しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

楠池のほとり

2022年04月28日 | 令和元年~

~楠池を見ながら昔の話を~

 

池の土手を歩いていたら、農夫さんから話かけられた。

瀬戸内地方には星の数ほど溜池があるが、そのひとつひとつの池に、地域の人の思いが詰まっているような気がする。

 

場所・岡山県笠岡市・楠池

日時・2022.4.9

 

 

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この池に、ある人がハスを2~3植えました。その後繁殖して蓮根を掘るようになりました。地区の人だけでなく、遠方からも取りにきていました。
池の水を抜いて、そのあとはポンプで抜いて干して、にぎやかにやっていました。
いい時代でした。

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土手に桜を植えようと、みんなで桜を植えました。
木は大きくなり、花もよく咲くようになりました。
ところが、木の根が太くなって池の土手から水漏れがでるようになりました。
植樹したころの人は、亡くなったり高齢化し、若い人は無関心が多いです。

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どこに田んぼにも、稲とイ草を植えていました。
遊ぶ(単作)田んぼはありませんでした。

ここらの農家は3反程度で、何か作っていないと(生計が)なりたちませんです。
稲はイ草の後に植えるので、遅れ出来は悪いですが、その前提で作っていました。
今は稲だけです。
(イノシシ対策の)電気柵さえ管理がむずかしくなっています。
電気柵のすぐ下の草を除くのが手間がいります。

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小学校は北川に行っています。
学校では映画をよくしてました。
途中、小便がでたくなり外の畑にしていました。
それで、(少年たちのたちしょん)その場所だけは、麦がよく出来ていました。

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戦時中は今、古代の丘スポーツ公園の入口ふきんに学校の畑がありました。
毎日のように弁当持って遠足きぶんで行き、芋などを作っていました。

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兵隊に行く人の見送りは多かったですが、
高齢化した補充兵の時は、特に気の毒でしかたがありませんでした。


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コメント (1)
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