しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

阿部山(鴨方・矢掛・笠岡)の開墾

2018年12月29日 | 昭和16年~19年
鴨方町・矢掛町・笠岡市の阿部山開墾は、それぞれどのように記されているだろうか?


「鴨方町史 本編」平成2年発行
「矢掛町史」
「笠岡市史」第三巻・四巻 平成8年・15年より転記する。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
------------------------------------
「鴨方町史 本編」平成2年発行

「阿部山の開墾」
日中戦争以後、わが国の食糧不足は深刻となり、政府は供出、配給の制をとり、全国的統制管理に乗り出した。
昭和17年阿部山で大規模な開墾が始まり移住者が続々と入植した。
地元観生高女を始め、岡山一中、高梁中、矢掛中なども動員されて山頂の荒地に開墾を挑んだ。
 開拓事務所よりの戦線慰問分
既にご承知のとおり移住戸数50、150余名の鍬の選士は、第一線に於ける諸士のご労苦を偲び、かつ振り絞る汗に唯一の感激と誇りを満喫しているものでございます。
さて開発第二年度の現況を略記いたしますれば既墾地域50余町歩。作付中の雄として葉煙草5町を筆頭に、小麦、馬鈴薯、甘藷、除虫菊、蕎麦、果樹等100数十に及ぶ盛況でございます。
去る3月末着工の配電工事が完成、この僻地に電力と電燈の恩恵を受け文化都市にも劣らぬ動力の響きと光が前途を祝福するかの如き輝いています。
益々皇国農民に徹すべく念願して止まぬものでございます。
    阿部山開拓事務所(昭和18年8月 暑中慰問分)

「太平洋戦争とその前後」より抜粋
昭和16年5月9日、阿部山開墾地域鍬入れ式が横溝岡山県知事により行われる。
昭和17年、阿部山の開墾始まる。


------------------------------------
「矢掛町史」近代の矢掛
学校では阿部山・高妻山・弥高山など300m級の山の終日開墾が増加した。
中学以上では5年生・3年生は三菱水島、4年生は相生の造船所、1.2年生は開墾・田植・稲刈りなどで食糧増産に励んだ。


------------------------------------
「笠岡市史」第三巻・四巻 平成8年・15年
(記載なし)



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大島村の船舶 | トップ | 笠岡から玉島への港替願 »

コメントを投稿

昭和16年~19年」カテゴリの最新記事