しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

源平藤戸合戦ゆかりの御崎神社

2022年03月10日 | 平成元年~平成31年




御崎神社は、このふきんから佐々木盛綱が海をわたっての先陣をのり入れたと伝わる”乗り出し岩”の近くにある。
御崎神社で盛綱は必勝祈願をしている。
老母の嘆きで有名な笹無山からも近い。





今日は源平合戦をしのぶ史跡が目的でなく、花を見に来た。
天城の枝垂れ梅と、倉敷川千本桜。
千本桜は、三分咲き程度。
枝垂れ梅は満開。



(倉敷川千本桜)


2年前の前回もそうだった。(前回は桜の方が満開、梅は散っていた)
二兎を追っても一兎も得ない諺があるが、
2回とも一兎は得ることができた。


場所・倉敷市天城・有城
撮影日・2022年3月9日

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良妻賢母

2022年03月10日 | 暮らし
佐藤愛子さんの言う時代(戦前戦中の女学生)は、まだ良かったのかもしれない。
戦前が女学生だった母は、同級生の半分は再婚している、とよく話していた。
『貞婦二夫に見え』ていたのだ。生きるためには二夫に見えざるを得ない時代もあった。

・・・・・

「今は昔のこんなこと」  佐藤愛子 文春文庫  2007年発行


良妻賢母

戦前戦中の女学生であった私は、
学問知識よりも淑徳に重きを置く校風の女学校教育を受けた。
その女学校の校長先生は、
生徒が更に勉学の道に入ることに反対だった。
大学や専門学校に行くくらいなら、マッサージや介護を習った方がいいという意見だった。
それらは結婚後、舅や姑に尽くすとき役に立つからである。

私たちが教示された第一の美徳は「率直従順」だった。
女というものは他家に嫁いで親に従い夫に尽くし、
子を産み育てて一家の繁栄に献身するものである。
そう教えられそう信じてみな「花嫁学校」へ行った。
そこでは生花、茶道、和裁、洋裁、料理など暮らし万般にわたって教えたらしい(「らしい」というのは私は行かなかったからである)。



・・・

後家

「後家」とは夫に死別してその家を守る寡婦のことをいう。
ものの本によると、「我が国の風習は昔より女の貞操を重んずることきびしく、
ひとたび嫁したるものはいかなる理由があろうとも男の承諾なくしては女の方より離縁を要求することなど思いもよらなかった。
不幸にして夫に先立たれた際にも『貞婦二夫に見えず』の諺のごとく再婚することなく、
ひたすら亡き人の冥福を祈って一生を終えるのが常とされていた。

男尊女卑の時代である。
悲しいかな女は非力で、男に頼って守ってもらうしかないという立場に縛り付けられていた。
必然的に男に気に入れられるために従順、素直にならざるを得ない、
あれもこれも生活のためである。

・・・・


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