場所・埼玉県川越市郭町
江戸時代、知恵伊豆・松平信綱や柳沢吉保など多くの老中を輩出したことで知られる川越城。
中ノ門堀跡に行けば、開門前で見学ができず。
本丸御殿に行けば、御殿前が工事、それにここも時間前。
富士見櫓に行こうとしたが、雨ですべって転んでもいけないので登城しなかった。
雨に日に行ったのが不幸だった。
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川越市HP
川越城中ノ門堀跡
旧川越城内に残る唯一の堀跡~中ノ門堀の歴史と整備の概要
江戸時代、川越城は、江戸の北の守りとして重要視され、寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は、城の大改修を行いました。
この際に、中ノ門堀が造られたと考えられています。
堀は、現在の市役所付近に当たる西大手門側から本丸方向への敵の進入を阻むために巧みに配された堀のひとつであり、堀と堀の間に中ノ門がかつて存在していました。
門は、残されている絵図によると二階建ての立派な櫓門であったようです。
しかしながら、明治時代以降になると城内の建物が取り壊されたり、堀の埋め立てが行われ、城は、かつての姿から大きく変貌していきました。
現在では、旧城内域の宅地化が進み、かつての城の名残を留めるものは本丸御殿の一部のほかは、ほとんどなくなってしまいました。
そのようななかで、中ノ門堀は、城の堀跡としては唯一現在まで残されていました。
そのような貴重な遺構を保存し、市民の憩いの場として、また観光に活用していくために平成20年度から21年度にかけて整備工事を行いました。
整備された施設は、堀跡本体と説明板やベンチを設けた見学広場からとなります。
堀跡は、発掘調査に基づき、構築当初の勾配を復元しています。また、城の雰囲気を演出する土塀や冠木門も設置しました。
ぜひ、蔵造りの通りから博物館や本丸御殿へ向かう途中にお寄りください。
(中ノ門掘跡)
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公益社団法人 小江戸川越観光協会
本丸御殿
川越城は、長禄元年(1457年)に、上杉持朝の家臣である太田道真・太田道灌父子が築いたといわれています。
現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、一部として玄関・大広間・家老詰所が残っており、江戸時代17万石を誇った川越城唯一の遺構が本丸御殿です。
現在において、川越城の周囲をめぐる堀はほとんどが失われていますが、土地の窪みにその名残が残っています。
また、本丸御殿のほど近くには、かつて天守閣が無い川越城の天守閣代わりとして見張りや防戦の足場として活躍した富士見櫓の跡があり、数少ない川越城の名残として現存しています。
(本丸御殿)
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(富士見櫓)
訪問日・2022年7月13日