しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

夢の暮らし、誰もがあこがれた主婦の一日  ~雑誌「主婦の友」~

2022年03月08日 | 昭和元年~10年


「ニッポンの主婦100年の食卓」  主婦の友社  2017年発行

夢の暮らし、誰もがあこがれた主婦の一日

夫はサラリーマンで、朝家を出て夕方まで帰らず。
妻は自分の裁量で家事をこなします。
当時の女性にとっては、夢の暮らし。

お見合いや家どうしの約束で結婚を決めた当時、
未婚女性は「箱入り」にされ、自由を制限されていました。
でも、
理解と収入のある夫と結婚して「主婦」になれば、
旅行やスポーツも楽しめます。
当時の記事には、山登り、海水浴、スキー、テニス・・・レジャー記事が満載。
まさに「青春」だったのです。






昭和6年

20歳前後の若い花嫁と、サラリーマンの夫。
「朝はクリームと粉(おしろい)で簡単にお化粧」
「朝食はパンと紅茶、果物」
「小鳥を飼う」
などリッチな感じ。
「買い出しは御用聞きにまかせる」
「寝る前には家計簿」
などは、大正時代から『主婦之友』が強調している賢い主婦像であった。


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管理人記・
リッチなのか、性付家政婦なのか、はっきりしない。
ちょっと世間離れしているような思いがする。

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『主婦』の誕生  ~雑誌「主婦の友」~

2022年03月08日 | 大正
母は・・・日本中で半分を占める・・・農業・家事・母だった。
職業欄があれば「農業」と記したであろう。

「主婦」とは呼べない、呼ばない。
「主婦」とは町に住む、上流家庭の奥様をそう呼んだようだ。

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良家でなく、普通の庶民の子女が「主婦」になる方法は、属国の満州で生活すれば可能だった。

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「ニッポンの主婦100年の食卓」  主婦の友社  2017年発行


『主婦』の誕生


大正時代以前の日本には、
今でいう「主婦」は存在しませんでした。
女性は男性といっしょに農作業や家業をし、
男性が休んでいる間に、食事を作り洗濯をしました。

雑誌『主婦の友』が創刊されたのは大正6年でした。
女学校に通う「ハイカラさん」も急増し、若い女性たちは読書を楽しみ、新しい知識を求めたのです。
しかし当時、テレビはもちろんラジオもなく、
新聞や雑誌は男性目線の記事ばかり。
『主婦の友』の誕生は、新しい女性層「主婦」誕生の瞬間でもあったのです。

石川武美(主婦之友社初代社長)は、
「結婚して子どもが生まれたら、知りたいこと、教わりたいたいことは山ほどあるはず。
主婦たちの切実な要望にこたえたい」と創刊の思いを語っています。

言葉通り、記事の内容は教育的で、
「女性とは、妻とは、母とはかくあるべき」という
良妻賢母記事が多く見られました。

一方で「主婦の体験記」的手記もひそかな人気でした。
「処女の誇りを失って結婚したための煩悶」
「娼妓の悲惨な生活の訴え」
などの記事のせいで、
良風美俗に反すると発禁処分になったことも。

硬軟の記事をとりまぜて
「主婦とは、夫を支え、家計を切り盛りし、子どもを賢く育て、
洋服や食事を丁寧に手作りする存在」だと訴えた。

雑誌の人気に並走するように『主婦』という言葉は社会に定着していったのです



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何といって良人(おっと)を呼ぶか
夫=「あなた」が上流階級



本誌は名流の奥様方にお願ひして、お家庭で実行しておいでになるところをお伺ひいたしました。

文学博士夫人・前田朝子
家庭で夫を呼ぶときは『アナタ』と言ひます。
他(た)に向かっては『主人』と申してゐます。

女学校々長夫人・宮田多賀子
子どもができた今は『父様』(とうさま)と申して居ります。

宗教家夫人・松村君代子
夫に向かって呼ぶときは『あなた』です。
他人に向かって語る時は『たく』です。

女学校教頭夫人・三輪田秀子
家庭に於いては『アナタ』と申します。
他に対しては『宅の主人』と申します。

家庭学校々長・留岡きく子
家庭に於いて夫を呼ぶときは『アナタ』。
他に向かって夫のことを話すときは『主人』。





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