しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

スイカを作る

2022年03月18日 | 農業(農作物・家畜)
スイカ

中国では西域から来たことから「西瓜」と名づけられ、
わが国の呼称はこの漢名によるものである。
中国からわが国への渡来は南北朝時代と思われる。
スイカ栽培が普及するのは江戸時代の寛文年間(1670年頃)以降で、食用もこの頃から。
明治になると欧米から色々な品種が導入され、在来種との交配によって今日の栽培種のもとが生まれた。

「岡山の作物文化誌」 臼井英治 岡山文庫 平成18年発行






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茂平もスイカ栽培は盛んだった。

ちょっとした衝撃で果実に割れが生じるので、収穫時では家族総出でリレーして荷車まで運んでいた。
運搬時も、ゆっくりと家に持って帰り、その後農協の園芸事務所まで持ち込みしていた。

後年、母はモグラの被害に悩まされた。
どの方法か忘れたがモグラを撃退に成功した。
ところが、次に
更なる難敵が空から現われた。
「今日は早いが、明日は熟れ頃」という時を見張ったようにカラスが食べに来る。
それも一つ丸ごと食べるのでなく、
どのスイカも嘴(くちばし)で、突いて一口食べて、大半のスイカを非商品化する悪さで、
これには母も心が折れて、スイカ作りは止めてしまった。

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シイタケを作る

2022年03月18日 | 農業(農作物・家畜)
かつて、わが家の晩秋の仕事の一つにシイタケの菌の植え付けがあり、
子どもの私もかり出された。
ドングリの木(アベマキ)を切り出すことからはじまり、原木を担いで下す。
手回しドリルで穴をあけ「種駒」を詰め込んだ。
かつてはコナラ、シイ、クヌギの風倒木や切株に自然発生するものを採取していたが、
江戸時代に菌の発生を促進する方法が述べられている。
昭和18年に「種駒」を原木に植え付ける方法が開発されて、シイタケ栽培は飛躍的発展を磨げた。

「岡山の作物文化誌」 臼井英治 岡山文庫 平成18年発行


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(父の話)

何処の家にもちいとずつつくりょうた。
売らずに、自分の自給ように。
たべりょうじゃ。

今年も作ってうえときゃなあいけん。へぇ原木がのうなりだした。

談・2000・12・17


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シイタケ(椎茸)

香り高く風味もよい。
日本特産のキノコ。
シイタケはシイ、ナラ、クリ、カシなどの木に春と秋に自生する。
冬のものは肉厚で最高級として出荷される。
室町時代から食べられており、
江戸時代には栽培もおこなわれていました。

丸ごとか、スライスして、
セミドライは数時間、完全に干すには2~3日が目安。
失敗が少ない。
「野菜まるごと辞典」 成美堂出版 2012年発行


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鶏を飼う

2022年03月18日 | 農業(農作物・家畜)
かつて民家では2~3羽の地鶏を放ち飼したものである。
夜になると鳥屋にはいってねたのである。
一羽は必ず雄鶏を飼い、自然交配で孵化させた。
一番ドリが鳴いた、二番ドリが鳴いたで、などで仕事に出かけた。

「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行ニワトリ




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最初縁側の下で飼っていた。
次、昭和30年頃に養鶏場を作り養鶏を始めた。
その次、養鶏場ではゲージ飼いに変わった。昭和35年頃。
養鶏をやめて、その場所は農具倉庫になった。昭和40年頃だったかな。

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(父の話)

(縁側の下の)ニワトリ
コメの糠と、麦の食べれんいなげなの、コメも。
5~6羽飼ようた。
貯まったら売りょうた。

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(鶏小屋の)ニワトリ
小屋を建って、大部屋で一階と二階で飼ようた。新しい頃で卵をよう産んだ。
いっぺんに(建設費の)元がとれた。相場がえかった。

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(ゲージの)ニワトリ
ゲージでは生まなかった。生むのが少なかった。
餌を食うばあで、(養鶏業も増え)相場も落ちた。
2年目になると生まんのが増える、それはまとめて(食肉用に)売ったりしたが、(更に)元気のないのは殺して食びょうた。


ニワトリの糞
畑へもって行って肥にしょうた。


大冝の共同養鶏
のぶきさんらが共同でやった。
一年はえかったんじゃが、二年目に病気が来た。
どっからからか病気が移ってきて、大きな損をしたんじゃ。

談・2003.3.29


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ブロイラー・卵・卵肉兼用、の3品種がある。
ブロイラー
21日間の孵化、生後50日で2.200~2.300gにまで成長し、
小型ブロイラーはこの時に出荷。
大型ブロイラーは生後55~60日で出荷、2.600~2.800gある。
「最新日本の農業図鑑」 八木宏典 ナツメ社 2021年発行

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採卵鶏

孵化期間21日、雛は体温調整などの機能が不安定であるため、飼育農家がケアする必要がある。
エサはトウモロコシなどの穀物や魚粉をブレンドした配合飼料が与えられる。
孵化して約150日で卵を産み始める。
産み始めは小ぶりだが、だんだん大きな卵を産むようになる。
産卵のピークは210日前後。
産卵期間は1年~1年半。
次第に卵を産まなくなり、2年ほどすると加工肉として出荷される。
「最新日本の農業図鑑」 八木宏典 ナツメ社 2021年発行


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養鶏
戦後養鶏規模が拡大され、
昭和45年では263羽になり、55年では2.016羽と驚異的に規模は拡大した。
逆に飼育農家数は低下の一途をたどった。
昭和48年のオイルショックによる飼料の高騰、卵価の安さは農家を苦しめた。
矢掛町史


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鶏肉

鶏は、大抵の家で2~3羽飼っていた。
卵は保存しておいて、客がみえた時におかずにしたり、子どもの学校弁当に、時々いれたやった。
鶏肉は牛肉などより、早くから食べていて、正月、祭り、来客などの時に、殺して調理した。

「吉永町史」 吉永町史刊行委員会編 吉永町  昭和59年発行

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