しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

まえからわかっていたこと

2023年12月07日 | 昭和16年~19年

「菊と刀」  ルース・ベネディクト  現代教養文庫  昭和42年発行


まえからわかっていたこと

日本は勝利の望みを、アメリカで一般に考えられていたものとは異なった根底の上に置いていた。
日本は必ず精神力で物質力に勝つ、と叫んでいた。
なるほどアメリカは大国である、軍備もまさっている、しかしそれがどうしたというのだ、
そんなことは皆はじめから予想されていたことであり、われわれははじめから問題にしていないのだ、と彼らは言っていた。
そのころ日本人は、日本の大新聞『毎日新聞』で、次のような記事を読んだ。
日本の政治家も、大本営も、軍人たちも、くり返しくり返し、この戦争は軍備と軍備との間の戦いではない、アメリカ人の物に対する信仰と、日本人の精神に対する
戦いだ、と言っていた。
真珠湾奇襲のずっと以前から公認されていたスローガンであった。
軍国主義者であり、かつて陸軍大臣であった荒木大将は、『全日本民族に訴う』というバンフレットの中で、
日本の「真の使命は皇道を四海に遍く弘布し宣揚することである。
力の不足は れわれの意に介するところではない。何故に物質的な事柄に気を使う必要があろうか」

彼らはたえず、安心や士気は要するに覚悟の問題にすぎないと言っていた。
どんな破局に臨んでも、それが都市爆撃であろうと、サイパンの敗北であろうと、フィリッピン防衛の失敗であろうと、日本人の国民に対するおきまりのせりふは、
これは前からわかっていたことなんだから、少しも心配することはない、というのであった。 

明らかに、お前たちは依然として何もかもすっかりわかっている世界の中に住んでいるのだと告げることによって、日本国民に安心を与えることができると信じたからであろう。
しかしこうなることは前から百も承知していたことであって、必要な手筈は日本はアメリカ爆撃機の行動半径内すっかりととのっている」。
「敵は必ずわれわれに対して陸・海・空三軍の連合作戦をもって攻勢に出てくるであろうが、これはすでにわれわれの計画中に予定されていたことである」。
爆撃によって国内戦線の日本人の士気を沮喪させることは不可能である、
「なぜなら彼らはすでに覚悟しているから」と確信していた。
アメリカ軍が日本の都市の爆撃を開始したころ、航空機製造業者協会の副会長は次のような放送を行なった。
「ついに敵機はわれわれの頭上に飛来して参りました。
しかしながらわれわれ航空機生産の事に当たっております者は、かかる事態の到来することは常に予期してきたところでありまして、これに対処する万全の準備をすでに完了致しております。
したがって何ら憂慮すべき点はないのであります」。

すべてが予知され、計画され、十分計画された事柄であるという仮定に立つことによってのみ日本人は、一切はこちらから積極的に欲したのであって、決して受動的に他から押しつけられたのではないという、彼らにとって欠くことのできない主張を持続することができたのである。
「われわれは受動的に攻撃されたと考えてはいけない、積極的に敵をわれわれの手もとへ引き寄せたのだと考えなければならない」。
「敵よ、来るなら来い。
われわれは「ついに来たるべきものが来た』と言う代りに、むしろ「待ちに待った好機が到来した。
われわれはこの好機 の到来したことを喜ぶ』と言うであろう」。

またラジオの報道によれば、アメリカ軍がマニラ市中に突入した時、
山下将軍は「ニッコリ笑って、敵は今や我が腹中にあり、と言った・・・・・・」
「敵がリンガエンに上陸した後まもなく、たちまちのうちにマニラをおとすことができたのは、
これひとえに山下将軍の戦術の結果であり、将軍の計画通りに事が運ばれたのである。
山下将軍の作戦は目下引き続き進行中である」。

言い換えれば、負ければ負けるほど事はうまく運んでゆく、というのである。

・・・

 

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