佐藤愛子さんの言う時代(戦前戦中の女学生)は、まだ良かったのかもしれない。
戦前が女学生だった母は、同級生の半分は再婚している、とよく話していた。
『貞婦二夫に見え』ていたのだ。生きるためには二夫に見えざるを得ない時代もあった。
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「今は昔のこんなこと」 佐藤愛子 文春文庫 2007年発行
良妻賢母
戦前戦中の女学生であった私は、
学問知識よりも淑徳に重きを置く校風の女学校教育を受けた。
その女学校の校長先生は、
生徒が更に勉学の道に入ることに反対だった。
大学や専門学校に行くくらいなら、マッサージや介護を習った方がいいという意見だった。
それらは結婚後、舅や姑に尽くすとき役に立つからである。
私たちが教示された第一の美徳は「率直従順」だった。
女というものは他家に嫁いで親に従い夫に尽くし、
子を産み育てて一家の繁栄に献身するものである。
そう教えられそう信じてみな「花嫁学校」へ行った。
そこでは生花、茶道、和裁、洋裁、料理など暮らし万般にわたって教えたらしい(「らしい」というのは私は行かなかったからである)。
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後家
「後家」とは夫に死別してその家を守る寡婦のことをいう。
ものの本によると、「我が国の風習は昔より女の貞操を重んずることきびしく、
ひとたび嫁したるものはいかなる理由があろうとも男の承諾なくしては女の方より離縁を要求することなど思いもよらなかった。
不幸にして夫に先立たれた際にも『貞婦二夫に見えず』の諺のごとく再婚することなく、
ひたすら亡き人の冥福を祈って一生を終えるのが常とされていた。
男尊女卑の時代である。
悲しいかな女は非力で、男に頼って守ってもらうしかないという立場に縛り付けられていた。
必然的に男に気に入れられるために従順、素直にならざるを得ない、
あれもこれも生活のためである。
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