ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



最近、おかしな宗教の話題がニュースで目につくよね。たとえば住人以上が死刑になるような重大犯罪事件を引き起こしたO教なんて、実は宗教じゃなくって、ただの犯罪集団だったわけだけど、でも、犯罪者になってしまった信者たちというのは、悪い教祖に洗脳されちゃって運が悪かっただけ、なのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)の第1章「敵は自分の内にあり」で、こう教えておられます。

 さまざまな事件を起こしたO教について、「指導者だけが狂っていた。弟子たちはみな洗脳されたのだ」という、弁護的な言い方をする人もいますが、私はそうは思いません。
 たとえ東大や京大を出ようが、慶応を出ようが、殺人命令を受けて実行し、良心の痛みを感じなかったり、あるいは、その殺人命令を止めることができなかったりした人が、それで悟れると思っていたのならば、その人自身のなかに、殺人命令を出した人と同質のものが、やはり必ずあります。人のせいにはできないものがあるのです。その点を知らなければいけません。
 敵はいつも自分の内にあります。他の人が自分を害したり、他の人の命令や判定によって自分が失敗したりするのではありません。その失敗の原因は、必ず自分自身のなか、自分自身の心のなかにあると見なければならないのです。
(49~50ページ)

たとえ有名難関大学を出ていても、殺人命令を受けて実行し、それで悟れると思っていたのならば、その人のなかに殺人命令者と同質のものが必ずある。

指導者だけが狂っていたわけではなく、その失敗の原因は、必ず自分自身の心のなかにあると見なければならない。

敵はいつも自分の内にあり──。

厳しいお言葉です。

だけれども、犯罪に走ったことを、単に「人のせい、環境のせい」にしてはならないってこと。

そこには、「縁起の理法」が働いていて、失敗の原因は、必ず自分自身の心のなかにある。

それを大川隆法先生はここで、「敵は自分の内にあり」として教えて下さっているんだと、改めて私は思っているのです。

大悟の法―常に仏陀と共に歩め (OR books)

『大悟の法』

 大川隆法著


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前回も前々回も、経営者の時間管理について勉強したと思うんだけど、その続きがないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造のマネジメント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 もちろん、販売網についても、無駄を削る努力が要ります。途中に何段階もあるようでは無駄です。不況期には直接販売をするに限ります。最終消費者にできるだけ近づかないと利益幅が小さくなるので、なるべく直接販売に切り替え、中抜きを減らす努力をしなければいけません。
 また、不況期には、できるだけ仕入れを安くすることが必要ですし、売るほうでは値段を下げなくてはいけません。そうしないと売れないからです。売るほうでは利益がほとんど出なくなってくるため、可能な限り仕入れを叩き、安い仕入れ価格に切り替えていかなくてはならないのです。(中略)こういう努力が必要なのです。したがって、経営者は厳しくなくてはなりません。お人好しではいられないのです。
 取引先との付き合いは大事であっても、その取引先が、削らなければいけないところなのであれば、あまりお付き合いをしないほうがよいでしょう。(中略)そういう意味での付き合いを削減することも大事です。(中略)
 心の教え、あるいは光明思想系統の教えでは、「人間には無限の可能性がある」「能力は無限だ」などということも、私は説いてきました。
 しかし、現実の仕事、実務や経営という観点で見たとき、時間という枠のなかでは、人間の能力には、どうしても限界はあります。なぜなら、どのような人であっても、同じ持ち時間しかないからです。
 忙しそうに働いている人は、「自分は、よくやっている」と思っているかもしれません。しかし、「自分でやらなくてもよい仕事を、自分がやり続けていないかどうか」ということを、常に問わなくてはならないのです。
 仕事が多いのは、うれしいことなので、仕事を抱え込む人がいますが、ある程度、「この仕事は、自分がしなくても、他の人でできる」と思ったならば、その仕事を部下に下ろしていかなくてはなりません。
 仕事のやり方を固めて下の人に下ろしていき、時間の空きをつくるのです。そして、自分は新しい仕事を行い、その仕事が固まったら、また下の人に下ろしていきます。このようにすることで、部下も自分も偉くなれるのです。
 これをせずに、部下の仕事を取り上げているため、自分の仕事が増えてばかりいる社長もいます。下にいる部長などの仕事を取っているわけです。そういう社長は、いつも手いっぱいで、「時間がない、時間がない」と言っています。しかし、それは能力の不足が原因でしょう。
 仕事を固めて部下に下ろす工夫を常にしないと、成長することはないのです。
(93~97ページ)

販売網も無駄を削って中抜きを減らし、可能な限り安い仕入れ価格に切り替え、削るべき取引先との付き合い削減も大事である。

光明思想で「人間には無限の可能性がある」といっても、現実の実務や経営という観点で、時間という枠のなかでは、人間の能力には限界がある。

忙しく働いている人は、「自分でやらなくてもよい仕事を自分がやり続けていないか」を常に問い、仕事のやり方を固めて下の人に下ろしていき、時間の空きをつくって自分は新しい仕事を行わないと、成長することはない──。

こんなふうに要点をまとめてみれば、どうでしょうか。

やはり今回も、経営者だけの話ではないように思えます。

会社の幹部として仕事をしている人にとっても、そしてこれから出世していきたいと考えている若手サラリーマンにとっても、とても重要な視点を教えていただいているのだと、改めて私は思っているのです。
 

未来創造のマネジメント

『未来創造のマネジメント』

 大川隆法著


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日本って、反省しなきゃいけないことやった国だなんていって、ボロボロに叩かれてる気がするんだけど、でも美点もあるんだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 日本は、第二次世界大戦が終わってから立派な国になったのではなく、昔の日本も優れていました。先の大戦が起きる前から、日本は「世界の五大強国」の一つと言われていたのであり、敗戦後にゼロから発展したわけではありません。
 今の日本人は、戦争が終わって日本が廃墟から立ち直ったところだけを知っていて、「敗戦後に経済的繁栄が起き、世界第二の経済大国になった」と捉えがちなのですが、それ以前に、日本はすでに世界の五大強国に入っていたのです。
 日本は、明治維新以降、非常に頑張りましたし、明治維新以前の徳川時代を見ても、けっこう文化的には高く、百万都市であった江戸は、その当時、世界で、ほかにはないレベルの都市だったと言われています。
 日本では、武士がつくった政権にも、立派なものがたくさんありました。
 また、平安時代には女流文学が栄えたぐらいなので、時代をかなり先取りしています。世界では、近代になってから、女流文学者が出てきて、世間に認められたりしていますが、日本では、すでに平安時代に女流文学者が出ていたのです。彼女たちは、世界的には千年も時代を先取りする先駆者たちです。
 その平安時代には、死刑のない時代がかなり長く続きました。それだけ秩序のある国をつくることができたのです。現代の先進国でも、死刑制度なくして治安を維持するのは、なかなか難しいことですが、平安時代には、少なくとも、「国の法律による死刑執行が一件もない」という時代が三百年ほど続いていました。
 その前の奈良時代には、仏教が非常に栄えました。
 戦後の日本には、敗戦を機に、それ以前のものを、全部、否定する傾向があるので、伝統的な仏教についても、やや否定的というか、下に見ています。
 ただ、鎌倉時代の仏教、すなわち鎌倉仏教については、「民衆に弘めたので、非常に民主主義的である」という理由で、戦後、評価が非常に高くなっています。「民衆を相手にし、仏教を易しい教えにして広げた」ということを強調し、本願寺系統の念仏宗、日蓮宗、曹洞宗など、鎌倉期以降の宗派を高く評価して、それ以前の平安仏教や奈良仏教を低く見る傾向があるのです。
 しかし、奈良仏教は、仏教の正統的な教えがそうとう入っている、学問的にはかっちりとしたものであり、間違いのない教えです。これに対して、鎌倉以降の仏教は、独創性には富んでいるものの、仏教的に見ると、釈迦の教えとは全然違う教えが、あちこちに広がったような状態になっています。
 そういう意味では、奈良時代や平安時代の人も、けっこう偉かったのです。
 さらに、飛鳥時代には、「十七条憲法」や「冠位十二階」を制定した聖徳太子がいます。
 彼は非常に民主主義的な考え方を持っていて、「為政者は、民衆とよく議論をし、国の政治をしていきなさい」と言っていました。また、「篤く三宝を敬え」と言って、「仏・法・僧の三宝を敬う宗教心がなければいけないのだ」ということを強く訴えかけたり、「怒りや争いをなくしなさい」というような精神的指導原理を政治に取り入れたりして、国の運営をしていこうとしました。
 そして、冠位十二階の制度を定め、身分ではなく能力に基づいて人材を抜擢できるようにしました。当時の日本では、能力主義に基づき、「身分が下の人であっても、能力のある人を、どんどん登用する」という、非常に先進的なことが行われていたのです。
(129~132ページ)

日本は、第二次世界大戦が起きる前から、「世界の五大強国」の一つと言われていたのであり、敗戦後にゼロから発展したわけではない。

明治維新以降、非常に頑張っただけでなく、徳川時代も文化的に高く、百万都市だった江戸は、当時、世界で他にないレベルの都市だった。武士政権にも立派なものがたくさんあり、平安時代には千年も時代を先取りした女流文学が栄え、死刑執行が300年ほどない時代だった。

奈良時代には、正統で学問的に間違いのない仏教が栄えた。飛鳥時代には、聖徳太子が「十七条憲法」や「冠位十二階」を制定し、精神的指導原理を政治に取り入れ、身分でなく能力に基づいて人材を抜擢できるような、非常に先進的なことが行われていた──。

たしかに、たしかに。日本史をこのような形でなぞってみると、日本という国は、かなりの美点を持った国家であることが、ハッキリと見えてくる気がします。

そして、というあたりについては、また次の機会に!
 

未来の法―新たなる地球世紀へ (OR books)

『未来の法』

 大川隆法著


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ウクライナとロシアの戦争のニュースを見てると、平和平和って言ってるだけでいいのかな、国防問題って、やっぱり考えなきゃいけないんじゃないのかな。でも、宗教はやっぱり非戦論でなきゃいけないんだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『公開霊言 内村鑑三に現代の非戦論を問う』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 本年は、八月の韓国との竹島紛争、中国との尖閣諸島問題をテーマにして、国防問題がクローズアップされた年でもあった。私も映画の製作総指揮者として、本年六月公開の実写映画『ファイナル・ジャッジメント』、十月公開のアニメ映画『神秘の法』(全世界同時公開)に携わってきた。二作とも四週連続ベスト・テンに入るほどのヒットとなったが、外国による侵略戦争と宗教による抵抗運動というテーマが、いつも通り、日本のマスコミには、ほぼ黙殺された。予言映画としては的中していたにもかかわらずである。
 今の習近平中国新体制は、かつての日露戦争前のロシアほどに恐ろしいものだろう。宗教政党『幸福実現党』による救国選挙運動も、マスコミによる「黙殺権力」により、力は十分の一以下に押さえ込まれているが、ジャーナリストでもあり、キリスト者でもあった内村鑑三なら、今何と言うだろう。現代の『非戦論』を問うてみた次第である。

あとがき
 「戦争と平和」のテーマはキリスト者にとって、歴史的にも非常に難しいテーマであろう。イエスの教えと、実際に起こりえる外国との戦争。エジプトの奴隷から、バビロン捕囚、マサダの砦の陥落以後、千九百年にわたって、世界に漂ったユダヤの民。イエスは本当にキリスト(救世主)としてユダヤ民族を救いえたのか。一九〇〇年代には、さらにユダヤ人にはナチスの大量虐殺が臨む。イエスはユダヤ人は救えなくとも、人類は救いえたのか。現在のイスラエルとアラブ民族の対立はどうなるのか。宗教と戦争の問題は本当に難しい。
 私たちも、日本を神の国(仏の国)と変えて、国を護ろうとしている。宗教に対する冷やかな視線に二十年以上も耐えつつ、信念は決して揺らがない。この国の繁栄をもたらすのは、真なる信仰の力である。神と悪魔の戦いは、終わらない。
(1~2、158~159ページ)

本書は、中国が習近平体制になった直後、ちょうど10年前に刊行されたものです。

その当時と今とは、時代背景が異なっている部分もありますが、「戦争」の問題がクローズアップされている点で、さらにこのテーマが考えられるべき状況になっていると思えます。

まえがきには、あえて今、内村鑑三に現代の『非戦論』を問うた理由が、明かされています。

そして、内村鑑三の言葉(霊言)を受けた、あとがきでは、象徴的で、とても示唆的な言葉が語られます。

さてさて、本書で、内村鑑三はいったい何を語ったのでしょうか?

本書は、キリスト者はもちろん、「戦争と平和」というテーマに興味がある方、必読の文献の一つであると改めて私は思っているのです。

公開霊言 内村鑑三に現代の非戦論を問う (OR books)

『公開霊言 内村鑑三に現代の非戦論を問う』

 大川隆法著


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企業経営って、不安定だよね。最初は売れる商品ができても、それもそうそう長続きしないしね。どうすれば、企業を長期的に安定して発展させられるんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 会社というものは、「利益の追求」ということを掲げているでしょう。株式会社であれば、株主の出資によって成り立っているので、利益をあげて株主に配当することは株式会社の使命です。日本の会社は従業員のための会社であることが多いのですが、欧米の会社は株主のための会社であり、欧米では、「株主が会社のオーナーである」という考え方が強いのです。
 会社が利益をあげることは、もちろん、従業員のためでもありますし、株主に利益を配当するためでもあります。その会社を信じてお金を出してくれた人に対して、お礼をしなければいけないわけです。
 そういう意味で、利益を出すことは、会社としては大事なのですが、単にお金だけで終わらずに、社会への貢献や公器性というものを掲げはじめると、企業であっても、宗教に似た強い磁場をつくりはじめます。
 それは、その企業に対する信頼感、「この会社なら信用できる」という、企業の良心、会社の良心への信頼感です。
 「この会社のサービスは信用できる」「この会社の人の考えていることは信用できる。信じられる」「最高のことをいつも考えてくれている」「私たちが心配しなくても、素人が考える以上のことを考えてくれている」「この病院の医療は、ほんとうに最高のレベルまで考えてくれている」などという信頼感が立ってくれば、その会社は一種の疑似宗教となり、宗教に近い面を持つようになります。
 そのように、社会への貢献や公器性が高まってきて、宗教に似た強い磁場ができてくると、企業として実社会に大きなインパクトを与えます。
 実際は事業活動をしているのですが、ある意味で“信者”をつくっているわけです。それは、たとえば、自分の会社の商品に対する信者でしょう。
 世の中に、おもちゃの会社はたくさんありますが、「この会社のおもちゃは、子供がとにかく喜ぶし、安全だ」ということになれば、その会社に対する信仰心に近いものが立ってきます。(中略)
 宗教の信者に似たような顧客層をつくることができれば、それは、リピート客ができたことを意味し、企業の安定化をもたらします。
 ホテルや旅館でも同じです。ホテルや旅館で成功するためには、やはり、リピート客をつかまなければいけません。何度も泊まってくれるファンをつくらなければ駄目なのです。「一見さん」だけでは、ホテルでも旅館でも、やはり厳しいものがあります。一見さんは、新規オープンのときには来てくれますが、あとは来てくれません。「リピート客を、どのくらい見込めるか」ということが、ホテルでも旅館でも成功の条件なのです。
 企業の経営者は、こういうことを常に考えていなければいけないのです。
 そういう信用、信頼感をつくり、“帰依”する心をつくることができれば、その企業は長期的に安定しつつ発展するのです。
(251~254ページ)

利益を出すだけでなく、社会への貢献や公器性というものを掲げはじめると、企業であっても、企業の良心、会社の良心への信頼感が生じ、宗教に似た強い磁場をつくりはじめる。

宗教の信者に似た顧客層は、リピート客であり、企業の安定化をもたらす。

そういう信用、信頼感をつくり、“帰依”する心をつくることができれば、企業は長期的に安定しつつ発展する──。

長期的に安定して発展している企業というのは、宗教と似ている。

目からウロコのお言葉です。

そうして、そういう企業へと成長させていくためには、「社会への貢献」「公器性」を高めていくことというのは、大きなポイントであるのだと、改めて理解できた気が私はしているのです。


「リーダーに贈る『必勝の戦略』」-人と組織を生かし新しい価値を創造せよ (OR books) 『リーダーに贈る「必勝の戦略」』

 大川隆法著


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心は折れないってわかった気はするんだけど、でも、人間ってそんなに強い存在じゃないよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 幸福の科学では、「すべての人に仏性あり」と教えています。また、「人間は仏の子である」とも教えています。この、「人間は仏の子であり、仏性を持った存在である」という教えは、どういうことなのでしょうか。
 禅宗のなかには、「坐禅をすれば仏になれる」という教えもありますが、それは、やや詐欺に近い考え方です。「坐っていれば、その身そのままで仏になれる」と考えるのは、いくら何でも甘すぎます。「仏の坐る格好をまねるだけで自分も仏になれる」という教えは、やや度が過ぎています。それは、ある意味での唯物論です。
 修行というものは、内容を伴わなければ、もちろん駄目なのですが、少なくとも、当会では、「人間には、仏と同じような性質を持つことが許されているのだ」ということを教えているのです。
 すなわち、「仏と同じようなことを考え、仏と同じようなことをする習慣を身につけ、努力していけば、仏のようになれる」という可能性が万人に開かれているのです。これが、「人間には仏性がある」ということの意味であり、また、「磨けば光が出る」ということでもあります。
 人間は、本来、「等しく尊い性質」を持っているのです。人間の違いとは、磨き方の差によって光の出方が違っているだけのことです。あるいは、磨き具合にムラがあったり、表面に汚れがあったりするだけのことです。きちんと磨いていけば、仏と同じような光が出てくる可能性はあるのです。
 もちろん、出てくる光は、その人の魂の傾向によって違うかもしれません。宝石の色が違うように、黄色い光もあれば、白い光もあり、赤い光や緑の光もあります。
 また、光の“かたち”は、その人の持っているものによって違うかもしれません。例えば、教育者の光り方と芸術家の光り方は違うかもしれませんし、政治家の光り方も違うかもしれません。商売で成功する人の光り方も違うかもしれません。
 その光り方は違うかもしれませんが、「誰もが、磨けば光る珠になる素質を持っている」という教えが、仏性の理論なのです。
 そのような観点から見ると、やはり、「『心が折れた』といった表現を使う人は、自分自身を、あまりにも“か弱い存在”として捉えており、他者から同情を引くような状況にある」と言わざるをえません。
 そういう人に対しては、「人間の本質は、もっと可能性を秘めた強いものである」と言う必要があります。
(106~109ページ)

幸福の科学では、人間は仏の子であり、仏性を持った存在であると教えている。

「人間には仏性がある」というのは、仏と同じようなことを考え、仏と同じようなことをする習慣を身につけ努力していけば、仏のようになれる可能性が万人に開かれている、という意味である。

出てくる光の色や光り方は、その人の魂の傾向によって違うかもしれないが、人間の違いとは、磨き方の差によって光の出方が違っているだけのことであり、誰もが磨けば光る珠になる素質を持っている──。

前回の「心が折れてたまるか」の一喝のあと、その本意を説いておられる部分です。

仏性」については、何度かご紹介してきました。

大川隆法先生は、人間の本来の姿の素晴らしさについて、私たちはもっともっと確信をもっていいのだということを教えてくださっているのだと私は思っているのです。
 

未来の法―新たなる地球世紀へ (OR books)

『未来の法』

  大川隆法著


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今、国家財政って、ものすごい赤字なんでしょ。だから増税が必要っていう話とか、財政出動したりして景気を良くすればいいって話も聞くけど、どっちがほんとなの。赤字財政の解決法って、そんなふうに考えるしかないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 問題は「予算の単年度制」にあります。これは憲法に規定されていて、複数年度にまたがる予算は原則として認められていません。そのため、「その年度の予算は、その年度で使い切ってしまう」というかたちになっているのです。
 しかし、この考え方をみなさんの家計に置き換えてみたらどうなるでしょうか。あえて話を単純化すると、例えば、「年収が四百万円ある人が、その年に四百万円を全部使ってしまう」ということになります。そのようなことをして家計が成り立つかどうかを、考えてみてください。やはり無理があるでしょう。
 四百万円の収入があって、それを全額使ってしまったら、例えば子供の教育費用などは、どうするのでしょうか。また、将来、「家を建てたい」「自動車を買いたい」と思ったときには、どうするのでしょうか。あるいは、老後の備えは、どうするのでしょうか。そのように、いろいろなことがあります。
 そうすると、「四百万円が入ったら、その年に四百万円を使い切る」などという考え方は、やはり何かおかしいということが分かります。(中略)
 予算の単年度制は、こういう考えと似ているのです。「増税すれば財政再建ができる」「財政出動で景気を良くするべきだ」などと言っていますが、本当は、そういうことではないのです。
 私は、松下幸之助の「ダム経営」の考え方が良いと思うので、憲法を改正して、予算の単年度制を変えるべきだと思います。
 景気には必ず波があり、良いときと悪いときがあります。景気が良いときは自然増収になります。予想に反して何兆円も余分に入ってくることがあります。あるいは、十兆円、二十兆円と、何十兆円も余分に入るときもあるのです。
 しかし、予算の単年度制があるため、政府は、その年に“無駄なお金”をパーッと使ってしまうのです。そして、景気が悪くなって、税収が減ってくると、今度は、「税率を上げる」「新しい税を何かつくる」などということを、すぐに言い始めます。これは悪い癖です。諸悪の根源は、実は「予算の単年度制」なのです。
 したがって、「国家的にもダム経営をします。景気の良いときには、当然、税収は増えるので、予想外に増えた税収については、不況時のための積み立てとしてプールさせてもらいます。それについてはご了解ください。その代わり、不況のときに、突如、増税するようなことはしません。好況時には、不況のときのための積立金をきちんとプールしておきますので、『その分を返せ。減税せよ』などと言わないでください」と、国民にきちんと理解を求めることが大事です。(中略)
 国家のプロジェクトというのは、五年や十年はかかるものが多く、なかにはそれ以上かかるものもあるので、単年度で解決するようなものは少ないのです。物の売り買いのように単純なものではないので、長い目で見ないと、効率的に道路もできないし、橋もできません。実際は単年度では無理なのです。
(65~69ページ)

財政赤字の原因は、憲法で規定された「予算の単年度制」にある。

そんな考え方が家計では成り立たないように、国家でも成り立っていないのが、諸悪の根源である。

松下幸之助のいう「ダム経営」ができるように、憲法を改正して、予算の単年度制を変える必要がある。これを変えれば、財政赤字は解決していく──。

うーん、改めて学んでみると、なんと斬新な視点の解決策なんでしょうか。

大川隆法先生が出されている「新・日本国憲法試案」は、この構想も入っていたのだと、改めて分かった気が私はしているのです。

日本の繁栄は、絶対に揺るがない 『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』

 大川隆法著


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ね、幸福の科学から「繁栄思考」って、教えてるんでしょ。それって、なんなの?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄思考』(幸福の科学出版)のまえがきで、こう教えておられます。

 この世の中には、成功し、富を築く人たちを罪人視する風潮が蔓延している。いわゆる、バケツから逃げ出そうとするカニがいると、下のカニがハサミで引きずりおろす、例の傾向だ。バケツからの脱出に成功したカニが、その脱出成功法を他のカニに伝授し、次々と仲間を引き上げる文化を創り出したらどうなるか。次から次へと成功者が数珠つなぎで出てくることだろう。
 私は、『チャンスの平等』には賛成である。そこには自由からの繁栄がある。しかし、嫉妬心の合理化である『結果の平等』には必ずしも賛成しない。汗を流し、智恵を絞って成功した者が呪われ、なまけ者が得をする世の中を創ることは、著しく社会のモラルを引き下げる。
 『格差是正』の美名のもとにマルクスの亡霊を復活させるのはやめよう。『良い格差』は他の人々を勇気づけ、社会にやる気と活力を与える。『繁栄』を肯定するところから繁栄は始まるのだ。
(1~2ページ)

『繁栄』を肯定するところから繁栄は始まるのだ──。

なんと確信に満ちた、真理の言葉でしょうか。

本書籍を、この日本の新たな繁栄を期待するすべての人に、強くお勧めしたいと改めて私は思っているのです。

繁栄思考―無限の富を引き寄せる法則 (OR books)

『繁栄思考』

  大川隆法著


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大川隆法先生って、あれだけの活動をされるなんて、ほんとに勇気あるよね。どこからあんな勇気が出て来るのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『救世の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私たちは、「勇気のある人間でありたい」と心の底から願っています。(中略)
 その根底にあるものは、やはり勇気です。
 その勇気は、どこから出てきているのでしょうか。それは、事実に対する確信、「真実は真実である」という自信、ここから出てきているのです。
 私が大悟したのは一九八一年三月です。すでに三十年近い歳月が流れ去りました。天上界の高級諸霊から霊言が降り、私自身が悟りを開いてから、三十年近い歳月が過ぎたのです。
 その間、千数百回の説法を行ってきました。また、内外を含めて、六百冊以上の書籍を出版してきました。さまざまなCDやDVD、ビデオ等も出してきました。ラジオ放送やその他の媒体によっても、数多く、考えを世に問うてきました。そういったことを三十年近くやり続けてきたのです。
 そして、今、日本に数多くある宗教のなかで、「霊界から霊が降りて、霊言を語る」ということや、その内容に対して、一定の社会的な信用がついてくるところまで来ています。
 その間、三十年近く、努力に努力を、精進に精進を、積み重ねてきました。急に思いついて、したことではありません。にわかにできることではありません。その信用は、智慧を絞り、汗を流し、本当に忍耐と努力を積み重ねた結果、得たものなのです。
 私たちは、この世の利害を超えて、本当のことを、みなさんに訴えかけたいのです。
 戦後の日本の常識は、海外の人から見れば“お笑い”でしょうが、戦後の日本人は、戦争に敗北したことをきっかけにして、宗教に対する信頼を失いました。
 先の第二次世界大戦において、「日本では宗教がバックボーンにあり、その宗教が護っている日本だから、神が護っている日本だから、負けるはずがない」と思ったにもかかわらず、その戦いに敗れたために、信仰心が崩れたのです。
 しかし、私は、それに対して、「いや、違う。その一事をもって信仰を失ってはならない」と言っています。敗れた信仰は、極めて民族主義的な、日本中心的なものであったのです。
 今、私が説いている教えは、もちろん、出発点は日本になっていますが、「日本を超えて、全世界の人々に真実を伝えたい」という思いで説いているのです。
 例えば、霊言集では外国人の霊も数多く出てきているため、「これほど数多く、いろいろな霊が出るのは不思議だ。こんなことがあるものだろうか」と疑問に思う人もいます。しかし、それは、「全世界の人々を救いへの道に誘いたい。その道に導きたい」と願っているからなのです。
(177~180ページ)

私の勇気は、事実に対する確信、真実は真実であるという自信から出てきている。

大悟から三十年近い活動期間の間、努力に努力を、精進に精進を、積み重ねてきた結果として、一定の信用を得てきた。

私たちは、この世の利害を超えて、本当のことを、みなさんに訴えかけたいのである──。

本書が刊行されてから、もう10年以上の歳月が経過しました。

でも、本書で説かれたお教えは、まったく古びるどころか、ますます輝きを増しているのではないでしょうか。

この大川隆法先生の語られる言葉の真意を、そしてその勇気ある活動の本当の意味を、一人でも多くの人々に伝えるお手伝いをしたい。

そう心の底から私は思っているのです。

救世の法―信仰と未来社会 (OR books)

『救世の法』

  大川隆法著


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他の宗教に批判的な霊言とかも出されてるみたいだけど、幸福の科学とか幸福実現党にも、やっぱり欠点があるんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『維新の心-公開霊言 木戸孝允・山県有朋・伊藤博文』(幸福の科学出版)で、山県有朋の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 宗教というのは、上意下達の組織になりがちであり、これが非常に危険なところなので、その情報の部分で、隠蔽やごまかし、嘘等が横行しないように、規律をきちんとする必要がある。だから、自分たちが思っているほど、自由闊達な組織ではないということだ。
 まあ、上の者に対して、下の者はへいこらするけれども、上の者は下の者の意見を、そんなには聴いていないよ。聴いているような幻想は持っているかもしれないが、必ずしもそうではないね。そういう意味で、情報のフィードバック機能も十分ではないということだ。
 これ以上、組織を大きくしようとするんだったら、やはり、「衆知を集める経営」が大事だね。松下さんの言うような「衆知を集める経営」をもうちょっとやらないといけない。知恵をもうちょっと集めないとね。
 上のほうにいる人たちが、なけなしの知恵で指図をたくさんしているような状況では勝てないよ。「貧困な情報に基づき、なけなしの知恵で指示が出されている」というようなことであっては、やはり駄目なので、もうちょっと、自分で考えて行動できる人をつくらなければいけない。(中略)
 ま、下士官以上の人だね。やはり、士官をつくっていかないといけない。自分の頭で判断して物事の処理ができ、指揮・命令ができる人を、ある程度、つくっていかないといけないね。
 兵卒ばかり増えたって、数のうちに入らないんだよ。それは、一定の目標に向かって、ただ「突進せよ!」と言うだけだったら、役に立つんだけれども、いろんな事態が起きたときに、「どうしたらいいですか」と言って立ち止まる人が多いんだ。そういう場合に、どうしたらいいか分からなくなる。政治活動においてもそうだけどね。
 本部に訊いても、やはり、判断ができない。それで、「結局、何もできなかった」ということは、たくさんあるわけなので、判断できる人をつくらなければいけないね。(中略)
 マネジメントの仕方によっては、もう一段、組織を大きくする余地はあると思うが、今は、会員の不満等の処理がほとんどできていない状況だね。現場では、そのほとんどに蓋をして、的確な判断ができないでいることが多いようだ。
 まあ、特に本部なども、ガン細胞みたいに言われていると思うので、本当に気をつけないといけないと思うよ。
 「この組織はトップに情報が届かないかぎり、何も判断できないが、トップには会員の不満など届かないように出来上がっている」ということだね。まあ、こういうふうなことを自嘲気味に言われているわけだ。(中略)
 それから、現場が、「訊いても無駄だ」とあきらめがちであるのは、組織のラインが長いからだね。「どうせ、問い合わせたところで、上のほうは状況が分からないので判断ができないし、的確な指示も出せないだろう」と思って、あきらめているところがある。その意味で、エネルギーロスがそうとう発生しているわけだね。
(118~124ページ)

幸福の科学も、自分たちが思っているほど、自由闊達な組織ではない。情報のフィードバック機能も十分ではない。

もうちょっと自分で考えて行動できる人をつくらなければいけない。

今は、会員の不満等の処理がほとんどできていない状況である──。

山県有朋というのは、維新の元勲の一人であり、日本陸軍の父と称され、総理大臣を2度も務めた、軍人政治家です。

その目から、幸福の科学はまだまだ未熟な組織であることが端的に指摘され、批判されています。

しかも、その内容がすべて霊言映像として公開され、一般書店で販売される書籍に全文掲載されているわけです。

その真っ正直な姿勢こそが、この「霊言シリーズ」の信憑性を、とっても高めているのだと、改めて私は思っているのです。

維新の心 (OR books) 『維新の心』

  大川隆法著


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仕事に必要な能力って、どんなのがあるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『創造の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 仕事をするために必要な能力として、基本的に二つのものがあります。一つは「判断能力」であり、もう一つは「企画能力」です。判断能力と企画能力は、仕事をしていくために、非常に大事な二つの柱なのです。
 会社で仕事がよくできる人は、判断能力、すなわち、「これは駄目」「これはよい」などという決裁をする能力を持っています。ところが、この判断能力と、アイデアを出していく能力とは、同時には共存しないものです。両者は別なものだと思わなければいけません。
 ただ、両方とも必要なのです。アイデアが出てこないようでは、新機軸を打ち出せないので、新しい商売や事業で成功はしません。そのため、アイデアは要ります。しかし、判断をする業務も要るのです。
 この二つの能力は、同時にはなかなか使えないものです。アイデアを出すときは、自由な発想ができないと駄目ですし、判断をするときは、集中して、しっかりと判断をしなければいけません。
 どちらかといえば、会社の事務所などは、判断業務のほうに向いています。「これは正しいか、正しくないか」という善悪の判断をすることには、会社などが向いています。しかし、自由な発想をすることには、あまり向いていません。
 自由な発想をすることには、自宅や喫茶店にいるとき、あるいは、飲み会のときや散歩中など、楽な状態でいるときが向いています。入浴中や、ひげを剃っているとき、独りでいるときなど、心がくつろいでいるときに、発想というものは出やすいのです。逆に、判断業務のほうでは、集中し緊張しているような状態のときに、良い判断をすることができます。
 会社を伸ばしていくためには、基本的に「企画力」と「判断力」の両方が必要であり、優秀な社長は両方を持っています。ただ、両方を持ってはいても、この二つは同時には使えないものなのです。
 したがって、人を替えたり、場所を変えたりして、両方を使えるようにしなければいけません。
 例えば、企画を出すときには、「参加者が自由にアイデアを出し合う」というブレーン・ストーミングを行ってみることです。その際、前述したように、「私は課長だ」「部長だ」「社長だ」などと言って役職の上下関係を出したら、誰も意見を言わなくなるので、自由に意見を言わせることが大事です。
 あるいは、私的な場で考えることも必要です。自分独りで釣りをしているときや散歩をしているとき、あるいは、映画館や美術館、喫茶店にいるときに考えることです。アイデアを出すためには、独りの時間、孤独な時間というものが、やはり要るのです。
 しかし、こうしたことと、「パシッと判断をして業務を進めていく」ということとは違います。判断能力と企画能力という二つの能力があり、この二つは交わらないものなのです。
 この二つの能力は矛盾するものですが、この両方を持っていなければ、実は成功できません。「矛盾するものを、どのように包含していくか。あるいは、切り替えて使うか」――これが成功の秘訣です。
 会社を大きくしたかったら、この両方が必要なのです。
(39~42ページ)

仕事をするために必要な二つの能力とは、一つは「判断能力」であり、もう一つは「企画能力」である。

会社を大きくしたかったら、この両方が必要であり、優秀な社長は両方を持っているが、この二つは、両方とも必要ではあっても、同時には共存できない。

したがって、人を替えたり場所を変えたりして、両方を使えるようにしなければいけないが、この矛盾するものを、どのように包含していくか、切り替えて使うかが、成功の秘訣である──。

うーん、なるほどなるほど、です。

今日は、多くの人が明確には知らないとても大事な成功の秘訣を、ちょっとさりげなくですが手短に、教えていただいたのだと私は思っているのです。

創造の法―常識を破壊し、新時代を拓く (OR books)

『創造の法』

  大川隆法著


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大川隆法先生って、政治思想書をたくさん出してると思うんだけど、ルーツはどこにあるのかなあ? なーんて疑問持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『スピリチュアル政治学要論――佐藤誠三郎・元東大政治学教授の霊界指南』(幸福実現党刊)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 若い頃は、一度政治学者を志したことはあったが、「思想」に親和性の高かった私には、プラグマティックで、この世的な論理性と共振する東大法学部の政治学とはもう一つ合わなかった。あるいは左翼的アカデミズムとは合わなかったと言うべきかもしれない。
 本文中に、若干不遜な言葉や、尊大な態度を感じられた方には申しわけなく思うが、マルクスが『資本論』を書いて全世界の半分を赤く変えた仕事に対し、全く逆の方向から世界の思想革命を起こしたいと考えていたのだ。マルクスの共産主義革命が、旧約聖書の「千年王国」の理想を換骨奪胎したものであることは判っていたので、真なる神の政治理想を打ち樹てたいと思っていたのだ。
 佐藤誠三郎教授(霊)には過分のお言葉を頂いたが、私の中の理想政治への想いを遠くから見守って下さっていたのだろう。「ご講義、ありがたく頂戴致しました」と心からお礼申し上げたい。

あとがき
 私は今、現実の政治とも関わりつつ、明日の政治家の卵を育てるべく『HS政経塾』も指導し、二〇一五年開校予定の「幸福の科学大学」では、法学政治学等の学科の開設も模索している。
 もう直接に私を教えてくれる人も少なくなる年齢と経験の人となってしまった。国師として歴代総理も叱っている。神の心を学問の銃弾にこめて発射しているつもりである。
 あるいは孔子のように理想政治を説きつつも、実現させることのないまま力尽きるかもしれないと心弱くなることもあるが、いつも天上界の声が励ましてくれる。古代イスラエルの民は、メシアとは宗教と政治の両面から国民を救ってくれる天からの代理人だと考えていた。それが本当であると実証せねばなるまい。
(1~2、144~145ページ)

若い頃は、マルクスの『資本論』が全世界の半分を赤く変えたのと全く逆に、真なる神の政治理想を打ち樹てたいと思っていた。

今、現実の政治とも関わりつつ、政治家の卵を育てるべく『HS政経塾』も指導し、「幸福の科学大学」で、法学や政治学等の学科開設も模索している。

メシアとは、宗教と政治の両面から国民を救ってくれる天からの代理人であることを実証すべく、神の心を学問の銃弾にこめて発射している──。

東大の政治学教授だった佐藤誠三郎という方のお名前を、初めて聞く方も多いと思います。

この佐藤誠三郎教授の霊が熱く語った本書をひもといたとき初めて、大川隆法先生の政治思想形成のプロセスが分かった気がする方も、また多いのではないでしょうか。

2013年に刊行された本書は、その新鮮さをまったく失っていないように思います。

本書は、幸福実現党や、大川隆法先生の政治思想に興味がある方にとって、必読文献の一つであると改めて私は思っているのです。
 

スピリチュアル政治学概論 佐藤誠三郎・元東大政治学教授の霊界指南

『スピリチュアル政治学要論――佐藤誠三郎・元東大政治学教授の霊界指南』

 大川隆法著


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「霊感商法」ってまた話題になってるでしょ。あれって、どうなの。宗教的に許される行為だったりするのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教決断の時代-目からウロコの宗教選び①』(幸福の科学出版)で、教団として「霊感商法」をやっているとして批判される統一教会の教祖・文鮮明氏の守護霊の言葉(霊言)を、質問者Aとの対話の形で、このように伝えておられます。

A─ “イエス・キリストの再臨”である方が、なぜ、悪質商法のような行為をお認めになるのでしょうか。
 例えば、今、統一協会の信者さんは、法外な値段で、壺や多宝塔、印鑑などを、たくさん売っております。
文鮮明守護霊 おまえらな、そんなことを言えるような立場にあると思ってるのか!
A─ また、“珍味売り”をしたり、高麗人参製品を販売したり、いろいろなことをされております。
文鮮明守護霊 こら! そんなものは、三流ジャーナリズムが書いてることだろうが。
A─ いや、本当に売っていますよね。
文鮮明守護霊 そんなことを書かれたら、あんたがただって怒るだろうが。そういう、同じ論理で責めるんじゃない。
A─ そのときに、なぜ堂々と売らないのですか。
文鮮明守護霊 何言ってんだ。
A─ なぜ、騙して……。
文鮮明守護霊 君たちだって、何十万、何百万のお布施があったら、喜んで、「菩薩だ」などと称しとるだろうが。それに対して、同じ論理を持ってこられたら、君らは、「霊感商法をやっている」と言われるんだ。それが分からないのか!
A─ 私たちは、「幸福の科学である」ということを、隠しておりませぬが……。(中略)
文鮮明守護霊 いいか。君は、「多宝塔を売った」などと言った。
 それは、わしの教えではない! それは、立正佼成会から来た青年部長がつくった活動方針だ! 要するに営業方針で、ほかの日本の宗教団体が持ち込んだものだ! 私の教えではないんだ! ただ、お布施の一形態として、彼らがつくったものである。それを、私のほうの批判に持ってこられているけれども、もともと、それはキリスト教とは関係のないものである。
 しかしながら、あなたがただって、違ったかたちでお布施を集めているであろうが。そして、額が大きければ大きいほど、ほめたたえておるであろうが。差はないのだよ! 批判する資格はないんだ。(中略)
A─ 「お布施」という目的が正しいとしても、その手段の相当性というか、正当性というものは、やはり問われるべきではないでしょうか。
文鮮明守護霊 この世的に見りゃ、金額がエスカレートしたら、そこが、だんだんおかしくなるのさ。
A─ しかし、宗教というのは、「正しい思いと行い」について教えるものではないのですか。
文鮮明守護霊 あんたさ、百万円寄付してもらうのと、一千万円寄付してもらうのと、一億円寄付してもらうのと、どれがいい?
A─ 仏教では、「貧者の一灯」という教えがあります。
文鮮明守護霊 おいおい、嘘つけ! おまえら、そんなもの、やっていないだろうが。
A─ 仏教では、真実の真心でお布施しているのです。
文鮮明守護霊 自分たちが、そうやってるならいいよ。もし、君たちが「貧者の一灯」で、「お布施は、十円でよろしい。五円でよろしい。一円でよろしい」って、毎日言っているんだったら、僕は信じるよ。
A─ 「三輪清浄」という教えがあって、「お布施」というものは、無我でなければならないのです。
(49~56ページ)

幸福の科学は、御布施を勧めるとき、自らが何者かを隠したりしない。

真実の真心で布施するという、「貧者の一灯」の教えがある。

「三輪清浄」という教えがあって、御布施を勧める手段の相当性は問われるべきだと考えている──。

本書が刊行されたのは2010年。今は逝去されている文鮮明氏も存命中でしたので、ここにはその守護霊が登場しています。

文鮮明氏の守護霊は、厳しい質問になると、しばしばかなり乱暴な口調で、激しい言葉を語られています。

その内容はというと、この世的に、明らかにおかしいように思えますし、宗教的にみても、これはやはり、根本的におかしいのではないでしょうか?

この霊言集の文鮮明氏の守護霊の発言を通読したとき、文鮮明氏の教えが、「正」と「邪」のいずれであるのか。

そして、幸福の科学の教えとは、どこがどう違うのか。

答えはあまりに明らかです。

すぐに十把ひとからげにしたがる傾向の方をしばしば目にする気がしますが、そんな方こそ、まずは本書を手にとっていただければと心から私は願っているのです。

宗教決断の時代 (目からウロコの宗教選び 1) 『宗教決断の時代』

 大川隆法著


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期末試験で、ビリの成績だったんだよね。こんな恥ずかしいの、ないよね。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 上を目指すことは良いことだと思うんですけれども、やはり、世の中は、相対的というか、比較の世界なので、私は、ときどき、「上も偉いが、下も偉い。底辺を支えている人も偉い。クラスの一番も偉いけれども、四十番も偉い。底を支えるのも大変で、ビリなのに自殺もしないで頑張っている人も、けっこう偉いよ」と言っているのです。
 昔の人の話ですが、旧制高校の出身者が社会に出ると、在学時の成績が上のほうの“一桁族”が、意外にもあまり出世しておらず、むしろ十番台ぐらいの人が出世していて、その次に出世しているのはビリのほうの人だというんですね。
 トップの秀才は、みな、落ちこぼれていってしまい、二番手グループあたりの人たちが、そこそこ出世しているようなのです。
 そして、“ビリを張っていた”人たちというのは、まともに勉強してはいなくて、運動、山登り、旅行、マージャンなど、社会経験のほうに投資していた人たちですよね。こういう人が社会に出て偉くなっているというのが、どうも法則的によく見られるので、そんなことも知っておいたほうがいいですよ。
 例えば、麻布高校からは政治家がよく出ていますけれども、麻布高校から総理大臣になった人たちというのは、真ん中ぐらいの成績だったようです。一方、一番だったような人は、国の省庁の局長あたりで終わっている人が、けっこう多いんです。
 だから、才能って難しいですね。何か勉強以外のことをやっていた場合もあれば、一生懸命に勉強して上位に行かなかった場合もあっただろうとは思うんですけれども、社会に出ると、勉強以外の人間関係とか、勘が優れているかどうかとか、趣味だとか、いろいろなものが影響してくることもあるので、一概に言えないんですよね。
(76~78ページ)

上も偉いが、底辺を支えている人もけっこう偉い。

ビリを張っていた人のほうが、社会に出て偉くなっていることがよく見られる。

社会に出ると、人間関係とか、勘が優れているかとか、趣味だとか、勉強以外のものが影響してくることもあるので、一概に言えない──。

大川隆法先生は、学校ではしっかりと勉強することを、基本的に勧められます。

でも、だからと言って、“勉強できないとダメだ”というようには、安易に決めつけられません。

いま試験の成績が悪かったとしても、社会に出たとき、それですべてが決まるわけではないから、自分の強みを生かして希望をもって進んでいくことが大事だ。

そんなふうに、若者たちを力強く励ましてくださっている。

なんてありがたい、お教えなんだろうと改めて私は思っているのです。

知的青春のすすめ

『知的青春のすすめ』

 大川隆法著


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あーあ、また負けちゃったよ。ぜったいに勝てる、百戦百勝の方法って、ないのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『百戦百勝の法則──韓信流・勝てる政治家の条件』のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 私たちは三年半前から、『幸福実現党』という政党を旗揚げし、国難と戦っている。政策的には予言の如く的中し、シンパもとても増えており、言論を伴う圧力団体としては、一定の戦果をあげている。しかし、民主主義下の政党政治を行うという点においては、いまだ志は果たしえていない。(中略)
 本書では、漢帝国の立役者、大将軍韓信から、「百戦百勝の法則」を賜った。私たちにはかなり厳しい内容だが、人生の諸事万般の勝利につながる法則を読み取ることもでき、「現代の兵法」として公開に値すると考えた。

あとがき
 勝負に勝つということは厳しいことだ。ましてや、肝心の政策の争点を曖昧にしたほうが選挙においては勝ち、正直に主張したほうが負けるというのでは、民主政か、衆愚政かを見分けるのは難しい。プロとしての政治家は本能的に身を護る術として、争点ボカシができるようになっているらしい。
 しかし私は、この国の国民を信じたい。本当のことを、真正面から正直に取り組んでいる政党は、時差はあっても、必ず認められると信じている。
 本書で示された勝てる政治家の条件は、同時に、勝てる経営者の条件でもあり、勝てる教育者やアーティストの条件でもありえる。まず自己反省から勝利への道を目指していこう。
(1~2、134~135ページ)

勝てる政治家の条件にして、勝てる経営者、勝てる教育者やアーティストの条件。

こんな内容を公開しちゃっても、大丈夫なんでしょうか?!

と思わず口にしてしまうほど、ディープなアドバイスに満ちています。

さすが幸福の科学、さすが大川隆法先生、と言うべき驚嘆の霊言集。

オススメです!

 

『百戦百勝の法則──韓信流・勝てる政治家の条件』

 大川隆法著


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