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『子どもが子どもだったころ』(毛利子来・橋本治共著)について

2007年08月26日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◎ 集英社文庫『子どもが子どもだったころ』の23ページに、たばこに関して胸をうつ描写があったので紹介しておきたい。たばこが備えている「区切りをつける」機能や「合図」を意味する記号の役割について、ほのぼのとした日常的なシーンなのであるが、その後に母と父を相次いで喪うことになる。だから、かえってこのシーンが本書を出版した当時、69歳であった著者の心の中に強く残り続けているのだろう。

---- 八畳ほどの畳の部屋。母、父、姉、ぼくと、川の字になって寝るのが習慣だった。病気の母は物音をたてない。もう女学生の姉も静かだ。父は、寝付く前に、腹這いになってタバコをやる。ぼくは、いつも、 豆電灯に薄暗い天井を見つめて、父の様子をうかがっている。
タバコが灰皿にもみ消され、ドシンと寝返りをうつ音がする。もうすぐだ!
ぼくは、掛け布団をまくって、起きあがる準備をする。ややあって、「ぼう、こい」。声がかかる。いまやおそしと、ぼくは跳ね起き、姉をまたいで、父の布団にもぐり込む。父は、ぼくの頭の下に右腕を入れて、枕にしてくれる。左腕で、枕頭のスタンドを灯し、新聞か雑誌を読み始める。
ぼくは、布団の中で、父にへばりつき、匂いを嗅ぐ。寝巻きをはだけ、お腹をなする。父のお腹は丸い。布袋さんみたいに、でっぷりと肥っている。撫で回すと、とても気持ちがいい。父は、されるままでいてくれる。ぼくは、安心して、まどろむ。

◎ 私にも同じような記憶があった。ただし、いま思い起こせるのは母と祖母に関することである。そのことについては、「母の赤いネルの腰巻」「祖母の涼しいわきの下」などのタイトルで、いずれはエッセイにしてみたい。(Monday.24.September.2001)
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栃木県・環境派 2004年5月

2007年08月25日 | 環境派シリーズ(美化キャンペーン)
◎ いざ、やってみないと知りえないことがある。昨日(2004年5月29日)の午前中、私たちの自治会では美化キャンペーンにとりくんだのであるが、住居周辺および駅前の2班で手分けし、ゴミ拾いとガムはがしをしたのである。私は、駅前のガムはがしに参加してみた。あれほど、ガムの包装紙等に「食べ終わったら、紙に包んで捨てましょう」と記載されているのに、地面に張り着いたガムは後を絶たない。それをはがしてみたところ、捨てられたガムには後掲のような分類があることを思い知った。

◎ あえて、「思い知った」と書いたのは、捨てられたガム自体が衛生的なものではなく、出来れば遠慮願いたい代物だからである。というわけで、私なりの分類を書き残し、くれぐれもガム愛好者が路上に吐き出さないよう注意を喚起しておきたい。

(1) ガムは路面に張り付くと、同じような黒い色になる。
(2) コテではがすと、新しいガムからフルーツの香りやミントの香りがする。
(3) 古いガムは石化し、路面のレンガやコンクリートと同化しようとしている。
(4) 新しくもなく、古くもないガムはコテに粘りつき、とても始末が悪い。
(5) ガムは、はがす人間に「疲労」と「諦念」をもたらす。

というわけで、ガムのポイ捨てよりも、たばこの吸い殻の方が、よっぽどマシだぜ。(2004 05/30)
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亀戸のたばこ屋さん1988.10(2)

2007年08月25日 | たばこをめぐる見聞記
◎ ロッテリアのあるガード下をくぐっていくと、手打ちラーメン、餃子の店があった。赤いテントはキャビン仕様で、総武線の停車・発車をくりかえす電車の音とあいまって、店名、ラーメン、餃子、CABINという文字が、渾然とけんちん汁のごときイメージで並んでいた。店の側面には、やはりCABIN自販機が設置されていたが、あまり目立たない。
亀戸駅周辺には、錦糸町に本店のあるロッテリアをはじめ、マクドナルド、ミスタードーナッツ、ケンタッキーフライドチキンなどが出そろっていた。当時は、街全体のトーンが古く雑然としていたけれど、バブルおよびその崩壊を経て、今はどのような街になっているのだろうか。

* ハンバーガー業界では、マクドナルド対その他という構図から、全国各地への出店攻勢と半額セールを始めとする価格戦略によって、マクドナルドの一人勝ちが続いているけれど、ロッテリアは半額セールへの追随をはじめ、2001年にバーガーキングの店舗および従業員等をJTから引き受け、店舗数を拡大させ、果敢な挑戦をしていることに拍手を贈りたい。適度な競争は、あってしかるべきである。

◎ 目的地である亀戸労政事務所の入口でも、たばこ自販機のカラムを観察してみたが、ここでも30カラムの中で外国たばこが 6カラムを占めていた。
当日の講演で、損益計算書や貸借対照表の見方、レーダーチャート作成などを勉強したが、今後の労働組合においても、企業経営の動きを通年的に把握し(株価の動きなども含めて)、資金の流れを読み、経営分析の「カン」をみがくことが大切になってきていることを痛感させられた。
くわえて、企業経営を数値的に把握することは、営業活動を担っている組合員の仕事(担当の市場を管理する)と、共通する面があると思ったし、一人ひとりの販売目標の達成が積み重なって、企業の利益目標が達成されるという当然のことを再認識したのである。

◎ 今になって、当時をふり返ってみれば、亀戸駅周辺のたばこ販売店を私なりに観察したけれど、よく見たようで見えていなかったことが多いのである。経営分析にしても、生半可な勉強では歯が立たないことも十分に思い知らされた。
あれから13年も経過したが、よく見て(データの流れを把握し目標を設定すること)、自分の行動、活動を日々決めていくことは、公私ともに大事なことであるし、これからも精度を上げていくべきテーマなのだろう。

*「うまくいかないこともある。しかし目標があり、試行錯誤があって物事ははじめて成し遂げられる。」(村上春樹著「ダンス・ダンス・ダンス」から)(2001 07/06)
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亀戸のたばこ屋さん1988.10(1)

2007年08月25日 | たばこをめぐる見聞記
◎ 何かとお世話になっているN大学教授から、「亀戸労政事務所で講演をすることになっているので、聞きに来ないか。その後、食事でもしよう」という電話があり、亀戸駅に降りた。講演開始まで30分ほど時間があったので、たばこ売場を観察してみようと思った。
十三間通りの入口に、店の雰囲気は古風であったが、パイプ等の特殊なたばこまで扱っている品揃店があった。1988年当時、日本製の手巻きたばこ「スタッツ」が売り出されたばかりで、ポスターが目立っていたし、関連ツールもきれいに陳列されていた。

◎ 手巻きたばこには、私なりに思い入れがあり、日本製の登場を心待ちにしていたが、結局のところ「スタッツ」は販売不振のまま廃止銘柄になった。若い時分に、ヨーロッパを一人で旅行していたとき、ユースホステルの受付をしていた人が、オランダ製の「DRAM」を器用な手つきで、クルクルッと巻いて、舌でのりしろの部分をなめてから、いとおしそうに火をつけて吸い出した。この一連の流れを、私はとても格好良く、しかも美味しそうに見えてしまったのである。
さっそく自分で「DRAM」を買い求め、帰国するまで手巻きたばこを美味しく吸っていた。日本にも「DRAM」が売られてので、何度か吸ってみたけれど、湿度や温度の違いなどによる環境のせいなのか、仕事中や外出先でたばこを吸うために、いちいち手巻きをしてはいらないという時間感覚のせいなのか、とにかく美味しく感じなかったので止めてしまったのである。

◎ 亀戸に話をもどすと、その品揃店から30メートル先ぐらいにも「薬」が本業のたばこ屋さんがあったのだけれど、シャッターが閉じていたから、どうやら定休日らしかった。店頭にたばこ自販機が見当らないのは、店主がたばこに力を入れていないからなのだろうが、少しもったいない気がした。
さらに歩を進めると信号があり、そばにもう1軒のたばこ屋さんがあった。となりに大きなパチンコ屋さんがあり、「多分、パチンコの景品用としてたばこを供給していれば、マージン率の低いたばこといえども、かなり安定した利益があるだろうな」と推測した。

◎ 足早に通りを横切ると、右前方に大きなたばこ自販機が目に入り、店内のショウウィンドウもきちんと陳列され、カプリ、ヴォーグなどの外国たばこ新製品に関しても、敏感な対応を示していた。自販機カラムの外国たばこ占有率も3割を超えており、当時の外国たばこシェア(1割未満)からすれば異様に写ったけれど、専売制度から自由化の時代を強く意識した販売店主が早くから存在していたことの証でもあるのだろう。
講演会の時間を気にしながら、駅にむかって折り返していくと、夕方の歩道ではひときわ目につく白いマイルドセブン仕様の自販機があり、赤いキャビンのものよりも「美しい」と感じた。これからは、自販機といえども、より以上にドレスアップが求められているのかも知れない。(2001 07/05)
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たばこ屋のおばさん 1988.10

2007年08月24日 | たばこをめぐる見聞記
◎ Aたばこ販売店のおばさんは、地下鉄「新宿御苑駅」に近く、ピーク時には「トイレにも行けないほど忙しい」と語った。
すでに高齢の域にある彼女であったが、とても元気がよくて、私は店内の片隅でじっくりと観察させてもらった。おつりの出し方も、千円札のお客さん用に小さなプラスチックのトレイに780円ずつ入れて重ねてあり(当時は、マイルドセブンなどの主力製品が220円であった)、対応が素早いのである。
小銭の仕分けも手際がよく、新製品にはカタカナ読みと値段を書き付けたカートンの上から輪ゴムをかけ、1個ごと取り出す仕組みしてあり、それが空になると新しいカートンに変え、細マジックペンで、たとえば「ヴォーグ、250円」と書き覚えていくのだ。
売り手が、数ある新製品の名前と値段を覚えていくためには、なるほど合理的な方法であると感心させられた。
 
◎ 店頭に自販機も設置しているが、そこで買おうとするお客さんを見つけると、「こっちへ来なさい」と声をかける。たばこや飲料などの商品が「対面販売から自販機」にシフトしてきたけれど、「買い手が売手とことばを交わさなくてもいいから、機械がもてはやされる。一言も口をききたくないと誓っているような人もいる」らしく、「仕方ないけど、変な世の中だね」と店主のおばさんは感想を述べていた。
それから、お客さまサービス(おまけ)の仕方も実に上手である。1カートン買っていただくと、チューインガムか100円ライターのどちらかを選んでもらうのだが、コスト的には35円で仕入れるライターの方が安くつくそうだ。

◎ また、女性のお客さんや女性をつれた男性のお客さんには、一口チョコレートを付けるそうであり、それを手にした女性のニコッという笑顔が、必ずといっていいほど見られ、効果があるという。これを知った甘党の男性もいて、催促されることもあるとか。
おばさんのたばこを売る高度な技術によって、毎月相当の売上を記録しているが、高齢ということもあり、在庫管理や仕入などの面でメーカーからの支援を必要としているようだった。
強く印象に残っていることは、「ヴァジーニア」と言ってきた女性外国人のお客さんへの対応である。おばさんは「えっ?」と聞き返し、お客さんは「ヴァジーニア」と繰り返した。「あーっ、バージニアね!」という受けこたえがあり、そのお客さんはたばこを手にしたあと、「日本ではバージニアって言うんだ」と、はっきりした日本語でひとりごと。

◎ それから、ちょっと納得できなかったけれど、おばさんは「ショートホープ1つ」と言ってくるお客さんに、かなり冷酷な対応であった。「ありがとうございます」も言わず、迷惑そうな顔をして、そのお客の姿が見えなくなったら、私に向かって「ショートホープ1つなんて、しみったれだし、気がしれないわ!」と言った。
ちなみに、私は月のうち1~2度「気分を変えて、1箱だけショートホープが吸いたい人」である。もちろん、自販機では2個セットでしか買えないわけだから、お店で「ショートホープ1つ」とやることがある。でも、そのことはとても口にできなかった。(2001 07/08)
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消えていく繁華街のたばこ売場

2007年08月23日 | たばこをめぐる見聞記
◎ 栃木に越してからというもの、新宿には年に数えるほどしか出かけなくなってしまった。今から13年ほど前(1988年)に、紀国屋書店真向かいのたばこ屋さんにお邪魔して、30分ほど売場の見学をさせてもらったことがある。ウィンドウサイドには、内外のたばこメーカーと思われる人たちの名刺が数枚ほど貼り付けてあったから、小型店舗ながら高収益をあげる店として重視されていたに違いない。

◎ たばこは何でも銘柄が揃っており、パイプ、シガレットケース、ライターなどの関連グッズの充実ぶりも見事だった。三叉路の信号待ちによって適度に人が滞留するので、物を売るには最適であり、しかも陳列が豊富で美しいから、たばこを吸わない人でも「ホホーッ」といった表情で眺めていくだけの雰囲気があった。
店主の話によれば、3人の男性店員がローテーションを組み、常時2人づつが対面販売を行っているとのことであるが、あれだけの銘柄と値段を覚え、お客さんの注文にテキパキと応じている様子を見ていると、これはまさしくプロの仕事だなと感心した。たばこ屋さんというサービス業も奥が深いし、販売技術の向上には限界がないことを痛感させられた。

◎ びっくりしたのは、たばこをメーカーさんに注文するときだった。店員さんは2階に向かったのであるが、そこは壁だった。直角に真上に梯子(はしご)がかけてあり、いわば屋根裏部屋に在庫品が置かれてあった。死に筋商品を早く発見し、売れ筋商品中心に在庫を圧縮するという要請から、「大都会地市場の販売店は在庫を持ちたがらない」とは聞いていたが、地価高騰、スペースの極限的活用という面を垣間見せられたような気がした。
しかし、昨年、新宿へ出かけて紀伊国屋書店近くを通ったとき、そこにはすでにたばこ屋さんはなく、電機の量販店になっていた。たばこという商品では、いくら回転率が高くても、一品あたりの粗利益、顧客購入単価などの面で、電機製品に勝てなかったのであろうが、少なからずさびしい気分にさせられた。(2001 07/09)
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『僕はアメリカに幻滅した』(小林至著、太陽企画出版)について

2007年08月23日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◎ 友人にもらった『僕はアメリカに幻滅した』(小林至著、太陽企画出版)という本を読んでみた。たばこに関する本書の立場は、被告側のメーカーに同情的であり、たちの悪い弁護士たちの莫大な利益のためにたばこという嗜好品が利用されたのではないか、と語っている。

◎ そして、アメリカの労働組合に対する観点も、かなり手厳しい内容であった。著者は、ご存じのとおり東大経済学部卒、ロッテマリーンズ入団・解雇、米国留学、プロスポーツ担当の放送局勤務・解雇、帰国した人である。

◎ 本書そのものは大変おもしろかったが、7月の参院選に自由連合から出馬するということを知り、少なからず違和感があった。結局、そのための本であったのか、などと詮索してしまったわけである。それを差し引いても、読まれてしかるべき本であることはたしかなので、ぜひお勧めしたい。(FRI.6.JULY.2001)
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開示と隠蔽の間に

2007年08月22日 | たばこ弁護の諸説紹介
◎ 中国から輸入している農産物から、許容範囲を超える残留農薬が検出された。そもそも中国では、独立後から長い期間、人口増加と食糧不足に悩まされ、農業の生産性向上が至上命題とされてきた。それを大幅に改善させた背景には、化学肥料を大量に用いる農業の成功があった。12億人もの国民を飢えさせないことだけでも、人類史上、画期的なことであり、大量の農民が潜在的な過剰労働力として存在していることが、21世紀を制するのは中国であるという根拠にもなっている。

◎ さらに、昨年、中国は台湾と一緒にWTO(世界貿易機構)に加盟し、世界貿易の大きな一翼を担うことになって、「安かろう、悪かろう」の時代から、品質的に良いものが可能になり、企画・開発・人材の育成も軌道に乗ってきたものだから、「チャイナ・ショック」という言葉が世界を席巻したのである。しかし、中国の生産物が世界標準という尺度で測られるようにより、貿易不均衡問題や残留農薬問題などのトラブルも生じてきている。そこで、最近、成分表示などの情報「開示」が、逆にそれ以外の情報を「隠蔽」してしまうのではないか、ということが危惧されるのだ。

◎ たとえば………
(1)牛肉・豚肉・鶏肉にみられたように、原産地表示のラベルが真の原産地を隠蔽していた。
(2)長年にわたり、品質保持(防腐・防臭等)のために無認可の添加物が添加され続けていた。
(3)肺ガン発生における「たばこ犯人説」が、他の要因(免疫、遺伝、排ガスなど)を隠蔽しているのではないか。
(4)スーパーの食肉売場で、きれいにラッピングされることによって、牛や豚・鳥の命を奪って採取した肉というイメージが隠蔽される。
(5)未成年の飲酒・喫煙禁止に見られるような実態とそぐわない法律の存在が、憲法概念(権利と義務など)の希薄化を隠蔽している。
(6)過剰包装の果てに、無認可添加物が意識的に混入され、完全な清潔さの中でこそ「O-157」は増殖する。

◎ 事例を上げれば、もっとたくさんあるけれど、個人的に確信しているのは、「物の生々流転」をできるだけトータル(自分の五感を含む)に把握することだと思う。氾濫している情報のなかで、何をもって自分が取捨選択し、自分の考えとして形づくるのか、それは至難の技であるけれど、いちばん確実な方法であり、自分の心身を守っていく近道でもあるのだ。(2002 06/14)
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習慣づける意志、それを持続する心がけ

2007年08月21日 | ここで一服・水元正介
◎ 昨年(2001年)の初秋に右足のふくらはぎを肉離れしてから、通勤ルートでのエスカレーターを使っていない。けっこうな運動量になり、当初はきつかったけれど、慣れてしまえば歩くこと、立っていることで疲れるというこが少なくなった。逆に考えれば、それまでの運動不足を痛感させられたわけである。しかし、今日、田町Sビルの4階にある職場までの階段が、とてもきつく感じ息切れがした。

◎ それというのも、3か月ほど前から新幹線車中でも座ることが少なくなり、最近では往復ともに、誰もいない車内の通路で過ごすようになった。座席はたっぷりと空いているけれど、漢詩の素読、詩吟の練習、乗り越し防止等のためには最高の空間なのだ。ときどき、通路にやってくる車掌や乗客に気がつかず、大声を張り上げている自分に恥じらいを感じたりはするけれど、それにも徐々に慣れてきたのである。

◎ 歩行中の喫煙をしない心がけについても、何度か、ブレザーの右ポケットに手を入れ、たばこ取り出そうとしている自分に気づき、「うーん、これからは念のために、たばこはバッグに入れておいた方がいいかも知れない」などと、身についてしまった習慣のしつこさに驚かされる。別の観点からいえば、私は肥満の体型であり、限りなく「生活習慣病」に近づいていたが、直接的にダイエットするという方法ではなく、この頃、ベルトの穴の位置が一番短いところになった。このズボンはきつくて、もうダメかなと思っていたものが、ちょうどよくなっていた。いい傾向だ。(2002 06/05)

※ この時期から5年が経過し、悪しき生活習慣は改善されず、メタボリック症候群と診断され、現在、体質改善にとりくむとともに、病院での治療を続けている。(2007/08/21)
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桂米朝さん、「100年目」の40分にかける

2007年08月21日 | たばこをめぐる見聞記
先週のNHKスペシャルに、上方落語を再興した人間国宝の桂米朝さんが登場した。彼が述べたことの中で、私なりに感動した部分を要約すれば…

――― 古典落語はフィクション(虚構)であり、なおかつ時代が古いので、一つひとつの言葉や動作にリアリティーが不可欠である。ここに寸分のゆるみが出てしまったら、落語という「おしゃべり」の心地よい催眠術にかかっているお客様が、現実に引き戻され、すべてがパーになる。―――(2002/06/04)

※ ちなみに、桂米朝さんはチェーンスモーカーと言ってよいほど、高座以外の場所ではたばこを手離さない。5年前のNHKスペシャルでも、喫煙シーンがたくさんあって、たしか米朝さんは「ミニスター」というたばこを吸っていたと記憶している。特定のエリアでしか買えないたばこだから、一般的には目にできない(もしかしたら、すでに販売終了になったかも知れない)。(2007/08/20)
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