アッパレじゃ!

大好物は舞台観劇♪ようござんすか?ようござんすね。”私見”バリバリ入りますっ!ネタばれアリアリ~。

歌舞伎役者 十三代目 片岡仁左衛門

2005年09月30日 | 歌舞伎

歌舞伎役者 十三代目 片岡仁左衛門
2005年9月10日(土)~10月14日 
ポレポレ東中野

現仁左衛門の父・十三代目片岡仁左衛門。
90歳で亡くなるまでの7年間が、7つのカテゴリーに分かれてスクリ-ンに蘇る。

若鮎の巻・人と芸の巻(上・中・下)・登仙の巻・義太夫狂言の演技

孫右衛門の巻
一家のインタビューから始まる。
十三代目を囲んで我當・秀太郎・孝夫(現:仁左衛門)・進之助・孝太郎
若いっ!誰がって秀太郎がっ!(13代目を見ろっ)
H元年の映像ですか、そりゃ若いがな~。(ハハハ)
んでもってカッチョイイ。(もうええって)

“上方歌舞伎、芸風といったものは、主役だけではなく、
脇役や太夫、三味線がいてこそ。だから継承は大変難しい“
勢ぞろいで神妙な顔つきになった松嶋屋一家。
東京という高層ビル群の谷間に沈む夕日か…。

上方歌舞伎の♪明日はどっちだ♪(byあしたのジョー)

『恋飛脚大和往来/封印切・新口村』
H元年10月に上演された時の稽古と舞台風景

稽古場(歌舞伎座ロビー)
十三代目に挨拶してる
坂東吉弥を発見っ!(こら~13代目を見ろっ)
若い時やから、お父さん(坂東好太郎)によー似てはるわ。
泣いてしまった…。上方の色を出せるええ脇役やった。
この人もすでにこの世におれへんのや…。(大好きやったで!)

手馴れてるから段取り程度の軽いもんか。と思いきや、
十三代目は“伝えられるものは全て“いつもそう思っているのだろう。
演者にも、三味線、太夫にも、鳴り物にもチェックが入る。

我當(八右衛門)や仁左衛門(忠兵衛)の台詞と、
十三代目の口の動きが合致している。
これも“引き継ぐ”ことの1つの象徴やね。

舞台稽古
十三代目(孫右衛門)が花道を歩く姿に、
「七三ですよ」「赤いライト見えますか」
本当に足元がおぼつかないのだ。と実感。胸が痛くなる。
本番収録の翌日「花道から落ちた」!
ナマで観た劇場中の人の衝撃はいかばかりか…。
それでも演技を続けたのだという。

十三代目は映画の題名どおり、
歌舞伎“俳優”というより、歌舞伎“役者”と呼ぶに相応しい人。

本番
は~。泣いてしまいました。
そこにいる、その人が、紛れも無い孫右衛門。
「会いに来てくれるなや」言葉とは裏腹な心が見えてしまうから辛いなー。
忠兵衛を抱きしめながら、背中を擦るその手。愛情いっぱいやー。

大阪は情の町。それを、くっきりはっきり浮き彫りにさせる。
ええ“上方歌舞伎”観せてもらいました。おおきに。
幕が降りると劇場だけでなく、映画館も拍手に包まれた。

も~十三代目の虜でございますっっ!
でも、上映に気がついたのが遅く、いまさら全作品制覇は無理だじぇぇ。
と泣いていたところ!なななんとぉ追加が決定~!!
わ~い!『山中常盤』ともども、行くで、行くで、行くで~っっ!!

全国の歌舞伎ファンに観てもらいたいねぇ。
松竹さん、「勘三郎BOX」作れるんやったら「十三代目BOX」も作ったれよ!

2006年3月 歌舞伎座
~十三代目片岡仁左衛門十三回忌追善公演~
芝翫 仁左衛門 我當 秀太郎 幸四郎 玉三郎 ほか
 

 ☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。


アジアの仮面劇

2005年09月29日 | 美術館・博物館

2005年9月15日 国立大劇場

文化庁舞台芸術国際フェスティバル2005
変貌する神々 ―アジアの仮面劇― ~アジアの文化が、熱く競いあう~

ポスターに並ぶ仮面を見てワクワク。
左が「韓国」中央が「ブータン」右が「日本」
一口に“仮面”といってもこんなに違うのか。

下北の能舞(日本:青森県下北郡東通村

東北地方に残る山伏神楽や番楽(ばんがく)などと同系の修験能(しゅげんのう)の1つと考えられている。修験能は、奈良県吉野山の修験者(山伏)が猿楽(さるがく)・田楽(でんがく)・曲舞(くせまい)などを取り入れ14世紀半ばに初期の形態が確立したといわれている。東通村には、遅くとも16世紀半ばには恐山を中心にした修行した修験者によって伝えられたといわれている。正月2日から各集落で春祈祷として権現(獅子頭)を奉持して各家を門打ちして回り、夜は青年会員たちが深夜にかけて様々な演目を演じる。また新築等の祝儀にも随時招かれて演じている。下北独特の修験能であり、東北各地で伝承されている他の山伏神楽とは明らかに芸態が異なることから、「能舞」の名称を通例とする。(国の重要無形民俗文化財)

河回別神クッ仮面劇(ハフェビョルシンクッタルノリ)
(韓国:
慶尚北道安東市

民間に伝わる仮面劇は、歳時儀礼の性格を帯びた郷村型(巫俗系)と宮廷につとめた芸能者により各地に定着した山台系に大別される。この仮面劇は郷村型の代表的なもので「クッ」とは巫女が神に捧げる儀礼のこと。内容は両班(ヤンバン:貴族)に対する風刺、破壊僧への嘲弄、女性にだらしない田舎老人へのからかいなどである。(国の重要無形文化財69号)

ニマルン寺院のツェチュ祭(ブータン王国:ブムタン県チュメー谷)

チベット系密教を信仰するブータン仏教徒にとって仏教を広めた師僧の存在は大きく、特にブータンに絶大な影響を与えて高僧グル・リンポチェ(至宝の師、またはパドマサンババともいう)の存在は絶大である。ツェチュとは“10日”を意味する言葉で、グル・リンポチェの生涯における重要な十二の出来事が各月の10日におこっていたことから、10日に行う法要をいう。仏教の教えやグル・リンポチェ、高僧たちが仏教を布教した事跡を「チャム」と呼ばれる仮面舞踊によって再現し、大いに民衆の人気を博している。

縁日の夜店でお面と出会ったのが初対面ってとこかな。
母の実家に怖ろしい仮面(なんだったんだ?)が掲げてあって、
その前を通れなかったヨ。小さい時は、睨まれてるって思ってたもん。
そんな”仮面”が”劇”になるのを見るのは初めて。

面を被ると人格変わる~。日本は、獅子頭も登場―。
お次の韓国に比べるとすっごく“静”だったのねぇ。
韓国は大陸~。おおらか~。
女性の面はのぺっとしてる。男性の面はお口が上下に動くし、沢山喋るし、
まさに「仮面”劇”」
海ひとつ隔てて明るさがじぇんじぇん違~う。
♪亜細亜も広いな~大きいな~♪って感心してたら、
韓国よりもブータンはもっともっと“動”っっ。
デデ~ンと寺院がそびえ立つ。その前で、
喋りまくってる人や、踊って踊って踊りまくってる人も~っ。
仮面は、スッポリ被るんじゃなくて、口は出てる。
仮面の口が丁度眼の位置で、そこから覗いているらしい。
弾けてっ弾けてっ弾けているのだぁ。

各国とも仮面を取ると、思っていたより年かさの人だったり、逆に若かったり。
アンコールは、客席と舞台。両方で手を振り合って別れた。
未知の世界、垣間見ちゃったヨ。楽しかったヨ。

 ☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。


お江戸みやげ

2005年09月28日 | 歌舞伎

2001年4月 歌舞伎座
2005年9月 歌舞伎チャンネル

川口松太郎の作品で、昭和36年に初演した新歌舞伎

茨城の行商ババァ2人組。
ひとりは金勘定にうるさい婆・芝翫ッ!!
もうひとりは金には大雑把な婆・富十郎ッ!!

梅の季節の本郷は湯島天神
お紺の養父母(松江・現 魁春)は、娘を金持ちの妾にして
金をたんまり取ろうとしているが、肝心のお紺の姿が見えずイライラ~! 
松江結構イケテタわ。

店の女中も、角兵衛獅子の兄弟も、実はこの女が大嫌いッ。
お紺の行き先をデタラメに教えて、養父母が去った所へ

お紺ちゃん登場ーッ!!
ああ、これが誰あろう中村福助なのであったーーッッ
”町娘”といえば明るい!お笑い!福ちゃん!十八番ーッ!!いけいけ成駒屋~っ!!

お紺ちゃんには、相思相愛の男がいました。
神社境内の宮芝居に出ている人気役者・梅玉さま!!
これが、ただのオカマにしか見えないナヨナヨ野郎~。
梅玉さまってお笑い出来たのね~。素敵だったわ~。

行商の帰り道の疲れをどっさり背負ってやって来ましたお婆さん2人。
風呂敷き包みに、売れ残った反物が入ってます。
それを抱えてヨタヨタと歩く芝翫と富十郎~。
場内大喝采ッッ!!大爆笑ッッ!!

いつもは颯爽とした姿の富十郎と、いつもは美しい芝翫が、
かすりの着物を着て、すっぴんに近いメイクで…。
手なんて、素そのもので…。
40代の設定らしいけど、そこは行商人…。
お百姓だった我が祖母を思い出した。
あの土の匂い、田舎の匂いが
舞台から漂ってくる様な、そんなお婆達。

疲れを癒そうと、酒を一杯注文するおゆう(富十郎)
「そんなに散財すなんて」と呆れ顔で算盤を弾いているお辻(芝翫)

さて、ここで眼目は、2人の茨城弁!
一本調子で話しつつ、語尾を上げるという独特の口調。
ボソボソ喋って面白いんだからぁ。

お囃子の音に、芝翫が浮かれてきました。
「実は私、酒のむと心が乱れるんだよね。
だから止めてるんだけど、ウキウキしてきたから一杯貰おうかね」
と、大きいお猪口を手にする芝翫。
今度は富十郎が呆れる番ッ。…「まぁいいか」と酒を注いであげました!?

そこへ「幕間だから、一杯おくれな」
衣装のままで舞台を降りてきた女(歌江)に
「綺麗な人だねぇ」と、2人が見惚れていると、

女中(吉之丞)が「もっと男前なのがおりますよ」と言ったもんだから、
富十郎が「芝居でも観ていこうよ」
「良い席をお願い」と女中に金を奮発してしまいます。

さて、一幕見終わった頃にはベロンベロンになっている芝翫。
がめつさは何処へやら、金を積んで、さっきの男前と座敷で会う事になりました。

やってきた男前がッ梅玉さま!
ふとした事で、2人の手と手が…。もうメロメロの芝翫です~。

そこへ「娘を帰せッ!かどわかしだ!」飛込んできた松江。
「20両払ったら許したやろう」そう言われても…。
福ちゃんも登場して、すったもんだ始まるか!?
と思った時に、梅玉さまの為ッ!

芝翫が「それじゃぁね…。縞の財布に50両~」
おおッ!判る人だけ場内爆笑ーッッ!!

「ここに13両3分2朱あるよ」と稼いだ全財産を投げ出した!
おったまげたのは富十郎~ッ!
止める声も聞こえない芝翫~ッ!
拒む梅玉さま~ッ!
「自分の金なんだから何に使っても良いだろ」一歩も引かない芝翫。
そんな梅玉さまと芝翫の仲を
「本当に何でもないの~??」とネチネチ聞く福ちゃん。
まったくぅ自分の事しか考えてないんだからぁ。

場面変わって湯島天神境内
やっぱりヨタヨタと歩いてきたお婆2人…。
芝翫は「人生一度きりの恋だったの。」と言えば
「それにしても高くついたね~」と富十郎。

アタフタ出てきた福ちゃんと梅玉さま!
もう会うこともないと思っていたのに、ドキッの芝翫。
気が利く富十郎は、福ちゃんを連れ出して
芝翫と梅玉さまのふたりっきりになりました。

突然「お辻サマッ!」と駆け寄る梅玉さま!
どこまでも素っ頓狂な声だぁ~。
場内ッ!!大ッ!大ッ!大爆笑~ッ!!

梅玉さまは思わず、長襦袢の片袖を引き裂き、手渡します。
この理由が判る人だけジ~ンと来る…。
けど、やっぱり笑っちゃうぅぅ。

喜ぶ芝翫の手を取る梅玉さまに
「末永く添い遂げてちょうだいよ」そう言って見送る芝翫でありました…。

花道で両手を高く上げて「大和屋~」(梅玉の役の屋号)と叫ぶ芝翫…。
泣けるねぇ…。

芝翫の一生に一度の初体験。
甘くて切ない恋の出会いと別れ…。
そうして、富十郎に呟く「私の”お江戸みやげ”はこの片袖だよ」


梅玉さまぁぁ。
歌右衛門が亡くなって、身も心も沈んでるだろうに
よくゾここまで”お笑い”演ってくれました!嬉しい。

そうして、やっぱり<脇役>って大切だ。と思ったの。
歌江や吉之丞が、仲居や宮芝居の田舎役者の匂いを醸し出してくれていればこそ。
この芝居の色が出るんだからね。ああ有り難や~。

 ☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。


吸血鬼ノスフェラトゥ

2005年09月27日 | 映画

映画祭「ドイツ時代のラングとムルナウ
2005年9月10日~19日 有楽町朝日ホール

「日本におけるドイツ年」の記念イベント
映画のことは、小さい記事で見た時から気になってました。
ようやく8月下旬に詳細情報をキャッチ!
数ある作品の中からこれ!『メトロポリス』…あ、日程がー。
これ見よー。やっぱこれー。

吸血鬼ノスフェラトゥ Nosferatu 監督:フリードリヒ=ヴィルヘルム・ムルナウ
(1922年、84分=20コマ/秒上映)

これまでブラム・ストーカーの原作をもとに多くのドラキュラ映画が作られたが、この映画はその最高峰である。異常に背が高く、長い爪を持つドラキュラの姿は、館の広間、ねずみの群れ、ペスト船、黒い荷馬車などの強烈なイメージとともにこの映画の副題である「恐怖のシンフォニー」を作り出し、ムルナウは世界中に知られることになった。ボローニャ市立チネテーカで復元した染色版。(パンフより)

トランシルヴァニアに住むオルロック伯爵の依頼で、
ブレーメンから不動産物件の契約を取りつけに向かった主人公。
館で出迎えた伯爵は、ひどく細身で背が高い。
スキンヘッドで耳はピンと張っていて、目はギョロリ。
そして、異様に長い爪を持っていた。
夜の静寂に話し込み、目が覚めた主人公の首筋には、
蚊にさされたような傷口が2ヶ所…。
伯爵は、棺桶に入ったまま船でブレーメンへ
その日から街はペストの悪夢にうなされ始めた。
伯爵の正体を知った主人公は、妻の待つブレーメンへと急ぐ。
が、吸血鬼の魔の手は彼女の目の前に…危うし!


ドイツ!1920年代作品!!
「想像出来ない~」と言う友人の言葉を聞き流して行ってみた。
サイレント版。
ということは、音楽も台詞もなにも無いってことで…。
劇場に響くのは、観客の咳払いとギシギシ言う椅子の音。
それだけ…。
21世紀の映像技術から考えると、とんでもないんだろうけど、
単純なのに恐いものは恐いんだね。
白黒画面から湧き出る恐怖を体験っっ。影が怖ろしいぃぃ。

 ☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。


平家蟹

2005年09月26日 | 歌舞伎

2005年9月 歌舞伎座 夜の部

西海に 沈みむれども 平家蟹 甲羅の色も やはり赤旗 (by狂歌百物語)

待って待って待ち続けておりました。
H9年3月。って筋書きの文字見てビビビックリ~!
そんな昔のことでございましたか…。
その時の配役は、玉蟲:福助。妹玉琴:亀治郎。那須与五郎:染五郎。宗清:宗十郎。
福ちゃん以外覚えてないけど~。

蟹に話しかける女官の姿が不気味で、また哀れでございました。
ひっさしぶりだからね、行く気満々っっ!
“蟹”の動きをアップで見るのが夢~!でも資金不足でそれは叶わず…。
それならせめて、3階の最前列で!意気揚々と…と言いたいところですが、
後日こんな発表が。

夜の部は、「源平の戦い」にちなんだ作品2本が登場。まず、『平家蟹』。白石加代子さんの語りとスライドの新演出で芝翫が玉蟲を演じます。

メッチャクチャまずいっしょ~。
なんで白石加代子なの?彼女のことは大好きですけど、
これじゃぁ大河ドラマ「義経」じゃん。スライドって??
もっともっともっと早く公表してよぉ。知ってたら行かなかったのにぃぃ。

緞帳UP。
白石加代子の語り&スライド(源平合戦の絵図)
ようは屋島、壇ノ浦のレクチャーでございます。

あの合戦の2ケ月後、生き残った平家の者も多々あり、
壇ノ浦に近い浜辺でその日暮らしを送っている。
若い女性は、旅のゆききの人になさけを売り、
盛りを過ぎし女達は藻屑を拾って飢えをしのいでいる。

官女玉蟲(芝翫)の妹(魁春)も春をひさいでいる。
若武者と恋に落ちたのだが、彼の素性を知って姉は妹を勘当。
若武者は、扇の的を射た那須与一の弟だったのだ。
さめざめと泣く妹の下へ、恋人の遣いがやってきた。
いそいそと出掛ける妹…。

家には玉蟲が残るだけ、寺の鐘が鳴る。
白小袖、緋の袴に小袿(こうちぎ)という女房の正装に、檜扇を手にした玉蟲。
縁の下から現れた大きな蟹に向かって親しげに話し掛ける
「おお、新中納言殿、ようぞまいられた」

またぞろ、ゾロゾロ蟹が出現っっっ。おお、平家蟹でござるよ!!

「おお、教盛(のりもり)卿、有盛、業盛(なりもり)の方々…。皆、打揃うて見えられましたの。(縁に腰を掛ける。蟹はその足もとにむらがり寄る)(略)今宵はなにを語って明かしましょうぞ。(蟹にむかって問い、又うなずく)毎夜毎夜の物語も、つまるところは平家の恨みじゃ。」

久しぶりに聞く芝翫の声は、細い響き。細やかな振動が、
まさに、あっちの世界に行ってしまった女になってる…。
今は蟹と戯れて上機嫌だから、よけいに怖ろしい~。

妹玉琴が、恋人那須与五郎を伴って来た。「我等と共に関東へ」
「そこまで言うなら祝言を」と、姉玉蟲がお神酒を用意し2人に飲ませる。
祝いの舞を舞う玉蟲。次第に舞いが早くなってゆく…
と突然、2人が苦しみだしたっっ!!玉蟲の顔が喜びに震えるっっ!!
悶え苦しむ2人を檜扇で散々に打ちすえ呪いの言葉を吐く玉蟲。

「西海に沈みたる平家の恨みを報いんために、神壇を築いてひそかに源氏を呪い、神酒を供えてもろもろの悪鬼羅刹を祭る。そち達ふたりが飲んだる酒は、即ちそれじゃ」
「して、その神酒が毒酒とは…」
「平家蟹の甲を裂いて、その肉を酒にひたし、神への贄(にえ)もささげしものぞ」
玉蟲は、一部始終を見ていた僧雨月を誘うが
「生きながら魔道におちたるお前さまは、修行の浅いわれわれの力で、お救いも申すことはかないませぬ。おいたわしゅうございりますれど、もうお別れ申しまする」
(又もや雨はげしく降りいず。玉蟲は起ちあがりて、二つの死骸を見おろす)

(舞台周って)蟹に誘われ海岸へ行く玉蟲
「おおそうじゃ。浪の底にも都はある。わらわも役目を果たしたれば、これからはお宮仕え。さあお供いたしまする」

浪高くなり、汐を被りながら沈んで行く玉蟲…。


どの場面が補綴の対象になったのか判らなかったので、
学研M文庫「岡本綺堂妖術伝奇集」読み直したわよ~。

そうしたら前半、旅僧雨月(景清の叔父)が玉蟲に、
景清が鎌倉へ忍んで行ったことを聞かせたり、
2人で壇ノ浦の合戦の模様を懐かしんだり、
「源氏調伏!」といきり立つ玉蟲に意見したり。この現状説明がカット!
へぇぇこれに代えてあの語り&映像なのねぇ。へぇぇ。

妹が彼氏のことや、どうやって稼いでいるかを姉に話して喚起をこうむる場面はカット。
代わりに、雨月と浜辺で偶然出会い、その話をする。
そうすると、どーも今ひとつ姉の異常さが出てこない。

ラストも、那須与五郎の家来がやってきたところを、
海岸に行こうとしていた玉蟲とぶつかり、後姿を哀れなりと見送る。
ってのが原作のラスト。

芝翫曰く、今回の脚色は
「”素襖落”を観た観客が<面白かったけど戦物語が判然としない>と話していたのがキッカケ」
なんでしょね。この”おんぶにだっこ方式”って。
なんでもかんでもお手軽な世の中に、歌舞伎まで乗っかってコンビニになること無い!
よくもよくも原作をあそこまでバッサリ切ってくれちゃって~!!
だからって、面白くないわけではありません!!
簡略化してる分、
重厚さは薄いけど!!
思い入れがない人には、きっと十分なのでしょー。
今年は大河で「源平尽くし」だから、それはそれでいいのでしょー。
ただ、こういう手法をスタンダードにさせないで欲しいっっっ。

蟹は大きくて赤くて、赤間神宮で購入した赤い土鈴の
オドロオドロシイ雰囲気満載だったわぁぁぁ。

最後に玉蟲が「これからはお宮仕え」背筋を張って嬉しそうに言うのよ。
平家の物語って、怨念ドロドロなんだけど、哀しい…。
一応、”怪奇ロマン”経験したってことで…納得出来るのか!

久しぶりに故郷へ帰ってきたら、ジャリ道がアスファルトになってたり、
商店がスーパーに変わってて、心に穴がポッカリ。って感じ!
8年も待ったのにねー!チクショー!

夜の部 「平家蟹」 「勧進帳」 「植木屋

 ☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。


忠臣蔵の鉢植/植木屋

2005年09月25日 | 歌舞伎

2005年9月歌舞伎座・夜の部

「勧進帳」でリフレ~ッシュ!
なのに、その後でこんなの観せるなよぉぉ。
客席もチラホラ空席になってる。
心得てる客はいち早く帰ったよう…。

S63年大阪中座で上演して以来!今回久々って…。
なんでこれ?上方歌舞伎なんですよー。
なのに、梅玉さまがトップ張ってんの~。
でも、そこんとこ梅玉さまは判っているのです。

「体から滲み出るものがないとそういうジャラジャラしたところが難しいです。かといってそれを意識すると手も足も出なくなってしまいます。自分なりの二枚目像を作り、ひとつ役に近づきたいと思います」

題名の通り、忠臣蔵外伝。
四十七士の竹森喜多八(歌六)と千崎弥五郎(梅玉)が、
高師直邸の絵図面を入手する物語。
もちろん男前の弥五郎のために、女(時蔵)がガンバッテ犠牲になっちゃうの~。

百歩譲っても上方和事になっとらんわ。
梅玉さまも『お江戸みやげ』のような
お笑い芸は封印ってキャラだったし…。無念。

これで“源平関連”だったらまだ興味持って観れたと思うよ。
だって、前の2本がそうなんだから。
いっその事“源平month”にすれば良かったのにぃ!
作品たくさんあるでしょーが。

こんなに客の心が離れるくらいなら、3部制にして時間短くすれば?
舞台から客席がボコボコ空いてるの見るのも忍びなくないか~?
それが嫌ならせめて最後の作品は若手の実験劇レベルにするとか。
もうちょっと頭ひねって欲しいですなぁ。

どーにかこーにか最後まで観れたのは、
イヤホンガイドの解説が歴27年の園田栄治だったから~!
気持ちがしぼんで、疲れて帰った。クソ~!

夜の部 「平家蟹」 「勧進帳」 「植木屋」

 ☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。

  


祝!シアターグリーンリニューアル

2005年09月24日 | 演劇
劇団昴の本拠地『三百人劇場』の閉鎖が決定した一方で、『アートスフィア』がホリプロの傘下に。
昴といえば「セールスマンの死」ですかね。あれを時代が求めなくなったのか、新劇(って言わないのか?“ストレートプレイ”?)劇団は次世代へ、バトンタッチできなかったんだなあ。
作品もピカッと光らない。お客も服は茶系、話題は年金という世代。
これじゃあ演劇界の海で水没するわ~。と思ってましたヨ。
問題はスポンサーか…と思ってたらホリプロ!ジャニーズは『グローブ座』オスカープロは『明治座』で企画制作。大手事務所タレント貸切じゃないのよォ。
小劇団の明日はどっちだ~(byあしたのジョ-)
こっちだー!!『シアターグリーン』
三宅裕司(SET)も渡辺えり子(3○○)も風間杜夫(つかこうへい)もここで大~きくなった。
バッグアップするのは豊島区!!バブルは跡形もないのに、“池袋演劇祭”は今年で17回!!本気だ。
掲げるのは“文化都市宣伝”よーし、しまって行こーッ!!

ミッドナイトステージ館

2005年09月23日 | 演劇
『キャンディーズ』G2:作、演出
S10年代とS30年代を行ききする芝居らしい。
当時を映像で紹介。
さすがはNHK。OKだ。
お次は"あらすじ"これもOK。
"13人も出演するのでポイントを!
主役は1人2役。着物か洋服かで見分けて下さい”
ハァ~?出たよ『おんぶにだっこ解説』
友いわく「ここまでしなきゃ分からないんだよ~。マジで」
★○●◇◆大人って~!(by大人のふりかけ)

勧進帳

2005年09月22日 | 歌舞伎

2005年9月 歌舞伎座・夜の部

安宅の関。
守るは富樫。責めるは弁慶。
虚々実々の応酬で何が見えたか?判ったか?
切り札出して弁慶一行去って行く
見送る富樫の胸中やいかにー

今月の歌舞伎チャンネル「富樫」を放映中!!
懐かしいねぇこれ、納涼歌舞伎で観たよ!!どえれぇ感激した!
あれ観てから「勧進帳」の見方変わったしな。

吉右衛門&富十郎コンビは合格じゃっっっ!!

海老蔵襲名の時は、父が子を見守る。”思いやりオーラ”が舞台を包みました。
襲名だから仕方あんめぇ。

本来、弁慶と富樫の戦いだから丁々発止じゃなきゃ。
吉右衛門&富十郎は互角!ビシッッッバシッッッ!!

吉右衛門は豪快というよりおおらか。
やっぱ古の里、大和(奈良)の匂いのする人だからかなぁ。
富十郎は、切れがある動きと、隼の鳴き声の様に張りのある台詞で応戦。

そんなことよりっ!1999年8月に観て以来っ!待ってましたっっ!!
福ちゃん義経っっっ!!相変わらず素敵~。
弁慶が本舞台に行ったのを見逃す程、双眼鏡で花道の義経に釘付けっっ!!

も~演れば出来るでしょー!! “品格”あり~の!“美”あり~の。
泣きそうになったわ…。これでイイのよ!これで!!
創作料理(新演出作品)を食べ(観)たい人もいるだろうけど、
日本料理(古典)を堪能したいファンもいるのだ~!それは私だ~!!

義経が座る台を後ろから差し出す後見。
ちょっと位置が定まらないないらしく、スムーズにいかなんだ。
そーしたらさ、下手の端から、きちんと福ちゃんの様子を見続けているのですわ。
仕事に徹してるわねぇぇ。

四天王と番卒が若返って団体演技の動きもスムーズ

吉右衛門&富十郎の色も相俟って、澄み渡った碧空~!スカ~ッ!


夜の部 「平家蟹」 「勧進帳」 「植木屋

 ☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。

 


NO.2 B級な男たち

2005年09月21日 | 演劇

2005年9月17日~25日  新宿 THEATER/TOPS

作:水谷龍二 演出:蓬莱竜太

登場人物
某ヤクザ組織の若頭。某三流出版社専務。某政治家の第一秘書。

代議士への夢を絶たれた秘書が、派閥内の重大なスキャンダルを入手した。
中学からの腐れ縁なのがヤクザ。
そこへゴルフ仲間の出版社専務が加わって、恐喝の策を練り始めたが…。
一筋縄ではいかない野郎ども。
あっちにイイ顔。こっちでほくそ笑み。互いの利害が絡み合う。
友情って何だ?第2の人生って?
スナックの事務所で中年男性の悲哀が露に…。

な~んちゃって、シーンとした1時間30分じゃないのヨ、これが!
ドバッと笑って最後にホロリ…。人情噺だったさ~。

男にこだわる役者
中西良太(1953年兵庫生まれ)
塩野谷正幸(1953年新潟生まれ)
青山勝(1961年東京生まれ)いぶし銀トリオ!!

世の男性諸君!!
”男のロマン”最近感じだことありますか~?
生ビール飲んで会社のグチ言って楽しいですか~?
4000円ポッキリ!居酒屋に行ったつもりで劇場へ行けッ!!

企画・製作 ネルケプランニング

問い合わせ ぷれいす 03-5468-8113(平日11:00~18:00)

  ☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。

 

 


私的『勧進帳』の観方

2005年09月20日 | 歌舞伎

とある年の「勧進帳」日記

“一幕見”とは、公演中の演目の中で、好きな作品だけチョイスして観る
入替え制の自由席で150席(立見60を含む)
専用扉から入ると、気分はエベレスト登山者!
頂上目指して急な階段をエッチラオッチラ。
やっと着いた所は4階!舞台は遠い遥か彼方。
でも、一幕だけだから、料金は七百~千円位。

雰囲気を楽しむ外国の観光客や留学生にモテモテ。
買い物帰りのおばちゃんから、カップルから、ス-ツ姿のサラリ-マンから、
OL、おばあちゃん、おじいちゃん、はては大向うまで!
常連さんもワンサといるのだ。
「勧進帳」人気あるんだな。一幕見席ほぼ満席!平日なのに!

北へ落ちのびようとしている義経と弁慶一行の前に、
立ちはだかったのが安宅の関。
詮議するのは富樫だ。

目に飛び込んできたのが『アンサンブル』。
ここでいう『義経組の4人の番卒と富樫組の3人』のこと。

舞台の両端で、一つのラインを形作り、且つ揃って動いてる。
まるでミュ-ジカルのバックダンサーのよう

こんなに美しく、考えられた構成であったとは。

創作されて何百年?
ともすれば主役の3人いや、喋る2
人(弁慶と富樫)に目を奪われがちで、
その他大勢は、無視してしまうけど、
これが、4階席の見方という事なのでしょうか!?
主役の顔をアップで見れないから、
全体の動きをジックリ観たら、目から鱗が落ちちゃった。

演奏者を舞台中央に並べる事で、
役者と楽器の掛け合いをビジュアル的に見ることが出来る。
お互いタイミングが絶妙!
舞台の隅々まで使って、役者の立ち位置を決めている事が判る。
映像で言うなら、アップにしたい時に富樫と弁慶が舞台の面に近寄って、
見得をきっちゃうんですね~。
ロングにすると端のアンサンブルの動きが映るんですね~。
いやぁぁぁ。唸りっ放しだったヨ。

昔の人は偉いね!現代に伝えてくれて有り難やぁぁ。
近くも良いけど遠くも良い。恐れ入谷の鬼子母神~。

ラスト。弁慶の飛び六法で、一幕見席は拍手しながら総立ち!!
花道見えないからって!!…立っても見えたりしません
!!
こんな連帯感!こんな興奮!さっすが一幕見ッッ!

今月は『勧進帳』が観れます。何はともあれ歌舞伎座へ!ライブで楽しもうゼ~。


 ☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。

 


富樫

2005年09月16日 | 歌舞伎

2000年8月 歌舞伎座
2005年9月 歌舞伎チャンネル

富樫(とがし) 作:野口達二

実はこれ「どんなの?」って期待しておりました。
野口達二とな…。富樫といえば、あの『勧進帳』!
緞帳上がりつつ…。

雪まだ残る春。北陸道加賀の国の関所。
源頼朝の命を受け山伏を厳しく詮議している。
それを誇示するかのように、さらし首が二つ。

あくまでも“武士(もののふ)”としての誇りを第一に考える兄・富樫左衛門。
領民を預かる長であるからこそ“家”を守ろうとする弟・兵衛。
弟には妻・鈴がいる。
その昔、彼女に恋していた兄の気持ちを知らずに娶ったのだ。
そのせいか、兄は未だ一人身である。

幼い頃、弟を片端にしたことを気にする兄に、
武芸は出来ないが、都で新しい学問を学んだ。と明るく答える弟。
二人はすこぶる仲が良い。
だがあの大事件が鍵となり、パンドラの箱が開かれた…。

兵衛が安宅の領地見回りで不在だったある日、
左衛門が山伏一行を通過させたことを知って、兄を烈火の如く怒る弟。

弟「つくり山伏だったというではないか」
兄「山伏の装束、その一つ一つのいわれまで問いただしたのだ」
弟「兄者、その問答の模様を聞かして貰うではないか」

『勧進帳』問答の再現。ここで富樫は弁慶役となる。

兄「兵衛!客僧はしかと勧進帳を所持していたぞ」
弟「ただの…白の巻物だったというではないか!」
兄「兵衛、逃したぞ。判官殿と知って…逃がしたぞ」
弟「判官殿と知って!」

弟「館に討手をかける気配だ。富樫の家も今宵限り断絶いたしますぞッ。
  わしは憎いッ。一族郎党を滅ぼす兄者が憎いッ」
「責めは我が命で」と言う兄に
弟は叫ぶ「鎌倉殿がそれで済ませるわけがない!」
それでも切腹しようとする兄に、思わず弟は刃を向けた。

兄「おぬし、死ねるか。おぬしなどに刀など無用だ」
弟「兄者、死ぬことがそれ程までに大事かッ!
  む、む、それほどまでにさげすんでおられたのか」
兄「切れるか。切れるか。切れるのか!」(と、呵々かと笑う)
弟「兄者ッ!」(と、立腹を切る)
兄「兵衛!」
弟「死んでことがたりるなら、この兵衛の首を。しかし無駄だ」

妻・鈴は兵衛にすがりつき、絞り出すように「恨みまする。恨みまする」
鈴のお腹には新しい命が宿っていた。
「児々(やや)か!?」驚愕する兄。

兄「兵衛ッ!」
弟「愉しかったのう…兄者」

館が炎上し、討手の馬蹄の音。


 芝居は、日本人の<心・魂・情・念>のうねりの詩である。
                           祀りであり、感動である。


作者野口達二の言葉通り、
富樫左衛門(八十助/現:三津五郎)、弟・兵衛(橋之助)、兵衛
の妻・鈴(福助)
3人の心が織り成す縦糸と横糸の綾が美しくて哀しくて…。
涙が頬を伝ってしまったのでありました…。
こんなに良い芝居って…滅多に無いゾォォォ!!

弟役の橋之助。線の細い純真な役はバッチリ。
それを支える兄を八十助は力強く逞しく演じてるし、
可憐でひたむきな女性は福ちゃんの十八番!

「兵衛」「兄上」互いに呼び合う声。
「武士“もののふ”」という台詞の響きが、またなんと耳に心地好いことでしょうか。
そうです!まさにれは『観る』というより『聴く』物語!!
嗚呼…歌舞伎俳優はこんな台詞術も軽くクリアするんだ…。
歌舞伎口調でもなく新劇でもない。彼らにしか表せない色なのですヨ。

富樫がわざと義経一行を逃がした運命の日。
その詳細を我々観客は既に見知っている。
あの後、富樫は責めをうけたであろか。
気になるけど『勧進帳』という物語はそこまで教えてはくれない。
その富樫を中心に据えることで、全くの異空間として追体験してしまった。

上演記録を見て驚いたッ!
こんな素晴らしい作品を17年間も上演していなかったなんてっ!
なんという歌舞伎界の怠慢っ!!
逆に考えればそんな貴重な作品を、ナマで観れて幸運だった。
新しい物を模索するより、昭和の時代に創った作品を追求して!
野口達二の作品をもっともっと上演するべきです。
毎度おなじみの~(byちり紙交換)ばっかりじゃ勿体無いですね。

今月の歌舞伎座は『勧進帳』!『富樫』見たら、劇場へ馳せ参じませう~。

野口達二戯曲撰

                                         
☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。


女殺油地獄

2005年09月14日 | 文楽

2005年9月 国立小劇場

女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく) 作:近松門左衛門
徳庵堤の段/河内屋内の段/豊島屋油店の段/同 逮夜の段

”逮夜の段”を観るの初めてっ!
どんなラストが待っているのか興味津々。

近松門左衛門69歳という最晩年の作品で、
文楽(人形浄瑠璃)の為に作られた。
初演は、享保6年(1721)大坂竹本座。
長らく上演が途絶えていたところ、坪内逍遥らの研究もあり
明治42年に歌舞伎として初上演。
昭和27年にラジオ放送。
昭和37年にやっと文楽として復活を遂げる。

主人公大坂天満の油屋河内屋与兵衛の人生、
どこで歯車が噛み合わなくなったのか。
或いは、最初からこうなる運命だったのか。

母が貰った後添えは店の番頭。
新しい父は、与兵衛をついつい甘やかす。
兄は、自ら店を持つまでになり、
妹は、母と新しい父の子供。
与兵衛だけが、取り残された気になったのではなかろうか。
若さというパワーを持て余し23才にして親掛かり。
女にちょっとモテル顔。油屋の次男坊。
いつしか悪い友人と連れ立って歩くようになる。
そこから先は、もう誰もが想像する通り、転落して行くローリングストーンズ~。

~豊島屋油店の段~

与兵衛は、借金の返済で崖っぷちに立たされていた。
明日の朝までに一貫目用意しなければならない。
最後の頼みの綱は、同業豊島屋の女房お吉ただ一人。
しかし、なかなか首を縦に振ってくれない。
やがて…
明かりが消えた深の闇。鼻をつんざく臭いはお吉の血なのか、
流れ出た油か。耳に届く荒い息使い…。
…何も…動かない…。
与兵衛は、血と油と汗だらけの手で、
震えながら戸棚から金を掴み取り、店を後にした…。

最大の見せ場は、油でツルツルの床を滑る場面。
舞台の端から端まで、まるでスケートみたい。
しかも、人形の身体を真横に倒して、足をグイーッッと伸ばし、
人形遣いと共にシャーッと…。摩訶不思議なリアリティ。
歌舞伎の場合は、油に見える液体(寒天とふ糊)を流して滑る。
こちらはスローモーションで美しい。
緩急どちらの世界も堪能しなくちゃ!

~逮夜の段~

お吉の35日の逮夜(忌日の前夜。または葬儀の前夜)
なんと!与兵衛は豊島屋へやってきた。
お悔やみ言ってるよー。鉄面皮な男っ。
逃げ回って追い詰められてボロボロになってる所をホールドアップ!
ってんじゃないのー!?
あんなに油と血だらけのまんま、誰が匿ってくれるっていうの?
親か!?愛し方間違ってるっっ!!
罪は与兵衛にだけあるんじゃない。親も同罪だっっっ!!!

☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。


曾根崎心中

2005年09月13日 | 歌舞伎

1999年4月 歌舞伎座 二代目中村鴈治郎十七回忌追善狂言
2005年9月 歌舞伎チャンネル

曾根崎心中(そねざきしんじゅう) 作:近松門左衛門


手代の徳兵衛は、遊女のお初と恋仲。
徳兵衛がお店のお金を、友人に貸してしまった為に、
二人は心中への道を選ぶ事となる…。

もう鴈治郎演りたい放題とはこの事!!
鴈治郎のお初はホントに快活!
先月の三月大阪松竹座『仮名手本忠臣蔵』のおかるも活発だった。
一力茶屋の場面で梯子から降りる時、
下から数段目の所からポーンと飛び降りたんだよッ。
こんな事、歌舞伎座で玉三郎は演らなかったよねぇ。

このお初も、徳兵衛(鴈治郎の長男・翫雀)と、
外で会った時の嬉しがりようったら、あ~た。
茶目っ気たっぷりに飛び跳ねるし、もうカワイイったらありゃしない!
あんなに尻のでかいポチャッとした女形いないもんね。
健康そうで凄くパワフル!!

心中に行く時も、徳兵衛の手を引っ張って走り去って行くんだよ~!!
唸りましたね~。おもろいキャラやわぁ~。
女が先を行くなんて、歌舞伎界では前代未聞!?

勿論、見せ場である、徳兵衛のほっぺたに自らの足をつけて、
心中を誓うシーンでは、笑いを取りながらも、しんみりさせたよ。

昔の扇雀ブームがどれ程のものか知らないけれど、
今よりずっと若かった現:鴈治郎と、父である二代目鴈治郎のカップルは、
見た目も若くて綺麗だったんだろうなぁ。
S28年の二人の写真が筋書きに載ってましたが、やっぱり綺麗だった。

翫雀の徳兵衛は手掛けて長い(二代目鴈治郎の代役をして以来)わけで、
年相応に演ってるな(って言っても、徳兵衛は20歳でお初は19歳なんだけど)って感じ。
これから歳を重ねると良い味出してくるんだろうね。
でも他の人でも観てみたい。
“他の人”と言えば、翫雀はお初を演ってみたいそうですが
「父が許さないだろう」と言っとりました…。

鴈治郎を観て思った。
私にとっての団十郎の様に、何度も何度も色々な役を観て
初めて好きになれるんだぁ…。

『二代目中村鴈治郎十七回忌追善公演』なのに、客の入りがさっぱりでね…。
新聞のチケットプレゼントで外れたんだけど、
代わりにって「割引ご優待」が来たの。それが、1等席が半額だよ!!半額!!
こんな物が手に入るんなら、事前に3階席購入するんじゃなかったよぉ。
よっぽど売れてないんだなぁって悲しくなったし…。
日曜なのに空いていた…。拍手も今イチなかったし…。
あっても成駒屋により、競演してる播磨屋への方が断然!多かった。

大阪の追善興行の盛り上がりとは比較にもならない、この冷たさ…。
これが地域差というものか…。
大向こうも少なかったし…。何度も言うけど、日曜よ!日曜―ッ。

でも客席では、
「秀太郎ファンになった子が周りにいるよ」なんて喋ってる女性がいたり。
ロビーでは、
母親が「どっちの写真の方が良い?」って、
娘と鴈治郎の生写真(ブロマイド)を選んでたり…。
結局母親は、娘の返事を待たずに「どっちも買っちゃおう。こんなに買っちゃった~」と喜んでおりました。
こんな場面を見れたのが救いかなぁ。

四代目坂田藤十郎襲名披露(2006年1月歌舞伎座)
お初!演ります!見るっきゃないっす!

その時歴史が動いた ~曽根崎心中~

☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。


曽我会稽山 巣林舎

2005年09月12日 | 演劇

2005年9月7日~11日新宿紀伊国屋ホール

曽我会稽山(そがかいけいざん)作:近松門左衛門

解説(パンフより)
近松門左衛門には「世継曽我」(1683)を皮切りに今回上演する「曽我会稽山」(1718)までの間で、11作の浄瑠璃と歌舞伎「大名なぐさみ曽我」(1697)の計12作品の曽我物がある。
1176年。伊東祐泰(祐重ともまたの名河津三郎)は所領争いから一門の工藤祐経に暗殺される。
当時5歳の一万(十郎)3歳の箱王(五郎)の兄弟が、1193年5月28日仇討ちを遂げる。
この史実は1361年からの20年間位に「曽我物語」として成立したらしい。
この兄弟は国民的英雄として以後の文芸に多くの影響を与え、幸若舞曲、能、浄瑠璃、歌舞伎でも沢山の作品が生まれた。
近松活躍期の18世紀に入ると、とくに歌舞伎では曽我物が流行し、江戸では正月、上方では盆に必ず上演されるというほどの人気作品になった。(中略)
誰が何時云い出したか定かではないが「雪女五枚羽子板」(1708)、「国性爺合戦」(1715)と本作を近松の三大傑作という。
それなのに江戸時代は、初演の時と、1812年以外、全段の通し上演は見当たらない。一部分の上演も一回きりである(1818)。明治以降となると皆無。ただし明治26年、福地桜痴作の「十二時会稽曽我」は、近松原作を下敷きにした歌舞伎である。(鳥越文蔵)

開演10分前。
近松研究の第一人者鳥越文蔵氏の解説が始まった。
これがまたイイ感じよ。程よいお湯につかってる感じよ。

「昔は曽我の十郎、五郎と言えば誰でも知っていました」
そのとーり、私は歌舞伎を観だしてから知ったのさぁ。

「普通は、数字の小さい方が兄だから五郎を兄だと思ってしまうんです」
OH!私のことだ。そっか十郎が兄なのか!

「近松の曽我物は書く毎に、どんどん母が強くなるんです」
へぇぇ。一気に期待感が膨らむのだ。ワクワクだっ。

鎌倉時代、富士の裾野。
源頼朝の御狩場に潜入した曽我十郎、五郎の兄弟。
目指すは工藤祐経!
17年に及ぶ敵討ちのラスト24時間が描かれる。

ノンストップの2時間10分。
途中から客席のあちらこちらで溜息が…。
でも大丈夫。北村和夫他ベテラン勢の柱は太く、重厚さが加味されて、
”期間限定・水ういろ”(
餅文総本店)の様に、艶やかで瑞々いものになった。
唸るのは若手の存在感です!
劇場に行けば、必ず束になって渡される様々な公演のチラシ。
下北沢の駅前劇場では約80枚もあった~。要らんっ!
あの中で、ここまで確立された団体がどれ程いるだろうか。
と思ってたら、文学座関連の役者が多数出演とか。侮れぬなぁ“新劇”!
近松の台詞を咀嚼出来ている彼ら(彼女)に乾杯っ!

巣林舎(パンフより)
鳥越文蔵(
ルネッサながと館長)が主催者となり、50余年にわたる近松戯曲の成果を、現代に生かし上演するために連続15年間上演していくことを希望し、目標とします。(略)近松は、人間の内面に生まれる葛藤からの「義理」「人情」「情愛」「裏切り」「背信」そして「心中・死」を描いていきます。
私たちは、そこに近松戯曲の現代との接点を見出すのです。そして、その接点をつなぐものこそが、近松の人形浄瑠璃の言葉の響き、近松語なのです。巣林舎はこの近松語にこだわりつづけていきます。(略)

「原作忠実」「現代語訳」「現代服」という視点で上演してきた巣林舎。
それは、近松を歌舞伎と文楽以外の分野で体感できる楽しい時間。
次回公演もとっても楽しみ。

次回 第4回公演
2006年8月21日~27日 紀伊国屋ホール 演目未定