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泰国鐡路漂流記~4、再び国境。驟雨。インドシナの闇の底を、夜汽車は走る~

2008-10-02 | 旅行
タイとラオスの国境にて、イミグレーションに並ぶ行列。

←泰国鐡路漂流記~3、国境。ノーンカーイ・ターナレーン、そしてラオス~からの続き

ターナレーン駅から歩いて国境まで戻ってきた。

入国する時は気が付かなかったが、国境のイミグレの裏にはさながら小さなショッピングモールのような免税店街があり、ついさっきまで歩いていた素朴そのものの農村風景とは対極の、日本人の僕から見ても高額過ぎる値が付いた外国製品、酒、タバコ、化粧品にブランド品がエアコンの効いた店内に並んでいる。
郷愁の世界からいきなり現実に引き戻されてしまい、少々感傷的になる。
「田園の夢は覚めた…タイに帰ろう。」

さっきのラオス入国の時と逆の手順で出国手続きを済ませ、今回もキッチリ国境税を取られ(でも何故か15バーツしか取られなかった。タイとラオスの物価の差か何かを考慮しているんだろうか?)、バス屋のオヤジに10バーツのバス代を渡すと
「満席になったから、あれに乗ってくれ」とオンボロのマイクロバスに案内される。
そのマイクロバスも既に満席で、どうするんだよと思っていると運ちゃんが助手席のドアを開けて「ここに乗りな」と手招きする。
僕が助手席に座ってドアを閉めると同時に、マイクロバスは友好橋に向かって走り始めた。

助手席に押し込まれたのはラッキーだった。来る時は殆ど見えなかった友好橋の車窓がよく見えるのだ。
早速、携帯電話のビデオを起動して録画開始。

という訳でラオス側からタイ側へ、完全ノーカットのタイ・ラオス友好橋を渡る国境バスの車窓動画をご鑑賞下さい。

出発してすぐに交差点のようなものがあるが、これはラオス国内は右側通行なのに対してタイ国内では左側通行なので、友好橋のラオス側の袂で上下の車道が交差している部分であるということを帰国してから知った。
また、ラオスの国旗がはためいている友好橋の橋上に出る直前に左側から鉄道線路が合流してきて、そのまま路面電車のように上下車線の中央部に線路が敷かれている様子がハッキリと確認出来る。線路の敷設は既に友好橋上の全区間で完了しており、鉄道は道路と同じ友好橋を渡ってラオスとタイ両国を結んでいたのだ。

途中でカメラを右側に振って、メコンの流れを眺めているが、本当に何という大河なのだろう。この紅い河は遠くチベットから延々と流れてきたのだ。雄大すぎる風景に旅心を揺さぶられると同時に、この河の源流で行われているチベット弾圧に胸が痛んだりもする。
いつの日か、自由と平和の戻ったメコンの源を訪れてみたいと強く願った。

タイ国旗の翻る地上部分に入ってすぐ、線路は再び左側に別れて行く。
タイ国内へと続く線路を仕切るフェンスを見て、一瞬背筋が寒くなった。
「あれは…午前中にノーンカーイ駅から線路を歩いて到達したフェンスじゃないか!…乗り越えたりしなくて良かったー!!あぶなくタイから密出国するところだった!!」

タイ側のイミグレーションオフィス前でおんぼろマイクロバスから降りて、いつものように天下御免の日本国旅券を提示してタイに入国しようとすると、珍しく入国審査官から質問を受ける。
「タイ国内での滞在先は?どこのホテルに泊まるんだ?」
どうやら、今夜はどうせまた夜行列車に乗るので面倒臭くて入国カードの滞在先アドレスの欄を記入しなかったのがまずかったらしい。
「滞在先は…今から列車に乗ります。nighttrain,sleepingtrain,Tonight… to Bangkok!」
「Bangkok?」
「Yes…Hualamphong Station.」
「Hualamphong?」
「Yes.」
案外しつこく聞いてくる。
「それで、バンコクのフワランポーン駅に着いたらどうするんだ?」
「駅の近くのホテルに泊まります」
「どの位?」
「え~っと、帰国する日まであと何日だっけ…アバウト、3days(実際は2日だった)」
散々しぼられて、ようやく入国スタンプを貰うことができた。


国境から歩いて、ノーンカーイ駅から延びる線路の踏み切りに戻ってきた。
「この線路の先、フェンスの先の友好橋を渡った先に、ラオスがあった。僕は、そこへ行って戻ってきたんだ。ああ、またラオスに行きたいな。はやくこの線路にターナレーン駅行きの国際列車が走り出さないかな!今度は、列車でメコンを渡るぞ!」


今夜の、折り返しバンコクへと戻る夜行急行EXP70列車の発車までまだ暫らく時間があるので、踏切を越えてそこら辺を散策してみる。
ノーンカーイ郊外の閑静な住宅地といった感じの地区で、トゥクトゥクもしつこく客引きしないので情緒のある乗り物に見える。




親水公園のような池と寺院があった。
時折、通り雨のようにさっと雨が降る。ノーンカーイはメコンとモンスーンに育まれた美しい水の街だった。




駅に戻って、EXP70列車が予定通り18:20に発車することを確認して、まだ時間があるので駅前の大衆食堂に入る。
今日は、よく考えたらお昼に何も食べていなかったんだ。

地元の家族連れが賑やかにビールを飲んでいる食堂で、さて何を食べようかねと思って並んだ食材を眺めていると
「ヌードル?」
とおばちゃんに言われ、おおいいねぇタイの麺食おうというんで「Yes!ヌードルヌードル」と答えると、何とカップラーメンにお湯を入れようとするので
「ちょっと待ったー!!何でタイの国境地帯まで来てカップ麺食わんといかんのだ。他に何かないの?」と身振り手振りでアピールすると、
「じゃあこれにする?」とビーフンのような乾麺の玉を取り出す。
「何だよ、ちゃんとした麺があるじゃん。最初からそれを出してよ~」
よく、東南アジアで本場の「ベトナム式コーヒー(と言うんですかね?小さなポットで細かく挽いた粉を煮詰める奴)」を飲もうと喫茶店に入ると何故か自分にだけネスカフェを出されてガッカリした、という話を聞くが、ここら辺ではインスタント式の方が高級品なのかな?よく分からんが。

さて、お待ちかねのビーフンみたいなベトナム麺が出来上がり、それと一緒におばちゃんが持ってきたのは、噂に聞くエスニックなスパイスと調味料各種の山。
有名なナンプラー以外にも、チリソースに唐辛子と酢が数種類、何故か日本でも御馴染のメーカーのウスターソース、そして何と砂糖!
どういう組み合わせだと仰天するが、面白いのでどんどん入れて味を試す。
周りの客も「日本人はどうやって食うんだろ?」という感じで笑いながら見ていて、僕が唐辛子をタップリ入れようとすると「Hot!Hot!」と制止しようとしたりする。スパイスを入れる度に味の加減が変わって、色々な味が楽しめるのでこれは面白い!
意外だったのが砂糖。ビーフンにこんなもの入れたらくどくて食べられなくなりそうだが、砂糖を入れると味がビシッと決まる感じがするのだ。日本に帰ってから試してみようかな、汁かけ麺に砂糖。

おいしいおいしいと麺をすすっていると、周りの客から「味はどうよ?うまいか?」って感じで話しかけられたり。これだから海外の大衆食堂は楽しいんだよな。

楽しく腹ごしらえも済んで、さあ列車に乗ろう。夜汽車でバンコクに戻ろう。

今夜の宿となる1等個室寝台車は、昨夜乗ってきたのと同じ車輌。同じ列車の編成の折り返し便で、1等車は1輌しかつないでいないので当然だが。
乗務するスタッフも列車と一緒に折り返すローテーションのようで、再会した列車ボーイのおっちゃんや若い車掌が僕の顔を見て「あれ?今夜も乗るの?」と大笑いする。
早速、おっちゃんが「今夜は何を食べる?」とルームサービスのメニュー表を持ってくる。さっきビーフンを食べたばかりだが、メニュー表にタイ料理の世界三大スープ「トムヤムクン」があるのを発見して、思わずオーダー。
タイ国鉄の車内ケータリングのトムヤムクン、これは是非食べてみたくなるってもんでしょ?

「…失敗した!」
見事にまったく味も素っ気もない、ただピリピリ辛いだけのトムヤムクンだった。
いつもなら列車内で出る食事だからこんなもんさと気にもならなかったろうが、さっき駅前食堂でおいしい麺を食べたばかりなので余計に無念なり。

さて今夜は2人部屋の1等個室には同居人がいる筈なのだが、始発駅のノーンカーイを発車した時点ではまだ乗って来ていない。
今のうちに、部屋に荷物を置いて昨夜は見て回れなかったこの夜行急行列車の車内を一通り見て回ることにする。
今乗っている1等個室寝台車は韓国のDAEWOO社製(台湾の『病院の待合室みたいな電車』を造ったメーカーだ)だが、隣に数輌連結されている2等寝台車は日本の東急車輛製だった。





2等とはいえ、日本ではA寝台で採用されている2段式プルマンスタイルとなっている。
尤も、線路のゲージが狭軌の日本よりさらに狭いメーターゲージのインドシナ仕様の小振りな車体のため、ベッドも日本の寝台車より一回り小さいようだが、それでもまあまあ快適そうだ。
2等寝台車は更に車内構造は同じだがエアコン車とファン(扇風機)車に等級分けされており、ファン車の車内は窓から夜風が流れてくる。風情があっていいが、今夜は雨が降ったり止んだりなので雨が吹き込んだり湿気で寝苦しいだろうな。


エアコン2等寝台車のベッドを見ていて、大発見!
このカーテンの生地、JR北海道の気動車併結用寝台車のカーテンと同じものだ!
東急車輛とJR北海道がたまたま同じ業者からカーテン記事を購入したのだろうか。
この模様を見ていると、先月乗り納めをした北海道最後の寝台車付き夜行特急「まりも」の想い出が甦る。
学生時代、一体何晩この模様を眺めながら眠ったことか…

何輌かつながった2等寝台車を通り抜けると、
「あれ?食堂車がある!」
例の愛想のいい列車ボーイのおっちゃんがウェイターをやっていて、僕の顔を見るとおどけて敬礼する仕草をする。

「こんな立派な食堂車があるなら、最初からルームサービスじゃなくてここで食事したかったよ。」
食堂車は中々の盛況で、皆大いに飲んだり食べたりして盛り上がっている。
こうなったら、僕も素通りする訳にはいかない。おっちゃんにメニュー表をもらって、
「何だ、ルームサービスと同じメニューじゃないか。ここの厨房で調理して個室寝台まで持って来てくれてたんだな。
とりあえず、LEOビール。大瓶で!それから、つまみはアラカルトの一品料理を適当にでいいや。」
…この適当に頼んだアラカルトのせいで、この後七転八倒の苦痛を味わうことになることなど、この時の僕が知る由もない。


「タイに渡ったブルートレインに乗ることは出来なかったけれど、会うことは出来た。メコン川を渡って、ラオスに行くことも出来たしこれからの駅を見ることも出来た。…心構えも無く何の準備もせずに、勢いと思いつきで始めたタイ乗り鉄旅行だけど、それなりに、有意義な旅になっているんじゃないかな」


リズミカルな揺れと、タイ式にグラスに氷をたっぷり入れたアルコール度数高めのLEOのせいですっかりいい心持になった。
適当に運ばれてきたシーフードサラダは激辛の唐辛子ソースのせいで舌が焼けるようだったが、熱く湿ったインドシナの夜にはそれも心地良い。


食堂車の酔いを醒まそうと編成をさらに進むと、食堂車の先は座席車ばかりが連結されていた。どうやら食堂車を境に寝台車と座席車が区切られているようだ。
座席車もリクライニングシートの2等エアコン車と同じく2等ファン車、さらに直角ボックスシートの3等ファン車と等級分けされているが、いずれも寝台車と比べると随分古い車輌を使っているようで、薄暗い客室や走行中も開きっぱなしのデッキドアの雰囲気は日本の旧型客車か台湾の平快車のようだ。それもその筈、車端部の壁の上塗りされたペンキで塗りつぶされたメーカーズプレートをよくよく見ると薄っすらとKINKIというローマ字が読み取れた。この座席車は、近畿車輛製の正真正銘の日本の旧型客車だったのだ。
「何というか…参ったね。ブルートレインに乗りに来たけど、気が付けば古き良き旧型客車に乗ってタイを旅していたなんてね。旅の目的は、違うかたちで成就してしまったじゃないか!」

旧型客車の車内をどんどん進んでいくと、編成の最後尾のデッキに出た。
真っ暗なインドシナの夜の闇が、恐ろしい勢いで流れていく。
時々、彼方の雲が稲光で照らされ、湿りを帯びた平原が一瞬浮かび上がる。驟雨。闇の底を、夜汽車は走って行く。
凄まじい夜の眺めに圧倒され、思わずデッキの手摺を強く掴むと、隣に立っていた日本のアニメキャラクターと日本語のロゴが描かれたTシャツを着た若い男がニヤッと笑いながらこちらを振り返る。
「何かもう…たまらんなぁ、タイって国は!」
そして僕は通り雨に濡れながらデッキから身を乗り出し、カーブに身をくねらせ疾走するEXP70列車の編成と闇を切り裂く電気式ディーゼル機関車の前照灯を睨んだ。
あっぱれな、威風堂々とした夜行列車が僕を乗せて疾走して行く。
「タイに夜汽車あり!!」
さて、そろそろ部屋に戻ろう。今夜は同居人もいることだし。

今夜、僕と同じ部屋で寝泊りする乗客はウドンターニーから乗り込んできた真面目そうなビジネスマン風のおじさんだった。
僕がいい気分に出来上がって部屋に戻ると、ブリーフケースから書類を出して目を通していたりするので何だか申し訳ない気分になる。
そのうち、若い車掌氏が「チョットスミマセーン」とか言いながらベッドを作りにきた。おじさんはすぐに下段ベッドに横になり寝てしまったので、僕もさっさと寝てしまうことにする。
今日は色んな事があって、結構ハードだったしね…

激しい腹痛と悪寒が襲ってきたのは、上段ベッドに横になりうつらうつらし始めた時だった。
「やられた…人生初めての、これが『アジアの洗礼』か…駅前食堂のビーフンを食べても何ともなかったのに、これはさてはさっき食堂車で食べたサラダの激辛唐辛子ソースにやられたな?」
結局、僕は腹の底に澱のように溜まった恐ろしい唐辛子ソースをすべて下してしまうまで、トイレに籠って列車の揺れに身を任せることになったのである。

これでまた少しだけ、アジアの真髄に近付いたような、そんな夜だった。

→泰国鐡路漂流記~5、バンコク。河、寺院。カオサンの虹~に続く


6 コメント

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路面電車で国境越え (bbsawa)
2008-09-30 20:56:40
こんばんは。
路面電車でしたか。たしかに、専用橋を作るより安上がり。しかし、信号が無いということは、係りの人か軍隊で車を止めて、列車を併用区間に入れるのでしょうか。
『友好橋封鎖できません』(笑)な事は無いでしょう。
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名鉄犬山橋状態 (天燈茶房亭主mitsuto1976)
2008-09-30 22:39:40
bbsawaさん、こんばんは。

>路面電車でしたか。
ハイ!完全に路面電車状態です(電化されてないので電車は走れませんがwww)
友好橋は最初から併用橋として設計されているそうですが、ラオス側の鉄道建設がいつまで経っても進まないので最近までは線路も橋のど真ん中で途切れてたそうです。
現在、線路は完全に締結されいつでも列車が走れる状態ですが、運賃の設定か何かでタイとラオスでもめてるらしく開通も先延ばしになっているんだとか。
「アバウト!ラオスだからね」の言葉そのまんまですね。

ちなみに将来、鉄道が運行を始めたら、列車の走る時間は道路の通行を止めて列車を通す運行形態になるそうです。
ちゃんと道路を封鎖できればいいんですがw
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Unknown (junqawai)
2008-10-05 21:01:29
いやあ、ラオス側の鉄道、本当に作ってたんですね。
友好橋を通ってビエンチャンまで鉄道を敷く計画があって、友好橋も併用橋として設計されているという話は、以前に私も本で読んだことがありますが、本当に実現するのかな…と半信半疑でした。運賃で揉めてるとはいえ、ここまで作ってしまったら走らせない訳にはいかないでしょう…多分。

「ベトナムの高速鉄道」とか「中国・昆明からシンガポールまでメーターゲージで直通」とかいう計画も、私が思っているより早く実現するのかな。
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Unknown (天燈茶房亭主mitsuto1976)
2008-10-07 00:41:39
junqawaiさん、ラオスの鉄道はご覧の通りほぼ完成しています!帰国後調べたところどうやら、夏頃には試運転も行われたようで、友好橋にも列車が走ったようです。
作業員さんは「多分来月(=多分ムリ)」と言ってましたが、何とか今年中には営業開始して欲しいですよね。
ああ~「あかつき」のお下がりの14系15型ブルートレインに乗って友好橋を渡りたい!

ベトナムの新幹線やカンボジア国内の鉄道も、莫大な経済効果が見込めるので経済界から大注目されてるし楽しみですね。でも、アメリカ発の金融危機が影響しそうで不安…
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Unknown (junqawai)
2008-10-07 20:49:53
行き当たりばったりでここまでの旅が楽しめたのは本当に良かったですね。国境越えというおまけまで付きましたし。折角だったら、開業後に列車で国境を越えたかったところでしょうが、まあ、次回訪問の楽しみができたとも言えますか。
タイの政治情勢も相変わらず不穏なようで、「計画的に国境を越える」なら、もう少し待ったほうがよいですかね。
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バンコク動乱 (天燈茶房亭主mitsuto1976)
2008-10-07 21:51:58
junqawaiさん、今回の旅は本当にラッキーでした。行き当たりばったりの日程だと、うまくいかないときは最後までうまくいかないまま帰国する羽目になったりしますからね。

タイではとうとう反政府団体と警官隊が衝突して怪我人が出てしまいましたね。これからどうなるんだろう、穏便に納まってくれればいいけれど。
ホント、次回の「タイ・ラオス国境越え」は国内情勢を見ながら慎重にいく必要ありですね。
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