ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



明治維新前夜に、勝海舟と西郷隆盛の会談で、江戸が火の海になるのが回避されたんでしょ。そのとき、どんな話があったのかって、真相を知りたいよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『西郷隆盛 日本人への警告』(幸福の科学出版)で、勝海舟と相対した、西郷隆盛の霊自身の言葉(「霊言」)として、当時の模様を次のように伝えておられます。

 おいは、もとから命など捨てとる。うん。命など捨てとる者に、怖いものはない。江戸は敵地だ。敵地に乗り込んでいって、暗殺部隊が控えているぐらいのことは、十分、分かっておる。それは、命を捨てた者だけができる仕事であると思う。
 勝先生のほうも、「きょう決裂したならば、江戸中を火の海にする」という覚悟でいて、「決裂したら内戦確実」というのは、わしらも知ってはいた。
 だから、江戸百万の民を救うために、われわれは、「男対男」として話しおうた。
 勝先生も、実は命知らずだ。あの人も、幕府の要職にありながら、単身、長州に乗り込むぐらいの人であるから、そういう人には計略などは効かない。
 お互い、人間対人間で、「大義とは何か」を考えた。「江戸百万の民を救い、この国を一つにし、外国の植民地にしない」ということでは、共に意見は一致していた。
 当時、フランスが援助の申し出をしていたので、幕府がフランスから資金の援助、武器の援助、軍隊の援助を受けていれば、薩長軍と戦い続けることは可能だったし、勝てたかもしれない。
 しかし、勝先生は、そういう方法は、あえてとらなかった。「幕府が勝つことよりも、日本が勝ち残り、生き残ることを選んだ」ということだ。負けにもまた先見の明が要る。共に、そのような考えを持っていた。
 まあ、あなたは勝先生を敵と言われたけれども、江戸で初めて会ったわけでもなく、その前にも、すでに、そのご見識には啓発されること多く、ご尊敬申し上げていた。
 また、勝先生のほうも、「西郷が、『よし。受ける』と言った場合には、官軍はすべてその判断に従う」ということに関して、強い信頼を持っておられた。
 これは、命を捨てた「男対男」の会談であり、力量比べであったと思う。敵同士ではあったかもしらぬが、相手を尊敬してやまなかった。共に相手を日本一の人材だと認め合っていたものである。
 そういう意味で、私は、幕府を倒したるものの長ではあったけれども、また、西南戦争で敗れたのちに、私の名誉回復のために奔走されたのも勝先生である。まことに感謝にたえない。偉大な方であったと思う。
(120~123ページ)

おい(私)は、もとから命など捨てているから、怖いものはない。

勝先生も、実は命知らずだから、そういう人には計略などは効かない。

お互い、人間対人間で、「大義とは何か」を考えた──。

江戸城無血開城がなされた、勝海舟と西郷隆盛の歴史的和平交渉。

その交渉当事者の一方である西郷隆盛の霊自身が、その当時に考えていた内容を語る。

その霊言の収録は、公開で行なわれ、内容はそのまま活字で起こされて、「霊言集」として刊行されて誰もが読むことができる。

そんな、通常は絶対にありえない奇跡が、次々と起きているわけです。

この驚きの事実を、一人でも多くのみなさんに知ってほしいと心から私は思っているのです。

『西郷隆盛 日本人への警告』

 大川隆法著


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天才って、もともと頭のつくりが違ってるから、インスピレーションがひらめくんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『創造の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 「ひらめきは、ただ待っているだけで、やってくるものではない」ということは知っておいたほうがよいと思います。やはり、たゆまぬ努力・精進を続けているなかに生まれてくるものなのです。
 言葉を換えれば、「『集中』と『弛緩』が大事だ」ということです。集中しているときと、リラックスしているときの両方の面を持っている人に、天才的インスピレーションは降りてきます。
 本業の研究や仕事などで一生懸命に努力し、勉強し、精進している人が、リラックスしているようなときに、インスピレーションは降りてきます。海辺や公園を散策しているときなど、リラックスしているときに、ふとひらめいてくるのがインスピレーションなのです。
 ただ、いつも公園を歩いているだけであれば、ホームレスのようになってしまう可能性があるので、それでは駄目です。生産性のあるインスピレーションを得るためには、常日頃、目的性を持った努力をずっと続けていくことが大事であり、そのなかでインスピレーションがストンと落ちてくるのです。
 そういう努力をしていると、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹のように、寝床のなかで中間子理論を思いついたりするわけです。(中略)
 あるいは、「旅先で、乗り合い馬車のステップに足をかけたときに、パッとひらめいた」という数学的天才もいます。(中略)
 また、化学では、「ベンゼン環」といわれるものがあります。高校などで化学を勉強すると、亀の甲のような化学式が出てきますが、これがベンゼン環です。
 第2章でも述べましたが、このベンゼン環の構造を考えついた人は、ケクレという化学者です。(中略)これは、夢から出てきたひらめきであり、インスピレーションです。「常日頃、ずっと考え続けている人には、インスピレーションが降りてくる」という例です。
 「日頃、努力をしていないのに、偶然にインスピレーションが降りる」ということは、一生に一回ぐらいはあるかもしれませんが、あまり生産性のある思いつきは出ないものです。素人が思いついても、その思いつきは、たいてい、すでに誰かが研究済みであったり、発表済みであったりすることが多いのです。
 したがって、現代のように専門性の強い時代においては、その領域について、ある程度、勉強していなければいけません。「偶然、素人の思いつきがヒットする」ということは、ほとんどありえないのです。「専門の分野について、一通り、一生懸命に勉強しておくことは当然である」と言えます。
 普通の人は、その水面下の努力の部分を知りません。「アヒルが水面下で水かきをどれだけ一生懸命に動かしているか」ということを知らないのです。外からは、アヒルが優雅に泳いでいるところだけしか見えないので、その水面下の努力を忘れがちなのです。
(142~147ページ)

ひらめきは、ただ待っているだけでやってくるものではなく、たゆまぬ努力・精進を続けているなかに生まれて来る。

言葉を換えれば、集中しているときと、リラックスしているときの両方の面を持っている人に、天才的インスピレーションは降りて来る。

優雅に泳いでいるアヒルが、水面下で水かきをどれだけ一生懸命に動かしているかを、普通の人は知らない──。

うーん、今日は、創造力の本質に迫るお教えだと思います。

まず、「集中」と「弛緩」という大事なポイントがあります。

ただ、それ以上に大事なのは、努力・精進によってよい結果が生まれるという「縁起の理法」が、この場面でも働いているということだと私は思っているのです。

『創造の法』

 大川隆法著


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吉田松陰って、言わなくてもいいのに、老中の暗殺計画を自分でしゃべってしまって、死刑になっちゃったんでしょ。すごく優秀な方だったって聞くのに、なんでそんなことしたのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『一喝! 吉田松陰の霊言』(幸福の科学出版)で、天上界の吉田松陰自身の霊言(霊の言葉)として、次のように伝えておられます。

 御政道をただそうとする者は、誠意をもって事物に相対さねばならない。自らの心が曲がっていたら、その鏡に世界の正しい姿は映らない。自らの鏡がゆがんでいたら、弟子たちもまた、ゆがんだ像を見るであろう。
 わが使命は、のちのちの人々の心を照らす鏡となることであった。
 かつて西洋のソクラテスという人が毒杯を仰いで死んだと聞いているが、心境は同じである。この世に妥協し、自分の言論を覆し、卑怯な態度を見せるぐらいであるならば、私は潔く死を選ぶ。
 そして、世の妥協主義者たち、この世に流されて生きている者たちに対して、その生き様でもって反省を迫る。(中略)
 「私がなぜ暗殺の計画を語ったか」ということであるけれども、「幕府に反省を迫った」ということである。「取り除くべき者は取り除け。この国に害をなして要職に就いている者、断固、排除すべし!」ということを述べたかったのである。
 当時は、現代のようにはマスコミが発達していない時代である。
 だから、「そうした要職に就いている者が、この国に害を及ぼしていて、取り除かねばならない」ということを、国民に知らせるために、「私のように知名度の高い人間が、あえて、罪に当たることを述べ、処刑されることによって、その事実が、国元のみならず、全国に知れ渡り、維新の志士たちが立ち上がる」ということを考えたのだ。(中略)
 自分独りでそれができるとは、当然、思ってはいない。私は、それほどばかではない。ただ、あとに続く者に決起を促したのである。その噂が全国の志士に必ず伝わるのは分かっていた。それは、もう分かっていたことである。
 吉田松陰の令名は、すでに、維新の志士たちで知らぬ者がなかった。だから、私が、あえて、「幕府の重職にある者を取り除かんとして陰謀を企てた」ということを自白し、それで処刑されるという手法、まあ、これは、イエス・キリストやソクラテスとまったく同じ手法ではあるけれども、そういう手法を取った。
 一種のマスコミ的効果を狙ったものではあるが、当時は、そういう方法しかなかったのである。
 ペリーの船に乗り込むときも、やはり、同じことは、当然、考えていた。
 困難は伴うし、英語をしゃべることはできなかったし、「乗り込ませてくれる可能性は百に一つ」ということは、当然、思ってはいた。
 しかしながら、それは、誰かがやらねばならないことであるので、まず先駆者として試みる必要がある。
 いずれ、他の者たちが、あとに続き、異国船に乗り、アメリカ、ヨーロッパ等に行って学んでくる時代が、必ず来るであろうけれども、最初の草創の時期において、その国禁を破る者は、迫害を受ける。当然、覚悟の上である。そういう気概を私は持っていたのだ。(中略)
 われらは、この世における命など、こんなもの、毫毛ほどの重さにも感じてはいないのだ。
 永遠の生命をつかんでいる者にとって、この世は一瞬である。この一瞬のなかにおいて、このわずかな限られた人生において、世を照らす光となることは、いかほど難しいか。それを、あなたがたも自覚せねばならんであろう。
(100~106ページ)

吉田松陰は、暗殺計画をあえて自ら語ることで、幕府に反省を迫るとともに、そんな計画までたてざるを得ない事実を国民に知らせ、あとに続く者に決起を促した。

ペリーの船に乗り込もうとしたのも、成功は百に一つと知りつつ、先駆者として、誰かがやらねばならないことと、あえて試みた。

その使命は、のちの人々の心を照らす鏡となることであり、この世における命など、毫毛ほどの重さにも感じてはいなかった──。

うーん、なるほど、なるほどです。

吉田松陰という方の生き方が、一見、愚直に思えてしまうのは、じつは「光の天使」として持って生まれた使命を果たさんとしたから。

そして、その生きざまは、確実に、後世の私たちの心を照らす鏡となっている。

つまり、わずか29年でこの世の生を終えた吉田松陰は、この短い人生で十分にその使命を果たしていた。

とても納得できる事実を、吉田松陰自身が語っておられることに、改めて私は感動しているのです。

一喝 吉田松陰の霊言 (OR books) 『一喝! 吉田松陰の霊言』

 大川隆法著


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人生で成功しようと思えば、しっかり勉強するのが王道でしょ。でも、勉強すればするほど先が見えるようになるし、慎重になるのは当然なんじゃないのかな。蛮勇をふるうみたいなこと、なかなかできなくなるよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春に贈る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 学びをする人において、えてして欠点として出てくるのが、勇気がないということです。優柔不断、意志薄弱、判断停止、思考停止――このような人間が出てくるのです。
 何のために学ぶのかといえば、よりよき判断をするためです。そして、自分を生かし、世の中を生かすためです。すなわち、社会を前進させ、この世の中をユートピアにしていくために学んでいるのです。
 したがって、学ぶことによって優柔不断となり、決断力が鈍り、意見が言えなくなり、実践ができなくなるのであるならば、それは真なる智ではないと思います。(中略)智は、必ずや各人の人格の向上をもたらし、そのほとばしり出る力でもって、世の中の前進をもたらさずにはおかない、そうしたものでなければならないのです。
 ここで考えるべきことは、学びにおいて、善悪を分ける力をまず身につける必要があるということです。この世において、これは特に大事です。人間がこの世に生まれてくる理由は、善悪を選びとる練習をするためであることが多いのです。
 天上界という、すべてが善人の世界、善のみしかない世界にいると、だんだん善悪がわからなくなってくることがあります。
 そこで、一定の周期でこの世に生まれてきて、「まったく真っ白な心で見たとき、あなたには、それが善に見えるか悪に見えるか。どのような判断が善で、どのような判断が悪か。さあ、それを選びとってみなさい」ということを教えられているのです。(中略)
 この世では、たいていは試行錯誤をくり返します。
 しかしながら、毎年毎年、次第しだいに、悪を捨て善を取ることが容易になってきて、より早く善悪がわかり、より早く決断ができるようになることこそが理想なのです。
 たとえば殺人のような行為は、それ自体がもともと悪であるということが簡単にわかりますが、仕事における善悪の判断などは、非常に難しいものがあります。仕事の進め方や仕事上の人間関係で、何が善で何が悪かを判断するのは、非常に難しいのです。
 これは魂にとって高度な学びになります。ここにおいて、人を生かすということ、すなわち、「生かす愛」というものを学ぶようになります。
 その際に、適材適所とは何であるかを、深く学ばなければいけません。(中略)その人がいま望んでいることをそのままさせることが、必ずしもよいことではないこともあります。(中略)その際に、決断をしなければいけないことが必ず出てきます。
 決断ができない人間は、リーダーになれないのです。決断を回避する人は、リーダーになってはいけません。そのような人は、上に立ってはいけないのです。そのような人が上に立つことは、多くの人の迷惑になるからです。(中略)
 そのなかには、耳に聞こえのよいことばかりはありません。耳触りのよいことだけを言うことはできません。他の人にとって嫌に思えることも、必ず出てきます。
 しかし、それを思い切って決断することが、リーダーとして非常に大事なことなのです。
 これには勇気が要ります。その勇気は、人類あるいは社会の正しい発展を、常に願っている純粋な心があってこそ、出てくるのです。
(156~161ページ)

学びにおいては、善悪を分ける力をまず身につける必要がある。

仕事の進め方や仕事上の人間関係における善悪は、魂にとって高度な学びになって、ここにおいて、「生かす愛」を学ぶようになる。

その際に、決断しなければならないことが必ず出てくるので、そこに勇気が必要になる。

その勇気は、人類や社会の正しい発展を願う純粋な心があってこそ、出てくるものである──。

「勇気」に関する大事な教えが、ここで説かれています。

大川隆法先生は、2009年に出された『勇気の法』で初めて「勇気」を説かれたわけじゃなくって、すでに1996年に刊行された書籍でも、青年たちに勇気を鼓舞しておられた。

そんな事実に改めて私は気がついたりしているのです。

『青春に贈る』

   大川隆法著


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今の文明の前に、ムーとかアトランティスとか、別の文明があったって、ほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『太陽の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 人類は、いまからおよそ一万年前の、アトランティス大陸沈没の際に、旧文明が滅んでゆくのをまのあたりにしました。ひとつのおわりは、ひとつのはじまりを意味します。そして、新文明が、やがてエジプトの地を中心としてひらけてきたのです。(中略)
 この一万年のあいだに、エジプトをはじまりとして、ペルシャ、ユダヤ、中国、ヨーロッパ、アメリカ、そして、日本という具合に、さまざまの国、さまぎまな地方で、文明が栄えてきたわけです。今回の文明の特色は、「知性」というものが、非常に強い時代だったといえます。ですから、知的に世界を理解していこうとする傾向の強い、知性の文明だったのです。
 それ以前のアトランティス大陸の文明は、主として「理性」を中心にした文明で、九次元宇宙界でも、マイトレーヤー如来とクート・フーミー(アルキメデスであり、ニュートンでもある)の活躍がたいへんめだっておりました。
 さらに、アトランティスより古い時代、いまから一万五千年以上のむかしには太平洋にムー大陸があって、これまた、独持の文明をつくっておりました。ムー文明とは、ひとことでいうと、光エネルギーの文明でした。この時代は、光エネルギーについての科学的な研究、宗教的な研究がずいぶんと進んでおり、各個人が、どうやったら自分の光パワーを増幅できるのかについて、主として学習することが修行でした。
 さらに、そこからさかのぼり、いまから三万七千年以上前には、インド洋上にラムディア大陸という大陸が浮かんでおりました。この時代の人類は、「感性」が中心でした。ムーの時代には、エル・カンターレ(釈迦)の力が、ずいぶん影響していましたが、ラムディアの時代に力をふるっていたのは、マヌとゼウスでした。そして、彼らが中心となって、感性の文明をつくりあげていたようです。
 この時代には、人間は感性を磨くことが修行であり、最高度の修行を積んだ人は、三千種頻の色と、二千五百種類のにおいを区別することができました。
 ラムディア文明のさらに前は、いまから、十五万三千年前というはるかなるむかしに消えた、ミュートラム大陸に栄えていたミュートラム文明です。このころは、地球の地軸が、現在の位置とはかなりかわっておりました。現在の南極大陸の部分が温帯だったのですが、(中略)十五万年あまり前の地軸の変動によって、気候温暖だったミュートラムが、寒帯となったのです。そのため、地表が氷におおわれて、地上に住む人類と生物のほとんどが死滅してしまったのです。(中略)
 このミュートラム大陸の前は、ガーナ大陸といって、いまから七十三万五千年前ごろのことです。このころには、現在のアフリカ大陸と南米大陸とがくっついており、ひとつの巨大大陸をつくっておりました。ガーナ文明は、「超能力」を中心とした文明でした。しかし、あるとき、突如として地殻変動におそわれ、大地がまっぷたつにさけ、大陸が移動しはじめました。マグニチュード10ぐらいの大地震におそわれ、ガーナ文明は、崩壊していったのです。
 私が、いま、語っていることは、SFでもなんでもありません。実際に、過去の地球上に起こったことなのです。それらのことは、現代および、未来の文明を考えるために参考となるはずです。
(240~244ページ)

エジプトの地にはじまった今の文明は、「知性」が非常に強いという特色がある。

1万年前に大陸の沈没で終わったアトランティス大陸の文明は、主として「理性」が中心だった。

1万5000年以上の昔に太平洋にあったムー大陸の文明は、光エネルギーの文明だった。

3万7000年以上前に、インド洋上にあったラムディア大陸の文明は、「感性」が中心だった。

15万3000年前、いまの南極付近のミュートラム大陸に、ミュートラム文明があり、73万5000年前ごろには、いまのアフリカ大陸と南米大陸とがつながった巨大大陸に、ガーナ文明があった──。

人類の歴史というのは、今の文明から始まったわけではなく、また、人間は猿から進化したわけではない。

人間は人間として何億年もの歴史をもち、さまざまな文明が興っては亡びを繰り返しているって。

大川隆法先生は、未来社会を透視し、現代社会に対する提言をしておられるだけでなくって、壮大な人類の過去の歴史をも説き明かしておられる。

この事実を、今日は改めて確認できたと私は思っているのです。

『太陽の法』

 大川隆法著


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オレって、将来、日本を背負って立つ大物なんだと思うんだ。だから、チマチマした学校の勉強なんて、どうでもいいことだよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、子供向け書籍『子どもにとって大切なこと』(幸福の科学出版)で、子供たちに対して、こう教えておられます。

 もう一つ、みんなに言っておきたい大切なことがある。
 小さいころに訓練しておくということは、とても大事なことなんだ。
 例えば、しょうらい、数学の大天才になるかもしれない子もいるだろう。その子は、「いつか、ぼくは数学オリンピックに出て金賞をもらうんだ。チャンピオンになるんだ。」と思っているかもしれないね。
 でも、その子がまだ小学校一年生で、足し算や引き算ができなくて答えをまちがえるぐらいだったら、先生からおこられても当然だ。それは、おこられなければいけないね。そして、おこられたことはその通りだと思って、できるように訓練しなければいけない。
 それなのに、「しょうらい、自分は大きなことができるから、そういうことは必要ないんだ。」と考えているとしたら、それはまちがいだね。それをはっきり知らなければいけない。そういう基礎的なこともできずに、しょうらい、大きなことができるようになることはないんだよ。
 スポーツ選手になるにしても、そのための努力はずっと続くものだ。いきなり、ゆうしょうできるようにはならない。
 何でも、基礎を一つひとつきたえていかなければだめなものなんだ。
 「小さいころは、勉強する知識が少ないから、あまりたいしたことはない。大きくなって、知識の量がたくさん増えてくるときが大事だ。」という考え方もあるけれど、いろいろと見てみると、それだけではないような気がする。
 知識が少ないときでも、きちんと訓練して、できるようにすることは、とても大事なことなんだね。
 基礎的なこと、やさしいことでも、きちっとやりとげられる訓練をし、決してごまかさない精神を身につけておかないと、あとで、勉強がむずかしくなり、知識が増えてきたときに、整理できなくなって、めちゃくちゃになるよ。
 おぼえなければいけない知識が少ないうちは、すぐにおぼえることができて、かんたんだと思うかもしれない。そのかんたんなことでも、くり返しくり返し訓練して、できるようにすることが大事なんだ。
 きょう足し算のやり方を教わったら、一時間後にはできるようになっているかもしれない。でも、三か月後にもできるかどうかは分からないよ。「三か月たったら、できなくなってしまった。」ということではこまるんだ。
 だから、「きょうできたから、もうこれで終わりなんだ。」と思ってはだめなんだね。くり返しくり返し、前にもどって、できるようにしながら、先に進んでいくことが大事なんだ。(中略)
 「ここの勉強は終わった。」と思ったら、少し先へ進んでみる。そして、だいたいのところで、また少し元にもどって足場を固めるんだ。こういうくり返しがとても大事なんだね。
(142~146ページ)

何でも、基礎を一つひとつ鍛えていかなければならない。

簡単なことでも、くり返しくり返し訓練して、できるようにすること。

将来の大物でも、小さいころに訓練しておくということは、とても大事なことである──。

たしかにたしかに、将来、大きな仕事をする人ほど、基礎とか基本をしっかりと身につけておきたいものですよね。

今日は、子供向けのやさしい言葉ですけれども、大人でも忘れがちな、大事な大事な人生の基本を教えていただいたのだと私は思っているのです。

『子どもにとって大切なこと』

 大川隆法著


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最近、宇宙人にアブダクション(誘拐)されるって、流行ってるんでしょ。もし、自分がそんなことされたら、防ぎようがないじゃないの。どうすればいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「宇宙の法」入門──宇宙人とUFOの真実』(幸福の科学出版)で、女神アテナの霊言を、このように伝えておられます。

 レプタリアンが、自分たちで、あるいはグレイを使って、アブダクションといいますが、人類をさらうことがあります。
 夜中に、牽引ビームで人々を家のなかから宇宙船のなかに吸い込み、そのなかで、識別の情報チップとして、マイクロチップみたいなものを鼻の奥に埋め込んでみたり、人体に対する、いろいろな医学的実験をしてみたり、宇宙人との“合いの子”をつくるようなことをやったりしているようです。
 「これが、いわゆる調査・実験として許されている範囲内なのか、それを超えているのか」ということが一つの議論としてあります。
 調査・実験の範囲内であれば、調査捕鯨のようなものなので、許されるのですけれども、実は、調査に名を借りた侵略行為であるのであれば、許しがたいものがあるのです。(中略)こういうことが一定の限度を超えた場合には、宇宙人であっても、やはり許しがたいものがございますので、一定以上の介入に対しては「ノー」を言う必要があると思います。(中略)
 宇宙的に見て地球のほうが優れているものもあるのです。(中略)「いかに科学技術が進んでいようとも、あなたがた宇宙人には後れているものがある。もっと、愛や慈悲、あるいは徳といったものを学ばなければ、あなたがたは劣等民族なのだ」というようなことを、強く信念として持っておりますと、それが一種のバリアのような役割を果たして、手を出しにくい感じを与えるわけです。
 それは一種の高貴な雰囲気と言いましょうか。一種の貴族のように見え、手が出しにくく、「自分たちが飼育している動物だ」というような、傲慢な考え方ができなくなってくるのです。
 彼らにも、「そのへんは自分たちのほうが劣っている」と感じているところがあります。残忍性、凶暴性が抜け切らないでいるので、それを抜け切るために、実は地球に魂修行をしに来ているんです。
 けれども、愛や慈悲が身につかず、やはり、破壊力の強さや攻撃力の強さ、あるいは医学的なものの強さを誇っているところがあるわけですね。
 これに対して、地球人としての信念と自覚を持つことが大事です。
 万一、宇宙人との間に、実験用の子供がつくられるとか、「何度も何度も拉致されては、動物のように実験されたり、体を調査されたりしている」とかいうことが、地球的に言って、人権に反するレベルにまで達しているのであれば、これは撃退せねばならないので、主エル・カンターレの名の下に、しっかりと祈りを捧げるとよいと思います。
 そうしますと、一種のバリアのようなものが家全体に張り巡らされ始めます。そして、彼らが持っている思いのなかに邪悪なものが入っている場合には、その部分が弾かれると同時に、霊界においても、宇宙人との調整を執り行っている人たちによって、その行為がキャッチされるので、介入を受け、抑止されるようになると思います。
 ですから、そんなに恐れる必要はありません。
(72~78ページ)

異星人の科学技術がいかに進んでいても、愛や慈悲、徳を学ばなければ劣等民族であると、強い信念を持つことが、一種のバリアの役割を果たす。

主エル・カンターレの名の下に、しっかりと祈りを捧げること──。

この霊言を降ろされているアテナって、ギリシャ神話で有名ですけど、ギリシャのパルテノン神殿に主に祀られている女神さまですよね。

幸福の科学では、「宇宙人撃退秘鍵」という祈願が開示されています。

とっても効果があったという話が、けっこう聞こえています。

要するに、アブダクションなんて恐れる必要はないってこと。

祈願については、お近くの幸福の科学の「精舎」にお問い合わせくださいね!



『「宇宙の法」入門』

 大川隆法著

 

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どうしても嫌な相手とは、さっさと別れて、また再婚すればいいよね。だから、そんなにむずかしく考えずに、いまだけ一緒にいたい相手と結婚してみるのも、いいんじゃない? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 現代では男女共に結婚しない人が増えています。三十代でも結婚しない人は多いですし、一生、結婚しない人も、かなり増えてきました。
 いまは便利で自由な世の中になりました。職業上のメリットを考えると、結婚しないほうが有利な場合も多いでしょう。結婚すると、相手に縛られますし、子育てにも、そうとうなエネルギーがかかります。
 そのため、女性はもちろんのこと、男性でも、結婚したがらない人が増えてきており、少し断絶のある時代に入りつつあるように感じます。
 さらに、離婚や再婚も増えてきています。(中略)
 それには、自由な時代性によるところがあるでしょう。家や車を何回も買い替えたり、いろいろなものをリサイクルしたりする時代に入っているので、そのような経済感覚を持っていると、男女の関係においても、同じような考え方が出てくるのは当然だと思います。
 また、「昔と違って、人生が長くなり、しかも流動性や変化に富んでいるので、若いころの約束をそのまま維持することができない」ということも、もちろんあるでしょう。
 学生のころに好きだった相手や、社会人になってまもないころに好きになった相手と結婚した場合、「二十年、三十年たつと、立場が変わってくる」ということは、いまの社会の自由性、流動性から見れば、当然、ありうることです。(中略)
 社会の自由性と流動性を前提にすれば、そういう社会もありうるかもしれませんし、日本も、これからそうなっていくのでしょう。「この世における立場の変化に合った相手を選ぶ」という考えも、一つの合理的な考えであるとは思います。ただ、生まれる前のことや、死んでからあとのことなど、霊的な面を考えると、それだけでは少しさみしい気もします。(中略)
 特に、家庭においては、長い時間にわたる共同生活が必要になるので、そのあいだに、容姿や中身など、いろいろなものが変化していくことは、ある程度、予想されると思います。
 そういう無常の世の中において、常なるものを求めることは、とても難しいことですし、「人生の前半において、何十年も一緒に過ごす相手を見切る」ということは、極めて難しいことでしょうが、できるならば、共に成長していけるような相手を選んでいただきたいと思います。
 共に成長していけるような相手とは、どのような人かというと、お互いに高め合うことができるような相手です。
 恋愛時代から、その兆候はすでに現れているはずなので、お互いを高め合うような相手を選ぶことです。そうすれば、二人の関係は、きっと長く続いていくでしょう。
 しかし、現在ただいまにおいて、熟れきった果実を摘み取るようなかたちでの恋愛であるならば、おそらく、ピークを過ぎるのも早いでしょうし、相手に飽きていくのも早いでしょう。
(139~144ページ)

簡単に離婚してしまうのは、生まれる前のことや、死んでからあとのことなど、霊的な面を考えると、少しさみしい。

現在ただいまにおいて、熟れきった果実を摘み取るようなかたちでの恋愛であれば、ピークを過ぎるのも早いだろう。

だから、結婚が長続きするために、できれば共に成長していけるような相手、互いに高め合うことができるような相手を選んでほしい──。

大川隆法先生は、結婚しない男女が増えていることや、離婚、再婚が増えていることも、一概に否定したりはされません。

しかし、ここで説かれているのは、「結婚には、あの世での約束という霊的側面があることも多いし、自分が死んだあと、誰が供養してくれるのかという問題を考えたりすると、安易に離婚してしまうのがよいわけではない」というニュアンスと理解できるように思います。

いずれにしても、これから結婚する人は、大川隆法先生がここで説かれている、「共に成長していけるような相手、互いに高め合うことができるような相手」というお教えを念頭において、相手を選択すると、当たりであることが多いのだろうと私は思っているのです。

『青春の原点』

  大川隆法著

 

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これから社会に出て成功したいんだ。そのために、用意しておくべき「元手(もとで)」みたいなものって、あるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 事業を始めるには資金が要ります。「お金」という元手が必要なのです。
 その元手は全部が他人の資金ではだめです。何分の一かは自己資金でなければいけません。自分で努力して、多少なりともお金をためるべきです。(中略)
 脱サラをして成功する人は、たいていの場合、自分自身で個人的にお金をつくった経験のある人です。
 最初から借金に依存して会社を始める人は、あまり成功しません。それで成功するのであれば、だれでもそうするでしょう。お金のありがたみを知らない人は、事業を起こしても成功しないのです。
 「努力して働き、お金を稼いで、その一部を貯金したことがあるかどうか。そして、その貯金が毎年増えているかどうか」という簡単なことが、事業の成功を判断する一つの基準です。
 「自分で働いて稼いだお金の一部を貯金している。しかも、それが毎年増えている」という人は、事業を始めても成功する可能性が高いのですが、お金が入る前にカードで買い物をするような借金先行型の人は、事業で成功することは難しいでしょう。
 こういう人は、まず貯蓄の習慣をつけることが必要です。自己資金をつくり出せる精神傾向がなければ、事業を始めてもなかなか成功はできません。(中略)
 成功するための元手として、「知識」も大事です。すでに「読書の習慣が大切だ」と述べましたが、「知っている」というのは非常に大きなことなのです。
 二十一世紀には、農耕社会や工業社会にかわって情報社会が到来することは間違いありません。知識がこれまで以上に大きな力を持つ時代が来るのです。
 現在では、百科事典を個人で所有することはそれほど難しくないので、持っている人も多いでしょう。百科事典を読めば、百年前のどのような天才が考えたことよりも優れた事柄がたくさん書いてあります。かつての天才たちでもたどりつけなかった知識がずらりと並んでいるのです。現代とはそういう時代です。
 そして、今後は知識が仕事をする時代が来ます。よく肥えた田畑が豊かな作物を生み出すように、知識そのものが田畑になり、その知識の田畑から作物がとれる時代が来るのです。
 知識は非常に大切な元手であり、重要な情報、役に立つ情報は一つでも多く知っておかなければなりません。有害な情報をたくさん持っていてもだめですが、仕事に役立つ情報や知識は貪欲に集めていく必要があります。(中略)
 経営判断においては、知識がないとなかなか分からない部分があり、知っていれば失敗しないですむのに、知らなければ素人判断をして失敗することがあるのです。
 しかし、自分が失敗するようなことは、すでに他人が経験ずみであることも多く、それをあらかじめ学んでおけば、失敗せずにすみます。これは非常に大事なことです。
(152~157ページ)

事業を始めるには、まず「お金」という元手が必要だが、その何分の一かは自己資金でなければいけない。

お金のありがたみを知らない人は、事業を起こしても成功しない。

成功の元手としては、「知識」も大事である。

重要な情報、役に立つ情報を貪欲に集め、一つでも多く知っておかなければならない──。

今日は、成功するための「元手」としての「資金(お金)」、そして「知識」について、とても大事な観点から教えていただいたんだと思います。

そして、この「元手」が他にないのかについては、また次の機会に、ご紹介したいと思います!

『繁栄の法』

 大川隆法著

 

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魂には、高い世界に還れる境涯と、まだまだの境涯と分かれるんでしょ。でも、魂って、はかる基準はそれだけなの。ほかにはないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間の魂は仏の愛を受けるための器であると言えます。この器が小さいと、すぐにあふれてしまいますが、大きな器には仏の愛がたっぷりと宿るのです。
 貯水池のダムでさえ、満々とたたえた水が流れ落ちるときの力でもってタービンを回し、電力を起こしているではありませんか。それと同じように、人間も魂の器の大きさに合わせた“貯水池”を持っていて、たまった水の量に合わせた発電を行なっているのです。
 最大の貯水池を持っている魂は、九次元にいる救世主たちです。彼らは、満々と水をたたえた、他とは比較にならないほど大きな貯水池を持っているのです。だからこそ、彼らがその貯水池から放出した水は、素晴らしい勢いでもって流れ落ち、タービンを回しているのです。かくして最大の水力発電が起き、この電力が全世界に伝わっていくのです。
 このように、魂の違いによる愛の実践の差は、貯水池の水量の違いによる発電力の差と考えてもいいと思います。
 また、水の落下する力を利用して水力発電を起こすのですから、貯水池が高いところにあればあるほど、つまり落下距離が長ければ長いほど、発電力も大きいということになります。
 したがって、魂の高さも大切です。魂が高い境涯にあれば、すなわち、いちだんと高い人格を持っていれば、流れ落ちる水の勢いが大きくて、多くの電力を生み出すことができるのです。
 それゆえ、より大きな愛を受けられる自分をつくるためには、「大きな器をつくる」「人格的な高さをつくる」――この二つに精力を注がなければいけないのです。
 大きな器をつくるとは、努力して、広い大きな人格を築いていくことです。包容力を大きくしていくこと、すなわち、すべてのものを包み込み、抱きしめるような大いなる包容力を築いていくこと、これが修行の一つです。
 さらにいま一つの修行は、ダムを高くしていくこと、すなわち、刻苦勉励して、自分の魂を一歩一歩、仏の方向へと高めていくことであり、この作業が、悟りを求める魂修行でもあるのです。
 では、悟りとは、いったい何なのでしょうか。何をもって悟りと言うのでしょうか。悟りとは、実は、仏法真理を吸収し、それを実践していくときに得られる「魂の糧」なのです。仏法真理の吸収と実践を通して得られる糧、経験――これが悟りです。
 したがって、みなさんは常々、仏法真理を吸収しつつ、それを実践し、行ないに現わして、そのなかで愛を広げていく必要があります。そして、包容力を増し、魂の高さを高めて、広大な貯水池をつくっていかなくてはならないのです。
(196~199ページ)

より大きな愛を受けられる自分となるためには、第一に、大きな器をつくること、第二に、人格的な高さをつくること。

大きな器をつくるとは、努力して、すべてのものを包み込み、抱きしめるような大いなる包容力を築いていくこと。

人格的な高さをつくるとは、刻苦勉励して、自分の魂を一歩一歩、仏の方向へと高めていくことであり、これが、悟りを求める魂修行でもある──。

悟りを求める修行が大切っていうのはよくわかってたつもりだけれど、ここで大事なのは、悟りそのものは十分に高くなくとも、大きな器の魂というのはあり得るってこと。

仏の愛を受けるためのそういう大きな器をつくるための努力も、また大切なのだと、改めて理解できた気が私はしているのです。

『永遠の法』

 大川隆法著

 

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会社がつぶれそうなんだ。政治が悪いよね。このコロナ不況をなんとかしてくれなきゃね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 あるアンケート調査によると、潰れた会社の経営者に、その原因を訊くと、七割から八割ぐらいの経営者が、「不況のせいで会社が潰れた」と答えています。一方、金融機関に同じ質問をすると、「その会社が潰れたのは、不況が原因である」という答えは三割弱に減ります。認識にこれほどのギャップがあることは、知っておいたほうがよいでしょう。
 しかし、さらに踏み込んで言うならば、不況のせいで潰れる会社というのは、本当は一社もないのです。会社が潰れる原因の九割は、実は、経営者の責任であったり、会社の内部の問題であったりするのです。
 この点について、一度、身も心も引き締めなくてはなりません。経営者、もしくは経営者を支えている経営幹部まで責任は及びますが、倒産の九割は、「会社の内部」に原因があるのです。
 好況のときに会社が潰れないのは普通のことなので、経営能力は特に必要ありません。不況のときこそ、経営能力が試されるのです。その意味で、「会社が潰れるときは、やはり内部に事情があり、特に経営者に問題がある」ということを知っていただきたいのです。
 「魚は頭から腐る」と言われるように、会社が潰れるときは、たいていトップから腐っていきます。いちばん腐敗しやすいのがトップなのです。
 「会社が潰れたのは不況のせいである」と言って責任を逃れたいという、経営者の気持ちは分かりますし、政府に対策を求めたい気持ちも分かりますが、「百年河清を俟つ」がごとく、政府の対応を待っていても、しかたがありません。
 政府がいくら金をばらまいたところで、自分の会社のえぐれた部分は埋まるものではありません。経営者および経営幹部は、社員と一丸となって、危機を乗り越えていこうと努力しなければならないと思わなければなりません。
 会社はトップの甘い判断によって潰れることがほとんどです。好況のとき、成功しているときは、脇が緩みすぎ、失敗すると、「部下のせい」「他の企業のせい」「政府のせい」と、誰かに責任を負わせようとしがちです。しかし、すべてはやはり経営者の見識の不足であると考えなくてはなりません。
 そして、自らに厳しく、自ら自身を反省し、見つめ直すことが大事です。不況のときこそ、経営者は真にその腕を磨かれ、会社は真に強い会社として生まれ変わることができるのです。
 世相を見れば、「時代が今、また、マルクスの『資本論』の時代に戻った」などと言われ、少し左傾化してきているようではありますが、負けてはなりません。
 経営者が優秀であれば、どのような危機も乗り越えることはできます。トップ一人の責任なのです。
 たとえ、その危機に気づかなかったことで一歩遅れていたとしても、まだ、会社が潰れていないなら、「チャンス」はあります。従業員を護り、その家族を護るために、どうか勇ましく戦ってください。
(109~112ページ)

不況のせいで潰れる会社というのは、本当はない。会社が潰れる原因の9割は、実は経営者や、会社内部の問題である。

会社が潰れるときは、たいていトップから腐っていく。逆に、経営者が優秀であれば、どのような危機も乗り越えることはできる。

経営者は、従業員を護り、その家族を護るために、どうか勇ましく戦ってほしい──。

じゃ、どう戦えばいいのかっていう話は、それは、また次回に!

『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』

 大川隆法著

 

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オレって、一夜漬けで、ヤマをあてて試験を乗り切るの、強いんだよね。人生は、勝てば官軍、そんなもんだよね? なーんて考え方もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 戦争に関しては、「なぜ、ある者は勝ち、ある者は負けたのか」という点を、もっと分析する必要があるのではないかと思います。
 明治以降、日本はドイツの軍制に倣って軍をつくりました。そのドイツは、第一次大戦と第二次大戦の両方に負けています。ドイツの軍隊はフランス軍に勝てるぐらいの力は持っていましたが、アメリカ軍に勝てるところまでは行っていなかったのです。
 日本はこのドイツの軍隊の考え方を取り入れていたため、第二次大戦におけるドイツの負け方と日本の負け方を見ると、やはりよく似ています。「電光石火のごとく奇襲戦を行い、緒戦では勝つ。しかし、途中で兵線が延びると、兵站が追いつかず、補給がつかなくなって敗れる」というスタイルは、まったく同じです。
 これは、軍事思想に欠陥があったと見るべきだと思います。その欠陥は補給のところにあります。ドイツの軍事思想にも日本の軍事思想にも、「補給が続かない者は戦いに勝てない」という思想が充分ではなかったのです。これがドイツと日本が戦争に負けた最大の原因だと思います。
 補給が充分でなくても勝てたのが日露戦争です。これで日本は味を占めてしまったのです。
 日露戦争では、日本がロシアのバルチック艦隊を破ったあと、すぐにアメリカの仲裁で停戦になりました。しかし、当時、ロシア軍はシベリア方面に七十万人以上の将兵を集結させていたので、戦いが続いていれば日本は負けていたでしょう。日本は兵糧も弾薬も尽きていましたし、国家予算の八年分ぐらいの費用をすでに使っていたので、もはや戦いつづけられない状態だったのですが、アメリカがちょうどよいときに仲裁してくれたので、うまく判定勝ちになりました。これが悪かったといえば悪かったのです。
 受験でいえば、一夜漬け、もしくは“ヤマ当て”が成功して受かった人は、あとの人生が狂うことがよくあります。偏差値による予想では合格の可能性が限りなくゼロに近く、受かる実力はなかったのに、ヤマが当たって受かったという人は、そのあと、まじめに努力しなくなり、学力が衰えるケースが多いのです。
 長い眼で観ると人生は確率戦になっており、実力に相応して何勝何敗という一定の勝率が出てきますが、一度、ヤマ当てなどで味を占めると、その後、失敗しやすいわけです。
 たとえば、株で大もうけをして株がやめられなくなった人は、どこかで必ず滅びます。また、たまたま発売した新製品が当たって非常にもうかった会社も、それだけでは、やはり滅びていきます。
 こういう勝ち方をした場合は用心しなければいけません。勝ったときのことが忘れられず、やがて失敗することがあるのです。
(96~103ページ)

長い眼で観ると、人生は確率戦になっており、実力相応で一定の勝率が出てくる。

しかし、一夜漬け、“ヤマ当て”が成功して味をしめると、その後に失敗しやすいので、用心しなければいけない──。

戦争の勝ち負けを切り口とすることで、人生論に関する味わい深いお教えが説かれています。

つまりは、人生に勝利するための王道は、一夜漬けやヤマ当てではなくって、地道な努力なのだ、と。

それこそが大宇宙の理法である「縁起の理法」(原因・結果の法則)にかなっているのだと私は思っているのです。

『奇跡の法』

 大川隆法著

 

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いまの仕事が気にいってて、しっかりキャリアを積んで行きたいんだけど、でも結婚もしたいんだ。結婚って、やっぱり、仕事の障害になるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、1992年に刊行された『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 はっきり言って結婚は障害になるでしょう。
 というのも、職場で男性同様の仕事をしたいということになりますと、男性も丸一日働いて疲れきっていますが、女性であるあなたもおそらく疲れきることでしょう。そのうえ、家に帰って家事や育児などが待っているとなると、通常の体力の持ち主ではとうていやっていけなくなります。
 そこで、たいていの女性が言いだすことが「夫との家事の分担」ということになります。(中略)ただ、現実に日本の社会を見るかぎり、男性のほうに家事の分担を求める場合、たとえば出産前後とか、一時的にそういう分担をすることは可能かもしれませんが、先行き五年、十年と続いていくことになりますと、負担感も大きくなります。(中略)
 したがって、本格的に職場でキャリアを積んで、男性と同じように仕事をしていきたいと願っている女性の場合には、幸運な付帯条件がなければならないと私は考えています。
 それは、たとえば夫方の母、あるいは自分方の母のどちらかが家にいてくれて、家事を手伝ってくれるというような幸運な状況。あるいは、道を挟んだところで自分の姉妹とか、あるいは親族などがいてなにかと便利な状況があるという状態。あるいは、夫の収入が多く、お手伝いさんを雇えるような状況にある。あるいは、夫と自分の収入をあわせると十分お手伝いさんを雇ってもやっていけるという状態。
 こうした幸運がなければ、女性がキャリアを積み、かつ結婚を障害としないということは、なかなか難しいことだと考えられるわけです。ですから、そのへんを冷静に考えられたほうがよいと思います。
 それでも、他にお手伝いさんなどを雇ってでも、あなたが仕事のほうでキャリアを積んでいくほうが収入的にみても有利だし、将来的にもひじょうに自分の才能を生かせるような仕事であるというならば、その道を選ぶことも可能だろうと思います。(中略)
 もうひとつの問題は、そういう奥さんの場合には、男性の側が不満を持ってしだいに浮気をするような傾向が出てくることだろうと思います。家庭的な気配りのできる女性に惹かれてゆくのです。この分、どうやって魅力をつくり出して、そして、夫の気持ちをつなぎ止め続けるかということは、かなり難しいものがあります。
 やはり、いずれにせよ職場でキャリアを積みながら、結婚を障害としないでやっていくためには、そうとうできた女性であることが必要だと思います。(中略)
 そこであなたはまず、十分に感情のコントロールができなければなりません。また、できれば職場では普通の男性以上に手早く仕事を片づけられる、そういうさばきのいい女性でなければだめなのです。男性と同じ能力でもってしては、おそらく結婚を障害としないで同じだけの仕事をすることは難しいであろうと思います。同じ年代の同じような立場にある男性の、だいたい一二○パーセントぐらいはこなせるぐらいの能力が要求されると覚悟しておいたほうがよいのではないでしょうか。
 自分の甘え心に打ち克ってこそ、道は拓けるものです。社会や制度の不備、あるいは男性の無理解のせいにすることなく、「よくできた女性」をめざしましょう。
(124~129ページ)

キャリアを積みたい女性にとって、やはり結婚は障害になる──。

社会や制度の不備、男性の無理解などが、この障害の原因であることも多いんでしょうけど、大川隆法先生は、それを乗り越えて、甘え心に打ち克ち、自らの力で道を切り拓く、よくできた女性となることを勧めておられます。

この書籍刊行から早くも28年が経過し、結婚しない人や結婚はしても離婚してしまう人が大幅に増え、結婚をめぐる状況は当時と同じではありません。

でも、それはそれとして、ここで説かれているお教えは、とても普遍的な面があるのではないかと私は思っているのです。

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著

 

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リーダーとして、人生に勝利するための条件って、あるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『朝の来ない夜はない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私の著書『リーダーに贈る「必勝の戦略」』にも書いてありますが、まず、「先見性」が非常に大事です。先見性のあるリーダーがいるところは、やはり強いのです。
 先見性とは、決して、「まだ起きていないことを見る」ということではありません。未来の芽は、すでに現在のなかにあります。生えたばかりの小さなフキノトウのようなものですが、未来の芽は、すでに生えているのです。
 先見性とは、「その芽が、やがて大きくなるのが見えるか」「すでにある社会の事象のなかで、これから伸びてくるものが見えるか」ということです。そういう意味での先見性が非常に大事です。
 これを、もっと分かりやすく言うと、「次の時代の“メシの種”を探せ」ということです。「来年、自社は何で食べていくか」「三年後、五年後、十年後は、何をして食べていくか」を考えることです。
 今年の年次計画は立っているはずなので、「今年は、何で食べていこうとしているか」は分かるでしょう。「売り上げや利益が、目標に対して百パーセントまで行くかどうか」については、社内で十分に議論したことでしょう。
 そうした三カ月や一年などの短い範囲ではなく、「三年後、五年後、十年後の商売の材料は何か」「今の商売がなくなるとしたら、次に、どのような業態を考えておかなければいけないのか」を考え、メシの種を探すことを、「先見性」と言っているのです。
 これを考えている人と考えていない人との差は大きいのです。まったく考えていない人にとっては、予想もしない不幸が、突如、わが社やわが店に襲ってきたように見えます。
 ところが、先見性のある人であれば、そうはなりません。
 例えば、小さな店の経営者であっても、大学や工場の誘致といった、公共団体の事業計画や、大手スーパーの進出計画などを事前にキャッチすれば、「数年後、どのような街になっていくか」というぐらいのことは予想がつきます。
 そして、「そのときに、街の地図は、どうなっているだろうか」「商店街は、どう変わっていくだろうか」ということをしっかり読めれば、あらかじめ手を打てるのです。これが先見性です。
(114~117ページ)

リーダーとして人生に勝利するための条件として、まず大事なのは、「先見性」である。

それは分かりやすく言えば、次の時代の“メシの種”を探す力のことである──。

これは、企業経営者だけでなく、いろんな場所で重要な立場にたっている方にとっても、参考になる教えですよね。

もちろん、大川隆法先生が説かれる「条件」は、それだけではありません。

この続きは、また次の機会に!

『朝の来ない夜はない』

 大川隆法著

 

 

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英語なんて、外国に行くわけじゃなけりゃ、別に勉強しなくていいんじゃないの。何の役にたつのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 日本のテレビや新聞には、やはり偏向がありますし、それだけでは、どうしても知識の限界が生じます。例えば、CNNやBBCと、日本のテレビとでニュースを見比べると、その内容の落差は、もう唖然とするほどですよ。
 結局、「日本語しか使えない記者たちは、世界各地では取材ができない」ということなのです。「海外で取材ができるほどには英語ができない」ということなんですね。
 だから、CNNやBBCの記者が、いろいろな国へ行き、戦場などで、どんどん取材をしているのに比べると、日本の記者の取材などは、ほとんどが事後処理になっています。事件がおおかた終わってから、大まかな内容を少し報道するぐらいなのです。現在進行形で事件が動いているときには、たいてい現場にいないので、分からないのです。
 新聞もそうです。日本の新聞にも情けないものがあります。例えば、「ヘラルド・トリビューン」と日本の新聞を読み比べてみると、扱っているテーマが明らかに違います。
 結局、日本の場合、ほとんどが国内ニュースなのです。その意味で、やはり日本は島国であり、閉鎖性があることがよく分かります。
 以前、インドを視察しに行ったときに、ホテルでインドの英字新聞を読んだのですが、内容がよく分かりませんでした。「ニューヨーク・タイムズ」や「ウォールストリート・ジャーナル」を読める私が、インドのデリーの新聞が読めないはずはないのですが、その新聞にはインド国内のローカルニュースばかり書いてあったために、私には分からなかったわけです。
 「誰々さんが、どこそこの町で、何々をした」とか、「どこそこで何々の試合があって、どちらが勝った」とかいうような話ばかりが、たくさん出てくるので、読んでも分からないんですよ。
 おそらく、外国人が日本の新聞を読んでも、同じようなことになると思います。「政治家の派閥争いで、○○派と××派が足の引っ張り合いをしている」というような記事を読んでも、おそらく、「これは何だろう」という感じになるでしょうね。
 だから、日本の新聞や雑誌を読むのも大事ですが、国内のニュースばかりに偏りすぎているので、やはり何らかの外国語をツールとして持っておくことが大事だと思います。情報の偏りを防ぎ、ものの見方のバランスを取る意味で大事なのです。
 私が志したことは、今述べたように、専門のジャンルを増やすことや、代表的な古典はきちんと読み、古いものと現代的なものの両方をきちんと見ること、それから、日本そのものに関心を持つと同時に、外国のものにも関心を持つことです。
 異文化について、比較対照をして見る目を持ち、いろいろな角度から立体的にものを見るように心掛けているんです。
 私の発言のなかに、みなさんがまったく初めて聞くような話がよく出てくる理由は、そういうことなんですね。ただ、そこまで行くには、かなりの努力が要ります。
(111~114ページ)

かなりの努力が要るが、異文化について比較対照をして見る目を持ち、いろいろな角度から立体的にものを見るように心掛けることである。

日本のテレビや新聞は国内のニュースばかりに偏りすぎているので、それだけでは、どうしても知識の限界が生じる。

情報の偏りを防ぎ、ものの見方のバランスを取る意味で、何らかの外国語をツールとして持っておくことが大事である──。

その何らかの外国語のうち、もっとも手近で役に立つのが英語だって思い当たると、英語を勉強する必要性とか意義が、とてもよく分かる気がします。

この夏、また気合いを入れ直して、しっかりと英語の勉強をしてみたいものだと私は思っているのです。

『知的青春のすすめ』

 大川隆法著

 

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