ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



経済学って、やっぱし合理的で知的だし、すごい学問だよね。そう思わない? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今の経済学には二つの問題があります。
 一つは、とにかく、「標準的人間」というものを考えることです。「経済的人間(ホモ・エコノミクス)」という、「思想も信条もない、単に利害だけで動く人間」というものを想定して学問を組み立てているんですね。
 そういうことは、この世的には、ほんとうはありえないことです。
 人間は感情を持っています。感情もあれば好き嫌いもあって、もう千差万別なんです。だから、それについては体系化できません。人々の感情や好みを体系化することはできないため、それらを一切、無視して、「経済的人間」なるものを想定し、「こういう場合には、こういうふうに動くはずだ」という、数学処理ができるような考え方を立てているのです。
 しかし、根本的に、これは“嘘”だと思ってよいのです。そんなことはありえないので、ただの“理論の遊び”です。(中略)「経済的人間」なるものは存在しないのです。そのような“空想”を前提にして理論を組み立てているということを、今の経済学の欠点として知っておいたほうがよいと思います。(中略)
 もう一つの欠点は、統計学を重視しすぎることです。いわゆる「マクロ経済学」というものでは、統計の結果を見て、さまざまなことを判断するわけですが、これにもまた同じような欠点があります。人間には意欲というものがあり、その意欲によって状況を変えていくことができるのです。
「今までの統計結果から見れば、来年はこうなって、五年後はこうなって、十年後はこうなる」と予想する理論経済学者は、頭の良い、賢い人たちなのですが、そういう人たちは、絶対に事業を一つも起こせないような人たちでもあるのです。
 一方、事業家というのは、「『統計的に見て、そのようになる』と言うのならば、では、そうならないようにしよう」と考える人たちなんですよ。(中略)人間は「未来を変えることができる存在」なんです。だから、企業家というのは、とても偉いのです。(中略)
 敵の兵力が八十万で、味方の兵力は五万だったら、「これは絶対に負けます」と判断するのが統計経済学なのです。
 しかし、「八十万対五万なら、小さいほうが必ず負ける」ということであるならば、例えば、映画「レッドクリフ」で描かれていたような、『三国志』の「赤壁の戦い」は成り立ちません。「何十倍もの敵に勝てる作戦」というものを軍師が立てれば、実際に勝つことがあるのです。
 これは戦でもそうですが、企業の世界でもそうです。「小さいものが大きいものを倒す」「小さい企業が大きい企業を追い抜いてしまう」ということが、現実には起きるんですよ。これが、人間の智慧の力、知力の素晴らしさであり、この面白さがあるから企業の経営はやめられないのです。(中略)
 やはり、人間の力をもう少し信じなければいけないと思いますね。
(237~242ページ)

「経済的人間(ホモ・エコノミクス)」という、思想も信条もない単に利害だけで動く人間というものを想定するのは、“理論の遊び”にすぎない。

また、統計学を重視しすぎるのも欠点である。

人間の智慧の力、知力の素晴らしさをもう少し信じなければいけない──。

ここで批判されている経済学とは、マルクス経済学に対するいわゆる「近代経済学」のことなんだろうと思います。

要するに、経済学は、息づいた人間の営む、血の通った経済現象を解明することができていない、ということと理解すればよいのでしょうか。

数多く刊行されている霊言集の中には、世界的に著名な経済学者の霊言がいくつもあると思います。

そちらの霊言集をもしっかり学びつつ、この大川隆法先生のお教えの意味を、じっくりと考えてみたいと私は思っているのです。

知的青春のすすめ (OR BOOKS)

『知的青春のすすめ』

 大川隆法著


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リーダーとして人生に勝利するための条件で、まず大事なのは、「先見性」だってことでした。もちろんそれだけじゃないわけで、今日は、その続きとして、第二弾です。

幸福の科学の大川隆法先生は、『朝の来ない夜はない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 二番目に挙げたいことは「胆力」です。
 胆力というのは古い言葉ですが、「忍耐力」と言い換えれば、少し分かりやすくなるでしょう。胆力とは、人間として耐える力のことです。
 今は、もちろん、会社として耐える力が必要ですが、個人としても耐える力が必要です。批判されたり、抵抗に遭ったり、障害物に遭ったりすると、簡単に挫けてしまい、すぐにあきらめるような性格の人が、好況・不況の波があるなかで生き残ることは、やはり難しいのです。
 苦しい時代には、胆力、精神力を鍛えることです。あるいは、会社としての志を見直し、鍛え直すことが大事です。
 そういう胆力が必要です。胆力を持っていただきたいのです。
 胆力のあるリーダーの下では、部下は、信頼してついていくことができます。しかし、打たれ弱いリーダーの下では、下の人も右往左往してしまうのです。
 胆力を練る方法はあるかといえば、あります。
 胆力の鍛え方はいろいろありますが、宗教は胆力を鍛える王道の一つです。宗教における信仰心教育のなかに、不動の信念をつくる要素があるわけです。信仰心を持って、瞑想や禅定などの修行をし、精神力を鍛えていくのです。
 不況期は、宗教修行をするのに非常によい時期です。
 もし、これから会社が暇になるようなら、当会の精舎などで精神の鍛錬に励んでいただきたいと思います。そうすれば、また、しかるべきときに、飛躍し、雄飛する時期が来ます。雌伏のときには胆力を練っていただきたいのです。
 そういうチャンスを与えられず、調子のよい状態だけが続くと、人は慢心していくのみであり、胆力を養うことはできません。苦しみの機会、自らを反省する機会を与えられることは、ありがたいことなのです。
 例えば、業績が低迷している会社の社長であるならば、「わが社をさらに鍛えてくださって、ありがたい」と考えることです。低迷するのは、「社長としての徳が足りない」と世間から言われているのと同じなので、自らを鍛え直す必要があるのです。
 精神力を鍛え、もっと大きな負担に耐えられるような自分をつくらなければいけません。社員が十人から二十人になろうと、五十人になろうと、百人になろうと、それを背負っていけるような力が必要です。それだけの中身をつくるために、自分を鍛えることが大事なのです。
(117~120ページ)

リーダーとして人生に勝利するための条件の二番目は、「胆力」である。

宗教は胆力を鍛える王道の一つ。信仰心を持って、瞑想や禅定などの修行をし、精神力を鍛えていくとよい。

不況期は、宗教修行をするのに非常によい。雌伏のときには胆力を練っていただきたい──。

今回もまた、いろんな持ち場で重要な立場にたっている方にとって、参考になる教えです。

この修行の場として、幸福の科学の「精舎」は、一般の方にもオススメできる宗教施設です。

そして、大川隆法先生が説かれるこの「条件」の三番目は? それは、またの機会にご紹介します!

朝の来ない夜はない―「乱気流の時代」を乗り切る指針 (OR books)

『朝の来ない夜はない』

 大川隆法著


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ねえねえ、幸福の科学の「宇宙人リーディング」って、いろんな宇宙人が出てきて自由に話をしてるみたいだけど、あれってほんとの話なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不滅の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今後、必要になるのは、「宇宙人リーディング」の真実性と実証性の部分でしょう。それが必要だと思います。
 確かに、現在でも、「宇宙人の声が聞こえる」 という人はたくさんいます。いわゆる霊界の霊人が語っているのか、それとも、本当に宇宙人が語っているのか、そのへんは分かりませんが、チャネラーと言われる人の中には、「宇宙人と称する者の声が聞こえる」という人がいるのです。そういう人は、日本だけではなく、英米圏にもけっこういます。
 ただ、宇宙人からの通信と称する本をいろいろと読むかぎりでは、当会の普通の霊言とあまり変わらないような感じもします。
 あるいは、外国のものですが、シルバー・バーチやホワイト・イーグルの霊言とも似ています。これらは、実は、霊界の霊人が古代インディアンの名前を使って語っているものですが、そのインディアンのところを宇宙人に置き換えると、同じような内容になってしまうことも多いのです。
 つまり、「宇宙人の声が聞こえる」と言いつつも、宇宙の星の描写そのものは、極めてシンプルなものしかありません。五分以内ですぐにつくれるような設定しか入っておらず、詳細を語ることができていないのです。あのレベルであれば、地球の霊人でも十分に創作できる範囲なので、「当会以外のものに関しては、宇宙人の霊言である確証は十分にはない」と考えています。
 一方、当会から出ている「宇宙人リーディング」 の内容そのものは、複数の対象から個別に取ってきた情報ではありますが、互いにつながっている部分がかなりあります。そのため、これを続けていけば、どこかで、「量」が「質」に変わってくるときが来ると思います。
 いろいろな種類の内容を持ったものを大量に出し続けていくこと自体、通常、創作では不可能です。真実のものである以上、出し続けていけば、必ず、「量」が「質」に変わり、全体像が見えてくるときが来るであろうと感じています。
(171~173ページ)

宇宙人からの通信と称する他の本は、シンプルですぐにつくれるような設定しか入っておらず、詳細を語ることができていないから、宇宙人の霊言であるとは十分に確証できない。

しかし、幸福の科学の「宇宙人リーディング」は、複数の対象から個別に取った情報であっても、かなり互いにつながっているし、いろいろな種類の内容が大量に出し続けられていること自体、これが創作ではないことを示している。

これが真実のものである以上、出し続けていけば必ず、「量」が「質」に変わり、全体像が見えてくるときが来る──。

幸福の科学の「宇宙人リーディング」は、ほんとうに驚天動地の世界ですが、これが真実であるかどうかはもちろん問題になると思います。

そして、大川隆法先生は、その実証を「量」で行なうことで、「質」に転換させることを考えておられる、ということなんだと思います。

これまで公開されただけでも、ほんとうに凄い世界が展開しているわけですが、まだまだ今後も大宇宙の真実が公開されることを期待しつつ、じっくりと待っていたいと、私は思っているのです。

不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books)

『不滅の法』

 大川隆法著


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仏法真理って、ものすごく広大な世界だけど、でも、何か根本原理みたいなものがあるんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 法のなかにも、やはり二つの要素があります。それは、すでに述べた進化と調和です。(中略)法とは宇宙を貫く法則、ルールであり、真理の体系ですが、そのなかには進化と調和という二つの目的が潜んでいるのです。
 法のなかには、個人としての向上を目指すという、進化の部分が確固として存在します。人間を向上させないような法は、いまだかつて、真実の法、仏法真理として存在したことはありませんし、今後も存在を許されることはありません。(中略)
 その結果、各個人がそれぞれ向上していくこと自体はよいのですが、個人と個人のあいだに、自由と自由の相剋が現われてくることがあります。そのため、個人の集団としての共同体自体を向上させていくためにも、法が必要になってきます。
 たとえば、ある会社で、ある人が「社長になりたい」と思っているとします。ところが、別な人もそう思っており、社長になりたい人が全部で三人いるとします。しかし、この三人を同時に社長にするわけにはいきません。
 そこで検討が始まるのです。この三人のうち、社長として何百人、何千人という従業員を率いていける資質がある人は誰かを考え、そうした人が一人しかいなければ、その人を社長とし、それ以外の人は社長としない――こうした調整の原理が必要となってきます。
 あるいは、三人とも社長にふさわしい人物だったならば、次は、社長になる順序を決めるための調整の原理が必要です。(中略)
 このように、個人が求めている向上、進歩を、全体の利益のために調整する原理が必要なのです。そのために、さまざまな宗教家や道徳家、哲学者が出て、調整の原理、調和の原理について法を説いてきたのです。
 中国に出て儒教を説いた孔子は、「年功序列、長幼の序をしっかりし、年上を敬わねばならぬ」という調整原理を発表しました。つまり、A、B、Cという三者がいて、その力量にそれほど差がなければ、年齢順に社長になるということです。(中略)
 地上年齢でもって、その人の魂の成熟度が必ずしも測れるわけではありませんが、「素質にそれほど差がないのならば、長い経験を持っている人のほうが知恵は多いだろう」という推定が、年功序列の考え方の根拠になっているのです。
 もちろん、別な観点も必要だろうと思います。それは実力主義という観点です。(中略)また、「最大多数の最大幸福」という、(中略)「より多くの人のためになるような選択をするという考え方も許されるかもしれません。
 結局、「個人の進歩を社会に還元し、社会全体の進歩としていくためには、調整の原理が必要である」とする考え方は、仏教にある小乗と大乗とを併せ持った法ということになります。
 小乗、すなわち、個人が悟っていくための方法論としては、進歩の原理が大事であり、大乗、すなわち、世の中を仏国土にしていくための方法論としては、調整の原理が大事である。このように言うことができます。
 法の根本原理として、「進歩」と「調和」という二大原理があり、この二つの調整がうまくとれてこそ、人類全体が幸福になっていくのです。
(227~232ページ)

法の根本原理として、「進歩」と「調和」という二大原理がある。

個人が悟っていくための方法論としては、進歩の原理が大事であり、世の中を仏国土にしていくための方法論としては、調和の原理が大事である。

この二つの調整がうまくとれてこそ、人類全体が幸福になっていく──。

うーん、なるほど、なるほど、です。

今日は、ちょっと大きな観点から、仏の作られた世界の秘密の一端を教えていただいたのではないかと、私は思っているのです。

永遠の法―エル・カンターレの世界観 (OR books) 『永遠の法』

 大川隆法著


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前回、哲学者のカントが、あの世を学問の対象にはしないって言ったのは、「本当は宗教が大好きだったけど、宗教にはまると勉強する暇がなくなるので、自分を律する意味で、学問と宗教の線引きをした」って教えてもらったよ。そしたら、宗教そのものを勉強の対象にすればよかったんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』(幸福の科学出版)で、カントの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 当時は、今、あなたがたが思っている以上に、宗教による足かせというか、桎梏(しっこく)があったんだよ。
 そのもとは、やはり中世だと思う。中世の宗教戦争はすごかったからね。三十年戦争など、たくさんの戦争があった。それと、魔女裁判や火あぶりなど、こうした非近代的なものに、人々は、もう辟易してしていたんだね。
 だから、そういうものから、何とか脱却したかったんだ。
 例えば、ガリレオやコペルニクス等を見ても、宗教が学問の足かせだったことは分かるよね。理系の学問としては、ガリレオやコペルニクスが考えたことのほうが正しいにもかかわらず、教会がそれを許さなかった。教会に逆らうと、殺されてしまうこともあった。(中略)
 つまり、当時は、「宗教から離れないと、学問の自由は得られなかった」ということだな。
 「宗教を切り離したことは罪である」と言われれば、それまでだけれども、「宗教を切り離すことによって、学問の自由を得ようとした面が大きい」ということだよ。
 私は、神への露骨な批判など、どこにも書いていない。むしろ、私の本のなかには、信仰告白に近いことを述べた部分が、あちこちに散見されるはずだ。
 要するに、「宗教と距離を取らないと、やはり、学問的な研究は十分にできない」ということを言いたかったわけだね。
 ところが、後世、「カント哲学の本質は、フランス革命において、国王の首をギロチン台ではねたように、神の首をギロチン台で切り落としたことにある」というように捉えている向きはかなりある。
 要するに、「人間が神になってしまったのが、カント哲学である」というように捉えられているし、私のあとから来たヘーゲルの思想も、「人間自身が神になったような人の哲学である」と言われてはいる。まあ、これには、功罪両面があるな。
 しかし、「中世からの離脱」ということが必要であったことは事実であるので、当時、学問から宗教を切り離さなければ、やはり現代はなかっただろう。この点は認めていただきたい。
 それから、唯物論的なもののなかにも、研究の余地がかなりあったことは事実だ。この世で生きていく以上、例えば、医学や栄養学、食物等について、確かに、唯物論的な研究は必要であったろうし、経済を発達させるうえでも、そういうものが必要であったと思うね。
 「お金持ちになるかならないかは、神の恩寵による」というようなことを言っていたのでは、どうしようもない。やはり、「適正な経営や経済行為によって、お金持ちになれる」ということを知ることで、人間が解放された面もあるわけだ。
 だから、“神に対する戦い”と言えば、“神に対する戦い”であったのかもしれないね。(中略)本当は神を目指しているのだけれども、その間に、近親憎悪が起きて“神に対する戦い”が起きることがあったということかな。
(88~92ページ)

当時は、私たちが思っている以上に、宗教が学問の足かせであり、宗教から離れないと学問の自由は得られなかった。

宗教と切り離して、適正な経営や経済行為によってお金持ちになれると知ることで、人間が解放された面もある。

カント哲学は、本当は神を目指しているのだけれども、その間に、近親憎悪が起きて“神に対する戦い”が起きたということかもしれない──。

うーん、つまりは、前回の説明だけだと、ちょっと舌足らずなんであって、じつは当時の「宗教による足かせ」みたいなものを切り離すことで、逆に神に迫りたいという面もあった、ということなんでしょうか。

生身の(というか「霊」ですけど(笑))カント先生、とっても分かりやすい語り口で、楽しく語ってくださいます。

でも、さすが大哲学者。その中身はそう甘くなくって、一筋縄に理解はできないとても深い話を、今日は聞かせていただいたんだと私は思っているのです。

霊性と教育 (OR books) 『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』

 大川隆法著


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ね、宇宙のほんとうの姿って、どんなのなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不滅の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

地上にある人間にとって、
この大宇宙は、
望遠鏡によって観測されるものであり、
また、宇宙船に乗って旅行することによって観測されるものでもありますが、
肉眼によって捉えられた宇宙の姿は、
実は、そのすべてではないのです。

例えば、無重力状態の宇宙船の中で、コップの水をあげると、
水が球体になって空中をさまよいますが、
この三次元の宇宙そのものが、
さらにもう一つ大きな世界、
根本仏、根本神の創った大宇宙から見たならば、
ちょうど、無重力状態の中の水玉のような存在にしかすぎないのです。
この無重力状態で浮かんでいる水玉の中に、
例えば、目にも見えないような微生物がいて、
その水玉宇宙の中を旅行しているとします。
人間が肉眼で見ている宇宙の世界というのは、
実は、この微生物が見ている世界と同じようなものなのです。
もう一段大きな、根本仏の目から見たならば、
この銀河を含んだ、人間から見える大宇宙そのものが、
さらに大きな宇宙の中に浮かぶ、
小さな水球のようでもあり、シャボン玉のようでもあるのです。

そして、本当の宇宙の中には、
このようなシャボン玉が、無数とも言えるほど浮かんでいます。
そうした、三次元宇宙のシャボン玉が、
いったい、どれだけの数あって、
それが、次のいかなる世界をつくっているかということは、
残念ながら、地上に生きている人間にとって理解を超えた世界です。
それは、ちょうど、地を違うアリが、
人間世界のすべてを理解することはできないのと同じです。
シャボン玉の中、水球の中に生きている人類にとって、
その外なる世界のことは、
残念ながら、想像の城を超えません。
人間の生きている世界は、
このように、閉じ込められた世界なのです。
(22~25ページ)

人間から見える、この銀河を含んだ大宇宙は、もう一段大きな根本仏の目から見たならば、ちょうど無重力状態の中の水玉、シャボン玉のような存在にしかすぎない。

この本当の宇宙の中には、このようなシャボン玉が無数に浮かんでいる。

人間の生きている世界は、このように閉じ込められた世界なのである──。

こんな巨大な世界観を淡々と語られる主エル・カンターレの凄味が、今日はかいま見える気がします。

なぜここで語られている世界が凄いのか、というあたりについては、あまりにすごすぎて私の手には余ります。

また次の機会を見つけて、おいおい深めていけたらと私は思っているのです。

不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books) 『不滅の法』

 大川隆法著


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子育てに疲れちゃった。なんで子供って、親の言うこと聞かないのかねえ? なーんて悩み抱えている人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『じょうずな個性の伸ばし方』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう教えておられます。

まえがき
 子育ては実に難しい。やりがいのあるのも子育て。やりがいのないのも子育て。いずれにせよ、親の期待通りには育たないし、子どもというのは、年齢相応に変化していく不思議な生き物だ。
 子育てで標準的なテキストを書くのは至難の業だ。失敗が成功になり、成功が失敗になり、失敗かと思うとまた成功になる。
 ただ言えることは、大人の目にはどう映っていようとも、子どもたちは一つ一つの体験を、人生の糧としているということだ。子どもが五人もいると、そこに一つの社会が出現する。「平等に愛する」ことも、「公平に愛する」ことも、一つの公案となる。
 ながらく実験台になって、親の人生経験を畳かにしてくれた、わが家の五人の子どもたちにも「有難う」と言わなくてはなるまい。

あとがき
 父が東大法学部卒、母が東大文学部卒ということが、五人の天才児たちにも、過剰な期待と負担になり、うちの子どもたちもプレッシャーで苦しんだようだ。両親ともに田舎育ちの秀才で、劣等感に悩み、都会の社会常織に欠けていて、試行錯誤を重ねていたことがわかるのには、もう少し時間がかかるだろう。さらに、自分も子育てをしてみなくては、過剰な期待をした両親を許す気持ちにはとうていなれないだろう。
 「家貧しゅうして孝子出ず」ともいうが、何か欠けているものがあって、人は救われもし、発奮もする。子育てにおいても、成功と失敗は「あざなえる縄の如し」といえよう。
 今、大学四年生の長男から、中学二年生の次女まで、五人とも、私の仕事を手伝ってくれている。有難いことだ。
 このつたない本が、読者の皆さんの子育ての悩みを解決する、何らかのお手伝いとなれば幸いである。
(1~2、180~181ページ)

世の中には、いろんな個性の子供たちがいて、親となってしまうと、子育ての悩みは尽きないものだと思います。

じつは何か才能がある子供ほど、個性が強くて、親は手を焼くのかもしれません。

それじゃ、手のかからない子だから悩みがないかというと、そんな話でもない。

そんな悩み多き子育てに対するアドバイスを求めている方にとっては、ヒント満載の必読書籍だと私は思っているのです。

じょうずな個性の伸ばし方―お母さんの子育てバイブル (OR books) 『じょうずな個性の伸ばし方』

 大川隆法著


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幸福の科学の教えって、結局は何なの。ずっとこのブログ読んできても、たくさんありすぎて分からないよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、この「正しき心の探究」の具体化として、「幸福の原理」を説きました。「正しき心の探究とは、どういうことか」という問いに対しては、「それは幸福の原理の探究なのだ」ということです。幸福の原理とは、「これを中心的に追究し、努力すれば、人は幸福になれる」という原理です。そして、この幸福の原理は、独立した原理ではなく、他の原理をなかに包摂した考え方なのです。
 そのなかの一番目が「愛の原理」、二番目が「知の原理」、三番目が「反省の原理」、四番目が「発展の原理」です。
 もちろん、それ以外の原理についても私は話をしていますし、人間を幸福にする方法はたくさんあり、溢れてはいるのですが、幸福の原理を要約すれば、「愛」「知」「反省」「発展」の四つの原理になるのです。
 これを私は「現代的四正道」と呼んでいます。四正道(ししょうどう)と言ってもよいのですが、言葉の響きがよくないので、四正道(よんしょうどう)と言っています。
「この四つを守っていきましょう。この四つの原理を常に念頭に置いて、正しき心の探究に努めていれば、大きく道を踏み外すことなく、まず天上界には還れるでしょう。それから、光の天使になるための修行ができることになるでしょう」という趣旨で説いたのです。
 したがって、当会の信者には、「仏性の探究」とも言うべき「正しき心の探究」をしつつ、具体的目標としては、幸福の原理である「愛・知・反省・発展」の四原理の探究を、日々、実践していただきたいのです。
 幸福の科学の基本的な教えは何かといえば、次のようなことになります。
「幸福の科学は、信者各自に対して、正しき心の探究を求めています。そして、正しき心の探究の具体化、実践編として、幸福の原理を唱導しています。その幸福の原理は四つの原理に分かれています。その四つとは、愛の原理、知の原理、反省の原理、発展の原理です。
 これを守れば、幸福の科学の信者としては合格です。これを忘れずに、いつも念頭に置いて、教学をし、反省や祈りをし、伝道活動等をし、あるいは、会社生活等、社会人としての生活をすれば、大きく外れることはないし、信者として、日々、精進していると言えるでしょう」
 こういう組み立てをしたのです。
(242~244ページ)

幸福の科学は、信者に対して、「正しき心の探究」を求めており、その具体化、実践編として、「幸福の原理」を唱導している。

この「幸福の原理」は、「愛の原理」「知の原理」「反省の原理」「発展の原理」の四つの原理に分かれている。

この四つの原理を常に念頭に置いて、「正しき心の探究」に努めていれば、大きく道を踏み外すことなく、まず天上界には還れるし、光の天使になるための修行ができることになる──。

前回に続いて、幸福の科学の基本教義を簡単に述べられた大川隆法先生の教えの一節を、今日はご紹介してみました!

幸福の法―人間を幸福にする四つの原理 『幸福の法』

 大川隆法著


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幼児に対して、崇高な精神性を教えることって、できないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』(幸福の科学出版)で、有名な哲学者であるカントの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 うん。まあ、無理だね(会場笑)。一言で言って、「無理だ」と思います。無理だと思いますね。
 それは、親のほうから直していかなければ、難しいのではないかな。大人のほうが駄目なのに、子供にだけ、それを要求しても無理だね。
 その時代には、崇高なものを教えるよりは、「動物性から切り離す」ということのほうが大事だね。動物性から人間性への離陸期であると私は思う。
 そして、「動物性から人間性へ離陸するに当たって、『聖なるもの』が一定の影響を与える」というように考えるわけだね。
 だから、崇高なるものに対する畏敬の念を教えようとして、合掌・礼拝、あるいは読経など、いろいろやっているのだろうけれども、そのような「かたち」を通して、崇高なるものを感じ取らせることは可能だと思う。そういう作法で躾をすることによって、動物性から遊離させるわけだね。
 それらは、すべて、動物には、できないことばかりだからね。動物ができるのは、最高でも、犬がお座りをして、お手をするところぐらいまでだ。動物は、そのくらいしかできないね。
 だから、動物にできないことをやらせて、人間として仕立てあげなければいけない。「折り目正しい礼儀作法や、畏敬の念を持った動作を取ることを躾けることによって、次に、学問に対して真剣に取り組む態度をつくり上げていくことが可能になるのではないか」というように思うね。(中略)
 ただ、善悪の判断をする判断力をつけることは、やはり必要かなと思うね。
 小さな子供にとって、「何が善で、何が悪か」を教えてもらうことは、わりに大事で、その時代に教わった価値観は、あとあとまで尾を引くところがある。
 それが、やはり、「教育の使命の一つである」と思うね。二十歳を過ぎたら、自分の考えで勝手にやり始めるので、もう、どうにもならないところはあるけれども、幼少時であれば、「何が善で、何が悪か」ということを、行動や考え方において教えていくことができるし、それが、その子の将来の人間性の方向を決めることはある。(中略)
 ただ、幼児教育も、あまり、禁圧的、禁欲的、戒律的になりすぎると、実は、実社会との乖離が激しくなって、そのあと、公立小学校等に上がったときに、外の世界の子供との差があまりにできすぎてしまう。
 そして、神の子供と人間の子供が一緒になったような感じになり、そこで、少数派になった場合には、いじめの対象になることもあるので、気をつけないといけない。
 だから、子供たちに善悪を教えつつも、親御さんに対しては、「やはり、人間界の水が濁っている部分に対する免疫も、子供に多少はつけさせないと生きていけないことがある」ということを教えないといけないね。
 子供が、あまりにも潔癖になりすぎた場合は、たぶん、社会的不適応を起こして、小中学生で挫折することになるだろうと思われる。
 基本的に十一歳ぐらいからあとは、物心がついて自分の理性に基づく判断ができるようになってくるとは思うけれども、そのへんまでは、注意深く見守らないといけないだろうね。
(100~104ページ)

幼児に対して、崇高な精神性を教えるのは無理であるが、合掌・礼拝・読経などのような作法の躾によって、崇高なるものを感じ取らせ、畏敬の念を教えることで、動物性から遊離させることは可能である。

また、小さな子供にとって、「何が善で、何が悪か」を教えてもらうことで、善悪の判断力をつけることは必要であって、それは教育の使命の一つである。

ただ、幼児教育も、あまり禁圧的、禁欲的、戒律的になりすぎると、外の世界の子供との差ができすぎてしまい、いじめの対象になったり、社会的不適応を起こして小中学生で挫折することもあるので、気をつけないといけない──。

さすが、ドイツ観念論哲学の祖として知られ、歴史上、最高の哲学者の一人に数えられるイマヌエル・カント先生のお言葉です。

カント先生は、生涯独身で通し、自分の子供を育てた経験をお持ちではなかったはずです。

なのに、哲学だけでなく幼児教育についても、とても合理的かつ説得的に教えられるのには、ちょっと私は感じ入ってしまったのであります。

霊性と教育 (OR books)

『霊性と教育──公開霊言 ルソー・カント・シュタイナー』

 大川隆法著


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最近、UFOの写真とか動画とかがインターネットによくアップされてるけど、あのプレアデス星人のUFOって、どんな形してるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙からのメッセージ 宇宙人との対話Part2』(幸福の科学出版)で、面前に座ったDさんの魂に宿るプレアデス星人の発言(霊言)を、次のように伝えておられます。

 私は、そんなに古くないのです。今から、そうですね、ちょうど七千年ほど前になります。古代インカのリエント・アール・クラウド王(エル・カンターレの分身の一人)がおられたころですね。(中略)
 当時、今のアンデス山脈に当たりますけれども、標高四千メートルぐらいの高地に王国があって、リエント・アール・クラウド王が治めておられました。
 そのとき、宇宙人がかなり飛来していまして、それを信仰する一派が出てきていたのですが、クラウド王は、「あの宇宙人たちは、あまりよい宇宙人ではないし、神ではないので、その信仰をやめなさい」と言っていました。そのため、国のなかで対立が少し起きていたのです。
 それは、映画「太陽の法」(二〇〇〇年公開)でも描かれていたと思います。
 あの映画では、クラウド王が気球を飛ばし、「われわれも気球を空に飛ばすことができる。空を飛ぶことでもって、彼らを神として崇めてはならない」と言っていたと思うのですが、実は、それだけではないのです。
 結局、悪い宇宙人の宇宙船は逃げ出していますけれど、あの映画に出てこなかった「よい宇宙人」がいて、実はクラウド王に協力したんですね。
 その「よい宇宙人」は、実は、クラウド王とつながりがあって、クラウド王と交信していたのです。そして、地上に下り、クラウド王たちと実際に会い、友達になって話をしたりしました。
 以後、プレアデスと地球のエル・カンターレ系団とは、日米安保のように、「何かあったら、お呼びください」というようなかたちで、“安保条約”を結んだのです。(中略)それは今でも有効です。七千年後の今でも有効で、今は、“改定七千年記念”なのです。(中略)
 「もし、悪い宇宙人が、地球人に狼藉を働き、乱暴なことをするようであれば、プレアデスのほうで防衛いたします」ということで、実は今でも地球を防衛しているのです。
 だから、アメリカの第七艦隊のように、プレアデスの宇宙船は、いつも巡回しています。地上から見えないようにではありますけれども、いつも地球の周りを回っているのです。(中略)
 われわれの星の宇宙船の特徴はというと、葉巻型の母船があって、それから中型船と小型船が出てくるのですが、中型船は、ちょっとした潜水艦風の大きさぐらいのものですけれども、小型船になると、いわゆる円盤ですね。
 でも、われわれの円盤は、ウンモ星人(『宇宙人との対話』第2章参照)の円盤のような、中古の感じの円盤ではなく、もう少し、近代的で、かっこいい、スタイルのよい円盤で、ちょうど、ダイヤモンドがクリアにカットされたような、きれいな感じの円盤です。もちろん、回転はしていますが、下から、あんな、みっともない、何というのかな、“足”が出ていない……。(中略)
 車のようなものが出ていなくて、あんなにみっともなくないのです。(中略)かっこよく、そのまま垂直離着陸をします。
(123~128ページ)

プレアデス星人と地球のエル・カンターレ系団とは、七千年ほど前、古代インカのリエント・アール・クラウド王の時代に“安保条約”を結んでいるので、プレアデス星人は、今でも地球を防衛している。

プレアデス星人の宇宙船は、葉巻型の母船、ちょっとした潜水艦風の大きさの中型船、そして、いわゆる円盤の小型船がある。

円盤は、ダイヤモンドがクリアにカットされたような感じで、そのまま垂直離着陸する──。

リエント・アール・クラウド王の時代の“安保条約”というのは、けっこう驚きの話です。

それにしても、巨大な葉巻型のUFOが出現した話を、けっこう目にしたりしますが、つまりそれは、プレアデス星人の母船だったってこと、なんでしょうね!

宇宙からのメッセージ (OR books) 『宇宙からのメッセージ 宇宙人との対話Part2』

 大川隆法著


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現代医学と宗教の関係って、どう考えるべきなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

しかし、私は、
現代医学も仏神の指導の下にあると思う。
医療系の光の天使を、
仮に医神と呼ぶとすると、
医神のルーツ(根源)をたどっていくと、
必ず、ヘルメス神に行きあたるからだ。

また、西洋医学と、時に対立する東洋医学も、
そのルーツ(根源)は、老荘思想や仏教にあり、
僧侶が医術を教えていた例は多い。
もちろん、病気治しをする宗教にも、
仏神が盛んに協力している。
たびたび奇跡を起こして
人々の信仰心を高めている。

ここで大切なことは、
医学と宗教の協調・協力である。
信仰を理解する医師であれば、
心の力を使って、もっと病気が治せるであろう。
時には、言葉と薬の併用で、
奇跡のように難病も治せるだろう。

また宗教者も、医学の光の部分と協力すれば、
悩める人々を救える範囲が広がるだろう。
目的は人々の幸福なのだから、
互いに、助け合えることが望ましい。
(244~247ページ)

目的は人々の幸福なのだから、大切なことは、医学と宗教の協調・協力である──。

特に最近、幸福の科学では、信仰の力で不治の病が治る奇跡が、本当にたくさん起きていると聞きます。

だからといって、大川隆法先生は、医学が不要だなどとは考えてはおられず、医学と宗教の協調・協力を説いておられます。

ここに、現代社会における宗教のあるべき姿、理想の形が示されているのではないかと、私は思っているのです。

心と体のほんとうの関係。―スピリチュアル健康生活 (OR books) 『心と体のほんとうの関係。』

 大川隆法著


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ネットをいろいろ見てると、幸福の科学を悪く言ってる書き込みとか、すごく多くない? 幸福の科学が本当の救世団体なんだったら、どうしてそうなるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 宗教家が目覚めるときには悪魔が数多く競い立ってきます。それも重要なチェックポイントの一つでしょう。
 悪魔は、悟った人が出ると困るのです。悪魔は闇のなかでこそ生きていくことができるのであり、真実を悟った人が、それを人々に告げはじめ、光をともしたならば、自分たちの正体がばれてしまいます。そのため、悪魔は、悟る人が出ることをとても嫌がり、また、怖がります。そこで、悟りを開かせまいとして、誘惑し、迷いのなかに引きずり込み、真実を分からなくさせようとします。
 無明の闇のなかには悪魔や悪霊がうごめいています。したがって、真理の光が必要です。悪いことは、闇に紛れ、人に知られないからこそできるのであり、光の下では、悪いことはできないのです。
(178~179ページ)

幸福の科学へのひどい悪口って、インターネットの世界で、それこそ数えきれないほど見つかるように思います。

でも、その大半は、無責任にいい加減なことを書き散らすことができる匿名掲示板ですし、そうでない場合も、やはり噂話程度のことを針小棒大に書いているだけ。

このままでは、インターネットの世界は「無明の闇」の世界になってしまいます。

そこで、このブログでは、大川隆法先生の教えを、真正面からご紹介し続けることで、この世界に光をお届けしようと試みているわけです。

幸いにも、この素晴らしい教えそのものに対する、ストレートな批判をいただいたことはほとんどありません。

迷いの闇に惑わされることなく、地道にではあっても、何が悟りか、何が真理か、そして何が救世の光なのかを、自分自身でしっかりとつかみたいもの。

また、このブログを通じて一人でも多くの方とその学びを共有して行くことができたらと、心より私は願っているのです。

生命(いのち)の法―真実の人生を生き切るには (OR books) 『生命の法』

 大川隆法著


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月の裏側って、どうなってるのかな。空気もないし、荒涼としてるだけで、表側と同じで何もないんでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙人リーディング』(幸福の科学出版)で、公開霊言の一種として、目の前に座る男性(Cさん)の奥底をリーディングして、このように伝えておられます。

 では、調べてみましょう。
 (目を瞑り、Cに右手をかざす。約三十秒間の沈黙)
 うーん。うーん。ああ、うーん。うん。
 お答えします。地球が外から見えるんですよ。宇宙空間から地球が見えるんです。海が多くて、緑のある、青い地球が、宇宙から見えていますね。宇宙から地球が見えていますね。そのシーンが見えてくるのです。
 あなたは、宇宙から地球を見たことがあるはずです。うーん、宇宙から見ていますねえ。確かに見ています。
 ああ、地球がだんだん遠ざかっていきます。うーん、窓が幾つかありますね。窓が幾つかあって……、見えている方向が、今、変わりました。地球を後にしようとしていますね。これからどこへ行くのかな。
 (約十五秒間の沈黙)
 なるほど、お月様が好きなだけのことはありますね。地球から見て月の裏側に当たるところに、UFOの基地があるのです。そこへ、いったん帰ろうとしているところですね。
 月の裏側に入ると、地球から見えなくなるんです。裏側に入ろうとしていますね。月の裏側には、かなり大きな基地があります。
 これは、アメリカも本当は知っているはずですね。大きな谷が近くにあって、台地があって、それから、なだらかな丘陵があります。その下は、けっこう緑地が広がっていますね。月には何もないと思われていますが、それは嘘ですね。緑地が広がっています。ええ。
 そして、うーん……。東京ドームのような半透明のドームが、一個、二個、三個、四個……、四個ぐらいあります。まあ、ドームと言っても植物園の温室のようなものですが、外から半透明の膜のようなもので覆われていて、半球状になっており、そのなかに植物のようなものがたくさん植えられているのが見えます。ヤシの木に似たものもありますね。
 四つ目のドームからは道路が出ていて、その上を月面車のようなものが走っています。そして、それには宇宙服のようなものを着ている人が乗っています。
 それで、その走っていた月面車が、今、空中に浮くところが見えています。夜空のような空中に浮いていくのが見えます。おそらく、吸い上げられているのでしょうね。吸い上げられていって、上空にある円盤の中央部分が開いて、そこに吸い込まれました。そして、吸い込まれたあと、その入り口は閉じました。
(91~94ページ)

大変な話が、さりげなく語られています。

これは、このCさんがアブダクションされて実体験した記憶を、大川隆法先生がその霊能力でリーディーングしておられるシーンです。

記憶を消されているわけですが、実際にCさんの体験を、Cさんの記憶だけでなく、おそらくはCさんの守護霊の視点から読み取って、描写しておられるところと思われます。

月の裏側には、緑地があったり、大きな透明ドームがあったり、基地があったりするというのは、いわゆる「トンデモ本」の世界では有名な話ですが、ここではまさにその話そのものが、語られているようです。

さて、アブダクションされたCさんが出会っていた宇宙人とは? それはまた次の機会に!

宇宙人リーディング (OR books) 『宇宙人リーディング』

 大川隆法著


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なんだかつらいよね。人生なんて、意味があるのかなぁ? なーんて、ちょっと落ち込んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

あなたがたは、人生に新たな発見を持っているか。
新たな発見を続けることができるか。
きのう、あなたは、いったい何を発見したか。
きょう、あなたは、いったい何を発見したか。
朝、目を覚ましてより、何を発見したか。
昼に、夕べに、そして夜の一時に、
あなたは何を発見したであろうか。

いつのまにか、陽の暖かさを忘れ、
いつのまにか、風のさわやかさを忘れ、
いつのまにか、人の言葉の、その素晴らしい響きを忘れ、
いつのまにか、花の香りの、馥郁(ふくいく)とした、その感じを忘れ、
いつのまにか、春の到来の、あの喜びを忘れ、
いつのまにか、夏に向かうときの、あの胸のときめきを忘れている。
そう、それが老いさらばえてゆく人間の姿であるのだ。

心のなかに花を咲かせよ。
心のなかに情熱の目を見開け。
あなたがたは、日々、発見のなかに生きなくてはならない。
日々、素晴らしい人々を見つけてゆかねばならない。
きょう出会った人のなかに、
どれだけの美を見つけることができただろうか。
人々の心のなかの美を、そして外面の美を、
どれだけ見つけることができただろうか。
たとえ、その生まれが、いかに卑しいものであっても、
たとえ、その外見が、いかに醜く見えるものであっても、
その者のほほえむとき、
口元からは白い歯がのぞき、
かすかな笑顔が、全世界に向かって解き放たれるのだ。
その笑顔の素晴らしさを、
あなたは素直に認めてやったことがあるだろうか。
(178~181ページ)

人生にちょっと疲れたとき。

この大川隆法先生の光あふれる言魂に触れてみよう。

そして、生きる素晴らしさを忘れている自分に、喝(かつ)を入れよう。

そんなふうに、私は思っているのです。

限りなく優しくあれ―愛の大河の中で (OR books) 『限りなく優しくあれ』

 大川隆法著


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幸福の科学って、要するに、何をしようとしてるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

まず、価値観の革命を訴えなくてはならない。
真理は一つである。
霊界は実在し、
人間は魂を持った存在である。
肉体は“乗り舟”にしかすぎない。
それが真実である。
すべての学問の根本には真理がなくてはならない。
教育の目的も真理の獲得でなくてはならない。
そして、宗教もまた、
真理を明らかにするための努力を怠ってはならないのだ。

国論を変えよ。
その意味において、
日本の過半数の人びとに、
この真理の法縁を得ていただくことが大事である。
日本人の過半数である六千万以上の人びとに、
何らかの法縁を与えなくてはならない。
まず、日本の過半数の人びとに、
真実を知っていただきたい。
いま無明のなかを生きている人たちに、
明かりのなかを歩んでいただきたい。
そして、最終的には、
すべての人を真理に誘うことを
私は念願している。(中略)

私のこのメッセージを読んだ人びとは、
どうか立ち上がってほしい。
価値観の革命のために――。
日本の国民を、
そして世界の人びとを、
啓蒙するために――。

「信仰による革命」を、
啓蒙的手段によって、
平和裡になしとげねばならない。
すべての人を真実のもとへ導くことこそ、
宗教者の使命なのだ。
(227~231ページ)

真理は一つ。霊界は実在し、人間は魂を持った存在である。

幸福の科学がめざすのは、この真理のもとにすべての人を導く、「信仰による革命」であり、価値観の革命である。

それは、啓蒙的手段によって、平和裡になしとげられるべきものである──。

「仏国土ユートピアの建設」とか、「救世運動」などとも呼ばれる、幸福の科学の「一切衆生の救済」の活動については、いろんな説明の仕方があると思います。

そこで今日は、「革命」という角度から説かれたお教えの一節を、ご紹介してみました!

繁栄の法―未来をつくる新パラダイム (OR books) 『繁栄の法』

 大川隆法著


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