天竜浜名湖線が未だ国鉄二俣線と呼ばれていた頃、二俣駅の近くで我が不肖の姉が「ボヘミアン」と言う酒場をやっていた
行燈は「バー」となっていたがどう見ても田舎町の「酒場」と言う風情でそれがまた味が有った
その姉に小遣いをせびる更に不肖な弟が未だ二十歳を少し過ぎた頃の話
当時は天竜地方の杉は評判が良く多くの樵がこの町で暮らし、羽振りが良かったので店は中々繁盛していた
樵は伐採のある街を転々とする生活が多いので単身住み込みである、従って夜は大抵こういう店か焼鳥屋などで夜を過ごす
ちょっと小洒落た洋風酒場でその頃流行っていたのが「血まみれマリー」と言う飲み方だった
カクテルと言うには大雑把なこの飲み方はウィスキーとトマトジュースを好みの割合で混ぜて当時はやり始めていたタバスコを入れると言うやつだった
トマトジュースにタバスコと言うのは酒ではなく飲み物として一般的で喫茶店でも塩かタバスコを入れていた
本名「ブラッディ・マリー」は飲みやすいので飲み過ぎてしまうが中々美味しかった、
しかしどうやらこのやり方は日本式(場末の?)アレンジで本物はベースに使うのはロシアのウヲッカ・ペレツオフカを使いトマトジュースもデルモンテ100%を使うのが正式らしい
当時の浜松北部山間部ではこんな洒落た酒は手に入らないのでこんな飲み方になったんだろうが何でこんな山奥で流行したんだろう
試しにやってみたがそれ程感激する事もなく、当時の薄暗い天竜二俣の酒場がほんの少し思い出した位だった、
不祥の姉は一昨年83歳まで生きて施設で息を引き取った、更に不祥の弟は何とか未だ元気に酒を毎日飲んでいる、
久しぶりに又「血まみれマリー」でも飲んでみようか
※血まみれと言うワードがどうやら禁止ワードらしかったので表題変更
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