ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「右翼」って人たちいるでしょ。軍歌を流して、街宣車で走り回ってるイメージだよね。皇室や日本の国そのものを、長い間、指導してきたと言われてる日本神道系の神々は、この人たちについては、どう考えてるの? なーんて疑問持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『保守の正義とは何か』(幸福の科学出版)で、日本神道系の最高神霊である天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の霊言(神示)を、次のように伝えておられます。

 今の右翼は、「右翼」ではありません。
 右翼と言っても、彼らの大多数は、戦後の左翼教育のなかで育った“右翼”なのです。
 彼らは、皇室、皇統(天皇の血筋)を尊重することを宗としているのであろうけれども、それもみな、資料でのみ勉強した知識でやっているのであって、宗教性や信仰心に基づいたものではないと、私は思います。
 本当は、神仏の存在や霊的存在、あるいは霊界の存在については、よく分からないのだろうと思うのです。特に、現在の右翼には信仰心がほとんどありません。信仰心がないので、任侠道のほうに行っているのでしょう。
 そのもとは孔子の儒教です。孔子の儒教と、日本の皇室とは、つながりはございます。同じ紫色光線[注]のなかにあるので、似てはおりますが、「孔子そのものは、宗教家として見たならば、不十分な人生を生きた」と私は見ております。
 孔子は、「天」という言葉を使ってはおりますが、あの世の存在について説き切れていないし、霊や悪霊等についても十分に説き切れておりません。つまり、儒教は、宗教としてはまったく不十分なものであり、どちらかといえば、政治家を目指した運動であったと思われます。秩序ある政治を目指したのが孔子の運動なのであって、宗教とおぼしきものは、その礼節の教えのなかに吸収されていたのではないかと思われます。
 日本神道も、礼節を重んじるものではあります。日本神道においては、礼節を作法として重んじますが、その奥に、信仰心や神の存在というものを、はっきりと認識しております。その意味において、日本神道は、儒教よりも遙かに宗教的なものであると考えております。
 儒教では、徳の発生源として「智」「仁」「勇」を挙げています。こういう思想が日本に来たわけですが、それが、「『仁義を切る』とか、『勇敢な行動を取ってみせる』とか、そのような“ヤクザの行動原理”にしかなりえていない」ということは、宗教としての未熟以外の何物でもないと思います。
 これは、孔子および孔子一派が教えとして十分に説き切れなかったものを、生半可に日本に移入したために起きている現象かと思われます。
 儒教は、行動の原理だけを中心にすることができるのです。ですから、孔子学派であっても、その教えのなかから思想性・抽象性あるいは神秘性の高い内容を排除してしまうと、右と左で逆にはなるのだけれども、ある意味で、マルクス主義と同じように行動のみを重視する考え方が出てくるのです。
 儒教の流れのなかでは、王陽明の陽明学がそうです。「まず行動あれ」「革命あれ」という考え方です。「学んだら、行動は即起きる」という考え方をして、短絡的に行動に移る人が出てきます。
 マルクスは、おそらく陽明学を学んでいなかったでしょうが、「書を捨てて街に出、行動する」という考え方は、ほとんど同じでしょう。
 左翼と右翼は、それぞれ極端まで行くと、だいたい似てくるのです。極左と極右は同じようになるのです。
(36~41ページ)

今の右翼は、宗教性や信仰心に基づいたものではなく、その意味で本当の右翼ではない。

信仰心がないので、任侠道に行っているが、そのもとは、日本神道と比べて宗教性が未熟な、孔子の儒教である。

だから、儒教の教えのなかから思想性・抽象性、神秘性の高い内容を排除してしまうと、マルクス主義と同じように、行動のみを重視する考え方が出てきてしまう──。

御皇室というのは、本来、日本神道の最高の祭司の立場にある方々ですから、天御中主神は、その御皇室を敬う右翼の方々も、尊崇し信仰すべき最高神であられるはずです。

その神様は、右翼の方々が信仰心を十分にもつことなく活動しておられることに、とても厳しい目線を持っておられることが、この霊言(神示)で、明らかにされています。

でも、右翼の方々も、理想を掲げて活動しておられるわけで、その理想が一致するところで、ともに活動できないものなのかと思ったりもするのですが、やはり簡単なことではないのでしょうか…。

というわけで、激動の年となった2010年も、静かに暮れていこうとしています。

毎日、このブログを愛読してくださったみなさま、本当にお世話になりました。また来年も、よろしくお願い申し上げます! 



『保守の正義とは何か』

大川隆法著

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待てないよね。ガンガン攻めるのが人生だよね。のんびりしてると、人生おわっちゃうよね? なーんて人生送ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生は順風のときだけではありません。「一生、順風が続く」ということはありえないと思って間違いないのです。やはり、何年かおきの周期で、さまざまなことが起きます。よいこともあれば、悪いこともあります。
 「最高のピークが来たかと思うと、そのあとで奈落の底に落ちる」というのは、よくあることです。「勝利したあとに大敗北が待っている」というのも、よくあることです。そうした上がり下がりの周期はあるものだと思わなければいけません。(中略)
 やはり、腰を据えて、時が来るのを待つことです。時を味方にしなければいけません。自分が勝てるときというのがあり、勝てるときに勝負をすると大勝するのですが、負けるときに勝負をかけたら大敗します。
 したがって、時を味方につけなければいけないのです。その意味で、「いまが勝負のときかどうか」ということを、よく見極める必要があります。自分にとって旗色が悪いときに、無理にがんばって玉砕してはいけないのです。そのときには、兵をたたんで退却し、次のときを待たなければいけません。
 兵をたたんで退却するというのは、きわめて難しいことです。特に、若い人の場合は、「撃ちてし止まん」で、玉砕する方向にどんどん行ってしまうことがあります。負ければ負けるほど、がんばってしまうようなところがあるのです。
 しかし、「時に利あらず」と思ったら、いったん兵をたたんで退却し、次の機会を待つことです。これは非常に老練な考え方ですが、人生全体で勝利するためには非常に大事なことなのです。
 現時点ではどうにもならないこと、あと何年かたたなければどうにもならないことはあるので、その時期には無理をせずに力を養うことが大切です。「その時点で勝負をしなくてよいこともあるのだ」ということを知らなければいけません。
 時を味方につけることです。「時に利あらず」と思ったら、不動心でがんばることです。また、将来を期して力を蓄えることです。蓄積に入ることです。
 時期が来ないものについては、勝負をかけても成功しないので、時期を待つことです。二年、三年と時期を待てるというだけでも大物の資格があります。(中略)これが不動心の考え方であり、やや老練ではありますが、そういうものだと思っていれば、そのように人生を生き渡っていくことは可能です。
 「この難局から抜け出るのに何年ぐらいかかるか。一年か、三年か、五年か」と、ある程度、目星を付けて、その期間を耐えなければいけません。
 その耐えているあいだはどうすればよいかというと、日めくりを破りながら、一日一日を消し込んでいくことです。一年も二年も先のことはなかなか待てないので、毎日毎日を充実させて消し込んでいくことです。とにかく、きょう一日、自分としてできるだけのことをしていくことです。心を波立たせずに、やれるだけのことをやっていくことです。
 そういうかたちで一日一日を充実させ、力を蓄えて、時が来るのを待つということが大事だと思います。
(76~80ページ)

人生は順風のときだけではない。何年かおきの周期で、よいこともあれば、悪いこともある。

だから、時を味方にしなければいけない。腰を据えて、時が来るのを待つこと。

時に利あらずと思ったら、不動心で、将来を期して一日一日を充実させ、力を蓄えることである──。

人生を周期として捉えて、長い目で人生の勝利を説かれる、この仏の叡知の言葉を、若い人であればあるほど、じっくりと味わい実践して、真の人生に勝利していきたいものですよね! 



『常勝の法』

大川隆法著


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幸福の科学の大川隆法先生は、『日本を救う陰陽師パワー 公開霊言 安倍晴明・賀茂光栄』(幸福の科学出版)で、安倍晴明の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 現代の天文学者たちは、宇宙の天体を望遠鏡で観察しているのみでありましょうが、信仰の力というものは、そうした時空間を乗り越えるものであるのです。
 地球人のなかには、かつて宇宙から来た人たちの魂がいますし、その母星にまだ残っている者たちもいます。天文を信ずる力によって、実は、もといた星の人たちのパワーを呼び寄せることができ、それを威神力の一つとして使うことができるのです。
 あなたがたも、今後、努力して、「宇宙の法」を上手に形成し、使いこなすことができるようになったならば、この世の人たちが、その実在をまだ十分に確認できていない、宇宙のパワー、宇宙人のパワー、さまざまな星の人たちのパワーを使うことができるようになるわけです。
 最初は、アイデアやヒントのレベルで、そして、次の段階は、物事を現実化する能力のレベルで、そのパワーを引いてくることができるようになります。まずは、知ることが大事であり、知らないことは実現しません。「天文には力があり、いろいろな星から力を引いてくることができる」ということを、「知っている」ということが大事なのです。
 オリオン座とエジプトのピラミッドは、当然、関係があります。ただ、あなたがたには、あなたがたの力を強める星がありますので、その星の力を引いてくることが大事でしょう。そうした星から優れた指導力や未知なる力を教団に引いてくることは、宗教の仕事としては可能です。(中略)
 ピラミッドには底辺があって、そこから頂点にすべてが集まっていき、その頂点が天上を向いているわけです。つまり、ピラミッドというのは、宇宙に向けて念いを発信する装置なんですね。(中略)実は、宇宙の天体にいる人々と交信するための大きな装置であり、「ピラミッドが大きければ大きいほど、遠い星まで交信が可能となる」という考え方があったのです。(中略)
 ピラミッドのなかで、霊的秘術を持った神官が、瞑想をし、体外離脱体験を行うわけです。そうしますと、魂が、宇宙の他の星まで飛んでいきます。また、向こうからもやってきて、いろいろな情報を伝えてくれるわけです。
 そのような、異次元空間を通じて宇宙交流をするための装置というのが、実は、ピラミッドの役割であり、そうしたことを行う人が、外敵など、外からのさまざまな干渉を受けないようにするために、ピラミッドは強固な要塞のような形をとっているのです。(中略)
 金星と交流する。琴座のベガと交流する。あるいは、プレアデス星団と交流する。まあ、いろいろあるでしょうけれども、そうした星々に住んでいる高度に進化した者たちは、ある意味での神々でもあるわけなので、彼らの智慧と奇蹟の力を引いてくることが大事ですね。
 私も、生前は、昴、すなわちプレアデスの力等を十分に使っておりました。肉眼で見える星ですのでね。
(46~49、52~53ページ)

天文を信ずる力によって、もといた星の人たちのパワーを呼び寄せることができ、それを威神力の一つとして使うことができる。

ピラミッドは、実は、宇宙の天体にいる人々と交信するための大きな装置であり、「ピラミッドが大きければ大きいほど、遠い星まで交信が可能となる」という考え方があった。
安倍晴明も、生前は、昴(すなわちプレアデス)の力を十分に使っていた──。

幸福の科学では、最近、「プレアデス・ヒーリング」という祈願が始まったりしてるのは、こういう教えが背景にあったんだって考えたとき、腑に落ちます。

2010年は、「『宇宙の法』入門」と題した公開霊言で幕をあけたんでしたけど、ふと気がつくと、ものすごく強力な、新たな法門が、さりげなく開かれていたんだってこと、なんですよね!



『日本を救う陰陽師パワー』

大川隆法著


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私って、借金ばっかりで、ほんっとに貧乏なんだよね。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 借金、貧乏といえば、ひと昔前のことのように思う人がいるかもしれませんが、現在でも、残念ながら、借金に泣き、貧乏に苦しんでいる人は多いものです。
 その多くは、だいたい、次の二つの理由によります。
 第一の理由は、お金の使い方を知らないということです。これは、お金が少しでも入ると、すぐ有頂天になり、いろいろなことにつぎ込むタイプです。
 昔からの例としては、競輪、競馬、マージャンといったものにお金をつぎ込む人がいます。それ以外にも、株などの投機的なことをやって、お金を失ってしまう人がいます。こうしたタイプが典型的なものです。このように、お金の使い方を知らないために、借金、貧乏が続いている人がいます。
 第二の理由は、どう見ても収入的によくない仕事をしているということです。これは、生来の貧乏性で、いつまでたっても、うだつの上がらない仕事をしているタイプです。
 なぜそうした仕事に甘んじているかといえば、結局、本人が自己限定をしているからです。「自分という人間は、こんなものさ。自分はどうせ、一生、その日暮らしの男さ」というように自己限定をしていて、向上心がなく、工夫や新発見をしようとする気持ちのない人が大勢いるのです。
 十年一日のごとく働いても、「貧乏暇なし」で、お金は貯まらず、ぜいたくがまったくできないのです。貧乏が板についてしまい、「現在以上の収入があるのが怖い」という、まさしく「幸福になれない」症候群の代表的な例でもあります。お金持ちになるのが怖いのです。そうした習性が身についていると言ってもよいでしょう。
 これをさらに深く見てみると、金銭に対する罪悪感を持っている人も数多くいます。こうした人たちのなかには、信仰心、宗教心の強い人が多いのです。仏教やキリスト教など、宗教的なものをいろいろと勉強したことがあって、「金銭は罪悪だ。欲望は罪だ」という考え方が頭のなかに根強くあるわけです。
 そのため、本人がそれと気づかないままに、お金が入ってくるとすぐ使ってしまったり、なるべくお金の入ってきにくい仕事を選んだり、お金があまり入らないよう、ほどほどに仕事をしたり、出世しそうになると、わざと挫折をしてみたりします。
 そうしたことをくり返す、受難癖のある人、つまり、「自分を殉教させてみたい。自分を十字架にかけてみたい」というような潜在願望を持っている人がけっこういるのです。そして、「借金があり、貧乏だ」ということを、「大いなる不幸に襲われ、その試練と戦いながら、日々、生きている」ととらえ、それに非常に生きがいを感じているわけです。
 こうした自己犠牲的な魂は、いつの時代でも、自分が順風であるときには満足できません。あまりにも大きな成功が転がり込んでくると、「何か悪いことが起きるのではないか」と、逆に不安になり、貧乏長屋の貧乏暮らしがいつまでも抜けないという性格なのです。
(251~254ページ)

借金、貧乏の理由の第一は、お金が少しでも入ると、すぐ有頂天になり、いろいろなことにつぎ込んでしまったりするように、お金の使い方を知らないことにある。

理由の第二は、生来の貧乏性で、いつまでたっても、うだつの上がらない仕事をしていることにある。

そして、そうした仕事に甘んじているのは、結局、本人が自己限定をしているからであり、その原因の奥底には、金銭に対する罪悪感がある──。

・・・こういう場合の考え方については、一度、ご紹介したことがあります。

要は、「豊かさは決して罪ではない」と、しっかり心に刻むこと、なんですよね! 



『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著


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ラムディア文明については、一度、ご紹介しました。でも、これって、「レムリア文明」と違う文明なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神々が語る レムリアの真実』(幸福の科学出版)で、九次元霊にして、インド神話で有名なマヌ神の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 今、われわれは、「ラムディア」と称しておりますけれども、そのように呼んでいるのは、おそらく幸福の科学だけだと思われます。
 「レムリア」というのは、先日、あなたがたが、ゼウス、つまり大聖エレマリアから、説明をお聴きになったとおりです(第1章参照)。
 「レムール(lemur)という英語はキツネザルを指している。このレムールと言われるキツネザルは、今のアフリカの東側にあるマダガスカル島と、他の、インド洋の島々には棲んでいるが、アフリカ大陸やインド亜大陸、ユーラシア大陸には棲んでいない。海を隔てた島にだけ棲んでいるので、それらは、かつて地続きであったと考える以外にない。その場所には、おそらく大きな大陸があったのではないか」
 このような仮説が出されたのは、百年あまり前です。そのレムール、キツネザルに因んで、レムリアという名を仮に付けられたのが、「レムリア大陸」、あるいは「レムリア文明」なのです。
 ですから、もし過去の時代の霊人が現れて、「自分はレムリア人だ」とか、「レムリア文明」とか称して、それ以外の呼び名を知らないようであれば、それは、本当のことを言っていないと思います。
 ラムディアの「ラ」というのは、普遍的に使われています。英語では、「LA」と書く場合と、「RA」と書く場合の両方がありますが、昔の発音は同じだったのです。この「ラ」というのは、「光」「神の光」という意味であり、非常に普遍的で、長く使われています。
 それから、ラムディアの「ム」は、今、マザーとか、ママとか、あるいはムター(Mutter/ドイツ語)とか言われているように、「母」を意味します。
 そして、「ディア」という言い方は、実は女性名詞を表しています。当時、「美しい大陸」のことを「ディア」という言葉で表していたのです。
 ですから、「神の光に満ちた、母なる美しい大地」というのが、ラムディアの意味です。
 このラムディアとムーとは、語源的にはつながっているものがあります。ムーと、ラムディアの「ム」は、語源的にはつながっていて、いずれも「母なるもの」と関係があります。
(221~224ページ)

なるほど、『太陽の法』の初版では「レムリヤ」と紹介されていたのが、新版では「ラムディア」に変更されたのは、このあたりの事情もあったってことなんでしょうね。

そして、そこに住んでいた種族というのは? というあたりは、超古代文明ファンにはとても興味深い話になりそうですが、それはまた次の機会に!



『神々が語る レムリアの真実』

大川隆法著

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念いで仕事をするって話、聞いたことあるんだけど、それってどういうことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 成功、あるいは発展、繁栄というものも、仏神が創った宇宙の要素の一つであり、宇宙のなかに遍満し、至る所にある要素です。
 この繁栄の想念を常に発信し、形成していくと、それは、ちょうど磁石のようになって、まわりの世界に影響を与えていきます。
 砂鉄を紙の上にまいて磁石を近づけると、砂鉄が磁石に引きつけられ、見事な波紋を描きます。それと同じように、繁栄という方向に向かって、ある人が“電磁波”を出しはじめると、その電磁波に合わせて、成功の要素になるものが集まってくるのです。アイデア、協力者、お金など、さまざまな成功の要素が、その力によって、ぐっと引き寄せられてきます。
 このように、心の作用というものは実体を持っているものなのです。どのような心を持つかによって、自分自身が変わり、その変わった自分は、一種の磁石のような作用を持ち、一つの創造性を持ちます。その創造性は、自分自身の現在および未来を変えていき、さらに、他の人の未来をも変えうる力を持ちます。そして、それは自分と他の人を変えるのみならず、同時に世界をも変え、宇宙にも影響を与えていくのです。(中略)
 私は、自分の悟った内容を、法話として説いたり、本として出したりして、いろいろなかたちで、みなさんにお伝えしています。その仏法真理の本は、一冊一冊が巨大な“磁石”です。そういう磁石が何百万の単位で世の中に出ていき、人々の心を変えていくのです。
 その磁石に引きつけられた人は、その人自身もまた磁石に変わっていきます。それはちょうど、長いあいだ磁石にくっついていた鉄が、それ自体もまた磁石となって、ほかの鉄をくっつけるようになるのと同じです。磁石そのものが、他のものをまた磁石に変えていく力を持っているのです。
 伝道も、結局、こういうことなのです。「心の法則を伝えたい」という熱意そのものが磁石となって、心の法則が伝わっていきます。そして、心の法則を知り、その使い方をマスターした人は、この世において、真実の人生、幸福な人生を生きられるようになります。さらに、それを自分で味わって幸福な感覚を得た人が、また新しい磁石となって、それを発信していきます。これが伝道の過程なのです。
(238~242ページ)

成功、発展、繁栄というのも、仏神が創った宇宙の要素の一つであり、宇宙の至るところにある要素である。

この繁栄の想念を常に発信していくと、ちょうど磁石のように、まわりの世界に影響を与え、アイデア、協力者、お金など、さまざまな成功の要素が、ぐっと引き寄せられてくる。

このように、心の作用というものは、実体を持っている──。

つまりは、人は、発展、繁栄の強い念いを出すことで、ほんとうに成功していくことができるんですね。

私たちも、この仏の教えに素直に従って、幸福になっていきたいものですよね!



『大悟の法』

大川隆法著


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いまの学校って、ほとんど宗教のことは教えないし、もちろん宗教心なんて、あり得ない話なのが普通だよね。それでいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』(幸福の科学出版)で、「シュタイナー教育」で有名なルドルフ・シュタイナーの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 まあ、「宗教心なき教育」というのは、基本的に、創造性の破壊だと私は思いますねえ。
 ですから、「現代の教育が、知識を中心に組み立てられ、行われている」ということは、それによって失っている半面が必ずあるはずですね。その失っている半面は、おそらく創造性だと思います。
 創造性のもとは、やはり、インスピレーションであり、それは霊界の存在を前提としています。ですから、霊界からのインスピレーションを、本人の職業形成に役立てる方向で受けられるような教育をしていくことが大事です。そうした、インスピレーショナブルな人が数多く出てくることによって、社会は、新しいルネッサンス期を迎えることができると私は思います。
 今の日本の教育は、全国一律ですね。それは、明治以降の、えー、四民平等ですか? 「生まれによらず、教育を一律に行って、国民のレベルを上げる」ということには成功していると思うんですけれども、神の恩寵にあずかるような教育からは遠ざかっています。むしろ、「そこまで届いていない」と言うべきかもしれませんね。
 要するに、「秀才をつくるところまでの教育しかできていない」ということです。神の恩寵にあずかるほどの天才が出てくるような教育には至っていません。
 天才の根拠は、何と言っても創造性ですよ。創造性のある人を育てられなければ、天才は生まれてこないし、そもそも、学問が創造性を破壊する方向に動いているのならば、やはり、一考を要しますね。今の受験勉強は難しくなりすぎていて、創造性が失われているところがあります。
 まあ、天才に代わるものとして、知的レベルの高い者同士が、共同作業や会社仕事によって、創造的なものを構築しようと努力している点もあるため、そうした、実務のなかで、一部、創造性の部分が補われている面はあるかとは思います。つまり、個人主義でなく、集団主義によって創造性をつくっている面もあるのです。社風などによっては、そのようなことができることもあるとは思います。
 でも、最後はですね、やはり、神秘的な思想や、神・仏なるもの、霊的なるものを恥ずかしいと思っているようであっては、真の意味での天才は生まれないでしょうね。
 また、真の意味での謙虚さも生まれないでしょう。そして、謙虚な心がなければ、人間は向上することができないと思います。この世的に、いくらいい成績を取ったところで、それは、この世の世界の範囲でのことであって、人間がつくったテストの点数にしかすぎないわけです。それで、神になれるわけではありませんね。
 “神の試験”においては、まだ零点なんですよ。まったく白紙の状態だし、それが災いすると、地獄の門を開く鍵にもなりかねないところがあるわけですね。その知恵が悪知恵になった場合は、悪魔にだってなれます。天使も悪魔も、頭の良さでは変わらないぐらいです。頭がいいのは、両方にいるわけですね。
 だから、その“高度な教育”が悪魔の大量生産にならないように気をつけなければいけないと思いますね。
(116~119ページ)

今の日本の教育は、秀才をつくるところまでしかできていない。

宗教心なき教育は、基本的に、創造性の破壊である。

神秘的な思想や、神・仏なるもの、霊的なるものを恥ずかしいと思っているようでは、真の意味での天才は生まれず、真の意味での謙虚さも生まれない──。

教育における宗教の大切さ。

天上界から伝えられる天才・シュタイナーの言葉は、説得力に満ちています。

この4月に栃木県に開校した、幸福の科学学園は、宗教心に満ちあふれた子供たちを創る教育がなされていると聞きます。どんな天才たちがここから生まれてくるのか、とっても楽しみですよね!



『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』

大川隆法著


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リーダーとして人生に勝利するための条件を、何度かにわたってご紹介してきました。そして、今日は、その第三弾です。

幸福の科学の大川隆法先生は、『朝の来ない夜はない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生に必勝するための条件として、「先見性」と「胆力」を挙げ、「胆力は、特に、宗教的な修行で養えることが多い」ということを述べました。
 さらに述べるとするならば、「最後は、やはり、『勇気』『チャレンジする精神』が必要である」ということです。
 「壁」というものは、実際にぶつかってみると、破れることが多いのです。
 「無理だ、無理だ」と言っている人の意見を聴いていると、本当にそのような気もしてきますが、そういう人に対して、私は、「まあ、やってみなさい」と言いたいのです。やってみたら、意外にできることもあります。
 不況になると、どこも言い訳の山になりますが、うまくいかないことの言い訳を、いくら理路整然と説いたところできりがありません。
 それよりも、勇気を持って行動する、チャレンジすることが非常に大事です。
 チャレンジできない理由は、ほとんどの場合、失敗を恐れる心があることです。過去につくった栄光やプライド、虚名などが、自分をチャレンジから遠ざけているのです。
 今、マスコミ等は「恐慌が再来するのではないか」と言って、いたずらに恐怖心を煽っています。しかし、かつての大恐慌のとき、アメリカ大統領のフランクリン・D・ルーズベルトは、就任演説で、「恐れなければならない唯一のことは、恐れるということ自体である(The only thing we have to fear is fear itself.)」と語り、恐怖と闘うように国民を鼓舞しています。
 では、恐怖と闘う方法とは何でしょうか。それは、自分がいちばん怖がっていることをやってみることです。
 自分をいちばん萎縮させ怖がらせているもの、あるいは、自分がいちばん人の目を気に して恐れていることにトライすることです。チャレンジすることです。そうすると、恐怖は消えていくのです。いちばん恐れていることと果敢に闘うことによって、恐怖は克服することができます。「恐怖をこそ恐れよ」というのは本当なのです。
 不況期には、いろいろな恐怖があるだろうと思いますが、恐れずにチャレンジしてください。恐怖こそ、克服すべき相手です。
 もちろん、恐怖を乗り越えていくためには「信仰心」や「熱意」が必要です。そして、その熱意は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』にも書いてあるように、使命感から生まれてきます。
 したがって、恐怖を乗り越えるためには、自分の志や会社の経営理念のなかに、“魂”を打ち込むことが大事です。
 「会社の経営理念に“魂”が入っているか」「自分のビジネス理念に“魂”が宿っているか」「本当に、天下国家、万民のためにやろうとしているか」ということを自らに問うことです。さすれば必ず道は開けていきます。
(120~123ページ)

最後は、やはり、「勇気」「チャレンジする精神」が必要である。

チャレンジできない理由は、ほとんどの場合、失敗を恐れる心があること。

この恐怖と闘う方法とは、自分がいちばん怖がっていることをやってみることである──。

恐怖を乗り越えていくためには「信仰心」や「熱意」が必要であり、その熱意は使命感から生まれてくる、などなどのお教えも、とても大事だと思います。

でも、この「恐怖と闘う方法とは、自分がいちばん怖がっていることをやってみること」って言葉。

今日はほんとに、心に響きます。この珠玉のお教え、しっかりと実践していきたいものですよね!



『朝の来ない夜はない』

大川隆法著


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ね、幸福実現党が去年から、「国難」が来るって言ってたでしょ。あれって、ほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『エドガー・ケイシーの未来リーディング』(幸福の科学出版)で、アメリカの有名な預言者であるジーン・ディクソンの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 アメリカは日本と違って債務国なのです。経済的に危機なのです。国家的に赤字なのです。今、中国に経済的な急所を握られているので、米中関係を壊すと、アメリカは破滅する状態にあります。(中略)
 だから、オバマであろうとオバマでなかろうと、そう簡単には、盛り返すことはできず、衰退の基調に入っていると思います。
 アメリカは、ソ連との戦いで、もう力をかなり使い尽くしたと思います。そのころから始まった財政的な赤字が積み重なってきているのです。
 日本は、政府は赤字ですが、まだ、国としては債権国であり、黒字国家です。しかし、今、福祉だとか教育手当だとかいうことよりも、国の防衛を固めないと、本当にこの国がなくなるかもしれないところに来ています。
 「中国による危機」と言っていますが、「日本は、中国より北朝鮮に降伏する可能性がある」ということを忘れてはなりません。
 もう十年も時間を与えれば、核ミサイルを何百基も揃えることが可能になってきます。そうしたら、もう、もう、もう手の施しようはありません。十分で核ミサイルを日本の全都市に落とすことができるのです。
 アメリカが日本を護れない状態が、まもなく来ます。
 あの普天間問題を見て、いちおう日米同盟を維持する方向に行くとは思いますが、もう、アメリカの不信感は、かなり高まっております。
 そのため、「アメリカ海兵隊の優秀な人材を危険にさらしてまで、日本を護る価値があるのか。そこまでして、太平洋の反対側のアジアにアメリカが出向き、“警察官”をしなくてはいけないのか。こうした経済的危機や赤字のなかで、そこまでしなくてはいけないのか」という撤退論は、当然、出てくるので、まもなくアメリカは自国中心主義に移っていくはずです。
 民主党であろうと共和党であろうと、どうしてもそうなるだろうと思われます。(中略)
 日本は、今、幸福実現党が政権をとれるような状況にはございません。保守のほうが崩れてきています。
 万一、民主党政権が壊れるにしても、政治が漂流するのは、もう間違いありません。意思決定をする主体がないからです。これでは、他の国に、いたずらに時間を与えることになるので、独裁国家が力を持つことになると思います。
 アメリカが退けば、韓国は占領されます。それから、台湾も占領されます。
 そして、日本は、「核ミサイルの照準を日本に合わせて撃つぞ」と言われた段階で、今のような首相官邸であれば白旗を揚げます。そのまま植民地になり、「かつての韓国に対する三十五年間の植民地支配のツケを払ってもらう」というかたちになると思います。
 これが、北朝鮮ないし中国が、やってくることだと思います。
(121~126ページ)

日本は、中国より北朝鮮に降伏する可能性がある。

アメリカが日本を護れない状態が、まもなく来る。まもなくアメリカは、自国中心主義に移っていく。

アメリカが退けば、韓国は占領され、台湾も占領される。そして、日本は、核ミサイルで撃つぞと言われた段階で、白旗を揚げ、そのまま植民地になる──。

うーん、これって、幸福実現党が言ってたとおりの予言じゃないですか。

だからこそ、幸福実現党は、昨年、かなりの無理をして立党して、全国津々浦々で、この「国難」を訴えて選挙戦を戦ったし、今もまだ戦ってるんだってこと、なんですよね!



『エドガー・ケイシーの未来リーディング』

大川隆法著


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オレのまわりって、出来の悪いのばっかりでさ。とにかく、ミスは多いし、心づかいはできないし、そんなやつばっかり。なんて言うか、オレってほんとに不幸だよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 大事なことは何であるかというと、「もう、いいかげんに、『人から貰うことで自分が幸福になれる』という考えは捨ててはどうか」ということです。
 これは、きりがないのです。物質的な面、物やお金についても、あるいは、他の人からの社会的評価や名声、その他についても、健康についても、きりがありません。「これで最高。これで完璧」というものはないのです。
 苦しみのもとは、たいていの場合、自分自身がつくり出しているものなのです。
 したがって、「そういう傾向性を、いったん思いとどまってはどうか。相手は、一パーセント足りないかもしれない。あるいは、十パーセント足りないかもしれない。しかし、その十パーセントの足りないところを、一生懸命、責めるよりは、九十パーセントのできているところに目を向けてあげてはどうか」ということです。
 男性が奥さんに百パーセントを求めたら、家庭内は不和になるのが普通です。なかには、百パーセントを求められたら、それを達成すべく、がんばるような、よくできた奥さんもいるかもしれませんが、そういう人は、心身症になる気があります。(中略)
 やはり、他の人に対しては、百パーセントを求めるより、よくやっているところのほうに目を向けてあげるべきなのです。
 そのようにすると、不思議なことに、世の中は変わってきます。「人から奪いたい。取りたい。貰いたい。貰わなければ幸福になれない」という思いをやめて、自分が現に与えられているものを発見し、あるいは、他の人の悪いところではなく、よいところを見ていこうとすると、そういう、評価を変えること、考え方を変えること自体が、実は人に与えていることになるのです。
 一生懸命やっていて、九十パーセントまでできていても、十パーセントがだめで、いつも怒られている奥さん、あるいは、ご主人がいます。相手から見て、「あなたは、いい人なのだけれども、この癖だけは、どうしても気に入らない」というようなものがあるわけです。(中略)
 しかし、「これだけは嫌だ」というものを取り上げて言っている人は、不幸になりたい人なのです。要するに、そういうことを言っている人は、実は、自分が不幸になりたくて、不幸になる理由を探しているのです。(中略)
 そうではなく、やはり、他の人のよいところを認めていき、自分が与えられているところについて、よく感謝し、考え方を変えなくてはなりません。
 そして、人から取ることは、もう、この辺でやめましょう。人から与えられていることをよく見て、今度はちょっと、自分も人にあげるほう、お返しをするほうを考えましょう。
 たとえば、ご主人は、いつも帰りが遅いかもしれませんが、遅いのには遅いだけの理由があるのでしょうから、奥さんは、そういうことに対して、ねぎらいの言葉をかけてあげることです。それだけでも、かなり違います。
(149~153ページ)

人から貰うことで自分が幸福になれるという考えは捨てたほうがよい。

相手の足りないところを責めるよりは、できているところに目を向けてあげよう。

自分が与えられているものを発見し、他の人のよいところを見ていこうとすると、そのこと自体が、人に与えていることになり、不思議なことに、世の中は変わってくる──。

「与える愛」の実践というのは、じつは、まわりの人への見方を変えるだけでもできるんだっていうこのお教え、なんだか目からウロコじゃないでしょうか。

この簡単な教えの実践で、誰もがつかめる幸せの感覚を、一人でも多くの人に味わってほしいって、今日はほんとうに思いました!



『幸福の法』

大川隆法著


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なんだか不況の原因は「円高」みたいに言われてる気がするけど、ほんとなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新・高度成長戦略』(幸福の科学出版)で、戦後の日本を代表するエコノミストで、池田内閣のブレーンとして、所得倍増論を立案したと言われている下村治の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 菅さんとかは、「また円安で輸出主導にし、金儲けして豊かになろう」と、古い頭で考えているんだと思うんだよ。(中略)でも、これは発展途上国の考え方なんだよ。(中略)
 「日本が円高で持ちこたえ、世界の牽引車になる」ということは、何を意味しているかというと、実は、「円に対して通貨が安くなっている所を助けてやる」ということなんだよ。それだと、日本に対して安く輸出できることになるからね。
 例えば、ユーロ安になれば、日本はヨーロッパの製品を安く輸入できるようになるわけね。そうすれば、ヨーロッパを助けることになるんだね。ユーロ安でヨーロッパの製品が安く日本に入ってくるようになれば、日本でも市場が開ける。要するに、ヨーロッパの製品やお店がいっぱい入ってこれるようになるわけですよ。
 円安だったら入ってこれないけれども、円高なら入ってこれるようになるわけだね。円高時代になると、外国企業が日本にいっぱい攻め込んでこれるし、ものをいっぱい売り込みに来れるんだよ。しかし、まあ、それはね、しかたないことなんだ。
 例えば、将棋の腕が上がると、やっぱり、香車を落とし、次は角や飛車を落として、ハンディ戦をやるだろ? プロとアマだったらね。そういうふうに、経済のレベルが上がるとハンディがつくんだよ。だから、これからの日本は、ある程度のハンディ戦をやらなきゃいけない。
 これだけの財政赤字があると言いつつ円高になるのを見れば、もう日本は、プロの有段者なんだよ。だから、ハンディを受けて立たなければいけないんだよね。
 同じ時代の同じ地球にいて、一人当たりの所得が一対百ぐらい開いているようなことは、自由な貿易圏のなかで、ありうるはずがない。こんなありうるはずのないことが、現実にはあるわけだから、やっぱり、ハンディが要るんだよ。
 したがって、これからは、ヨーロッパも助けてやらないといかんし、アメリカも助けてやらないといかん。中国も、現実には、助けてやっている状態だ。中国は日本の悪口を言っているけれども、実は、日本が中国の成長をかなり助けてやっている。次は、アジア・アフリカを助けてやらなきゃいけない時代だな。
 そのために、やるべきことは、やはり、外国からものを安く買って、消費してやることだよ。彼らはそんなに売るものがないんだからね。
 そうは言っても、日本の経済道徳から見れば、消費は悪いことのように言われがちだ。けれども、「お金を貯金して、ただ抱えておく」とか、「郵貯で置いておく」とか、そういうのはあんまりよろしいことじゃないんだよ。
 国債を買うのもいいけれども、やっぱり実際に使ったほうがよろしくて、基本的には、もう一段、消費して、お金を回転させなければいけないんだ。
 やっぱり、ものを買わなきゃいけないんだよ。まあ、基本的に、そういう時代に入ったと私は認識するね。
(82~86ページ)

巨額の財政赤字があっても円高になるのは、日本は経済の世界で、いわばプロの有段者として、ハンディ戦を受けて立たなければいけないということ。

日本が円高で持ちこたえるのは、円に対して通貨が安くなっている国を助けてやることになる。

そのために日本がやるべきことは、外国からものを安く買って、消費してやること。そういう時代に日本は入った──。

うーん、外国為替市場で、円相場が上昇するのが「円高」だと思いますが、そうなると、日本国内の輸出産業や、下請けなどその関連企業が損害を被ると、一般には言われていて、その結果として不況が発生したことがあると言われていると思います。

でも、下村治氏の見方は、日本人は、自国のことだけを考えるんじゃなくって、もっと大きな眼で、世界の中の位置づけを捉え、自らの使命を果たせと、教えて下さってるんだと思います。

「霊言」という形で、一流のブレーンの智慧を、こんなに豊かに、しかも手軽に教えていただけるありがたさ。今日も深く実感しました!



『新・高度成長戦略』

大川隆法著


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まだまだ若いつもりだったけど、そろそろ、そうも言ってられないトシなんだよね。どうせなら、美しく老いたいよね。そのための心構えってあるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生にはさまざまな時期がありますが、老年期は非常に大事です。若いときに仕事がよくできて評判が高くても、晩年の生き方が悪ければ、あの世への旅立ちも、悪いことのほうが多いのです。
 したがって、晩年を安らかに過ごせるように、若いうちから心掛け、美しく老いていくことを常に考えていなくてはなりません。
 基本的には、しっかりした信仰心があって、あの世についての勉強もできていれば、美しく老いることができるはずです。
 幸福の科学で、何年、何十年と勉強していけば、年を取って亡くなるころには、おそらく、眼差しが非常に柔らかくなり、笑みが絶えなくなります。「この世と別れる時期が近付いたな」と思うと、周りの人たちに優しい言葉をかけることもできるようになります。
 そして、死ぬときには、自然に息を引き取るかたちで、あの世に行っていただきたいのです。これが最も幸福な死に方です。周りの人たちに迷惑をかけずに、すっと行くのがいちばんよいのです。
 老年期は、あの世へスムーズに移行するための学習期間です。その意味で、お年寄りには宗教活動が非常に大切です。もちろん、幸福の科学の活動が極楽往生には最も向いています。
 したがって、お年寄りにも当会の書籍や布教誌などで勉強していただきたいのです。もし目が悪くて文字が苦手ならば、カセットやCD、ビデオでもかまいません。当会でしっかり勉強すれば、優秀な成績で今世を卒業し、スムーズにあの世へ移行できるでしょう。
(166~168ページ)

しっかりした信仰心があって、あの世についての勉強もできていれば、美しく老いることができる。

老年期は、あの世へスムーズに移行するための学習期間であるから、お年寄りには宗教活動が非常に大切。

もちろん、幸福の科学の活動が、極楽往生には最も向いている──。

要は、美しく老いるためには、幸福の科学で仏法真理をしっかり学び実践すればよいってこと、なんですよね!



『幸福へのヒント』

 大川隆法著


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宗教が政治をやって何が悪いって、幸福実現党は言ってるんでしょ。それも分かる気がするけど、考えてみると、治維新のときは、「王政復古」とか言って、天皇制を中心に持ってきて、「国家神道」を国の根本に置いてって、やったんでしょ。何が違うんだっけ?

幸福の科学の大川隆法先生は、『維新の心-公開霊言 木戸孝允・山県有朋・伊藤博文』(幸福の科学出版)で、維新の元勲の一人である木戸孝允の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 しかし、宗教は一般的に「古代返り」と思われているわけです。
 ただ、まあ、明治維新では、そういう古代返りの面もあったのかもしれないね。「王政復古」というのは、「昔返り」と「近代化」を一緒にするようなものだから、明治維新は、変てこりんな維新ではあったんだな。
 幸福実現党の主張にも、ちょっと、そんな感じがあるわけで、「宗教を中心にする」と言うと、みな古代に返るような感じがするんですよ。
 日本の神代の時代には、神様の言葉を取り次いで政治ができただろうけれども、今は世の中が非常に複雑で、政治、経済、金融、その他、いろいろな専門知識がたくさん要るような時代になっているので、「多少、神様の手には負えないのではないか」という感じかな。(中略)
 現代では、そうした霊的なものを感知しない人でもやれるような政治ですね、学校秀才か、世間で揉まれて選ばれた人ぐらいでやれる政治を目指しているのでね。
 私たちの時代には「王政復古」を唱えたけれども、それは、まあ、戦を勝ち抜かねばならなかったからね。
 そういう意味では、政治の面で宗教に期待する声は、世間を見渡すかぎり、残念ながら、非常に小さいんですね。蚊の鳴くような小さな声しかありません。
 そういうものよりは、「民主党なり、自民党なり、そういう既成のところに、もう少ししっかりした政治的なリーダーが、一人でもいいから出てきてくれないかな」というのが一般的な考えかな。
 宗教を絡めての革命運動というのは、話が大きいし、また、あなたがたには、全体に、騒動を大きくする傾向があるものだから、ピンポイント攻撃ができなくて、だんだん話が大きくなり、騒ぎが大きくなっていく。
 「ほんの少し、何かをいじればいい」というときに、全部を引っ繰り返さなければいけないような騒ぎ方をする傾向があるので、そのへんは、今、冷静に観察されているところかな。(中略)
 たとえ、今、維新の志士たちの霊言が降りているとしても、こういうものが未来永劫にわたって降りるわけではありませんから、そういうものがなくてもやっていける政治システムをつくらないと、政治は続いていかないものなんです。「そういう霊言は、あくまでも緊急的なものだ」という考え方でなければ、通用しないでしょう。
 今は危機の時代なので、「緊急的に予言がなされ、政治に警告をする」という意味での使命はあると思うし、それを果たすことはできると思うけれども、「政治運営や国家経営の実体をシステム的に奪い取る」ということになりますと、「社会からの抵抗は、かなり強い」と思うし、また、その抵抗に耐えられるだけの人材の厚みを確保するのは、残念ながら難しい。(中略)
 だから、あなたがたが出す欲というか、野心というか、そういうものが、自分たちの器や分を超えたものになったときには、それなりの反作用は当然起きるでしょう。
(21~28ページ)

うーん、淡々と語られてますが、幸福実現党に対して、ものすごく厳しい意見です。

幸福の科学の霊言集って、こうやってみると、自分に都合がいいとはとうてい言えないような霊人の意見も、淡々とそのまま活字に起こして公開されています。

そのあたりに、大川隆法先生の「天上界の霊人にも『言論の自由』を」という、まさに民主主義の精神そのものの姿勢が、現われているってこと、なんですよね!



『維新の心』

大川隆法著


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なんでこの世に、悪なんてあるんだろう。神も仏もおられないのかな。仏の力と悪魔の力が互角だから、こんなことになってるのかな? なーんて疑問を持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 善と悪については、古来、宗教家や哲学者がいろいろと議論をしてきました。(中略)人類の歴史を見ると、常に、善なるものと悪なるものがあって、闘争しつづけ、決着がつかずにいるようにも見えます。
 このような二元的な考え方も、地上の人間を導いていくための方便としては、とても役立つものだと私は考えています。
 人間にとっては、三つのなかから一つを選ぶよりも、あるいは、五つや十のなかから一つを選ぶよりも、二つのなかから一つを選ぶほうが、はるかに簡単です。また、それは、同時に、その決断の過程において、多くの勇気を必要とするものでもあります。「イエスかノーか」「全か無か」の決断というのは、人間の心理において極めて基本的なものです。
 こういう導き方で、正しいものを教えていくことは、方法論的には優れた面があると考えます。
 ただ、真実の仏の世界からの結論を語るならば、やはり、「善悪の二元を超越した、一元的なる、大いなる善があり、地上の人間の目に善悪と見えるものは、自由そのものに付随する属性が、違ったように見えているだけである」と考えてよいでしょう。
 自由は、その出発点において制限がないことをもって自由とされます。制限がないことによって、衝突が起きることもあれば、繁栄が起きることもあります。すなわち、自由は、繁栄の側面を取ると善に見え、衝突、あるいは相克の面を取ると悪に見えることになります。
 この悪の面は、普通、反省や改心、俄悔などの過程を経て、許しを得、善なるものに転化することが、当然のこととされています。
 こういう心理が前提とされているということは、一定の時間を超えたときに、善一元の思想になりうるということです。
 「人生の数十年を見たときに、善悪は明らかに分かれるとしても、長い長い時間の流れにおいては、悪なるものは、すべて、善なるものへと教導され、導かれているのだ」という考え方は、一つの一元論です。
 「人間にとっては無限に近い時間も、仏の目から見れば、ほんの一瞬である」という思想をもってするならば、「善しかない世界が展開されているのだ」と言えます。
 悪の存在、悪の行為について、「許しがたい。この世に仏はおられないのか。仏や菩薩の力と悪魔の力は互角なのか」などと、さまざまな疑問を持っている人もいるでしょう。
 しかし、そういう人に対して、私は、「そう見えることもあるかもしれないが、時間の流れのなかで、『許し』という宗教的行為があることを知りなさい。許しがあることによって、すべては、善なるものへと転化していく過程として捉えられるのだ」と言っておきたいのです。
(111~115ページ)

この世には善と悪があるという二元的な考え方は、人間を導いていくための方便である。

仏の世界から見たならば、善悪二元を超越した大いなる善があって、人間の目に善悪と見えるものは、自由に付随する属性が違ったように見えているだけである。

人生の数十年において善悪は分かれるとしても、仏の目から見た長い長い時間の流れにおいては、「許し」があることによって、悪なるものはすべて善なるものへと導かれている──。

うーん、とても哲学的な、そして深遠な世界が説かれています。

なぜ、地獄という世界の存在が許されているのか。なぜ、悪魔のような存在が許されているのか。仏は、何を考えておいでなのか。

今日はなんだか、とっても凄い悟りの世界を、かいま見せていただいたんだってこと、なんですよね!



『限りなく優しくあれ』

 大川隆法著


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民主党政権が発表した、来年度の税制改正って、結局、増税なんだってね。なんだかんだ言って、増税するのって、どうなのかね。おかしくないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造の経済学』(幸福の科学出版)で、ノーベル経済学賞を受賞した、自由主義思想で著名な経済学者・ハイエクの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 日本であれば、江戸時代には農民から税金を取っていたと思います。それは、「五公五民」、すなわち、「半分を、役所、お上が取って、残りの半分が自分のものになる」というあたりが限度であり、これを超えて、「六公四民」などになったら暴動が起きたと思います。だから、どう見ても、これが上限なんですね。これ以上にはいかない。
 しかし、そういう税金がかかっていたのは基本的には農民であって、商業の世界などには、あまりかかっていなかったわけです。侍にもかかっていなかった。(中略)
 ところが、今は全体に税金がかかっているわけですから、政府は、昔よりも大きな政府のほうへと向かっていこうとしているんですね。 これは、「本来、政府がやらなくてもいい仕事に、数多く手を出して、自分たちの権力、権限を増やそうとしている」ということです。しかも、「実際には、その世界の仕事を運営する知識もノウハウもないにもかかわらず、やる」ということなのです。
 例えば、法律の知識はあるにしても、薬や医学の知識は必ずしもない人が、予算を費やして、いろいろなことをします。大騒ぎをして、「インフルエンザのワクチンを何千万本もつくる」とか、「一億本も輸入する」とか、そういうことを、あたふたと決めて、税金を湯水のごとく使います。こういうことをするわけです。
 こうしたことが数多く積み重なって無駄が起きてくるのですけれども、あとから、検証はなされていないんですね。
 だから、税率について私は思うのですが、基本的には、やはり、五十パーセントに近づいていくあたりが、個人としては限界であり、税率が上がれば上がるほど、実際には労働の生産性が下がっていくはずなんです。
 マックス(最大限)、我慢できるのは、やはり二十五パーセントだと思います。四分の一ぐらいまでなら、比較的、正直に働いて、正直に申告する可能性があります。それは、成功している人の場合です。
 成功していない人の場合には、もちろん、二十五パーセントでも高いので、一般的には、平均で十パーセントぐらいになると思います。最下層の人になりましたら、十パーセントでも高いでしょうから、それに対しては、もう一段のセーフティーネットが必要だろうとは思いますが、一般で十パーセント、最高税率で二十五パーセントぐらいが限度だと思います。
 それ以上取った場合には、「それだけ金を使わなくてはいけないシステム自体に間違いがある」と考えなければいけない。
 これは個人の所得税においてですが、企業の税金においてもそうで、やはりマックスは二十五パーセントです。今、中小企業等に関しては、もう少し下がろうとしてはいますけれども、それは、赤字があれだけ多いので、実際上、無理な話だからですね。うまくいったところで、マックスが二十五パーセント、普通は、やはり十パーセントぐらいに近づけていかなければならないでしょう。
 「人々が正直に申告できるレベルで線を引かなければいけない」と思います。
(32~35ページ)

税率は、個人だけでなく企業であっても、一般で10パーセント、最高でも25パーセントぐらいが限度である。

それ以上取るというのは、そんなお金を使わなくてはいけないシステム自体に間違いがある。

税率は、人々が正直に申告できるレベルで線を引かなければならない──。

税制については、お金が足りるかどうかというような政府の都合だけで考えるのではなくって、そもそも税金というものについて、どんな思想を持つのかが、とても重要ではないでしょうか。

すでに帰天している識者の意見が「霊言」という形で聞いたり読んだりできるなんて、本当に希有なことです。

このハイエクから学べる叡知を、具体的な政策として実現していくことができる政党、つまりは幸福実現党が一日も早く政権をとって、日本をよくしていってくれますように!



『未来創造の経済学』

大川隆法著


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