勉強にしても、仕事にしても、ライバルがいたりするよね。こんなライバルなんて、いなくなればラクになるのに・・・なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『説法自由自在③ 真理の発見』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
たとえば、天ぷらを揚げるときに油の温度が低かったら、天ぷらは揚がりませんね。こんがりとキツネ色になるためには適温があります。かなり高い温度ですね。それを通すことによって天ぷら、あるいはトンカツでもいいですが、そうしたものが揚がります。同じように愛というものにも、温度が低いと天ぷらやトンカツがうまく揚がらない、ということに似た局面があるのです。(中略)
仕事をするなかにも似たようなところが、おそらくあるであろうと思います。いい天ぷらが揚がるためには、すなわち、その職場のなかで、会社のなかで、ほんとうにいい仕事ができるためには、あるいは会社相互で、業界のなかでほんとうにいい仕事ができるためには、ときどきはね返ればヤケドをするほどの温度の油がいるかもしれませんよ、と言いたいのです。それだけの火のなかを、それだけの温度の油のなかをくぐらなければ、ほんとうにいいものは出来ないかもしれないのです。(中略)
すなわち、私たちは単に慰め合うためだけに出てきたのではなく、大いなるユートピアを築かんがために出てきたのです。大いなるユートピアを築くためにはどうしたらいいかというと、やはり常づね向上するということが大事です。
ところが、向上というものを確認するためには、ある程度相対の世界のなかで磨かれることも大事なことなのです。自分にとっては憎きライバルと見えし人、あるいは、いつも負かされていると思う人がいることが、それがおたがいにとって、あるいはあなた自身にとって、大きな向上につながることがあるわけです。その人に憎しみを感じるかもしれないけれども、それがある意味では変化した愛の姿であることもあるのです。
(16~19ページ)
たとえば、天ぷらを揚げるときは、かなり高い油の適温があるように、仕事でも、それだけ高い温度の油をくぐらなければ、ほんとうにいいものは出来ないのかもしれない。
自分にとってライバルがいることが、大きな向上につながることがある。
それがある意味では、変化した愛の姿であることもある──。
うーん、厳しいと言えば、厳しいですよね。
だとしたら、人生、とにかく修行だと思って頑張らることになるわけですけれど、疲れたり倒れたりしちゃったときのためには、また別の教えが説かれていたと思います。
いずれにしても、今日は、ライバルとの切磋琢磨による向上というのは、「愛」のまた別の姿でもあることを、ちょっと違った角度から教えていただいたのだと、私は思っているのです。
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『説法自由自在③ 真理の発見』
大川隆法著 |
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