聖人の仰せには、
「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御心に善しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、善きを知りたるにてもあらめ、如来の悪しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそ、仰せは候いしか。
親鸞聖人がおっしゃるには、「善悪の二つにつについて、ワシは何にも知らんよ。なしてかゆうと、如来様が良いと言われることを知り抜いてこそ、良いと言えるんじゃ。如来様が悪いと言われるところまで知り抜いて、悪いと言えるんじゃ。しかし、ワシらあ、凡夫なんじゃけえ、そして、この世は無常な火宅の世界なんじゃけえ、みんなウソだらけ、真実なんぞないんじゃ。念仏だけが真実なんじゃよ。
親鸞聖人がおっしゃるように世間なんぞは、ウソで塗り固められちょるんじゃよ。力をもっておる者が悪いことをしても、ないことにされてしまう。それに対して力のないものは無実の罪をきせられてしまう。黒のものが白になり、白のものが黒になってしまう。ウソばかりのこの世の中において、念仏だけが、坐禅だけが真実なんじゃよ。
「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御心に善しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、善きを知りたるにてもあらめ、如来の悪しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそ、仰せは候いしか。
親鸞聖人がおっしゃるには、「善悪の二つにつについて、ワシは何にも知らんよ。なしてかゆうと、如来様が良いと言われることを知り抜いてこそ、良いと言えるんじゃ。如来様が悪いと言われるところまで知り抜いて、悪いと言えるんじゃ。しかし、ワシらあ、凡夫なんじゃけえ、そして、この世は無常な火宅の世界なんじゃけえ、みんなウソだらけ、真実なんぞないんじゃ。念仏だけが真実なんじゃよ。
親鸞聖人がおっしゃるように世間なんぞは、ウソで塗り固められちょるんじゃよ。力をもっておる者が悪いことをしても、ないことにされてしまう。それに対して力のないものは無実の罪をきせられてしまう。黒のものが白になり、白のものが黒になってしまう。ウソばかりのこの世の中において、念仏だけが、坐禅だけが真実なんじゃよ。