ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



こんなに不幸なのは、あの人のせいなんだよね。あんな人に会わなければ、いまこんなふうになってないのにね。恨んじゃうよね。どうしようもないよね? なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 こうしたマイナスの思いというものが、よくよく考えてみるならば、じつは他の人から貰いたい、奪いたいという気持ちのすり替えであるということがわかってきます。
 結局、自分は要求ばかりしているのです。他の人から、こうしてほしい、こうしてほしいと要求ばかりしていて、その心は貪欲であってとどまるところを知らず、(中略)ブラックホールのように、あらゆるものを引きずり込む一方になっているのです。
 こうした蟻地獄のような心を持った人びとが地に満ちたら、いったいどうなるとお思いでしょうか。道を歩けば、あそこにもここにも、パックリと口を開けた蟻地獄がある。よく見たらそれは人間である、人間の顔をしている、というようなことにでもなったらどうなりますか。(中略)
 いま私は、イメージとしてみなさんに語っておりますが、これは肉体を去って霊になり、みなさんがあの世に還ったときには、現実にそういう世界があるのです。本当に地面から手が出てきて、人を引っ張り込みます。そうしたことのみによって幸福を得ようとしている人たちのいる世界が、現実にあるのです。地獄というところに、本当にあるのです。これは決して幸福ではありません。本人も幸福ではありませんが、周りにも不幸しか出していません。
 そして、自分以外の人びとが、みんな不幸になっていくとするならば、いったい誰が自分を幸福にしてくれるのでしょうか。自分を幸福にしてくれるのは、幸福な人です。幸福な人こそが自分を幸福にしてくれるのです。救ってくれるのです。不幸な人が自分を救ってくれるはずはないのです。自分自身が救われたいならば、幸福になりたいならば、世の中に幸福な人たちを増やしていくことこそが、じつに大事なことなのです。
 そうであるならば、自分の現状が、苦しいことばかり、足らないことばかり、満足しないことばかりだと思っても、ここでその思いをいったん停止して、「いや、現在は苦しいけれども、このなかで自分の為せることは何だろうか。現在ただ今の、この満たされない環境においても、自分の為せることはいったい何だろうか。何もないことはないだろう。何かは為せるはずだ。少なくとも世の中のためになること、他の人びとを幸福にできる何かをすることができるはずだ」と思わなければなりません。(中略)
 少なくとも自分と同じように不幸な人を増やそうというような心は、卑怯な心です。自分が不幸であるとしても、このような不幸は、自分一人でくい止めねばならない。ほかの人を断じてこんな目に遭わせてはならない、こんな気持ちにさせてはならないと思わねばなりません。(中略)
 たとえ病人であっても、他の人をよろこばせることぐらいはできます。(中略)自分がひじょうに苦しい立場にあっても、自分と同じ目に遭っていない人に対しては、導きの言葉を与えてあげられるものなのです。
 他の人に対してそうしたプラスの行為ができない人は、要するに、あまりにも自分自身のことばかりを考えすぎているのです。自分のことに執われすぎているのです。少しそれをやめなければいけません。関心を周りに向けねばなりません。
(92~96ページ)

マイナスの思いは、じつは他の人から奪いたいという気持ちのすり替えである。あの世には、こうした蟻地獄のような心を持った人びとが創っている地獄があることを、知らねばならない。

自分自身が幸福になりたいならば、世の中に幸福な人たちを増やしていくことこそが、大事なことである。

自分の現状が、苦しいこと、足らないこと、満足できないことばかりだとしても、このなかで、世の中のためになること、他の人びとを幸福にできることが何かできるはずだと思わなければならない──。

要は、マイナスの思いを出すことで、私たちは自分を不幸にしている。

自分がほんとうに幸福になりたいのであるならば、ささやかでいいから、少しでも他の人を幸福にするような努力をする。

そういう念いを出すことが幸福になるためのコツなんだと、今日は改めて教えていただいたのだと私は思っているのです。

『人生の王道を語る』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




宗教なんて、要するに、マインド・コントロールしてるんじゃないの? なーんて偏見もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、1996年に刊行された『青春に贈る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 多くの間違いを避けるためにも、日々、知識を得ることが大事です。それも、世の中には数多くの情報があるので、情報の選択が非常に大事になります。仏法真理的に見て価値のないものに、あまり長い時間をかけてはなりません。
 情報社会を忙しく生きている人間のなかには、活字だけはたくさん読んでいても、ほとんど心の糧にならないものばかりを迫っている人がいます。そうした人の言葉には、残念ながら力がありません。そうした人の意見には、残念ながら光がありません。
 したがって、数多く学ぶと同時に、その学びの質を高めていくために、日々、努力していかねばならないのです。
 まず、読書を中心として、学びを高めてほしいのです。もちろん、当会の仏法真理の書籍やテープ、ビデオなどの学びが中心になると思います。しかし、それ以外にも、人間の精神を向上させるものは数多くあります。それらも学んでほしいのです。それが幸福の科学の基本的な姿勢です。
 したがって、幸福の科学は、邪教といわれる教団がよくやっている「マインド・コントロール」などとは無縁の団体です。当会では、人間の精神を向上させるものであれば、いくら勉強していただいても結構なのです。どのようなものを勉強してもかまいません。優れたものをどんどん勉強し、研究してほしいのです。
 それは、みなさん一人ひとりが立派になってほしいと思っているからです。幸福の科学は、会員が当会の発刊物以外のものを読んだからといって、困るような宗教ではないのです。
 しかし、他の宗教団体には、「自分のところが発行している機関誌以外は読んではならない。他の新聞も読んではいけない」というところがあります。あるいは、「他の宗教の本は絶対に読んではいけない。捨てなさい」というところもあります。
 なぜかというと、ほかのものを読むと、自分のところの間違いがよくわかってしまうからです。そうなると困るので、読ませないようにするのです。そして、周りの者は全部サタンだということにしたりして、ほかの人から信者が話を聞いたり学んだりできないようにします。そのようにして、信者の心を閉じ込めていくのです。
 ちょうど、洞窟の前に蜘蛛(くも)の巣を張って、毒蜘蛛が見張っているように、洞窟のなかに善良な魂を閉じ込めて、逃げられないようにする──そのような宗教が数多くあります。(中略)
 こうした団体と幸福の科学の区別がなかなかつかないところが、日本のインテリたちの現実です(最近ようやく区別がついてきたようではありますが)。日本のインテリたちの水準は非常に低いのです。
 こうしたなかで、私たちは、正しい信仰に基づく、また正しい知識に基づく人間観・世界観を打ち出さねばなりません。
(130~135ページ)

みなさん一人ひとりが立派になってほしい。多くの間違いを避けるためにも、日々、知識を得ることが大事である。まず読書を中心として学びを高めてほしい。

幸福の科学の書籍やテープ(CD)、ビデオ(DVD)など以外にも、人間の精神を向上させるものは数多くあるので、それらも学んでほしい。人間の精神を向上させるものであれば、どのようなものを勉強してもかまわない。優れたものをどんどん勉強し、研究してほしい。

これが基本姿勢であるから、幸福の科学は、邪教といわれる教団が行なうマインド・コントロールなどとは無縁の団体である──。

要は、自分のところが出しているもの以外の出版物について、読むことを禁止しているのか、それとも逆に奨励しているのか。

その一点だけで、その団体がいかなる存在であるのかを、誤解の余地なく明瞭に示している。

今日は、そんな真理を教えていただいたことを確認できたと私は思っているのです。

『青春に贈る』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




英語、嫌いなんだ。できないんだもの。あれって、頭がいい人だからできるようになるんでしょ? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 確かに、一定の年齢で切ってみたら実力の差はあるのですが、一生を通じて長く勉強していくと、その差は、いろいろと違ったものになってきます。一生を通じた勉強はマラソンのようなものであり、「トップ集団は最後までトップでいる」というわけではなく、途中で脱落していく人や、あとから上がってくる人などがいろいろいて、順位がまったく変わってくるのです。
 私は、以前、商社に勤めていましたが、当時、ショックだったことは、「受験レベルでは偏差値が高いとは言えないような大学を出ている人であっても、仕事で英語を使っている人は、英語がよくできる」ということでした。
 本人は、〝駅弁大学″と言われるような、地方の大学から、たまたま採用されたということで、強い劣等感を持っているのですが、そういう人でも、けっこう英語ができるのです。英語の語彙も豊富で、いろいろな言葉をよく知っています。
 やはり、「仕事で、十年、二十年と英語を使っている」ということは、大きなことなのです。
 仕事で英語を使っている人の英語力は、「東大を出た」という程度の人の英語の学力とは、だいぶ違います。ただ、本人は、自分の英語力がどのくらい高まっているかが、よく分からずにいることがあるのです。
 私も、「受験のレベルでは、かなり上のほうの大学を出た」という意識を持っていたのですが、実社会に入り、商社で英語を使う仕事に就いてみたら、自分より先を走っている人がたくさんいました。彼らは、「こんなにできるのか」と私が驚くぐらい、非常によくできるのです。
 当時、一般に、メーカーに就職した人は、入社時点で「TOEIC」という英語の試験を受けたら、だいたい三百八十点から四百点ぐらいしか取れないと言われていました。
 業種によって違いますが、商社あたりに勤めるのであれば、海外へ行き、仕事でちょっとした用を足すには、TOEICで六百五十点以上の能力が必要です。遊びではなく、海外で仕事をするには、最低限、そのくらいの英語力は要るのです。バリバリ働くなら七百三十点以上は欲しいところです。
 したがって、三百八十点から四百点ぐらいといえば、かなり低い点数ですが、そういう人たちも、みな、学校では高度な英語教育を受けてきているのです。「仕事上、必要があって勉強する」ということがなければ、その程度になるわけです。
 あるいは、好きで勉強したものは、やはり力が付いてきます。
 みなさんは、「受験における英語の能力自体は、頭のよし悪しによって決まる」というぐらいにしか思っていないでしょうが、仕事として英語を使いはじめると、先はずいぶんあり、「プロの世界は厳しい」と言えます。
(39~45ページ)

学生時代に実力の差はあっても、一生を通じて長く勉強していくと、マラソンのようなもので、順位がまったく変わってくる。

仕事で英語を使っている人の英語力は、東大を出たという程度の人の英語の学力とは、だいぶ違う。

あるいは、好きで勉強したものは、やはり力が付いてくる──。

頭の良し悪しじゃなくって、一生を通じて長く勉強していくことで、プロの仕事をしていくこともできるって。

要は、やる気と継続で、嫌いだった英語だって、身につけていくことができる。

今日は改めて、チャレンジしていく勇気をいただいた気が私はしているのです。

『青春の原点』

  大川隆法著



(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回は、出世の条件の三番目として、自分ひとりでできる能力と、他の人を使う能力の二つの能力を知って、それを使い分けることが大事って、教えてもらったよね。

つまり、最初は自分ひとりでできる能力からスタートしても、しだいに他の人を使う能力(「管理能力」)に比重を移していかないと出世できない、そのためには、人が見える必要があるっていう話だったんだよね。じゃ、どうやってその、「人が見えるための能力」を身につけていけばいいの? なーんてまっすぐな疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仕事と愛』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 出世の条件の三番目を充分に習得するためには、人間学の研究が不可欠となります。
 人間学の研究方法の基礎はいくつかあります。一つ目は、人間に関する見識を、自分自身が多くの人のあいだで練られて身につけるという、経験的な方法です。二つ目は、人生の師ともいうべき人を、いち早く見つけるということです。そうした人を見つけて、その人の的確な洞察力や観察力、直観力を学ぶことです。そして、どのように世の中や他人を見るかという見識を学ぶことです。三つ目は、やや常識に属することですが、多くの書物を読むということです。
 書物のなかでも特に大事なものがあります。一つは、偉人たちの生涯を書いた伝記物です。これは出世のためには不可欠のバイブルともいえましょう。次に必要なのは歴史物です。過去の歴史を知っているというのは、未来が分かるということにもなります。
 「過去の歴史のなかで、どのような事件が起きてきたのか。それに対して、偉人や他の人たちがどのように対処してきたのか。そして、その結果どうなってきたのか」ということを学ぶことは、未来において、自分を取り巻くさまざまな環境下で起きる事件がどうなっていくのかを予見する能力になります。
 これは、大学受験などをするときに、受験校の過去の問題を研究するのとまったく同じことなのです。人類史において過去に起きたことを学ぶことによって、未来を予見する能力を磨くことが大切です。
 一に伝記、二に歴史と言いました。三番目に必要なものは、詩を含めた文学でしょう。
 人間の心は何によって揺さぶられるのか、ということを知っておく必要があります。知性によって動く人あり、理性によって動く人あり、さまざまな条件下で人は動きますが、人がいちばん動きやすいのは、なんといっても感性です。感性に訴えることがなければ、大量の人を動員することは難しいのです。感性に訴えるのは非常に大きなことです。
 感性を磨くためには、文学作品や芸術作品への関心を忘れてはなりません。何が人の心を動かすのか、心を打つのか、胸を打つのかを知っておくことです。
 そして四番目に、これが最後ということではなく、ある意味において筆頭にあげなければならないものが宗教書でしょう。これは文学書よりもさらに奥にあるものです。仏の心、神の心を説く宗教書を読んでおくことによって、自分の心の底に、揺れない不動の中心軸というものができてきます。それが、さまざまな困難のときに、その困難を乗り越えていく力となります。
 このように、管理職となっていくには、人の心に精通するための努力を惜しんではならないのです。
(94~97ページ)

「人が見えるための能力」(=管理能力)を身につけるには、経験的な方法、人生の師を見つけること、多くの書物を読むこと、がある。

書物のなかでも特に大事なものは、伝記物、歴史物、詩を含む文学、そして宗教書、である。

管理職となっていくには、これらの学びによって、人の心に精通するための努力を惜しんではならない──。

うーん。たんに年をとりさえすれば、管理職になれるわけではない。

ここに教えていただいた方法によって、いち早く学びを深めて行った人こそが、「人が見えるための能力」を身につけ、自分の実力によって出世していくことができる。

今日は改めて腑に落ちた気が私はしているのです。

『仕事と愛』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「スピリチュアリズム」(心霊主義)について、これまで三度にわたってお伝えしてきました。スピリチュアリズムの運動は、150年前から始まった天上界の計画なのであり、これによって人々の霊的なものに対する精神的土壌が耕されてきたが、その頂点として、現代における幸福の科学が始まった、というのが前回までの話でした。では、その幸福の科学とはなんなのだろうか、というあたりについて説き明かされる、今日はその第四弾になります。

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 東南アジアの小乗仏教では、「釈尊入滅後二千五百年」という記念の年に当たる一九五六年に、盛大に法要を行いました。この時期あたりが一つの境目と考えてよいのです。占星術でも、一九五六年は「宝瓶宮の時代」(アクエリアスの時代)が始まる年なのですが、これは霊的な世紀の始まりを意味しているのです。
 かくして、一九五六年が一つの大きなターニングポイントだったので、この時期を選んで、私は地上に生まれてきました。(中略)
 霊的な普及活動の開始の年は一九八一年に定められていました。(中略)ただ、現実には、一九八〇年代の後半になっても、まだまだ力が充分ではなかったので、非常に焦りもし、大変でもありました。しかし、何とか、二十世紀中に、幸福の科学という存在を世の中に示し、新しい教えをかなりの人に普及することができました。(中略)
 私の教えの内容を見れば分かるように、今回の私の使命は幾つかありますが、大きく見ると、仏陀とキリスト(救世主)の両方を備えていることが明らかです。仏教の「悟りの教え」もあります。それから、イエスのほうの「愛の教え」も非常に強く出てきています。これも、予定してのことなのです。
 「エル・カンターレという存在を、どのように表現するか」と考えた場合、「要するに、仏陀とキリストを併せた存在である」と理解してもらえばよいわけです。「法、真理を指し示す存在」と、「イエス的な愛の教え、救済の教えを説く存在」という、この両方を強く打ち出してきています。
 これ以外にも、ギリシャのヘルメスの「発展・繁栄の思想」を、近現代的なものとして再現して出している面もあります。ヘルメス的な「発展・繁栄の法」も、当会では強い底力になっているでしょう。
 ただ、おそらく、外から見ると、「悟りと愛」が非常に強く出ているように見えると思うのです。(中略)教えとしては、仏陀とキリストの両面を強く出してきています。これが何を意味しているかは明らかでしょう。
 キリスト教徒たちは、二十世紀末というものを、一つの「時代の境目」と捉えていました。ノストラダムス(一五〇三~一五六六)の予言もあったので、「世紀末に、大きな危機の時代が来るだろう」と、キリスト教徒は強く思っていたはずです。
 この意味で、「メシア(救世主)降臨」を告げる宗教も、あちこちにありました。これはキリスト教系の宗教にもかなり多いのです。(中略)
 実は、キリスト教徒たちには、「救世主は、時代の終わり、人類の終わりのような局面でなければ出てこないから、それは大変なことだ」という意識があります。(中略)「『最後の審判』と一体化して、救世主の降臨があるのだろう」と見ている人は数多くいます。「最後の審判」は、実際には霊界での物語なのですが、それをこの世の問題だと思っている人は、かなり多いのです。
 そこで、今回は、「東洋世界と西洋世界の両方を橋渡ししながら救っていく」という救済計画、そういう時期を見計らっての計画だったのです。(中略)このような計画の下に、過去百五十年間のいろいろな積み重ねがあって、現在まで来ているのです。
(185~191ページ)

大川隆法先生は、なぜ、1956年に生まれられたのか。

なぜ、1981年に大悟されたのか。

幸福の科学の教えは、なぜ、「悟りの教え」と「愛の教え」が強く全面に出ているのか──。

要するに、大川隆法先生は天上界で、仏陀(釈尊)入滅2500年にして、霊的な世紀の始まりの年、1956年に再誕し、仏教的な教えとキリスト教的な教えを全面に出すことで、東洋世界と西洋世界の両方を橋渡ししながら人類の魂を救済する計画をたてた。

そして、霊的な普及活動の開始の年と定められていた1981年に大悟された。

ここに至るまで、150年にわたるスピリチュアリズムの運動によって露払いがなされた上で、現代日本において、予定どおり、幸福の科学の運動を開始されたって。

なんて壮大なストーリーなんでしょうか。

こんな話が、一つのエピソードとしてさりげなく語られるという事実そのものが、幸福の科学の教えの凄さ(その高さや広大さ)を、端的に示してるのだと私は思っているのです。

『神秘の法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私って、多くの人と知り合いになりたいって思うんだ。だから、いろんなタイプの友だちがいるだけどさ、なんだか最近、全然友だちに信頼されてないのかなって気がするんだ。どうしてなんだろう? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 あなたの悩みもかなり深刻なようです。あなたは「人に信頼されない」ということを悩んでいるようですが、なぜ人に信頼されないのでしょうか。それを考えてみましょう。
 人に信用されないといっても、さまざまな場合があるので、その処方箋を出すことは非常に難しいのですが、ただ、そうした人たちに共通して言えるのは、「自分の性格をもっとよく分析してみる必要がある」ということです。
 人に信用されないのならば、あなたの言動のなかに何か原因があるはずですが、自分がどのような考えを持ち、どのような行動をとって生きているのか、実はあなた自身が知らないのではないでしょうか。あなたは自分の客観的な姿が見えていないのかもしれません。
 人に信頼されない場合の最も典型的な例は、二枚舌を使う人、ふたごころがある人です。本人にそのつもりはないのかもしれませんが、ふたごころがあって人に近づいたり、表面ではうまいことを言いながら、内心ではまったく違うことを考えていたりする場合です。そのことを相手に見抜かれ、「いやなやつだ」と思われてしまうのです。
 こうしたことは男女のつきあいにおいてもあります。世の中には非常に器用な人がいて、三人も四人もの女性のあいだをじょうずに渡り歩く男性や、自分の美貌を利用して、何人ものボーイフレンドのあいだをじょうずに行き来する女性がいるのです。しかし、それを相手に知られると、完全に信頼を失ってしまいます。
 ところが、当の本人は、どうして信頼されないのか、その理由が分からないのです。
 そして、「私は自分の心のままに動いているのよ。Aさんにも素晴らしいところがあるし、Bさんも、とてもいい人だし、Cさんだって、なかなか隅に置けないわ。それぞれに素晴らしいところがあるから、私は自分の心に忠実に、月曜日にAさんとデートをしたら、火曜日にはBさんとデートをして、水曜日にはCさんとデートをしているだけで、ただ純粋に行動しているのよ。それなのに、私がBさんとデートをしたと言って、なぜAさんが怒るのか不思議だわ。どうして私を信頼してくれないのかしら」と考えたりします。
 こうした人は、「逆の立場だったならば、自分はどのように感じるか」ということをあまり考えたことがありません。「自分は『蝶よ、花よ』と扱われるのが当然であり、他の人とは違って、非常に高いところに位置づけられているのだ」ということを前提としているのです。
 このような人は、いずれどこかで人間関係に破綻をきたすだろうと思います。
(100~103ページ)

人に信用されない人は、自分の性格をもっとよく分析してみる必要がある。

その原因は、自分の言動(どのような考えを持ち、どのような行動をとって生きているか)にある。

人に信頼されない人の典型例は、二枚舌を使う人、ふたごころがある人である──。

心当たりがある人は、よくよく自分の胸の手をあてて、反省してみる必要があると、私は思っているのです。

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大金持ちって、結局は、財欲にしがみついてて、不幸になるだけだよね。悪人なんだよね? なーんて偏ったこと考え方してる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 アメリカの大金持ちに、ロックフェラーという人がいました。二十代で成功し、四十代で大会社の社長となり、膨大な富を得て、巨大な財閥を築いた人です。
 ただ、彼は五十代のころ、「金もうけ主義で人々を苦しめている」と、あちこちから非難を受け、まだ五十代なのに、老いさらばえた老人のようになってしまったのです。胃が痛み、夜も眠れず、体はがたがたになりました。
 そこで、彼は改心し、「この財力を生かして、世界の人々のために役立てよう」と思い、ロックフェラー財団をつくりました。そして、膨大な資金力を使い、世界各地で、教会や病院、学校などを数多く建てたりしたのです。このようなことができた人は、かつていませんでした。ロックフェラーはそれほどの財力を持っていたのです。
 五十代で死にかかっていた彼は、以後、光明思想を持って生きることによって、満九十七歳まで長生きしました。
 大金持ちには財欲がないかといえば、そうではなく、ロックフェラーほどの大金持ちであっても、「びた一文、負けられない」というような商売をしていたのです。その結果、彼は人生が苦しくなり、最後は病気になって、行き詰まりました。しかし、布施の心を持つことによって、新たな人生が開けたのです。
 大金持ちのロックフェラーは、「自分のために、どれだけお金を集めるか」ということから、「世の中のために、どれだけお金を還元するか」ということへと考え方を変えました。そうすることによって、それまでの罪の意識や、いろいろな人の批判、怨嗟の声が消え、明るい人生を生きることができるようになったのです。
(59~60ページ)

ロックフェラーは、人生の前半で大成功して巨大な財閥を築いたが、まだ五十代で体ががたがたになった。

そこで、彼は、「自分のために、どれだけお金を集めるか」から、「世の中のために、どれだけお金を還元するか」へと改心し、布施の心を持って、慈善事業を行なった。

すると、新たな人生が開け、長生きした──。

お金自体は価値中立のものであり、それ自体が善でも悪でもない。

お金をたくさん持っているかどうか、貧しいかどうか、それ自体は善でも悪でもない。

お金をどのように集め、使おうとしているのか、その人の心のあり方こそが問題となるって。

要するに、お金持ちもそうでない人も、愛を与えんとする布施の心を持って実践するとき、天上界から光は降り注ぎ、人は真に幸せになる。

ロックフェラーの後半生は、その鮮やかな具体例であるのだと私は理解しているのです。

『大悟の法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




商売はじめたんだけど、ぜんぜん儲からないんだよね。絶対にあたるはずだったんだけど、客はおかしいんじゃないのかなあ? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 成功していくための秘訣としては、大きく分けて二つあります。(中略)
 一つは、求められているものは何であるかということを常に探ること、何が求められているのかについて、常にアンテナを立てることです。必ず、需要のあるところに仕事が始まるのです。急発展しているところは、みな、その需要というものを敏感に察知して、仕事を始めています。
 需要のあるところに必ず仕事はあるのです。いま、みなさんが仕事をしていて、もし儲からないとすれば、たぶんあまり需要がないのだろうと思います。
 たとえば塾の経営をしていて、生徒が来ない、経営が不振であるというのは、やはり需要がないのです。求められているものを供給していないのです。他の商品をつくっている人でも同じです。儲からないというのは、需要のあるところに供給していないのだと思います。
 今川焼きを売ることひとつをとっても、昔は今川焼きといえば中身はあんしかなかったのに、最近、ある店では、カスタードから始まって、数えきれないほどの種類があるのです。チョコレートが入っているものまであります。そして、ものすごく繁盛しているのです。実際、そうとうの収入があるようです。
 なぜかと考えると、いわゆる今川焼きというのは、老人が食べるもの、あるいは子供が食べるものであり、そのスタイルからいって、若い女性には人気がありませんでしたが、クリームやチョコレートなどを中に入れることによって、女性が手を伸ばしはじめたというわけです。若い女性が食べはじめたので、よく売れるという、たったそれだけのことなのですが、ニーズがあれば仕事は始まるのです。
 これは、会社の仕事でも自営業でも、あるいは家庭のなかの主婦業でもそうです。家族のニーズは何なのかを発見しなければいけません。いつも、需要があるところに、ほんとうにいい仕事がありますから、これを常に発見することです。これが一つです。(中略) もう一つは、そのニーズ、需要を梃子(てこ)として、さらに発展的なことが考えられないかということです。さらに発展的なことが何かないかを考えてみることです。
 そうしてみると、意外にいろいろな可能性が出てきます。その今川焼き屋は、チョコレートやクリームを入れるところで、発明・発見が止まっているのです。「自分はこれを売ってきた」というところに囲いがあるのです。そのなかでの工夫はしているのですが、ひとつのところで成功を収めたならば、その成功を元手にして次のところに出られないかどうかを考えるべきです。これは可能性があるのです。
(56~59ページ)

商売で成功する秘訣の一つ目は、何が求められているのかについて、常にアンテナを立てること。

需要のあるところに必ず仕事はある。儲からないとすれば、需要がないということであり、求められているものを供給していないということである。

さらに、その需要をてことして、さらに発展的なことが何かないかを考えてみること。ひとつ成功を収めたならば、その成功を元手にして次のところに出られないかを考えることである──。

今日は、商売が成功する秘訣について、普遍的な教えをいただいたんだと思います。

これは、商売に限らず、おそらくは、会社の仕事においても、主婦業においても、学校のサークル活動なんかでも、応用が可能なお教えじゃないかと私は考えているのです。
 

『常勝思考』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




人が死んだときって、ほんとはどんなことが起きてるの? なーんて真っ直ぐな疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の書籍『霊的世界のほんとうの話。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私たちは、肉体の死によって滅んでしまうわけではありません。肉体には魂が宿っており、死後は、その魂が肉体から離れ、あの世へと旅立っていくわけです。
 ところが、通常、自分が死んだことが、なかなか分からないのです。もちろん、亡くなって、その日のうちに、さっと肉体から出ていく人もいますが、普通の人は、自分が死んだことが、すぐには分かりません。そこで、しばらくは、病気の延長のようなつもりで、肉体のなかにいるのです。
 そして、周りの人が、「ご臨終です」とか、いろいろなことを言っているのを、「まだ生きているのに、おかしなことを言うなあ」と思って聞いています。(中略)
 「心臓が止まりました」とか言われるので、自分の胸に手を当ててみると、まだ心臓は動いているのです。
 これは心臓の霊体がまだ動いているからなのですが、「あれ、おかしいな。心臓が動いているのに『止まった』と言っている。この医者は誤診をしている。『脳波も停止しました』なんて、大変なことを言っているけれども、現に脳が一生懸命に活動しているのに、何を言っているのだ」というように思うのです。
 このように、通常は、「自分はまだ生きている」と思っていて、死んだことの自覚がありません。しかも最初は肉体そのままの姿でいますから、周囲の状況を変に感じるのです。(中略)また、「おかしいな。体が動かないな」ということもあり、不思議な感覚なのです。
 その日は、お通夜や葬式の準備で、いろいろな人が集まってきたりするのですが、ある程度よく分かっている人だったら、「どうやら死んだかもしれないし、死んでいないかもしれないし」と、しばらくは、もうひとつよく分からない感じがします。
 一方、自覚がまったくない人は、「まだ生きている」と信じているわけですから、「みんながおかしくなった」と思うのです。
 そして、いよいよ、お通夜や葬式が始まり、自分の写真が額縁に入れて飾ってあったりするのを見て、「もう勘弁してくれよ。嫌だよ。まだ死にたくないよ」などと言っているのです。(中略)
 その間、魂は肉体を出たり入ったりしています。まだしばらくは家のなかにいて、ときどき、屋根近く、あるいは天井近くまでフワッと浮いていき、下を見て何だか怖くなって、また戻ってみたりとか、そういうことを繰り返しているのです。
 人間の後頭部には、銀色の細い線で魂と肉体がつながっているところがあります。幸福の科学では、それを「霊子線」と言っています。これが切れないかぎりは、魂が肉体に戻ってくることがありうるのです。しかし、これが切れたときは、もう二度と帰ってくることができません。
 そのように、ほんとうの意味での死は、肉体が機能を停止したときではなく、通常、それから一日ぐらいはかかるものなのです。
(18~22ページ)

肉体には魂が宿っており、死後は、その魂が肉体から離れ、あの世へと旅立っていく。

しかし、通常、自分が死んだことが、なかなか分からず、周囲の状況を変に感じる。

人間の後頭部には、銀色の細い線で魂と肉体がつながっている「霊子線」があり、これが切れたときが、ほんとうの意味での死であり、肉体が機能を停止してから、通常、一日ぐらいはかかるもの──。

この霊的真実について、幸福の科学は、たくさんの書籍はもちろん、過去の映画(たとえば、映画『永遠の法』など)でも、何度も何度も、リアルな形で描き続けてきました。

10月18日から公開されている最新作の映画『世界から希望が消えたなら。』では、主人公は、死という形では霊界を体験しないわけですが、でも違った形で霊的世界との交流が描かれています。

まだ鑑賞していない方には、ぜひお勧めしたい名作映画だと私は思っているのです。

 

『霊的世界のほんとうの話。』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




毎日毎日、ものすごく忙しいんだ。とにかく忙しくって、いろんなこと考えなきゃいけないし、情報は多いし、何をどれから手をつけたらいいのか、全然わかんないの。もう、ほんとにどうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 判断がつかなくなったり、悩んだりして、混乱しているときには、心を落ち着け、鉛筆を持って、それらを紙に書き出してみることです。そうすると、非常に明確になることが多いのです。
 単に「忙しい、忙しい」ということばかり言っている人は、「いま何が問題なのか」「自分はいったい何をしようとしているのか」「自分はいま何をしなければならないのか」「自分は上司に何を言いたいのか」というようなことを、とりあえず、紙に書き出してみることです。たくさん書く必要はなく、メモ程度で充分なので、とにかく、紙に書き出し、並べてみるのです。
 頭が混乱しているときには、「いま問題になっていることは何か」ということを箇条書きにしてみると、すっきりと整理され、「これをすればよいのだ」ということが分かってきます。するべきことが分かったら、あとは、それを一つひとつ順番に消し込んでいけば、それで済むのです。
 ところが、問題の整理がつかず、パニックになる人が多いのです。単純な人は、問題が二つか三つぐらい重なると、パニックになってしまいます。
 道が開けずに困っているとき、参っているときには、メモ程度でかまわないので、一枚の紙に問題を書き出し、考えをまとめてみることです。書くことで、自分との対話が始まり、「自分にとって、いま何が問題なのか」ということが明確になります。こういうことによって、仕事がよくできるようになるのです。
 朝、会社に出勤したら、まず、机に向かい、鉛筆を持って、メモ用紙などに、「きょうは何をすべきか。きょうの自分の仕事は何か」ということを書き出してみてください。
 「一番目はこれ、二番目はこれ、三番目はこれ」という三カ条でもよいでしょう。朝一番に、その日の仕事を三つでも書ければ大したものです。それだけでも、一日の時間効率は非常によくなります。(中略)
 そして、帰り際、六時なり八時なりに仕事が終わった段階で、机の上に紙を一枚置き、その日に自分がした仕事を振り返って、「自分はきょう、これとこれをした」というように、した仕事を書き出し、それがよくできたかどうかを考えてみてください。
 さらに、「きょうはできなくて、あした以降に持ち越した仕事は何か」ということを書き出し、「これは、あした以降の仕事だな」「これは来週の仕事だな」というように整理しておくと、次の日にする仕事がはっきりしてきます。
 このように、「何をしたのか」「何をしなければならないのか」という点を明確化することが非常に大事です。
 これをせずにボーッとしている人は、時間がいくらあっても足りません。時間はただ過ぎ去っていくだけになります。「きょうは、これだけのことをする」「きょうは、これだけのことをした」ということが明確になっている人は、一日の仕事効率が非常によくなるのです。
(97~101ページ)

判断がつかなくなったり、悩んだりして、混乱しているときには、心を落ち着け、鉛筆を持って、「いま何が問題なのか」「自分はいったい何をしようとしているのか」「いま何をしなければならないのか」など、とりあえず、紙に書き出してみること。

箇条書きにしてみると、自分との対話が始まり、「これをすればよいのだ」ということが分かってくるので、あとは、それを一つひとつ順番に消し込んでいけばよい。

また、朝、出勤したら、まず机に向かい、メモ用紙などに、「きょうは何をすべきか。きょうの自分の仕事は何か」ということを書き出してみること。

そして、帰り際、仕事が終わった段階で、今度は、その日に自分がした仕事を振り返って、した仕事を書き出し、反省してみること。さらに、あした以降に持ち越した仕事は何かを書き出し整理しておくと、次の日にする仕事がはっきりしてくる──。

騙されたと思って、ちょっとだけでいいからやってみると、これが悩み解決の極意にして、仕事術の極意の一つでもあるってことが、とってもよく分かります。

つまり、仏法真理を学べば、仕事の悩み解決はもちろんのこと、日々の仕事もよくできるようになるのだと、私は確信しているのです。
 

『幸福の法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大学受験、失敗しちゃったんだよ。浪人してるんだ。なんだか、人生終わりだよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 たとえば、大学受験で失敗し、一年、浪人をすることになったとしましょう。それは、その人にとっては非常なショックでしょう。自分の実力が否定されたということですから、大変なショックであるはずです。
 しかし、(中略)幾つかの逆発想が可能です。その例を挙げてみましょう。
 一番目としては、「これは、自分がもっとよい学校に行けるようにという、仏の計らいかもしれない。現役で、そのまま通ってしまえば、大した学校には入れなかったかもしれないが、もう一年、勉強することによって、もっとよいところに行けるかもしれない。これは、そういうことを教えているのではないか」という考え方もできると思います。
 二番目の考え方としては、「自分に人生の厳しさを教え、豊かな経験を与えるために、こういう試練があったのである。これが、やがて自分が世に出て人を指導するときに、非常に大きな魂の糧となるのだ。まことにありがたいことであり、この機会に、しっかりと努力をして、魂の足腰を鍛えていこう。そして、大人物となっていけるようにしよう」というような考え方もありましょう。
 三番目としては、「これは、自分が非常に傲慢であること、うぬぼれていることを、仏が教えてくれたに違いない。これを機会にして、ひとつ、謙虚な人生を歩んでいこう。謙虚に自分というものを見つめ、こつこつと努力していくようにしよう。他人に認められることばかりを願うのではなく、真実、自分の納得のいく生き方をしていこう。こつこつと積み上げるような、謙虚な生き方をしていこう。そう思うことが、この受験失敗の意味ではないか」というように考える人もいるでしょう。
 また、「浪人生活をするということが、もしかすると、将来、自分が大作家にでもなったときに、作品を書く材料になるかもしれない。(中略)この程度の経験がなければ、将来、そういう大きな仕事はできないかもしれない」というように光明転換していく人もいるでしょう。
 さらに、「この浪人時代に、もしかしたら、人生の親友とも言うべき人を得ることができるかもしれない。(中略)」と考えることも可能でしょう。
 あるいは、「一年、遅れたならば、一年、長生きすればよいではないか。本来、八十歳で死ぬ人生であれば、八十一歳まで生き延びればよいだけのことである」というように考える人もいるでしょう。(中略)
 実業界に出て成功した人を見てみると、若いときに、けっこう、いろいろな試練に遭っている人が多いようです。そういうときこそ、真に魂が磨かれているときであるのです。
 私は、何の魂の磨きもないような青春時代が素晴らしいとは決して思いません。幾つかの蹉跌(さてつ)があり、幾つかの、魂への重しがあって、それを乗り越えていったときに、初めて光というものが出てくるのです。
 これは、若い人についてだけ言えることではありません。中年の人にとっても、また、晩年に生きる人にとっても、同じことが言えると思います。
(99~102ページ)

人生では、幾つかの蹉跌があり、幾つかの魂への重しがあって、それを乗り越えていったときに、初めて光というものが出てくる。

つまずき、失敗があった場合も、それを光明面から逆発想することができないかどうかを常に考えよ──。

つまりは、受験浪人というのも、あなたの人生をより光り輝かせるための、一つの砥石(といし)なんだってことです。

「人生は一冊の問題集である」という、幸福の科学の初期からの有名なお教えがあります。

今日のお教えは、この人生の問題集の意味を、別の角度から教えて下さったのだと私は思っているのです。

『成功の法』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




コンピュータ社会だよね。インターネットで情報を得るのは、もう普通にできるし、いろんなデータも、昔と違ってあっという間に手にできるんだから、ほんとに便利だよね。だから、こういうコンピュータで得られる情報をもとにして判断しないと、会社経営だってなんだって、間違っちゃうよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 コンピュータ社会のなかで、私たちは、情報というものに非常に敏感になっていて、インターネットで見た数字などをすぐ信じる傾向があります。
 しかし、基礎情報そのものが間違っていたり、操作されたりしている場合には、それが正しいかどうかの判断はできなくなるわけです。
 例えば、中国の人口は、今、約十三億人と言われていますが、本当の人口は分かりません。中国は「一人っ子政策」を長くやっていますが、実際には、「役所に届けているのは一人だけで、二人目以下の子供は届けていない」ということが現実にあり、政府当局でさえ、本当の人口をつかんでいないのです。
 このように、基礎データ自体が間違っていたら、いくら情報を検索して調べたところで、何の意味もありません。(中略)
 旧ソ連が崩壊したあと、ロシアの経済はガラガラと崩れ、表には出てこない地下経済、すなわち、闇取引による経済が非常に発達しました。(中略)経済の実態が全然分からないため、統計などまったく信用できない状態だったのです。(中略)
 このように、各種機関が発表している統計のなかには、必ずしも実態を正確につかんでいないものもあります。そのため、経済の数値そのものも、やはり信用できないところはあります。
 今は情報過多の時代ではありますが、情報に踊らされないよう気をつけなければいけません。紙の上に打ち出された数字や、画面上に出てきた数字を信じすぎることの“怖さ”を、知っておいたほうがよいでしょう。
 また、「統計等は意図的につくれる」ということも知っておいたほうがよいと思います。例えば、政府が発表する経済指標等は、「今年は何パーセント成長にしよう」と結論を先に決め、それに合わせてつくることもできるのです。(中略)
 何が起きているのかが分からなくなってきたら、原点に戻り、本道に戻って、物事をシンプルに考え直すことが必要です。
 前述したサブプライムローンについても、「低所得者層でも、『自前の家を持てる』というアメリカンドリームを本当に実現できるのか」とシンプルに考えてみたら、普通は、「そのようなローンは焦げ付くのが当たり前」という結論が出てくるはずです。
 それと同じように、ほかのことについても、もう少しシンプルに考えないと危ないのです。
 例えば、社長がコンピュータの情報だけを見て経営判断をしていると、経営危機がやってきます。
 コンピュータの情報だけではありません。内部の報告書類だけを見て判断することも同じです。情報というのは、いくらでも変化・変形させることができるので、とても怖いものでもあるのです。
 したがって、不況期においては、原点に立ち帰る努力をしなければなりません。
(28~32ページ)

いくらインターネットで手軽にデータが得られるといっても、その基礎情報そのものが間違っていたり、操作されたりしている場合には、正しい判断はできなくなる。

また、統計等は意図的につくれるものだと知ること。

何が起きているのかが分からなくなってきたら、原点に戻り、本道に戻って、物事をシンプルに考え直すことが必要である──。

触れられている中国の人口がちょっと少ないのは、2009年に出された書籍だからでしょう。

でも、そこに説かれているお教えは、いくら時間がたっても、とても普遍的なものです。

要は、コンピュータの情報や数字を盲目的に信じるのではなく、物事を自分の頭でシンプルに考え直す努力を忘れてはならないってこと。

世間は、AIとかいってどんどん進歩していますが、この基本を忘れないようにしたいと改めて私は思っているのです。

『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




希望を実現したいよね。そのために基本的に学んでおかなきゃいけないことって、あるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 一般的に、希望の実現は幸福の達成そのものでもあります。幸福の科学においても、希望の実現は、求めている幸福を達成するために、とても大事な考え方であると言ってよいでしょう。
 そもそも、「いかなる希望を胸に抱くか」ということは、ある意味で、「その人が、いかなる人物であるか」ということを表しているものなのです。
 また、「何を希望するか。どのような事柄の実現を心から願うか」ということは、その人の人生の運命を方向づけるものであるとも言えます。すなわち、「その人の希望を見れば、その人の運命が見える」ということです。
 しかも、その希望が、表面的な、一時的なものではなく、「自分の人生にとって、どうしても、そうでありたい」という願いとして、繰り返し繰り返し、長期にわたって、深いところから出てくるものであれば、それは、やはり、その人の本質と深く結びついていると言えるでしょう。
 したがって、まず点検されねばならないのは、「目指している希望なるものは、正当であるか」ということです。希望の実現は、まずは、この点にかかっています。
 正しい希望であるならば、その実現を目指すことは、もちろん、よい方向であり、それによって他の人を害することもありません。また、天上界の諸霊も、その実現を導くことにおいて、ためらうことはないでしょう。
 まず、「その思い、願いの正当性は、どうであるか」ということを、常に自己点検する必要があります。
(16~18ページ)

目指している希望は、正当なものであるかが、まず点検されねばならない。

正当な希望であるならば、自らのためにもなり、他の人を害することもない。

天上界の諸霊も、その実現を指導するのにためらうことはない──。

要は、実現したい希望がある人は、自分の希望が正当なものなのかを虚心に点検することが、その実現のための出発点だってこと。

希望実現のための基本。

今日もまた、とても大切な教えをいただいたと私は改めて思っているのです。

『希望の法』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




うちの親父なんだけど、酒を飲んではどなり散らすし、他の人の批判ばかりしてるんだよね。おっかしいよね。どういうふうに接してやればいいのかなあ?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 あなたには、お父さんの姿が全部は見えていないようです。(中略)
 彼には、かなりの挫折体験があるのです。もともとプライドの高い人なのでしょうが、そのプライドがそうとう傷ついているのです。間違いありません。
 あなたのお父さんは、仕事で、不本意な扱いを受けたり、不本意な結果に終わったりしたことが、おそらく何度かあるはずです。
 プライドがあり、自信もある人が、挫折などによってプライドを傷つけられた場合、一般的な症状として、「その傷口を埋めないと、どうしても気が済まない」ということがあります。しかも、その傷口を他の人には気づかれたくないのです。
 そうすると、現れ方は幾つかありますが、最も典型的なのは、「他の人の悪口を言う」「環境を批判する」など、攻撃的になることです。それによって、プライドを守ろうとするのです。これが最も多いパターンです。他の人を批判することで自分の傷口をカバーしようと思ってしまうわけです。
 ほんとうは自分の問題だと知ってはいても、それに目を向けたくない、あるいは、それを他の人から指摘されたくないのです。そうすると、批判癖が出てくるようになるのです。
 あなたのお父さんがお酒を飲むのは、「自分をごまかしたい」という気持ちが強いからです。酒飲みというのは、たいてい、理性を麻痺させたいのであり、「現実から逃げたい」という気持ちが強いことだけは、間違いないのです。(中略)
 そういう人に自分の傷口を客観視させるのは、必ずしもよいことではありません。逆に、よい部分をほめるほうが効果的だと思います。
 プライドの傷ついた男性は、手負いのライオンのようなところがあり、極めて危険なので、その部分をどこかでカバーしてあげたほうがよいのです。
 あとは、そっとしておいてあげることです。批判がましいことは口にせず、何を言われても、「やがて台風は過ぎ去っていくのだ」と思って、受け流していくほうがよいと思います。
 このときに大切なのは愛の強さです。お父さんを“信仰”することです。お父さんは、ほんとうは素晴らしいはずです。そう思ってあげなければいけません。
(37~41ページ)

挫折体験のあるお父さんの傷ついたプライドの部分をカバーしてあげること。

あとは、そっとしておいてあげること。

このときに大切なのは愛の強さであり、お父さんを“信仰”すること──。

子供や家族の立場からはなかなか見えにくい、中年男性の傷つきやすい現実。

そこを家族がどういうスタンスでケアしてあげれば、また素晴らしい男性として、社会人として、復活していくことができるのかって。

大川隆法先生がこんな透徹した教えを説かれるのは、やはり人生の達人だからこそなのだと、私は思っているのです。

『幸福へのヒント』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




勇気を出せとか、チャレンジせよ、って言われて、それもそうだとは分かるんだけど、でも、どうやったら勇気が出るの。どうやったらチャレンジできるの。だって、怖いじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『朝の来ない夜はない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生に必勝するための条件として、「先見性」と「胆力」を挙げ、「胆力は、特に、宗教的な修行で養えることが多い」ということを述べました。
 さらに述べるとするならば、「最後は、やはり、『勇気』『チャレンジする精神』が必要である」ということです。
 「壁」というものは、実際にぶつかってみると、破れることが多いのです。
 「無理だ、無理だ」と言っている人の意見を聴いていると、本当にそのような気もしてきますが、そういう人に対して、私は、「まあ、やってみなさい」と言いたいのです。やってみたら、意外にできることもあります。
 不況になると、どこも言い訳の山になりますが、うまくいかないことの言い訳を、いくら理路整然と説いたところできりがありません。
 それよりも、勇気を持って行動する、チャレンジすることが非常に大事です。
 チャレンジできない理由は、ほとんどの場合、失敗を恐れる心があることです。過去につくった栄光やプライド、虚名などが、自分をチャレンジから遠ざけているのです。
 今、マスコミ等は「恐慌が再来するのではないか」と言って、いたずらに恐怖心を煽っています。しかし、かつての大恐慌のとき、アメリカ大統領のフランクリン・D・ルーズベルトは、就任演説で、「恐れなければならない唯一のことは、恐れるということ自体である(The only thing we have to fear is fear itself.)」と語り、恐怖と闘うように国民を鼓舞しています。
 では、恐怖と闘う方法とは何でしょうか。それは、自分がいちばん怖がっていることをやってみることです。
 自分をいちばん萎縮させ怖がらせているもの、あるいは、自分がいちばん人の目を気にして恐れていることにトライすることです。チャレンジすることです。そうすると、恐怖は消えていくのです。いちばん恐れていることと果敢に闘うことによって、恐怖は克服することができます。「恐怖をこそ恐れよ」というのは本当なのです。
 不況期には、いろいろな恐怖があるだろうと思いますが、恐れずにチャレンジしてください。恐怖こそ、克服すべき相手です。
 もちろん、恐怖を乗り越えていくためには「信仰心」や「熱意」が必要です。そして、その熱意は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』にも書いてあるように、使命感から生まれてきます。
 したがって、恐怖を乗り越えるためには、自分の志や会社の経営理念のなかに、“魂”を打ち込むことが大事です。
 「会社の経営理念に“魂”が入っているか」「自分のビジネス理念に“魂”が宿っているか」「本当に、天下国家、万民のためにやろうとしているか」ということを自らに問うことです。さすれば必ず道は開けていきます。
(120~123ページ)

人生に必勝するための条件は、先見性と胆力。そして最後は、勇気。うまくいかないことの言い訳を、いくら説いてもきりがない。それよりも、勇気を持って行動、チャレンジすることが大事である。

チャレンジできない理由は、ほとんどの場合、失敗を恐れる心があること。恐怖と闘う方法は、自分がいちばん怖がっていることにトライし、チャレンジすること。いちばん恐れていることと果敢に闘うことで、恐怖は克服することができる。

恐怖を乗り越えていくためには、信仰心や熱意が必要。その熱意は、使命感から生まれてくる。自分の志や会社の経営理念のなかに、“魂”を打ち込み、これを自らに問うことで、必ず道は開けていく──。

なるほど、なるほど、です。

今日は、人生に必勝するための大事な大事なエッセンスを、簡潔に教えていただきました。

ご紹介した本書は、2009年に出版された書籍ですから、もう10年も以前のものです。

でも、本書は、「仏法真理」が何年たっても古くならないことを証明した書籍の一つでもあると私は思っているのです。

『朝の来ない夜はない』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ