しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

川越城

2022年07月21日 | 【史跡】を訪ねる

場所・埼玉県川越市郭町

江戸時代、知恵伊豆・松平信綱や柳沢吉保など多くの老中を輩出したことで知られる川越城。

中ノ門堀跡に行けば、開門前で見学ができず。
本丸御殿に行けば、御殿前が工事、それにここも時間前。
富士見櫓に行こうとしたが、雨ですべって転んでもいけないので登城しなかった。
雨に日に行ったのが不幸だった。

 

・・・・

 

川越市HP

川越城中ノ門堀跡

旧川越城内に残る唯一の堀跡~中ノ門堀の歴史と整備の概要
江戸時代、川越城は、江戸の北の守りとして重要視され、寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は、城の大改修を行いました。
この際に、中ノ門堀が造られたと考えられています。
堀は、現在の市役所付近に当たる西大手門側から本丸方向への敵の進入を阻むために巧みに配された堀のひとつであり、堀と堀の間に中ノ門がかつて存在していました。
門は、残されている絵図によると二階建ての立派な櫓門であったようです。

しかしながら、明治時代以降になると城内の建物が取り壊されたり、堀の埋め立てが行われ、城は、かつての姿から大きく変貌していきました。

現在では、旧城内域の宅地化が進み、かつての城の名残を留めるものは本丸御殿の一部のほかは、ほとんどなくなってしまいました。
そのようななかで、中ノ門堀は、城の堀跡としては唯一現在まで残されていました。
そのような貴重な遺構を保存し、市民の憩いの場として、また観光に活用していくために平成20年度から21年度にかけて整備工事を行いました。

整備された施設は、堀跡本体と説明板やベンチを設けた見学広場からとなります。
堀跡は、発掘調査に基づき、構築当初の勾配を復元しています。また、城の雰囲気を演出する土塀や冠木門も設置しました。

ぜひ、蔵造りの通りから博物館や本丸御殿へ向かう途中にお寄りください。

(中ノ門掘跡)

 

・・・

 

 

公益社団法人 小江戸川越観光協会

本丸御殿

川越城は、長禄元年(1457年)に、上杉持朝の家臣である太田道真・太田道灌父子が築いたといわれています。
現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、一部として玄関・大広間・家老詰所が残っており、江戸時代17万石を誇った川越城唯一の遺構が本丸御殿です。
現在において、川越城の周囲をめぐる堀はほとんどが失われていますが、土地の窪みにその名残が残っています。
また、本丸御殿のほど近くには、かつて天守閣が無い川越城の天守閣代わりとして見張りや防戦の足場として活躍した富士見櫓の跡があり、数少ない川越城の名残として現存しています。

(本丸御殿)

 

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(富士見櫓)

 

 

訪問日・2022年7月13日

 

 

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甲府城

2022年07月21日 | 【史跡】を訪ねる

場所・山梨県甲府市丸の内   舞鶴城公園

 

 

お城は、中央本線により分断されていて、鉄道を挟み南北に残されている。
城の規模は巨大だが、石垣や櫓や城門の多くが、近年の復元工事のものが多い。
駅から至近距離であることと、
天守台は、富士山や市街地や南アルプスの展望台を兼ねるのが特色かな。すばらしい。

市民などの訪問者が多いが、夏は樹木が少ないので日傘が必要。
煙突のようなオベリスクが城の中心に建つが、城とは調和を感じない。
将来的に他の公園に移転した方がいいように思った。

 


甲府城

「日本名城100選」  鳥羽正雄  秋田書店  昭和44年発行

甲府駅で下車して、左手に見えるのが甲府城である。

慶長3年、秀吉没し、甲府は江戸を守るための、最前線の重要基地と考え、
血縁の大名を封ずることとした。

その後は、甲府城には親藩の大名を封するという家康の遺言を破り、柳沢吉保が城主となったっこともある。

 

 


訪問日・2022年7月9日

 

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武田氏館跡(躑躅ヶ崎館)

2022年07月21日 | 【史跡】を訪ねる

場所・山梨県甲府市古府中町 武田神社

日本100名城の武田氏館、また躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)とも呼ばれている。
「人は石垣人は城」でも有名だが、行ってみると
ちゃんと石垣もあるし水堀もあり、すこし拍子抜けした。

城跡のことを地元では「武田神社」で統一されているようだ。
武田神社は大正時代に館跡地に創建された、新しい神社。

 

 

躑躅ヶ崎館

「日本名城100選」  鳥羽正雄  秋田書店  昭和44年発行

甲府市の郊外に標高800mの要害山城がある。
ここに城を築いたのは武田信玄の父信虎である。

信虎は永正16年(1519)新たに躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を築き、
信虎、信玄、勝頼三代の居城であった。

この館は平地に一重の堀をめぐらして、その土をもって土塁としたものを思われる。
東西約220m、東北135mである。

この館は一見、非常に狭く、設備などもきわめて簡単であったが、
信玄はここを「人は城なり」の本拠とした。

「風林火山」の旗印を立てて兵をくりだし、向かうところ敵なし、
また、堅固の城として、一歩も敵を近づけなかった。

 

 

 

甲府市教育委員会リーフレット

国史跡 武田氏館跡


武田氏館跡は、武田信虎・晴信(信玄)・勝頼が居住し政治を行った戦国大名武田氏の館跡です。
武田氏滅亡後も甲府城が築城されるまでの間、
甲斐国政治の中心として再利用されました。

館跡の随所にはは土塁や堀・枡形虎口・馬出・石積みなど、遺構が当時のまま残っています。
戦国大名の居館の構造を今日に伝える重要な文化財として昭和13年に国の史跡に指定されました。

 


訪問日・2022年7月9日

 

 

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