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六本木・環境派 2006.4.18

2007年08月31日 | 環境派シリーズ(美化キャンペーン)
【更新情報】

本日、環境派シリーズのきっかけとなった「六本木・環境派 2006.4.18」について、閉鎖したホームページから移行し、次のページに再掲載しました。

水元正介アーカイブ 六本木・環境派 2006.4.18
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『戦中派天才老人山田風太郎』を読んでいる

2007年08月30日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◎ 午前6時半、いつものように朝刊を開き、山田風太郎さんの死を知った。2回にわたり、日記帳にとりあげさせていただが、はからずもその日(7月28日)に逝去され、昨日、近親者のみで密葬を行ったそうである。私は今朝から、関川夏央さんの『戦中派天才老人山田風太郎』を読んでいる。

◎ 山田風太郎さんの随筆は、朝日新聞の朝刊に連載されたものだから、「いや、驚いた。禁煙運動をちょっとひっかいてみたら、ゴウゴウたる非難の嵐だ。私としてはあらかじめ、『禁煙運動の理由は重々わかっているので、こちらも声を大にしていうわけではないが、何とやらにも三分の理があって』云々と煙幕を張っておいたのだが、そんな三分の理など耳に入らばこそのけんまくである。(P41~P42)」という事態を招いたのも当然であった。
それでも山田風太郎氏は黙っておらず、「シャーロック・ホームズはいつもパイプをくゆらし、コロンボはいつも安葉巻をくわえ、銭形平次はいつも煙管にたばこを詰めているということだ。それは架空の人物ではないか、といわれるかも知れないが、それだけ『考える人』の象徴的な姿として意味を持っている」と念を押した上で、半分の理由は「習慣だからやめられない。」としても、あと半分の理由を次のように述べている。

------私は愛煙家を鼓吹(こすい)するために、引かれ者の小唄のようなイチャモンをつけたのではない。いまやいろいろと老人病を発しつつある身体に、首吊り足をひっぱるように(その首吊り足は私自身なのだからこの形容はおかしいか?)盛大にたばこをのみ、酒を飲んでいるのは、どこかで長生きしたくない望みがあるせいじゃないかと思われるのである。~~73まで生きて、何を言っておるか!------

◎ 要するに、禁煙論者には「健康でいつまでも長生きしなければならない」とする前提があるから、著者は自らが「長生きしたくない望みがある」と表明することによって、一方的に議論を打ち切ってしまったのである。私は、これも立派な見識だと感心させられたのである。(SUNDAY.29.JULY.2001)
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『あと千回の晩飯』(山田風太郎著、朝日文庫)

2007年08月30日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◎ 昨今の小説家は政治が好きらしい。しかし、政治などには目もくれずに、黙々と身辺のことを書きつづっている人もいる。いま読みかけているのは、『あと千回の晩飯』(山田風太郎著、朝日文庫)である。本書の33ページから35ページにかけて、「たばこと酒はここ50数年切らしたことがない。とにかく歩いていようが、息する代りにたばこをのんでいる。切れ目がないから1日に何本吸うか勘定したことがない。いまアメリカでは、私宅以外はほぼ全面禁煙にあるらしい。日本でも、町ではあまり大きな顔をしてたばこはのめない風潮になっている。」というたばこに関する記述があり、著者は愛煙家として次のような3つの疑問を表明している。

(1)アメリカがそれほど全国的禁煙運動をやるなら、なぜたばこを大々的に輸出するのか。
(2)自分は60年近くたばこをのんでいる。それもただののみかたではない。尻からケムが出るほどのんでいる。にもかかわらずまだ肺がんにならないのはどういうわけか。そういえば故梅原龍三郎画伯や映画の市川昆監督の写真で、たばこをくわえていないものを見たことがない。それなのに梅原画伯は98歳で大往生し、市川監督は80を越えていても大健在ではないか。モノには何事も例外がある、という説明ではあまり科学的ではない。
(3)これだけたばこのみは人類の的のごとく指弾されているというのに、1994年のJTの調査によると、日本人の成年男子の59%は、たばこをのんでいるという事実だ。「(自分だけは)例外」をアテにしているのか、それとも案外長生きしたくない連中が多いのじゃないかという疑問まで涌く。

◎ さらに、「私もたばこ有害説を頭から否定しているのではない。常識的に考えてケムリを吸って肺にいいわけがない。私の書斎は、いわゆる紫煙のヤニのため、壁も天井も机も書架も飴色に染まっている。じかに煙を吸いこむ肺はどんなになっているが知らん。と、首をひねりながら、きょうも私は盛んにモーモーと紫煙を噴きあげている。」と書いている。山田風太郎さんは、事の次第を承知しながら、喫煙という行為を健康という切り口だけで論ずることに対して、いかにも小説家らしい手法で反論したのだ。なお、男性の喫煙者率を2000年の調査でみると、1994年と比べ5.5%減の53.5%である。(SATURDAY.28.JULY.2001)
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王子・環境派 2002年3月

2007年08月29日 | 環境派シリーズ(美化キャンペーン)
※ 今や、王子といえば「ハンカチ」とか、「はにかみ」とか、「ぽっちゃり」になるのだろうが、今回は5年前(2002年)にさかのぼり、JR王子駅周辺のクリーンキャンペーンに参加したときの話である。

◎ 本日(2002年3月24日)、JR王子駅周辺でとりくまれたクリーンキャンペーンに、初めて参加した。簡単に言えばゴミ袋を持ちながら、両手に軍手をはめて燃えるゴミ、燃えないゴミに分別しながら次々と拾っていくのだ。さまざまなゴミを手に取りながら、人間の次のような潜在意識について新鮮な発見があった。

(1)道路にそのままゴミを投げ捨てるタイプの人間は、自分の過去に対しても振り向くことをしないと分析できる。自分がつい先ほどまで、手にしていたものへのあっさりとした無頓着さが、それを物語っている。

(2)通りのつつじの生垣にゴミを捨てる人は、自分の過去に対してうっすらとした恥じらいを感じている。だから、自分の痕跡がついたゴミについても、とりあえず目につかない所へ捨てるのだ。

(3)たばこの吸い殻を排水口へ捨てる人は、自分の痕跡をより徹底して消したがる。灰皿に捨てる人やポケット灰皿を持ち歩く人は、自己管理がうまくできているけれど、排水口へ捨てようとする人はそこまでの努力をしようとしない。正直なところ、私がこのパターンである。

(4)ゴミは地表にばかり落ちているとは限らない。歩道橋の側壁の珊(さん)には、少なからず空き缶がきちんと置いてある。自分が飲み終わった後の空き缶でさえ、姿勢正しくしておきたい潜在意識が働く人。潔癖性の表れである。

(5)駅前のガードレールをよく見たら、支柱と横に伸びる鉄パイプをつなぐジョイント部分の隙間に、使用済みのティッシュペーパー、包み紙に丸められたガム、たばこの吸い殻などが、ぎゅうぎゅう詰めになっていた。こんなことをする人間は、何ごとにおいても執拗である。過去に対する愛着もかなり強く、ゴミとして浮遊するような不安定さを我慢できないのだ。

◎ このように、ゴミ拾いは人の性格を知る上で面白い発見になるし、つつじの生垣の内側に捨ててあったカップラーメンの器と割り箸のなかに、現代の病理につながるような端緒を見たような気がするのだ。コンビニではカップラーメンを売ると同時に、すぐに食べられるようなお湯のサービスをしているが、食べる場所は提供していない(車の中で食べる、コンビニの前の地べたに座って食べる、歩きながら食べる)。

◎ 自由といえば自由なのだろうが、そこまでの自由は行き過ぎなのではないだろうか。食事時間の短縮、具体的には複数の人間で、歓談しながら「食」を楽しむことが少なくなり、空腹を満たせば良いとする風潮は栄養のバランス上でも、ゆゆしき問題である。このように、今日のゴミ拾いというボランティアでは学ぶことが多かった。ぜひ、これからも機会をみつけて参加してみようと思ったのだ。(Fri.24.May.2002)
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『新・ゴーマニズム宣言/台湾編』と『戦中派虫けら日記』

2007年08月29日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◎ 最近、2冊の本(マンガ本含む)がとても気になっている。広島・長崎原爆の日、終戦記念日等ともあいまって、第二次世界大戦とは何だったのだろう、と自分なりに考えているのかも知れない。
その1冊は、小林よしのり氏の『新・ゴーマニズム宣言/台湾編』である。マンガだと思って軽く考えていたら、手書きの細かい注釈を含め、盛りだくさんの内容であり、老眼が進んできた私には手ごわい本だった。
本書に描かれていることは、数年前、自分が訪台する前後に勉強したことや、現地で駐在していた友人に案内していただいたことと重複し、なおかつ小林氏独特の歴史観にも共鳴できる点があった(少なからず「これはちょっと?」と納得できない点もあるけれど)。

◎ もう1冊は、この間、継続して読み込んでいる山田風太郎さんの『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)である。ページをめくっていくごとに、「これほど当時の日本人の意識を、ありのままに記録した本があったとは!」と驚かされている。戦時下の各種の情報が豊富であり、若き山田青年の冷静な記述には恐れ入ったのである。
本書の表紙には、生涯たばこへの執着が人一倍強かった著者らしく、金鵄(きんし)が描かれている。
さらに104ページには、昭和18年1月17日に間接税の増税が発表され(金鵄が10銭から15銭、光が18銭から30銭に大幅値上げ)、著者の落胆を含めて、それを知った人たちの様子を次のように記している。

------煙草買いの行列は久しい社会的大問題であったが、これで一挙に解決された。みな、もう煙草は吸えない、あしたから禁煙だとさけんでいる。------

◎ 皇軍の不敗を信じながら、耐えに耐えている人たちの生活ぶりが克明であり、徐々に敗戦の予兆が見えてくる様子は恐ろしくて残酷でさえある。私は、かねてから父や母の青春を知りたいを思っていた。母はすでに他界し、父は80歳を過ぎて、戦争中のことは黙して語らないけれど、本書を通じて、当時の人たちの気持ちが理解できれば、両親への尊敬がより深まるに違いないと思った。(TUESDAY.7.AUGUST.2001)
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僕はたばこが大好きなのである

2007年08月28日 | ここで一服・水元正介
◎ 僕の育った家は農家であり、米の他に葉たばこを作り、主に米は自給用と農協からの前借返済に当てられ、葉たばこ代金で1年間の衣料品や学用品などを購入していた。僕は葉たばこを当時の専売公社に売る日の前後がとても楽しみだった。収納(葉たばこを売ること)の夜は、父や母はもちろん、近所のほとんどの家でも葉たばこを作っていたので、地域一帯が「誰それの葉っぱは何等級で、わが家はそこそこの成績だった」などと論評しつつ、とても上機嫌であり、決まって収納場近くで売られている今川焼き(当時は「回転焼き」と呼んでいた)を買ってきてくれた。
収納場からわが家までが遠かったこともあり、僕は現在でも今川焼きは熱いものではなく、さめたものが好きである。小さな時に「うまい」と感じた状態のものが、年齢を重ねても懐かしく、美味しいなあと感じるのは当然のことなのだろう。

◎ 物心ついた頃、祖母と父は両切りたばこの「しんせい」を吸っていた。とくに、父は農作業の途中に1本のしんせいを半分にして、その一つをギリギリまで美味しそうに吸い、もう一方を耳にはさんだりしていた。
祖母は20年ほど前の大雪の降った冬に、95歳で他界したけれども、しんせいからフィルター付のハイライト、セブンスター、マイルドセブンへと銘柄を替え、1日に10本ほど吸っていた。たばこを取り出し、火をつけてうまそうに吸い、消し終わるまでの一連の動作がとても上品だった。
94歳のときに体調を崩し、寝込んでしまってからは、どうやらたばこも美味しくなくなったようで、1箱のマイルドセブンがなかなか減らなかった。それから1年後に天寿を全うして他界したのであるが、僕は今でも祖母の墓参りには、たばこに火をつけて、一口吸ってから墓前に置いてくることにしている。

◎ 村上春樹氏の「羊をめぐる冒険」で、ねずみ男が口にしたのはセブンスターでなければいけなかったし、「ねじ巻き鳥クロニクル(第一話)」において、少女が手にするのはショート・ホープが似つかわしいように、年代や体調に応じた祖母の銘柄選択に偽りはなかったように記憶している。
冬の夕方、掘りごたつで祖母がたばこを吸おうとして、マッチをすると、たもとで丸くなっていた赤トラ猫のミーがピクッと反応し、祖母の口元からたばこの煙が立ち上る様子を振り返りつつ、寝床替えをするために移動する。
左手前方を見上げ、母屋の西側に位置する納屋の屋根にスズメたちが飛び着き、裏の竹林に続々と帰ってくるのを確認し、「そろそろ4時だなぁ…」と祖母がつぶやく。僕は祖母の後方の壁に架けてある時計を見ると、きまって4時であり、祖母の時間感覚の正確さに驚いてしまうのであった。(2001 07/01)
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工場見学 2001

2007年08月28日 | たばこをめぐる見聞記
◎ 僕は、2001年2月ひさしぶりに2か所の工場を見学してきた。たばこ工場とプリント配線板製造工場である。
物が造られていくプロセスの中に身を置くと、僕は建物・機械・設備などの重量感に圧倒され、次々と出来上がってくる部品や製品の量に感激してしまう。工場特有の臭いや騒音さえも魅力的に感じる。そこに働く従業員さんたちに対しても、無条件に気後れしてしまうのは、これまでずっと「生産的な労働をしてこなかった」という引け目なのかも知れない。
それにしても、今回の工場見学も僕にいろいろなことを教えてくれた。たとえば、日本独自のたばこである刻(きざみ)たばこについては、その技術を伝承するための企業努力が行われていたことを知った。
極めて限られた需要しかなく、一時的には外国への技術供与による輸入を試みたが、品質水準が確保できなかったこともあり、コスト的にはかなり高くついても、人材の育成・確保を含めた製造体制が維持されていたことには心打たれた。

◎ 多分、刻たばこは一般消費者のみへの対応や、企業利益との関係でいえば廃止すべき製品なのだろうが、とくに歌舞伎には煙管とともに不可欠のツールであり、日本の伝統文化のためにも維持されていく意義は大きいと思った。
そして、刻たばこ専門の従業員さんたちを観察しながら、目新しい技術に挑戦するということではなく、古い機械をメンテナンスしつつ、いい品質の維持に気を砕き、伝統的な製品を造りつづけるという仕事の中に、地味ではあるが溢れるような職人気質を感じたのである。
また、葉巻たばこの技にも驚かされた。技術伝承者は、何年もの間、就業日には決まった本数の葉巻を、造っては捨てることを繰り返すそうである。葉巻技術保持者の女性は、「手の皮膚が覚えるまで」と語っていたが、まさにカンとコツの世界の最たるものなのであろう。

◎  プリント配線板の工場では、ライバル国(台湾・韓国など)の「半歩先、一歩先」を追求し、国内産業の空洞化と日々戦っている現場を見たような気がした。技術の現場に対する危機感については、国政の場や教育のレベルでも盛んに議論されているが、2001年2月9日の朝日夕刊「窓」欄には次のような記事が掲載されていた。

* 4月の開校をめざして建設中の「ものつくり大学」(埼玉県行田市)には、とんだウラがあったようだ。疑惑の解明は当然のことだが、大学設立が産業界待望の「ものつくり日本の復活」にむすびつくのか、も考えてみる必要がある。
20年ほどまえ、機械のエレクトロニクス化が進みつつあり、工場労働者の技能伝承を危ぶむ声は、すでに大きかった。カンとかコツとかいう、数量化できない職人技が失われるというのだ。
最近出版された『もの造りの技能』(小池和男ほか著)を読むと、技能向上の決め手は、何といっても職場でのマンツーマン教育であり、一つの作業を習得すると別の作業に取り組むローテーションだということが分かる。社内外の研修も大切だが、あくまで現場教育の補完だという。もうひとつ教えられたのは、労働組合が技能の形成に積極的にかかわるべきだという提案である。会社のお仕着せでない教育を要求することも、時には必要だからだ。
1年ばかり前大手の電機メーカーのアジア現地工場を訪ねるためタイヤマレーシアを旅した。最も印象深かったのは、労働者の教育・研修を重視し、専任のスタッフが積極的に取り組んでいることだった。
理想を追えるのは、大企業に限られるかもしれない。だが、頂点の「匠」をつくる大学より、工場現場の厚い基盤づくりが先だ。

◎ この記事を僕が読んだのは、ちょうど2つの工場を見学した後であったから、たいへん印象深く、なおかつ深い共感を覚えた。
さらに、私の生業である労働組合の機能については、「技能の形成に積極的にかかわるべきであり、会社のお仕着せでない教育を要求することも、時には必要だ」という記述が新鮮であったし、今後の参考にしていきたいと思った。(2001 07/02)
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浜松町・環境派 2006年3月

2007年08月27日 | 環境派シリーズ(美化キャンペーン)
◎ 今朝(2006年3月8日)、出勤時間前、JR浜松町駅近辺のボランティアに参加してきた。先月の同じ時期にも、同様のボランティアがあったので参加したけれど、前回は「港区たばこルールのキャンペーングッズ」を配布し、今回はゴミ拾いの清掃チームに参加してみたのである。JR線路沿いの生垣の上はもちろん、生垣の内部にまでゴミが捨てられていた。

◎ JR東日本は、灰皿のついでにテロ対策として、ゴミ箱まで撤去してしまったから、喫煙者のマナー意識の向上もあって吸い殻は減っているようだが、一般ゴミの多さに唖然とさせられた。寺山修司さんの名歌  「マッチ擦る つかの間の海に霧ふかし 身を捨つるほどの 祖国はありや」を思い出してしまったが、道端の古くなった吸い殻や綿ぼこり、紙くずなどを集めて咲く雑草を目にし、「どっこい、生きているぞ!」という逞しさを教えられたのである。(2006 03/08)
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「牛」と「たばこ」はどちらが危険なのか?

2007年08月27日 | たばこ弁護の諸説紹介
 私は最近(2001年)の狂牛病騒動を見ながら、人が口にするものに対する感覚について考えてみた。まず、狂牛病の歴史について、Massie Ikedaこと池田正行(いけだまさゆき)さんが作成した「狂牛病に関する簡単な年表」にもとづき、正しい認識をしておきたい。

約200年前  :スクレイピー(狂牛病に似た脳の病気)の発見
1920      :クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)の発見
1970年代   :英国で牛の餌に羊の内臓、骨を使い始めた
1980年初め : 海綿状脳症の原因がプリオンではないかと提唱された
1986      :BSE(狂牛病=牛海綿状脳症)の初めての報告
1988.7    : 牛の内臓を牛の飼料にすることを禁止
1989.11 : 特定の牛の内臓を人間の食物の材料に使うことを禁止
1990     :英国政府はBSEの人への感染の可能性を真っ向から否定
1994     :BSEの発生数が月2000頭、それ以後減少
1996.3  :英国政府はBSEが人間にうつる可能性をはじめて認めた
          この時のnvCJD患者数は10人
1997.9   :nvCJDはBSEが人間に感染した結果と判明
1998.9   :nvCJDの患者数が27人となった
2000.10  :BSEスキャンダルの最終報告書がまとまった
2000.11  :vCJDによる死亡者数77人にのぼる
2001.8   :vCJDによる死亡者数99人にのぼる

今日(2001年9月19日)の朝日新聞によれば、狂牛病に感染した疑いのある牛が千葉県内で見つかった問題で、厚生労働省は生後30か月を超す全頭(約100万頭)を対象に、EU並みの検査を実施することになったそうである(従来は、月齢24か月以上の神経症状がある牛だけを帯広畜産大学で検査していた)。
1頭あたりの検査には、キット代約2000~3000円、総額で約30億円かかり、「早急に検査体制をとらないと、消費者の理解は得られないと判断した」と厚生労働省幹部が述べている。検査については、食肉処理場に隣接する全国117か所で行えるようにするそうだが、当然の話である。今まで、手を抜きすぎていたのだろうし、今回もまた公表が遅れ、しかも政府として誤った報道をしたことは、まったく「懲りない面々」なのだ。

 私は、高校生時代に約40頭の牛を肥育していた家で暮らしていた。家畜商から4頭の子牛を預かり、朝晩にエサを与えるアルバイトもしたことがある。牛肉は、ほとんど口にしたことがなく、年に何回か鳥肉や豚肉にありつければ幸せな気分だった。
日常的な動物性タンパク質と言えば、魚や魚の練り物(さつま揚げ、魚肉ソーセージ)が主な食材だった。48歳の今でも、牛肉はあまり美味しいと思えない。たばことの関わりは、小規模の葉たばこ農家でもあったので、現金収入を得るための大切な作物であった。自分でたばこを吸い始めたのは19歳からであり、これは一生辞めるつもりはない。もちろん、風邪をひいたりすれば、吸ってもうまくないから一時的に吸わないことがある。
思い返せば、私にとって「牛」も「たばこ」も生活の糧だったのであり、生産者とか耕作者側の人間として育ったのである。

というわけで、表題の「牛」と「たばこ」はどちらが危険なのかについて、私はそのような設問事態が無意味だと思うけれど、「目に見えない恐怖」や「牛が育つ現場を抜きにした食べ物としての牛肉」の方が、かなり気味が悪いと思うのだ。(2001/09/19)
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教育の場では、食べ物が出来るプロセスをきちんと教えるべきだ!

2007年08月26日 | たばこ弁護の諸説紹介
◎ 多分、今の小・中学生に「どのようにして牛肉は食卓まで届くのか」について、現場見学を含めた教育をほどこせば、半分以上の子どもたちが牛肉を拒否することだろう。さらに、地球環境問題や食糧問題の観点から、ヤギや羊に比べて、牛肉がいかに不効率的な食べ物なのかを論じたら、ことの重大さはまさしく世界全体のテーマになるはずだ。
それとは逆に、食肉が食卓に届くまでのプロセスを教えず、目に見えるもの、とりわけ喫煙と健康問題については、大々的に公教育のカリキュラムへ組み入れているのが、何やら胡散臭い気がするのである。先進国を中心に、飢餓に苦しむ人たちが十分に生存できるだけの穀物や魚類を牛に与え、先進国の人たちに安く食べてもらうために、牛たちはひたすら食べ続け、自らを商品化していくのだ。

◎ なぜ、玉子丼よりも牛丼の方が安くなってしまったのか。その背景には、怖い話がたくさん横たわっているに違いない。牛に限らず、鳥、羊なども若いものが喜ばれ、獣肉特有の臭いは消去されてから、脂肪たっぷりの食肉として、毎日毎日、大量に消費されているのだ。
投資効果の最大化は、酪農や肥育農家の経営でも強く求められ、草をたっぷりと食べ、牧場でのんびりと反芻して乳を出したり、一定期間を要する中で肥育牛として育ったりすることが、容易に許されないシステムになっている。
大規模経営でなければ成り立たず、当然のごとく病気などのリスクやロスも発生し、損害を回収するためのシステムも確立していた。それは、いわゆる死体や骨の売買ルートであり、世界的な骨粉飼料の市場も形成されていたのである。

◎ 私はベジタリアンではないけれど、肉はそんなに毎日食べたいとは思わないし、とくに牛肉は脂肪が強すぎるので、余り好きではない。少年時代の鳥肉は旨かった。祖父が鉄砲で討ち取った山鳥、コジケイ、家で飼っていたチャボなどは、鍋の表面で黄色い油が丸く立っていたし、獣の臭いがしたものだ。
ところで、柔らかい肉が美味しいとされるけれど、私はそれも気に入らない。骨近辺の鳥の肉は、すんなり骨と離れるものではなく、肉片の一つひとつの味も濃厚であったような記憶がある。今の鳥肉は、腑抜け、味なし、臭いなしという感じはするけれど、牛肉よりは好んで食べる。

◎ 話が冗長になってきたようだから、いきなり結論づけたい。要するに、「少年・少女たちよ、きみたちがたばこを吸うか吸わないかは、本人の選択である。さらに、教師たちがデータを示し、いかに受動喫煙がよくないのかを教えてくれるけれど、もっと大切な毎日口にしている食べ物について、無防備にしているきみたちよ、そこをまずは疑ってみるべきではないのか」と言いたかったのである。

※ 2001年9月24日に書いたものを2007年8月23日に加筆修正した。
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