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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

ヒイラギの白い花 @野々池貯水池

2017-11-11 06:18:03 | 野々池周辺
知っている範囲では、野々池貯水池には2本のヒイラギがある。
今の季節、そのヒイラギに白い花が咲いて、1本は既に散り、もう1本も満開を過ぎたくらい。
ヒイラギの白い花姿は金木犀に酷似しているが、野々池貯水池のヒイラギの花は殆ど言ってもいいぐらい匂いがしない。

実は、家の玄関脇にも大きな柊があり、その花は野々池貯水池のと全く一緒で、純白の姿には何とも言えない清楚な美しさを感じた。
この季節になると、玄関わきのヒイラギの香は、金木犀の頭痛がするような強烈な匂いと違って、いかにも自然な香りが漂っていた。
ところが、何が原因かは分からぬが、今年、玄関わきのヒイラギは殆ど言ってもよい程花を付けなかった。
それで、野々池貯水池のヒイラギを気にして観察してきたが、こちらのヒイラギは一杯の白い花を付けるも、香りがしない。
    
    
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2ストロークモトクロッサー待望論

2017-11-10 06:43:49 | 二輪事業
8日のRacerxOnlineに、著名なアフターマーケット会社「Pro Circuit」の社長で「Pro Circuit Race Team」のオーナーでもあり、かつ優秀なエンジンチューナーでもある、Mitch Paytonさんのインタビュー記事「BETWEEN THE MOTOS MITCH PAYTON」があった。その前段にはこう纏めて書いてある。「“Everybody is buying some old two-stroke and they’re fixing them up as a weekend ride bike. I think there is a certain amount of people that love riding motorcycles and they just want to do it for fun. They don’t need a World Superbike to go ride on.”」とある。
・・米国では、生活の一部として極普通にバイクを楽しんでいる多くの人々がいる。彼らは古い2サイクルのモトクロスバイクを購入し週末には整備し、こうした人生を楽しんでいる。米国の多くの人々はバイクが好きなんだ。だけど、彼らが欲しいバイクはWorld Superbikeマシンでは決してない。・・と言う事なんだろう。
   「左:Mitch Payton」
Mitch Paytonさんのインタビューは多岐にわたっているが、その中に、質問者の「Mitchが、バイクマーケットを広げるためには、よりエントリーレベルに適した、格好良くて高性能な2ストロークモトクロスバイクが必要だと日頃から語っている件について」と言う質問に、こう答えている。
「I would love it. I think it’s important. I think the manufacturers, as a whole, have done a pretty good job of trying to keep the minibike classes to two-strokes. I wish Honda would bring out a two-stroke again. I see it in our shop. Our two-stroke pipe sales are fantastic. Everybody is buying some old two-stroke and they’re fixing them up as a weekend ride bike. I think there is a certain amount of people that love riding motorcycles and they just want to do it for fun. They don’t need a World Superbike to go ride on. [Laughs] I almost think—and this sounds crazy, and I’m probably going to get slaughtered for saying it—that we don’t need to have electric start and some of the stuff. We keep pushing the bikes and they keep getting a little bit more sophisticated. Yeah, after a guy has a button, he doesn’t want to go back to kick starting a bike. We had great racing when we just had dumb old two-strokes with a kick start. And the cost was cheaper. (略)」

今、Pro Circuitの2ストローク用のエキゾートパイプはよく売れているそうだ。古い2ストロークエンジンモトクロスバイクを買ってきて、Pro Circuit製のエキゾートパイプを装着し楽しんでいる多くのユーザーがいると、末端市場と常に接点を持ってビジネスを展開してきたPro Circuitは米国の顧客ニーズをこう説明している。されば、世界の半分以上を有する大市場である米国の末端の動きを無視しては通れまい。

最近のモトクロスマシンの主流が4ストロークエンジンに移行し、最新マシンが発表される度に感じたことだが、この開発方向が末端ユーザが本当に望む事なんだろうかとか、ひょっとしたら開発販売企業の都合だけで動いてはいないだろうかと言う疑念を持ってきた。2ストロークエンジンの持つ優位性が、4ストローク化によってエンジンは複雑化し、それは重量増とも繋がり、それにアルミの車体だ。4ストエンジンの持つ欠点を解消するために、油圧クラッチ採用だ、セルスターター採用だとなると、それらは更にコストに跳ねかえり、結局ユーザー負担。これでは健全スポーツを志向するモトクロスファンが逃げていくような気がしていた。あまりにも技術が複雑化してのコスト増ではユーザ負担が増加する。すると、必然的に原点に帰ると言う作用が発生するのは過去の日本のレーサーレプリカ時代もあったように、世界の多くのモトクロスユーザーは、今、販売価格も維持費も安価な2ストロークエンジンのモトクロスマシンを待ち望んいるようだ。

一方、期せずして最近、オーストラリア、カナダ、デンマークそして欧州を主戦勝とするEMX GPサポートシリーズ(EMX250クラスはモトクロスグランプリレースのサポートレースで、欧州では最重要なクラス)が250㏄クラス分けを、従来の4ストロークエンジン250㏄に加え、2ストロークエンジン250㏄エンジンでの出場を許可すると発表している。従来は、このクラスに出場する2サイクルエンジンは排気量半分の125㏄のみが許可されていたが、排気量の差別化を撤廃すると言うものだ。やっと、4ストエンジンが2ストエンジンと同等に競合できるレベルにまで競争力が向上したので、エンジンの差別化をする必要性が無くなった言う事だろうか。ルールは企業のためにあるのでないのだから、エンドユーザーの要求にルールが近づいた。

ルール変更の理由の一つは2ストロークエンジンのメンテナンスの簡便さやコストパフォーマンスの優位性によるもので、末端ユーザーは2ストロークエンジンの利便性を評価し、2ストローク待望論が根強くあっただけに、至極自然な決定だと思う。10年ほど前のルールブックはエンジンストロークによる差別化はなかったが、4ストロークエンジンがモトクロスに適用される従い、性能的に劣っていた4ストロークエンジンを救済するためにエンジン排気量を差別化してきた。

FIM(国際モーターサイクリズム連盟)が2&4排気量差別化ルール撤廃姿勢を示した事は、数年もせず世界選手権ルールもその方向に動くだろう。4ストエンジンのみを提供している企業にとっては脅威なのかもしれないが、現に欧州のKTMやHusqvarna そしてヤマハも型は古いが2ストロークモトクロスマシンを市場に安価で提供している現実もあり、市場末端ユーザーの選択権を増やすべきとするのは、全くの正論であろう。1998年、ヤマハが4ストロークエンジン搭載のモトクロスマシンを上市して以来、2ストロークエンジンを閉め出すルール化となったが、その後もヤマハは2&4を旗印に決して差別化をしなかった。構造がシンプルで取扱い軽量、加えて瞬発力があってコストパフォーマンスに優れたモトクロスマシンを市場は求めてきたのだ。

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もう、あれから20年!

2017-11-08 06:18:15 | モータースポーツ
全日本モトクロス選手権の最高峰クラスでカワサキがタイトルを取った最後の年は1997年。その時のチャンピオンJeff “Chicken” Matiasevichが米国のベテランズモトクロス大会に出場している記事が米国のMX雑誌" Motocross Action "のFBに投稿されていた。
Jeff “Chicken” Matiasevich(J.マタセビッチ)は’95、’96、’97の全日本モトクロスチャンピオンだが、その Matiasevich が今年(2017)11月開催の米国の有名なベテランズMX大会に参戦した際の写真のコメント欄に、全日本選手権に参戦した際のマシンが投稿されている。    
  「 Rad bike. Would love to feature this bike on the website.:Motocross ActionFB」とあった。

そうか、カワサキレーシングチーム(KRT)が、最後に全日本モトクロス選手権の最高クラスでチャンピオンを獲得したは1997年、それ以来、カワサキは20年間も無冠だったのかと、今はそんな時代になったのか不思議な感覚を覚えた。
     年度  250㏄クラス 125㏄クラス           備考
    

思いだしてみると、当時、カワサキは善戦するも全日本チャンピオンを取れず、組織がこのままずるずると勝つ事の意味を忘れてしまう事を組織マネージメントとして恐れた。と言うのは竹沢選手がカワサキで250チャンピオンになったのは1976年、次のチャンピオン獲得は125の岡部選手の1985年、その間の9年間、カワサキはチャンピオンから遠ざかる。この9年間、勝ちたいと言う思いとは裏腹に思いを集大成して勝ちに繋げる意思はやや貧弱で、加えてこれを別に不思議と思わない環境にあった。岡部選手は4年間チャンピオンを獲得してくれたが、1990年にホンダの東福寺選手にチャンピオンを譲り、チームとして悔しい思いをしていた。岡部選手に続く日本人選手を育てるべく、MXマシン開発を担当する技術部で契約し開発テストや実践レースで将来のチャンピオン候補として育成してきた選手も岡部選手に取って代るだけの実力を備えておらず、かと言って時期を失すると、また過去の暗黒の数年を後戻りしかねない危機感が胸の内に強くあった。これは一度でもチャンピオンを維持したチームだけが持つ何とも言い難い焦燥感である。何としても勝ちたい。そこで熟慮した結論は外人ライダーとの契約だった。全日本選手権に外人ライダーを参戦させるのは、別にカワサキが最初ではないが、カワサキが勝利にこだわる姿勢を明確に打ち出し、圧倒的なプレゼンスを誇った黄金期に出した結論の一つでもある。

外人ライダーを全日本に走らせる前に、選手の技量向上を図るべく色々トライしてきた。
当時、全日本選手権GP大会に出場する世界のトップライダーを見る度に、日本人と外人ライダーとの技量差は歴然とあり、何とかこの差を詰めたいと考えていた。そのために、日本の契約ライダーをアメリカに長期出張させアメリカンライダーと競争させる試み等を何度もトライしてきた。が、最も効果が認められたのは、外人ライダーを全日本選手権に出場させて、全日本選手権の場で直に競争させることであった。ラップ寸前程の差があった技量差が、これを機にアメリカンライダーとも競合できるレベルに成長したのは事実で、全日本選手権も大いに盛り上がった。

一方、後で小耳に挟んだことだが、全日本にアメリカンライダーを走らせることは、余りにも冷たい組織の奴らだとの声が一部にあったらしい。それは一部の声ではあったが、日本人を優先しないことのやっかみでもあったのだろうか、モトクロスの責任者は冷酷な奴だと言われたらしい。ルールに則った競争世界で、国粋主義でもあるまいしと思いながらも、日本人は異文化を上手に取り込むことで、文化的にも経済的にも成長してきた歴史があるのに、何とも情けない話を風評に流す暇な人種もいるのかと思ったが、色んな理由も考えられるので一抹の寂しい気がしたものだ。しかし、これを機に日本人ライダーの技量は確実にUPし、レースも活性化たことは事実だ。更に言えば、Eddie Warrenが全日本選手権から引退する最終戦の菅生で、当時のホンダファクトリー東福寺選手が全ライダを代表してEddieに感謝の挨拶をしてくれたことで、カワサキの選択が正解だったことが結果的に証明されている。菅生での出来事は予期せぬ事だっただけに感無量の思いがした。更に加えて言えば、「ダートスポーツ」FB の『砂煙の追憶』には、当時カワサキのワークスライダーで外人ライダーを抑えて何度も肉薄した走りをした、榎本正則選手が含蓄ある発言をしている。それには「彼らにしてみれば全日本で走るのは出稼ぎだったかもしれないが、彼らが思っている以上に結果として多くのものを残してくれたはず。受け継がずに過去のものにするのは、あまりにももったいない。育つものも育たない」と。あれから17年、当時EddieやJeffと共に全日本を戦ったライダーからカワサキの真の意図を改めて聞かされるとは思いもしなかったが、ライダー側からみてもカワサキの決断は正しかったと言うことだろう。

また、2013年、RacerXonline(http://www.racerxonline.com/)「BETWEEN THE MOTOS: JEFF MATIASEVICH」で、マタセビッチはアメリカカワサキのワークスライダーの一人で二度のAMASX125㏄チャンピオンとなったが、全日本選手権参戦時の印象をはこう語っている。
「カワサキでレースに専念できたことが一番素晴らしい時代だった。特に1995、‘96、’97と日本のカワサキワークスチームと契約し全日本のチャンピオンシップに勝ったこと。日本でレースに専念できた3年間は、私の経験したなかでも最高の時間だった。日本のサポート体制は最高だった。カワサキのワークスバイク驚くほど素晴らしく、要求するものはなんでもカワサキはトライしてくれた。 他のカワサキワークスバイクより2年も先行する優れた仕様を採用してくれた。それは5年後量産移行する仕様だ。驚くほど素晴らしいバイクをカワサキは用意してくれた」
「私は1986年にプロに転向し、1998年に引退した。この間、最高の契約条件は日本のカワサキとの契約だった。私のキャリアの中で最高の3年間だった」

これ等は、カワサキが勝利にこだわる姿勢を明確に打ち出し、圧倒的なプレゼンスを誇った黄金期だったからこそ、カワサキはモトクロス市場のリーディングカンパニーとして行動を起こすべきと判断した一つの事例に過ぎない。まず第1に勝てる事、次に高いレベルでマシン開発ができる事、そして競争させることで日本選手の技量を向上させ全日本選手権を活性化させること等である。ただ、懸念された事は勝つためだけにアメリカンを走らせたと単純に捉えられてしまわないとか言うことだが、結果的にそれは杞憂だったのだ。

思いがけず、そんな時代もあったねと思いだした。
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ソフトバンク日本一!

2017-11-06 06:22:43 | スポーツ
パリーグのチームではソフトバンクを贔屓にしている。格段自慢する贔屓の理由はないが、九州のチームである事と、加えてソフトバンクには九州出身の選手が多いことも理由の一つ。西鉄ライオンズがチームを身売りし関東に行ってしまった後に、ダイエーが九州に入り、その後ソフトバンクに変わった。ソフトバンクは資金を投入し選手を補強し続け、最強の選手層で占めるに至っている(小さい頃は西鉄ライオンズのファンだった。当時、まだ西鉄では稲尾が健在で、西鉄のキュンプ地だった島原球場に稲尾を見に行った事も記憶にある)。また、ソフトバンクの本拠地、ヤフオクドームには、何10年か前、数回行ったことがある。野球を見に行ったのではなく、ここでジャパン スークロスというスタジアムモトクロス大会が開催された時だった。博多駅から電車で直ぐ近く、博多湾に面し、見晴らしも最高、スタジアム周りの環境も最高に素晴らしい球場だったという印象が強い場所だけに、ソフトバンクには思い入れも強くある。

さて、今年の日本シリーズは、ソフトバンクとセリーグはDeNAの勝負。ソフトバンク3勝、DeNA2勝の第6戦目がヤクオクドームで開催された、その結果は実に面白いものだった。
  「11回裏、川島の適時打で劇的なサヨナラ勝ち:YOMIURI ONLINE」
2017年プロ野球日本シリーズ、ソフトバンクがサヨナラで2年ぶり8度目の日本一となった。 
日本シリーズ・第6戦、ソフトバンク4-3DeNA。ソフトバンクが延長11回の裏、ソフトバンクの川島の適時打で劇的なサヨナラ勝ち。松田のホームランで先制するもDeNAに追いつかれの9回、内川のホームランで3ー3の同点とした。延長戦に持ち込み、11回裏、内川、中村晃が連続四球で出塁し、2死後、1,2塁から川島が右前へ適時打を放ち決着を付けた。その前の3打席は三振、凡打と当たっていない川島に、テレビを見ながら12回に延長突入かと、そうすればソフトバンクのピッチャーは誰だろうと思った瞬間、川島がライト前にタイムリーヒット。二塁上にいた中村は必死にホームベースを目指し頭からホームベースに突っ込んだ。ライト梶谷の返球が大きく逸れなかったら、中村はアウトのタイミングだった。9回からマウンドに上がった守護神・サファテは11回まで3回を投げ、ベンチに帰りながら大きく手を広げベンチに奮起を促した。この事が結果的に川島のタイムリーと中村の好走塁をもたらしたように思えた。サファテは日本シリーズ最高殊勲選手(MVP)。

9時からNHK放送のエジプトクフ王のピラミッド透視によってピラミッド内に大空間があることを発見した経緯を見ていたので、その間は日本シリーズは見れず、ピラミッドの放送が終了するとすぐに、NHKBSに切り替え再度日本シリーズを観戦した。終盤の攻防は手に汗握り、延長に入ってからはワンプレ―毎の息詰まる展開は実に面白いもので、見応えあった。終了したのは11時ちょっと前。それから表彰式を見たので、延々とテレビを見たことになる。今年のプロ野球も、結局、圧倒的に優れた選手を揃えたソフトバンクの優勝で一年が終了したが、楽しかった。


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グミの実@野々池貯水池

2017-11-03 07:04:28 | 野々池周辺
  「野々池貯水池の花梨」
野々池貯水池には数本の花梨の樹があり、うち一本に花梨の実が4個なっていた。
そのうちの一個が台風で落下したので拾ってきたが、まだ青いので花梨特有の芳香も少ない。
残りの3個はまだ残っている。

また、野々池貯水池には数本のグミの木もある。グミの実が今ちょうど色づき始め、黄色の実もあるが90%は赤色で、
その赤色数個を口に入れてみた。まだ酸っぱさの方が強いが、甘みもだいぶ増している。
たぶん、甘さ加減が良くなるのは11月中旬から12月ころまでかかるだろうか。
        
 
グミの赤みが増してくると何時もウォーキングがてら熟した数個のグミの実を口に含む。
すると、甘酸っぱさで唾液が自然と出てきて喉が潤ってくるので、この期間、持ち歩くペットボトルは一番小さめですむ。
貯水池沿いにある熟した柿の実を我を忘れてついばむメジロを見ながら思うに、熟したグミを実を摘まんでいる鳥を見たことがない。
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昨日に続き快晴だがやや寒い

2017-11-01 06:13:26 | 日常生活
今日(10月31日)の朝一番はこの秋一番の寒さを感じた。
昨日の天気予報が今朝の寒さを解説していたので寒さ対策して寝たが、朝起きると部屋の中でも何時もと違う寒さがあった。
玄関に新聞を取りに行くと、まだ暗く、一瞬身震いする寒さ。陽が射して外気温は8度になり、今年の秋では始めて10度を切る。

この前の日曜日は台風22号が日本に沿って太平洋上を北上した。2週続けての台風だ。
21号の暴風雨もあって身構えたが、ここ神戸市西区は時々雨が強く降るも風は差ほどの事もなく助かった。
それで、昨日今日と台風が過ぎて雲一つもない空となったが、北からの寒気が下がってきたらしい。

太陽が出てくると、快晴、空は澄んで雲一つなし。
朝の太陽を受けて野々池貯水池入口のハナミズキの枯れた葉っぱを下から見ると赤く透けて見える。
 

明日から11月。光陰矢の如しとはよく言ったもんで、2ヶ月ごとのカレンダーもあと残り1枚となった。
先日の夜、ハローウィンで子供たちが家を回っていたが、紅葉の季節が済むと次はクリスマス。すると2ヶ月で正月。
暖房機の準備も済んで何時でもOKの状態にもってきたが、今日の気象庁発表では、11月からの一週間、
西日本は高気圧に覆われて晴れる日が多いとの予報。ところで、今の関心事、野々池貯水池のリンドウはまだ咲いていない。
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