ね、宇宙のほんとうの姿って、どんなのなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『不滅の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
地上にある人間にとって、
この大宇宙は、
望遠鏡によって観測されるものであり、
また、宇宙船に乗って旅行することによって観測されるものでもありますが、
肉眼によって捉えられた宇宙の姿は、
実は、そのすべてではないのです。
例えば、無重力状態の宇宙船の中で、コップの水をあげると、
水が球体になって空中をさまよいますが、
この三次元の宇宙そのものが、
さらにもう一つ大きな世界、
根本仏、根本神の創った大宇宙から見たならば、
ちょうど、無重力状態の中の水玉のような存在にしかすぎないのです。
この無重力状態で浮かんでいる水玉の中に、
例えば、目にも見えないような微生物がいて、
その水玉宇宙の中を旅行しているとします。
人間が肉眼で見ている宇宙の世界というのは、
実は、この微生物が見ている世界と同じようなものなのです。
もう一段大きな、根本仏の目から見たならば、
この銀河を含んだ、人間から見える大宇宙そのものが、
さらに大きな宇宙の中に浮かぶ、
小さな水球のようでもあり、シャボン玉のようでもあるのです。
そして、本当の宇宙の中には、
このようなシャボン玉が、無数とも言えるほど浮かんでいます。
そうした、三次元宇宙のシャボン玉が、
いったい、どれだけの数あって、
それが、次のいかなる世界をつくっているかということは、
残念ながら、地上に生きている人間にとって理解を超えた世界です。
それは、ちょうど、地を違うアリが、
人間世界のすべてを理解することはできないのと同じです。
シャボン玉の中、水球の中に生きている人類にとって、
その外なる世界のことは、
残念ながら、想像の城を超えません。
人間の生きている世界は、
このように、閉じ込められた世界なのです。
(22~25ページ)
人間から見える、この銀河を含んだ大宇宙は、もう一段大きな根本仏の目から見たならば、ちょうど無重力状態の中の水玉、シャボン玉のような存在にしかすぎない。
この本当の宇宙の中には、このようなシャボン玉が無数に浮かんでいる。
人間の生きている世界は、このように閉じ込められた世界なのである──。
こんな巨大な世界観を淡々と語られる主エル・カンターレの凄味が、今日はかいま見える気がします。
なぜここで語られている世界が凄いのか、というあたりについては、あまりにすごすぎて私の手には余ります。
また次の機会を見つけて、おいおい深めていけたらと私は思っているのです。
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『不滅の法』
大川隆法著 |
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