しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

米麦二毛作ほか

2020年02月15日 | 暮らし
麦は
中学生の頃まで、通学路に干して毎年同じ季節を感じていた・・・、が高校生の頃はまったくその風景は消えてしまった。

薄荷と除虫菊は
昭和30年ごろ止めて、両親は鶏を飼い始めた。

葉たばこは
茂平はほとんどなく、大冝が多かったように思う。
今も笠岡市内に多く残っている葉たばこの乾燥小屋は、築後60年経つことになる。


・・・・・・・・・

井原の歴史 平成13年  井原市教育委員会発行
井原市農業の一断面 重見之雄 より転記


米麦二毛作とその変化

この地域(井原市)においては昭和30年代頃まで、水田耕作の主流は米麦二毛作であった。
昭和23年には麦作が稲をかなり上まわる1800haにも及んでいた。
当時は水田の裏作だけでなく畑でもかなり栽培されていたことを物語る。
しかし昭和30年代から急速に減少しはじめ、50年代以降はとるに足らない状況になってしまった。


工芸作物類

昭和30年代を通じては、薄荷が最高480haとかなりの面積に達していたが、40年代に入ると急速に消滅する。
これに引換え葉たばこの栽培が最盛期を迎え、昭和43年がピークで約300haになる。
地域的には中山間地の畑作地域で多く栽培され、当時の農家の現金収入源の柱になっていた。
しかしその後、急速に減少の一途をたどる。
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