しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

ズロースのはじめ

2022年04月15日 | 昭和元年~10年

ズロースは白木屋百貨店の火災がきっかけである、という本や新聞記事がよくあるが、実際はどうなんだろう?

母は火災前の、昭和6年頃にお腰からズロースに変わり、
おばも火災前の、昭和5年頃には既にズロースをはいてる。
なお、父方と母方の祖母とも、一生お腰のまま過ごしている。

少なくとも白木屋の火災は、いわれているほどには関係ないように思える。
ズボンやスカートの普及とも関係がいくらかある。
たぶん、
昭和になってから女性はズロースをはき始め、
戦時中からズボンを履くようになったのであろう。

昭和は、食べる物が激変したが、着るものも一変した。

 

・・・・・

(昭和7年、白木屋の火事)


「隅っこの昭和」 出久根達郎  角川書店 平成18年発行
 
ズロース

日本女性にズロースが普及するきっかけは、昭和7(1932)年12月16日の、日本橋の白木屋デパートの火災、といわれる。
和服の女性たちが、裾があらわになるのを恥じて飛び降りるのをためらい、逃げ遅れて焼死した。
しかし、むしろ関東大震災が、下着革命をうながしたようである。
関東大震災は、東京から江戸のなごりを一掃した。
関東大震災は、女性の服装も変えた。
被災時の逃げまどう姿から、洋服の利点を覚ったのかも知れない。
白木屋火災は写真が、普及に拍車をかけたということか。

・・・・・・


母の話(2013.7.15)

お腰、腰巻は赤やピンクがあったり、
冬になればネルのにしたり。
巻いて紐で結びょうた。
小学校の5年か6年からズロースをはくようになった。
おじいさん(母の実父)が、井原に出ちゃあズロースを買うてきてくりょうた。

・・・・・

おばの話(父の妹・大正12年8月16日生)
談・2015.7.21

着物を着た記憶はない。
小学生からズロース。

 

 

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万代常閑

2022年04月15日 | 銅像の人

場所・岡山県備前市西片上

 

真光寺三重塔と万代常閑像。

 

万代常閑(もず じょうかん)

 

(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

1675-1712 江戸時代前期の医師。
延宝3年生まれ。備前岡山藩医。万代家11代常閑。

家伝の妙薬「反魂丹(はんごんたん)」を富山藩につたえ,富山売薬の祖とあおがれた。

天和(てんな)3年(1683)富山藩主前田正甫(まさとし)に薬を献上したこと,あるいは正甫の家臣を常閑が長崎で治療したことが機縁という。

正徳(しょうとく)2年11月20日死去。38歳。姓は「まんだい」ともよむ。

 

 

じつは、境内でなく国道2号線の歩道に建っている。

 

 

撮影日・2022年4月5日

 

 

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浮田佐平

2022年04月15日 | 銅像の人

場所・岡山県津山市山下 鶴山公園(津山城跡)

 

城跡に建つ「浮田佐平翁像」、戦前は胸像でなく全身の像だったが、供出されたそうだ。

 

 

浮田佐平 うきだ-さへい

1867-1939 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応3年10月25日生まれ。家業の製糸業をつぎ,機械製糸の導入など改良と近代化につとめ,大正元年浮田製糸を設立。
植林業,果樹園経営,奥津峡の観光開発なども手がけた。
また,津山(鶴山)城東麓に窯をつくり「佐平焼」をおこした。昭和14年2月1日死去。73歳。美作(みまさか)(岡山県)出身。

デジタル版 日本人名大辞典

 

 

 

撮影日・2022年4月6日

 

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