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モノレールはグイグイと走る!

2015年05月31日 | O60→70(オーバー70歳)
▼5月20日のお昼休みは、芝浦運河のランチポートでご飯を食べました。肌を撫でていく風が、とても心地よくて身も心もリラックスできました。
▼帰路の遊歩道から見上げる羽田空港行きのモノレールは、今日もたくさんの乗客を力強く運んでいました。颯爽と、グイグイと。
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『知的生活習慣』その7(最終回)

2015年05月30日 | O60→70(オーバー70歳)

▼外山滋比古さんの『知的生活習慣』の7回目は、いよいよ最終回です▼文学青年気取りへの痛烈なご指摘は、まるで私自身が言われているような気がしました▼テキストから抜き書きして、ちょこちょことコメントを書き加え、わかったような気持ちになり、内心では満足感を噛み締めている、みたいなことを実際にしていました▼もう一つの手紙やはがきをたくさん書くことについては、「筆まめ」さんとして、これからも続けていこうと思いました。

【201ページ】
文学青年は眼高手低である。自分ではできもしないで、他人の仕事にケチをつけるのを得意としそれを批評だと思い込む。判断力が欠けている上に、反省することを知らないから、ハタ迷惑である。一般企業で、そういうのがまぎれこんだらことだから、用心深く排除される。学校では失敗の余地がかいから、文学青年にとってもっとも居心地がよい。
のんびりしていれば、才能もどんどん枯れていく。テクストを読んでなにかしらのコメントを加える、といった授業を何十年も続けて枯木そのものになる。
【211ページ】
私は、目を悪くして、字を書くのが不自由になったら、もっぱら郵便を待つようになり、手紙はがきを書くのはよくよくのことである。かつては、むやみに書いた。自分では気がつかなかったが、はがきだけでも年に800枚くらい書いていたらしい。この地区の本局、はがきを良く出して感心だと言って、一日局長のようなものにしてくれて、あとでご馳走になったこともある。200枚包みのはがきを度々買うので目立ったらしい。
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『知的生活習慣』その6(安倍首相の祖父)

2015年05月29日 | O60→70(オーバー70歳)
私の定年退職後の1年間は、カミさんにいわせると「明らかに飛ばし過ぎ」らしく、昨年末にドッと疲れが出て、「なるほど、あれもけれも欲張りし過ぎた」ことを痛感させられました。本書を読みながら、岸信介元首相の老人三訓を目にし、これまでも「転ぶな」「風邪ひくな」については日頃から心がけきましたが、三つ目の「義理を欠け」は思いもかけませんでした。義理人情を第一に、それが人の生きる道と信じて疑わなかったので、新鮮かつ「目からウロコ」でした。

▼160~161ページ
岸信介元首相の老人三訓(というかどうか知らないが)を伝え聞いて、感心した。ノンポリ人間だから、政治家には感心がない。----この名言には、ひそかに感じ入った。
その岸さんの三訓、
転ぶな
風邪ひくな
義理を欠け
これを聞いて、はっきり人間的にえらい人だと思うようになった。ただ頭がいいだけでは、こういうことは言えない。その直前に、石橋湛山が、義理で出席した祝賀会で風邪をひいて、こじらせ、重篤な病気になり、せっかくなったばかりの首相の座を降りなければならなかった、ということがあった。それが下敷になっているのであろうが、こういう風にズバリ言い切るのは、やはりただの人物ではない。
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『知的生活習慣』その5(聴き上手)

2015年05月28日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
外山滋比古さん『知的生活習慣』の第5回目は、聴き上手になることの大切さを説き、もう一つはタバコをきっかけとしたホームレスとの微笑ましい会話です。

▼146ページ
講師とテーブルをかこんで話を聴く。あと質問や感想をのべる。こういうことをくりかえせば、すばらしい聴き手・リスナーが育つだろう。優秀なリスナーはすぐれたスピーカーになることができる。そして、おたがいの聡明さを高める。総は耳の賢さで、目の賢さ明よりも上位にあることを考えるようになれば、日本はことだまのさきわう国の名に恥じなくなるだろう。

▼151~152ページ
ラジオ体操も春が旬である。五体から元気がふき出るようである。今朝も、体操を終わってベンチに腰をおろしていると、原っぱの向こうから、知り合いのホームレス君がやってくる。このラジオ体操会の番外、名物男で、私も年代の顔なじみである。ユビ一本立てて近づいてくる。なんだろうと言っていると、
「タバコ1本ありませんか」
と言って、タバコを吸う仕草をした。なんとなくかわいい。
「ボク吸わないから----でも、タバコ代をあげよう」
と言ってあり合わせの小銭を渡す。
「ありがとうございます、大 先生」
と最敬礼した。
“先生”は余計だが、悪い気はしない。
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『十二番目の天使』を読みました!

2015年05月27日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
転居するとき、大半の本を処分してきましたが、なぜか『十二番目の天使』オグ・マンディーノ著(求龍堂)は残っていました。子どもが高校生の頃に読んだらしい本です。何の気なしに手にとって読み出したら、リトルリーグの物語でした。たばこの話題は、子どもが生まれたときの喜びを描いた28ページの一か所だけでした。また、120~121ページには、物語で何度も登場するキーワードです。単純ですが、今の私にとっても必要な言葉だと思いました。

【28ページ】
ジョンが生まれたときに彼の父親がどんなに喜んでいたかを、私は今でも鮮明に覚えております。あまりにも喜んでいたために、私と銀行の前で会うや、吸っていた葉巻を、私のシャツのポケットの中でもみ消してしまったほどでした!

【120~122ページ】
「毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどん良くなっている!」
「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、あきらめるな!」
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そこまでしなくてもいいんじゃないの!

2015年05月26日 | 環境派シリーズ(美化キャンペーン)
▼5月15日の土曜日午後3時ごろのことです▼禁煙マークの腕章をつけた5人の監視員さんたちが、ハマ♡マナステーションの周辺で「ここ以外で吸ったら罰金2000円を取りますよ」という雰囲気で立っていました▼一定の時間帯を決めて、このような見張りをしているようです▼高島屋で買い物を済ませ、午後4時半頃、もう一度来てみたら、元の木阿弥でした▼喫煙所以外で、たくさんの人が一服していました。
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『知的生活習慣』その4

2015年05月25日 | O60→70(オーバー70歳)
第4回目は、「散歩」と「腹式呼吸」に関する記述の抜き書きです。

【119~120ページ】
40をこすころまで、本さえ読んでいればいいと考えていた。知識があれば何でもできる。本を読まないと、知識が身につかない。そう思ったから、悪い目を使って、寝ながら本を読み、ますます目を悪くした。寝て横組の本を読むのがもっともいけないことを知るようになったが、枕上の読書をやめなかった。
やがて、知識はひとのこしらえてもの、それを使うのは、人から借金してものを買うみたいだと思うようになった。そして散歩を始めた。歩きながらでは本が読めない。妄想をたくましくしていい気になっていたが、そのうち考えることなら歩きながらでもできる。----
机の上ではまとまらなかったことが、近所をひとまわり、ふたまわりしてくると、スラスラと解決することがあって、散歩の信者になったのである。散歩中の思いつきをメモにとる習慣がついた。その後、散歩より、朝、目覚めたあと30分か小1時間、天井をにらんでいるほうが、思考にとって生産的であることを気がつく。

【134ページ】
腹式呼吸で声を出さないと大声は出ないし、声の通りもわるい。はなれていると聞こえないのである。多くの先生が胸式呼吸をしている。腹式にすべきだが、胸式呼吸を腹式にかえるのは、ちょっとしたコツがいる。放っておくといつまでもノド先だけでの声しか出せない。大声を出していれば、腹式になることが多い。昔、声の仕事をする芸人が、屋根にのぼって、寒風に向かって大声を出してきたと言われたものだが、そういう修業をした人はもちろん腹式呼吸、腹式発声になっていたはずで、マイクのない時代、観客によく通る声を出すには腹式しかない。一般の人間はそんなことも知らず、一生を終える。学校の先生も知らないで働き出して、思いがけない病気に見舞われた、というわけである。
その代わり、発声を運動の一種と考えると、声を出すのはたいへん健康によいということがわかる。
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『知的生活習慣』その3 生活を編集すること

2015年05月24日 | O60→70(オーバー70歳)
▼若い頃、私は友人たちと「3号雑誌にだけにはならないぞ!」と誓い合い、同人誌を発行しました▼お互い社会人ということもあり、続けていくのは大変でしたが、なんとか5号まで発行できました。今回の抜き書きは、編集について書かれています▼とくに「生活を編集する」という考え方は、とてもわかりやすく、今から心がけても遅くないと思いました。

【85~86ページ】
いちばんひどいのは、選挙のときの候補者の政見発表の広報である。吹き出してくなるような、あるいは目をおおいたくなるようなものが、かならずといっていいほど混じっている。本人の書いたもの、文章を一字一句変えず、そのまま印刷するから、つまり、編集がまったく許されないために、ああいうことになる。
編集が大切であると考える。編集が好きだからだろう。
あるとき、われわれの日常の生活も、形のない雑誌のようなものではないかと考えた。ぼんやり、なんとなくすごす一日は、編集のない同人雑誌のようなものではないか。そういう生活がおもしろかったり、世のためになったりするはずがない。われわれは、すべからく、生活を編集すべきである。そう考えたのである。
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『知的生活習慣』外山滋比古著----その2〈英訳付〉

2015年05月23日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
『知的生活習慣』その2です。46ページには、タバコの効用が具体的に書かれています。また、83ページでは個人的にとても懐かしい文京区の伝通院が出てきたのて、抜き書きさせていただきました。

【46ページ】
会議なども、少し長くなると、休憩、コーヒー・ブレイクをとる。お茶をすすると、頭の中にたまったおもしろくないモヤモヤがウソのように消えて、お互いに気分一新、いい考えが生まれやすくなる。職人なども、“一服”と言って、小休をとる。それによって、気分を新たにし、意欲が高まる。生活の知恵である。それを考えずに、ぶっ続けで仕事をすると過労になりおもしろくないことがおこる。このごろは健康上の理由で喫煙が目のかたきにされているけれども、一本のタバコで、頭がすっきり、あるいは元気が出る、やるぞといった意欲のわくことがあるのを否定することはできない。タバコも酒も、善玉忘却を促進する効果がある。

【83ページ】
(福原麟太郎)先生は寂しかったのか訪ねていくと、たいへん喜ばれた。つぎつぎ話されることがひどく面白い。主客とも、時を忘れる。何度となく伺ってて、いつとはなしに、編集というものを教えておられたようである。ありがたかったと思う。今も、お墓まいりをする。うちから歩いて30分くらいの伝通院(文京区)に眠っておられる。

In page 46, the benefits of smoking are described in detail. In page 83, there is a reference to Dentsuin Temple in Bunkyo Ward, which I personally miss.

[Page 46]
When meetings get a little long, we take a break and have a coffee break. After sipping a cup of tea, all the uninteresting fuzziness in the head disappears as if by magic, and both sides feel refreshed, making it easier to come up with new and better ideas. Craftspeople also take a short break for "ichifuku," or a short tea break. This renews their spirits and increases their motivation. This is the wisdom of life. If you work too hard without thinking about it, you will be overworked and things will become uninteresting. Smoking is nowadays regarded as a health hazard, but there is no denying that a single cigarette can clear one's head, invigorate one's spirit, and motivate one to get things done. Both cigarettes and alcohol have the effect of promoting good forgetfulness.

[page 83]
(Fukuhara Rintaro) When I visited him, he was very happy to see me. What he talked about one after another was extremely interesting. Both the guests and the host forgot about the time. I visited him many times, and it seemed that he taught me editing without a moment's pause. I am grateful for that. Even now, I visit his grave. He is laid to rest in Dentsu-in (Bunkyo-ku), about a 30-minute walk from our house.





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『知的生活習慣』外山滋比古著----その1

2015年05月22日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
▼私はたまに、BS放送の「久米書店」を見ることがあります。先日は『知的生活習慣』外山滋比古著(ちくま新書)について、著者を招き楽しい歓談が繰り広げられました。
▼常日頃、自分がやってきたこととも重なり、91歳の外山さんから今後の生き方について、数多くのヒントをいただきました。
▼話を聞いただけではもったいないので、本を購入し食い入るように読み終えました。たばこに関する記載もいくつかあり、私が感銘を受けた文章と合わせ抜き書きしました。

【19ページ】
何十年も日記をつけていると、おいそれと止められない。病気などで記入できない日があると、あとで思い出し思い出しして、穴をふさぐ。そうしないと気持ちがわるい。“継続は力なり”というが、続けていた習慣をやめるのは容易ではないのは、断酒、禁煙の難しさと変わるところがない。

【29ページ】
年をとった先輩を見ると、なんとなく疲れている。バイタリティーに欠ける。進歩をとめてしまって、つまらぬ人事などにウツツをぬかしたりしかねない。かつては気鋭の研究者、学者と言われたような人が、凡々というよりむしろつまらない人間になっている。それを見て、自分は、スタートこそよくなかったが、あんなふうにはなりたくない、ということを時々考えたものの、どうしたらいいかまでははっきり考えることはなかった。そんなころ、菊池寛が、生活第一、芸術第二、と言っているのを知ってちょっとした衝撃を受ける。それまで、なんとなく、学問、仕事をを第一と考えていた。生活第二にすら考えなかった。学問一筋があるべき姿で、それに徹し切れないのはわかっていても、それを建前とした。生活など考えるのは俗だと考えていたのである。
菊池寛をいつしか尊敬するようになった。
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