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「KX50周年」の歴史の一コマ・・・US Team Green活動

2023-10-22 06:11:48 | 二輪事業
  
「KAWASAKI MOTORS CORPORATION / TEAM GREEN AMATEUR RACING PROGURAM / 1981/ by Dave Jordan 」と言う、黒表紙の一冊の企画書がある。

1981年、この企画書から米国KMCの「Team Green」活動が実質スタートした。Team Green活動はカワサキのオフロード事業に多大な貢献をなし、カワサキモトクロス=KXマシンを米国市場において確保たる成功に導き、Team Green活動なかりせばカワサキのモトクロスビジネスはここまでこなかったと本当にそう思う。郊外で、砂漠で、オフロード車を操る遊びは米国人の伝統的な嗜好マインドに良く合致し、それは米国二輪市場にて安定的な販売と収益性を確保する、加えて不況にも断然強いビジネス、という歴史を形作ってきた。

企画書には、こう書いている:「あなたもTeam Greenメンバーになれる」
カワサキのモトクロッサー”KX”を購入したユーザーは誰でも「Team Greenメンバー」として登録でき、全米各地で開催されるレーストラックにおいて分け隔てなく同等の支援を受けることができる。一部の特別なライダーのみが優遇される特権ではなく、レーストラックでは、場合によってはカワサキユーザー以外のモトクロスユーザーへの支援をも除外しなかった。そしてそれは、たった一台のグリーンマシンが末広がりに拡大し、各地でカワサキが驚異的な活躍をすることとなった。例えば、1989年(年間)のラスベガスWorld Mini GPではKXのEntriesが43%、KXのWinsが71%、またPonca CityのNMA FinalsではKXのEntriesが46%、Winsが76%と驚異的な成績である。結果的に、Team Greenの卒業生からAMAモトクロスの著名な多くのチャンピオンを輩出したことは言うまでもない。Jeff EmigやRicky CarmichaelはSXレースのテレビ解説者となり、同じくTeam Greenの卒業生のJames StewartとRyan Villopotは其々ヤマハ、カワサキを駆使し過去、何度もチャンピオンを争っている。

Team Green活動は、広く言えば米国の多くのモトクロスユーザーを支援し、そして育て、米国のモトクロス市場を守ってきたと言っても過言ではない。開発と販売ソフト及び実績が極めて上手にジョイントし成功した好例であり、草の根活動の二輪販売戦略の見本として大いに参考となる活動となった。


そもそも「 Team Green」発起点を、米国カワサキ(KMC)に駐在した百合草さんがこう書いている「1976年KMCに駐在したが、各レース場はスズキ、ヤマハのオンパレードでKXの姿は殆ど見られなかった。そこで、販売店の支援費として営業で使っていた費用をR&Dに移管してもらい、チームグリーンを創設した。ピート堤さんを長としてジョーダンを補佐とし、レースにおける代理店の支援を行った 」。前述したピート堤さんこと堤利雄さんにインタビューした記事がカワサキHPの「KAWASAKI DIRT CHRONICLES」 の中にある。

「カリフォルニア州ロサンゼルス近郊にあるモトクロスの聖地、サドルバックパークを訪れてみると、ライムグリーンのバイクは1台もいなかった。視界に入るモトクロッサーの銘柄はスズキとヤマハが大半を占め、少数だがマイコ、ブルタコ、CZ、ハスクバーナなどの欧州車も走っていた。アメリカのライダーたちにカワサキのモトクロッサーを買ってもらうには、一体どうしたらいいのだろう。コース脇で佇む堤利雄(当時:KMC Technical Service Dept. Manager)は、砂塵にまみれたシャツの袖で額の汗を拭った。

「アメリカでは'70年代後半にモトクロス人気が急上昇したのですが、カワサキが市販モトクロッサーを投入した当初は見向きもされなかったし、無理だよと笑われたこともありました。1969年に渡米してから10年ほど、KMC(カワサキ・モータース・コーポレーション)では技術的な部署にいましたが、モトクロスをビジネスとして成立させるには、メーカーと販社が一体となって取り組まなければいけないと痛感し、私が販売促進にもタッチするようになったのです。そんな折、KX250・KX125に加えて'79年モデルからKX80が新発売され、広い購買層にアピールできるラインナップとなりました。これはチャンスだと、KX80に乗ってくれるライダーを探したことが、チームグリーン活動の始まりでした」

 堤は毎週末あちこちのモトクロス場に通い、辞書と首っ引きでスカウト活動に没頭した。ようやく見つけたのが、サンディエゴのバローナオークスで出会ったサム・ストアという中学2年生。KX80を気に入ってくれたこの少年は、晴れてたった1人の第1期生となった。翌'80年からチームは堤の下を離れ、新たに任命されたマネージャーに引き継がれる。この時から正式にチームグリーンと命名され、活動は少しずつ全米に普及していった。

「チームという概念とはちょっと違って、キャンペーンと言った方が正しいかもしれません。何しろアメリカは国土が広いですから、各地からライダーがどこかに集って合宿するとか、団体行動をするなんてアマチュアレベルでは不可能です。我々が行ったのは、販売促進とカスタマーサポートを一体化したサービスで、ひとことで言えば『いまKXを買えばキミもチームグリーンの一員になれる』というようなキャンペーンだったのです。資格は何もなし。スカウトもセレクションもなし。ただ指定販売店でKXを買えば、誰でもチームグリーンに登録できました。特典はいくらかのディスカウントと、キットパーツや技術情報の提供だけ。契約金も賞金もありませんでした」

 本格的にスタートしたチームグリーンの主戦場は、アメリカ各地のローカルレースだったが、最終目的地として目指したのがポンカシティ(NMA Ponca City Grand National Motocross)。夏休みに全米からアマチュアライダーが集う「モトクロスの甲子園」だった。細かく分けられたカテゴリーには、排気量とは別にストック(無改造)とモディファイド(改造)があったが、カワサキは最激戦区の80ccモディファイドクラスに、まだ市販されていない翌年型KX80の量産試作車を投入。この作戦が大ヒットした。

「モディファイドクラスにはホモロゲーションが要らなかったので、発売前の新型でも出られました。当時はモトクロッサーが毎年劇的に進化していた時代ですから、たとえば現行の空冷エンジンに対して来年型が水冷エンジンだったりすれば、これはもう羨望の的になります。性能的にも格段の差がありましたから、あえてストックのまま出ても他社の改造車に勝てる。今度のKXを買えば勝てるぞ!という明確なメッセージが波及するのに、時間はそれほど必要ありませんでした」

 チームグリーンの活躍が格好の宣伝となり、KXシリーズの販売台数は上昇の一途をたどる。ブームの発端となったポンカシティにおいては、やがて出場車の半数をKXが占めるまでになった。レース活動にはライダーの育成や実戦テストといった側面もあったが、すべてが好循環に回っていった。 チームグリーンのメンバーに対しては、ポンカシティで優勝したらカワサキのファクトリーチームに入れる、というインセンティブもあった。この制度による最初の成功例が、'83年にファクトリーライドを得たビリー・ライルズだった。

「私は'85年には日本に戻りましたが、チームグリーンがその後も成長し、今日まで続いてきたことをとても誇りに思っています。思えば今年で30周年になるのですね。私がスカウトを始めて途方に暮れていた頃は、こんな繁栄を予想することはできませんでした。チームグリーンの収穫には、販売台数以上の図り知れないものがある。カワサキというブランド、ライムグリーンというカラーを浸透させた…とでも言えばいいのでしょうか。それは言葉にも数字にもできない収穫です」

 アメリカのトップライダーの中には、チームグリーン出身者が多い。だが、カワサキのファクトリーシートには限りがあるし、多くはプロデビューを機に他社のファクトリーチームへ流れていく。 「それでもいいじゃありませんか。チームグリーンがカワサキのみならずモトクロス界全体の礎になっているとしたら、こんなに幸せなことはありません」

そのTeam Green活動こそが、今なお続くカワサキモトクロスを中心とするオフロードの支援活動の原風景でもある。その様子は、”Racer X"レポートに詳細が記述されているが、この支援活動こそがUSカワサキモトクロス活動の原点でもあり原風景でもある。同じクラスで戦う複数のTeam Green選手でも勝つのは一人だけだが、勝てなかったライダーにも、勝ったライダーも同等にサポートすることでライダーによるTeam Green支援の差別はない。その事こそが「Team Green」活動が多くのライダーに支持され信頼されて続けている所以だと思う。それは、40数年も続くカワサキの「Team Green」活動の起点でもある。

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