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白い空、緑の田圃、紅い河~2007年夏ベトナム鉄道漂流 その3

2007-08-26 | 旅行
(写真:かつてベトナムと中国の国境のイミグレーションがあった中越友好橋。現在は鉄道専用橋になっている)


ベトナムと中国の国境の街ラオカイ。
新中越友好橋のたもとから河向こうの中国を見ていたが、せっかくなので橋を渡って中国に行ってみることにする。
ベトナム側のイミグレーションオフィスに向かうと、怪しいオヤジが「中国行くね、マネーチェンジするよ」と声を掛けてくるが完全に違法営業だろうし、第一中国で何かを買うつもりも全然ないので(段ボール入り肉まんや鉛入り玩具のニュースが報じられた直後だしね)中国通貨なんぞに用はない。

イミグレーションでの手続き自体は空港で行うものと全く同じで、ホーチミンの空港で渡された入国カードの半券を渡してパスポートに出国スタンプを捺すだけで終了。
そのまま歩いて新中越友好橋に向かう。

夕焼けの中、巨大なゲートをくぐり橋を渡り中国の国境の街河口に向かう。
ゲートでは中国に向かう大型トラックが順番に並んでいたが、クルマは越境の手続きが煩雑なのか中々進まない。その横を通行人がどんどん行き交い、歩いて国境を越えている。
買い物袋を提げてベトナムに戻る主婦や、手にパスポートを持ったまま足早に中国に向かう荷担ぎ行商人、それにツアコンに引き連れられた中国人団体旅行客の姿が目立つ。何か、えらくお気楽な国境だ。
所謂「アジアを歩くバックパッカー」風の深夜特急的旅人は見かけない。

中国側イミグレーションの入国手続きも、ビザ不要の日本人は入国カードを記入してパスポートに添えて提出するするだけで簡単。
イミグレの女性係官は事務的にテキパキと「入国の目的は?目的地は?」と聞いてくるので、「ジャスト・サイトシーイング…すぐにラオカイに帰るから、目的地なんかないよ」と答えるとパスポートにポンとスタンプを捺してくれる。これにて入国手続き完了。


「やったー!歩いて国境を越えたぞ!」とミーハーな感慨に耽りながら河口のイミグレオフィス前の通りを見ると、小奇麗な建物と広い道路が続いている。
中国の街はもっとゴミゴミゴチャゴチャしているようなイメージがあったので意外な気がする。
それに何故か人の姿が少なくてひっそりしている。軒を連ねる商店も大半は閉まっていて、まるでゴーストタウンのようだ。

河口には用があって来た訳ではないので何もすることはないのだが、せっかくなので少し歩いて街を見て回る。が、やはり街中がひっそりしていて全然活気がない。
間が持たないので、もうベトナムに帰ることにする。
「大きなビルが建ち並んでるのに、何でこんなに人けがないんだろう…不思議な街だな」
結局、中国河口には僅か15分の滞在でベトナム側のラオカイに帰る。
出国前、イミグレに並んでいると、どこからか現れた中国人が次々に平気な顔で割り込んでくるので順番死守の闘いをする羽目になる。
「ああ、最後の最後にいかにも中国らしい体験をしてしまった…」

再び新中越友好橋を歩いてベトナム側ゲートを目指す。
橋の上から、遥か彼方の妙義山のような不思議なかたちをした山並みに夕陽が沈んでいくのが見える。いにしえの昔に阿倍仲麻呂やマルコ・ポーロも見たであろう夕陽だ。
夕陽の反対側に目をやると、以前は中越国境として徒歩での越境が行われていた中越友好橋が見える。現在は鉄道専用の橋となっていて、貨物列車が橋を渡り行き来している。
欄干にもたれて、日本の家族に携帯電話をかけてみた。
「もしもし、僕今どこにいると思う?中国とベトナムの国境の橋の上だよ」
こんな能天気な会話をすることができるなんて、平和でいいなあ。。。
今日は終戦記念日。
これからも世界中を旅したいので、どうか世界が平和でありますように、と夕陽に願った。


またラオカイ駅まで1キロの道のりを線路に沿って歩いて戻る。
途中、貨物列車が警笛を鳴らしながら国境方向に走り去った。中越友好橋を渡って中国に向かうのだろう。走り去る貨物列車を見ながら、「いつの日か中国が民主化することがあれば、列車で中越友好橋を渡って中国まで行ってみたいな」と思った。それがいつの日になるかはまだ分からないけれど。


さて、ラオカイ駅に戻ってきて日が暮れた。
ハノイ行き夜行列車に乗り込む前に、どこかで腹ごしらえをしておきたい。
駅前には旅行客相手の食堂が並んでいて白人観光客がビアホイ(ベトナムの地ビール)で盛り上がっているが、もっと地元の人が行くような店で食べたいな…
駅前からしばらく歩くと市場があったので入ってみる。

薄暗い市場の中を進んでいくと、奥に屋台がいくつか並んでいた。地元の家族連れが集まって賑やかに夕飯を囲んでいる。どこかに空席はないかな、と屋台を覗いて周っていると、人の良さそうな若い女将さんと目が合った。すぐに笑顔で空席を指し示してくれたので「ここにするか」

この屋台は所謂「定食屋さん」らしく、いくつか並んだおかずを指差しで指定すると大盛りのご飯に載せて出してくれた。それに南北統一鉄道の車内食でも出た「木の葉っぱ入りスープ」とニョックマムの小皿が付いて、値段は日本円で50円位?安い!
肉っぽい感じのおかずは「トンカツ」だったので、これは「ベトナム風カツ丼」ということになるな。実に家庭的でいける味。
地元の家族連れと肩を並べて、テレビのニュースを見ながら食べる夕飯はうまい。
テレビで、日本の終戦記念日と安倍首相が靖国神社に行かなかったというニュースをやっている。女将さんが僕の背中をつついて「ジャパンのニュースよ」と声を掛けてくる。

すっかり腹もくちくなったので、女将さんに御馳走様と言って駅に戻る。
ラオカイ駅ではハノイ行きの夜行列車が2本立て続けに出発するので、乗客が集まって大変な賑わい。
僕が乗るのは後発の21:00発SP4列車。隣のホームに停車中の先発のSP2列車はツアー会社がチャーターした特別仕立ての豪華寝台車を連ねたえらく煌びやかな編成。乗客は欧米人と中国人らしい団体客が中心。僕の乗ったSP4も編成端にリゾートホテルの名前を冠した特別車輌が2輌繫がっている。
ハノイ~ラオカイ線は昼間はみすぼらしいエアコンなし列車しか走っていないのに、夜は豪華寝台列車が雁行する華やかな観光路線に変貌するらしい。
とは言え、どの列車もハノイには夜明け前に着いてしまうから随分せわしないクルーズトレインなのだが。

今夜僕が乗るSP4はかなりハイグレードな列車らしく、チャーター豪華寝台車以外の車輌もトリコロールカラーで小奇麗。中国国境路線らしく、「越南鐡道」と漢字のロゴが入った寝台車もある。
車内も南北統一鉄道TN8列車のヨレヨレシーツにブランケットの寝台車と違い、シーツもピシッと張られた清潔感のあるベッドには綿入りの掛け布団と枕がきちんとセッティングされている。
早速ベッドに横になり、エアコンの心地良い冷気を堪能していると、同室の乗客がワイワイ言いながら入ってきた。
しかし、彼らの荷物の多いこと!大きな段ボール箱と麻袋が大量にコンパートメント内に運び込まれる。
僕が呆れて見ていると「ゴメンネ、荷物が多くて」と済まなそうにしている。
それから彼らは魔法のような手際でそれらの大荷物をコンパートメント内のデッドスペースに収納してしまったのである。
僕がまたしても呆気に取られてると「アナタ日本人?歩き疲れてるみたいだね。僕らももう寝るよ」とベッドに潜り込みすぐに寝息を立て始めた。
何というか、実にテキパキした人たちである。
僕も暫くベッドで揺られていたらすぐに眠くなった。明日は早暁5時にハノイに着く。もう寝よう。


2007年8月16日
ちょっと寝たと思ったら、もう列車はロンビエン橋を渡っている。SP4列車は定刻の5:05に夜明け前の薄暗いハノイB駅に帰って来た。
「快適な寝台車だったから、2~3時間位遅れてくれても良かったのにな…」

さて、これで今回の旅の主目的であるベトナム鉄道の行程はすべて終了した。あとは日本に帰るだけである。
今日は特に予定がないので、ホテルに入ってのんびりしたいのだが、幾らなんでも朝6時前にチェックインさせてくれないだろう。どこかで半日ばかり時間を潰さなくては…

先ずは朝飯でも食うか、と駅近くの屋台を見て周る。
「せっかくだから、ベトナム名物のフォーを食べたいな。まだインスタントのカップ麺フォーしか食べていないし」
ハノイ駅の北側に、食堂や屋台が集まった一画があるらしいので行ってみるが、朝早すぎるせいか開店準備中の店ばかりで全然活気がない。
ハノイ屋台横丁を抜けてそのまま何となく予約したホテルのあるホアンキエム湖のほうに向かう。
途中、道端で子供たちが朝食中の屋台を見つけて、そのまま座って注文。
これがトマトが入った酸っぱいフォーでとても美味かった!変てこな匂いのする葉っぱを刻んだものを大量に載せて食べるといかにもベトナムでものを食べてるという気分になった。

フォーを食べた後、腹ごなしがてらこのままホアンキエム湖まで歩くことにした。
と言ってもホアンキエム湖まではそんなに距離がなく、15分ばかり歩くと湖というより池のような水面が見えてきた。
ハノイ市内のど真ん中にあるホアンキエム湖の湖畔は市民の憩う公園になっているので、ベンチに座って湖を眺めながら暫くのんびりする。

それにしても、朝陽が昇ると暑くてかなわん。エアコンが恋しい…
結局、我慢できずに予約していたホテルに向かう。
「モーニン…今からチェックインできる?」フロントマンは暫く電話でどこかと連絡を取り合ったりして調べていたが、
「今から掃除をしますから、あと1時間待って下さい」
仕方がない。荷物だけ預かってもらって、時間潰しに「革命博物館」を見に行く事にする。

いかにも共産主義国家ベトナムらしい「革命博物館」、展示もいかにも大時代的で、フランスの植民地として虐げられていたベトナム人民がいかに革命を戦ったか、近代兵器で迫り来るアメリカ軍に対して塹壕やゲリラ戦でベトナム戦争を戦ったか、そして躍進する現代の共産ベトナムと革命指導者ホー・チ・ミンの偉大さを高らかに謳い上げるというもの。
ホー・チ・ミン自身は気さくで高潔な人物だったらしいから(写真で見るとまさに好々爺って感じだ)、自分が死後ここまで祭り上げられると却って厭なんじゃないだろうか…
増してや、街の名前になったり遺骸を廟に永久保存されたりしたんじゃなあ…
そして、こんな旗も展示されていた。


ようやくホテルにチェックイン出来て、早速熱いシャワーを浴びる。
サッパリしてクーラーの効いた部屋でのんびりしてると、あの埃にまみれた灼熱の鉄道旅行は一体何だったんだろうという気がしてくる。
でも、鉄道に乗るのが好きなんだから仕方がない。これはもはや業(カルマ)だね、乗りたいから列車に乗るんだ。よく言うじゃないか、「そこに山があるから登るんだ」って。「そこに線路が敷かれてるから列車に乗るんだ」。これからも僕は世界中を鉄道に乗って漂流するぞ…いかん、湯上りのハノイビアが効いてきたようだ。

酔い覚ましに、ベトナム歴史博物館を見に行く。
日本の援助金が入っているようで、日本語のパンフも用意されていたのが有難い。
中部ベトナムに存在したチャンパ王国の石のシヴァ神像などが興味深い。チャンパには阿倍仲麻呂も遣唐使の帰り船で難破して流れ着いたりしてるんだよな確か。阿倍仲麻呂もこのエキゾチックで妖しい石の像を見たのだろうか。
それからホアンキエム湖の周りを一回り。湖畔には「ひたすら水面を釣竿でかき回す釣り人」とか「体重計り屋のおばさん」とか面白い人達がたむろしている。


ホアンキエム湖近くの路上市場。
ここは食料品が中心で、色とりどりの果物や野菜、それに輪切りになった巨大鯰や目の前で捌かれる蛙などなかなか迫力がある。

市場の片隅の屋台でフォーを食べて、さあそろそろ帰ろうか。
明日は朝5時にホテルにエアポートタクシーが迎えに来る手筈になっている。
ハノイ・ノイバイ空港から一旦ホーチミン空港に戻り、EVA航空の台北行きに乗り換えて台湾経由で日本に帰ることになる。

ベトナムの印象は一言で言えば「何でもあり」の国だということだった。
楽しいこと、つらいこと。親切な人、胡散臭い奴。ドイモイの掛け声の下発展を続ける経済と、今でも国を支配する共産主義体制。フランスの植民地にされアメリカ軍に枯葉剤を撒かれた悲しみの歴史と、どこかあっけらかんと今日を生きる人々の姿。それらすべての上に白い空が広がり、緑の田圃が覆い、紅い河が流れる。
南北統一鉄道でホーチミン(サイゴン)からハノイまでベトナムの脊梁を駆け上がり、さらにホン河に沿って中国との国境までを列車で一気に駆け抜けただけの旅ではこの国のほんの一部しか見えてこないことは分かっている。何でもありの国ベトナムの持つ別の顔を見るために、またいつかこの国を訪ねたいと思う。
それに、またあの美味い屋台の飯が食べたいしね。

すっかり暗くなったホアンキエム湖の畔をホテルに帰る。湖畔では店仕舞いした体重計り屋のおばさんがライトアップされた「伝説の亀の塔」を見つめ、その傍らでは釣り人が水面を釣竿でかき回し続けていた。


<後日談>
翌8月17日の未明、エアポートタクシーは時間通りにホテルに迎えに来てくれてぼったくる事もなく僕を空港に連れて行ってくれた。
オーバーブッキングや遅延が多いとされるベトナム航空の国内線も定時に離陸し無事にホーチミンに到着、EVA航空台北便も問題なく台湾桃園空港に到着した。

予定ではここから台北駅に移動して、台湾国鉄が導入したばかりの新型特急「タロコ号」に乗って台湾東海岸の花蓮に向かい、そのまま夜行列車に乗り換えて台北に引き返し翌朝の福岡行きEVA航空キティちゃんジェットで帰国、という段取りを考えていたのである。
ところが、ホーチミンから到着した台湾は大雨でバスは2時間も遅れて台北駅に到着、「タロコ号」のキップを買おうとすると「台風が来てるから全部運休だよ」
何と、超大型の台風8号が台湾に接近しており、明日朝にも台湾に上陸するとのことだったのだ。鉄道も既に台風対策で長距離列車はすべて運転を止めており、これでは「タロコ号」にも乗れないね、などという以前に明日朝8:10発の福岡行きキティちゃんジェットも欠航するかも知れないじゃないかー!!

まあ、今更じたばたしても始まらん。気を取り直して日本の家族に連絡し、台風情報とEVA航空の運航状況を逐一メールで連絡してくれるように頼み、後はもう自分で出来ることはないから士林の夜市に出かけて腹ごしらえ。
その夜はホテルも予約していないし、翌朝は朝5時の空港リムジンバス始発便に乗ってとにかく朝一で桃園空港に向かい状況を確認しなきゃならんということで、台北駅のロビーで同じように台風で足止めを食らった乗客と一緒に夜明かしした。

さて翌8月18日は朝から凄い大風と土砂降りの雨である。こりゃフライトは無理かなと思いつつ空港に向かうと、何と福岡行きキティちゃんジェットは時間通りに出発するという。台風が来る寸前に台湾を離陸して逃げ切ってしまうつもりらしい。本当に大丈夫かよ、夏休みで満席の便を欠航させたくないのでムリに飛ばすつもりなんじゃないだろうな?と思いつつ、最新型のエアバスA330-200は大風をものともせずに離陸、無事に台風を振り切って福岡空港に定時に到着した。
福岡は台湾を襲っている巨大台風など知らぬ顔の入道雲もくもくの快晴であった。

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白い空、緑の田圃、紅い河~2007年夏ベトナム鉄道漂流 その2

2007-08-26 | 旅行
(写真:サイゴンから1726キロを走破してハノイ駅に到着したベトナム南北統一鉄道TN8列車)

2007年8月14日
ベトナム南北統一鉄道TN8列車の旅もいよいよ3日目、最終日になった。
今朝は地元歌手の歌?らしい妙にだるくなるスローバラードで午前6時過ぎに叩き起こされた。

今朝配られた朝メシはこれ。パッケージに何故かロンドンの空港特急ヒースローエクスプレスの写真がプリントされたインスタントラーメン。いや、インスタント「フォー」か?
「嗚呼、ハノイに着いたら本物のフォーを屋台で食いたいなぁ…」とか思いながらカップ麺を啜る。


カップ麺を平らげ、ベッドに寝そべってダラダラしていると、列車の速度が極端に遅くなってきた。時々停車しながら、恐る恐るといった感じで進んでいく。車窓を見ると一面の赤土の海だ。どうやら数日前まで線路が冠水し寸断されていた現場に近づいたようだ。
日本を出発する直前にチェックしたネット経由の情報では、記録的な集中豪雨で数十人規模の死者まで出ているという。線路と平行した道路には、被災者の救助が続いているのか、救急車も出動している。





水害の傷跡はまったく酷い有様で、線路が崩壊せずに残ったのが不思議な程だ。乗客も驚愕の表情で車窓を見ている。水の中を歩く人影も見えたが、水害後の復興は大変そうだ。どうか気を落とさず前向きに生きて下さい、と願わずに居れない。
列車は歩くほどの速度で徐行して水害区間を通り抜けた。

さて、所定のダイヤでは我がベトナム南北統一鉄道TN8列車は今日の昼12:05に終着駅ハノイに到着することになっているのだが、先程の大徐行で大幅に遅れるなこりゃ…

昨日みかんをくれた同室のオジサン達が下車するので握手して別れたり、空席になったベッドに若い男性が乗り込んで来て(ベトナムでは寝台券を複数の乗客に売るんだな、大らか…)、多分水害区間の徐行のせいで散々待たされたせいだろう、疲れきった様子でそのまま寝てしまったり、そうこうしている内に昼飯が配られた。
今日も同じメニューかと思いきや、豚の角煮がエビになっている。
しかし、もう12時を過ぎたのにハノイに着く気配はない。時々停車する駅名を苦労して読み取って地図と照らし合わせると、ハノイにはまだ大分距離があるぞ。日が暮れるまでに着けるかな。。。

それでも着実にハノイは近づいているらしく、車窓に人家が増えてきた。列車も何とか遅れを取り戻そうとしているかの如く午後の通り雨の中を速度を上げて疾走する。
やがて車内放送で哀愁を含んだ女性歌手のバラードが流れ始め、旅の終りが迫ったことを告げる。同室の若い男性と上段ベッドの母娘(彼女達は結局、僕と同様に全区間を乗り通してしまった。ご苦労様。。。)も降り支度を始め、僕に「やっと着いたネ」というように笑いかける。

午後5時過ぎ、TN8列車は定刻から約5時間遅れで終着駅ハノイに滑り込んだ。

ハノイに着いたら、先ずは市内の日系旅行会社に手配を依頼していた明日乗車する列車のチケットを受け取りに行かないとならない。歩いて行けない距離ではないが、ベトナム縦断列車の旅で疲れているし荷物は重いし、何よりじっとりべったり蒸し暑いのでタクシーに乗ることにする。しかし、ベトナムは世界に名だたる悪質雲助タクシーの巣窟なのだ…
言い寄ってくるぼったくりバイクタクシーや白タクを完全シカトして、駅前で大手会社のタクシーを捕まえる。旅行会社の所在地の通りを告げると「5ドルでいいか?」と聞いてくる。こいつもかよ…「NO!メーターで行ってくれ」
旅行会社のオフィスでチケットを受け取り、
「水害で徐行して5時間遅れで到着ですよ」
「ええ~!?それはそれは御疲れ様でした」
「いやいや、運休されるのに比べたらマシです」とか会話。ついでに「ホテルに帰るんで、『まともな』タクシー呼んでくれますか?」とちゃっかり依頼。
それでもホテルに着いたタクシーの運ちゃんは平然とメーター額の10倍以上の金額の100000ドン紙幣を「オ~、チップねサンキューサンキュー」と懐に入れようとするのだった。
「誰がそんなにチップをやるか!いいからお釣りを返しな!」ああ、疲れる。。。


2007年8月15日
ベトナム南北統一鉄道2泊3日の旅を終えて、ようやくシャワーを浴びて揺れない広いベッドで眠れたのだが、今日も夜明け前に起きて列車で出発するのだ。
目指すのは中国国境の街ラオカイ。
ベトナムと中国雲南省の間は線路が直通していて貨物列車が両国間を行き来しているが、今のところ旅客列車の国際列車は走っていない。それでもラオカイまでは1日数本の旅客列車が運行していて、ラオカイと中国・河口の国境を越えて昆明行きの列車に乗り換えることも出来るらしい。
とりあえず、ベトナム最深部の国境の街まで列車で行ってみたい。しかし、この区間は夜行列車中心のダイヤが組まれていて昼間にハノイからラオカイまで直通する列車はたったの1往復のみ、しかも早朝6:10発!
でも、せっかくだから昼間の列車に乗りたい、車窓が見たい。乗るしかない!
…という訳で、せっかくのホテルの立派なベッドを夜明け前に捨てて昨日着いたばかりのハノイ駅に戻って来たのだ。

某歩き方ガイドブックによると、ハノイ駅は南北統一鉄道の列車が発着する駅とラオカイやその他2路線ある北方路線の列車専用の「ハノイB駅」とに別れているらしい。昨日着いたハノイ駅の真裏にあるB駅目指して、駅前の路地を歩く。


駅構内から北向きに出る線路を跨いで…




ハノイB駅に到着。
僕が乗るラオカイ行きLC3列車は4番乗り場か。
でも4番乗り場って昨日サイゴンから到着したプラットホームのすぐ隣じゃないか。何でわざわざ行き先ごとに駅舎を分けるんだろう?不便だし、イマイチ意図が分からないぞ。


これが、今日一日10時間乗車するラオカイ行きLC3列車。南北統一鉄道の箱型車体のディーゼル機関車とは別形式の、赤いアメリカ風スタイルの機関車が先頭に立つ。


車体のメーカーズプレートにはプラハの文字が。
共産主義時代の同志から提供された機関車らしい。
しかし今やチェコはEU加盟国となり共産主義時代は過去の記憶となった。そしてこのプラハ製機関車のベトナム人運転士も「ハロー!グッドモーニング!」と英語で陽気に声をかけてくる。時代背景は移り変わり、物言わぬ機関車だけが歴史の生き証人として走り続ける。




LC3列車の編成を最後尾まで見て歩く。
全車両、濃緑色のエアコンなし車輌で、ソフトシート車とハードシート車、そして食堂車か車内販売準備車?と思われる車輌と荷物車で編成を組む。


さて僕の指定された車輌は、ソフトシート車が売り切れだったのでハードシート車。
この木のベンチシートに10時間も座り続けるのはキツイだろうな…


定刻にハノイを発車したLC3列車は、線路際に建て込んだ家の軒先をかすめるようにしてハノイ旧市街を走る。
エッフェルが設計したとも伝えられるロンビエン橋でホン河を渡り、ハノイ市と別れを告げた列車は後はひたすらこのホン河に沿って中国国境を目指す。


列車は早朝のすがすがしいハノイ近郊を快調に飛ばしていく。
木のベンチシートも、微妙に身体にフィットする角度が付けられているので案外座り心地がいい。
時々停車する駅の側線には、漢字表記の中国の貨車の姿が目立つ。この路線は国際貨物列車の行き交う物流の動脈であることを認識させられる。


辺りは一面の田圃。どこまでも広がる緑の絨毯を眺めていると、何とも言えない懐かしさを感じる。
やっぱり僕も瑞穂の国の人だから。






車窓にだんだん熱帯性の植生が目立ってきた。風景が山がちになり、小さな峠を越えて走っていく。
だいぶ陽が高くなってきて、車内も蒸し暑くなってきた。
時々周って来るワゴンサービスから氷で冷やしたハノイという銘柄の缶ビールを買って飲むが、ちょっといがらっぽいような独特の味がする。喉越しスッキリという訳にはいかない。


車窓にはホン河が流れる。中国雲南省から流れてくるこの河はベトナムの他の川と同様、たっぷりと土(風化した玄武岩らしい)を溶かし込んでいて真っ赤に見える。さすが漢字で書くと「紅河」となるだけの事はある。
水蒸気で白く輝く空と、濃厚な緑の熱帯林、そして紅の河。日本ではありえない凄まじいコントラストの、インドシナの風景がある。
でもホン河に沿って遡上する列車の旅は、どことなく北海道の宗谷本線の音威子府辺りを天塩川に沿って走ってるのと似た雰囲気のような…?気候も風土も全然違うんだけど、不思議。




だいぶ山の中に入ってきた。時々、棕櫚や竹林の間から幻のように棚田と集落が現れて列車が駅に停車する。駅の信号はノスタルジックな腕木式だ。
かなり中国が近づいてきたせいか、まるで桃源郷伝説のような幻想的な風景が展開する。

駅に着くとプラットホームを物売りが行き来する。中にはそのまま列車に乗り込んで来て車内販売を始める人までいる。時々車掌がそういった売り子を叱り付けたり、荷物車に押し込んでデッキのドアにカギを掛けたりしているので、あれは不法乗車の無許可営業なんだろうか?
でも、弁当も何も持っていない僕にとっては有難い存在。さっそく、茹でたとうもろこしを買ってみたが、懐かしい「もちとうもろこし」だった。僕が買うとつられた様に他の乗客も買い始めるのが面白い。
ただ、ベトナムの乗客は車内で飲み食いしたゴミを車窓に投げ捨てる習慣があるのには閉口した。まあ、とうもろこしの芯はすぐに分解して土になるだろうから、と考えて僕も郷に入れば郷に従うことにする。

昼下がり、車内はますます蒸し暑くなり、西陽の当たる側の席にはとても座っていられないような蒸し風呂照り焼き状態。ハノイを出て既に8時間以上が過ぎ、乗り疲れもあって乗客もバテバテ、売り子も疲れたのか空いている席に勝手に座ってサボっている。それでも商魂逞しい彼女ら(売り子はリーダー格のオバサンに引き連れられた若手数人組みというチームが多い)は、目ざとく外国人乗客の僕を見つけて売れ残りのジュースを買わせようと押し付けてくる。苦笑しながら冷えたジュースを氷の入ったバケツに戻すと、今度は隣から「ワタシ怪しいベトナム人です」と言わんばかりのリーゼントにパンダサングラスでくわえタバコ(笑)の出来そこないの西部警察みたいな男が「アナタ中国行くね、私のバスに乗るね」と声を掛けてくる。
いい加減ウンザリして「ジュースも水も飲まんしバスにも乗らん!」とぼやいているうちに、LC3列車は定刻通り16:35、国境の街ラオカイに到着した。

ラオカイには列車に乗るために来たので、何も用はない。着いたら引き返すだけである。今夜のハノイ行き夜行列車のきっぷを手配してあるのだが、出発は21:00、あと4時間半ある。
せっかく国境の街に来たのだから、暇つぶしがてら国境を見に行く事にする。
毎度御馴染み某歩き方ガイドによると、駅前の通りを右に曲がって1キロばかり進むと国境の「新中越友好橋」に着くはずだ。リュックを背負い、駅前に出た途端「バイクに乗れ」「バスに乗れ」「ホテルに泊まれ」と群がってくる連中を振り払って歩き出す。

暫く歩くと、ラオカイ駅から伸びる線路が見えてきた。この線路を通って、貨物列車は中国とベトナムを行き来している訳で、あれ?という事は昆明までは中国国内も標準軌ではなくメーターゲージなのかな?などと考えつつ、バイクが行き交う埃っぽい道を傾いた西陽に向かって汗をかきかき歩く!

道路標識が見えてきた。ベトナム語表記なので全然読めないが、「真っ直ぐ600m行くと国境」と書いてあるんだろうと強引に解釈してさらに歩く!

怪しく延びる線路。何だか山に登っていくような気配だけど、本当にこの先に国境の橋があるのかいな?

行く手の街路樹の先に妙な形の橋が見えてきた。国境に違いない。さあもう少し、ベトナムの端っこは近い!

着いた、国境です!いや~駅から1キロは遠かった。
さっき見えた妙なデザインの建造物は橋の向こうの中国側ゲートだったようで、これ見よがしに「中国 河口」というバカでかい看板が出ている。橋のこっち側にも異様に巨大なベトナム側ゲートが「見せびらかす」ように建っている。これはもうお互いに「俺の国の方が強いんだぞ!」と意地を張り合ってるとしか思えない。
新中越友好橋のたもとには小ぢんまりした公園があり、観光客が河(ホン河の支流だ)の対岸の中国を眺めることが出来るようになっている。やれやれとリュックを降ろし、「あれが中国かぁ~」とアホみたいな感想を呟きながら一休み。
「本当に、川一本挟んだ向こうが外国なんだなぁ…陸上の国境越えは列車でしかしたことないから、じっくり自分の目で国境を眺めるのは初めてだなぁ…ああ、中国とは時差があるんだな、向こう岸の公園の時計は1時間進んでるぞ」

ふと、国境の橋を見ると、歩いて渡ってる人が結構いる。
荷担ぎの行商人ばかりでなく、ちょっと川向こうまでお出かけ中という感じの普段着の人や、大きなトランクを引きずった見るからに観光客っぽい人も行き交う。

「さて…」僕はまたリュックを担いで歩き出した。
「ひとつ僕も国境を越えてみるかな」
(→白い空、緑の田圃、紅い河~2007年夏ベトナム鉄道漂流 その3 に続きます)

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