野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

その時の空気で戦争に突入した

2012-08-15 06:43:35 | その他
     「猪瀬直樹著:空気と戦争」

孫が夏休に入ったので、久し振りに一緒に明石市立図書館で5冊の本を借りてきた。
太平洋戦争開始に至る本2冊と中国に関する物が3冊だが、「猪瀬直樹著:空気と戦争」はページ数が少ない分早く読み終わった。

著者は「なぜ日本は負ける確率が極めて高いアメリカとの戦争を始めてしまったんだろう」と思っていたそうで、
現在も経済的、物資的、生産力、軍事力で見ても、どうやってアメリカと直接戦争しても勝てる確率は極めて少ない。
それは太平洋戦争が始まる前も現在と同じだったようで、勝てる材料はほとんどなかったのに、日本はアメリカとの戦争に突入してしまった。
その本質は何かを、当時陸軍の燃料課で、燃料について調査していた高橋中尉の回顧録や直接面談を基本に、戦争突入要因を分析している。

アメリカの「国防強化促進法」が発行されて以降、日本は石油とクズ鉄の輸入に不都合が生じ、
実質的禁輸処置である「石油製品輸出許可制」が完全実施されると、日本には一滴の石油も入手出来なくなった。
当時の東條陸軍大臣は、日本の「人造石油開発」がドイツと同じように既に実績をあげているはずだから、アメリカが石油を禁輸してもじたばたしなくとも良い、
と楽観的に信じていたが、実際はそうでなくアメリカの禁輸によって石油貯蓄量が日増しに少ない状況になりつつあった。

記述したように、東條陸相は石炭から油を作る「人造石油開発」が上手くいっていると思っていたらしいが、実は、 
官僚が提示する数字にかなりの嘘があって、人造石油はほとんど使い物にならなかった事を知らなかったようだと書いてある。
結局、南下してオランダ領インドネシアを占領し石油を確保するしか方法はない状況に日本は既に置かれていた。
「石油を泥棒するしかない」と、それはABCD包囲網を突き破る事を意味し、戦争に突入することを意味する。


一方、昭和16年4月に、官僚・軍部・民間から30代の若手エリートを結集した総力戦研究所が設立された。
この研究所では、日米が戦った場合の考えられるだけの想定のもと、シミュレーションを行い、結果として、日本はアメリカに必ず負けると結論付けた。
驚くべきことにこのシミュレーションは、実際の太平洋戦争に照らしてみて、原爆投下以外ほとんど正確であったとある。
戦争に負けるとシュミレーションした中で最も重要な要素は、戦闘より石油輸送用の船舶不足だった。
インドネシアの石油基地を仮に確保できても、日本の輸送船が本国に石油を無事運べる方法がなく、戦闘より補給路が絶たれることで戦争に敗北するとした。
アメリカ軍の潜水艦で輸送船が迎撃されるので船舶の絶対量が不足する。・・・これが戦争に負けるシュミレーションの結果だった。
しかも、最終的にはロシアが南下することもシュミレーションされていた。


少ない石油量を基とする短期決戦志向は、補給・兵站の軽視にもつながり、これは太平洋戦争を一貫して流れる考え方であった。
そして、日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくものと言うよりも、多分に情緒や空気が支配する傾向があったと、
22年前に刊行された「失敗の本質」にも書いてある。


東條は陸軍大臣としてこの模擬戦争の結果を聞き、「机上の空論」と断定したものの東條の判定も同じだったろうと推論している。
昭和16年10月に第3次近衛内閣が総辞職したあと、大方の予想に反して東條に天皇から組閣の大命が下った。
その理由は、陸軍に睨みのきく東條ならば、日米戦争を回避できるのではないかと、天皇がひそかに思ったからだ。
天皇はあきらかに日米が戦うことを嫌った。
天皇の勅旨を遇直なまでに守るべしとする東條首相は陸軍大臣、総務大臣を兼務しながら、如何に戦争を回避するべくか悩んだ。
陸軍の満州からの撤退が日米戦争回避の外交手段と考えられていたが、陸軍は「中国に散った死者10万を犬死させて良いのか」、
その10万も日露戦争当時からの戦死者の大雑把の数を盾に戦争止むなしと主張し続けた。
(結局、10万にこだわり太平洋戦争では300万の戦死者を出したのだが)


東條首相は戦争回避のための決断材料として石油確保量の「数字」にこだわり、戦争をやるかやらないかもう一度議論をすることになった。
その数字というのが実際は大変な「くせ者」で、日本が戦争突入に有利になるような数字が次第に出てくるようになった。
周囲の空気で、そう言った数字を出さざるを得ず、戦争を回避しようと苦慮していた東條首相は周囲の戦争ムードを押し切ることができない。
昭和天皇の元へ戦争決定の報告を行った時に、天皇の戦争回避を守ることが出来ず途中で泣き出してしまったそうだ。
 
数字を出してきた部署も、議論をしていた政治家も、「戦争をする」という空気の中で話し合いをしているので、データに現実感がなくなっていた。
その場の空気に従わざるを得ないデータを出すしかなかったと書かれている。

その辺あたりを、その数字を提出した当時の企画院総裁が戦後、インタビューで次に様に話している。
「僕は腹のなかでは、アメリカと戦争をやって勝てるとは思っていなかった。・・・(略) 
 実際アメリカと戦争するのは海軍、陸軍は自分でやるんじゃなから腹は痛まない。・・・(略)
 やるかやらんかはと言えば、もうやることに決まっている。やるためにつじつま合わせのために数字を出した。
 海軍は一年もすると石油がなくなり戦争はできなくなる。今なら勝てるかもしれないとほのめかすので仕方ない」

 
勝てると思っていたのは、何も知らない一般市民だけだった。
東條は天皇の臣下として、天皇の意向は絶対であったが、天皇の意向を無視しても東條は戦争を決断しなければならなかった。
なぜか。空気が戦争回避を許さなかったとある。
結果的に、日米開戦は日本人ほとんど全員の総意に変り、何人たりとも、戦争を回避できなかった。
太平洋戦争を振り返る場合、この空気が何よりも重要であったと著書は繰返し述べている。
太平洋戦争は軍部が独裁的に推進し、国民は被害者であったと教えられてきたが、日米戦争やむなしの空気を醸しだしたのはほかならぬ日本国民である。
朝日新聞をふくむメディアは雪崩式に戦争支持にまわり、ほとんどの日本人は日米戦争を望んでいたと結論づけられている。



★評論家の山本七平という人が、「空気」のことを次のように説明しているのをネットに見つけた。・・けだし判り易い。
「『空気』とはまことにおおきな絶対権をもった妖怪である。 一種の『超能力』かも知れない。
 何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、『作戦として形をなさない』ことが『明白な事実』であることを、強行させ、
 後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかをひと言も説明出来ないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。」

「こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精密に組み立てておいても、
 いざというときは、それらが一切消し飛んで、すべてが『空気』に決定されることになるかも知れぬ」
 
「つまり、データ上は絶対に戦争は回避しなければならない、と出ているのに、戦争をするのだ、という「空気」だったため、
 データはとことん無視され、戦争へ突き進んでしまった」

 
 
★こんな空気の存在は日本人のみに蔓延ったものではなく外国にもあるらしいが、我々は日常的にその場の空気に左右される事が多い。
本来、プロジェクトは合理的な判断に基づいて運営されるべきはずであるが、ゴルフ場や飲み屋の一角で既に方向性は決まっていて、
会議の席では自由闊達な意見を求めながらも、実は反対意見者のあぶり出しに使われる場合もあって、逆に空気を読めない奴と評価されるのを恐れ、
結局さしたる議論も出ずじまいになり、不本意なままズルズルと進んでしまいがちになる例もあると聞く。

そして、かの戦争で日本が破滅的な最期を迎えたように、こうしたごまかしは必ず顕在化してプロジェクトを危機的状況に陥れることなる。

「失敗の本質」では、アメリカ軍将校の人事掌握が記載されている。
例えば、「何時参謀と散歩しながら長時間に渡って議論を重ね、相互の価値観の統一を計った」
あるいは、「能力主義に基づいて思い切った抜擢人事を慣行した」等、物事が合理的に実施されていたようだ。

コメント
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