ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



なんで怒っちゃいけないんだろう。この世って、不正がいっぱいあるし、これが怒らずにいられようかってことなんて、掃いて捨てるほどあるじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 幸福にならんとする人は、まずみずからの心のなかに、静かなる湖面のごとき、平らかで光り輝く水鏡を持っていなくてはなりません。幸福になるためには、その鏡がいつも平らかで、光を放っていなくてはなりません。
 私たちは心のなかに鏡を持っています。これを日々磨くという行為は、反省という行為でもありますが、磨くということのみならず、この湖面を決して波立たせないという工夫が大事なのです。波立たせないことです。いつも、月が映るような透明感あふれる湖面にしておくことです。凪いだ湖面にしておくことです。(中略)
 小さなことで腹を立てるようであっては、到底、その心のなかの澄みきった面を維持することはできません。「怒るなかれ」といいますが、それは、決して道徳的にだけ言っているのではないのです。怒ることによって、この湖面は波立ちます。そして不愉快になるのは自分自身なのです。自分自身の幸福を阻害しているのです。怒りを発するときというのは、自分自身が不当に扱われたと思い、その不幸感覚ゆえに、もっと幸福な自分でなければならないと思って怒りを発するのでしょうが、その結果、自分自身のいちばん大事なものを失っているのです。
 ですから、自己保存の怒りがこみ上げてくるようなことがあったら、いったん踏みとどまっていただきたい。心のなかの湖面をもう二度見ていただきたいのです。自分は今いちばん大事なものを失おうとしているのだということを、知っていただきたいのです。
 自己保存の怒りを発した瞬間、人は断崖絶壁に足がかかっていることを知らねばなりません。それを発したときに、悲しいかな、今まで登ってきた山から千尋の谷に落ちてしまうのです。ゆえに、みずからの向上を願い、そして幸福を願う者は、決して動物的に怒ってはなりません。
 しかし、みなさんは疑問をお持ちでしょう。「世の中は理不尽なことが満ち満ちている。間違ったことが横行しつづけている。また、人から誤解を受けている場合もあるではないか。そのように誤解されたままでは、甚大な被害が出る」と思われることもあるでしょう。
 確かにそれも一理あることだと私は思います。怒りにも私憤と公憤とがあり、私がここで避けるべきだと言っているのは私憤のほうだからです。理性と正義に照らし、積極的悪を押しとどめ、理想社会建設をするための公的な怒りは、必要なものだからです。その際には、冷静さと、相手に間違いを気づかせることも愛なのだという視点をきちんと持っていることです。「怒る」のではなく「叱る」のだと区別することです。心の平静さは、決して失われることはないでしょう。
(56~62ページ)

幸福にならんとする人は、みずからの心を波立たせないことである。

怒ることで心が波立つと、不愉快になるのは自分自身であり、自分自身の幸福を阻害している。

ただし、積極的悪を押しとどめ、理想社会建設のための公的な怒り(公憤)においては、理性と正義に照らし、冷静さと愛の視点を持つことで、心の平静さは失われない──。

怒って、心の湖面を波立たせてしまうのは、自分自身を不幸にする行為だということ。

でも、そのような怒り(私憤)と、理性をもって愛の心で「叱る」こと(公憤)とは別だということ。

今日は、「心の修行」の大切な基本の一つを教えていただいたのだと、改めて私は思っているのです。

 

人生の王道を語る: いざ、黎明の時代へ (OR books) 『人生の王道を語る』

 大川隆法著

 

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