行雲流水

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言葉の裏にあるもの

2010年02月26日 | 禅の心
禅、特に臨済禅では、公案という問題を使って、弟子を指導していきます。

その公案の中の様々な言葉や、先達の激しい言葉に誤解をすることもあると思います。

例えば、「生き埋めにしろ」とか「仏にあいては仏を殺し」とかです。

それらの言葉をストレートに受け取れば、禅とは激しいものだというイメージを与えることと思います。

しかし、これはあくまでも、穏やかな心を得るための一つの方便に過ぎません。

また、禅では「不立文字」とも言います。文字がないのが禅ではありません。

真理は言葉では簡単に言い表せないと言うことです。

その言い表せない真理を、多くの言葉を用いて言い表そうとしているのが、禅でもあります。


少し、話は変わりますが、愛情というのは、時として厳しさでもって表現されることもあります。

親がわが子を叱るのは良い例です。

友人関係であっても、恋人関係であっても然りです。

愛情を背景にして、人を叱るのは難しいことです。

一番よくない叱り方は、自分の感情にまかせて叱ることです。

よい指導者とは、常に愛情をもって人を叱ることができる人です。

叱られた側も、伝わってくる愛情を感じ「この人についていこう」と思うのです。

尊敬される人とは、感情を抑えて真心をもって人を諭す事のできる人です。

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