なーんて悩みを抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ものごとには、短期的に見る考え方と長期的に見る考え方の両者があるのです。
 長期的にのみ考えて、現在ただいまはどうでもいいというような考え方を、決してしてはいけないと私は思います。(中略)
 ただ、みなさんが挫折するとき、みなさんが「これ以上の辛酸はない。これ以上の苦難はない。これ以上の不幸はない」と思っている時期というものは、やはり短期的なものであることが多いと思います。そして、一年間、二年間という短期的な時期をとってみて、「自分の思うとおりにならなかった」と考えるのでしょうが、こうしたときには、やはり、発想の切り替えがぜひとも必要です。
 短期的に勝利しなかったということは、みなさんに、たとえば、短距離ランナーとしての素質がない、一〇〇メートル走では決して優勝できないということを教えているのかもしれません。ただそれは、みなさんがよきランナーになれないことを意味しているわけではないのです。
 四〇〇メートルや八〇〇メートル、一五〇〇メートルの競走もあれば、あるいは四二・一九五キロのマラソンもあります。「短期だけではだめならば、長期はどうであろうか」という考え方があるわけです。これを大事にしていただきたいと思います。
 私は、もともと足はあまり速いほうではなかったのですが、高校生のころ、一度、校内のマラソンに出て、なかなかの成績を収めたことがあります。このマラソンの体験を通して、やはリペース配分というものは大切なのだということを教えてもらったと思います。
 そのとき、私は最初、自分とだいたい似たような実力の集団に見当をつけて、その団子集団に入っておこうと考えました。ところが、走っているうちに、だんだんと調子が出てきて、体が温まってくると、「もしかしたら、いけるかな」という感じがしてきました。それで、中間地点からペースを上げていくと、何かだんだん足が長くなってきたような気がしました。やがてピッチが上がって、短距離走などでは私よりずいぶん速かったような人まで抜いてしまったのです。
 短距離が得意で、筋肉質であるような人は、ペース配分を誤るとバテるのです。速く走りすぎて途中でバテてしまい、ハアハアいって休んだりします。そこに、私が後ろからタッタッタッと追いかけてくるものだから、意外な顔をして、また引き離そうとがんばるものの、いつのまにか私の後ろのほうにいってしまったりしたのです。「こんなことってあるのかな」と思って、不思議な感じがしました。
 ペース配分の大切さということをお話ししましたが、自分の持っている力を客観的に分析して、どの部分で力を出していけば、全体で見たときに、自分なりの大きな結果が出せるのか――それを工夫することは可能であると思います。
(212~215ページ)

ものごとには、短期的に見る考え方と長期的に見る考え方の両者がある。

長期的にのみ考えて、現在ただいまはどうでもいいというような考え方ではいけないが、挫折するときは、やはり短期的なものであることが多い。

そうしたときには、発想を切り替え、自分の持っている力を客観的に分析して、どの部分で力を出していけば、全体で見たときに自分なりの大きな結果が出せるのかを工夫することは可能である──。

うーん、なるほど、です。

短期的に見る考え方と長期的に見る考え方の両方をみすえて、人生に勝利していきたいものですよね!

『常勝思考』大川隆法著


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進化論って、聖書の創世記で、神さまが人間や他の動物たちを創造されたという話とぶつかってるじゃないの。科学なんだから、やっぱり進化論を信じるべきなのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『進化論―150年後の真実』――ダーウィン/ウォーレスの霊言(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 本書は、『幸福の科学』が、「宗教」であると同時に、「科学」でもあることを証明する一書であろう。
 私たちは明らかに、人類の秘密、地球の秘密、世界の秘密、神の秘密に陸続と挑戦し続けている。
 「宗教」対「進化論」の対立は、十九世紀から二十世紀にかけて、世界を二極化する大きな対立構造となった。ウォーレスの時代には、現在の新興宗教の扱いだった「科学」が、今では中世の教会のように、「宗教」を圧迫、迫害しつつある。ダーウィンの「唯物論的進化論」は、マルクスを狂喜させ、政治経済面で共産主義・社会主義となって、全地球を侵食した。またニーチェをして「神は死んだ」と叫ばせ、神に代わる超人としての「ヒトラー」をも出現させた。百五十年の歳月を経て、今、日本の教育の根本にあるガン細胞を、ここに摘発する。

あとがき
 進化論の誕生には、ダーウィンとウォーレスという二人の生みの親がいたことを、多くの日本人は知らないだろう。歴史に「IF」が許されるなら、「心霊主義」と「進化論」の両立を信じて疑わなかったウォーレスの名において、現在まで「進化論」が語られていたなら、かつての「ソ連邦」も現在の「中華人民共和国」もなかったはずである。
 ダーウィンとウォーレスのどちらが正しかったかは、両者の霊言を読めば判るだろう。もちろんウォーレスである。
 私は今、エル・カンターレの名において、歴史の流れを逆流させようとしている。キリスト教会で言われ続けてきた「偽預言者」は、「キリストの再臨」を名のる者ではなく、「科学者」を名のる者の中から出て来たということだ。間違った学問認識は正さねばならない。これもまた、正しい「科学」の立場である。
(1~2、200~201ページ)

大川隆法先生が、「日本の教育の根本にあるガン細胞」と呼ばれているのは、いったい何のことなんでしょうか。

また、ダーウィンとウォーレスという、進化論の二人の生みの親は、死後、どういう世界に還っており、何を語るんでしょうか。

ウォーレスのほうはあまり有名でないわけですが、それも理由があったことが、本書を読むとよくわかります。

本書は、宗教に興味を持つ人はもちろん、「科学」の興味を持つすべての人に対して、強くオススメできる大事な大事な書籍だと、私は思うのです。

『進化論―150年後の真実』 大川隆法著


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人生、運命ってあるでしょ。やっぱり変えられないものなんだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真実への目覚め』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 キリスト教では、魂が肉体に宿る前のことをほとんど教えていないので、それに関する知識を持っていない人、あるいは信じていない人が多いと思うのですが、人間は、この世に実際に生まれてくる前に、霊界で、だいたいの人生計画を立てます。そういう意味での運命はあるのです。
 そのアバウトな人生計画においては、自分の親を選びます。それから、ブラジルならブラジルというように、生まれる土地を選びますし、ある程度は、「こういう職業に就こう」ということを選びます。また、自分と非常に親しい人たちとの人間関係を、だいたい決めてきます。
 それから、たいていの場合、自分自身に何か一つは突出した才能があるので、ある程度、「このような人生を送るであろう」という予想がつくのです。その意味での運命はあります。
 しかし、これは完全な決定論というわけではありません。
 もし、運命が完全に決まっていて、絶対に変えることができないものであるならば、神は非常に意地悪な存在だと私は思うのです。なぜなら、努力しようが、しまいが、結果は同じだからです。これでは、やはり、「意地悪だ」としか言いようがありません。
 「この世に生まれて努力しても、それには何の効果もない。努力しても、しなくても、同じだ」ということであれば、人間は堕落するしかないのではないでしょうか。必ず、そういう方向に行くでしょう。いくら努力しても、結局、最後は同じなのであれば、努力の意味がなく、よいことをする意味もありません。
 したがって、大枠において、自分の人生の傾向性というものはあるものの、「そのなかで、自分の人生を、どのようにつくり上げていくか」ということについては、だいたい半分ぐらいを自分自身で決められると考えてよいでしょう。
 残りの半分の半分、すなわち、全体の四分の一ぐらいには、持って生まれた性格や性質、生まれる前の計画等が影響します。
 そして、残りの四分の一には、悪霊の憑依など、この世で出会う霊的存在との接触が影響するのです。それは悪霊だけとは限りません。もちろん、よい霊もいるわけであり、天使、あるいは天使に近い存在との出会いもあります。そうした霊的な存在との出会いによって、四分の一ぐらいの影響は出ると考えてよいでしょう。
 したがって、大まかに述べると、「半分は自分で決められる。残りの半分のうちの半分は、生まれてくる前に決まった大枠がある。最後の四分の一は、霊的な存在との出会いによって決まる」ということです。
 「半分は自分の力である」と述べましたが、宗教修行をすることによって、高級霊の指導を受けるようになると、うまくいけば、七十五パーセントぐらいは、自分の思う方向に人生を支配することが可能だと思います。
(164~167ページ)

人間は、この世に生まれてくる前に、霊界でだいたいの人生計画を立てるので、その意味での運命はある。

しかし、それは4分の1くらいの影響であり、人生の半分はこの世の努力で決められるし、最後の4分の1は、この世での霊的な存在との出会いによって決まる。

したがって、宗教修行をすることによって高級霊の指導を受けるようになると、うまくいけば75パーセントぐらいは、自分の思う方向に人生を支配することが可能となってくる──。

今日のお教えは、要するに、宗教を知らずして、この世の努力だけで運命を切り拓いていこうとするのはなかなか厳しいけれども、宗教修行をすることで、自分の運命を好転させていくことは、十二分に可能だってことなんでしょう。

そしてそれも、どんな宗教でもいいのではなくって、天上界の御心に沿った正しい宗教でなければ、高級霊の指導は受けられないわけです。

そうなってくると、やはり大川隆法先生の指導される幸福の科学の教えに従って修行をしていくのが、運命を好転させていく王道だってことになるのだと、私は思うのです。

『真実への目覚め』大川隆法著


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独裁者ってさ、歴史上よく出て来るんだけど、あれはあれで国が強くなっていいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『アダム・スミス霊言による「新・国富論」──同時収録 小平の霊言 改革開放の真実』(幸福の科学出版)で、中国の事実上の最高指導者だった小平の霊の言葉(「霊言」)を、D氏(質問者)との対話の形で、次のように伝えておられます。

小平 (中略)君、十数億の国民をまとめるには、すごい力が要るんだ。民主主義なんて言ってるが、みんなで議論などしてたら、国家は分裂するんだよ。だから、強力な専制君主みたいな独裁者が必要なんだ。
 やっぱり、強い指導者が要るんだ。十万人ぐらいのデモがあっても、いざとなったら、皆殺しにする。そのぐらいの力がなかったら、国家の統一なんかできないんだよ。
D─ ただ、それは、国民にとって幸せな状態と言えるのでしょうか。
小平 そんなの、知ったことか。やはり、国家の存立が大事なんだよ。
D─ 国家も大事ですが……。
小平 十何億もいるんだから、十万人や百万人、死んだって、どうってことないんだよ。君、何言ってるんだ。
D─ それは、「国民の幸せ」という観点においては……。
小平 君、そういう西洋かぶれのことを言うんじゃないよ。
D─ ただですね。
小平 ん?
D─ 今、中国では、実際に、農村と都市の差が開いています。
小平 そんなもの、もとから開いてるんだ。何言ってるんだ。
D─ ええ(苦笑)。しかし、国のトップに立つ者としては、国民の幸せを考えて……。
小平 君ねえ。
D─ その矛盾をソフト・ランディングさせるのが……。
小平 君! 君は、国のトップと話をするような、そんなレベルの人間じゃないよ。(中略)君、西洋かぶれで、ちょっと頭がいかれてるよ。
D─ いえ、西洋かぶれか否かではなく、共産主義自体にすでに限界が来ているのではないでしょうか。
小平 もう、中国に“帰依”しなさい。
D─ 中国に“帰依”しても、幸せにはなれないと思います。
小平 君、やっぱり精神的におかしいよ。
D─ そうですか(苦笑)。
小平 どこか狂ってる。
 君ねえ、国家っていうのは、個人より大事なものなんだよ。国家あっての個人なんだよ。それなのに、君は、なんだか、「国家が個人をいじめたら、悪い」というような言い方をするじゃないか。
D─ 人々をいじめるのは、やはり、よくないことだと思います。
小平 君が言っていることは、「象が、知らないうちに蟻を踏むのは、象が悪い。だから、象を死刑にする」みたいな、そんな目茶苦茶な論理だよ。
D─ では、国家は、何のために存在しているのですか。
小平 国家は、国家のために存在するんだよ。何言ってるんだ。
D─ 国家のために?
小平 国家が生き残ることが大事なんだ。
D─ 国民を幸せにするために、国家はあるのではないでしょうか。
小平 個人は、国家を支えるためにあるんだ。君、何を言ってるんだよ。中国で人権があるのは、昔から、皇帝一人なんだよ。
(171~176ページ)

十数億の国民をまとめるには、強い力が必要だから、強力な専制君主みたいな独裁者が必要である。

国家は、個人より大事なものであり、国家あっての個人である。

個人は国家を支えるためにあるのであって、中国で人権があるのは、昔から皇帝一人である──。

この小平の考え方は、はたして天上界に祝福されたものなんでしょうか。

やはりそんなことはないんであって、国だけが強くなって国民が不幸、独裁者のみが幸福というのは、どう考えてもやはり間違っている思想だと私は思うのです。

『アダム・スミス霊言による「新・国富論」』大川隆法著


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ダイアナ元皇太子妃の長男であるウィリアム王子って、結婚して、とっても美しいお妃を迎えたことが報じられていたのは、1年前のことだったよね。で、ダイアナ元妃って、どうしてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 一九九七年の秋に、イギリスのダイアナ元皇太子妃とインドのマザー・テレサが相次いで亡くなり、新聞やテレビなどはその話題でもちきりでした。そのため、人びとのあいだで、「人の死とは何か」ということへの関心が高まっていたと思います。
 私は当時、死後まもない、この二人の様子を視てみました。新聞や雑誌、テレビであれば、現場に取材に行くということになるのでしょうが、私の場合は「霊的に視る」ということになります。
 ただ、ダイアナ元英皇太子妃については、ちょうどそのころ、イギリスで盛大に葬儀が行なわれているところだったので、あまり深入りはしませんでした。
 国民葬というかたちで、数百万もの人が彼女の死を悲しみ、その柩を見送っている姿を見たとき、「信仰の対象になる」という点で、彼女には女神に値するだけの実績が充分に出ているように私は感じました。あれだけ多くの人に惜しまれると、信仰の部分では女神の条件が満たされるのです。
 もっとも、それと引きかえに英国の王室が没落し、悲劇になった場合には、そこに一つの地獄界が出現し、マイナス要因となるので、彼女の先行きにはまだ未知数の部分もあります。しかし、パターンとしては、彼女は女神になる条件を備えていると思います。
 ただ、女神になる条件を備えているといっても、彼女のように、若くして突然に事故死などをした場合は、すぐにはあの世に還れないのが普通です。なぜなら、横死といわれる死に方をした人には、「もう少し地上で生きたかった」という思い、地上世界に対する執着が、非常に強く残るからです。
 彼女は来世に対して強いあこがれを持っていたわけではないので、「遺された王子たちはどうなるのか。自分が計画していた新しい生活はどうなるのか」などといった、この世に対する執着がまだ残っていました。こうした執着は、どのような人でも、ある程度は残るのです。
 亡くなってまもないころの彼女は、そうした執着がまだ心に残っていたため、地上界を完全に離れて天上界に入れる段階にはなく、「彼女は死後、二、三カ月ぐらいは地上界に残って、自分の葬儀の様子や遺された人たちの気持ちの動きなど、いろいろなことを見るのだろう」と私は思いました。
 当時の彼女の気持ちは悲喜こもごもでしたが、自分の死を大勢の人が惜しんでくれたことを意外に感じ、「死後、こんなに惜しんでくれるのであれば、生きているうちに、どうしてもう少し評価してくれなかったのか。生前はずいぶんひどいことも言われたのに、死ぬとこんなに変わるのか」と不満に思う気持ちも多少あったようです。
 彼女の死について、「なぜ、あの若さで亡くなったのか」という疑問や、「マスコミが悪い」という考え方も、この世的には当然あるでしょう。
 しかし、霊的な眼で観ると、「彼女は地上での使命が終わったのではないか」と私には思えるのです。
 おそらく、「彼女が六十歳、七十歳まで生きたならば、悲劇の人生、苦悩の人生が長くなるだろう。そうすると女神になるのが少し難しくなってしまうので、そろそろ引き上げ時だ」と考えた霊人がいたのだと思います。このようなかたちでの慈悲もあるのです。
(69~72ページ)

この説法がなされ、書籍として刊行されたのは、1997年のことでした。

それから15年が経過したわけですが、さて、ダイアナ元妃は、いま、どういう世界に還っているのでしょうか?

『繁栄の法』大川隆法著


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マルクス主義の誤りについては、前回、ノーベル経済学賞を受賞した著名な経済学者・ハイエクの批判を、ご紹介しましたが、今日はその続編になります。

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造の経済学』(幸福の科学出版)で、ハイエクの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 「こういう人の思想を奉じる国が世界の半分にまで広がった」というのは大きなことだし、実際は、「奉じた」というよりは、「悪用した」ということでしょうね。マルクス主義の持っている弱点を悪用したわけです。
 どういう弱点であるか。マルクス主義では、今、言ったように、富を憎む思想を持っている人はたくさんいるから、大地主や貴族、大金持ちなどから金を巻き上げて、他の人たちに分配します。これは、ほとんど海賊や強盗のやり方ですよね。これを肯定したことがそうです。
 また、「革命の結果が正しければ、手段として暴力を使っても構わない。結果が良ければ、途中は構わない」という考え方も、銀行強盗の論理と同じですよね。例えば、「銀行強盗に入って人を殺しても、その金を教会に寄付したら、結果が良いので、それは良いことだ」と言うのと同じです。
 しかし、あなたがただって、そういう金は不浄な金と認めるでしょう?(中略)でも、マルクスは、手段としての暴力を肯定した。つまり、彼は、反対勢力を粛清したり、嫌な人たちを隔離し、強制収容所送りにしたりする理論の基礎をつくったわけです。
 これは、ソ連で現実に起きたことですよね。(中略)結局、多くの人々の歓心を買おうとすると、どうしても、本当は一部の人が操っているのに、その正体を隠して、多くの人々のためにやっているように見せながら、圧政を加えるようになります。そこには、「異質なものを排除していく」という思想が必ず出てくるんですね。
 そして、「それが、悪魔の道であり、地獄への道である」ということを分からない人が大勢いるわけです。
 だから、マルクスは、「今、繁栄しているつもりでいる民主主義の、いちばんの弱点を突いてきた」ということですね。
 マルクスの“発明”と言われているもののうち、その最大のものは、結局、「投票は一人一票だから、資本家対労働者なら、労働者のほうが投票数は多い。だから、民主主義制度があるかぎり、両者の力関係を引っ繰り返せる」ということです。マルクスは、ここに着目したんですね。そして、「プロレタリアートよ、団結せよ」と言ったわけです。
 その結果は何かというと、日本で言えば、今のJALですよ。労働組合が八つもあり、何兆円もの赤字をつくって、国の税金を投入しなくてはいけなくなりました。(中略)
 JALの社員たちは、そういう労働組合が会社を悪くしたなどとは思っていないだろうけれども、現実には、そうなっているわけですね。(中略)
 「多くの人にとって、いいことのように聞こえるものが、実はマイナスのことがある」ということですね。
(48~54ページ)

マルクスは、手段としての暴力を肯定したことで、反対勢力を粛清したり、嫌な人たちを隔離し、強制収容所送りにしたりする理論の基礎をつくってしまった。

多くの人々の歓心を買おうとすると、本当は一部の人が操っているのに、その正体を隠して、多くの人々のためにやっているように見せながら圧政を加えるようになるのであり、これはソ連で現実に起きた。

多くの人にとって、いいことのように聞こえるものが、実はマイナスのことがある──。

新約聖書に、「滅びの門は大きく、その道は広い」というような言葉があったと思うのですが、この真理に通じる話ではあると思います。

大いなる理想を掲げたマルクス主義は、じつは大きな弱点を抱えていて、その弱点が悪用されることで世界の半分にまで広がってしまい、結果として数多くの不幸を生み出してしまった、ということなのだろうと私は思うのです。

『未来創造の経済学』大川隆法著


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デフレで不況なんだよね。このデフレの流れって、止まらないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『社長学入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ユニクロは一つの象徴なのですが、何が言いたいかというと、「『中国で生産する。中国に赴き、現地で日本と同じようにつくる』というようなことが、デフレの原因の一つである」ということです。
 中国の都市部は、今、かなり発展中なのですが、それでも、サラリーマンの月給を見たら、安い人は二、三万円ぐらいです。都市部の工場労働者は、だいたい、月給が一万円ぐらいで働いています。
 これと戦うのは大変です。これは、日本で言うと、昭和三十年代ぐらいか、安いところは昭和二十年代ぐらいの人件費でしょう。(中略)農村部に行くと、もっと安いのです。「一年間に数万円で生活している」などという農家がゴロゴロあります。(中略)
 これらの人たちに技術を教え込み、日本と同じように製品ができるようにして、それを日本で売ったら、どうなるかといえば、安くなるに決まっています。そのため、多くのメーカーが中国で生産を始めたわけです。
 同様のことがインドについても言えます。(中略)インドには十二億の人口がありますし、中国には十三億の人口があります。(中略)こういう、十数億の人口、インドも含めれば二十数億の人口を持つところが、三十年前、四十年前の日本のように、これから快進撃をしてくるとしたら、どうなるでしょうか。世界は貿易で結ばれているので、ものの値段は絶対に下がるわけです。
 農産物も、日本のものは高いのです。
 日本人は、「外国の農産物は農薬が怖い」「中国産のホウレンソウから農薬が出た」などと言って、すぐ「怖い、怖い」と言います。しかし、日本人がそういうことを怖がるのなら、外国も農薬を使わないようになります。
 タイなどでも、しだいに日本人好みのものをつくるようになってきます。(中略)これらの国々では賃金が安いのです。賃金は、しだいに上がっていきますが、それでも、何十年かの落差があるため、高い関税でもかけないかぎり、どうしても農産物は安くなります。日本国内のものは競争で勝てなくなるのです。(中略)
 今からもう二十数年前になりますが、私がアメリカにいたとき、衣服や、おもちゃなどの売り場を見たら、「メイド・イン・USA」は、ほとんどありませんでした。「メイド・イン・ジャパン」も、そのころ、そろそろ駆逐されてきていて、「メイド・イン・台湾」など、そのようなものばかりでした。
 そのため、「このようになるのだな。よその国でつくったものばかりを売っている国なのだな」という、すごく不思議な感じがありました。(中略)
 日本も、だんだん、そういうアメリカのような国になろうとしているのだと思います。日本は先進国で購買力もあるので、安い製品を数多くつくるところから「大量に買ってくれ」と言われる時代が来ているのです。
「安くなっているものをわざわざ高くして、日本製のものを保護する」ということは、もう無理なのです。(中略)したがって、物価は絶対に下がります。デフレのトレンドは止まらないのです。
 ただ、「デフレだから不況になる」という考え方は間違いです。
(191~197ページ)

人件費の安い中国やインドに赴き、現地で日本と同じように生産することが、デフレの原因の一つである。

また、日本は先進国で購買力もあるので、安い製品をつくる国から大量に買ってくれと言われる時代が来ているのであって、関税で日本製のものを保護するのはもう無理である。

したがって、デフレのトレンドは止まらないが、しかし、「デフレだから不況になる」という考え方は間違いである──。

なるほど、なるほど。国内経済といっても、海外のことも視野に入れないと、そのトレンドとかは見えて来ないんだってことなんですね。

で、この最後の「デフレだから不況」じゃないってあたりについては、また、次の機会に!



『社長学入門』大川隆法著


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宇宙人と対話って、できるものなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙人との対話』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、次のように説いておられます。

 まえがき
 先般、『「宇宙の法」入門』を出版したところ、予想を超えての大反響であった。硬派をもって自認する、当会のオピニオン誌、『ザ・リバティ』にも関連特集を組んだところ、「実は……」「今まで黙っていたのですが……」といった読者の反響投稿が相次いだ。
 宇宙人が多数飛来し、その円盤などの乗り物を誇示し始め、地球人との直接コンタクトを開始し始めたのは、実は、日本と深い関係がある。一九四五年に広島と長崎に原爆が投下されてより、地球人自身の手によって、地球文明が滅亡する危機が始まったのである。
 そこで一九四七年のアメリカ合衆国のロズウェル事件(UFO墜落事故、宇宙人との接触)以降、多数のUFOが目撃されるようになった。地球文明不介入の宇宙協定の例外と判断されたからである。
 宇宙人とのコンタクトとは、地球人類の魂の起源の探究でもある。まずはご一読願いたい。

あとがき
  すでに現時点では、地球人として生活している者の、表面意識の下に潜んでいる宇宙人の魂を招き出し、あるいは、ウォーク・イン(共生)という形で人間の体に宿っている宇宙人の魂を探り当て、元いた星について語らせ、地球飛来の目的を探るという試みが本書である。
 宇宙人は、これから接触するどころか、すでに地球文明の一部に多数潜入し、共存しているのである。
 本書はプレアデス星人、ウンモ星人、レプタリアン、ベガ星人、金星人、ケンタウルス座α(アルファ)星人などとの対話記録である。
 神秘のベールの一部は、すでにはがされた。しかしまだ、十分ではあるまい。宇宙人シリーズ第三弾も検討中である。私たちは、真実の前に謙虚でありたいと願うものである。
(1~2、246~247ページ)

1947年のロズウェル事件以降、多数のUFOが目撃されるようになったのは、1945年に広島と長崎の原爆がきっかけだった。

地球人自身の手によって地球文明が滅亡する危機が始まり、地球文明不介入の宇宙協定の例外と判断されたからであった。

宇宙人とのコンタクトとは、地球人類の魂の起源の探究でもある──。

まだここではご紹介していなかったのですが、2010年5月に書かれた本書のまえがきとあとがきです。

宇宙人が、すでに地球文明の一部に多数潜入し、共存している事実を明らかにした本書は、宇宙人ものに興味があるすべての人に強くオススメ、なのです。

『宇宙人との対話』 大川隆法著


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猛女って言葉があるけど、どんな女性を指すのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『猛女対談──腹をくくって国を守れ』(幸福実現党)のまえがきとあとがきで、次のように説いておられます。

まえがき
 女性の政治家の卵と対談すると、勇気がある言葉がスパーンと返ってきて、男性以上に頼りになるというか、ホレボレとしてしまうこともある。
 対談相手の釈量子氏は、宝塚のトップが張れるぐらいの器量を持ちながら、本質は、明治維新の志士の頭領みたいな方である。
 面白く読んで下されば幸いである。

あとがき
 「腹をくくって国を守れ」と言い切れる方である。
 「美女対談」にしてあげられず、少し気の毒ではあるが、きっと近い将来の日本のエースになってくれることだろう。
 釈さんの指導を受けた方は、皆、陽明学者のように、実践を重視していくので頼もしい。
 凜々しく、潔く、美しく――。花開かれることを願っている。
(1、190~191ページ)

釈量子さんって、美女と言ってもよい女性だと思います。

こういう女性が、「腹をくくって国を守れ!」って言い切るなんて、とてもかっこいいんじゃないでしょうか。

通読すると、「猛女」というのは、この国難の時代における女性政治家の卵に対して、逆説的なほめ言葉だったことが腑に落ちる書籍だと私は思うのです。

『猛女対談』大川隆法著


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