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王子・環境派 2002年3月

2007年08月29日 | 環境派シリーズ(美化キャンペーン)
※ 今や、王子といえば「ハンカチ」とか、「はにかみ」とか、「ぽっちゃり」になるのだろうが、今回は5年前(2002年)にさかのぼり、JR王子駅周辺のクリーンキャンペーンに参加したときの話である。

◎ 本日(2002年3月24日)、JR王子駅周辺でとりくまれたクリーンキャンペーンに、初めて参加した。簡単に言えばゴミ袋を持ちながら、両手に軍手をはめて燃えるゴミ、燃えないゴミに分別しながら次々と拾っていくのだ。さまざまなゴミを手に取りながら、人間の次のような潜在意識について新鮮な発見があった。

(1)道路にそのままゴミを投げ捨てるタイプの人間は、自分の過去に対しても振り向くことをしないと分析できる。自分がつい先ほどまで、手にしていたものへのあっさりとした無頓着さが、それを物語っている。

(2)通りのつつじの生垣にゴミを捨てる人は、自分の過去に対してうっすらとした恥じらいを感じている。だから、自分の痕跡がついたゴミについても、とりあえず目につかない所へ捨てるのだ。

(3)たばこの吸い殻を排水口へ捨てる人は、自分の痕跡をより徹底して消したがる。灰皿に捨てる人やポケット灰皿を持ち歩く人は、自己管理がうまくできているけれど、排水口へ捨てようとする人はそこまでの努力をしようとしない。正直なところ、私がこのパターンである。

(4)ゴミは地表にばかり落ちているとは限らない。歩道橋の側壁の珊(さん)には、少なからず空き缶がきちんと置いてある。自分が飲み終わった後の空き缶でさえ、姿勢正しくしておきたい潜在意識が働く人。潔癖性の表れである。

(5)駅前のガードレールをよく見たら、支柱と横に伸びる鉄パイプをつなぐジョイント部分の隙間に、使用済みのティッシュペーパー、包み紙に丸められたガム、たばこの吸い殻などが、ぎゅうぎゅう詰めになっていた。こんなことをする人間は、何ごとにおいても執拗である。過去に対する愛着もかなり強く、ゴミとして浮遊するような不安定さを我慢できないのだ。

◎ このように、ゴミ拾いは人の性格を知る上で面白い発見になるし、つつじの生垣の内側に捨ててあったカップラーメンの器と割り箸のなかに、現代の病理につながるような端緒を見たような気がするのだ。コンビニではカップラーメンを売ると同時に、すぐに食べられるようなお湯のサービスをしているが、食べる場所は提供していない(車の中で食べる、コンビニの前の地べたに座って食べる、歩きながら食べる)。

◎ 自由といえば自由なのだろうが、そこまでの自由は行き過ぎなのではないだろうか。食事時間の短縮、具体的には複数の人間で、歓談しながら「食」を楽しむことが少なくなり、空腹を満たせば良いとする風潮は栄養のバランス上でも、ゆゆしき問題である。このように、今日のゴミ拾いというボランティアでは学ぶことが多かった。ぜひ、これからも機会をみつけて参加してみようと思ったのだ。(Fri.24.May.2002)
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『新・ゴーマニズム宣言/台湾編』と『戦中派虫けら日記』

2007年08月29日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◎ 最近、2冊の本(マンガ本含む)がとても気になっている。広島・長崎原爆の日、終戦記念日等ともあいまって、第二次世界大戦とは何だったのだろう、と自分なりに考えているのかも知れない。
その1冊は、小林よしのり氏の『新・ゴーマニズム宣言/台湾編』である。マンガだと思って軽く考えていたら、手書きの細かい注釈を含め、盛りだくさんの内容であり、老眼が進んできた私には手ごわい本だった。
本書に描かれていることは、数年前、自分が訪台する前後に勉強したことや、現地で駐在していた友人に案内していただいたことと重複し、なおかつ小林氏独特の歴史観にも共鳴できる点があった(少なからず「これはちょっと?」と納得できない点もあるけれど)。

◎ もう1冊は、この間、継続して読み込んでいる山田風太郎さんの『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)である。ページをめくっていくごとに、「これほど当時の日本人の意識を、ありのままに記録した本があったとは!」と驚かされている。戦時下の各種の情報が豊富であり、若き山田青年の冷静な記述には恐れ入ったのである。
本書の表紙には、生涯たばこへの執着が人一倍強かった著者らしく、金鵄(きんし)が描かれている。
さらに104ページには、昭和18年1月17日に間接税の増税が発表され(金鵄が10銭から15銭、光が18銭から30銭に大幅値上げ)、著者の落胆を含めて、それを知った人たちの様子を次のように記している。

------煙草買いの行列は久しい社会的大問題であったが、これで一挙に解決された。みな、もう煙草は吸えない、あしたから禁煙だとさけんでいる。------

◎ 皇軍の不敗を信じながら、耐えに耐えている人たちの生活ぶりが克明であり、徐々に敗戦の予兆が見えてくる様子は恐ろしくて残酷でさえある。私は、かねてから父や母の青春を知りたいを思っていた。母はすでに他界し、父は80歳を過ぎて、戦争中のことは黙して語らないけれど、本書を通じて、当時の人たちの気持ちが理解できれば、両親への尊敬がより深まるに違いないと思った。(TUESDAY.7.AUGUST.2001)
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