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新宿歌舞伎町の遠い記憶(2001年)

2007年08月14日 | たばこをめぐる見聞記
● ちょうど30年ほど前に、私は新宿歌舞伎町の立ち食いそば屋でアルバイトをしていたことがあり、焼きそばを大量につくることや卵を片手で割ることを覚えた。土曜日の深夜、自分の前に「長いトンネルのように続く巨大な胃袋があるのではないか!」と錯覚するほど、人の流れが絶えなかった。
その後、社会人になってからも、歌舞伎町は友人たちと語りあかした場所であり、コマ劇近くの「ワールドワイド」というショットバーや台湾料理の「九龍」あたりで飲んでいた。
そして、1988年10月のことである。久しぶりの新宿、私は「ジャンク・フード(簡易な食物)の店が増えたなあ。人通りは少し減ったようで、やっぱり渋谷方面に押されているのだろう」という印象を持った。

● 私は現場を知るために、歌舞伎町のたばこ販売店にお邪魔し話を伺ってみた。郊外の販売店とは違い、その多くは商談受注の場所がせまく、階段下の事務室、床がすべる調理場の片隅、旅館のシーツ部屋など、大都会地の営業員さんの仕事は「路地裏の御用聞き」的な現実がある。
たばこを取り扱っている店の中には、コンビニ、文房具店、料理屋さんなどもあったが、ここではとくに記憶に残ったものだけを紹介しておきたい。
まずは、真新しい服装学園の真向いにあるホテル「G」である。若い女の子たちの通る路地を、営業員さんと私の男2人でホテルの勝手口から入っていた。20歳代後半の営業員さんも、はじめは「連れ込みホテル」的なこの場所に入ることが、ひどくなじまないものを感じたそうである。

● 案内されたところは、シーツとか浴衣を置く棚があり、テーブルが一つ、その脇では女子従業員さんがシーツにアイロンをかけていた。それを見ていた私は、とても想像力が増してしまい、艶めかしいものを感じたし、おまけに部屋の使用状況を示す電光掲示板は満室であった。「こんな昼間から、お盛んなことで。」と思ったのも仕方がない。
実は、私の兄が大学受験に失敗し、急遽、新聞広告で就職した先は横浜のモーテルであったのだが、各部屋のシーツ集めをやらされ、2週間もしないうちに会社を辞めて福島に帰ってきた。その気持ちが痛いほどわかったような気がした。

● シーツ部屋とはいっても仕切りはなく、受付に直結していて、マネージャーが背もたれ椅子にどっしりと腰掛け、近ごろの景気とか、たばこ商売の基本とかを含めて、世間話しをしてくれた。
副業としてのたばこ商売とはいっても、甘く見ると現金決済だけに、ひどい目にあうという実例も聞かされた。売ることと同時に、仕入とか在庫管理が大切にされる大きな理由もそこにあるようだ。
そのうち、気をきかせた従業員さんがインスタントコーヒーをご馳走してくれた。砂糖をスプーン1杯、2杯と入れるところを横目に、私は「ブラックで」とお願いしようと思ったが、とても言えるものではなかった。実に甘かったなあ、あのコーヒーは。
ホテルを出たら、10月20日は「えびす様」らしく、神社からおはやしが聞こえてきた。最近の「えびす様」は、地元の人が少なくなって、お祭りごともすたれてきたらしく、大都市における人の流れの激しさを改めて知らされたような気がした。(2001 07/11)
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