登城日・2022年3月30日
あまりに有名な”高松城水攻め”、
この城は、戦国のむかし、本丸のほか二の丸・三の丸・池の下丸があり、ふだんは橋で結ばれて、いざという時は橋を切っておとすようになっていた。
周囲はふかい沼地、まことに要害の城だった。
この城としての長所を逆手にとったのが、秀吉の軍師黒田官兵衛孝高である。
近郷の百姓を動員し、土嚢一俵の運搬に銭100文と米一升をあたえ約2.6kmの大堤防をわずか12日で完成し、足守川を堰き止めた。
ときは梅雨、みるみるうちに増水し、城は泥酔の中に孤立した。
(岡山県の歴史散歩 山川出版社 1976年発行)
浮き世をば 今こそ渡れ武士の 名を高松の苔に残して