行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

日々あるがまま

2010年09月10日 | 禅の心
悲しいときは泣くもよし
お地蔵様が 
涙をふいてくださる

腹の立つ時は叫ぶもよし
岩の山が
応えてくれる

嬉しい時は踊るもよし
雀たちも
来て踊る

(坂村真民)

その時々を一生懸命に生きること。それが禅の心です。

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頭白しとて

2010年09月07日 | 禅の心
頭白しとて
このことによりてのみ
彼は長老たらず
彼の齢
よし熟したりとも
これ空しく
老いたる人とのみ
呼ばれん
(法句経260)

私自身、頭のいたい話です。年齢を重ねても精神的に幼い人はいるものです。
反面、年は若くてもしっかりした人はいます。
年は時間とともにとっていくものですが、年齢に応じた年のとり方をしていきたいものだと思います。
常に学び自分を高めていくことが大切だと思っています。

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とらわれない心

2010年09月03日 | 禅の心
仏の道を歩む者としての心構えとしては、

感謝の心をもって生きよう。

人の悪口を言うのはやめよう。

批判せず、自分の内面を見つめましょう。

というような徳目を実践していくことが大切です。
しかし、大切なのですが、仏の道に限らず、儒教などにおけるこれらの項目は、時として、権力者が庶民や家臣団を支配するのに都合のよいものであったということもあります。江戸幕府は、儒教によって家臣や諸大名を支配しようとしました。
つまり、

「幕府のおかげで、お前たちは生活できているのだ、感謝しなさい。」

「幕府の悪口を言うのは悪いことだよ。」

「幕府の批判などしてはいけないよ。悪いことが起きるのはお前たちの行いが悪いからだ、自分を見つめなさい。」

このことは、現代にも通じると思います。幕府を会社だとか、政治家、役人に置き換えてみると同じことが言えると思います。

これらの徳目にばかりとらわれてしまうと、これらの徳目が生きてこなくなります。権力者にとって非常に都合のよいものになるのです。このような徳目はまず権力者が率先して実践していかなければなりません。
そして、自由にものを言うことのできる世の中であってほしいものだと思います。

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