河内長野WALK&RUNとともに

ランニングを通じて、健康を維持し、友達の輪を広げましょう!

  9/24(土)、「熊野街道・ウォーク&ラン」第6弾 19.5km!

2011-09-24 15:13:27 | 熊野街道ラン

天候は、晴れ。 気温は、20℃くらいか、朝は、肌寒い感じだった。
午前6時10分に自宅を出て、6時29分「三日市町駅」発の電車に乗る。
「三国ケ丘駅」で、7時02分発のJR阪和線に乗り、7時32分に「和泉橋本駅」で下車、“熊野街道・ウォーク&ラン”を開始する。
7時54分に、「鞍持・近木王子」が合祠されているという「南近義神社」に参拝する。

        

南近義神社・鞍持・近木王子・神社近くの旧家・塀の長さ100mの旧家


その後、8時20分ごろ「加支多神社」東側を通過する。
8時56分ごろ「佐野川」を渡る。 しかし、この辺は、旧道が新道に分断され、ややこしいので、コースを検討する必要に迫られ、喫茶店に入る。9時40分ごろ、「泉佐野市役所」辺りを通過する。
9時43分には、「大阪府立佐野高校」前を通過する。
ここからは、大きな旧家が多くあり、街道の雰囲気を残している。
10時05分には、「関西空港道」のガード下「長滝北」をくぐる。
この辺りの道にも大きな、旧家が多くあった。
中には、100m近い塀のある豪邸があった。
10時37分には、「貝塚和歌山線」、一説には紀州街道と呼ばれているところに出る。


     

     樫井王子   街道沿いの旧家 樫井古戦場跡

何度か迷いながら(今回ほど道に迷ったことはなかった)行くと「塙団右衛門墓所」があった。 何でここに?と、説明書きを読むと、この辺りで、「大阪夏の陣」の緒戦となった戦いがあり、豊臣方であった「塙団右衛門」は、紀州和歌山軍と戦い討ち死にをしたのだという。
同じく、この戦いで戦死した「淡輪六郎兵衛重政」の墓もあった。
明治川の辺りには、「樫井古戦場跡」の大きな石碑が建っていた。
「厩戸(馬留)王子跡」は、分かり難い所にあって、あぜ道を歩いていたら、泥田に足を突っ込んでしまった。

     

     厩戸王子    信達本陣跡     長慶寺

12時15分には、「信達本陣」の提灯が掲げられた屋敷に着いた。
説明書きによると「この地は、中世から賑わい、熊野詣での宿駅として栄え、江戸時代には、紀州徳川家の参勤交代の際、本陣・旅籠などが設けられてきた。今日も、往時の姿を偲ばせる街道筋です」とのことである。
12時20分には、一寸道草になるが「長慶寺」に寄ってみる。
これが、思ったより立派な寺で、本堂以外に、三重の塔、鐘楼、立派な山門(仁王あり)がある、大きなお寺だった。
今日のゴールと決めていた「JR・和泉砂川駅」には、13時05分に到着したが、すぐ電車が来たので、13時06分のに乗って帰った。
家には、14時半ごろ着いた。
万歩計では、27926歩、19.5kmを指していた。
結構歩いてるが、好天でしかも爽やかだったし、体調も良かったので、余り疲れも感じなかった。
収穫の多い、「熊野街道・ウォーク&ラン」だった。
次回、第7弾は、いよいよ“和歌山県”に入ることになる。






   9/20(火)、『雨の中の 熊野街道』 ウォーク&ラン 第5弾 16km!

2011-09-20 17:04:12 | 熊野街道ラン

9/20(火)、仕事が休みなので、今日は、雨が降ろうが「熊野街道」ウォーク&ランを実行するつもりだった。
案の上、朝起きると雨が降っていた。
靴は雨靴にし、防水済みの雨合羽上下を着用し、傘を差し、リユックも、雨除けをして、万全ないで立ちで出かける。
前回のゴール地点「和泉府中駅」を、午前8時12分にスタートし、「井ノ口王子」を、8時27分に通過。

        

  だんじりの修理所で  古ぼけた蔵   池田(積川)王子跡

雨が激しく降ってきたこともあり、9時23分、「久米田駅」前で休憩する。
その後、久米田駅の近くの「池田(積川)王子跡」に立ち寄る。
久米田寺に行くと、かなりの回り道にはなるが行くことに。 10時20分に着く。 結構大きなお寺である。

        

      久米田寺      久米田池      土生神社

境内を通り過ぎると「久米田池」に出る。
一周できる道が整備されているという。 この時点で、万歩計は、11,144歩を指している。 これから、一寸迷って、13号線の「下松交差点」に、10時53分に着く。
ここからまた道に迷って、11時27分に「土生神社」に着く。
地図をよく見ると、とんでもない所に来ている。
交番で聞いて、再び13号線に戻る。
11時50分に、「めし膳」で昼食を摂る。
12時22分、「三和製作所内」にある「麻生川王子跡」と言われる祠を見せてもらう。       
        

    麻生川王子跡?  道しるべ地蔵  和泉橋本付近の豪邸

12時48分に「貝塚線・石才(いしざい)駅」に着く。
雨は、土砂降りとなる。
13時14分にやっと「和泉橋本駅」に着く。
13時22分発の「快速」に乗る。
13時50分に、「三国ケ丘駅」に到着する。
万歩計は、23,502歩・16.4kmを指していた。
雨にたたられたが、暑さは感じないで、雨対策はしていたので、濡れることもなく、意外と長時間(約5時間)歩けた。
それにしても、雨が降ったり止んだりで、傘をしぼめたり、差したりとめまぐるしかった。

次は、泉佐野市辺りまで、行けると思う。
雨でないことを祈る。

9/13(火)、『熊野街道』鳳~和泉府中 ウォーク・ラン 第4弾 9km!

2011-09-13 21:12:00 | 熊野街道ラン

9/13(火)、『熊野街道』 第4弾、鳳~和泉府中間、約9kmをウォーク・ランしました。
鳳駅前の「喫茶・駅前ブラ」を覗き、前回足を肩に乗せる特技を披露してくれたお年寄りに、その件を掲載したブログのプリントしたものを「渡してください」と預ける。
コーヒをいただいて、その後、鳳駅を午前8時30分にスタートする。


           

   鳳南会館の掲示看板  街道沿いの豪邸   篠田王子跡

「鳳駅前商店街」を行くと、「鳳南会館」前に立派な「熊野街道の掲示看板」があり、コースが記載されていた。 これは役に立った。
やがて、府道30号に出る。 この道を、しばらく行き、「昌和オート」の西側の道に入る。 堺泉北道路の高架下には、9時20分に着く。万歩計は、4089歩を示している。
ここで、「熊野街道」に入る道を間違って、「馬場病院」周辺をウロウロする。
偶然通りかかった古老に聞くと、丁寧に教えてくださった。

           

      伯太高前の道標  和泉市内の屋敷   井ノ口王子跡

やがて、「篠田王子跡」に10時01分に着く。 立派な、標石柱と掲示看板が建てられている。 建立は、1981年と刻まれている。
この辺りには、立派な屋敷が立ち並んでいて、“街道”の雰囲気が感じられる。
自衛隊信太山駐屯地前に出る。 その対面に古ぼけた道標があり、読むと「右 小栗街道 左 池田」と刻まれている。
小栗とは、毒を盛られた、小栗判官が、「湯の峰温泉」に、湯治に行くために通ったと言われる道である。 『熊野街道』は、この辺りでは『小栗街道』と呼ばれていたことがこの道標から推測できる。
伯太高校には、10時47分に着いたが、校門前に石作りの「熊野街道」の立派な道標が建っていた。 泉井上神社には、11時01分に着く。 本によれば、ここには、「井ノ口王子」の遺構が移されているというが、見つからなかった。
11時19分に、「井ノ口王子跡」の石柱が建っている地点に着く。
万歩計は、12705歩を示している。 約9kmくらい歩いたことになる。
近くの「故郷そば ねごろ庵」で、ぶっかけそばを食べる。 何とも旨かった。
昼食を摂ると、この先へ行く気も失せ、12時04分「JR和泉府中駅」発の電車に乗って帰ることに。
それにしても暑かったナ~~。

9/6(火)、『熊野街道』ラン&ウォーク、堺東駅~大鳥神社、11km!第3弾!

2011-09-06 16:17:02 | 熊野街道ラン

9/6(火)、「熊野街道・ラン&ウォーク」第3弾が意外と早くやってきた。
午前6時過ぎに家を出て、「三日市町駅」6時17分の急行に乗る。
「堺東駅」を6時39分にスタート。
「反正天皇陵」に戻り、前回の続きを歩く。
6時59分に、「仁徳天皇陵」北東角に着く。「堺シティマラソン」でいつも走っている場所である。
御稜の周囲が、熊野街道ということで行くと、木陰の多い素晴らしい道に出る。
この道は、シティマラソンのコースとは違い、初めて歩く道である。
路傍に、仁徳天皇のお后の、磐姫(いわいのひめ)の歌碑が建っている。

           

        磐姫の歌碑    仁徳天皇陵の標柱

“ありつつも 君をば待たん うち靡く わが黒髪に 霜の置くまで”
大仙公園の北西角には、7時17分に着く。 そこには「仁徳天皇陵」の立派な石柱が建っていた。
「南宗寺」には、7時40分に到着する。
「山の口橋」のふもとには、熊野街道の由来を書いた立派な看板が建っていた。




熊野街道由来看板 表示板       石柱    大鳥神社本殿

そこが、「熊野街道」の入口との記載にその道に入る。
あちこちに、高さは腰の辺り、23cm×23cmの立派な熊野街道を表す石柱が建っている。
堺市老松付近で声をかけてきた男の人が、「熊野街道」の道順を丁寧に教えてくださった。
どこにも、こうした親切な人がいるものだ。
石津神社には、8時20分に着く。 鳥居の前に、ここにも石柱が建っている。
戎橋を8時25分に渡る。
8時42分に男の人が教えてくれた「馬場記念病院」があり、ここにも玄関近くに、石柱が建っていた。 8時51分に、鳳小栗街道交差点に着く。
9時02分に「大鳥神社前」の交差点に着く。
大鳥神社には、9時05分ごろ着くが、平日でしかもまだ早いせいか、人の姿はない。
参拝後、JR・鳳駅に向かう。
9時17分にJR・鳳駅に着く。
駅前の喫茶店に入り、地図を見ながら、これからのことを検討することにする。
そこへ、元先生だったという83歳の男の方が入って来られて、話をする。
今は、折り紙、カラオケの先生をしているが、毎日9000歩ほどのウォーキングもやっているとのことで、椅子に座ったまま、足首を肩の所に持ってくるという、特技を披露してくれた。


        

                  この人が83歳とは!

これにはびっくりした。
「教え子に、医者がいて助かります」とも。
とても、83歳には見えない。
この喫茶店にも、できた時から47年通っているとのこと。 これにも驚いた。
で、ここで時間を費やしたし、午後「歌声喫茶」に行く予定なので、今日の所は切り上げることにして、JRで帰ることにした。




8/30(火)、『熊野街道』 天王寺~堺東 ウォーク&ラン!第2弾

2011-08-30 19:36:02 | 熊野街道ラン

8/30(火)、「熊野街道」ウォーク&ランの第2弾は、天王寺~堺東間、約12km。
近鉄・阿倍野駅を午前11時05分にスタートする。
ところが、出鼻で道を間違えウロウロして、また元に戻るというヘマをやってしまう。
20分以上は、ロスをする。
やっとの思いで、上町線の走っている道に出てホッとする。
松虫駅辺りで12時になったので、駅前で昼食を摂る。
12時30分頃、「阿倍王子神社」に着く。

            

         阿倍王寺標識 (携帯にて)



鳥居の横に、立派な“熊野かいどう”の石柱が建っている。
八軒家から7.1キロメートルとの文字が見える。 北畠駅には12時46分に到着。
南海・住吉東駅には、13時22分に到着。 そこからすぐの場所に「住吉大社」があり、13時35分に到着する。 流石に広いので、第一本宮のみに参拝して切り上げる。
「たつのはし」には、13時47分に着いたが、この辺りには立派な、陶板を張った標識・石柱・地面に埋め込んだ、標識が見られた。
石柱の建立時期に大きな差があることに気づく。
中央区では、平成2年・平成21年の文字が見られたが、阿倍野区、住吉区では昭和63年とずっと古い。
墨江小学校には、13時53分に着く。 近くにある「浄土宗・宝樹寺」の掲示板には“父母の齢来て父母を知る”との言葉を見る。
正に、父は、私の今の歳の時に亡くなっているので、胸にジ~ンと来るものがある。
大和川堤防(遠里小野・オリオノ)には、14時24分に到着。
「遠里小野橋」を渡ると、堺市に入る。
やがて、「堺刑務所」の高い塀が見え、そこを西側に折れてしばらく行くと「境王寺跡」に着く。

       

            境 王 子 跡 (携帯にて) 

公園の片隅に建つ石柱で、初めてここが王子跡と分かる。 そこを南に行くと、「方違神社」に突き当たる。
参拝後、境内を抜けると「反正天皇稜」で、周りは“てくてく道”となっていて、レンガ敷きの綺麗な小道になっている。 15時53分に「堺東駅」に到着する。
万歩計は、18,570歩を示している。 約12kmの距離である。
それにしても、暑かったナ~。 熱中症にならなかったのは幸いだった。
かくして、炎暑の中の「熊野街道」ウォーク&ラン第2弾は、無事終了する。
第3弾は、堺東~和泉間となるだろう。次は、いつになるやら・・。


   8/23(火)「熊野街道・ラン&ウォーク」開始! 第1弾!

2011-08-24 05:09:38 | 熊野街道ラン

8/23(火)、京都での「フェルメールのラブレター展」を鑑賞し、熊野街道の大阪での起点とされる天満橋の「八軒家船着場」に着いたのは、午後1時を過ぎていた。
大川沿いの「八軒家船着場」の標識を確認し、熊野街道への入口を探すと、エル大阪の東側に立派な「熊野かいどう」の碑が建っているのを発見!

       

              熊野街道・大阪の起点に建つ碑


その道を少し南に行くと、坐摩(いかすり)神社行宮(あんぐう・御旅所)が鎮座しているので参詣し、置いてある「由緒記」を読むと、「熊野本宮に参拝する古道の内、最初に参詣する第一王子とも言われ、渡辺王子社(別名窪津王子社)の鎮座地ともいわれる」と書いてある。

       

                      窪津王子

「中大江公園」の横を通り、「南大江小学校」に着くと、辻の角に「熊野街道」と彫り込んだ、高さは人の腰くらいあり、20cm×20cm位の、御影石で造った、立派な石柱が建っている。
この石柱は、天王寺区に入ってからも随所に建てられていたから、大阪市の規格に沿ったものであろう。
「南大江公園」の西側には、「狸大明神」の祠があり、「坂口王子跡」との立派な標識が建っていた。
十二軒町を通り、「空堀商店街」を横切り、「上町中学校」の西側を通過して、上汐町に入ると、「地蔵尊祭」に来ていた元連合町会長だった知人に会う。
古老が数人集まっていて、「熊野街道」についての話を聞くことができた。
「熊野街道」の石柱は、1本30万円で、大阪市が7割、地元が3割の負担で建立したという。
「天王寺区の石柱は、四天王寺管長の筆になる立派なもの」とのことであった。
確かに、四天王寺前の石柱には、“四天王寺百拾世出口管長書”との注があった。

       

                 四天王寺管長書の石柱

この石柱には、「大阪天満八軒家」からの距離が刻まれていて、四天王寺南大門前の石柱には、4.1kmとなっていた。
天王寺駅には、午後4時37分に到着し、時間も時間なので、第1日目は、ここで打ち切る。
これから、熊野本宮までの、長い長い道のりを行くことになる。
昨年の、「高野街道 西・中・下・東」4コース踏破に続くものとなる。
さて、生きているうちに到達できるやら。 ま~ノンビリ行こうか。