行雲流水

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澤木興道老師の言葉

2015年09月18日 | 禅の心
○周囲のノボセにノボセにこと。これこそ智慧である。どの思想と、どの組合にもひきこまれてはならぬ。人間みたいな阿呆な奴を相手にせんこっちゃ。

○「グループ呆け」というのがある。そして呆けたのを経験とこころえておる。ひとり透明になって呆けぬことが必要だ。坐禅はこのグループからご免こうむり「シュッケイ」(失敬、出繋、出家)して一人になることである。

○いま時分の奴のやることは、みな集団をつくって、アタマ数でゆこうとする。ところがどこの集団もグループ呆けばかり、金がほしいというのもグループ呆けなら、エラクなりたいというのもグループ呆け。いわんや党派をつくるなど、グループ呆けの代表である。そんなグループ呆けをやめて自分ぎりの自分になることが座禅である。
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