ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



じつは、妻子ある上司と不倫してるの。私ってこれから、どうすればいいの? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 結論を申しあげますと、この妻子ある上司との不倫は、九十九パーセント、成功することはありません。百にひとつはあるけれども、たいていの場合は成功しないし、もし成功したとしても、おそらくあなたは人生の勝者にはなれないでしょぅ。相手には妻も子供もあったのです。そうした人を苦しめつづける人生が、その後に待っているわけなのです。それであなたがほんとうに、死ぬまで幸福な生活が送れるかどうかを、よくよく考えてみてください。
 やはり、思いきってどこかでその気持ちを断ちきって、そして自分としてはなかなか決断しにくいことではあるけれども、ご両親のすすめか友人のすすめかなにかによって、どこかで他の新しい方との結婚生活に踏みきられたはうがよいと思います。
 その方は、おそらくまだ年も若く、人生経験も未熟で、あなたの上司と比べればはるかに頼りない男性に見えるでしょう。しかし、そうした年上の、言ってみればオジンにのめりこんだあなたのほうにこそ、やはり罪はあるわけであって、その方の若さは、頼りなさとイコールではありません。
 その頼りない彼も、十年すれば立派な男性に成長するのです。その成長性にこそ賭けなければなりません。男性というものは、自分の成長に賭けてくれる女性がなによりもありがたいのです。とくにまだ地位もなく、収入も十分でない若い青年ほど、自分の将来に賭けてくれる女性に恩義を感じるものです。
 そうして感じた恩義というものは、あなたが年をとって、たとえ見栄えがよくない時代が来たとしても、「あのときに俺に賭けてくれたあの期待を、忘れるわけにはいかない」ということで、あなたの夫になった人が若い女性との不倫にはいりそうになった際に、「いや、これはいけない」と踏みとどまる、その一助となるものなのです。
 このように、まだ未来の不確定な若い男性に対して期待をかけてあげるということは、女性の大きな美徳なのです。
 あなたは、思いきってその過去と訣別しなければなりません。そして、新しい船出を開始しなければなりません。
 人生は、いつも新しい出発に満ちています。どうかこの私の言葉を信じて、幻想の世界から早く出なさい。その道は、あなたが幸福になる道ではありません。
(51~53ページ)

相手の奥さんや子供のことを考えて、思いきって過去と訣別する勇気をもつこと。

そして、まだ頼りなく見えても、年若い男性の成長性に賭けて、新しい船出を開始すること。

人生は、いつも新しい出発に満ちている──。

うーん、ストレートで明快ですね。

人生の叡知に基づくアドバイスは、やはり不倫を肯定はしない。
 
このお教えは、かなり初期の頃のものですが、やはりこの真理は不変なのだと私は思っているのです。
 
 
『幸福のつかみ方』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




なんだか、まわりの人の話に入っていけないんだよね。だから一人でいることが多くって、さみしいんだ。こういう性格、直したいって思ってるんだけど? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「自分は人の輪のなかに溶け込めない」と自意識過剰になって苦しんでいる人は意外に多いのです。
 そうした人たちを観察してみると、ある事実が浮かんできます。それは「自分のからだや性格、能力のなかで、どこか特定の部分に大きなコンプレックスを持っていることが多い」ということです。そして、そのコンプレックスを人に知られまいとする気持ちが、必ずと言ってよいほど働いています。
 人の輪のなかに溶け込めないのは、おとなしい人ばかりではありません。そのなかには、はしゃぎすぎる人もいます。(中略)その反対に、人前に出るとまったく話ができなくなるタイプの人もいます。こうしたタイプには、地方出身で言葉に自信がない人や、自分の頭脳に自信がない人などがいます。(中略)
 人間というものは、他の人の訛りや方言だけをとらえて笑いものにするほど悪くはないのです。(中略)また、(中略)「ほんとうに何も話せないのならば、ばかだと思われてもしかたがない面がある」と私は言っておきたいのです。なぜなら、そこには努力がないからです。
 それは、ある意味での自己保存であり、自分をよく見せたいがゆえに人前で話ができないということにほかなりません。
 このような人への私からのアドバイスは、「話題をもっと見つけなさい」ということです。(中略)
 もっとも、人びとの話題自体にまったくついていけない人もいるかもしれません。特に、まじめな人にはそうした人が多いようです。(中略)
 しかし、(中略)あなたは他の人に対してあまり関心を持っていないはずです。関心を持っていないだけではなく、他の人を見下げ、その反動によって自分を高くし、澄んだ川に棲む高級魚のような気持ちになっているのではないでしょうか。そして、「世界観が合わない。人生観が合わない」と言って、人の輪から外れているのではないでしょうか。
 しかし、それは、逆の見方をすれば、「他の人から変わり者だと言われたくない」という自己保身が働いているのです。あるいは、認識力の不足によって、他の人のなかにある素晴らしいものを見いだせずにいるのです。(中略)
 高い認識力を備え、高い教養を持っている人ほど、それぞれの人の境涯や機根に合わせた話ができるものなのです。
 したがって、自分と似たようなタイプの人に対しては話ができても、違うタイプの人には話ができないならば、それは、自分の心の修行がそれだけ後れていることを意味しているのです。
 このような人は、もっと人間というものを知る必要があります。また、ほんとうの意味で自分に自信を持ち、自分自身の心の幅を広げることも大事です。心のなかに大きな内的空間を持つことが、多くの人びとと話を合わせるための秘訣なのです。
(99ページ)

まず、人に知られたくないコンプレックスがありませんか?

自分で意識してなかっただけで、実はそれが原因だったと気がつくことで、今の悩みは、瞬時に解決してしまうのかもしれませんね。

また、人というのは、言葉の訛りや方言だけをとらえて笑いものにするほど、そう悪くはないものですよって考えてみましょうよ。

実は、自分をよく見せたいのに、そうできないから、人前に出ると話ができなくなるんじゃないかな。

その場合は、話題を豊富にするよう努力してみましょう。流行りのテレビ番組や映画、ファッションなどをフォローする努力で、もっと余裕ができてきますよ。

まわりの人の話題についていけないし、ついていく気がない人? 厳しい言葉だけど、自己保身じゃありませんか。

実は修行がおくれていて、認識力不足のために、まわりの人の中にある素晴らしいものが見つけられないんじゃありませんか。

もっといろんな人間がいることを知ること。

本当の意味で自分に自信を持ち、自分の心の幅を広げ、大きな内的空間を持つこと──。

うーん、一口に「人の輪のなかに溶け込めない」って言っても、いろんな場合があるわけです。

まずは、大川隆法先生のお教えに素直に従って、いろんな角度から原因と対策を考えてみることで、なにかしら自分で解決できる糸口が見つかると私は思っているのです。

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あの人が死んでしまった。会社が倒産してしまった。難病で入院することになってしまった──。これまで順調な人生だったのに、なんで今、こんな理不尽なことが起きるの? なんて、深刻な悩みを抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生における嵐の渦中にあると、「なぜ自分がこうした苦悩や災難のなかにあるのか」と思うものです。しかし、そのなかにも何らかの学びがあることは事実です。また、それが人生の砥石であることも事実なのです。
 みなさんは、平安な日々、心穏やかな日々を欲するでしょうが、人生を閉じるにあたって、自分の一生を振り返ってみたとき、自分の人生が、何の波風もない平凡で平坦なものであった場合、それで満足でしょうか。「いい人生だった」と思って死んでいけるでしょうか。
 実は、波乱万丈のなかを切り抜けていくとき、魂は光り、喜びが増えていくのです。苦難や困難と対決しているさなかは確かに大変ですが、そのなかにいろいろな味わいがあります。そして、人間がひと回りもふた回りも大きくなっていくわけです。
 私は苦難や困難を礼賛するつもりはありません。しかし、そのなかには、人間を大きくするものがあることも事実です。これは無視できません。
 平凡な日々のなかでは、人間が大きくなっていくことはないのですが、苦悩に引き裂かれそうなときに、それを乗り越えていくことによって、大いなる自信が生まれてくるのです。
 賢者と言われる人の生き方の秘訣は、「どのような経験からも、どのような人からも、貪欲に学んでいこう」とする姿勢にあると思います。
 ある一面だけをとってみれば、どのような聖人よりも優れているという人は、世の中にいくらでもいるのです。孔子は立派な人でしたが、孔子にはできないような素晴らしい技が発揮できた人もいるだろうと思います。
 また、悪人のなかにさえ、学びの種があるのです。たとえば、悪人と言われる人のなかにも、他人の面倒見のよい者がいたりします。
 このように、人生というものは、「経験からどれだけ学べるか」ということを、仏から宿題として与えられているのです。
 人生に変化があればあるほど、起伏があればあるほど、学びの糧が数多くあります。そこからどれだけのことを学ぶか、見いだしていくかが課題なのです。
(47~49ページ)

愛する人の突然の帰天も、大事な勤務先がなくなってしまうことも、自分の予想外の重病さえも、その「経験からどれだけ学べるか」、これが仏からの宿題である──。

苦難や困難と対決しているさなかにある方、大変だと思います。

でも、そのなかに実は味わいがあるし、仏からの宿題を片づけることで、私たちがひと回りもふた回りも大きくなっていく。

そんなときこそ、苦難や困難は人生の学びのための大切な機会なんだと自らに言い聞かせながら、まずは今日なすべきこと、今日できることを淡々とこなしていきたいものだと私は思っているのです。

 

『不動心』

大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




オレって、欠点がいっぱいなんだよな。反省とかしてても、ほんと嫌になるよ。これじゃ元気出ないんだけどな? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 自分の欠点や弱点、失敗等がよく分かるときは、いまの自分を脱ぎ捨てようとしているときなのです。
 殻を脱ごうとしているときでなければ、自分の欠点や弱点が、なかなか分かりません。現在の自分で満足している人は、それについて、あまり分からないものなのです。あるいは、自分の欠点や弱点が分かっていたとしても、それを何とか隠したいと思っているものなのです。「欠点や弱点が人から見えないように、オブラートをかけて隠し、何とか、分からないようにして済ませられないかな。長所のほうで、何とか、ごまかせないかな」と考えるのです。
 したがって、自分の欠点や弱点がはっきりと見えてきはじめたならば、それは、自分が、もう一段、成長するときなのだということです。
 「自分は失敗をしていない」と思っている人は、ほんとうは、いろいろ失敗をしているのですが、それが分からないだけなのです。
(62~63ページ)

自分の欠点や弱点がはっきり見えはじめたのは、自分がもう一段、成長するときだからである──。

うーん、いまはつらいと思います。

でも、つまりは、ここが我慢のしどころではないでしょうか。

もう少しだけ、そのつらさに耐えて努力しているうちに、ふと気がつくと、はるかに成長した自分に気がつくときが必ず来ると私は信じているのです。

 

『幸福の法』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あの人がやっぱり、うらやましいんだよね。頭いいし、美人だし、彼氏はかっこいいし。自分はって思うと、納得できないな? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の仏陀』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

人には、それぞれ、
自然なる生き方というものがある。
自然体の人生というものがある。
そのなかに生きてこそ、
幸福に、伸びやかに、日々を過ごすことができるのだ。
それぞれの人に、それぞれの中道がある。
その中道を見いだすことこそ、
大切なことであるのだ。

この中道から外れる生き方を起こさせるものに、
他の者への嫉妬心がある。
この嫉妬は、嫉妬する心は、
決しておまえたちを幸福にすることはない。
このことを知らねばならぬ。
嫉妬は、毒牙を持った一匹の蛇である。
この蛇が、心のなかに忍び込むや、
おまえたちは夜も眠れなくなる。
常に、他の人間がうらやましくて、
その心、落ち着く時がない。

心せよ。
かくのごとき毒蛇を、みずからの内に引き入れてはならぬ。
嫉妬は、その芽のうちに摘んでしまわねばならない。
嫉妬の芽を摘むための考え方は、
これは、他の人に対する公平な評価にあると言ってよいだろう。

自分も、他人も、はるかなる昔に、
仏の子として、人間の生命を得た者であるが、
その時より、今日に至るまで、
幾千回、幾万回、
あるいは、それ以上の転生輪廻を重ねてきたのだ。
それだけ多くの回数を、地上生活者として送ってきたのだ。
ある者は、他の人々の幸福のために生き、
ある者は、他の人々を多く害して生きてきた。
その両者が、もし同じ扱いを受けるとするならば、
仏の創った世界は、
なんと不公平に満ち満ちていることであろうか。
やはり、それだけ多くの転生を経てきて、
人間には、
それぞれの魂の器というものが、
でき上がってきているのだ。
そうして、転生の過程を経てかたちづくられたる、
魂の器というものを認めない考えは、
これは、他人の努力を認めない考え方であり、
暴君のような、暗い心に支配されていると言わざるをえない。
(71~75ページ)

「嫉妬は、毒牙を持った一匹の蛇である」。

この毒蛇をみずからの内に引き入れず、その芽を摘むためには、他の人に対する公平な評価をしていくこと──。

私たち人間の魂は、実は数えきれないほどの転生輪廻を重ねてきた存在であるわけです。

それを知ったときに、その長い長いプロセスで、どういう努力をしてきたかによって、今のあの人があり、今の自分があるってことを考えることができます。

この大宇宙のすべてのものごとには「原因結果の法則」が適用されているのだから、その結果はむしろ公平であることが理解できます。

だとすれば、私たちが自分自身の力で未来を切り拓いていくためには、他の人々の幸福のために愛あふれる生き方を、これから始めていけばいいってことだと私は理解しているのです。

 

『永遠の仏陀』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人生最大の苦難・困難なんだよね。なんでこんな事件が起きるんだろ。私って、いまどうすればいいんだろう? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「人間は永遠の魂修行をしながら、くり返しくり返し、地上に生まれ変わっている」という考え方をとり、この視点から現在の自分の魂修行というものを見たときに、「自分がいま試練と考えているものは、ほんとうは違ったものではないのか」という、次の考え方が出てきます。(中略)
 特に、いま悩んでいること、まさしく悩みの中心となっているものは、みなさんの人生の問題集がいったい何であるかを教えているということなのです。「自分の人生の問題集が何であるのかを教えているのが、現在ただいまの悩み、特にいちばん深い悩みである」という教えを知っていただきたいのです。
 「苦しみの渦中にあると思いきや、いま自分は、今回の人生の問題集のなかで、いちばん大事な問題にさしかかっているのだ」「今回の魂修行にとっていちばん意味のあるところに、まさしくさしかかっているのである。これはおもしろい。エキサイティングである」──こうした考え方です。
 いよいよリングに上がったわけです。リングに上がる前には、首にタオルをかけて、シュッシュッシュッと、シャドーボクシングをやっていたわけですが、いっまでも練習ばかりをやっていたのではだめです。試合が始まって、「赤コーナー」と呼ばれたならば、やはりタオルを取って、リングに上がらなければなりません。「赤コーナー」と声がかかったときに、「トイレに行きたい」などと思ってもだめです。そのときには闘わざるをえないのです。
 今まさしく問題の渦中にあるということは、一カ月、二カ月、あるいは半年間、タイトルマッチのために練習してきて、やっと今リングに上がったのだということです。まさしくこのときのために今回の生があったのです。いや、今回の生というよりも、生まれ変わる前に、何十年か何百年か、実在界のどこかで修行してきて、「よし、今度は見ておれ。今度は見事にやるぞ」と思って地上に出てきたのです。したがって、その助走の期間だけをみても、少なくとも数百年はかかっています。場合によっては、もっとかかっている人もいます。それだけの期間をかけてトレーニングを積み、そしてタイトルマッチに出てきたのです。
 それなのに、リングに上がってから、「いまさら何を言っているか」ということです。リングに上がってしまえば、やらねばならないことは、わかりきっています。相手がいるのだから、あれこれ気にしないで、相手をノックアウトするしかありません。
 相手が人間であれば殴られると痛いけれども、実際は、みなさんの前にあって問題と見えているものは、人間ではなくて〝蜃気楼(しんきろう)″にしかすぎません。問題というかたち、悩みというかたちをとって現われている、みなさん自身のカルマにしかすぎないのです。リング上での対決は、他人との闘いではなく、みなさん自身のカルマとの対決です。これをノックアウトしなければいけません。それが今世の使命なのです。
(99~102ページ)

ボクシングをやったことはないんだけど、でも、そうなんだよね、と思えますよね。

このリング上での闘いというのは、他人との闘いではなく、自分自身のカルマとの対決なのだから、これをノックアウトしなくてはならない。

それが今世の使命なのである──。

「人生は一冊の問題集」というお教えを、いざその最大の問題が登場したときに、どう捉えればいいのか。

これを、とっても分かりやすく、しかもユーモラスに教えておられるのだと私は理解しているのです。

 

『常勝思考』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




あーあ、落ち込んじゃうんだよね。明るく生きることが大切って、教えられても、なかなかそうは行かないよ。どうすればいいの? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『アイム・ファイン』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

光明の人生を生きていくために、
常に心掛けなければならないことは、
「屈託なく生きる」ということです。

想像してほしいのです。
春の日差しのなかの、
そう、そんなに深くはない、
わずか二十センチ、三十センチの深さのせせらぎを。
その緩やかな水の流れに日差しが当たって、
せせらぎの水底が、まるで金色に輝いているようにも見え、
小川が、緩やかな水紋を映しながら、
うれしそうな声を上げて流れていく、そのさまを。

この小川の水が透明であるように、
みなさんの生き方も透明でなくてはなりません。
生き方が透明であるとは、
複雑なものの考え方をしないで、
単純に、素朴に生きることです。

人を疑って生きたり、猫疑心のなかに生きたり、
深い劣等感や感傷的な気持ちのなかに
生きたりするのではなく、
明るく、素朴に、単純に生きるのです。
もし、あなたを裏切ったり、
騙したりする人が現れたとしても、
「そんなこと、気にもかけない」というように、
素朴に生きることなのです。

子供は一晩眠れば何もかも忘れてしまうように、
屈託のない明るい生き方は可能です。
心のなかの重荷、レンガを取り払いましょう。
そして、風通しをよくしましょう。
(12~15ページ)

都会に住んでる人は、なかなかむずかしいかもしれませんけど、たまには、小川のせせらぎを眺めに行くといいですよね。

小川の水が、透明に流れていくように、「屈託なく生きる」こと──。

これって、大切な大切な、幸福な人生の秘訣なんだと私は思っているのです。

 

『アイム・ファイン』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あーあ、孤独だなあ。こんなに苦しいのに、だあれも私のこと、気にしてもくれないんだよなあ。独りで生きて行くのかなあ。・・・なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『愛から祈りへ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ここで、私は一つの真実を語っておきたいと思います。それは、地上にて人びとが苦しんでいる時には、天使たちも共に苦しんでおり、天使たちも共に悲しんでおり、天使たちも共に祈りつづけているということです。
 みなさんが病に苦しんでいる時には、天使たちも、その病が一日も早くよくなるように祈っています。
 地上が戦乱に巻き込まれる時には、多くの魂が迷わないように、傷つかないように、一日も早く目覚めるように、天使たちは集団で祈ります。
 また、地上に悪しき法が広がり、間違った教えが説かれている時にも、天使たちは、必ずや真実の法が広がり、多くの人が救われるように祈っています。
 そして、天上界から地上に出た光の天使が、伝道の途上で、さまざまな苦難や困難に見舞われた時には、「どうか道が開けますように」と、天上界の天使たちも心から祈っているのです。
 このように、祈りは地から天にだけ通じているものではなく、天においては、地への祈りというものもあるのです。
 天使たちであっても、自由意志で生きている地上の人たちを、思うがままにはできません。ただ、「なんとかして、地上にいる人たちをよい方向に導きたい」という願いを、彼らは持っています。
(102~104ページ)

この世のむずかしさは、いくら使命がある人であっても、それに自分で気がつくのは簡単ではない、ということ。

そして、いくら天上界で見守っている存在がいてくれても、それをこの世ではなかなか認識できない、ということ。

そのうえ、天上界の存在は、地上で生きている私たちを思い通りに動かすことはできない仕組みになっている。

だからこそ、天上界では、天使たちがともに祈ってくれている──。

私たちは、けっして独りではないって。

そう、自分の心の中を静かに見つめたときに、天使たちの暖かい念いが、伝わってきませんか? 

『愛から祈りへ』

  大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私の悩みって、心の問題なんだから、他の人には分かってもらえないのよね。あーあ、パシっと私の悩みの原因を明らかにしてくれる、悟りを開いた人って、身近にいてくれたらいいのになあ。・・・なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 たぶん、みなさんの悩みの七、八割ぐらいは、経済力がつくと解消するはずです。「自分の悩みは精神的なものだ」と考えているでしょうが、みなさんの悩みの七、八割は、経済力がつくと意外に解決するのです。
 みなさんの収入が今の十倍になれば、悩みの八割はまず消えると断言できます。意外にそうしたものなのです。
 たとえば、主婦の方が疲れてしょうがないとします。「なぜ疲れるのだろうか」と考えてみます。そうすると、何のことはない、ふだん買い物に行く所が家から遠いのです。お金がないものだから、駅から遠い所に家を建てざるをえなかったのです。そのために、買い物に行くのに二キロも歩かなければならなくて、くたびれてしょうがない、それだけのことだったということがあります。
 そうしてみると、解決するにはいろいろな方法があります。お金があれば、自転車を買うというやり方もあります。これは安く上がる方法です。ほかには、たとえば自動車を手に入れるというやり方も、もちろんあります。「自分は車の運転ができない」と言うかもしれません。しかし、その場合は、車を運転できるお手伝いさんを雇えばいいのです。そして、車を手に入れれば解決です。他人の買うものが信用できないのならば、誰かに運転してもらって買いに行けばそれでいいのです。経済力だけで片づく問題です。それだけのことで、いつも不平不満のかたまりになっていたはずです。
 また、「子供が病気だ」「おばあちゃんが病気だ」というようなことから出た困難もあります。これなども、人手があれば解決することがあります。意外なところに解決の手立てはあるのです。
 また、「子供の頭が悪い」と言って悩んでいるけれども、お金がないだけのこともあるのです。お金があれば私立の学校にでも行かせることができるのに、お金がないから国立でないとだめだということで、「おまえは頭が悪い」と言って子供をいじめているのです。これは、親の甲斐性がないというだけのことです。お金があれば私立にでも行けるのですが、国立にしかやれないという前提でいじめているのです。そのようなことがあります。
 こうしてみると、家族の悩みの〝ピン〟(原因)のところが、意外に経済的な問題であることが、現代では多いのです。
 そうであるならば、そこに止まって悩んでいるのではなくて、ほかに道はないかどうかを考えてみる必要があります。(中略)現状で勝手にネックを決めるのではなくて、常に、「どうすれば道は拓けるか」「何か工夫はないか」ということを考える必要があります。これは大事なことです。
 単に逆境に流される、あるいは不平不満を言うということではなくて、逆境は逆境としていったん受け入れるけれども、それをバネとして、さらに前進していく方法を考えていく必要があるということです。
(59~63ページ)

現代の「仏陀」(悟りを開いた人)である大川隆法先生は、自分の悩みは、実は、経済的な問題にすぎないのではないか、と発想を変えてみよと教えられます。
(ただ、これを〝お金がすべて″という教えだと誤解した人がいましたが、そういう教えじゃないですよね)。

もしそうであると分かったときには、対策も出てきます。

収入を上げる。支出を下げる。もっと根本的に生活パターンを変えてみる、等々。

要は、悩みが出てくるような逆境に対して、ただ流されたり、不平不満を言うだけではだめだ、と。

そうではなく、その環境をいったん受け入れた上で、それをバネとして、さらに前進していく方法を、思考を柔軟にして常に考え続けよ、と。

それが「常勝思考」としてまとめられている大切なお教えの一面であるのだと私は理解しているのです。

『常勝思考』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




こんなに悩んでるのは、親のせいなんだよね。社会のせいだよね。私の責任じゃないんだよね。それで私が苦しまなきゃって、おっかしいよね。・・・なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みなさんが苦しみを感じるときは、どういうときでしょうか。両極端として捉えるときに、外側に向かって責め立てているような気持ちと、内側に向かって自らを責め苛んでいる気持ち、この二つが、まずは極端として現われてきます。
 外側に向かって責め苛(さいな)んでいく気持ちとは何でしょうか。
 それは、自分自身の苦しみや不幸というものを、他の人のせいや、まわりのせいにしていく気持ちです。憎しみや怒り、嫉妬、羨望、清疑心、そのようなもので、目に見えない心の世界から見るならば、あなた自身の心から、あるいは口から、あるいは目から、常に他の人に対する攻撃の矢が放たれている状態、これがひとつの極端であるわけです。(中略)
 そうした批判のなかには、もちろん正当なものもあります。他の方が悪くて、それが原因で起きたいろいろな重大問題もたくさんあります。それはそれで、智慧をもって切り抜けていかねばならないことがあります。
 しかもまた、世相においても、経済が悪いとか、いろいろな天変地異が起きるとか、私たちを苦しめるような事態には事欠かない昨今です。(中略)いろいろなことは、もちろんあると思いますし、それ自体について、みなさん個人の力ではいかんともしがたい不可抗力もあると思います。
 ですから、「これが自分を苦しめている原因である」と認識すること自体には間違いがないことも、現実にはあります。現実には、そういう外部環境による苦しみもあることは事実です。
 ただ、その外部環境を捉えるときに、それがあなた自身の力によって変えていけるものかどうか、という観点が一つあるわけです。あなた自身の力によって変えていけるものであるならば、それはまだまだ努力の余地があります。
 たとえば、自分の幼子が、間違ったことをするならば、母親が叱ることによって、その誤りを正すことができるでしょう。「子供が悪い」ということだけを、毎日毎日、悔やんで悩んでばかりいるよりは、その子供の悪いところを積極的に指摘して叱ることによって、その行ないを正し、心の安らぎを得ることも可能でしょう。
 しかし、社会全体ということになってきますと、なかなか、そうはいかないものです。その際に考えるべきことは、大勢の人や環境に対する不平不満を持つよりも、そうした考えだけで自分の心を苦しめることが非生産的なことである、ということを悟ることです。そして、「まず自分にできることは何であろうか。この苦しみの大河、氾濫のなかから、自分自身のオールを使い、櫂(かい)を使って、抜け出せる道はないのか。どうやったら岸辺に上がることができるのか。自分としてできることは何なのか」ということを考えることが、そうしたものに対する不平不満を数限りなくあげることよりも、より生産的な道なのです。
(178~181ページ)

他の人やまわりが原因で、自分の苦しみや不幸が起きることも現実にはある。

それがあなた自身の力で変えていけるものであれば、まだ努力の余地がある。

そうでない場合も、それで苦しむのは非生産的だと悟り、まず自分にできることは何かを考えるのが、より生産的な道である──。

他人(ひと)のせいだ、環境のせいだと、いくら言い続けても、そうした考えで自分の心を苦しめるのは、非生産的なだけでよろしくないと悟ることだと、大川隆法先生は教えられます。

そして、今の困った状況は、自分自身の力によって変えていけるものではないのかと、何かできることはないのかと考えてみる努力をするのが、より生産的に人生を切り拓いていく道なのだとも、教えておられるのだと思います。

短い人生なんですから、より生産的に、前向きに、積極的に生きていって、何かを後世のために残したいものです。

そういった観点で考えたとき、大川隆法先生の説かれる人生論は、無限の価値を持っていると私は思っているのです。

 

『心の挑戦』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




許さなきゃって言われても、でも、そんなのむずかしいよ。なんで許すの。悪は許しちゃダメでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 高級霊たちは明らかに「善を取れ」「正しさを取れ」「仏に向かえ」と教えています。しかし、地上を去った世界には地獄があります。そこには悪霊やサタンがいて、地上に出てきては、多くの人を惑わせ苦しめています。
 彼らはいわば不合格者です。不合格者の魂は消滅することにでもなっていれば、世の中が非常にすっきりするように、みなさんは思うかもしれません。しかし、彼らは現に生きており、活動しつづけています。そこには小さな善悪を超えた大きな許しがあるのです。
 その許しは他人事ではありません。「自分の身になったらどうか」ということを考えてみればよいのです。
 人間は生きていく過程で失敗をすることがあります。成功した者だけが救われ、失敗した者は救われないならば、人びとは人間を何度〝廃止″されているか分かりません。しかし、またチャンスが与えられています。これはありがたいことなのです。
 それゆえに、勇気が出てきます。「失敗しても、やり直しがきく。永遠にやり直しがきくのだ」と思うからこそ、「よし、がんばってみよう」という気が起きるのだと思います。
 人を許す境地は、人を生かす境地より大きなものであることを知らなければなりません。それは仏の境地に近いものです。(中略)
 そこにいたるまでのあいだ、魂は、幾転生、幾百転生、幾千転生を経て、数多くの挫折を経験することでしょう。多くの人の苦しみや悲しみを見て、そうしたことに共鳴するものを、自分の心のなかに数多く持つことでしょう。さまざまな苦境を通り越して初めて、慈悲の心が湧いてくるようになるのです。(中略)
 人間は、修行をくり返し、精神が高まるにつれて、しだいに圧倒的な愛を持つにいたります。過去の幾転生のなかで得た魂の糧のすべてが、唯一の「愛の大河」を流していくための力になってくるのです。
(57~62ページ)

「愛する愛」よりも、「生かす愛」よりも高い境地である、「許す愛」。

それは、幾転生、幾百転生、幾千転生を経て、圧倒的な愛、慈悲の心が湧いてくるときに、至ることができる。

そこに至るまでには、多くの人の苦しみや悲しみを見るだけでなく、自分自身も数多くの挫折を経験し、さまざまな苦境を通り越すことが必要になる──。

「許す愛」は、菩薩の愛であり如来の愛なんだと思います。

そんな高い境地に到達するのは簡単でないのは当然のことではありますが、私たちであっても、人生の小さな場面で、この許す愛の一端を実践できることもあったりするんじゃないでしょうか。

そのとき、私たちは、自分の限界を少しずつ突破して、自分の器を広げているのではないかと私は思っているのです。
 

『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あの人のやったことって、許せないんだ。一生、憎み続けてやるって思ってるんだ。人間の自然な感情なんだから、しょうがないよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 他の人に対しても、「自分は、『一生、あの人を憎みつづけよう』と思っていたけれども、これ以上、憎みつづけても、自分も苦しい。もう、あの人を許そう」というように思うことが大事です。
 人を憎んでいると、たいてい、体の調子が悪くなります。憎まれている人、憎しみを受けている人も調子が悪いのですが、憎んでいる人も、やはり調子が悪いのです。
 原因不明の病気になったりする人は、多くの場合、憎しみの感情を強く持っています。「許せない」という憎しみの感情を持っていると、精神の作用によって、病巣が体のなかにできてくるのです。破壊的な思い、憎しみの思いが物質化して、ガン細胞になったりすることもあります。そのように、恩わぬところで病気が出てくるのです。
 したがって、自分自身のためにも、人を許さなければいけません。自分自身のことも許さなければいけませんが、他の人のことも許さなければいけないのです。
 自分に対して害をなした人、自分に恥をかかせた人、自分を迫害した人、自分を侮辱した人など、そういう人は、確かに、たくさんいるでしょう。しかし、許さなければいけません。一年、苦しめば、あるいは、三年、五年、苦しめば、もう充分です。
 そういう人たちも、現在は変わっているかもしれないし、反省しているかもしれません。「そのときは侮辱したけれども、あとで反省した」ということもあるのです。
 あるいは、「宗教を信じている」と言ったために、さんざん、ばかにされたとしても、三年後には、ばかにしたその人も宗教を信じているということだってあるわけです。そのように、相手が変化していることもあるのです。
 したがって、憎みつづけるべきではありません。ひどいことをされて、苦しい思いをしたとしても、それをいつまでも恨みつづけるのではなく、「相手も不完全な人間なのだ」と思わなければいけないのです。
(118~120ページ)

人を憎み続けていると、自分も苦しいし、体の調子が悪くなり、はてはガンにまでなったりする。

自分自身のためにも、人を許さなければいけない。

相手も不完全な人間なのだと思わなければいけない──。

憎しみなんて感情で、1年、3年、5年と苦しんできたら、もう十分だということです。

それもやはり、悪しき精神作用である「煩悩」の一つであるわけです。

ですから、相手のためだけでなく自分のためにも、憎しみは捨て去って、許さなきゃいけない。

そのとき必要なのは、「勇気」なのかもしれないとも私は思っているのです。


『大悟の法』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )




あーあ、私ってダメなのよねえ。あんなに頑張ってるつもりなのに、だあれも認めてくれないし、注意ばっかりされて。ほめられたことなんて、ないんだよね。生きてる価値ってぜんぜんない人間なんじゃないかって気がしてきて、なんだか気力なくなってきちゃった。どうしたらいいの? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「人からほめてもらえる」ということは、とてもうれしいことです。
 幸福の科学では、「正しい言葉で人をほめてあげよう。人に対しては、優しい言葉を投げかけ、愛を与えよう」と説いています。しかし、現実には、優しい言葉をかけ、愛を与える人の数は、まだまだ足りません。
 そこで、どうしても人がほめてくれないのであれば、たまには自分で自分をほめたほうがよいでしょう。
 見方はいろいろありますが、自分に関しては自分がいちばん情報を多く持っているのですから、「少し見方を変えてみようか」と考えることです。「あの人と比べて劣っている」「こうならなければ失敗だ」という考えでいくと、「自分は駄目な人間だ」ということになるかもしれませんが、少し違う見方もあるのではないでしょうか。
 現在の自分は、小学生のころから見れば、ずいぶん成長したはずです。(中略)
 そのような見方もあるので、人があまりほめてくれないのならば、たまには自分で自分をほめたほうがよいのです。
 ただ、人前で、「私は偉い、偉い」と自分をほめるのは、みっともないでしょう。(中略)人前で自分をほめる必要はないのであって、自分一人でやればよいわけです。
 毎日毎日だと、やりすぎかもしれませんが、週に一回ぐらい、「こんな鬱状態だし、まあ、たまには自分をほめてみるか」という気持ちを持ってもよいのです。
 「自分には、少しはよいところもあるのではないか」と考えることです。少なくとも、過去の自分と比べたら、何らかの成長をしています。「全部、失敗である。全部、以前より下がっている」ということはないのです。必ず何らかの面で進歩があります。(中略)
 そういう自分を少しはほめなければいけません。パタパタと風を送る気持ち、「頑張れ、頑張れ。いいぞ、いいぞ。よいところがあるぞ」という気持ちで、少しはほめたいものです。人がほめてくれないならば、自分で自分をほめなければいけません。天狗になっては駄目ですが、少しは自分をほめ、気分を高揚させることが大事です。
 鬱になって、反省しようとしてもできないのであれば、「よいところを見つけてみるか」と思い、自分をほめることです。(中略)
 ただ、それを他の人に聞かれ、けなされると、逆効果になります。(中略)人に聞かれないよう、自分一人で部屋にいるときに、ニッコリ笑いながら自分をほめていたほうがよいのです。
 何をほめるかが考えとして浮かばなければ、紙に書いてもよいでしょう。
(89~94ページ)

気持ちが水面下に沈んでしまって浮上できない気がするとき。

そのときは、自分をもっとほめてみようって。

天狗になれということではないんだけど、たまには自分の見方を変えてみて、自分で自分をほめてみよう──。

何かないかなあって、紙に書いてみれば、必ず一つや二つ、ほめれることって、出てくるものですよね。

小学生のときの自分と比べてみたら?

中学生のときとならどうでしょう?

そんなに簡単に見捨てられない、なにかしら進歩した自分が見つかりますよね。

そういう自家発電できるやり方を知っていることも人生を生き抜く叡知の一つだってことを、今日は教えていただいたのだと私は思っているのです。


 

『希望の法』

大川隆法著

 

 (↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




悲しくて涙が流れるの。言葉にできないくらいなの。どうすればいいの? なーんて悩みを抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『愛から祈りへ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

悲しみの時にこそ、
自己と対面せよ。
真実の自己の姿を知れ。
自分の本心を知れ。
自分の仮面をはいで、真実の姿をさらけ出せ。
泣きたい時には泣け。涙を流せ。
涙を流したその時に、
自分がいかに偽りの多い人生を生きていたかを
知ることもあるであろう。
そのような時に、
あなたがたの魂は、確実に一歩前進しているのだ。

悲しみの時には、真実の自己を発見せよ。
悲しみの時には、自分の本心を発見せよ。
悲しみの時には、大いに嘆くがよい。悲しむがよい。
その時に、自分の偽我を涙でもって洗い流せ。
その涙が晴れた時に、
清新なる自己というものが、よみがえってくるであろう。
その新しい気持ちを忘れるな。
涙でもって、自分の塵や垢を洗い流せ。
そして、新たな気持ちでもって、
ふたたび人生を歩みはじめよ。
そこに、次なる飛躍台があるのだ。
次なる道への最短距離があるのだ。
(75~78ページ)

悲しみの時にこそ、真実の自己の姿を知れ。

その涙が晴れた時に、清新なる自己がよみがえってくる。

そして、新たな気持ちで、ふたたび人生を歩みはじめよ──。

悲しみのさなかではなかなか分からないかもしれません。

でも、通りすぎて振り返ってみると、たしかにこれが叡知の言葉だと分かってくると思います。

この仏の言葉をかみしめて、悲しみのときを乗り切っていきたいものだと改めて私は思っているのです。

 

『愛から祈りへ』

 大川隆法著

 

↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




オレって、学歴がないんだよね。やっぱ、なんだかんだ言ったって、学歴社会だよね。出世するとかムリだよね。・・・なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ダイナマイト思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 劣等感との闘いも大きなものです。しかし、劣等感との闘いはそう長く続くものではありません。心のなかに明るい光を入れることによって、悪いものは消えていきます。明るい種子を播くことによって、そしてそれが成長し、花開くことによって、暗いものは心のなかから駆逐されていくものなのです。
 みなさんは、決して過去の事実だけで自分を規定してはなりません。学歴一つとってもそうです。いい学校を出たかどうかという基準は、世間では通用していますし、それにもいくぶんかの合理性があることは私も認めます。けれども、幸福の科学の会員を見てごらんなさい。たとえどのような学歴の人であっても、一生懸命勉強しているうちに次々と頭が良くなるという奇蹟が、現われてきているではありませんか。(中略)仏法真理の書を十冊、二十冊、五十冊、百冊と読み続け、講演のテープを聴いて学んでいるうちに、頭脳は活き活きとし、目は輝きを放ち、そして、どこから見ても見事な教養人の姿が現われてきているではありませんか。これは素晴らしいことです。(中略)
 実社会に出てから真なる学問に目覚め、学ぶことのよろこびを得、知ることのよろこびを得た。そして、ものごとを深く理解することがいかに大切なことであるかを理解した。その事実は、学校教育では決して補いえないものであると私は思います。今、真に賢い人たちが、群れとなって、集団となって、幸福の科学に現われているのです。
 また、賢いだけではありません。人びとの考えは積極的になってきました。ユートピア建設に向けて、「さあ、やるぞ。バリバリやるぞ。勢いをつけてがんぼるぞ」という人が、ここにも、かしこにも現われています。素晴らしいことです。やる気のある人が、積極的で建設的な人が大勢出てきています。そういう人があふれてきた社会が素晴らしくなるのは、もはや時間の問題なのです。
 その出発点が何であったかというと、心のなかに理想の種を播いたということです。素晴らしいユートピアを創ろうと決意したということです。自分もそれに参画していこうと思ったということです。これが始まりだったのです。
 そう思わなかったならどうでしょう。「ユートピアなんて、いつまでたっても来るものではない。そんなものは机上の空論だ。過去にもなかったし、今後もあるわけはない。暗い時代ばかりが続くのだ」、こうした皮肉屋のような考え方でシニカルに生きている人で満ちたら、世の中は少しもよくならないでしょう。
 しかし、「ユートピア? うーん、できるんじゃない? 少なくとも、私が働けば私一人分だけユートピアが近づくし、私の友達が働けば、またそれだけユートピアが近づいてくる。みんなでやれば実現するのではないかな」、こうした考え方を持つ人がいたらどうでしょう。その人の光は間違いなくロウソク一本分以上の輝きを持っていることでしょう。おそらくは、小さな小さな花火であったとしても、打ちあげられて夜空をきれいに飾る花の一輪になることでしょう。
(116~119ページ)

心のなかに明るい種子を播き、それが成長し花開くことによって、暗いものは心のなかから駆逐されていく。

どんな学歴かにかかわらず、一生懸命勉強しているうちに頭が良くなっていく人々が、幸福の科学に群れとなって現われている。

心のなかに理想の種を播き、素晴らしいユートピアを創ろうと決意すれば、その光は間違いなく、打ちあげられて夜空を飾る花の一輪になっていく──。

まずは、心のなかに理想の種を播くこと。

たとえば、素晴らしいユートピアを創ろう、自分もそれに参画していこうと決意すること。

心のなかに理想の種を播いて、成長させ、花開かせることによって、劣等感なんかいつのまにか追い出してしまえる。

人生で成功し勝利していく大事な大事な秘訣を、今日はわかりやすく教えていただいたのだと私は思っているのです。

『ダイナマイト思考』

 大川隆法著

 

↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ