ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「さわやかさ」って、なんだかいい気がするけど、どういいのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は「さわやかさ」には次の二つの利点があると思います。
 一つは、「さわやかであること自体が、心穏やかに、平静に生きていられることを意味する」ということです。「心穏やかに、平静に生きていられる」ということ自体が、非常に価値のあることであると私は思うのです。
 何が苦しいといって、心が動揺し、浮き沈みが激しいときほど苦しいものはないのです。やはり、そういう心の浮き沈みを通り越して、穏やかな湖面のような、穏やかな海のような、さわやかさがあればこそ、人は幸福を感じられるのだと思うのです。
 したがって、私は、そこに、「心の平静さ」という価値を発見するのです。
 「さわやかな」という形容詞で表される場合に重要な、もう一つの点は、「他の人々を害さない」ということです。さわやかな人は、決して他の人々を害さないという面があるように思います。他の人を害して生きている人を数多く見るにつけても、「さわやかな人が数多く出てくることが、世の中がよくなっていく秘訣である」と、つくづく感じるのです。
 では、なぜ、さわやかな人は、他の人を傷つけずに生きることができるのでしょうか。それは、一つには、引っかかりというものを持たないからだと思います。
 実際に、いろいろな人と話をしてみると、必ずしも自分と意見の合う人ばかりではありません。また、必ずしも自分の考えが相手に受け入れられるわけでもありません。
 ところが、さわやかに生きている人というのは、他の人とのあいだに起きた摩擦を、必ず、見事な潤滑油でもって乗り切っているように感じるのです。そして、「不愉快なことは、できるだけ小さく受け止め、押し流していく」という気持ちで生きているのではないかと思います。
 「さわやかさというものによって、これほどまでに人々が生きやすくなっていくのだ」ということを、つくづくと感じる次第です。
 さわやかな人にとって、大切な心構えというものがあるように私は思います。それは、「毎日毎日、一日一日を、感謝して生きる」ということです。
 人生は、長いように思っても、やはり、一日一日の積み重ねです。その一日一日をさわやかに生きつづけるためには、一日の枠のなかで人生を完結させながら、その日の問題をその日のうちに解決し、嫌な思いを翌日に持ち越さないことが大切なのです。
 このようにして、さわやかに生きていくということが、大事なのではないでしょうか。一日前、二日前、三日前、半年前、一年前の引っかかりを持ち越していると、なかなか、さわやかには生きられないものです。「生きていく上で起きてくる、さまざまな波風を、どのように乗り切っていくか。どのようにさわやかに乗り切っていくか」ということが、人間に課せられた課題でもあると思います。
(20~23ページ)

さわやかさの利点は、一つは、それ自体、心穏やかに平静に生きていられることを意味すること。

もう一つは、引っかかりを持たないことで、他の人々を害さないこと。

人生、毎日毎日、一日一日を、感謝して生きることで、さわやかに生きていくのが大事である──。

今日は、さわやかさ、という言葉を機縁として、人生の意味を改めて考えたような気がしています。

みなさんは、いかがですか?

成功の法―真のエリートを目指して (OR books) 『成功の法』

 大川隆法著

 

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多重人格って、ミステリー小説とかにけっこう出てくる話だけど、でも、ほんとにあんなのあるのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この世に生きている人間の心が、調和がとれて整っているときには、もちろん、地獄霊などは寄ってきにくいものです。しかし、現実には、「怒り」「妬み」「憎悪」「心配」「苦しみ」「悩み」など、非常に不調和な思いに振り回されて生きている人は多いのです。
 あるいは、肉体にも病気などの不調があったりします。(中略)
 このように、心身ともに病んでいる現代人には、天使たちよりも、むしろ、この地上に近い所で徘徊している亡者のほうが、波動的には近いものがあり、憑きやすいのです。
 その人の心が一つの方向に向き、地獄霊の何かの趣味嗜好にピタッと合っていると、彼らが寄ってきて、肉体を出たり入ったりし、最後は離れなくなって、完全に乗っ取るというかたちになります。
 そうなると、本人の魂は、「霊子線」(シルバー・コード)で肉体とつながってはいても、事実上、肉体の外に追い出されて、違う魂が体内にズバッと入っているかたちで生活をすることになるのです。
 このような、霊能者というより“悪霊能力者”とでも言うべき人が、けっこういるのです。
 そういう人は、感情の起伏が激しく、自分の感情をコントロールできません。自分が自分でないようになってくるのです。
 こうして、悪霊に肉体を乗っ取られるわけです。
 この世の世界には不成仏霊たちがたくさんいます。それ以外に、地獄界も、この物質世界のあり方が非常に投影されている場所としてあります。この世でかき立てられた妄念、欲望の想念を素材として、でき上がった世界です。その世界の住人は、この世の欲望の想念を発信している人の心と同通します。そのため、この世の人が心の蓋を開ければ、地獄界から悪霊が入ってくることのほうが、よほど簡単なのです。
 酒浸りの生活など、目茶苦茶な生活をすれば、悪霊は入り放題になってきます。みなさんは、別のかたちでの“霊能者”というものを見ているはずです。酩酊し、霊に憑依されて、おかしくなっている人や、精神に異常を来して病院に入っている人のなかには、事実上の霊能者になっている人も多いのです。
 天使が入っても、行動がおかしくはなりませんが、地獄の亡者や、この世でうまくいかなくて自殺したりした人の霊などが取り憑いている人の行動は、おかしくなってきます。そのため、そういう人は隔離されたりしているのです。
 そのような霊現象は起きています。
 最近は、「多重人格障害」も有名になっていますが、多重人格者のなかにも、やはり、憑依霊はかなり入っています。憑いている霊が本人の魂を追い出して入ってしまうので、まったく別の人格になってしまうのです。ところが、憑依霊は長くは憑いていられないため、本人の気分が変わったら出て、そのときには、また違うものが入ったりします。それで、五人、十人と、何体もの魂が出入りするわけです。
(200~204ページ)

心身ともに病んでいる現代人には、天使たちよりも、むしろ、この地上に近い所で徘徊している亡者のほうが、波動的には近く、憑きやすい。

心が一つの方向に向き、地獄霊の何かの趣味嗜好にピタッと合っていると、彼らが寄ってきて肉体を出たり入ったりし、最後は離れなくなって、完全に乗っ取ることになる。

「多重人格障害」も、憑いている霊が本人の魂を追い出して入ってしまって、まったく別の人格になってしまう、複数の霊の憑依であることが多い──。

なんとも不思議な話です。

でも、冷静に考えてみると、次々に違う悪霊に憑依されるというのも、「波長同通の法則」を念頭に置いて考えれば、理論的に説明できる霊現象であるわけです。

多重人格って、やっぱり、ほんとの話だったんですね!

神秘の法―次元の壁を超えて (OR books) 『神秘の法』

 大川隆法著

 

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マルクスの政治思想が誤ってたって言うけど、でも、それは価値観の問題なんであって、マルクスの思想体系そのものは、完璧だったでしょ? なーんて思い込んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『マルクス・毛沢東のスピリチュアルメッセージ』(幸福の科学出版)で、マルクスの霊自身の言葉(「霊言」)を、C氏(質問者)との対話の形で、次のように伝えておられます。

マルクス うーん。まあ、だから、君ねえ、「富の総量」って基本的に変わらないんだよ。君、勘違いしてるなあ。(中略)八時間労働とする。それで、労働人口が十万人なら、十万人で八時間労働した場合、生み出せる「富の総量」っていうのは、もう決まってるんだよ。(中略)
C―― 全員に同じように、必ず八時間の労働をさせるためには、誰かが監視をする必要が出てくると思います。つまり、監視社会になっていくとは思いませんか。
マルクス うーん。その監視するやつが、くさいよな。そいつは働かないで、同じ給料をもらおうとする傾向が出てくる。そうすると、そいつが働かない分だけ、ほかの人が、余分にノルマを課せられて、働かねばならんようになる。
 これでは、やはり、働かない者が発生して、人の上に立つ者が出てくる。要するに、十人の人が働いていたのに、一名が監視員に回ると、その一名分だけ余分に働かされるか、自分の取り分が減るか、どっちかになる。これは不平等な社会の始まりだな。
 うーん。富の偏在だ。
C―― 実際、共産主義を目指した国は、今、あなたが言ったように、「誰かが独裁者になって監視する」というエリート独裁の社会になっていったのですが、それについてはどう考えますか。(中略)
マルクス それは何かの間違いなんじゃないかなあ。うーん。そんなことがあっていいはずがない。わしの理論からいって、そんなことは起きるはずがない。(中略)
C―― 労働に関してお訊きします。あなたのような「本を書く」という仕事は、物をつくっていないので、ある意味で、「何も労働していない」ということにはならないでしょうか。
 そうすると、あなたは、「働いていないので、食べてはいけない」ということにならないでしょうか。(中略)
マルクス うーん。まあ、ここは、ちょっと……。まあ、若干、違いがあるんだけども……。
 まあ、ペンを走らせて原稿を書くのも労働といえば労働であって、やはり、「原稿用紙一枚当たりいくら」で働いてるわけだ。原稿用紙を一枚埋めるのにかかる時間っていうのはあるわけで、だいたい、書ける速度はあるわけであるからして、まあ、パンをつくったりする労働と種類は違うが、労働であることには変わりがない。
 まあ、こういう仕事をする人が少ないということではあるがな。労働者であることには変わりない。うん。
C―― そうすると、「書いた内容や思想にかかわらず、書いた文字数によって、その価値が量られる」ということになるわけですか。
マルクス まあ、そういうことだな。それが正しい考えなんじゃないかな。うん。一字、いや、「原稿一枚いくら」ということだな。うん。
C―― 人間の労働にそれほど差がないと考えると、やはり、「ヘーゲルもアダム・スミスも、あなたも、みな同じ」ということになりますね。
マルクス うーん。いや、わしのほうが量は書いたかもしらんから、わしのほうが金持ちになっても、おかしくはないんだが、金持ちになっとらんのだよな。おっかしいなあ。
(89~95ページ)

実際に霊界のマルクスを呼び出して、マルクスの理論の疑問点について質問してみると、本家本元のマルクス自身が、まったく答えられないことばかり、というのには驚きです。

特に、思想家としての自分の仕事の価値について、まったく矛盾した回答しかできないというのには、呆れるばかりです。

マルクスは、「富の総量」は基本的に変わらないと考えているわけですが、このマルクスの誤りについては、「パレートの法則」で簡単に説明することができそうです。

つまり、「パレートの法則」を適用して考えてみれば、「10時間の仕事時間のうち2時間で、全体の80パーセントの仕事をすることができる」わけですから、最初の2時間の労働の価値というのは、残りの8時の部分間とは異なっていて、平等ではありません。

つまりは、「富の総量」は、智慧による時間の使い方いかんで、いくらでも変わってくる気がします。

おそらくは、このあたりの考え方の足りなさに、マルクス思想の誤りの根源があるのではないかと私は考えたりもしているのです。
 

マルクス・毛沢東のスピリチュアル・メッセージ―衝撃の真実 (OR books) 『マルクス・毛沢東のスピリチュアルメッセージ』

 大川隆法著

 

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結婚相手を探してるんだけど、自分のベストの相手って、どうやったら見つかるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ベストの伴侶は、みなさんの予想とは反対に、追いかけてつかまるものではありません。追いかければ追いかけるほど、遠ざかっていくものなのです。(中略)
 もちろん、「求めよ、さらば与えられん」も真実ですし、「努力する者には道が拓かれる」というのも真理ですが、あくまでも、この「伴侶を得る」ということに限ってお話ししているわけなので、この問題に焦点を絞ると、結婚したい意志があれば結婚できるということは事実ではあっても、実際は、追いかけている者からは遠ざかっていくのです。
 たとえば、犬や猫などが自分の尻尾をくわえようとしてクルクル回っている姿を、みなさんは見たことがありませんか。(中略)ところが、尻尾というものは、追いかけないで、その存在を忘れて前に進んでいると、後ろから自分についてくるのです。しかし、追いかけようとすると逃げるわけです。
 それと同じで、伴侶というものは、“自分の半身”とよくいうように、実は自分と密接な一部なのです。これは、追いかけようとすると逃げるが、自然に前に進んでいくと後ろからついてくるというところがあります。不思議なものですが、この比喩が当たるのです。
 何を言いたいかというと、二点あります。
 一つは、「相手のほうから『結婚して欲しい』と思われるような自分となれ」ということです。(中略)
 自分にとって理想の相手を追い求めることが先決ではありません。(中略)そうした理想の人が現われたとき、その人が結婚したくなるような自分とはどのような自分であろうかと考えて、そのための自分づくりをした人のところに、理想の人は現われるのです。
 なぜかというと、結婚のときにいちばん大事なのは、やはりピッタリ合うということだからです。(中略)理想の人が現われたときに、その人と合うような自分をつくっておかないと、もし現われたとしても、新幹線のように通り過ぎていってしまうのです。(中略)そうした人が出てきたときに、「ちょうどいい」と言われるようなあなたに、なっていなければいけないのです。これが、ほんとうに大事なことなのです。
 女性を念頭に置いて言えばそういうことですが、男性の場合であれば、仕事での自己確立ということがきわめて大事です。男性にとっていちばん大事なことは、やはり仕事なのです。一生を通す仕事に関しての自分の確立、自己確立がどうしても必要です。経済的な見通しと同時に、「自分はこの仕事で、このような生き方でやっていける」という将来の見通しが立っているということが、きわめて大事です。(中略)
 自分の将来の見通しを固めてしまうと、不思議なもので、それに合う人が出てくるのです。会社でも事業でも何でもいいから、「こういうところで働いて、将来このようになる。いまは収入がこのぐらいだが、今後こうなる」ということがかっちりとあって、しかも情熱を持っているときには、必ず相手が出てきます。(中略)
 結局、男女とも、伴侶を得るための原点は、まず、理想の相手が出たときにピタッと合うような自分をつくることです。これがいちばん大事です。
(152~159ページ)

ベストの伴侶は、追いかけてつかまるものではない。追いかければ追いかけるほど、遠ざかっていくもの。自然に前に進んでいくと後ろからついてくる。

相手のほうから『結婚して欲しい』と思われるような自分となること。

特に男性の場合であれば、まず仕事において自己確立すること。

つまり、男女ともに、理想の相手が出てきたときにピタッと合うような自分をつくることが大事である──。

なるほどなあ、と思います。

犬や猫が自分の尻尾をくわえようとしてクルクル回っているような姿を演じたくないもの、ですよね!
 

常勝思考―人生に敗北などないのだ。 (OR books) 『常勝思考』

 大川隆法著

 

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なんか中国みたいな共産主義国家をみてると、やっぱ資本主義の国のほうがいいよね。で、資本主義の精神みたいなものって、あるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『富国創造論』(幸福の科学出版)で、薪を背負いながら本を読んで歩く姿の金次郎像で有名な、二宮尊徳の霊の言葉(「霊言」)を、以下のように伝えておられます。

 まあ、厳しい言い方かもしらんがね、昔から、「アリとキリギリス」の話があるだろう。冬は必ず来る。人生における冬とは、働けなくなる時期、収入がなくなる時期、病気になる時期ということだな。
 冬の時期は必ず来るのだから、それに備えて、夏の間から、アリは、せっせと食糧を巣のなかに蓄え込む。夏の間にそれをしないで、バイオリンを弾いていたキリギリスは、冬将軍がやってきて、雪が降ったら、凍えて、飢えて死ぬ。
 これは万古不易の原理であり、そうでなくてはならないんだ。
 今、孤独死や、貧困による病気・死亡等がニュースで流れているとは思うけれども、これは「アリとキリギリス」の話だと思わなければならないな。
 これがはっきりと分かって初めて、資本主義の精神が出てくる。すなわち、勤勉の精神だ。「勤勉というものが徳を生む」ということを知らなくてはならないし、そうした徳によって形成された国家を目指してこそ、実は、財政再建は成る。
 しかし、「老後は国家が面倒を見てくれるので、子供が親の面倒を見る必要はない」ということで、多くの者が怠け、その日暮らしの生活をし、みなが“キリギリス”になったら、やはり悲惨なことがたくさん起きてくる。それは物事の道理であろう。
 ただ、そうした悲惨なことが続くことも、人々の考え方が大きく変わっていくためには必要であろうと思われる。
 だから、老後に備えるためのやり方は二つしかない。
 若いうちから結婚して、子育てをし、孝行な子供をつくって、晩年、面倒を見てもらえるようにすることが一つ。
 一方、結婚せずに、働いて収入をあげることを目指すならば、その収入を全部、散財してしまうのではなく、老後の備えとして、自己防衛をしていくことだ。つまり、老後の生活について、きちんと設計し、稼いだ金をしっかりと積み立てておく。また、老後のための人間関係づくり、ネットワークづくりに努力しておくことだな。
 この二つが基本形だ。こうした文化をつくり上げることなくしては、この国家破産の圧力には、とうてい、耐えられないと思う。
(30~32ページ)

資本主義の精神とは、勤勉の精神である。

「勤勉というものが徳を生む」ということを知らなくてはならない。

そうした徳によって形成された国家を目指してこそ、財政再建は成るのである──。

二宮尊徳の思想は、「勤勉」というキーワードで、とてもシンプルに理解できるようです。

でも、地味ではあっても、勤勉であることの大切さというのは、江戸時代だけでなく現代日本においても通用する、永遠の真理の一つであること。

それを、この霊言は教えて下さっているのだと私は思っているのです。

 

富国創造論―公開霊言二宮尊徳・渋沢栄一・上杉鷹山 (OR books) 『富国創造論』

 大川隆法著

 

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世の中、コロナも流行ってるし、いつ病気になっちゃうか、不安でしょうがないよね。人込みに出たりすると、なにかの病気をうつされたりするから、やっぱり家にこもってるのが安全なんじゃないかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 健康に関する悩みや迷いもあります。「病気になるのではないか」「何か事故を起こすのではないか」という不安です。これも現代では非常に流行っている考え方です。
 現在、医療保険、健康保険が当然であるかのような風潮になっています。ただ、これが社会福祉の観点からなされるのはよいのですが、「人間が病気にかかるのは当然のことである」というような考え方が前提にあるとすれば、そこには大きな間違いがあります。
 人間は病気になどあまりかからずに一生を全うできるのです。「病気があるという観念が病人をつくっていることも多い」ということを知らなくてはなりません。「病気になったら病院に行けばよい」「薬を飲んでおけば安心だ」というような考え方は、非常に弱い人にとってはよいのかもしれませんが、一度、薬を取り去ってみる必要もあるのです。
 人間はもともと健康に生まれついているのであり、肉体はそれほど病気をするようにはできていません。こうした強い信念を持っていると、自然に肉体も強くなってきます。
 たとえば、胃腸というものは、信頼すると非常に強くなるのですが、信頼せずに胃腸薬を飲んでばかりいると、しだいに弱ってきます。
 したがって、健康に対する不安が起きたときには、自分のなかにある仏の子の部分を見つける必要があります。人間のからだは、もともと、そう悪くはならないものなのです。
 医者も薬もないという状況であれば、大部分の病気は自然治癒力によって治っていきます。「病気を治すのは、実際は患者自身の力である」ということを、医者はよく知っています。薬や医療といったものは、それを助けることができるだけです。
 外科手術にしても、人間のからだにメスを入れて手術をする以上、人間に自然治癒力がなければ、傷口はそのままになってしまいます。傷口がふさがるのは、自然治癒力があるからです。
(206~208ページ)

病気があるという観念が病人をつくっていることも多い。

人間はもともと健康に生まれついている。肉体は病気をするようにはできていない。こうした強い信念を持っていると、自然に肉体も強くなってくる。

健康に対する不安が起きたときには、自分のなかにある仏の子の部分を見つける必要がある──。

不安に脅える必要はない。

人間は仏の子だって。

病気の不安を抱えてる人は、どうか、この力強い大川隆法先生の教えを学びましょう。

まず知識から入ってけっこうなんですから、健康に関する仏法真理をしっかり身につけて、まず自分が健康な体になっていこうじゃありませんか!

不動心―人生の苦難を乗り越える法 (OR books)

『不動心』

大川隆法著

 

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太平洋戦争で、日本は侵略戦争をしたんだって、学校で教えられたんだけど、ほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『マッカーサー戦後65年目の証言』(幸福の科学出版)で、その太平洋戦争で、敵方の米軍司令官だったマッカーサー元帥の霊に対して、質問者Aが直接的にその疑問をぶつけたやり取りを、「霊言」の形で、次のように伝えておられます。

A── (中略)日米の開戦前には、例えば、アメリカ(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)による「ABCD包囲網」がつくられたり、アメリカが日本への石油の輸出を完全に断ってしまったり、アメリカ国籍を持っている日系人が、事後法で米国籍を剥奪されたりと、排日運動が非常に激しかったはずです。(中略)ここで戦争をしなかった場合、日本が、はたして独立を保てたかどうか。石油なしで本当に生き残っていけたかどうか。こういった見方もあると思います。
 そこで、「先の戦争は本当に日本の侵略戦争であったかどうか」ということについて、現在のマッカーサー元帥は、当時を振り返ってみて、どのように思われるか、教えていただければと思います。

マッカーサー まあ、戦争の相手を見て、「日本の戦いは防衛戦争だ」と最初から認めたら、こちらのほうには戦う正当性がありませんのでね。
 それは、どの国も使う言葉です。今の中国だって、「防衛戦争に備えている」と言うだろうし、北朝鮮もそうだろうし、どこであっても、侵略戦争と称して戦うところはありません。ヒトラーだって防衛を唱えてはいたでしょうからね。それを鵜呑みにするわけにはいかないんですが、「どの程度まで国際世論が許すか」ということですね。
 日本は、少なくとも、朝鮮半島については、併合して、三十数年、統治していたし、満州国も、傀儡政権を立てて日本の傘下に置いていました。「他の国についても、おそらく、同じようにしていくであろう」ということは読めていたので、その流れ全体を見るかぎり、やはり、「侵略性が全然なかったとは言えない」と思いますね。
 「中国本土のほうが降参したら、これを全部、植民地にしてしまう気があっただろう」と推定されますし、南方についても、いちおう、植民地化する気はあったのではないでしょうか。要するに、「中国の資源を押さえて、南方のほうも、全部、日本の領土にしていくつもりはあったのではないか」と推定されますね。
 戦争の動機については、そのように思われます。(中略)
 ただ、日本を武装解除して、占領している間に、五年後ぐらいでしたか、一九五〇年ぐらいに朝鮮戦争が始まり、北朝鮮が、突如、韓国に南下してきて、ソウルも占領されました。私も、ソウル近郊まで少人数で視察に行ってきましたけれども、やはり、これは、「戦争の危機が現実にあるのだ」ということですね。
 要するに「次の敵は、共産主義なんだ」ということが分かりました。アメリカは日本の帝国主義と戦ったつもりでいたけれども、私は、「次は共産主義との戦いなのだ」ということを悟って、強硬策をだいぶ進言したために、トルーマンに解任され、私の軍人としての使命は終わったわけですね。
 その時点で、確かに、「朝鮮半島の持つ重み」については、よく分かったというか、「ここを押さえないと、日本が危機にさらされるのだ」ということが、よく分かったので、晩年、やや日本に同情的になっていたこと自体は事実ですね。
(29~33ページ)

マッカーサーは、日本占領中に朝鮮戦争が始まって、次の敵は共産主義だと知った。

また、その時点で、朝鮮半島を押さえないと日本が危機にさらされることが、よく分かった──。

渡部昇一氏はしばしば、マッカーサーがアメリカ上院の委員会で、日本にとって先の戦争は主に自衛目的だったと証言した、と紹介していたと思います。

そのマッカーサーの霊自身が、日本の立場からは少なくとも朝鮮半島については、防衛的面があったことを、この質疑応答で認めたわけです。

ただし、大川隆法先生は、この日米戦争が防衛戦争だったという見解にはくみしておられないわけで、公平にみれば日米の「覇権戦争」だったというお考えです。

ですから、霊言というのは、大川隆法先生のお考えと違っていたとしても、その霊の考えがそのまま紹介されている現象であるという事実には、注目しておきたいところだと私は思っているのです。

マッカーサー戦後65年目の証言 (OR books) 『マッカーサー戦後65年目の証言』

 大川隆法著

 

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人生、軟弱じゃダメだと思うんだ。でも、たくましく生きるには、どうしたらいいのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ストロング・マインド』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 最後に、たくましく生きるためのポイントについて述べましょう。
 一つは、人生における「壁」を打ち破ることです。
 人生には何度か必ず壁が出てきます。この壁に閉じ込められてしまわないように、壁を打ち破らなければいけないのです。
 壁は必ず出てきます。その人の職業や年齢、家族構成など、立場相応の壁が何らかのかたちで出てくるのです。壁が出てこない人などいません。「この壁を、どのようにして壊すか」ということが大事なのです。
 「どのような壁が現れるか」ということは、一人ひとり、全部、違います。(中略)何とか、その壁を打ち破ってください。これは各人の問題です。(中略)
 たくましく生きるために、もう一つ大事なのは、「復元力」というものを身につけることです。
 人生には、失敗したり、叩きのめされたり、打ちのめされたりすることもあります。
 また、日本人全体の特徴として、出る杭は打たれます。
 そして、誰であろうと、打ち込まれたら沈みます。それは、「失敗する」「挫折する」「人の評価が下がる」ということでもあります。侮辱されたり、罵倒されたりして、いったん沈むわけです。
 しかし、「そこから復元してくる。もう一度、立ち上がってくる」という復元力を持つことが大事なのです。(中略)
 本当は、そういう人がリーダーになるべきなのです。叩かれると、おとなしく地面の下に打ち込まれてしまうような杭は、部下になることには向いていますが、リーダーには向いていないのです。
 「絶対に、やっては駄目だ」と何度言われても、「いや、そうは言っても、やりたい。最後は、私一人の責任になってもやりたい」と言って出てくるのが本当のリーダーです。打たれて引っ込むぐらいの杭では駄目なのです。(中略)
 しかし、そういう人ばかりだと、一般的には、組織がまとまらなくなるため、いわゆる“学級崩壊状態”が起きるかもしれません。(中略)
 そういう人は、実際に“問題児”ではあるのでしょう。しかし、“問題児”であることを自覚しつつも、「“問題児”がいないよりは、自分がいることによって、全体としては確実によくなっている」というような結果を出すことが大事なのです。
 したがって、たくましく生きるには、「最後は結果を出す。最後までやってのける」という力強さが必要です。そういう力強さを持ってください。(中略)
 復元力とは、「どれだけ早く立ち直れるか」ということです。めげても、めげても、またすぐ元気になり、明朗闊達というか、明るい気持ちになってくる力です。この復元力は非常に大事です。これがあれば、たくましく生きていくことができるでしょう。
(89~97ページ)

たくましく生きるためのポイントは、第一に、必ず出てくる人生における「壁」を打ち破ること、なんとか打ち破ろうとすること。

第二に、「復元力」、つまり、いったんめげても、またすぐ元気になり、明るい気持ちになってくる力を身につけること。

そして、最後は結果を出す、最後までやってのけるという力強さを持つこと──。

そう、大川隆法先生のこの力強い言葉を信じること。

この「ストロング・マインド」が大事だと、強く強く信じることであると私は思っているのです。

ストロング・マインド 人生の壁を打ち破る法 『ストロング・マインド』

 大川隆法著

 

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なんだか、「民主主義では、国民の多数意見が神様なんだ」、みたいなことを言う人がいるけど、ほんとなのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日米安保クライシス―丸山眞男vs.岸信介』(幸福の科学出版)で、先日ご紹介した霊言で地獄に堕ちていることが判明した、安保闘争の理論的支柱だった政治学者・丸山眞男の霊の言葉(「霊言」)を、質問者Bとの対話の形で、次のように伝えておられます。

B── 宗教というものは、国家の背骨として、一流国に限らず、普通の国であれば、絶対に持っているものです。
 先生は天皇制を否定なさいましたけれども、それに代わるものを何も所定しておられないがゆえに、唯物論国家、あるいは無神論国家としての日本が、今、現れてきていると思います。その精神的荒廃という問題について、丸山先生は、いかにお考えでしょうか。

丸山眞男 それは、君、勘違いしてるんだよ。まだ君も勉強が足りてないなあ。
 民主主義っていうのは、要するに、主権者が国民だっていうことなんだよ。だから、民主主義っていうものの根本は、要するに、「国民」が神なんだよ。
 「国民が神」と言うと、日本の国民は一億以上いるので、一億も神がいたら大変だし、「八百万の神々」より多くなるから、あれだけれども、「国民が神」というよりは、国民によって形成された一般意志だな、まあ、ルソー的に言えば、「一般意志」が神なんだよ。
 国民の一般意志が神だから、今で言えば、まあ、「世論」が神ということになるな。それが神なんだ。だから、それに帰依すればいいんだよ。

B── それが、ある意味で、無神論の発生原因だと思います。(中略)やはり、尊いもの、この世界を大きく包んでいくもの、そして、指導していくものとして、天上界には神々が存在しておられます。地上の人間が、それに近づく政治をしていくことこそが、本当の民主政治だと思います。

丸山眞男 いや、私は、そんな、学問的に検証されないものは信じないね。(中略)
 君、神っていうものも、やっぱり一つのフィクションなんだよ。
 それは、人間には、向上心は必要だよ。だから、向上していくために、何らかの理想的なるものを求める心を、人間は、みんな持ってるよ。
 そして、人間にとっての、「フィクション」としての理想像を、神と称してるわけであり、神は、人間の似姿をとって存在するように、フィクションとしてつくられたものなんだよ。これは一種の擬制なんだ。
 それを、歴史上、神だとか仏だとか、いろんなかたちで言うけど、それは人間の理想像であって、人間を道徳的に高めるために、そういうフィクションを、いつの時代も必要としてるんだよ。生きてる人間には欠陥が多いからな。

B── まあ、これ以上、申し上げても、お分かりになっていただけないと思いますけれども、われわれとしては、今、そういう丸山理論によって動いている日本の政治を、何とか、神の心に準じて動くように持っていきたいと考えております。
(62~66ページ)

ルソー自身の霊は、自らの言葉である「一般意志」について、こう説明しています。

唯物論者というのは、ほんとうに困ったものです。

思想家は、霊的真実をしっかり見据えて自分の考えを発表しないと、ほんとうに大変なことになるのだと、しみじみと私は感じているのです。

日米安保クライシス―丸山眞男vs.岸信介 (OR books) 『日米安保クライシス―丸山眞男vs.岸信介』

 大川隆法著

 

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不況だよね。こういうときって、本業だけじゃ立ち行かないから、経営を多角化して、いろんなもので収益を上げる道を探るしかないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『社長学入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「本業が駄目なので、副業で何か新しいものをやり、そこで立ち直って黒字を出し、赤字を埋めよう」という考えの企業は、こういう時代には、ほとんど潰れると見てよいのです。
 やはり、本業で利益を出さないといけません。それが基本です。
 本業でそれができていないのに、ほかに副業をやれば、そこにエネルギーも取られるし、智慧も取られるし、お金も取られます。それから、新しいノウハウの形成もしなければいけないので、そこでも大変です。能力が足りないので、利益もあがらず、本業まで傾くのは確実です。今でさえ悪い本業の経営が、もっと悪くなってしまいます。
 本業が潰れたら、だいたい、あとの回復は不可能です。別なところに転業するしかありません。(中略)
 「本業が駄目なので、新しい商売をやって成功しよう」という考えの人は、五年以内に経営者でなくなっていると見てよいと思います。
 一方、「本業でうまくいっている。その一部を新規のものに当てるけれども、万が一、これが潰れても、びくともしない」というような企業は、新しいことをやっても、だいたい成功するでしょう。
 ただ、基本的に、コンセプトというか、考え方が、あまり本業とずれているものは駄目です。本業の延長上にあるものでないと、やはり難しいのです。
 したがって、私は、原則、無軌道な多角化には反対です。失敗します。人は、あまり、やり慣れていないことをやると失敗するのです。それができるのであれば、何でもできることになってしまいます。
 以前、ある鉄鋼会社は、工場の跡地でウナギの養殖をしましたが、やはり、うまくいきませんでした。鉄鋼をつくるのと、ウナギの養殖をするのとでは、あまりにも文化が違いすぎます。(中略)仕事の中身が全然違うのです。
 そのように、まったくの素人考えで思いついたアイデアでやっても、できないものはできないのです。
 似ているものなら多少はできるでしょう。ある程度、考え方が似ている業種なら進出できます。しかし、まったく違う業種に進出することは厳しいでしょう。
 例えば、幸福の科学のように、「物ではなくて心が大事ですよ」と説くところで、「物づくりに大いに励む」ということは、やはり無理でしょう。心に関連した物をつくるぐらいであればできるでしょうが、物をつくることが主体になると、コンセプトが違うので、やはり厳しいでしょう。そのようなものです。
 今後も基本的にはデフレが続くので、「新しいところに活路を開きたい」というのは、誰もがすぐに思いつくことです。しかし、それは、だいたい、本業のほうの経営責任を投げ捨て、環境のせいにして、「別なものなら、いけるのではないか」という思いでやることが多いので、失敗する可能性は高いと見てよいのです。
(267~271ページ)

やはり、本業で利益を出すのが基本である。

本業でできていないのに副業をやれば、今でさえ悪い本業の経営が、もっと悪くなってしまい、失敗する可能性は高い。

逆に、本業がうまくいっているが、その一部を新規のものに当てる、という企業は成功する。

ただ、コンセプトが、本業とずれすぎているものは難しい──。

なるほど、なるほどと、うなずける話ばかりです。

今日は、経営の多角化に関する、とっても大事な教えをいただいたんだと私は思っているのです。

社長学入門 『社長学入門』

 大川隆法著

 

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縁起でもないって言ったりするけど、その「縁起」って、一体全体、なんのことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 縁起というのは、「すべてのものには原因と結果がある。その原因と結果の連鎖によって世界が展開している」という、ものの考え方なわけです。
 たとえば、水素の分子と酸素の分子とが、熱を加えられることによって、そこに化学反応を起こし、小さな水滴が出る。その水滴が多量に集まったときに、水ができる。そして、水が大量に集まると、池ができ、川ができ、海ができる。そしてまた、そのなかに海の生物が育ち、生きていくことが可能になってくる。海の生物がそこへ棲むようになってくると、それをまた生命の糧とした生命活動が可能となってくる。
 あるものとあるものが結び付き合うという原因行為があって、新たな結果が出てくる。その結果がまた次の原因となって、また新たな結果が出てくる。
 このように、この世界を空間的に見たときに、この世の中というものは、原因と結果の連鎖によって、すべてができあがっているのです。
 水素と酸素から水ができるという話をしましたけれども、たとえば人間に関しても同様で、父親と母親があって子供ができます。その子供がまた他所の家の子供と結婚することによって、新たな子供ができます。そのように家系が連綿と続いて、人類は、現在に到るまで何十万年、何百万年、何千万年、それ以上の歴史をくり返してきているわけです。
 こういう原因行為と結果がなければ、人類自体はいま存在しません。また、二千五百数十年前の釈迦の思想も、人類がいまだに連綿として続いているからこそ伝わっているのであって、人類が釈迦の時代で死に絶えていたら、伝わっていないわけです。すべてのものがそのようになっているわけです。
 こうしてみると、ここで面白いことに気がつかれるだろうと思うのです。
 「世界の成り立ちは、原因・結果の法則、縁起の法則によって成り立っている。また一方、人間というものも、この世でのさまざまな諸条件のなかで、自らが魂修行として何を選び取っていくかにより、より優れたものへと登っていくことができる。そしてそこに仏への道がつながっている」――こういうことになりますと、縁起という思想は、いわゆる「大宇宙の理法」というものとまったく同じことである、ということに気がついてくると思います。大宇宙の理法と一緒のことなのです。
 要するに、宇宙は、そういう理法、ひとつの法則のもとに、運営、運行がなされているのです。その理法のもとにすべてが展開している。この地球も他の星も、そして、星が集まってできた太陽系や星雲も、ひとつの法則のもとにある。そういう空間的な縁起の法則のもとに、すベてが成り立っているということです。(中略)
 空間も時間も、すべて原因・結果というこの連鎖によって起きている。そして、原因・結果の連鎖が単独で起きるのではなくて、お互いに複合的にいろいろなかたちで絡み合って、この世界に時間と空間を在らしめている。これが「世界は縁起によって創られている」ということの意味であるわけです。(中略)
 そうしてみると、縁起というのは「宇宙の理法」という意味なのです。
(26~31ページ)

空間的に見たとき、この世の中は原因と結果の連鎖によってすべてができあがっている。人間は、この世のさまざまな諸条件のなかで、魂修行として何を選び取っていくかで、より優れたものへと登っていくことができ、そこに仏への道がつながっている。

空間も時間も、すべて原因・結果というこの連鎖によって起きており、原因・結果の連鎖は、互いに複合的にいろいろなかたちで絡み合って、この世界に時間と空間を在らしめている。これが「世界は縁起によって創られている」ということの意味である。

つまり、縁起という思想は、いわゆる「大宇宙の理法」とまったく同じことであり、縁起というのは「宇宙の理法」という意味なのである──。

うーん、なるほど。

やさしい言葉で語られてはいますが、でも、真なる「仏陀」だけが解説できる、仏教思想のほんとうの核心部分の教えが開陳されているんだと思います。

それでは、この「宇宙の理法」とは、いったい何を言っておられるのでしょうか?

その問いへの答えは、また次の機会にご紹介したいと思います!

心の挑戦―宗教の可能性とは何か (OR books) 『心の挑戦』

 大川隆法著

 

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格差社会だよね。なんで、お金持ちはすごくお金を持ってるのに、こっちは貧乏なままなのかね。神さまや仏さまが本当にいるんだったら、人間は平等じゃないのって、聞いてみたいよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みなさんは、その魂の出発点において、その魂の光においてダイヤモンドであるということを、宗教は教えているのです。
 もちろん、過去における幾転生を通して、魂の器に大小はあるでしょう。また、得意・不得意もあるでしょう。その姿かたちに違いもあるでしょう。しかし、いかにそのかたちは違えども、大きさは違えども、現在の光り方は違えども、すべての人の魂はダイヤモンドであるということを教えているのが、宗教なのです。だからこそ、それぞれの器に合わせ、環境に合わせて、この珠玉の光を、ダイヤモンドの光を磨き出せと教えているのです。これが根本における「平等」です。
 そしてさらに、魂の磨きという戟世の努力に関しては、「公平」というモノサシによって、再び測られることになります。出発点において平等性を秘めていながら、人びとがいかなる方向に向かって努力精進していったか、その結果に対しては、公平に判定をされるという基準がまたあります。それが悟りのレベルということでもあり、人びとを指導できる器の確立ということでもあり、来世に還っての霊格ということでもあります。
 このように、神仏は「平等」と「公平」ということを二つのモノサシとして、人類に地上での魂修行の機会、チャンスを与えたのです。そして、「すべての人に二つのモノサシがある。それは平等のモノサシと公平のモノサシである。これについて、万人を等しく測ることにするから、あなた方は、この地上生命を最大限に生かしてがんばりなさい。そして幸福への道を拓きなさい」と教えてくれているわけです。
(266~267ページ)

仏神(神仏)の子である人間は、等しく「平等」に仏性を与えられている。

だから、その恩恵を最大限に生かして努力精進したとき、その成果は、「公平」に評価されることになる。

そして、この世において、一見、不公平に見えることがあったとしても、あの世に還れば、仏神の眼を誤魔化せることはなく、その成果は必ず「公平」に評価される──。

この観点からは、「平等」というのは、「結果の平等」ではなく、「機会の平等」と捉えられるべきだということになります。

つまり、自由主義に基づくチャンスに満ちた社会を、〝格差社会″という言い方で非難するのは、あたっていない。

そう、大川隆法先生は教えて下さっているのだと私は思っているのです。 

人生の王道を語る―いざ、黎明の時代へ (OR books) 『人生の王道を語る』

 大川隆法著

 

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お金って、どうなのかね。そもそも、不浄なものなんじゃないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 宗教においては、お金に否定的な面がかなりあります。(中略)
 不正なお金で身を滅ぼす人が多く、お金欲しさのために泥棒に入ったりして将来を駄目にする人もいるので、宗教は「お金は怖いですよ」と教えているわけです。
 もう一つ、不正なお金ではなくても、自分で働いて稼いだものではないお金も、身を滅ぼすもとになります。
 たとえば、「親の遺産が転がり込んできた」という場合です。こういうときにまっとうでいられる人は少ないのです。自分で稼いだものではないお金は、一種の泡銭なので、パーッと使ってしまうことがあります。そして、生活のレベルが上がって派手になり、以後、元のレベルに落とせなくなって、破滅することが、よくあるのです。
 その意味では、「人が死ぬと、何千万円も何億円ももらえる」という生命保険は、便利なようでありながら、少し怖い面も持っています。(中略)
 あるいは、宝くじで一億円が当たって人生を誤る人もいます。人がたかってきて、奢ったりしているうちに、だんだんおかしくなって、勤勉に働くことができなくなることもあります。また、「一等が当たった」というので騒ぎになって、会社勤めができなくなることもあります。(中略)
 「土地が急に十倍に値上がりした」「マンションが値上がりした」「ゴルフの会員権が値上がりした」「株が十倍、百倍に値上がりして、ぼろ儲けをした」などということもあるでしょう。人生の一局面としては、そういうこともあってよいとは思います。ただ、傾向性として、それに馴染んでしまった場合には、破滅がやってくることは時間の問題だと考えてよいのです。
 なぜなら、そういうことは、一過性のものであり、長続きするものではないからです。必ず揺り戻しが来ます。生活の基本方針、人生の基本方針に入れるべきものではありません。そのお金は、あくまでも臨時の収入として考えるべきであり、「ないもの」として扱わなければいけないのです。
 宝くじに当たっても、「これは収入ではない」と思って、別計上にしておくことです。そして、何か緊急のものに使ったり、寄付をしたりするのです。そういう「植福」(将来のために、福を蓄えたり、投資したりすること)や「分福」(他の人に福を分け与えること)のかたちで使うのはよいのですが、そのお金を生活費のレベルに入れてしまうと、終わりになります。(中略)
 努力しなくても入ってくるお金としては、遺産や保険金、宝くじの賞金のほかに、政府の補助金や税金面での優遇措置などがあります。
 補助金で食べている人や、要りもしない事業のために支出された公金で食べている人もいますが、そういうものに、どっぷりと浸かっていると、魂まで腐ってしまいます。それは、ほんとうに危ないことです。そうならないように気をつけなければいけません。
(126~131ページ)

宗教においては、かなりお金に否定的な面がある。

たしかに、不正なお金で身を滅ぼす人は多いし、自分で働いて稼いだものではないお金も、身を滅ぼすもとになる。

自分で働いて稼いでいない大金は、「植福」(将来のために福を蓄えたり投資したりすること)や「分福」(他の人に福を分け与えること)として使うのはよいが、そのお金を生活費レベルに入れてしまってはならない──。

大川隆法先生のお金に関する考え方は、単にお金を否定するようなものではありません。

その基本は、「きちんと働いて蓄財するのはよいことだと考えよ」というものです。

そして、今日、説かれたのは、「努力せず入ってきたお金に関する身の処し方」とでもいうべきお教えでありましょう。

これはまさに、人生論の叡知であるのだと私は改めて思っているのです。

希望の法―光は、ここにある 『希望の法』

 大川隆法著

 

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霊言集、いっぱい出てるでしょ。若者たちへのメッセージみたいなのって、ないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『西郷隆盛 日本人への警告』(幸福の科学出版)で、西郷隆盛の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 まあ、先ほどから話しておるけれども、「国家を背負って立つ」ということを恥と思うような若者であれば、もはや期待するには値しない。
 また、「世の人々を救う」というような言葉に対し、冷笑を投げかけるような者は、若者とは言えない。
 何のために、この世に生まれてきたのか。何のために生きるのか。
 まあ、それを親や学校、企業、世間の評価に委ねているのが大多数であろうと思う。
 人に決めてもらうことに慣れすぎていて、自らの力でもって人生を切り拓こうと思う人の少なさよ。(中略)
 卑怯である。若者たちの大多数は卑怯である。
 その卑怯さは、この世的に有利な方向を必ず選ぼうとするところに根拠があると言えよう。必ず、この世的に他の人の評価を受ける方向で判断をしようとする。これをもって卑怯と言う。
 自らが、世のため、人のため、国のために尽くそうと思うなら、そういう考えとは決別せねばなるまい。
 だから、「日本の若者は、まだ親離れしておらず、また、世間という名の親からも乳離れしていない」と言わざるをえない。
 精神の弱さは、もはや目を覆いたくなるばかりである。この国の「つくられたる優しさ」が若者の心を蝕んでいる。
 この国は優しくなりすぎたのだ。だから、若者は、人生の厳しさも、その試練の厳しさも、十分に理解はしていない。
 たかだか一時間のテストで何点を取るかということぐらいで人生が決まると思っている。「その愚かな人生観を超えなければ駄目だ」ということが、まだ分かってはいないようだ。
 もう、右肩上がりの発展はないのだ。
 これからは、そういうものではなく、荒々しく道を切り拓いていく者が勝利する時代になってくるであろう。
 「わが前に道なし。わがあとに道はできる。そう信ずることができる者こそ、真の若者である」と言えよう。(中略)
 「敬天愛人」には、無私の心が必要である。無私の心なくしての「敬天愛人」ということはありえない。
 天を敬い、人を愛する。その過程には無私なる自己が必要である。
 日本は西洋化したけれども、大切なものを一つ失った。それが無私なる心である。西洋世界のなかには、自我の発展のみを肯定する思想が流れすぎているように思う。
 「自ら身を捨てて人を救う人」のことを英雄と言うが、今の日本では、そうした英雄を育てるような教育がなされていないし、また、常識ともされてはいない。(中略)
 若い者にも執着はたくさんおありだ。執着しているものを、一度、点検なされて、お捨てになることですな。
 そして、その身と心を大いなるものに捧げようと決意することが大事だな。
(61~69ページ)

この世的に他の人の評価を受ける方向で判断をしようとする、若者たちの大多数は卑怯である。

「敬天愛人」(天を敬い、人を愛する)には、無私の心が必要である。

「自ら身を捨てて人を救う人」のことを英雄と言う。若者は、執着しているものを捨て去り、その身と心を大いなるものに捧げようと決意することが大事である──。

西郷隆盛の霊言のトーンは、日本の若者に対しても、非常に厳しいものです。

この峻厳な言葉の数々に発奮して、われこそ真の英雄たらんと立ち上がる私たちでありたいものだと私は思っているのです。

西郷隆盛日本人への警告―この国の未来を憂う (OR books) 『西郷隆盛 日本人への警告』

 大川隆法著

 

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小さな会社を経営してるんだ。身内ばっかりでやってるんだけど、ちょっと恥ずかしいよね。これじゃ、会社は大きくなりようがないしさ、どうすれば、優秀な人材が入ってきてくれるのかな? なーんて悩みを抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 小さな会社においては、奥さんは社長のよき相談相手であり、また、参謀でもあります。そして、経理関係の仕事もしていることが多いと思います。小さな会社では、お金の管理を安心して任せられるのは、普通は奥さんぐらいしかいません。いきなり他人に“財布”を渡しても、お金をごまかされたり、場合によっては、持ち逃げされたりすることもあります。
 その意味では、創業者の最初の協力者は奥さんでしょうし、奥さんの出来がよければ、一生の成功だと言えるでしょう。
 したがって、奥さんの能力や働きを十分に評価してあげるとともに、奥さんによく感謝することが必要なのです。(中略)
 さらには、奥さんだけでなく、自分の兄弟や子供が社内の重要な仕事をしていることもあるでしょう。そういう同族経営であることを決して恥じる必要はありません。日本の企業の大多数は同族経営なのです。
 ただし、小さな会社においては、信用できる人材が身内以外にはなかなか手に入らないのが実情です。大きな会社になれば、たくさんの人を採用でき、よい人材も得られますが、小さな会社には、よい人材はあまり入ってきません。トップの言葉をよく理解してくれる質の高い従業員は、極めて得にくいのです。
 従業員数が十人や二十人の会社では、経営者の語ることについて、それが指示なのか、相談なのか、あるいは単なる雑談なのか、この区別さえつかないレベルの従業員がほとんどであると言ってよいでしょう。(中略)使い走り程度にしか働いてくれない従業員が多いわけです。
 このようななかにあって、社長の考えや心を理解してくれる妻の存在は、非常にありがたいものなのです。また、自分の息子が後継者として名乗りを上げ、手伝ってくれているならば、これも非常にありがたいことです。後継者を手に入れることができずに潰れる会社は後を絶ちません。(中略)
 小さな会社が潤沢な人材を得ることは、ほぼ不可能です。また、「それほど優秀ではない人が、教育訓練によって能力を爆発的に伸ばす」ということも、あまり期待できません。
 したがって、トップ自身が、自分の能力を二倍、三倍に伸ばすことを心掛けていかなくてはなりません。(中略)
 トップの資質としては、仕事がよくできることはもちろん必要ですが、それだけでは不十分です。トップはしだいに多くの人を率いていくことになるので、人物として立派でなくてはならないのです。さらには、さまざまな物事を知っていなければなりません。
 トップというものは、物知りであるとともに、人柄も立派で、多くの人から信頼される人物であることが必要なのです。
 その意味において、宗教修行というものは、経営者にとって非常に役立つものであると言えます。
(136~141ページ)

小さな会社では、奥さんはもちろん、兄弟や子供が社内の重要な仕事をしている同族経営が多いが、それを恥じる必要はない。

小さな会社では、信用できる人材が身内以外になかなか手に入らないのが実情だから、トップ自身が、自分の能力を二倍、三倍に伸ばすことを心掛けていかなくてはならない。

その意味で、宗教修行は、経営者にとって非常に役立つものである──。

要するに、小さな会社のトップは、自動的に優秀な人材が入ってきてくれると期待するのでなく、まずは自分の能力を伸ばすことを心掛けるべし、と。

そしてそのための宗教修行の大切さ。

ということで、やっぱり経営者こそ、幸福の科学の精舎に足を運んで、研修を受けたり瞑想してみることをお勧めしたいと私は思っているのです。

 

経営入門―人材論から事業繁栄まで― 『経営入門』

 大川隆法著


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