浄土真宗では、「悪人こそ救われる」って教えがあったりするんでしょ。ほんとなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『親鸞よ、「悪人こそ救われる」は本当か』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。
まえがき
本書の原稿を読み返してみて、つくづく親鸞という人は難しい人であり、難しい思想家なんだな、と感じるものがあった。個人として善悪に苦しみ、弥陀の救いを求めることは理解できるが、「その考えを、日本人全体や世界全体に広げるとどうなるのか」については、親鸞自体も考えてなかった節がある。伝統仏教から見れば、女犯妻帯の罪や、「南無阿弥陀仏」を称えるだけで救われる、あるいはその一念を起こしただけで救われるという考えは、堕落への道に見えたことだろう。修行を中心とする仏教を「登山の思想」とすれば、「下山の思想」にも見えたことだろう。
背景には比叡山で学んだ「天台本覚思想」があるのだろうが、「人間はもともと悟っている存在である」という考えが、「だから、この世で何をやっても成仏できる」という結論に直結するかどうかは、幸福の科学の教学を勉強して初めて明らかになるであろう。いずれにせよ、日本仏教の最大の盲点、「日本教」の原点が浮きぼりになる一書である。
あとがき
大量殺人を企図したオウム教が摘発され、その首謀者のほとんどが「死刑」宣告されて、日本の宗教学者の多くは悩乱し、戦慄した。適度な仏教用語と形式をもちいて、親鸞の「悪人正機説」(〈弥陀は悪人こそ優先して救われる〉とする思想)と合体させれば、思想的には、宗教による犯罪はほとんど合理化できるし、世界での宗教テロの善悪も判定できなくなるからである。
しかし、冷静になって考えてみれば、言論の自由がいかに現行憲法で重要であっても、はっきりとした事実誤認や極度な人権侵害が許されるわけではないのと同じだ。ある程度客観的な相当性の基準はつくれるし、いわゆる「正義」を求め続けるなかに、「智慧」も生まれてくるものだろう。
私は、親鸞の教えも、日本の思想としては重要なものの一つだと思っているが、現代的には、「幸福の科学」の教えと照らし合わせて理解していくことが正しいと思う。仏教思想の中心は「縁起の思想」であり、「原因・結果の法則」であることは間違いない。
(1~2、148~149ページ)
仏教思想の中心は「縁起の思想」であり、「原因・結果の法則」である。
親鸞の教え「悪人正機説」(〈弥陀は悪人こそ優先して救われる〉とする思想)も、現代的には、「幸福の科学」の教えと照らし合わせて理解していくことが正しい。
したがって──。
大川隆法先生って、政治に関する御著書も多いし、いま生きてる人の守護霊をはじめとして、ものすごい数の「霊言集」(霊の言葉を活字にした書物)を出しておられます。
その中でさりげなく、こんな形で、既存仏教の問題点を真正面から探究する「霊言集」も出しておられるわけです。
浄土真宗の宗祖である「親鸞」その人自身に、対話の形で真正面からその思想の是非を問うた本書は、史上最大の霊能者でもあられる大川隆法先生が、いまこの世においでだからこそ刊行された、奇跡の書籍です。
ですから、浄土真宗の教えを深く学んだ方はもちろんのこと、「日本仏教の最大の盲点」に興味がある方、必読の文献だと改めて私は思っているのです。
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『親鸞よ、「悪人こそ救われる」は本当か』
大川隆法著
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