佐世保・西海の旅 その7
楠本端山旧宅は隠れた名所ばい!
ハフハフ興奮してる私に向かって、
「そいぎ次に行くったい」
もう”行きたいリスト”にはなんもなかよ?
「この間下見したけん、場所は任しときんしゃい」
え、あ、またまた有難う。
浦頭(うらがしら)引揚記念平和公園
佐世保市針尾北町824番地
高台へ昇るとそこには…猫がいるっ。
なんでこういう高い所の観光地には必ずいるんじゃろうか。
3年前の『弓張展望台』にもおったで。
「ねえねえ」
私の足に擦り寄ってきたぞぉお。
「なんか頂戴」かな?「ナデナデして」かな?
猫の気持ちがイマイチ判らなくって…。
伸びしてみたり、引っくり返ってお腹出したり、
様々なアプローチをしてくれるんだけど…。
我ら3人は無関心…。
「ちょっとぉ。なんばしようと!?」
あ、睨まれた。ごめんね猫ちゃん。
かえり船 田端義夫歌唱碑
波の背の背に 揺られて揺れて
月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖じゃ
夢もわびしく よみがえる
捨てた未練が 未練となって
今も昔の せつなさよ
瞼あわせりゃ 瞼ににじむ
霧の波止場の 鋼羅の音
熱いなみだも 故国に着けば
うれし涙と 変るだろう
鴎ゆくなら 男のこころ
せめてあの娘に つたえてよ
母は必死にこの歌を思い出そうとしてる。
……突然唄いだしたぁ!
ああっなんとなぁく知ってるわ!
S21(1946)年の大ヒット曲。
って私はいったい何歳なんや。
まだ生まれてなかったからね。グハハ
引揚の人達の物語だったとは…知らんかった。
H12年に建てられたんだって。新しいんだね。
大陸からの引き揚者を迎えた港って…。
♪母は来ました~今日も来た~♪
『岸壁の母』(二葉百合子)は有名だよね。
あそこは敦賀?…舞鶴だっけ。
で、ここ佐世保もそうだったのか!!
またまた知らんかったぁああ。
そういえば『犬神家の一族』の佐清(スケキヨ)も
どこかの港で母・松子に出迎えられたんだよなぁ。
赤塚不二夫は満州から引き揚げてきて佐世保に
上陸したんだって!
第2次世界対戦の終結後、海外に残された日本人は、
軍人・軍属が330万人、一般邦人が300万人以上といわれ、
これらの人々は、短期間にしかも一斉に帰国しなければならなくなった。
政府は、昭和20年9月28日、舞鶴、浦賀、呉、下関、博多、佐世保、
鹿児島、横浜、門司を引揚港に指定して業務を開始した。
引揚記念資料館
無料!しかも他に誰もいないから貸切状態!
昭和20年8月15日に太平洋戦争の終結に伴い、海外におられた
邦人約629万人が日本に引き揚げました。
このうち佐世保湾の南東に位置するこの浦頭の地に、昭和20年
10月14日米軍の上陸用舟艇(LST)で、韓国の済州島から旧陸
軍軍人9,997人が揚陸したのをはじめ、以後昭和25年4月までに、
主に中国大陸や南方諸島から引揚船1,216隻により、一般邦人・
軍人・軍属合わせて1,396,468人もの方々が、引揚げの第一歩を
印されました。
ここ浦頭に佐世保引揚援護局検疫所があったからです。
す、す、凄い人の数だっっ!!
大陸から帰還しようとした人々といえば…。
井上ひさしの舞台を思い出した。ほら、あの、落語家の、
『円生と志ん生』!!
引揚船の数も凄いっ。写真があるよ。白黒だよぉ。
なんかドドドっと押し寄せてくるもんがある…ぅ。
引揚者の多くは、栄養失調や下痢・皮膚病、敗戦の失意と迫害の
ために疲労の極限にありました。
無言の帰国をされた人、船内で病に倒れ上陸直後に不帰の客と
なられた人々がありました。
また船の中で病人が出ると、検査が済むまで全員が沖で足止めされ、
故国を目の前にしながら無念の死を遂げた人も多数いました。
ゲゲゲ!眼と鼻の先なのに!!嗚呼…なんと…惨い…。
『針尾無線塔』の3本の巨塔を見ながら、目頭をぬぐった人もいたんだって…。
やっぱりシンボル的存在なんだなぁ。
しかしながら、一様に夢にみた故国日本の土を踏みしめられた安堵感
も併せ噛みしめておられ、その哀歓は筆舌に尽くしがたいものでした。
引揚者は、上陸と同時に消毒のためDDTの散布を全身に浴びました。
情景を写した諸々の写真と一緒に、
引揚当時の着衣、日記、紙幣、通帳、リュックサック、引揚証明書、
収容所での詩集、軍人手帳、検疫所DDT消毒器具etc
こんな物が展示されているとは!!
嗚呼、とてもリアルだぁあ…胸が痛い…。
検疫の後、収容先となった佐世保引揚援護局(元針尾海兵団)までの
約7キロメートルの山道を、一歩一歩踏みしめながら歩かれました。
そしてたどりついた援護局宿舎(現ハウステンボス)で、引揚手続きを
終えると衣服、日用品等の支給を受け、二泊ないし三泊の後、南風崎
(はえのさき)駅からそれぞれの郷里へ向かわれたのです。
ハァ~(溜め息)…。祖国へ戻っても過酷だったんだ…。
クタクタのヘタヘタだろうに…。どこまで歩いたの…か。
キョエェエ!ハウステンボスなんかい!!
あまりの変貌ぶりじゃないかいな。
佐世保一体の縮小版立体模型っ。ジオラマがっ。
で駅は何処なの?押すとピコっと灯りが点くんだぜ♪
「みなみかぜ駅?」
「南風崎(はえのさき)駅ね」
母も伯母も流石だ。ちゃんと知っている。
この公園は、再び繰り返してはならない悲惨な引揚げの体験を
後世に伝え、世界の恒久平和を願って、元検疫所跡地をみおろ
す地に全国からの募金をもとに建設されました。
ウウ~ムぅ。こんなちっこい資料館だけど、
忘れちゃならない歴史がギュ~ッと詰まってるじゃないか!
こういう角度から感じるって貴重だっ!初体験だっ!
もっと沢山の人がここに来なくてはっっ!!
外に出て振り返ると、平和の像が。
あ…階段昇るのか…。
ごめんなさい、もうグッタリなもんで…パスさせてぇ。
浦頭港にあるという『引揚第一歩の地』と書かれた記念碑。
これを探しにレッツ!…見つけられんかった(おいおい)
佐世保検疫所があった場所は整地されたんだって。
ピーク時には一日約2万3千人の引き揚げ者が到着。
ヒエェェエエ!こんな小さな港にっっ。
あ、釣りしてる人がいる。
ウピョォォ!なんじゃなんじゃあの船はっ。
こっちを監視してるんかな。手を振ってみよう♪
ってアホや~ん。
ズ~ムズ~ムズ~ムで激写っっ。
右はグレーだから海上保安庁とかの船かな?
いっちょん判らん。だけどさっすが佐世保♪
旅ももう終わりに近づいてるよ。
浦頭引揚記念平和公園 平和祈念展示資料館 南風崎駅
浦頭引揚記念平和公園
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