野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

西山延命地蔵尊

2012-01-11 06:31:33 | 野々池周辺
「西山延命地蔵尊」

神戸市立出合小学校の直ぐ前の丸山公園の中に、西山延命地蔵尊が鎮座している。

十年程前、年始に参拝していた時は近隣の知合いも良く参拝に来ていたので、年始の挨拶も同時にでき、且つ
樽酒があって誰でもコップにとって自由に飲むことができて、しかもこれが良く冷えていて旨かった。

明石や西明石に行くには必ず通る道すがら、お堂を見ると何時も参拝者がおられる。
願いごとがよく叶えられるというので、付近の人々は勿論、ずいぶん遠くからもお参りに来られるようで、
駐車禁止の看板も建ってはいるが、参詣者の線香の煙の絶え間がない。

野々池貯水池ウオーキングの途中、時たま参拝することもある。
いつ行っても誰かいたり、誰もいなくても何人か来られていたんだと分かるお線香が煙っている。
写真を撮った後暫く休んでいると、信者さんが来られて誰が傍に居ようとも気にすることなく本当に熱心にお参りされた。

由来書きによると、
「室町時代の末頃、このあたり一帯に繁茂していた竹やぶの中に既にお地蔵さんとして祭られていたそうである。
 以前は、昼でも薄暗い竹やぶの中にあり、『おこり地蔵』とも呼ばれていたこともあった。
 霊験あらたかなお地蔵さんとして昭和の初め頃に、現祭祀の先代にあたる方が、玉津町水谷(みたに)に住んでおられた吉川隆峯師のお導きにより、
 祭祀としてお世話されてきたそうである。
 現在では、地元と、住宅都市整備公団との共同開発による土地区画整理事業の結果西区中野という立派な住宅地に生まれ変わり、
 地蔵様を中心にして作られた丸山公園は、市民の憩いの場として喜ばれている。」とある。

お地蔵さんというと、石に彫られたお地蔵さんを連想するが、西山延命地蔵さんはそんな形をしていない。
室町時代は多分地蔵さんの形だったんだろうと想像するしかない程に思える黒ずんだ丸い石だが、拝んでいるうちに威厳が出てくるから妙だ。
 
3年程前までは、延命地蔵尊の裏は竹藪がうっそうと茂っていたが、一面刈り取られ公園として再整備されたので、竹藪の面影はもうない。
多分誰かが餌付けして居るんだろうが4~5匹ぐらいの猫がのんびりとして座り、また石に腰かけていると沢山の鳩も寄ってくる。
椎の木も多く、少し歩くだけで直にポケット一杯のドングリが拾える。

住宅地の中で目の前は小学校、直ぐ下は公園でソフトボールやゲートボールに興じられる広場。
そんな地域・環境の中にあって、西山延命地蔵尊は実にバランスよく鎮座し、そして室町時代を持ち出されると、不思議と誇りに思えてくるもんだ。



 





 


明石の「鳥羽町づくり協議会」が発行している「鳥羽をあるく」の中には、明石の鳥羽コミュニティ近辺の史跡寺社や歴史的建造物散策場所が記載され、
この中に神戸市西区の「西山延命地蔵尊」や「王塚古墳」、明石の「林崎疏水碑」、「野々池貯水池」と「ジョギングコース」が案内されている。

(上段付近に、西山延命地蔵尊、林崎掘割碑、野々池貯水池、ジョギングコース、王塚古墳)
 
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2 コメント

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Unknown (田中豆腐)
2015-06-16 19:46:29
私は鳥羽の生まれ、今から50年以上昔
子の頃、母に連れられて、林崎掘割りを通って
よく西山地蔵にお参りしていた。
私の信仰は、このお地蔵さんである。
昔は鬱蒼とした竹林に囲まれていた。
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Unknown (mohtsu)
2015-06-17 09:22:59
鳥羽のお生まれだと直ぐ近くです。
私は和坂からここ中野に引っ越したのが昭和63年ですから、その頃の延命地蔵尊まわりはかなり整備されていました。
今も変わらず地蔵尊をお参りする人達は絶えませんね。
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