あーあ、もう若くはないのよね。トシとるの、いやだなあ。ほんとにいやだなあ。なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
老いてゆくということに抗しうる人はいません。どのような身分の人でも、どのような大金持ちでも、どのような学歴の人でも、等しく人は老い、等しく人は死んでゆくわけです。(中略)世とはこのように、まことに無常に満ち溢れているものなのです。
しかし、それを嘆くのは、必ずしも正しいことではありません。「無常こそが原則なのだ」ということを、まず考えることです。無常が原則なのです。無常なるものを、無常ならざるものとしてこの世的に追い求めようとしているところに無理があり、執着が起きるのです。
無常であると考えることは、不幸ではないか、苦しみではないか、悲しみではないか。そう憤慨し、抵抗する方もいるかもしれません。ただ、その考えにこだわっても、何ら生産性はないと私は思うのです。無常こそが本則なのです。変化してゆくものなのです。常なるものは何一つないのです。それこそが本筋であるのです。(中略)
しかし、「観の転回」と言いますか、ものの見方、考え方をまったく変えてみると、無常の考え方も幸福論をその基礎として持っているものであると言えます。(中略)
「この世の生命は仮の宿りなのだ。私たちは一時期の旅人にしか過ぎないのだ。ある国から遥かなる旅に出て、数十年、夢のような生活を送って、そしてまた還ってゆくのだ」と思ったときに、あれほど喉から手が出るほど欲しかったものが、実は虚しいものであったと知り、そこにひとときの幸福なる瞬間が現われてくるのです。(中略)
このように、執着を去ることは、一つの心地よい快感でもあるということを知っていただきたいのです。あの世の実在界の視点から、この世の自分の生活を見つめ直す──すべては、そこから始まると思うのです。
(61~73ページ)
老いてゆくことに抗しうる人はいないのであって、この世はまことに無常に満ち溢れている。
この無常こそが原則であるのに、無常なるものを無常ならざるものとして追い求めようとしているところに無理があり、執着が起きる。
しかし、ものの見方、考え方をまったく変えて、あの世の視点から、この世の自分の生活を見つめ直し、執着を去ることは、一つの心地よい快感でもある──。
トシをとることを止めることはできず、若さは取り戻せません。
人は必ず老いていくものだということです。
ここで「あの世の視点」と言われているのは、この世というのは、ひとときの宿りでしかない、あの世こそが、ほんとうの世界だったのだ、という視点のことだと思います。
そうした視点で見ることで、この「老いの苦しみ」を解決していく入口に立つことができる、と今日は教えて下さっているのだと思います。
これは詰まるところ、「霊的人生観」を持てということでもあって、これこそが大事な大事なキーポイントの一つであるのだと、私は思っているのです。
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『宗教の挑戦』
大川隆法著 |
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