ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



人間、欲望ってあるよね。でも、宗教は、欲望を否定するんでしょ。それじゃ、私は宗教なんか入れないなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への方法』(幸福の科学出版)で、受験生の親に対してですが、こう教えておられます。

 みなさんは、生まれつき持っている本能、欲望というものを、無下に否定する必要はありません。「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」なのであって、その煩悩のなかにも、実際は悟りの芽というものが入っています。その思いを遂げていくなかにこそ、人間完成への道もあるのです。
 自我我欲のためにではなく、世のため人のために、その思いを遂げていくと、そこにすばらしいものが花開いていくことになります。自分のためにやっていると思っていたことが、いつのまにか、人びとのためになっているのです。
 このように、自分を空しゅうして、多くの人びとのためにと思ってやっていた人は、あの世に還ると、今度は神になって、もっと大きな仕事ができるようになります。こうした自己発展が待っているのです。
 本章で私が述べたいことは、要するに次のようなことです。
 人間が持っている本来的な欲求や欲望、本能を、単に否定し、無下に捨て去ることのみが尊いのではありません。そのなかには、ほんとうに大事なものもあるのですから、「煩悩即菩提」という言葉のように、それを充分に伸ばし、世のため人のために役立てるという方向に導いていけば、決して悪いことではないのです。
 逆に、そうした本能を社会と調和させるために、適度の自己抑制をかけることは、むしろ幸福なことでもあり、自由ということの真の意味でもあるのです。
 人間として生きていく以上、生命への欲求はいろいろあるでしょう。しかし、それが、いつも仏神への念いを内に秘めた活動であるならば、人間としての欲望を持ちながら、菩薩の活動になるような生き方ができるのです。この世は汚れた娑婆世界でありながら、同時に、菩薩界、天国になることもできるのです。
 大切なのは、自分の念いを天上界にきちんと向けているということです。それさえあれば、思いどおりに生きることが、そのまま天国の実現になるような社会がありえるのです。そのことを知っていただきたいと思います。
(156~159ページ)

煩悩のなかにも、悟りの芽が入っている。

いつも仏神への念いを内に秘めた活動であるならば、人間としての欲望を持ちながら、菩薩の活動になるような生き方ができる。

大切なのは、自分の念いを天上界にきちんと向けていることである──。

仏教の言葉の「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」というのは、現代日本の言葉で説かれると、じつはこういう意味だったこと。

なんて分かりやすいんだろうと思います。

今日は、再誕された仏陀のすごさが、改めて理解できた気がしているのです。

 

『幸福への方法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )




もてるやつは、もてるんだよね。ほんとにオレって、だめなやつだよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 若い人の場合は、「異性によくもてる」ということが自慢話になるので、「何人、彼女や彼氏を手に入れたか」ということを自慢する友達がいたりすると、なかなか耐えがたいものがあるでしょう。
 自分は、まだ親の指導下にあって、学業に励んだり、スポーツに打ち込んだりしていて、「恋愛は、もっと先のことだ」と思っているのに、友達のなかには、「いまの彼女で五人目だ」「いや、十人目だ」などと言って自慢したり、「同時並行で何人もの異性と付き合っている」などと、得意気に自慢したりする人がいるものです。
 そういう自慢をする人は、いつの時代にもいます。ただ、付き合っている異性の数や経験数を自慢する人は、たいてい、何らかの後ろめたさや罪悪感を持っていることが多いのです。
 そのため、人に自慢をすることで、その不安を払拭し、消し去りたいと思っているわけです。そして、「あわよくば、自分と似たような仲間を増やして、自分の罪悪感を薄めたい」という気持ちがあることも事実でしょう。
 友達のなかに、付き合っている異性の数を誇るようなタイプの人がいたら、そういう人とは、距離を取り、あまり近寄らないほうがよいと思います。「朱に交われば赤くなる」と言われるように、自分のほうも、だんだん穢(けが)れていく可能性が高いからです。
 十代から二十代前半にかけては、動物的な欲望や本能的な衝動、あるいは生物学的・遺伝的な力などに、盲目的にかなり押されていきますが、そのなかで、「いかにして、天国的なものと地獄的なものを分け、未来を見通す力を身につけるか」ということが大事なのです。
(131~133ページ)

異性関係の自慢話をする友だちに、うらやましさを感じたとしても、その振る舞いというのは、じつは自分の後ろめたさや罪悪感を薄めたいだけであることが多い。

だから、そういう友だちとは、むしろ距離をとったほうがよい。

肉体的な欲望に押されてしまいがちな、エネルギーに満ちあふれた年代にあるときに、そのなかであえて、天国的なものと地獄的なものを分け、未来を見通す力を身につける努力をしていくのが大事である──。

さまざまな誘惑はあると思います。

そんな中で、自らを磨くことに重点をおいて毅然と頑張っている若者たちに対して、やさしく、でも力強く、励まして下さっている。

大川隆法先生の今日のお言葉を、私は心素直にそう感じているのです。

 

『青春の原点』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




戦略とか戦術って言葉を聞くことがあるんだけど、どういう意味なの。何か人生で役に立つ言葉なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 戦略というのは、大きな構想などのことであり、戦術というのは、具体的に、「これをどうする、こうする」という次元の問題なのです。そうした戦略と戦術というものがあります。
 才能が豊富であっても失敗していく人を見ると、この戦略と戦術のところを取り違えている人が多いのです。戦術を優先して、戦略のほうを捨ててしまう人です。目先の技術的なことや小さな戦いのほうに目を奪われて、大局的な勝利をみすみす忘れていくわけです。
 これは、神経質なタイプの人で、技術者など、専門分化したものの考え方をしやすいタイプの人です。目先のことに没頭して、大局的なことを忘れやすいのです。
 こういう人は、自分を上手に使ってくれる人のところにいることが成功への道であり、みずからが人の上に立って成功することはなかなか難しいと思います。(中略)
 戦略というものは、いったん立てたら、そう簡単にコロコロと変えるべきではありません。ある程度の大づかみな範囲で考えているものなので、そう簡単に変えるべきではないのです。(中略)
 職業選択あたりが第一段階でしょうが、人生戦略として、「どういう仕事をしたいのか。自分の家族や社会的な立場をどのようにつくっていきたいのか」という部分を、ある程度、描いておく必要があります。
 その際には、最初に述べたように、あまりよこしまな心は持たずに、「自分としては、こういう人生を展開したい」という、大きな戦略を立てておくことです。その場合、「何十歳までにこういうことをする」という、十年ごとに輪切りにしたような人生計画がよいのです。「三十歳までにはこうする。四十歳までにはこうする」というようなかたちです。(中略)
 戦略を立てたら、次は、それに関して戦術をつくっていかなければなりません。戦術には多種多様なものがあるので、ある程度、自分の好みに合ったものを立ててよいのです。
 戦術というものは、もしだめなら変えていってもかまいません。戦略のほうが大きくずれなければ、戦術のほうは変更してもかまわないのです。「戦略に奉仕するために戦術があるのだ」と思うことです。そういう考え方を持ってください。
 そうすると、腹が決まり、固まってきます。ささいなことについては、あまり動揺せずに、大きな戦略を描きながら、細かいところで勝利を収めていくというスタイルです。
(31~40ページ)

戦略というのは、大きな構想などのことであり、戦術というのは、具体的に、これをどうする、こうするという次元の問題である。

戦略は、いったん立てたらそう簡単にコロコロと変えるべきではないが、戦術は、戦略のほうが大きくずれなければ変更してもかまわない。

戦略に奉仕するために戦術があると思うことである──。

戦略・戦術という言葉は、本来は軍事用語だと思いますが、企業経営のような分野だけでなく、個々人の人生論においても、この考え方は応用できる。

大川隆法先生は、ここでそんな基本的なことを教えて下さっているのだと私は思っているのです。

『常勝の法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




宗教の教えもいろいろあるけどさ、どれが本物の教えで、どれが間違ってるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 悟りというものは広大無辺であり、さまざまな説き方、説明の仕方がありますが、第一点として言えることは、「霊的存在を無視しての悟りはありえない」ということです。それを否定するものは、近現代の間違った思想に毒された宗教解釈、仏教解釈であると言ってよいと思います。
 そして、「霊的存在としての自分があり、それはまた、広大な霊的宇宙ともつながっていて、他の霊的存在とも、共につながっているのだ」ということを知らなくてはなりません。
 「天国・地獄は外の世界にだけあるわけではなく、自分の心の内にもあるのだ。心はいかようにも動き、心の針は三百六十度、どの方向にも動いて、霊界の、どの世界にも通じていくのだ。また、生きている人間として持っている、その心の針が、他の人とも影響し合っているのだ」ということを知る必要があるのです。
 そういう宇宙観を知ったときに、人は、自分を愛するがごとく他を愛さざるをえなくなります。いわゆるゴールデンルール、「自分がしてほしいように、他の人になせ」という黄金律は、ここから導き出されてくるのです。
 こうしてみると、さまざまな宗教の教えが、いったい何を意味していたのかが分かってきます。
 一つは、「はるかなる昔に個性を得た魂たちが、肉体に宿ったときに、肉体を自分だと錯覚し、自と他を分けて、自我が強くなるという誤りを犯すことがあるので、それを修正する必要がある」ということです。
 もう一つは、「肉体的な自分が自分ではないということを悟り、霊的な我というものを悟ったときに、その霊的なる我が、大宇宙の調和のなかに生きていること、共に慈しみ合う世界のなかに生きていることを、悟らねばならない」ということです。
 こういうことを、世界各国の本物の宗教は教えてきたのだと思います。
 これを忘れて、肉体的な自我観、自己観に引きずられて生きると、死後、霊的存在が残ったときに、その霊的存在は、行く所がなくて地上世界をさまよい、生きている人に取り憑いたり、地獄界という、光の射さない世界をつくって、そこで生きつづけているつもりになったりするのです。
 そういう人々を救うためには、霊的に正しい世界観、正しい生き方、正しい人生観を教えることです。そして、その正しい生き方に自分の思いを合わせていくことを教えることです。(中略)
 この意味での観の転回、思いの転回をさせるために、宗教では伝統的に、物質的なものを否定したり、この世的な生き方を否定したりするのです。(中略)しかし、これは、否定すること自体に意味があるわけではなく、この世的な生き方に執着する心を去るために言っているのです。
 この執着を去って、霊的覚醒を得たときには、「この世のなかにも、人々の生活を助け、豊かにし、心を引き上げるような、さまざまなものがある」ということが分かってきます。
 このような「否定の否定」は「単なる肯定」とは違うということを知らなければいけません。霊的な自己という視点をいったん得たうえで、この世というものの積極的な意味を見いだしていく必要があるのです。
(203~207ページ)

霊的存在を無視しての悟りはありえない。霊的存在としての自分は、広大な霊的宇宙ともつながっていて、他の霊的存在とも、共につながっている。

世界の本物の宗教は、物質的なものを否定したり、この世的な生き方を否定したりするが、それは否定すること自体に意味があるのではなく、観の転回をさせ、霊的覚醒を得さしめるためである。

この世的な生き方に執着する心を去って、霊的覚醒を得たとき初めて、この世というものの本当の積極的意味が見いだされていく──。

今日は、ストレートな悟りの教えの話題です。

「空の悟り」、「真空無相」「真空妙有(しんくうみょうう)」について、別の切り口で分かりやすく解説された部分を引用してみました。

悟りの教えに関しては、頭だけで、つまり「知性」や「理性」で理解しようとせず、「悟性」で、直覚することが大切なのかもしれません。

それにしても、私は、この「悟りの世界」について、大川隆法先生のように理路整然と分かりやすく、しかも納得できる形で説かれたものは、他ではみたことがありません。

これこそがまさに、仏陀(悟りたる者)の証明ではないかと思うのですが、みなさんはどう受けとめられるでしょうか?

『大悟の法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今の仕事に不満があるわけじゃないんだけど、でも、これこそが自分の仕事だって気もしないし、ね。女性の私だからできるものが、あるんじゃないかって思うんだけど、どう考えたらいいの?

幸福の科学の大川隆法先生は、1992年に刊行された『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 こういう言い方をすると残念に思われるかもしれませんが、仕事の面で自己実現できないで不満を持っている女性がいるということは、連綿と子孫を残していくという、種の維持という面においては、大いに役立っているのではないかと思うのです。
 女性が全員仕事に夢中になりはじめると、どうしても子供のことはないがしろになってきます。「子供はできるだけ産みたくないし、育てたくない」という発想は、仕事に熱中していけば当然出てくるものであろうと思うのです。ですから、百パーセントの女性がみんな仕事に打ち込み、そしてその仕事をおもしろいと思って情熱的にやり遂げることができるならば、子供を生み育てるという、そうした地味な役割をする女性がいなくなってくるのではないかと思うのです。(中略)
 しかし、「それだけでは納得がいかない。やはりなにか打ち込めるものがあってよいのではないか」と、さらに問いかけてこられる方もいらっしゃるでしょう。
 それに対して、私はこのように答えたいと思うのです。男性と同じように、たとえば地位だとか、肩書だとか年収だとか、そんなことだけに血道をあげるのは女性の本領ではないのではないでしょうか。
 男性と女性では、魂の面において大きく違うところがあります。女性には感性的なるもの、あるいは悟性的なるもの、そうした霊的なる世界に惹かれる傾向が、男性よりもより強くあるように思います。(中略)このことから、魂が男性とは違った方向に向いていることが多いと言ってもよいと思うのです。(中略)
 これからの時代は、ひじょうに霊的な文化が栄える時代であろうと私は思っています。すなわち、新しい宗教の時代が来るのではないかということです。そうした宗教の時代においては、その主たる担い手はじつは女性ではないのかな、という感じが強くしております。
 しょせん人間は、何年か何十年後かにはこの世を去らねばならない存在です。そして、死んであの世に還るときには、心以外に持って還ることができるものはなにひとつありません。この世で稼いだお金も持って還れなければ、肩書も、会社の名前も持って還ることはできません。服も着物もなにも持って還ることはできません。持って還ることができるものは心だけです。(中略)
 幸いにして、男性のようにお金にまみれたり、人間関係の軋轢に苦しむような、そういう世界に生きなくとも、まだまだ霊的な世界に生きられる余地のある多くの女性たちにとっては、自分の魂の修行においてひじょうにプラスではないかと、私は思っています。
 このままの状況が続いていくと、あと五十年か百年すると、天国の世界は、上のほうの世界は女性ばかりになって、下のほう、地獄に近いところは男性ばかりになるのではないかと、私は密かに危惧している者のひとりであります。
 ですから、どうか霊的な文化の担い手となって、そして正しく心を見つめ、心の美しさを追求することに生きがいを感じるような、そういうみなさんになっていただきたいと思っています。
(205~211ページ)

男性と同じように地位や肩書などに血道をあげるのは、女性の本領ではない。

女性は、感性的、悟性的なもの、霊的な世界に惹かれる傾向が強いから、これからの新しい宗教の時代(霊的文化が栄える時代)の主たる担い手は、じつは女性である。

誰もいずれはあの世に還らないといけないが、持って還れるのは「心」だけであるから、女性のみなさんは、正しく心を見つめ、心の美しさを追求することに生きがいを感じてほしい──。

これは、もう今から28年も前の時点でのお考えですから、2020年の現時点では、お考えが変わってきている部分もあるのかもしれません。

でも、こういう考え方もあることが、女性のみなさんの将来にとって、何かの参考になりますようにと私は祈念しているのです。

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




坂本龍馬って、千葉重太郎と二人で、勝海舟を暗殺に行ったんだけど、逆に、説き伏せられて弟子になっちゃったって話があるよね。まさか、ほんとに暗殺に行ったんじゃないんでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『勝海舟の一刀両断!』(幸福の科学出版)で、勝海舟の霊自身の言葉(「霊言」)として、次のように伝えておられます。

 千葉重太郎と坂本龍馬が来たけども、そら一瞬で、「暗殺しに来ただろう」というのは、もう、殺気で分かっちゃうさ。
 だけど、彼らは、玄関口で刀を外そうとしたよ、とりあえず、礼儀としてね。
 でも、私はね、「いや、君、刀を外しちゃいけないよ。何が起きるか分かんないから、ちゃんと腰に差してなきゃいけない」って言ったのさ。(中略)だから、私は、言外に、「暗殺に来たんだろ?」って言ったわけさ。(中略)そしたら、毒気を抜かれてしまって、降参したのさ。まあ、これが言論戦なんだよ、ある意味でな。(中略)
 千葉重太郎と坂本龍馬の両方から斬りかかってこられたら、俺だって、なますになっちゃうぜ、そりゃ。普通、本気で来られたらなあ、なますになっちゃうけどね。
 ただ、こっちのほうは、刀を持たずに出たのは事実だ。向こうが剣豪で、刀を持っていて、二対一だったら、まあ、普通、勝ち目はないわな。
 だけど、こちらは刀を持たずに出て、向こうが、礼儀上、刀を外そうとした奴を、「外しちゃいけないよ。ちゃんと腰に付けてなさい」と言ったもんだから、毒気を抜かれた。それで、まず、一撃目は向こうの「負け」なんだよ、言論戦としてはな。
 で、刀を付けたまま、上に上げさせた。そして、入ってきたら、「いつでも斬っていいぞ」と言いながら、地球儀を指して世界情勢について語り始めたよ。いつでも斬れるように背中を見せながら、世界情勢について語ったんだ。
 これまた、剣豪としては斬れないスタイルだよなあ。相手が向かってきたら斬れるけど、「背中を向けてる相手を斬る」っていうのは、剣豪はできないんだよなあ。ヤクザとかなら、後ろからブスッと刺すのは可能だけど、天下の千葉道場にとっては、「背中を斬りつける」っちゅうのは、情けなくて、かっこ悪くて、できないだろ? 人間には面子ってのがあってなあ、それを逆利用するのさ。
 結局、言葉の力というよりは、相手の人間の性格やパターンを見抜き、「この人は、こういうふうに言やあ、こうなる。こういうふうに動けば、こうする」と、こういうことが読めるかどうかだな。(中略)
 わしゃ、井伊大老がね、剣の達人にあれだけ鉄壁の警護をされてたのに、水戸の浪士たちに登城するところを狙われて、斬られたのを見て、思ったんだよ。(中略)それだけ警備をしててもだね、攻めるほうが本当に死ぬ気で突撃してきたら、防げるもんじゃない。(中略)そういうことで、警備は、一切、付けなかったんだよ。
 だから、襲い放題だ。首相官邸で警備がいない感じかな。
 「あとは女性だけがいる」っていう感じだったので、正統派の剣豪は、ある意味で、「逆に、斬りにくかった」ということだな。
 わしを襲いに来る奴は、腕の立つ奴しかいないさ。(中略)そして、腕の立つ剣豪になってくると、こちらが、素手だとか、背中を見せたりとか、女性に応対させたりとかしたら、もう、みな、どうしたらいいか分からないのさ。
(214~223ページ)

当時の幕府の要職にあって、免許皆伝の剣豪でもあった勝海舟が、暗殺しにやってきた坂本龍馬を、素手迎えいれて説き伏せてしまっていたのは、事実だった──。

この臨場感あふれる霊人の言葉を、信じるか信じないのかは、読者である私たちの手に委ねられています。

もちろん私は、勝海舟本人の霊の言葉だと信じるわけですが、さて、みなさんは、どう思われますか?

『勝海舟の一刀両断!』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




うちの子って、すごい自己チュウなんだよねー。どう教育したらいいんでしょ? なーんんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、子供向け書籍『子どもにとって大切なこと』(幸福の科学出版)で、子供たちに対して、こう教えておられます。

 学校では、友だちとけんかしたり、いろいろあるけれども、実社会に出てからの練習を今しているんだね。学校は、実際の社会で起きることを小さくちぢめたような世界なんだ。
 学校生活の中で、先生にめいわくをかけても平気な子や、友だちと悪いことばかり考えているような子もいると思うけれど、世の中に出て生きていくためには、人のお役に立たなければいけないことがたくさんあるんだ。「人にめいわくをかけて生きていくことはできない。」ということを知らなければいけないね。
 世の中に出たら、生きていくために、人のお役に立たなければいけないことがたくさんあるし、人にめいわくをかけて生きていくことはできない。
 そのために大事なことは、「相手の立場に立つ。」ということだ。自分だけの考えや、「自分はこれがしたい。」という気持ちだけで物事を決めたり、反発したり、自分の考えばかり言ったりするのではなくて、少し相手の立場に立って考えてみなさいということだ。
 相手の立場に立ったら、どう思うかな。
 例えば、先生の立場だったら、どう思うだろう。先生にめいわくばかりかけている子が、「うちのクラスは学級ほうかいしています。」と言うかもしれないけれども、「じゃあ、自分が先生だったら、どうですか? 君のような生徒でいいですか? 君のような生徒がいっぱい増えていっても、授業がちゃんとできますか? 考えてごらんなさい。」ということだね。
 もし自分が先生だったらこまるようなことは、先生もこまるんだ。だから、そういうことはしないように努力しなければいけないね。
 先生が授業をしやすいようにしなければいけないし、友だち同士で悪さをする相談ばかりしたり、人にめいわくをかけたりしないようにしなければいけないんだ。
 君がこまったことをしているとお父さんが聞いたら、お父さんはどう思うかな。
 お父さんが「子どものために。」と思って、仕事でどんなに大変な思いをしているか分からないだろう。それなのに、「きょうも子どもが学校で立たされていた。」とか、そんな話を聞くと、お父さんはカクッときてしまうよね。「なーんだ。『子どものために。』と思って一生けんめい働いているのに、またガラスをわって立たされたのか。」と思うと、がっかりしてしまう。
 父親参観に行ったら、その日に限って子どもが先生におこられたりする。
 お父さんが必死の思いで努力して、「子どものためにも、会社をやめる年まで何とか会社にしがみついて、少しでもえらくなろう。」と思ってがんばっているのに、子どものできがあまり悪いと、お父さんもカクッときてしまって、仕事に力が入らなくなる。
 仕事に力が入らなくなると、会社の人から、「あの人は最近やる気がないな。」と思われて、もっと小さい会社に回されたりする。そうすると、お給料が少なくなってくる。お父さんのお給料が減ってくると、家庭があれてくる。家庭があれてくると、子どももあれてくる。
 このように、悪いことはぐるぐる回っていくものなんだね。
 でも、君たちだって、家庭ユートピアのために役に立つことはできるんだ。
 お父さんやお母さんが喜ぶようなことはできるはずだし、学校の先生が喜ぶようなこともできるはずだし、学校の友だちが学校生活を大事にすごせるように努力することもできるはずだよ。
 すべての基本は、自分中心の考えを持つのではなく、一歩ゆずって、「相手の立場に立ったら、どんなふうに感じるのかな。」と考えることなんだ。
(170~174ページ)

「相手の立場に立ったら、どんなふうに感じるのかな。」と考えてみること──。

子供にもわかるように、大事な話を伝えることって、ほんとにむずかしいですよね。

必要なのは、相手の年齢や立場や理解力などにあわせて分かりやすく話をする、「対機説法」の能力なんだと思います。

今日は、大川隆法先生の説法を参考にして、この能力を磨いていければと私は思っているのです。

『子どもにとって大切なこと』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




運命を超える方法があるって、教えてもらったよ。でも、それでもやっぱり、運命には、どうしても変えられない部分もあるでしょ。それって、どうすればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 運命はあるけれども、それを発見し、改善することも、また可能なのです。(中略)
 ただ、それでも、どうしても変えられない運命というものもあります。そういう運命に対しては、やはり、諦めることを勧めたいと思います。
 人生の苦しみの半分は、分不相応な欲望によるものです。欲望のなかには、成長欲という、なければ困るものもありますが、その半分は分不相応な部分があります。
 したがって、「運命を知る」ということは、「天分を知る」ということでもあるし、「自分の分限を知る」ということでもあるのです。
 自分の能力や性格、体力などについて、その限界を知って生きている人を崩すことは、悪魔にとっても、なかなか難しいのです。自分の限度を知っている人、分限を知っている人を罠に陥れるのは非常に難しいことです。
 しかし、分限を知らない人を落とし穴に入れるのは簡単です。前方に穴を掘っておくだけでよいのです。悪魔も、努力が要らないし、知力も要りません。何メートルか先にシャベルで穴を掘っておけば、真っすぐに進んでいって落ちてくれるので、簡単なのです。あまりにも単純に「自分の能力は無限界だ」と思っている人は、そのようになります。
 人間は、可能性としては無限です。ただ、魂に傾向性があるために限界が出るのです。
 その限界を突破するためには、前述したとおり、自分の長所と短所、それから他人の長所と短所を見て、自と他を常に引き比べながら人生の研究をしていくことが必要なのですが、それでも超えられないものに関しては、欲望のコントロールの問題だと思わなければいけません。「分不相応な成功は身を滅ぼすことになる」ということを知っている人は、失敗しないのです。
 過ぎた欲望のことを「執着」といいますが、この執着を捨てることによって、幸福になれるのです。これは、万人にとって可能な、幸福への道です。自分の欲望のうち、だいたい半分ぐらいは、過ぎた欲望だと思ったほうがよいでしょう。
 本章の2節で、「大部分の政治家にとっては、総理大臣にならないほうが幸福であり、総理大臣になったら不幸になる」ということを述べましたが、一般の人でも、同じようなことはあります。「こうなりたい」と思って、なれなかったとしても、なれないことで幸福な場合もあるのです。
 たとえば、理想的な主婦になれないことによって、職業婦人として幸福になれる場合もあります。子供の出来がよくないことを不幸の種にする親もいますが、子供の出来がよすぎたために、親子で話が通じなくなり、不幸になる家庭もたくさんあります。
 このように、「限界がないと同時に限界があり、限界があると同時に限界がない」ということがあるのです。
(66~69ページ)

運命を発見し改善することは可能であるが、それでも、どうしても変えられない運命というものもある。

そういう運命については、天分を知り、自分の分限を知って、諦めること。

過ぎた欲望は「執着」であって、この執着を捨てることによって幸福になれるのである──。

うーん、なるほど、です。

今日は、「運命論」に関して、一つの深遠な悟りを教えていただいたのだと私は思っているのです。

『幸福の法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




オレってさ、すごい優秀なはずなんだけど、特に大きな失敗なんてしてないのに、要するに「窓際族」なんだよね。なんで出世できないのかね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 左遷されたり、窓際になったりした人たちのなかには、仕事で失敗した人とは別に、「人間関係がうまくいかなかった」という人がいます。
 企業のなかには、たいへん能力があり、優秀であるにもかかわらず、なぜか出世しない人がいるのです。これは、いわゆる学者肌の人に多いようです。頭は非常によいのに、学者肌であるため、チームワークを乱し、交渉力もなく、ひとりでボソボソとやっているような人は、やがて専門職のほうに回されることが多いのです。
 銀行などには「調査役」という肩書があります。この調査役には、比較的若い人から高年齢の人まで二十年ぐらいの開きがあって、そのなかには窓際に近い役割もあるようです。
 あるいは、「副」がつく役職もそうです。商社などでも、副参事や副部長といった、「副○○」という肩書の役職に就く場合には、窓際であることがよくあります。これはラインから外れるということなのです。肩書だけはそれらしく見えても、実際の仕事はなくなるのです。
 これは、たいていの場合、人間関係がうまくいかないことが原因のようです。それは元をたどると、幼少時からの自己形成にまでさかのぼります。一朝一夕でそのようになったのではなく、小さいころからの性癖、性格にもとづいているのです。
 そうであるならば、人間関係がうまくいかなかった人は、一度、徹底的に反省をしてみる必要があります。自己反省です。これをやらなくては、どうにもなりません。「何ゆえに自分は人間関係がうまくいかないのか」ということを、みずからに問うてみるのです。
 「自分自身の、人間としてのあり方、考え方、性格に、何か不自然なものがあるのではないか。自分の行動の仕方に、何か問題があるのではないか」――そうしたことを自己反省していただきたいのです。そして、人間関係をじょうずに築いている人と自分との違いがどこにあるのかを、よくよく振り返ってみていただきたいと思います。
 できれば一日に三十分ぐらい自分を振り返り、幼いときから現在まで、年代を区切って自己反省をしてみていただきたいのです。生まれてから、三、四歳までのこと。次に、五、六歳までのこと。さらに、小学校の低学年や高学年、中学校、高校、大学までのこと。社会に出てからのこと。このように、ある程度、年代を区切って、過去を振り返ってみることです。
 そして、「現在の自分の性格が、どのような原因から発生しているのか」ということを探ってみるのです。
 それは意外に、子供のころにわがままだったことが、そのまま出ているのかもしれません。また、一人っ子であるために、人間関係をじょうずに築けないのかもしれません。田舎に育ったことが、都会の生活のリズムや形態に合わないのかもしれません。あるいは、仕事そのものが、自分の性格と合っていないのかもしれません。
 このように、一度、自分史というものを徹底的に振り返り、よく考えてみることが大事です。そのときに、何らかの反省点が必ず見つかるはずです。そうすれば、会社での出世うんぬんはともかくとして、まず、人間としての自分の修正はできます。少なくとも、人間として立派になることは可能なのです。
(235~239ページ)

能力があって優秀なのに、なぜか窓際族の人は、人間関係がうまくいかないことが原因であることが多い。

それは元をたどると、幼少時からの性癖、性格にもとづいている。

したがって、一度、徹底的に反省をして、人間関係を上手に築いている人と自分との違い、その発生の原因について、よくよく振り返ってみるとよい──。

自分の性格に関する徹底的な反省をしてみることで、かりに会社で出世できなかったとしても、人間としての自分の修正をし立派になることができるって。

これは、福音ですよね。

この反省の作業には、幸福の科学の「精舎」での研修が、役に立つかもしれません。

興味がある人は、気軽に連絡してみて、一度、足を運んでみませんか?

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




本って、ものすごくたくさん出てるよね。どうせ読めないんだから、特に必要が出てきたときにだけ読めばいいんじゃないの? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間は、「この人のようになりたいなあ」と思うと、やはり、その人がしたことをまねたくなるものです。
 それで、私がどうしたかというと、その評論家たちはみな本をよく読んでいる人だったので、彼らが紹介している本を次々に読んでいったのです。
 これを「つるったぐり読書法」といいます。好きな著者が、「良い本だ」と言っていたり、著書のなかで言及したりしている本などを、芋のつるを引っ張ってたぐるように次々と読んでいくわけです。
 だから、何を読んだらよいかが分からない場合には、自分が気に入った著者が、参考文献として使っていたり、「良かった」と書いていたりする本を読むことです。
 それを読むと、次に読むべき本が出てくるので、それを読みます。そうすると、また次の本が出てくるので、それを引っ張り出して読みます。そういう、「つるったぐり」の要領で読んでいってもよいと思います。
 やはり、今の若い人、学生に対して、「これこそは」という本を絞り込むのは、これだけ情報が増えている現代では、やや無理があると思います。(中略)
 ちょうど私が大学に入った年に、渡部昇一氏の『知的生活の方法』という本が新書判で出たんです。(中略)今の視点で読むと、引用している文献も古いし、生活パターンもかなり古いのです。(中略)もっとも、「個人蔵書を持て」という部分は、そのとおりであり、私もその影響を受けました。
 「身銭を切って本を買わないと、やはり勉強にはならない。自分で買った本には、やはり“痛み”がある」というわけです。(中略)
 ただ、言えることは、「本を読んで、ある程度、知識を増やさなければ、考えること自体ができない」ということです。勉強をしていないと、考えることができないのです。知識は、考えるための材料なんですよ。
 今のサラリーマンは、平均で年に二冊か三冊ぐらいしか本を読まず、あとは週刊誌ぐらいしか読まないのが普通のようです。
 そのため、こちらが、ある程度、本を読んでいる場合、あまり本を読んでいない人の会話を聴くと、それだけで、その人がどんな本を読んでいるかがすぐに分かってしまいます。(中略)
 その時代時代において、大事な本というものがあると思いますが、今の時代において大事な本になるのは、言いにくいことではありますが、おそらく、私の本だろうと思います。私の本には、少なくとも今後三十年ぐらいは、若い人たちを引っ張っていく考え方が入っていると思います。
 私の強みは、専門領域がかなり広く、いろいろな分野にまで目を通していることと、古典など古いものも読んでいるけれども、現在ただいまの現代的なものにもアンテナを張ってかなり見ていることです。「現在ただいまがどうなっていて、未来がどうなるか」ということを、いつも気にかけていて、昔と今の両方を見ています。
 さらに、「日本語以外の英語のものを、かなり読んだり聴いたりできる」というところが、やはり、情報源としては大きいですね。
(104~111ページ)

本を読んで、ある程度、知識を増やさなければ、考えること自体ができない。

本は借りるのではなく、身銭を切って買わないと、勉強にならない。

好きな著者が勧めているような本を、芋のつるを引っ張ってたぐるように次々と読んでいけばよい。

その中でも特に勧められる本は、大川隆法先生の御著書である──。

テレビやスマホなど、手軽にみれる情報があふれかえっている現代社会だからこそ、どうやってしっかりした本と付き合っていくのかは、とっても重要な問題ですよね。

一人でも多くのみなさんが、この大川隆法先生の教えをしっかりと受け止めて「知的青春」を送ることで、日本の未来を担う人財になってくださればと心より私は願っているのです。

『知的青春のすすめ』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




経営者の条件って、いろいろあると思うんだけど、真に成功する経営者となるための条件ってのがあるんじゃないかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、経営者にとって大事な条件は三つあると考えます。
 一番目は、「バランス感覚が優れている」ということです。
 このバランス感覚は、二重の意味を持っています。第一のバランス感覚は、金銭面でのバランス感覚です。「収入・支出についてのバランス感覚が優れている」ということが大事です。第二のバランス感覚は、人材登用におけるバランス感覚です。すなわち、「適材適所ができる」という意味でのバランス感覚です。
 人間は、向いているところに使われれば、幾らでも、その能力を発揮するものですが、向いていないところに使われれば、まったく能力を発揮することができません。この意味において、バランス感覚が非常に大事だと思います。
 結局、「どのように人員を配置することが、全体の機能をアップすることになるか」ということです。これは、会社の収入・支出のバランスを見る力とも、ある意味では似通っていると言えましょうか。「全体をどう見るか。どういうバランス感覚で見るか」という考え方です。
 経営者の条件として二番目に大事なことは、未来志向型であることです。未来志向型というのは、「常に、未来に目が向いている」ということです。
 常に、一年先、五年先、十年先を見ていく必要があります。自分の事業の何年か先を見ることは当然ながら、自分の事業以外の環境をも含めて、「環境は、どうなっていくのか。そのなかで、どのようにやっていけばよいのか」ということを考える必要があるのです。「未来を見つめ、未来のなかの自分たちのありかを探る」ということが必要なのです。(中略)
 経営者の必須条件として三番目に挙げたいことは、やはり、「『世の中にとって役立つことをしたい』と、常々、願っている」ということです。
 「自社だけの利益、あるいは、自分一人だけの利益を求めていって、それなりに成功する」ということもありえましょう。しかしながら、そういう生き方をしている人は、長い目で見たときに、必ずどこかでつまずくことになっていきます。(中略)
 これは、言い換えるならば、「社会の一角を占める自分たちが、どれだけのものを社会に還元していけるか」という視点でもあるわけです。さらに言葉を換えるならば、「愛の還元」と言ってもよいのではないでしょうか。「愛というものを、次々とお返ししていく。回していく」という考え方ではないでしょうか。(中略)
 やはり、「多くの人の力によって、現在の自分がある」ということを、深く考えなければいけません。
 そして、多くの愛を与えられているとするならば、この愛を還元していくこと、お返ししていくことは、当然のことではないでしょうか。
 したがって、「地位が上がれば上がるほどに、立場が上がれば上がるほどに、多くの愛を還元していこう」とする考え方が重要となってくるのです。そういう考え方を持ちつづけることのできる人が、真の成功者となっていけるのではないかと私は考えます。
(283~290ページ)

真に成功する経営者の条件は、第一に、金銭面、人材登用面でのバランス感覚が優れていること、第二に、未来志向型であること、第三に、世の中の役立つことをしたいと、常々、願っていること──。

成功すればするほど、世の中に多くの愛を還元していくって。

経営に携わっている方は、そんな愛があり、そして真なる成功を重ねる経営者になっていただきたいものだと私は思っているのです。

『成功の法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




もうぜったい不況だよね。未来は暗いだけなのかな。未来を開く鍵みたいなものって、見つけることできないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国家の気概』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 世界は、二〇〇八年の秋より同時不況に入り、恐慌もささやかれています。
 ただ、私は、あなたがたに述べておきたいのです。悪い未来ばかりを心に描いて、深層心理でそれを求めていないでしょうか。そういう集団心理ができていないでしょうか。それを、一度、チェックしていただきたいのです。
 民主主義は、良識が支配してこそ機能するものです。
 すべての人が恐怖を心に描いたならば、素晴らしいものが現れてくることはありません。人々の心が実践を生み、その実践が世界をつくり出していくのです。したがって、あなたがたは恐怖に打ち負かされてはいけません。
 過去の歴史を見ても、追い風の時代ばかりがあったわけではありません。地震、津波等の天変地異もあれば、戦争もありました。飢饉のときもあれば、未知なる病が流行った時期もありました。ある時代には、宗教戦争によって、国家の人口の半分ぐらいが死に絶えた国もありました。
 そうした、人類のさまざまな苦難や困難を、私自身、地上に肉体を持つ前に霊天上界から長らく見守ってきました。
 今、世界の人口が、六十億人を超え、百億人に向かって増えていこうとしています。
 ただ、順調に百億人を超えることはないでしょう。あなたがたに対して、これから幾つかの試練が立ちはだかってくるであろうと思います。それをストレートに避けることは、難しいことかもしれません。(中略)
 しかし、いかなる苦難・困難のなかにおいても、未来を開いていく鍵というものは必ず見つかるものです。その鍵は、あなたがた一人びとりの心のなかにあります。
 それは何であるか。「信念」です。「未来をどうしたいのか」「どういう未来を私たちは求めているのか」ということについての信念を持つことです。その信念が未来を切り開いていきます。
 予言者のごとく、悪い未来を言い当てることは、そう難しいことではありません。しかし、悪い予言が当たったとしても、それによって人類が幸福になることはありません。一方、未来に悪いことが起こらないようにしたからといって、その成果が認められ、ほめられることもありません。
 しかし、「どちらかを選べ」と言われたならば、たとえ、世の人々からその活動を認められたり称賛されたりすることがないとしても、私たちは、世界の人々が、幸福になる道を開き、「まるで何事もなかったかのように、幸せな生活を享受できる」ということを、希望したいと思います。
 不幸な出来事が起きることを事前に止めて、悪い未来を変えてしまうこと。そして、それを幸福の科学の手柄にはせず、人々が気づかなくてもかまわずに、世界を変えていくために地道な努力を積み重ねていくこと。こうしたことが大事であると思います。
(178~181ページ)

悪い未来を心に描いて、深層心理でそれを求めてはいけない。

人々の心が実践を生み、その実践が世界をつくり出していく。

いかなる苦難・困難のなかにおいても、「未来を開いていく鍵」は、一人びとりがもっている「信念」である──。

本書は、2009年に発刊されました。

本書で大川隆法先生は、人々が気づかなくても、何の手柄にならなくとも、世界を明るい方向に変えていくために地道な努力を積み重ねていくことを宣言しておられました。

世界の人口は、当時の60億人あまりから現在の77億人まで、十数億人も増え続けてきたことに気がつきます。

そして、世界同時不況があっても、決定的に不幸な出来事は起こらないまま、世界はなんとか平穏に推移してきたわけです。

ところが、それから11年を経た今、コロナ・ウィルス禍で、大恐慌がやってくるとささやかれ、暗いニュースばかりが目についています。

こんなときこそ、本書の教えを改めて思い起こしたいと思います。

つまり、未来を明るくしていきたい。

繁栄・発展する日本にしていきたい。

そのために私たちは活動していきたい。

間違いなく、大川隆法先生は、そして幸福の科学は、そういう前向きな「信念」で、未来を切り開いていくために、日々、活動を展開しているのです。

『国家の気概』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




うちの子、頭のいい子に育てたいよね。塾に行かせるのかな。いい学校に入れればいいのかな。どうすればいいの? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 結局、幼児の頭をよくするための究極的な方法は一つしかありません。それは、親が勉強好きになることです。これを聞くと、たいていの親はがっかりしますが、これは真実なのです。
 幼児というのは、まだ、何かを教え込む教育ができる年齢ではありません。幼児は大人を観察することによって学ぶのです。幼児にとって、学ぶ相手は親しかいません。そのため、いつも親を観察しています。親の癖や傾向性、考え方、言葉などを、けっこう細かいところまで見ているのです。
 したがって、親が、よくない言葉を吐き、怠惰な生活をしていながら、子供を天才児にしようと思っても、そう簡単にはいきません。可能性としては極めて少ないでしょう。(中略)普通より少しでも頭のよい子に育てたいのであれば、子供の心がまだ素直な段階で、親が勉強している姿を見せつづけることが、いちばん効くのです。(中略)
 小学校に上がると、学校の影響がかなり出てくるので、学校に上がる前の時期が大事です。
 この二、三歳から六歳ぐらいまでのあいだに、子供には情緒ができ上がってきます。情緒というのは、思いにおける一つの傾向性と言ってもよいでしょう。
 情緒の形成は非常に大切です。これによって、高級なもの、高尚なものを求める気持ちに傾いたり、あるいは、残忍な気持ち、冷酷な気持ちに傾いたり、さまざまな傾きができてくるのです。
 この情緒は六歳ぐらいまでにでき上がるので、そのあいだに、高尚なもの、高みのあるものに向かうような精神態度をつくることは可能です。こういう情緒教育は極めて大切であり、ここでは親の影響がかなり決定的になります。
 したがって、少なくとも両親のどちらかが勉強好きであることが必要です。両方ともだめな場合は、勉強好きのおじいさんを呼んでくるなどして、そういう人が家のなかに一人でもいるようにしなくてはなりません。(中略)
 二、三歳から六歳ぐらいまでの数年間で、このような教育をしておくと、「よく分からないけれども、ああいう雰囲気はいいなあ」という思いが子供に残ります。そして、その影響がその後の人生をずっと貫いていくようになるのです。(中略)
 子供に物心がつくのは十歳か十一歳ぐらいです。このころからは、ある程度、自分の考えで精神態度をつくっていくことができます。したがって、理性に訴えかけて本人を変えていくことができるのは、十歳か十一歳ぐらいからだと思ってください。それまでは親の影響がかなり強いのです。
 また、特に七歳ぐらいから十一歳ぐらいまでは、友達の影響もありますが、学校の先生の影響が大きいので、この時期に、よい先生に出会うか出会わないかは非常に重要です。そのため、学校の先生に恵まれなかった場合には、それに代わる人が必要になります。(中略)
 もう一点、付け加えるとすると、幼稚園・小学校低学年時に、指示行動を正確にできるようにし、読み・書き・計算で学習訓練の基礎をつくっておくことです。知識の量は、小四から増やしていくのが適切です。
(104~111ページ)

幼児の頭をよくする究極的な方法は、親が勉強好きな姿勢を見せることで、家庭での情緒教育をしていくこと。

幼稚園・小学校低学年時には、指示行動を正確にできるようにし、読み・書き・計算で学習訓練の基礎をつくること。

知識教育は、小4からでよい──。

この大川隆法先生のお教えに基づき、幸福の科学では、幼児教育機関「エンゼルプランV」が運営されています。

また知識教育の段階に入ってからは、「仏法真理塾サクセスNo.1」が全国展開されています。

そしてその先には、「幸福の科学学園中学校・高等学校(那須本校)」「幸福の科学学園関西中学校・高等学校」、そして、「ハッピーサイエンス・ユニバーシティ(HSU)」で、続々とすばらしい人材が輩出され続けているわけです。

興味のある方は、ホームページを一度のぞいてみられたらいかがでしょう?

『幸福へのヒント』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




仏の目から見た歴史論の第五弾。戦前の日本は、悪い国だったのか? という問題を考えるにあたって、今回は、前回までの話を踏まえて、先の第二次世界大戦をどう捉えるべきかについて、ご紹介します。

幸福の科学の大川隆法先生は、2001年に刊行された書籍『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 日本には、中国や朝鮮半島の人たちに対して謝罪的感情を持っている国民も多くいます。また、「あの戦争では、日本人だけでも三百万人が亡くなり、アジア全域では二千万人近い人が死んでいる。日本はとうてい許されるものではない」という考えに同調して、関係諸国に謝り、日本人に罪悪感を植えつけている勢力もあります。
 これが全部、間違っているかといえば、そうとは思えない面もあります。確かにそうだという面もあるのです。
 このへんの国家観、歴史観のところがどのように清算されるかによって、日本の国としての道筋はおそらく変わってくるでしょう。
 先の戦争のうち、中国関連のものについては、侵略的な面があったと認めざるをえないのではないかと私は思います。中国の内陸へ侵攻したあたりには、侵略的な面がかなりあると思います。
 それから、太平洋関連の戦争については、これを日本の自衛戦と言いきることには少し問題があります。前述したように、これが日米の覇権戦争だったことは間違いありません。同盟でもしないかぎり、日米がぶつかるのはほぼ確実だったと言ってよいでしょう。
 アメリカという国は、建国以来、ずっと領土を広げてきたという歴史を持っています。東海岸から西部へ向かい、西海岸まで来てフロンティア(辺境)がなくなると、太平洋へと進出してきました。地球をぐるりと回って、アジアまでやってきたのです。
 一方、明治以降に勃興した日本は、アジアに勢力を広げて、太平洋の覇者たらんとしていました。
 アメリカと日本は、ぶつかるべくしてぶつかったのであり、その結果、強い者が勝って弱い者が負けたと言えるでしょう。
(87~89ページ)

先の戦争のうち、中国関連については、侵略的な面があったと認めざるをえない。

しかし、太平洋関連の戦争については、日米の覇権戦争だった──。

大川隆法先生は、先の第二次世界大戦を、このように公平な眼で見ておられるわけです。

ただし、この戦争には、とても重要な霊的側面があったことも、また指摘しておられますので、この部分もぜひ参照してみてくださいね!

『奇跡の法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




悩みは、疲労してなければ少なくなるって教えてもらったよ。それじゃ、どうやったら、その疲労を予防できるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仕事と愛』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 疲労を予防する方法はいくつかありますが、肉体の生理作用に着目した場合、体というものは一定の割合で休息を与えると、よりいっそう効果的に仕事ができるようになっています。
 人間の集中力というものは、たいてい一時間以上は続かないものです。集中力のある人でも二時間ないし三時間です。三時間を超えると、集中力は急速に衰えてきます。
 現代では事務系統の仕事をしている人が非常に多くなっていますが、事務系統の仕事を朝から夜までしていれば、能率が落ちてくるのは当然のことです。(中略)
 したがって、仕事を始めてから二、三時間が経過したときには、ちょっとしたコーヒーブレイクを入れて、休みをとることです。その十分か十五分が惜しいと思う人は、実は残りの数時間を無駄にすることが多いのです。努力をして十分か十五分の休みを入れることです。
 そのときに、お茶を飲むもよし、同僚と軽くジョークを飛ばし合うもよし、少し精神を意図的にリラックスさせる訓練をしなければなりません。
 そして、原則、重要な仕事は体調のいちばんよいときにしておくことです。これは大事なことです。
 夜の六時以降になって、やっと重要な書類仕事を始めるというような人は、非常にマイナスが多いのです。夕方から先は一日のうちでいちばん疲れている時間帯です。いちばん疲れているときには、重要な仕事をするべきではありません。
 あえてしなければならないのならば、その時間帯には単純作業を残しておくことです。夕方以降には単純な整理仕事を残しておいて、いちばん体調のよいときに、いちばん大切な仕事をする。そうした工夫が大事です。(中略)
 一日じゅう長く働きつづけるためには、特に大事な部分が二カ所あります。
 一つは腰です。腰が痛んでくると、どうしても持久力がなくなります。また、集中力もなくなってきます。そのため、腰を伸ばす訓練が必要です。
 もう一つは足です。人間は体重が何十キロもありますが、足はほんの小さな面積しか持っていません。この小さな面積に体重がかかると、普通は一時間以上立ちつづけるのは難しいのです。しかし、現実には、数時間いろいろなかたちで立ちつづけています。できるだけ足に体重をかけない時間をつくることも貴重な心がけなのです。(中略)
 もう一つ大切なのは目の使い方です。どうしても目が疲労してきます。目が疲労すると、頭脳にも影響しますし、胃腸にも影響して神経質となり、いろいろな物事に対して被害妄想的に考えるようになってきます。したがって、目の疲労を最小限に抑える工夫が必要になります。
 そのためには照明も大事です。明るさを一定に保つことです。また、文字と目とのあいだに二十センチ以上の距離をとることも大事です。
 さらには、小さな活字をできるだけ避けることを考えてもよいかもしれません。(中略)一定の時間使ったならば、少し視線をはずして目を休めることが大事です。
(262~269ページ)

2、3時間も仕事をしたら、ちょっとした休みをとること。

原則として、体調のいちばんよいときに重要な仕事をすること。

特に大事な、腰、足、目については、休ませたり、疲労を最小限に抑える工夫をすること──。

心や精神は大事ではある。

けれども、この世で生きている以上は、肉体を大事に使っていくために智慧をしぼることも大切であるって。

言うまでもないことですが、大川隆法先生のお教えは、なんてこの世で生きていくための叡知に満ちているのだろうと改めて私は感じ入っているのです。

『仕事と愛』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ