◎ 多分、今の小・中学生に「どのようにして牛肉は食卓まで届くのか」について、現場見学を含めた教育をほどこせば、半分以上の子どもたちが牛肉を拒否することだろう。さらに、地球環境問題や食糧問題の観点から、ヤギや羊に比べて、牛肉がいかに不効率的な食べ物なのかを論じたら、ことの重大さはまさしく世界全体のテーマになるはずだ。
それとは逆に、食肉が食卓に届くまでのプロセスを教えず、目に見えるもの、とりわけ喫煙と健康問題については、大々的に公教育のカリキュラムへ組み入れているのが、何やら胡散臭い気がするのである。先進国を中心に、飢餓に苦しむ人たちが十分に生存できるだけの穀物や魚類を牛に与え、先進国の人たちに安く食べてもらうために、牛たちはひたすら食べ続け、自らを商品化していくのだ。
◎ なぜ、玉子丼よりも牛丼の方が安くなってしまったのか。その背景には、怖い話がたくさん横たわっているに違いない。牛に限らず、鳥、羊なども若いものが喜ばれ、獣肉特有の臭いは消去されてから、脂肪たっぷりの食肉として、毎日毎日、大量に消費されているのだ。
投資効果の最大化は、酪農や肥育農家の経営でも強く求められ、草をたっぷりと食べ、牧場でのんびりと反芻して乳を出したり、一定期間を要する中で肥育牛として育ったりすることが、容易に許されないシステムになっている。
大規模経営でなければ成り立たず、当然のごとく病気などのリスクやロスも発生し、損害を回収するためのシステムも確立していた。それは、いわゆる死体や骨の売買ルートであり、世界的な骨粉飼料の市場も形成されていたのである。
◎ 私はベジタリアンではないけれど、肉はそんなに毎日食べたいとは思わないし、とくに牛肉は脂肪が強すぎるので、余り好きではない。少年時代の鳥肉は旨かった。祖父が鉄砲で討ち取った山鳥、コジケイ、家で飼っていたチャボなどは、鍋の表面で黄色い油が丸く立っていたし、獣の臭いがしたものだ。
ところで、柔らかい肉が美味しいとされるけれど、私はそれも気に入らない。骨近辺の鳥の肉は、すんなり骨と離れるものではなく、肉片の一つひとつの味も濃厚であったような記憶がある。今の鳥肉は、腑抜け、味なし、臭いなしという感じはするけれど、牛肉よりは好んで食べる。
◎ 話が冗長になってきたようだから、いきなり結論づけたい。要するに、「少年・少女たちよ、きみたちがたばこを吸うか吸わないかは、本人の選択である。さらに、教師たちがデータを示し、いかに受動喫煙がよくないのかを教えてくれるけれど、もっと大切な毎日口にしている食べ物について、無防備にしているきみたちよ、そこをまずは疑ってみるべきではないのか」と言いたかったのである。
※ 2001年9月24日に書いたものを2007年8月23日に加筆修正した。
それとは逆に、食肉が食卓に届くまでのプロセスを教えず、目に見えるもの、とりわけ喫煙と健康問題については、大々的に公教育のカリキュラムへ組み入れているのが、何やら胡散臭い気がするのである。先進国を中心に、飢餓に苦しむ人たちが十分に生存できるだけの穀物や魚類を牛に与え、先進国の人たちに安く食べてもらうために、牛たちはひたすら食べ続け、自らを商品化していくのだ。
◎ なぜ、玉子丼よりも牛丼の方が安くなってしまったのか。その背景には、怖い話がたくさん横たわっているに違いない。牛に限らず、鳥、羊なども若いものが喜ばれ、獣肉特有の臭いは消去されてから、脂肪たっぷりの食肉として、毎日毎日、大量に消費されているのだ。
投資効果の最大化は、酪農や肥育農家の経営でも強く求められ、草をたっぷりと食べ、牧場でのんびりと反芻して乳を出したり、一定期間を要する中で肥育牛として育ったりすることが、容易に許されないシステムになっている。
大規模経営でなければ成り立たず、当然のごとく病気などのリスクやロスも発生し、損害を回収するためのシステムも確立していた。それは、いわゆる死体や骨の売買ルートであり、世界的な骨粉飼料の市場も形成されていたのである。
◎ 私はベジタリアンではないけれど、肉はそんなに毎日食べたいとは思わないし、とくに牛肉は脂肪が強すぎるので、余り好きではない。少年時代の鳥肉は旨かった。祖父が鉄砲で討ち取った山鳥、コジケイ、家で飼っていたチャボなどは、鍋の表面で黄色い油が丸く立っていたし、獣の臭いがしたものだ。
ところで、柔らかい肉が美味しいとされるけれど、私はそれも気に入らない。骨近辺の鳥の肉は、すんなり骨と離れるものではなく、肉片の一つひとつの味も濃厚であったような記憶がある。今の鳥肉は、腑抜け、味なし、臭いなしという感じはするけれど、牛肉よりは好んで食べる。
◎ 話が冗長になってきたようだから、いきなり結論づけたい。要するに、「少年・少女たちよ、きみたちがたばこを吸うか吸わないかは、本人の選択である。さらに、教師たちがデータを示し、いかに受動喫煙がよくないのかを教えてくれるけれど、もっと大切な毎日口にしている食べ物について、無防備にしているきみたちよ、そこをまずは疑ってみるべきではないのか」と言いたかったのである。
※ 2001年9月24日に書いたものを2007年8月23日に加筆修正した。