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消えていく繁華街のたばこ売場

2007年08月23日 | たばこをめぐる見聞記
◎ 栃木に越してからというもの、新宿には年に数えるほどしか出かけなくなってしまった。今から13年ほど前(1988年)に、紀国屋書店真向かいのたばこ屋さんにお邪魔して、30分ほど売場の見学をさせてもらったことがある。ウィンドウサイドには、内外のたばこメーカーと思われる人たちの名刺が数枚ほど貼り付けてあったから、小型店舗ながら高収益をあげる店として重視されていたに違いない。

◎ たばこは何でも銘柄が揃っており、パイプ、シガレットケース、ライターなどの関連グッズの充実ぶりも見事だった。三叉路の信号待ちによって適度に人が滞留するので、物を売るには最適であり、しかも陳列が豊富で美しいから、たばこを吸わない人でも「ホホーッ」といった表情で眺めていくだけの雰囲気があった。
店主の話によれば、3人の男性店員がローテーションを組み、常時2人づつが対面販売を行っているとのことであるが、あれだけの銘柄と値段を覚え、お客さんの注文にテキパキと応じている様子を見ていると、これはまさしくプロの仕事だなと感心した。たばこ屋さんというサービス業も奥が深いし、販売技術の向上には限界がないことを痛感させられた。

◎ びっくりしたのは、たばこをメーカーさんに注文するときだった。店員さんは2階に向かったのであるが、そこは壁だった。直角に真上に梯子(はしご)がかけてあり、いわば屋根裏部屋に在庫品が置かれてあった。死に筋商品を早く発見し、売れ筋商品中心に在庫を圧縮するという要請から、「大都会地市場の販売店は在庫を持ちたがらない」とは聞いていたが、地価高騰、スペースの極限的活用という面を垣間見せられたような気がした。
しかし、昨年、新宿へ出かけて紀伊国屋書店近くを通ったとき、そこにはすでにたばこ屋さんはなく、電機の量販店になっていた。たばこという商品では、いくら回転率が高くても、一品あたりの粗利益、顧客購入単価などの面で、電機製品に勝てなかったのであろうが、少なからずさびしい気分にさせられた。(2001 07/09)
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『僕はアメリカに幻滅した』(小林至著、太陽企画出版)について

2007年08月23日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◎ 友人にもらった『僕はアメリカに幻滅した』(小林至著、太陽企画出版)という本を読んでみた。たばこに関する本書の立場は、被告側のメーカーに同情的であり、たちの悪い弁護士たちの莫大な利益のためにたばこという嗜好品が利用されたのではないか、と語っている。

◎ そして、アメリカの労働組合に対する観点も、かなり手厳しい内容であった。著者は、ご存じのとおり東大経済学部卒、ロッテマリーンズ入団・解雇、米国留学、プロスポーツ担当の放送局勤務・解雇、帰国した人である。

◎ 本書そのものは大変おもしろかったが、7月の参院選に自由連合から出馬するということを知り、少なからず違和感があった。結局、そのための本であったのか、などと詮索してしまったわけである。それを差し引いても、読まれてしかるべき本であることはたしかなので、ぜひお勧めしたい。(FRI.6.JULY.2001)
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