恐らく昭和45~46年ころ、池上線の千鳥町駅から北に一方通行の道を逆にたどると一方通行が始まる小さな交差点を西側に折れた所に小料理屋風の小さな店が有った
間口2間ばかり、全面曇りガラスの引戸をあけると10人は少し狭いかと言うカウンターが有って40代くらいの女性が一人で切り盛りをしていた
尤も当時22歳位だったから年上の女性の年齢はあまり良く解らなかったので違うかもしれないが30代の前半ではなかったことは確かだ
未だこの時分店の前は畑で家庭菜園かなんかか、なにかへばりつくように植わっていたが野菜の姿は見なかったきがする、
そのすぐ先は環状八号線だが当時かの有名な「久が原の島住宅」が有って道路として機能はしていなかった、
店の名前は「筑波」と言う名前で白地の暖簾に薄く青色を佩いて特に気取った字ではなく明朝体で大きく2文字が書いてあった、
カウンターの右端に色紙の入った額が角を上下にして下がっていて「白玉の、歯に沁みとおる秋の夜の、酒は静かに飲むべかりけり」と書かれていた
確かにこの辺りは工場地帯で職工や運送会社の運転手が多いので飲み屋だと結構騒がしい店が多いのだが飲み屋でこの句は中々のものである
「若山牧水だよね」と聞いたら「故郷が同じなので好きなんですよ」と言っていた、
最近改めて調べてみたら牧水の生まれは九州の宮崎県日向市だった、筑波に住んだことでもと年賦を見たがあの辺はまったく出て来なかった
若しかしたら女将が日向の生まれだったのかもしれないが、店の名前が「筑波」だったのでそう思ったのだがどうも関係なさそうだ
まあ、店の名前は特に出身地とは限らないから勝手な思い込みだったろうが50年も経って初めて知った、
「酒は静かに飲むべかりけり」は大賛成だが実際は大半が正反対で大言方語、放歌高吟、辺り構わず傍若無人てな事が殆どだった。
尤も一人でこんな店で魚や野菜を抓みながら酒を啜るのでは「静かに呑む」のじゃあなきゃあ危ない人になってしまう
これは袋井の森田焼の赤ぐい飲み
この歳頃からほぼ毎日酒は切らさず、親しい連中と飲めば先のごとく、それが無ければこんな所でちびちびと、給料前になったら布団の中で乾物でとアルコール浸しでもう76歳,多分死んだらよく燃える、
糖尿で醸造酒は止められたが今の医学は有難い、蒸留酒ならOKだと言う、
しかしそれも量の問題だ、25度の焼酎1.8Lパックを月2本と口替えにジンだのラムダのウィスキーだの、ばれたら絶対に止められる
そう言えば3ヶ月に一回やっている血液検査結果はすべて順調だが必ず「脱水症状のきらいが有りますね、水を飲んでくださいね、高齢者は特に」と言われる
毎日600mlのお茶を3本は平らげ、牛乳だの、飲むヨーグルトなの、朝シリアルに豆乳だのと充分取っている、
はい、飲み過ぎです、わかっちゃいるけどやめられね~んだよな
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