ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



神さまって、1人のはずでしょ。だったら、イエスさまが信じた神がほんとの神さまなら、ほかの宗教で信じてる神さまって、偽物じゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教選択の時代』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「神が一つであるかどうか。一人であるかどうか。唯一の神であるかどうか」という問題があります。
 神が唯一であるならば、自分のところに降りた神が本物であれば、ほかのところに降りる神は本物ではない、ということになります。たとえば、古代のユダヤ人のところに降りた神が本物であるならば、アラブのほうに降りた神は本物のはずがない。あるいは、イランのほうに出た神が本物のはずがない。日本や中国やエジプトに降りた神が本物のはずはない。「神は一つであり、自分たちの民族だけのものである」と考えると、他のものは全部間違いということになります。これも歴史上、人類の大きな憎しみと闘争を生んだ考え方です。
 一つの宗教が起きる時に、そのなかで中心的な指導霊となる、神格を持った魂が一人であることは、確かによくあることです。特定の人が中心的に指導していることがあります。ですから、「私の教えにもとづいて行動しなさい」と言うことはあります。
 しかし、それは、その人以外に他の神がいない、ということを意味してはいません。ほかにもいるのです。人類がこれだけの人口を持っているところから見てもわかるように、多くの神がいなければ、大勢の人たちを幸福にすることはできないのです。数多くの方がたがいて、役割分担をしているのです。そして、それを取りまとめている人たちもいます。
 そのようになっていて、その時代において、その地域において、誰が担当してその宗教を起こすか、ということが決まることがありますが、それは同時に、他の地域、他の国、他の民族に出た神が偽物であったということではないのです。(中略)
 その時に熱心に指導した神が、「自分のみを神とせよ」と言い、あるいは、邪教を信じている人に対して、そう言ったことはあるかもしれません。しかし、それは、「自分以外の神の存在を許さない」という意味ではなかったわけです。
 もし、ほんとうに間違った宗教を信じている人がいたら、「その邪神を崇めるのはやめなさい。われのみを信ぜよ」と言うことは、方便としてはもちろん正しいことではあります。しかし、その教えが「他の宗教は全部間違いである」「他の神がすべて間違いである」というなら、これは大変な混乱を生みます。(中略)
 ですから、一神教といっても、ほんとうの一神ではないのです。たとえ主たる担当者が一つの霊存在であるとしても、指導霊はその霊だけではありません。
(198~202ページ)

神が唯一であり、自分のところに降りた神が本物であれば、ほかのところに降りる神は本物でないことになり、この考え方が歴史上、大きな憎しみと闘争を生んできた。

しかし、人類の人口の多さからは、多くの神がいなければ人々を幸福にできないため、数多くの神が地域や国、民族ごとに役割分担しており、それを取りまとめている神々もいる。

一神教といっても、ほんとうの一神ではなく、たとえ主たる担当者が一つの霊存在だとしても、指導霊はその霊だけではない──。

大川隆法先生がここで、「中心的な指導霊となる、神格を持った魂」と説明されているのが、それぞれの宗教の「神さま」なんであって、神さまというのは世界中にたくさんいるってこと。

そして、その神さまにも実はレベルの違いがあったりして、この大宇宙を創った根本神(根本仏)というのは、その「神格を持った魂」の中でも最高レベルの高次な存在としてある。

普通に宗教で「神さま」というときは、そんな高いレベルの存在ではなくって、もっと人間に近い、個性をもった指導霊を「神さま」として呼んでいる、と理解すればいいんですよね。

なーんだ、「一神教」と「多神教」の対立、みたいに言われる問題は、実は人間の側の認識のレベルの違いにすぎなかったことが、改めて腑において理解できた気が私はしているのです。

 

宗教選択の時代ーネオ・ジャパニーズ・ドリームへの胎動 (OR books) 『宗教選択の時代』

 大川隆法著

 

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