ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



月の裏側って、なんだか不思議だよね。じつはいろんな建物が建ってるとかいう話、聞くことがあるけど、ほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙からのメッセージ 宇宙人との対話Part2』(幸福の科学出版)で、面前に座ったFさんの魂に宿る月から来た宇宙人の発言(霊言)を、司会との対話の形で、次のように伝えておられます。

月から来た宇宙人 はい。私が来たのは、ほんの最近で、地球人になったのは今回が初めてなんです。前回は月に住んでいました。
 月の裏側には、今、ドームなど、いろいろな建物がたくさん建っているんですけれども、そういう非常に高い建物を建てる建築業をしていたのです。だから、尖った三角形の建物など、私の建てたものが月の裏側にはあります。早く行って写してきてくれることを待っているのです。(中略)
 私は建設の責任者として建物を建てていました。
 月の裏側は、今、実は共用基地になっていまして、一種類ではなく、いろいろな種類の宇宙人たちが、地球に来る前の前線基地、補給基地として使っています。月の裏側は地球から見えないので、そこで、いったん休んでから、地球に来ています。
 また、隠れるときには、「月の裏まで飛んでいって、休む」というかたちをとったりします。地球に長くいることは、なかなかできないので、地球の上空を飛んだり、着陸して調べたりと、いろいろなことをしたあとは、いったん月の裏に隠れています。
 われわれの円盤などの航行速度で言うと、月の裏側まで行くのでしたら、どうでしょう、ものの一分もかからないで行けてしまうのです。
 だから、月は、そういう基地ですね。(中略)
司会 あなたは何星人なのでしょう?
月から来た宇宙人 私ですか。(中略)私は、もともとは火星人なのです。火星に人類が住んでいたときの火星人です。(中略)昔は火星にも人類が住んでいたことがあるのです。
司会 今は住めていないのでしょうか。
月から来た宇宙人 火星は、今、ちょっと環境が悪くて、暑いときは、すごく暑く、寒いときは、すごく寒く、温度差が激しいのですが、まだ住んでいる人はいますよ。(中略)ただ、大量の人は住めない状態なんですね。(中略)
 エアコンが強力でないと、零下百何十度になったり、直射日光が当たればすごく暑くなったりします。そうとう断熱を行い、暖冷房を昼と夜で引っ繰り返さないといけないので、エネルギー効率がすごく悪いのです。(中略)
司会 あなたは、どのようなお姿をされている宇宙人なのでしょうか。(中略)
月から来た宇宙人 私はタコのようなかたちです(会場笑)。霊体は、あの姿です(会場笑)。はい。火星人ですから。
司会 火星人はニワトリ型だと聞きましたが(『宇宙人リーディング』第2章参照)。
月から来た宇宙人 いや、それは、ほかにもいるのです。(中略)ニワトリ型もいるんですけど。
 あのH・G・ウェルズが火星人をタコの形で描いているのですが、あれは本当です。彼は非常に優れた霊能者です。(中略)彼自身がもともと宇宙人だから、それを知っているのです。
 火星人にはニワトリ型もいますけど、タコ型火星人も、やはり本当にいたのです。(中略)
 頭が大きくて、足が長く、そのため、立ち上がると、すごく背が高いんですよ。全長は十メートルぐらいあります(会場どよめき)。
(203~214ページ)

月の裏側は、共用基地になっていて、いろいろな種類の宇宙人が、地球に来る前の前線基地、補給基地として使っており、ドームや、尖った三角形の建物などが建っている。

火星の人類は、ニワトリ型以外にタコ型もいたが、頭が大きく足が長く、立ち上がると全長は十メートルぐらいあった。

火星は、暑いときと寒いときで温度差が激しいが、まだ住んでいる人はいる──。

月の裏側には、じつはいろんな建築物があって、NASAはそれを知っているのにひたすら隠しているという類の話は、かなり以前から、いろんなところで伝えられています。

大川隆法先生による宇宙人リーディングでは、繰り返し、月の裏側には宇宙人たちの基地があるという具体的な話が登場し続けています。

やはり月の裏側の話は、トンデモ話の類ではなくって、真実だと考えるべきなんだと思います。

それにしても、NASAの火星探査車が、たくさん鮮明な火星の写真を送ってきている中に、不思議なものが映り込んでいるという話も一部で流れていたりしています。

火星についても、大川隆法先生のリーディングで、もっともっとその真実が明かされていくことを私は期待しているのです。

宇宙からのメッセージ (OR books)

『宇宙からのメッセージ 宇宙人との対話Part2』

 大川隆法著


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ね、霊界にも時間ってあるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 霊界では、時間の概念もこの世とはまったく違っています。これも霊界の特徴の一つです。
 この世では、「現在は○年○月○日の○時である」と特定することができます。そして、「時計で計る一時間という時間は、だれにとっても一時間である。一日はだれにとっても一日である」ということになっています。
 ところが、あの世では時間の概念がまったく違います。あの世には事実上、共通の時計がなく、それぞれの人がばらばらの時間を生きているのです。これも、この世の感覚では非常に理解しにくいことです。(中略)
 この世の時間は、過去から現在、現在から未来へと、川が流れるように一方向にのみ流れていきます。この世では、時計で計れる物理的時間を、だれもが「当然だ」と思い込んでいます。
 あの世において、この世の時間に相当するものがあるとすれば、それは意識の流れです。「どちらが先で、どちらがあとか」という前後関係、「これが原因で、これが結果」という連鎖は、あの世にもあります。(中略)しかし、それが確定しているかどうかは、いま一つ分かりません。
 あの世では、過去・現在・未来が一直線につながるのではなく、円環のようになって螺旋状に回っているため、それが過去の時間なのか未来の時間なのか、分からないところがあるのです。たとえば、未来に向けて進んでいると思っていたのに、実は過去に向かっていたということもあります。
 そのように、霊界における時間は、円環状に回っています。この円環には小さなものから大きなものまであり、最も大きな円環になると、おそらく何百億年という時間が入っているでしょう。そうした大きな円環のなかに、小さな円環がいくらでもあるのです。(中略)
 霊界では、未来のビジョンだと思っても、実は過去のことだったりするので、霊界での経験は、現在ただいま起きていることなのか、それとも何百年か前に起きたことなのか、あるいは未来に起きることなのかを確定するのが非常に難しいのです。
 また、「これは確定的に起きることだ」と思っても、それが実は、ある霊人の心のなかで起きている現象にすぎない場合もあります。
 一人ひとりの心のなかでは、さまざまな想念が展開しています。そして、霊界においては、だれかの心のなかにある想念を受けると、それを未来のビジョンだと思ってしまうことがあります。しかし、それは未来のビジョンではなく、単に、ある人が心のなかで考えていることにすぎないのです。
 こうしたことは言葉では非常に説明しにくいのですが、はっきり言えるのは、「霊界では、過去・現在・未来が、洗濯機のなかの渦のように回っている」ということです。
 しかも、その渦は一つではなく、さまざまな回り方の渦があり、それぞれの人がどの渦のなかに入るかは個人の意識によって異なるため、確定できないのです。
(83~87ページ)

霊界では、時間の概念もこの世とはまったく違っていて、事実上、共通の時計がなく、それぞれの人がばらばらの時間を生きている。

あの世において、この世の時間に相当するものは意識の流れであり、前後関係、原因と結果の連鎖はあの世にもあるが、それが確定しているかどうかは、いま一つ分からない。

あの世では、過去・現在・未来が、円環のようになって螺旋状に回っており、しかも、その渦には、さまざまな回り方の渦があり、どの渦のなかに入るかはそれぞれの人の意識によって異なるため、時間が過去なのか未来なのか、分からないところがある──。

うーん、今日は、霊界の新たななんとも言えない不思議さについて、教えていただいたのだと私は思っているのです。

繁栄の法―未来をつくる新パラダイム (OR books)

『繁栄の法』

  大川隆法著


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人生って、とっても平凡な日々の積み重ねなんだよね。「神秘」なんて言われても、人生にそんなの、ないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

あなたがたの多くは、まだまだ、
この世のなかに隠されたる神秘と、その美に目覚めていない。
あなたがたの多くは、どうしても、
自分の身の回りにしか目が行かない。
そして、多くのものを見過ごしているのだ。

大地を歩くときに、その大地を見つめてみよ。
その大地をつくるために、
いかほどの歴史が刻まれているかを、
その大地のなかで、
どれだけ多くの生命がうごめいているかを、
見つめてみよ。
大地のなしている、大いなる仕事の数々を、
あなたがたは思い起こさねばならない。

そうして、あなたがた一人ひとりが、
この大地の上に、小さな家を建てて住んでいる。
そこに大きなメルヘンがある。
はるかなる上空から眺めてもみよ。
見渡す限りの大地に、
一つひとつの夢を託して、小さな小さな家が立ち並んでいる。
はるかなる上空から眺めてみるならば、
そこに住んでいる人たちの姿は、どのように映るであろうか。
そのなかに、一つの夢がある。
そのなかに、一つの生涯がある。
そのなかに、家族の営みがある。
そこに、ほほえみがあり、そこに、幸せがある。
それを、あなたがたは想像することができるだろうか。
一つひとつの小さな家のなかに、
素晴らしい語らいがある。
素晴らしい歴史がある。
素晴らしい物語がある。
愛し合った男女が一つになり、
子供が生まれ、その子供が育ち、家族が大きくなり、
また、新たなる者が、老いたる者に取って代わり、
そして、時代が進行してゆく。
しかし、すべてのものは、前進、前進、前進あるのみであって、
決して後退することはない。
あたかも川を流れ下ってゆく小舟のように、
すべてのものは、先へ先へと進んでいって、少しも退くことはない。
その家族の歴史を見てみるときに、
ああ、この大地に、
いかほどの幸福が生まれていることよ。
いかほどの愛が生まれていることよ。
それは、素晴らしいことではないだろうか。
(186~190ページ)

日々、仕事とか学業に追われてすごしていると、なんだか視点が縮こまってしまいます。

でも、こんなふうに教えていただくと、私たちの日々の生活には、じつは見過ごしてきた「神秘」が、あふれるほど、あるんじゃないでしょうか。

そんな高い大きな視点をもって生きていきたいものだと、今日、改めて私は思っているのです。

限りなく優しくあれ―愛の大河の中で (OR books)

『限りなく優しくあれ』

 大川隆法著


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あの有名なノーベル賞物理学者のアインシュタインって、アメリカ大統領に、原爆開発を進言したりしたんでしょ。日本で流行ってる反原発運動、どう考えてるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『アインシュタインの警告──反原発は正しいか』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 日本では、次の政局がらみで、脱原発、反原発運動をする勢力を国民全体の総意的に宣伝する左翼マスコミがあるため、へたをすれば、「核の刀狩り」をされてしまうおそれがある。
 思い返せば、アメリカのオバマ民主党政権と日本の鳩山民主党政権の「チェインジ」こそが、世界一位、二位で共同して世界をリードしていた両国家の没落の引き金を引いてしまった。一見、耳ざわりのよい宗教的スローガンが、地獄への道であったのである。
 日本人が民族として生き残りたければ、核の技術は捨ててはならない。それは、既に核兵器を大量に保有したり、開発しようとしている悪しき隣人への抑止力となるとともに、爆発する世界人口増を産業的に支える命綱でもある。
 ポピュリズムこそが敵である。マスコミも政党も、ポピュリズムの誘惑に屈してはならない。

あとがき
 原爆の父ともいわれるアインシュタイン博士は、その正しい管理と運用によって「正義の実現」を望んでおられる。
 単なる核へのアレルギーから、ムードだけで反原発運動をするのは、理性もなく、知恵もない証左だ。
 この国の世論とマスコミは、間違いの常習犯であるので、恐ろしい。ソクラテスを死刑に追いやったような、愚かしい民主主義を感じる。
 留保条件をつけつつも、脱原発で票を集めようとする政治家の心の醜さは、万死に値する。
 反米運動をやり、脱原発で核大国の悪しき隣人におどされたら、この国は属領化される。それがわからないなら、政治家もマスコミも廃業するがよい。
 正しいことを述べるのに、勇気を持ちなさい。
(1~2、154~155ページ)

あのアインシュタイン博士は、もう亡くなって70年近いわけですが、明らかに天上界に還っており、日本の反原発運動には明確に反対の意見でした。

そして、アインシュタイン博士は、とても理性的で力強い方でした。

科学者といえば、まずアインシュタインのお顔を思い浮かべてしまう私にとって、とてもうれしく、また凄い内容の書物だと感じたことを、ここで御報告しておきたいと私は思っているのです。

アインシュタインの警告―反原発は正しいか (OR books) 『アインシュタインの警告』

 大川隆法著


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あの世なんて、ほんとにあるのかな。目に見えないんだし、実際に死んだらわかるでしょ。あってもなくても別にいいじゃない? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『愛、無限〔改装版〕』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 あの世の存在を信じることは、なぜ大事なのでしょうか。それは、「真実の人生」を生きるために必要だからです。
 「人間は、どのような意味を持った存在なのか。つまり、人間とは何なのか。人間は、どこからか来たものなのか。それとも、偶然に生まれたものであり、唯物的に物としてのみ存在するものなのか」という、人間存在の根本に関する理論は、人生の意味や生き方と大きくかかわっています。
 そして、「あの世があることを知らない人間は、『真実の人生とは何か』という問いに答えることはできないであろう」と私は考えています。そのような人の人生は、非常に小さな箱庭のなかで生きているようなものだと思います。
 人間は、もっともっと素晴らしいものです。みなさんも、言葉としては、これが分かるでしょう。また、人間の尊厳ということも、基本的人権ということも、「人一人の生命は地球より重い」ということも、言葉としては分かるでしょう。しかし、その本当の意味、根底にある意味は、あの世の存在を信じなくては知ることができないのです。
 『旧約聖書』を読むと、「神は、単なる砂や泥から、まるで粘土をこねるようにして世界や人間を創った」というようなことが書いてあります。また、「人間の形をとったものに対して、生命の息吹を吹き込んだ」とも書かれています。
 まさにそのとおりです。この「生命の息吹」があってこそ、人間は尊いのです。それがなければ、人間の体は、分解されて土に還ると、土の成分とまったく変わるところがありません。火葬場で焼いてしまえば、一握りの骨と二酸化炭素や水分以外の何ものでもありません。
 それのどこが尊いのでしょうか。二酸化炭素が尊いのでしょうか。あるいは、蒸発した水分でしょうか。残った一握りの骨でしょうか。いったい、どれが尊いのでしょうか。
 そう考えたとき、「人間を物質としてのみ捉える人間観を持っている人には、人間の尊さを論理的に導き出すことは決してできない」と私は思うのです。
 確かに、人間の体は、死ねば土に還る素材でできています。しかしながら、素材が尊いのではなく、体のなかに宿っている、生命の息吹とでも言うもの、魂とでも霊とでも言うべきもの――この存在こそが尊いのです。
(11~13ページ)

あの世があることを知らない人間は、「真実の人生とは何か」という問いに答えることはできない。

また、人間を物質としてのみ捉える人間観を持っている人は、人間の尊さを論理的に導き出すことはできない。人間の尊厳も、基本的人権も、「人一人の生命は地球より重い」も、その本当の意味は、あの世の存在を信じなくては知ることができない。

人間の体は、死ねば土に還る素材でできているが、その素材が尊いのではなく、体のなかに宿っている「生命の息吹」とでも言うもの、「魂」とか「霊」と言うべきものの存在こそが尊いのである──。

大川隆法先生のこういうお教えに対比して考えてみると、あの世を信じないままの人生というのは、その意味がまるでわからない、とてもむなしいものではないでしょうか。

唯物論者のままであったならば、なぜ人間が尊いのか、なぜ人には基本的人権があるのか、なぜ人の生命が重いのかは、考えれば考えるほどわからなくなるはずです。

でも、世界はこの世だけでできているのではなく、あの世があることを知ること。

また、人間は、肉体に神の子、仏の子としての「霊」が宿ることで人間となって、この世の人生を送っていると知ることで、「真実の人生」がみるみる見えてきます。

このブログでも延々とご紹介しているわけですが、大川隆法先生はまったくあり得ないほどの速度で、大量の「霊言集」を刊行しておられます。

それは、霊と話す能力がない私たちに対して、「あの世の存在を信じること」ができるための実感としての手がかりを与えて下さっているのだと、私は思っているのです。

愛、無限―偉大なる信仰の力 (OR books)

『愛、無限〔改装版〕』

 大川隆法著


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世の中にエリートって多いけど、でも、ほんとのエリートと偽物のエリートがいるんじゃないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仕事と愛〔改装版〕』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 現在、世界情勢は、さまざまに動いていますが、そうしたなかで指導者たちの真価が問われています。(中略)
 彼らが真のエリートか、それとも偽りのエリートかは、彼らを逆境にさらしたとき、非常によく分かるようになります。真のエリートは、逆境にあって狼狽しません。一方、偽りのエリートは、逆境にあって、どうするかというと、自己の保身のために、まったく取り乱した行動をするようになります。そして、今まで仏顔をしていた、その顔が、突如、夜叉の顔に変わって、「自分の権益を剥奪しようとする者たち」に対する強力な弾圧を始めます。
 ところが、真なるエリートは、たとえ人々から誤解されることがあろうとも、そうした逆風のなかで淡々としており、自己研鑽を怠らず、「一陽来復」を待って、自らがその真なる力をまた発揮することができる日を期するものなのです。その根本はどこにあるかというと、「私心があるかどうか」「無心であるかどうか」というところだと思います。(中略)
 これからの不安定な経済情勢や国際情勢のなかで、真のエリートとして集団を率い、人々を率いていくためには、(中略)「劣悪な条件にありながら、あえて、その逆境と闘うことを避けなかった人」「不利な状況のなかにあえて身を置きながら、自分の能力を試した人」「多くの人たちが嫌がる仕事、嫌う仕事を、あえて引き受けて成功させた人」「時流に乗っていない分野において、あえてコツコツと努力を続けて成功した人」――こうした人が真のエリートであり、これからの時代を担う人物だと思います。(中略)
 特に、若者に対して言っておきたいのは、「日の当たるところのみを経験しようとは決して思うな」ということです。「人が嫌がる仕事を好んで選べ。また、逆風を好んで船出せよ。今、日の当たらないところに、自分の人生をかけてみよ。それでこそロマンではないのか」と言いたいのです。
 「一流大学を出て、一流会社に入り、将来は役員になる」ということを、一生の目標にしている人は多いでしょう。そうした人は、この世的には「エリートだ」と言われることも多いでしょう。しかし、私には、どうしても何かが物足りないのです。それは、「このわずか数十年の人生を、あまりにも分かり切った方程式を解くために使っている」と感じられるからです。
 簡単な方程式を解いて、そんなに人生が面白いでしょうか。むしろ、そう簡単には解けない方程式に取り組み、七転八倒して解答が出てこそ、「やった!」という充実感があるのではないでしょうか。
 誰もが解けるような方程式を解く人、誰もが飛びつくようなところに行く人を、私は真のエリートとは思いません。はたから見て、「こうした学校を出ているからエリートだ」「こうした会社にいるからエリートだ」と言われることに、自己同一性、アイデンティティーを感じて喜んでいる人たちは、やがて数十年ほど先には没落の憂き目に遭うであろうと私は思うのです。
(92~98ページ)

指導者たちが真のエリートか偽りのエリートかは、逆境にさらしたときにわかる。真のエリートは狼狽しないが、偽りのエリートは自己保身のために取り乱し、権益剥奪しようとする者たちに強力な弾圧を始める。

これからの不安定な経済情勢や国際情勢のなか、真のエリートとして人々を率いていくためには、誰もが解ける方程式を解くのではなく、劣悪な条件にあってあえて逆境と闘うことを避けなかった、多くの人が嫌がる仕事をあえて引き受けて成功させた、時流に乗っていない分野であえて努力を続けて成功した、というような人でなければならない。

だから、若者は、日の当たるところのみを経験しようとは思うな、人が嫌がる仕事を好んで選べ、逆風を好んで船出せよ、今、日の当たらないところに、自分の人生をかけてみよ、それでこそロマンではないのか──。

真にエリートたらんと思う若者は、この未来への希望とロマンを説く、大川隆法先生のもとに集うべきである。

心から私はそう考えているのです。

仕事と愛 〔新装版〕 (OR books)

『仕事と愛〔改装版〕』

 大川隆法著


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国連の常任理事国って、5カ国しかないんでしょ。日本には関係ない話なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『もしドラッカーが日本の総理ならどうするか?』(幸福の科学出版)で、著名な経営学者、ピーター・F・ドラッカーの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 まずは、国連の常任理事国に入ることが大事だと思いますね。これだけの大国になって、入っていないことのほうがおかしいと思いますので、やはり、国連の常任理事国に入るために必要な条件を満たすことが大事だと思います。
 そのためには、外交の能力をもっと上げなければいけないし、今、言ったように、経済的な鎖国状態が一部にありますので、それをもう少し開けるべきだろうと思うし、発言力も必要ですね。
 世界に対する「オピニオン力」が足りないために、日本は、「能がない国だ」と思われているというか、「考え」がないように思われています。アメリカにただついていっているだけの国にしか見られていないのです。やはり、オピニオン(意見)をきちんと発信することが大事ですね。
 マスコミについても、「世界的なマスコミ」をつくらなければいけません。世界の情報を網羅し、その情報を発信できるようなマスコミをつくらなければいけないでしょうね。
 それから、軍備についても、「一切してはいけない」とは、私は思っていないので、まずは、少なくとも、通常防衛のレベルで、「自分の国は自分で守れる体制」をきちっとつくるべきだと思いますね。
 核兵器等については、憲法上の難しい問題や、過去に原爆を投下されたことへの怨恨と言いますか、ルサンチマンがかなりあって、抵抗がすごく大きいだろうと思います。
 しかし、まずは通常防衛のレベルで、戦争によって国が支配されないようなところまで、きちっと体制をつくることは、国際的に見ても、何らおかしいことではありません。まず、これをきちっとやることです。(中略)次は、どこかの段階で、やはり核武装に踏み切るべきだと思いますね。これをやらなければ、絶対に常任理事国にはなれませんので、どこかで踏み切るべきです。(中略)
 北朝鮮の核武装を警戒して、それに対する抑止力としてのみ、いちおう、こちらのほうも準備はしておくということです。(中略) 「これは防衛のためのものです」ということで、日本の国が自主的に判断してよいことなのです。(中略)宇宙へのロケットの打ち上げ訓練を一生懸命にやりながら、同時に、「いざというときには、どのくらいのタイムスケジュールで核兵器をつくれるか」ということを、政治日程として詰めておく必要があります。(中略)
 向こうが、「核で日本を攻撃する」と宣言したときに、「実は、うちにもあるんです」と、一言、言ったら、それで戦争はなくなるのです。だから、核攻撃をすると言われたときに、「実は、うちにもあるんです」と言えるだけの準備は、密かに進めておかなくてはいけません。それは、政治家としての使命だと思いますね。(中略)
 それはもう、決断の問題ですね。誰か一人か二人、まあ、一人ではできないかもしれないけれども、やはり、歴史の決断として、勇気を持って、それを受け止めなければいけないと思いますね。
(125~136ページ)

これだけの大国になって、国連の常任理事国に入っていないほうがおかしいので、そのために、必要な条件を満たすことが大事である。

そのためには、外交能力をもっと上げ、一部ある経済鎖国状態をもう少し開くべきだし、情報を発信できるマスコミを作るなどして、世界に対する「オピニオン力」も必要である。

軍備も、少なくとも通常防衛のレベルで、「自分の国は自分で守れる体制」をきちっとつくるべきであるし、次には、どこかの段階で核武装に踏み切るべきだと思う──。

著名な経営学者ピーター・F・ドラッカーは十年以上前に帰天しているわけですが、そのドラッカーの霊に、天上界から実際に、もしも自らが日本の総理なら何をするかを語らせた、ほんとうに夢のような書物です。

ドラッカーが軍国主義者だというような話はもちろん聞いたことがありません。しかし、日本も核武装に踏み切らないと、国連の常任理事国の要件を実は満たさない、という冷静な判断が示されたわけです。

今日は、要点をご紹介するために、「中略」だらけの引用になってしまいました。ドラッカー霊の発言を正確な学びたい方は、ぜひ本書を手にとってみられますように!

もしドラッカーが日本の総理ならどうするか? 公開霊言 マネジメントの父による国家再生プラン 公開霊言シリーズ

『もしドラッカーが日本の総理ならどうするか?』

 大川隆法著


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思想なんて、むずかしいよね。どんな思想を持つかなんて、そんなめんどくさいこと、どうでもいいじゃないの? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『Think Big!』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 思想的な影響というものは極めて重要です。影響が表面的なものであるならば、しばらくすると流れ去っていきますが、表面意識の部分を突き抜けて、もう一段深い部分、潜在意識の部分にまで染み込んできたものは、自分自身に大きな影響を与えます。その場合には、自分の未来全般に影響が出てくると思ってよいでしょう。
 雨にたとえると、「雨が降ったときに、地表だけを濡らすのか、それとも、その雨が深く染み込んで、地下水の層まで行くのか」という違いです。「地下水の層、つまり深層意識の部分まで染み込んだものは、その人の人生の深いところで影響を及ぼし始める」と考えてよいのです。
 そのため、「何が、その人の人生の深いところまで染み込むか」ということが大事です。自分が繰り返し繰り返し、愛読したり、考えたり、覚えようとしたりしたことが、自分自身の思想になってくるのです。
 もともとは、活字で読んだ他の人の思想でも、「その人の思想に深く共鳴する」ということは、「自分が、その人に似てくる」ということを意味しています。自分とは別の人の思想ではあっても、「その思想に共鳴する」ということ自体が、「自分のなかに、その人と同じ思想があるか、同じ思想ができつつある」ということを意味するのです。
 したがって、それは、他人の思想であって、他人の思想ではありません。最初は他人の思想かもしれませんが、「その思想に共鳴し、何度も繰り返し本を読み、その思想が染み込んでくる」ということは、「その思想が自分の思想になる」ということです。そして、その思想に基づいて自分の人生の判断をするようになるのです。(中略)
 別の言い方をすれば、それは「種」と言ってもよいでしょう。「どのような種をまくかによって、どのような花が咲き、どのような実が実るかが決まってくる」ということです。これを述べておきたいのです。
 思想には力があります。それは抽象的なものではありません。思想には、具体的、現実的な力があるのです。「自分が、どういう人間であるか」ということは、その思想を見れば分かります。思想というものは、時間がたつと、やがて現実化してくるのです。
 例えば、幸福の科学では、栃木県に幸福の科学学園中学校・高等学校を建設しましたが、私が、「総本山・那須精舎の敷地内に学校をつくろう」という思いを持つと、数年後には学校の建設が現実化したわけです。(中略)
 思想とは、そういうものです。何か、考えの種をまくと、それが育って、必ず現実化してきます。「まず、アイデアが先にあって、それが現実化してくるのだ」ということを知ってください。
 したがって、「心のなかに、どのような種子をまくか」ということについては、十分に注意深くあってほしいのです。それが、あなたの将来における人生全体のトーン、“曲の調べ”を決めるものになっていくからです。
(31~35ページ)

思想的な影響というものは、極めて重要である。

自分が繰り返し繰り返し、愛読したり、考えたり、覚えようとしたりしたことが、自分自身の思想になってきて、その思想は、やがて時間がたつと現実化してくる。

したがって、心の中にどのような種子をまくかについては、十分に注意深くあってほしい──。

今日は、人生に勝利するための、大切な大切なお教えをいただいたんだと思います。

それでは、いったいどういう思想の種子を、自分の心の中にまけばいいんでしょうか?

当然の疑問ですね。

で、その続きは、またの機会に!

Think Big! (OR books)

『Think Big!』

  大川隆法著


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ね、ニビルって惑星が太陽系にはあるんだって、聞いたことがあるんだけど、でも、ほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「宇宙の法」入門──宇宙人とUFOの真実』(幸福の科学出版)で、古代メソポタミア文明などの研究者であるゼカリア・シッチン氏の守護霊の霊言を、このように伝えておられます。

 ああ。ああ。ニビルは、おそらく、まだ、明確には、科学的に解明されていないのではないかと思いますが、三千六百年ぐらいの周期で、太陽の周りを回っていると思います。
 ですから、あなたがたが、地球から、それを見つけるのは、なかなか難しいと思いますが、確かに存在している惑星です。
 ニビルは、太陽系でまだ発見されていない最後の惑星であり、第十番惑星として、理論的には存在が予想されていたものです。
 地球と比べると、大きさは、直径で見ると三分の一ぐらいで[注2]、重力は地球の〇・八倍ぐらいです。
 空気はあります。やや酸素比率は低く、窒素や二酸化炭素の比率が少し高いのですが、大気に相当するものはあります。
 そして、ニビル星人と言われているものは住んでおります。
 宇宙から太陽系に来る者は、この惑星ニビルも一つの中継基地として、そうとう使っています。
 水もあります。ただ、表面に出ている水は、そんなに多くはありません。表面に出ている水は凍っていることが多いのですが、地下の火山活動で熱せられている所では、水の状態でたまっています。ニビル星人は、深いトンネルを掘って、地下から、そうした水を得ております。
 ニビル星では、太陽が当たるときには、地表の温度は、ある程度まで上がるのですが、当たらないときには、零下五十度ぐらいまで下がることがあるのです。
 このように、寒暖の差が極めて激しいため、住民の大多数は人工物の住居を中心にして住んでいて、人工照明等も加え、光の量を調節して、生息しています。
 ニビル星には、一種類ではなく複数のヒューマノイド(人間に似た姿をした存在)が住んでおります。昨日来ていたレプタリアン型の宇宙人も、まあ、いますけれども、本当は、ここが本拠地ではなくて、もっと遠い所から来ています。ここにも住んではおりますが、これは前線基地です。
 ニビル星に、いちばん多く住んでいるのは、かつて金星から逃れた種族であり、これが、最大の人数、住んでおります。金星から逃れて移住した者たちにとって、第一候補地がニビルであったので、ここにだいぶ住んで、高度な文明によって人工的な生存空間をつくり、再起を期そうとしています。
 地表にある生活基地は、そう多くはないのですけれども、主として地下に帝国が数多く広がっているのが、ニビル星の特徴です。
 ニビル星の表面には、ちょうどエジプトのギザのピラミッドのような、ピラミッド型の人工物等が数多くあります。寒暖の差を緩和し、さまざまな、有害な宇宙線から身を守り、さらに小隕石等からも身を守るために、ピラミッド型の大きな建造物が表面に数多くあります。
 そこにいる人たちもいますけれども、大多数の人たちは地下に国をつくっております。
[注2]シッチン氏は著作のなかで惑星ニビルの大きさを木星とほぼ同じと推定しているようであるが、ここでは本人の守護霊の語る内容のまま収録した。
(105~109、129ページ)

ニビルは、3600年ぐらいの周期で、太陽の周りを回っている、未発見の第十番惑星である。

複数のヒューマノイド(人間に似た姿をした存在)が住んでいるが、いちばん多く住んでいるのは、かつて金星から逃れた種族である。

寒暖の差が極めて激しいため、ニビル星人の大多数は地下に国をつくって住んでおり、地上では、ピラミッド型の大きな建造物人工物の住居を中心に住んでいる──。

いやはや、なんとも不思議な霊言です。ゼカリア・シッチンって方は、ほんとは何者なんでしょうか。

ということで、その守護霊の語る惑星ニビルの様子の続きは、また次の機会に!

「宇宙の法」入門 (OR books)

『「宇宙の法」入門』

 大川隆法著


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幸福の科学の霊言集を読んでると、亡くなった直後の霊人が、まだ地上をうろうろしてることもあるみたいだけど、死んですぐって、すぐに天上界に帰れたりするわけじゃないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 死者の霊は、(中略)ほんとうは、死後二十一日ぐらい、三週間ぐらいしたら、もう、この世で、あまりうろうろしていてはいけないことになっています。長く見ても四十九日ぐらいまででしょう。(中略)
 それまでは、しばらく“放し飼い”にされているというか、あの世にまだ完全には行けず、この世とあの世を行ったり来たりしているような状態で、ふらふらしていて、この世の、いろいろな人のことを見ています。(中略)
 実は、死んだときに、導きの霊が来て、いったん、あの世に連れていかれるのですが、やはり、この世に戻ってくるのです。しばらくは、勉強のため、あの世とこの世の違いを学ぶために、この世にいられるのです。
 やがて、日がたってきて、ある程度の期間が過ぎると、だいたい、霊体として、この世の物質的なものが少しずつ落ちてきます。それで、「そろそろ行こうではないか」と言われて、あの世に行くのです。
 そして、よく言う「三途の川」のあたりに来て、それを渡ると、本格的な死者になります。「精霊界」と言ってもよいし、「幽界」と言ってもよいのですが、まず、霊界の入り口に入るのです。
 三途の川の向こうでは、たいていの場合、菜の花など、きれいな花がたくさん咲いています。それから、昔の身内や友人など、いろいろな人が迎えに来ます。そのため、最初は「天国に来た」と錯覚するのですが、勘違いしてはいけないのは、「最初に行く所は天国ではない。まだ、天国・地獄をふるい分ける前の世界である」ということです。
 死後、この世に何十日かいたように、あの世へ行っても、そういう、まだ自分の行く先が分からない所で、しばらく霊的生活をして、生前の反省をします。その際、生前のことを、いろいろと、映画のように見せられることもありますし、指導霊が来て、一個一個、確認することもあります。
 いまは、この世に映像というものがあるので、あの世でも、映画のようなかたちで見ることもありますし、そうではなく、鏡のようなもので見ることもあります。よく「閻魔帳」といいますが、昔、映像というものへの理解が少なかった時代には、生前にやったことが全部書かれている手帳のようなものが出たりすることも報告されています。
 膨大な『霊界著述』を遺したスウェーデンボルグ(一六八八~一七七二)の報告によれば、彼は霊界で次のような場面を見たことがあるそうです。
 ある精霊が、生前の反省をする場に臨みました。その人は、生前は賄賂を取って不正行為をしていて、その詳細をメモ帳に書きとめていました。検査の霊が、その精霊の顔から全身を見つめていると、生前のメモ帳が、ポーンと地中から出てきて、精霊の足下で、パラパラ、パラパラとページがめくれていって、「その人の過去の罪状がどうだったか」ということが、他の精霊たちにも分かってしまったのです。(中略)
 そのようにして反省をし、あの世での行く先が決まってくるわけです。
(55~60ページ)

死者の霊は、死後49日ぐらいまでは、あの世とこの世の違いを学ぶために、この世とあの世を行ったり来たりしているような状態でふらふらしていている。

やがてある程度の期間が過ぎると、霊体として、この世の物質的なものが少しずつ落ちていって、あの世に行き、「三途の川」を渡ると、本格的な死者になる。

そこで霊界の入り口に入って、しばらく霊的生活をし、生前の反省をすることで、あの世での行く先が決まってくる──。

なるほど、なるほど、です。

大川隆法先生のお話、特に死後の世界や霊界に関するお話は、いつもクリアで、とてもわかりやすいのではないでしょうか。

一人でも多くの方が、実際に自分が死んだらどうなるのかを、生きているうちに予習しておいてほしいものだと、改めて私は思っているのです。

神秘の法―次元の壁を超えて (OR books)

『神秘の法』

  大川隆法著


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日本経済って、停滞してるよね。もっと経済が発展するためには、何が必要なのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『富国創造論』(幸福の科学出版)で、「日本資本主義の父」と言われた渋沢栄一の霊の言葉(「霊言」)を、以下のように伝えておられます。

 当然ですね。もう、これしかないよ。とにかく、貨幣の流通速度が遅い。
 遅い理由は何か。止まっているのは、ほとんど決裁のところだよ、金融機関に関してはね。「決裁が遅い」ということと、「そのあとの検査が怖い」ということの両方だね。
 やはり、貨幣の流通速度を遅くしているのは、金融機関の決裁システムのところだな。例えば、融資などの決裁がそうだ。
 そういう行内の速度の遅さもあるけれども、もう一つは、事業を認可する役所のところだな。これが、経済の速度が上がるのを徹底的に遅らせている。
 基本的には、最小限のことしか役所に口を出させないようにしないといかんと思う。「経済は民間のものであって、民間が発展しなければ駄目だ」ということだな。
 結局、貨幣の流通速度を遅らせているのは、金融機関がいろいろな手続きをゆっくり
慎重にやっているところと、役所が許認可によって民間事業に口を出しすぎるところだ。
 例えば、幸福の科学の総合本部のある辺りは、十階建てまでしか建ててはいけないんだろ? なぜ、そう決めなければいかんのだね。空はいくらでも空いとるよ。ねえ。
 地震が怖いんだったら、ゼネコンに頼んで、潰れんようなビルを建ててもらったらいいんだ。「鉄筋をちょっと多めにしてくれるか」と言ったら、それでいいんと違うか? それを役所が決める必要なんかない。
 「いや、十階建てのビルが並んでいるのに、二十階建てのビルを建てられたら、美観が崩れる」などと言うんだったら、よそも二十階建てにしたらいいんだ。それだけのことだ。な? 「みっともない」と思ったら建て替えるよ。当たり前のことだ。
 要するに、「役所のほうで経済発展を止めている。このたぐいのものは、いくらでもある」ということだな。
 それに、法律みたいなものでたくさん縛られているので、国会もよくないね。とにかく、法律をつくり続けるからね。
 なぜ、“law maker(ローメーカー)”を政治家と言うのか、ちょっと、わしは不審に思っている。これは法律作成者であって、政治家ではないじゃないか。彼らが活躍すれば活躍するほど、法律が増えていき、法律が増えれば増えるほど、結局、経済の速度が落ちていく。
 だから、逆に、法律を廃止していかなければならないのであって、“law maker”でなく、“law destroyer(ロー デストロイヤー)”が必要なんじゃないかな。法律も“廃棄処分”にしないといかん。
 「経済の発展を止めている法律や条例などを見つけ出しては廃止していく」という、“逆ネズミ捕り”みたいな発想がないといかんとわしは思うね。だから、「政治家はマイナスの仕事をやっとる」ということだな。
(141~144ページ)

経済が発展しないのは、とにかく貨幣の流通速度が遅いからである。

その理由は、金融機関の融資などの決裁が遅いからだし、もう一つは、役所が許認可によって民間事業に口を出しすぎるからである。

また、法律が増えれば増えるほど、経済の速度が落ちていくから、経済の発展を止めている法律や条例などを見つけ出して“廃棄処分”していくことが必要である──。

さすが「日本資本主義の父」と言われるだけあって、「官」でなく「民」の力に対する信頼に満ち満ちています。

今の日本社会の欠陥を、とても高い視点から喝破した、渋沢栄一の言葉の数々。

これらを心素直に受け止めて、日本の未来に活かしていく人が、一人でも多く出て来ることを期待したいと心から私は思っているのです。

富国創造論―公開霊言二宮尊徳・渋沢栄一・上杉鷹山 (OR books)

『富国創造論』

 大川隆法著


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「如来」(にょらい)については、一度、ご紹介しました。今日は、その第二弾になります。

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は『太陽の法』幸福の科学出版刊において、「仏は人間の魂を平等に創ったが、平等だけではなく、その働き相応に評価する公平という観点からも人間を見ている」ということを語りました。
 その公平とは、多くの人を指導する人には、それなりの立場と役割、力を与えるということです。如来という一段高い境地は、この公平の原理から成り立っているのです。
 仏の子として平等に分かれてきたもののなかで、幾転生をくり返すうちに、大いなる叡智を獲得した者に対しては、それなりの立場につかせて、さらに大いなる自己実現を任せる。これが仏の考えだと言えます。
 そこで、如来の機能とは何かを考えると、結局、如来とは仏の代理人としての機能を持っている人と言うことができます。
 仏というものは、人間のように手足があって、そこここに現われて動くものではありません。仏は、この大宇宙、この広大なる多次元空間をも創出している存在ですから、それを人間が手に取って見るようなわけにはいきません。
 そのかわり、仏を感じさせるような偉大なる存在として、如来があるのではないでしょうか。すなわち、人びとに仏そのものを感じさせるために、如来は存在しているのです。これが如来は「存在の愛」の体現者であるということの根本の理由です。
 如来は「真実から来た」存在ですけれども、絶対的真理がそこにあるような存在とは、その存在自体が人間に対する愛である存在ということになりましょう。つまり、人間を大いに啓発し、啓蒙し、幸福な境地に誘いてやまない存在――それが如来なのです。ということは、如来とは光そのものでもあり、また、仏の化身でもあると言えます。
 人間には、仏そのものを見、仏そのものを理解し、仏そのものをつかみきることはできません。しかし、如来というものを通して、仏を類推することはできるのではないでしょうか。仏を類推し、仏の慈悲を推し量るための手本として、如来がいるのです。
 仏を直接に見ることはできないが、如来を通して、仏の偉大な慈悲、仏の偉大なる存在というものを、人間はやがて感じ取っていくのです。
 したがって、如来の存在の意味とは、結局のところ、教育にあるわけです。如来は、その存在自体が、衆人、万人に対する教育機能を持っているのだと言えます。
(236~239ページ)

如来という一段高い境地は、公平の原理から成り立っており、仏の子として平等に分かれてきたなかで幾転生をくり返すうちに、大いなる叡智を獲得した者である。

如来とは仏の代理人としての機能を持っており、仏を感じさせる偉大なる存在である。

仏を直接に見ることはできないが、如来を通して、仏の偉大な慈悲、仏の偉大なる存在というものを人間は感じ取っていくのであり、如来の存在の意味は、衆人に対する教育機能にある──。

冒頭で触れられている『太陽の法』の教えについては、ご紹介したことがありました。

今日は、「如来」と呼ばれる高級霊について、また少しだけ理解が進んだ気が私はしているのです。

永遠の法―エル・カンターレの世界観 (OR books) 『永遠の法』

  大川隆法著


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子供って、どうして思いどおりに育たないんだろうね。むずかしいよね。どういう考え方で、子育てしていけばいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『じょうずな個性の伸ばし方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、基本的に、「親と子は、肉体的には遺伝子でつながっているが、それぞれの魂は別である」と考えています。そして、「魂が別である以上、子どもは、親が思ったとおりには必ずしもならない。子どもの魂が素直に伸びていく方向、子どもの魂の要請する方向に伸ばしてやるのが最もよいだろう」と思っています。
 私には五人の子どもがいますが、子育てについて私が特に何かを言っているかといえば、何も言わないのが常態になっています。「なるようになるだろう」というか、「花には、それぞれの持ち味があり、ヒマワリはヒマワリ、アサガオはアサガオというように、それぞれの花を咲かせるだろう」と考えているため、自分から無理に「このように育てたい」とは、あまり思わないのです。
 「この子は、どういう個性を持っているか。この子の魂は何を求めているか。どのような傾向を持っているか」ということは観察していますが、基本的には、「その方向で伸びていけばよい」と思い、見守っているのです。
 教育に関して、私は、どちらかというと、わりに自由主義者です。
 実は、私自身も、そのように育てられてきました。親から怒られたことは、ほとんどありません。それで、非行に走らず、犯罪も犯さず、まともな人生を生きてきているので、「子どもは、『怒られたらよくなる』ものでもなければ、『怒られなかったら悪くなる』ものでもない」と思っています。
 要するに、「その子の魂が求める方向に、伸び伸びと育ててあげる」ということが最も大事ではないでしょうか。
(133~134ページ)

親と子は、肉体的には遺伝子でつながっているが、それぞれの魂は別である。

魂が別である以上、子どもは、親が思ったとおりには必ずしもならない。

自分から無理にこのように育てたい思うのではなく、子どもの魂が素直に伸びていく方向、子どもの魂の要請する方向に伸ばしてやるのが最もよい──。

胎教、幼児教育からはじまって、お稽古ごととか、塾だとか、お受験だとか、あれこれと子供に手をかけておられる親御さんは多いと思います。

だからこそ、大川隆法先生のこのお言葉、目からウロコが落ちた思いのするお母さんやお父さんは、とても多いのではないでしょうか。

霊的真実から導かれた自由主義の教育論。とても勉強になったなあと私は思っているのです。

じょうずな個性の伸ばし方―お母さんの子育てバイブル (OR books) 『じょうずな個性の伸ばし方』

 大川隆法著


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なんだか今年も、大川隆法先生って、霊言集を続々と出してるでしょ? もう読みきれないくらいなんだけど、どうして、そんなにたくさん霊言集を出したりしてるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『救世の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 戦後の日本において「常識」と言われていたものが、今、音を立てて崩れつつあります。
「霊など、あるものか。あの世などない」と考えている人にとっては、「百数十年前に亡くなった坂本龍馬が、あの世の霊人として今の日本に降り、大川隆法を通して、現代の政治のあり方に関する批判を述べ、その内容が本になる」ということは、普通は信じられないことでしょうし、「それを宣伝し、多くの人に読ませる」ということも、まことに信じがたいことであるはずです。
 しかし、前述したように、私は『龍馬降臨』を発刊しましたし、広告も出しました。『松下幸之助 日本を叱る』についても同様です。
  松下幸之助は、「経営の神様」として、日本のみならず、全世界で有名な人です。ハーバード大学には松下幸之助講座があるぐらいです。
 それほど有名な人が、もし、今、生きていて、今の日本の政治や経済、また、会社経営の状態を見たら、どのようなアドバイスをするか。これは、日本人なら絶対に知りたいことでしょう。
 それを、ずばり、お示ししたのです。しかも、公開の場で録り、何人かが霊人に質問をして、聴衆がその答えを聴いているのです。その映像も、録画して公開しました。ここまでしているのです。
 二〇一〇年には、「法シリーズ」として『創造の法』を出しました。「『創造の法』によって、新しい産業を起こし、新しい仕事を創り出し、未来を拓こう」という大きな意味を、そのなかに秘めていました。
 それに続いて、前述した『龍馬降臨』と『松下幸之助 日本を叱る』を出しました。
「明治維新という革命のリーダーの一人であった坂本龍馬の霊に、日本の政治に対する意見を述べさせることによって、この日本の政治のあり方を根底から覆そう。根本から改革しよう」という意思表示をしました。
 さらに、「松下幸之助の霊を呼び、『今、苦しんでいる、この日本経済や、日本の経営者たちを、どう救うか』という緊急の課題に対して、天上界から答えをいただく」という試みをしたのです。
 これは、私としても、幸福の科学としても、勝負としては勝負であり、真剣勝負です。
 こういう霊言ものは、一般的に見れば、九十九パーセント以上は偽物です。本物など、めったに出るものではありません。九十九パーセント以上、偽物、つくりものです。
 それを「本物だ」として世に問うています。これには私自身の信用と幸福の科学の信用の全部がかかっているのです。それをかけて、勝負に出ました。
 その理由は何でしょうか。それは、本当に、「今、迷っている人たち、苦しんでいる人たちを救いたい。政治の混迷や混乱、経済の混乱や低迷、苦しみ、こういうものから人々を救いたい」という熱意から出ているのです。
(174~177ページ)

大川隆法先生は、坂本龍馬や松下幸之助などの霊言を、公開の場で収録し、その映像も公開して、書籍として発刊し、新聞広告まで出した。

この種のものは、一般的には99パーセント以上は偽物であるが、それを本物だとして世に問うことで、大川隆法先生としても幸福の科学としても、すべての信用をかけた真剣勝負に出たことになる。

それは、今迷っている人たち、苦しんでいる人たちを救いたい、政治の混迷や混乱、経済の混乱や低迷から人々を救いたい、という熱意から出ている行動である──。

戦後日本の「常識」を突き崩す、大量の霊言集刊行は、世の人々を救済しようという大川隆法先生の熱意で行なわれている、大いなる挑戦だということなのでありましょう。

そして、今日ご紹介した『救世の法』の発刊から早くも10年あまりが経過し、本年2021年10月段階で、刊行された公開霊言、はなんと600書を超えたそうです。

全冊読破できなかったとしても、その一部に目を通してみさえすれば、作りごとでこれだけの霊言集が出せるはずもないことは、じつは誰もが分かる話だと思います。

もはや、これだけ出された霊言集の「量」は、明らかに「質」に変わっています。

一人でも多くの日本人に、この現代日本で起きている本当の奇跡を知ってほしいものだと、改めて切実に私は思っているのです。

救世の法―信仰と未来社会 (OR books)

『救世の法』

  大川隆法著

 


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日本って、とっても悪いことをした国だから、もうなくなっちゃったほうがいいなんてこと言ってる人がいるでしょ。それってほんとなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国を守る宗教の力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今までに日本がつくってきたもの全体を評価した場合、必ずしも百点満点ではないかもしれませんが、私は、「『日本という国が、この地球上に存在し、少なくとも二千年、あるいはそれ以上の歴史を有している』ということは、ありがたいことである。日本は、地球の一角を照らす存在だった」と思っています。
 また、過去の文化においても、世界の最高水準まで行っていた時期が何度かありましたし、世界史的にも、誇るべきものが数多くあると思います。
 そして、「現在の日本もまた、そうである」と思っています。
 日本は、「第二次大戦後、まったくの焼け野原、廃墟になったところから立ち上がり、世界最高水準まで経済成長を遂げた」という、“戦後の奇跡”を起こしました。このことが、「アジアやアフリカ、あるいは南米の国々などに、どれほどの勇気を与えたか」を考えると、そこには計り知れないものがあります。(中略)
 それから、ヨーロッパに侵略され、何百年にもわたって植民地化されてきた、アジアやアフリカの国々にとっての刷り込み、すなわち、「有色人種は、絶対に白色人種には勝てない」といった考えを徹底的に叩き潰し、「人間の値打ちは肌の色によって変わるものではないのだ」ということも示しました。
 さらに、その日本に、今、幸福の科学という宗教が起き、世界を引っ張っていこうとして、新たな発信をしています。
 もちろん、これは、先の大戦を、すべて完全に美化するものではありません。
 戦前の国粋主義的なもののなかには非常に排他的な部分もあり、日本は、他の世界宗教をはじめ、さまざまな新興宗教等を弾圧したり、思想の取り締まりを厳しく行ったりするなど、そうとう教条主義的な国になっていたと思います。(中略)そのようなところは改めなければいけませんし、私たちは、単に、「明治以降、第二次大戦前までの興隆を取り戻し、それを続けたい」と考えているわけでもありません。そうではなく、「新しい国づくり」を通し、「世界のリーダー」としての日本のあるべき姿をつくりたいのです。(中略)
 日本の政治状況がだらしないように見えるのは、ある意味で、「多元的な価値観や意見を受け入れているためである」とも言えます。(中略)私たちが正しい主張をしているつもりであっても、「その主張が、国民の一、二パーセント程度までしか認められていない」というような現実もあります。しかし、それによって迫害されたり殺されたりするわけではありません。
 また、支持を得られなかったことに対し、私たちは、どこかの宗教のように、「東京上空からサリンをばら撒きたい」と思うようなこともありません。
 「それは、自らの努力不足、啓蒙の不足である」と考え、末永く、粘り強く活動を続けることによって、人々を変えていくことこそ、真の道であると思っています。あくまで、「みなさまからの支持を得られないのは、私たちの努力がまだまだ足りないからである。しかし、その主張が正しいことは、いずれ分かってくださる」と考えているのです。
(31~37ページ)

今までの日本を評価すれば、文化においても世界史的にも、たしかに日本は、地球の一角を照らす存在だったし、現在もまたそうであると思う。

改めるべき点はあるにしても、戦前は有色人種が白色人種に勝てること、つまり人間の値打ちは肌の色によって変わらないことを示し、戦後も奇跡の復興で、アジア、アフリカなどの国々に勇気を与えた。

その日本に、今、幸福の科学という宗教が起き、「新しい国づくり」を通し、「世界のリーダー」としての日本のあるべき姿を示そうとしている──。

自虐史観などという間違った考え方に対して、いかに日本が素晴らしい国かを端的に語ってくださっています。

いま、この日本という素晴らしい国に、幸福の科学が登場していることの意味もまた、とてもよく分かります。

幸福の科学は、未来に向けて、日本のあるべき姿をつくろうとしているわけですが、残念なことに、まだ十分に国民の支持が得られていせん。

今日は、この現状に対して大川隆法先生がどう考えておられるのかについても、とても深く理解できるお教えではないかと改めて私は思っているのです。

国を守る宗教の力―この国に正論と正義を

『国を守る宗教の力』

 大川隆法著


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