河内長野WALK&RUNとともに

ランニングを通じて、健康を維持し、友達の輪を広げましょう!

10/12(金)、第16回「熊野古道ラン&ウォーク」 25km!

2012-10-12 20:57:55 | 熊野街道ラン

10/12(金)、第16回目の「熊野古道ラン&ウォーク」をした。


    

中山王子跡   岩代王子への路  岩代地域の風景

    

梅干・一個千円?  岩代王子跡    千里王子跡


      

 千里の浜   芳養(はや)王子跡   出立王子跡     

朝、いつものように5時前に家を出て、5時13分「三日市町駅」発の始発に乗った。
「三国ケ丘駅」で降りるつもりが、新聞を読んでいて「堺東駅」まで乗り越してしまう。
これによってまず20分ほどロスしてしまう。
ところが、この20分が後々、1時間以上のロスとなって跳ね返ってきた。
結局、今日のスタート地点「切目駅」を9時20分にスタートする。
「中山王子」は、前回一度来ているのでスイスイと行けた。
そこから岩代地域までは、山の中の道で、“熊との出会い”も無きにもあらずと、笛・鈴を用意して、鈴はリュックに付けて歩いた。
だが、その心配はなかった。
途中で、お百姓さんにも会った。
岩代(いわしろ)地域に着くと、前がパッと開け、綺麗な海が目の前に広がっている。
「岩代王子跡」は、海の見える丘の上にあった。
そこから「千里王子」までの道は、迷いに迷い、同じ道を何回も行ったり来たりした。
「千里王子」は、千里の浜の海岸近くにあった。
今日は風がそこそこあり、潮騒の音がよく聞こえた。
そこから、「三鍋王子」に向かう道は、ブッシュの生えた、薄暗い道で、行く手の道を黒い動物が横切り、正面に一段大きいやはり黒い動物が、こちらを見て眼を光らせていた。
あわてて、また来た路へ走って後戻りした。
まさか“熊”ではあるまいし、犬にしては小さいし、狸(たぬき)だったように思う。
黒い毛むくじゃらの動物であったことは事実だった。
仕方なく、千里の浜を歩くことに。
これがまた、砂が細かく、足をとられて何とも歩き難い。
“アカウミガメ”の産卵地と言うのがうなずける。
千里の浜を行くのは、「熊野古道」の一方法としてあったらしいので許してもらう。
「三鍋王子」は、「三鍋王子社」の中にあった。
そこから、真っ直ぐ南に行くと「南部駅」があり、それを通過して、「紀伊田辺駅」に向かう。
「芳養(はや)王子」は、大きな神社の境内にあった。
田辺市内の「出立王子」にたどり着くまでには、随分時間がかかった。
また、そこから、「紀伊田辺駅」に行くのにも、遠回りをしてしまった。
「紀伊田辺駅」には、15時半ごろ到着した。
時刻表を見ると「特急くろしお」が、15時37分に出るというので、乗って帰ることに。
「三国ケ丘駅」には、18時ごろに着いた。
今回は、迷いに迷った「熊野古道ラン&ウォーク」だったナ~。
でも、「田辺」までたどり着けて、ホッとした。

10/5(金)、第15回 『熊野古道 ラン&ウォーク』 16.7km!

2012-10-05 21:41:38 | 熊野街道ラン

10/5(金)、『第15回 熊野古道 ラン&ウォーク』をした。
天候は、晴れ、気温も、朝方はそう高くなかった。 何より嬉しかったのは、風があったこと。

       <画像をクリックするとちょっと大きくなります>

          

    西御坊駅・電車 祭りの大ノボリ   塩屋王子跡

      

  「よし長」手前の海岸 上野王子跡    津井王子跡

       

     斑鳩王子跡   切目王子跡    中山王子跡


いつもの通り、家を5時前に出て、「三日市町駅」発5時13分に乗り、スタート地点の「紀州鉄道・西御坊駅」には、8時13分に着いた。 8時15分ごろから歩き始める。
今日は、この辺の秋祭りらしく、大きなノボリがアチコチにへんぽんと翻っている。
ハッピ姿の男の人の姿も多く見かけた。
前回行った「塩屋王子(神社)」には、8時45分に着く。
前回、写真を撮り忘れたので、1枚は、バッチリ撮っておく。
「上野王子」に着くまでには、「祓井戸遺跡」「十三塚」「清姫草履塚」など名跡が多くある。
「和歌山工業専門学校」には、10時4分に着いたが、「こんなとこにあんの?」という位マイナーな場所にあった。
「津井王子(叶)」は、丘の上にあった。
「斑鳩王子」は、迷い迷いながらやっとたどり着いた。
ここからの海を見下ろした眺めは最高だった。
「切目王子」は、鬱蒼とした森の中にあった。
「JR・切目駅」には、12時55分に着いたが、時間があったので「中山王子」に向かうことにする。
急な坂道で、喘ぎながらたどり着いた。
ここも、鬱蒼とした木々に囲まれた立派な神社の境内だった。
ここで、同年輩の「熊野古道巡拝」の人に出会う。
「紀伊田辺まで行く」と言われるが、一緒に行くにはこっちは“エネルギー切れ”に近かったので、断念する。
つぎは、「JR・切目駅」~「JR・紀伊田辺駅」間をラン&ウォーク」することになる。

今までの『熊野街道(古道)ラン&ウォーク』の記事をご覧になりたい方は左上の「カテゴリー」『熊野街道ラン』をクリックしてご覧ください。15回分の記事がご覧になれますヨ。

9/28(金)、第14回 「熊野古道」ウォーキング&ラン・14.6km!

2012-09-29 04:47:22 | 熊野街道ラン

9/28(金)、夏の暑い間は中断していた「熊野古道ウォーキング&ラン」を再開することにした。
今回は、「紀伊内原駅(日高町)」~「紀州鉄道・西御坊駅(御坊市)」間、14.6kmをウォーキングした。
朝、5時13分「三日市町駅(河内長野市)」発の始発の普通電車に乗り、「JR・三国ケ丘駅」で降り、5時47分の関空快速に乗り、7時50分に「紀伊内原駅」に着いた。
すぐにウォーキングを開始する。
勿論一人。
今日の天気は、快晴、気温は朝方は、30度を割っていたが、その内、30度を越えたと思う。 救いは、風が吹いていること。 多分、台風の影響だろう。
田んぼの稲は、殆どが刈りとられているが、まだ残っているのもある。
その稲は、まさに“金波”と言っていいほどである。
道は、曲がりくねって続く。 時々、「熊野古道」の標識が目に入る。

      


            標識(四種の内の一つ)


この標識がなければ、中々まともには、歩けない。
今回は、①「紀伊路・熊野古道公式完全ガイド(和歌山県版・協力和歌山県)」②「いっしょに歩こう熊野古道(わかやま絵本の会発行)」③「熊野古道ガイドブック・熊野への道(吉田昌生著)」「地図・和歌山県(昭文社刊)」を携帯した。
歩き出してから、40分、8時30分に「善童子王子」に着く。
入り口は、ヘビでも出そうな草ボウボウの路で、思わず、大きなくもの巣に顔を突っ込みそうになった。
小さな祠の前に、それを表す石の標識が建っていた。

      

               善童子王子跡


今日第2番目の王子は、「愛徳山王子」で、県道から長くて薄暗い“竹のトンネル”を通って行った先にあった。
8時50分頃に着いた。

      

        愛徳山王子跡までの竹のトンネル路


      

                愛徳山王子跡


ここも、路は、ヘビでも出そうな草の生えた路で、詣でると急いで引き返した。
しばらく行くと、左手に有名な「道成寺(どうじょうじ)」の甍が見えたが、以前に参拝したこともあり、パスする。
そこからすぐの、「吉田八幡神社」の境内と思われる一角にある「海士王子(あまおうじ)」には、9時07分に着いた。
祠のそばに、石造りの標識(余り高くない)が建っていた。

     

              海士王子跡


「海士王子」から次の「岩内王子」までの路はややこしくて、何回も迷ったが、日高川を跨ぐ「野口新橋」に出た時はホッとした。
橋の上は、強風が吹いており、帽子が飛ばされそうだった。
河川敷は、ミニゴルフ場になっており、眺めは良かった。
「岩内王子」には、10時15分ごろ着いた。
長丸い石柱には、「焼芝王子跡」と刻まれていた。

     

           岩内王子跡(焼芝王子跡)


近くの日陰で、しばし休憩をとる。
ペットボトルの“塩+砂糖水”を飲む。 今日のは、いい配合で旨い。
食べ物は、“だんご”と“パン”を持ってきたが、ここでは“だんご”を2つほど頬張る。
一寸暑くなってきた。
この辺りでは、みかんだけでなく、梨やぶどう、花なども栽培しているようだ。
どこの田畑にも、赤い“彼岸花(「まんじゅしゃげ」とも言う)”が、毒々しいくらいに群がって咲いている。
10時55分ごろ、国道42号線に突き当たったが、地図を見ても自分の立ち位置が分らなくなったので、近くのレストランに入り、コーヒーを飲みながら、資料を検索する。
次の「塩屋王子」の大体の場所が分ったので、すぐに店を出て、そちらに向かう。
11時41分に「塩屋王子」に着く。(写真を撮り忘れた)

      

       塩屋王子跡(塩屋王子神社HPから借用)

ここは「塩屋王子神社」の境内で、“美人王子”の派手なノボリが何本も立っていた。
うろうろしていると、石段の上り口で、路をセメントで直していた若い左官さんがやって来て、「松原王子神社があるから行って見てはどうですか?」と地面に小枝で地図を描いてくれた。
予定にはなかったが、折角なので、行くことにする。
御礼を言ってその場を離れて歩いていると、先ほどの若者が、車で通りすがり「丁度、昼飯を食べに家に帰るんで送ってあげるわ」と言って、軽トラに乗せてくれた。
「この辺りの祭りでは、“獅子頭(ししがしら)”が出るんやけど、それを俺が造って、アチコチに寄進してるんよ。」と言って「紀州新聞」の一面トップに掲載されたそのことを報じた記事と、獅子頭の写真を見せてくれた。
「これから、あちこちの神社で、祭りがあるんや」と活き活きと話してくれた。
祭りが好きで好きでしょうがないといった気概が読み取れた。
「松原王子神社」は、ケヤキや、ウバメガシなどの大木の中に鎮座していた。
松原というのは、この辺りに延々と松原が続いていることによるようで、町名も「美浜町」となっていた。
森閑とした境内で昼飯を食べた。
と言っても、持参した、パンとだんごだが・・。
そこから、15分ほど歩いて、「西御坊駅」に着いた。
少し時間があったので若者が「家の近くにある」と言っていた「小竹八幡神社」に行く。


        

                 小竹八幡神社


ここも、大木に覆われた神社だった。
近くの家は、白い漆喰で塗られた大きな蔵付きの家もあり、昔の景観を残していた。
それにしても、人の少ない町である。
12時45分発の「紀州鉄道」の電車は、一両に、乗客3人を乗せて、何ともノンビリと走った。
JR・御坊駅を13時14分発の「和歌山行」普通電車に乗った。
今日は、読みさしの「池波正太郎・食卓の情景」を携帯してきたが、「三国ケ丘駅」に着くまでに読了した。
その内眠くなって一しきり眠り、「三国ケ丘駅」には、15時半ごろ着いたように思う。
外は、太陽がギラギラと輝いていた。
時間的に中途半端で、どこの居酒屋もまだ開いてない。

6/1(金)、熊野街道ラン・第11弾 紀伊宮原駅~7km~湯浅駅~16.9km~紀伊内原駅!

2012-06-01 20:17:08 | 熊野街道ラン

6/1(金)、「熊野街道ラン」第11弾を実行しました。
動機は、和歌山地方が、一日晴れマークだったから。
朝、5時25分、「三日市町駅」発、急行に乗る。
JR「三国ケ丘駅」7時前の新快速に乗り、「紀伊宮原駅」には、8時11分に着く。
すぐに、「湯浅駅」に向かって、スタート。

        

                 随所に見られた道標

糸我王子には、8時48分に着く。

        

                    糸我王子

これから糸我峠までが胸突き八丁、九十九(つづら)折の“獣道”もある急坂。

        
        

                  糸我峠から見た有田・湯浅


「峠の茶屋跡」にたどり着くが、“こんなとこに茶店があったんかいナ~”と思われるような場所だが、かっては“蟻の熊野詣”と言われたのだから、さもありなんとも思う。
「足代過ぎて 糸鹿(いとが)の山の 桜花 散らずあらなむ 還り来るまで」の万葉集の歌が、立て札様に建っていた。
下りは、竹林に覆われて涼しい。
みかんは、パチンコの玉くらいの大きさになっている。
みかん畑で、養蜂家が、ミツバチの箱を開いているのを見る。
湯浅駅近くの「道町中」という地では、「熊野古道」の名入りの提灯や、看板が多数見られた。
町を挙げて顕彰してるのだろう。
「湯浅駅」には、9時53分に到着した。
普通は、これで一日目は終わりだが、次の「湯浅駅」~「紀伊内原駅」に挑戦することにする。
案内書では、16.9kmとなっているし、大きな峠を行くことになるので、多少の不安はあったが、行くことにする。
「勝楽寺」には、10時頃に着いたが、アジサイが綺麗だった。
「久米崎王子跡」には、10時10分に着いた。

         

                     久米崎王子跡

この辺りで多少迷って時間をロスする。
と言うのも、旧道がなくなっていたからで、こういうことは、行く先々随所に見られた。
「津兼王子」には、10時55分に着く。
ゴルフ練習場の片隅に、鎮座していた。
河瀬王子には11時14分に着いた。
そこから、「鹿が峠」までの道は、九十九(つづら)折、急坂、“まむし・ハチ注意”の看板、鬱蒼とした森に覆われた道で、事前の案内書にも“妖怪話”があると読んでいたので気持ち悪かった。
早く抜けたいが、急坂なのでそうも行かない。
ただ、救われたのは、600m近くが、石畳だったことで、よくもこんなに綺麗にと思うほど綺麗に石が敷き詰められていた。

         

                  鹿が峠への石畳の道


鹿が峠に着いた時は、正直ホッとした。
小峠を、12時04分に過ぎ、下りを走って下り、12時13分に“石畳”の終わりになったのと、そこにベンチがあったので昼食を摂る。
「金魚茶屋」には、12時25分に着く。
ここまで来ると、民家もあり、車も来れる位置で、またまたホッとする。
「爪かき地蔵」には、12時48分に着く。
「馬留王子」には、13時05分に着く。
近くに「光明寺」という立派なお寺があった。
「内ノ畑王子」は、「今熊野神社」の近くにあった。
「高家(たいえ)王子」は、「内原王子神社」の境内にあった。
よたよたする足を引きずって、「紀伊内原駅」には、14時26分に着いた。
14時35分の普通電車に乗り、「三国ケ丘駅」には、16時半過ぎに着いた。
それにしても、暑かったし、一寸恐い「熊野街道」23.9kmだった。


5/1(火)、「熊野街道ラン&ウォーク」 第10弾!海南駅~藤代王子~紀伊宮原駅まで! 

2012-05-01 15:56:14 | 熊野街道ラン

5/1(火)、今日は、仕事が休みなのと、天気予報では、和歌山は、晴れとなっていたので思い切って、「熊野街道ラン&ウォーク」第10弾を実行した。
前の日に頭にはあったが、資料を準備したのは、今日の早朝。
竹Sさんの資料・街道マップ[紀伊路]海南駅~紀伊宮原駅と、まぁちゃんがくれた手書きのマップ(イラスト入り)を参考資料として携帯し、それ以外には、和歌山県道路地図、熊野古道ガイドブック「熊野への道」向陽書房・吉田昌生(藤白神社宮司著)を携帯した。
朝、6時17分「三日市町駅」発の急行に乗り、「JR三国ケ丘駅」で6時59分発の快速急行・紀伊田辺行に乗る。
「海南駅」には、8時06分に着く。
「藤白神社・藤代王子」に直行し、家内と旅の安全を祈願し、8時28分にスタートする。

        

                   藤 代 王 子

道は、ゴツゴツした滑りやすい石道でしかも急勾配である。と言ってもそれがいかにも“古道”の雰囲気を醸し出しているが・・。「筆捨て松・硯石」には、8時54分に着く。 休憩もそこそこに出発。「藤代塔下王子」には、9時02分に着く。 裏側に、熊野路第一の美景と言われる“御所の芝”があり、行って見ると成程、眼下に和歌浦湾の懐にある和歌山市、下津の町が一望に眺められた。 正に絶景である。

        

                    藤代塔下王子


「所坂王子」には、9時45分に着いた。 王子は、橘本神社の境内にあった。

        

                   所 坂 王 子

「一壷王子」には、丁度10時に着いた。 この王子は、山路王子神社そのもので、原型をとどめていると言う。


        

           泣き相撲の土俵を背に建つ「一壷王子」の碑


ここの境内で行われる“泣き相撲”は、「市坪の泣き相撲」として有名だとか。
ここからは、コンクリートの細い道で、急勾配の胸突き八丁の坂を上らなければならない。
周囲は、殆どがミカン畑であるが、花はまだ蕾だ。
町中を加茂川というどっかでよく耳にするような川が流れているが、アチコチにみかんが落ちていた。
藤の花は満開で、近くを“熊ん蜂”が飛んでいた。
この蜂は、大きいが、“スズメ蜂”のように恐くはない。
「拝の峠頂上」には、10時31分に着く。 ホッと、一息つく。
この辺りからは、山の上に建つ巨大な“風車”が見えた。

      

                面白い光景・巨大風車


「蕪坂塔下王子」には、11時03分に着く。


      

                  蕪坂塔下王子


祠が、どうやら王子のようで、近くに立派な碑も建っている。

ここら辺りからは、今度は急な下り坂となる。

      

             うぐいすが盛んに鳴いていた

滑りそうな場所もあり慎重に下る。
町のはずれに、「山口王子」があり、11時40分に着く。 休憩所も作られていた。

      

                  山 口 王 子

11時42分には、“伏原の墓”に着く。 説明によると、旅の途中で亡くなった人の墓をここに集めて、通る人たちが礼拝したのだと言う。
「紀伊宮原駅」には、12時05分に到着した。

     

                木造の駅舎・紀伊宮原駅


万歩計は、15.8kmを指していたので、海南駅からは、14.8kmほど、ラン&ウォークをしたことになる。
駅の待合で、昼飯を食べる。
12時32分発の“快速急行”に乗り、「三国ケ丘駅」には、14時20分ごろ着いた。
結局、自宅にたどり着いたのは、15時半ごろで、万歩計は19.3kmを指していた。
雨にも遭わず、暑いのは暑かったが、曇空のお陰で、陽に焼けるほどでもなく、楽しい楽しい“熊野街道ラン&ウォーク”だった。

    11/18(金)、高野街道を北へ・狭山池まで9.5km!

2011-11-18 18:19:44 | 熊野街道ラン

11/18(金)、天候は曇、冬型というがそう寒くもない。
午後から雨が降るとの予報が出ていたので、午前中にランを終了するべく、“狭山池・若丸ラーメン”を目指す。
服装は、長パンツ、長袖、リュックを背負い、手にはe 3グリップを握り、携帯ラジオを聴きながら。
何故、「若丸ラーメン」を目指したかというと、あるブログで“美味しいラーメンの店”として紹介されていたから。
自宅を、午前9時15分にスタート。 高野街道を忠実に辿って、北を目指す。
コースは、自宅~三日市町駅~烏帽子形八幡神社~河内長野駅~千代田・西友前~大阪狭山市~亀の甲~狭山池・若丸ラーメン。(大阪狭山市池之原1 電話0723-67-2202)

       

          河内長野市楠東町・西・中高野街道合流点


狭山池・若丸ラーメンには、開店時間キッカリの午前11時に到着。

      

              駐車場は20~30台分ある


名物の“若丸ラーメン”“手作り餃子(ぎょうざ)”を注文。

      

               若丸ラーメン・手作り餃子

店長(と思われる)の、ハルさんは、ラーメンは大盛りにしても680円、ランチタイムには、おにぎり2個まで無料とのことである。 ラーメンは、並を、おにぎりは2個を注文する。
今の時間、客は2人のみ。
ラーメンは、こってりした味で美味しかった。
聞いていた通り、ハルさんは、言葉の行き届いた、感じのいい人だった。
店を出ると、雨がわずかに降っていたので、ウォーキングに切り替え、狭山池に出て、周回路を歩く。

      

        池には、鴨・カイツブリ・鵜などが浮かんでいた

ダイエー金剛店東出入口前の「R&walk(アール&ウォーク)」に寄り、店長夫妻と雑談して、11/27(日)の「伊賀上野シティマラソン」に備えて、ShOtZ(ショーツ)を購入する。

偶然会った知人が、金剛駅前で、「九遊離菴(くゆりあん)」という、現代版寺子屋・書の自由道場を開いているというので立ち寄る。
“くつろぎと、癒しの自由空間を提供します。自由なスタイルで、子どものころを思い出して書を身近に感じて・・あなたの中に秘められた感性と品性を再発見できるかも・・・・”と説明文にある。
知人の話では、手ぶらで来て、書・画・写経・篆刻(てんこく)などを、自由に楽しんでもらうのだという。
面白い場所だと思う。 いわば、“隠れ家”。 午前11時から午後10時まで開き(土曜日は午後3時から午後10時)、大人は一日400円(60歳以上は、半額。月5回以上は無料)、学童は、一日100円(親子同伴は無料・児童のみは午後8時まで)
問い合わせは、072-366-3034 水先案内:九遊離菴(くゆりあん)まで。
一度ゆっくり遊んでみたい。





10/5(水)、レース目白押しのため「熊野街道(古道)ラン&ウォーク」は、しばらく休止します!

2011-10-05 21:11:44 | 熊野街道ラン

10/5(水)、今朝も、石川河川敷を走りました。
夏場は、無理せんと、ウォーク中心でしたが、レースシーズンが近くなるとそんなんしてられません。
で、ランに切り替えました。
よって、「熊野街道(古道)ラン&ウォーク」は、小休止します。
いわば、尻に火が付いた状態になって来ましたのでネ~。

10/4(火)「熊野街道 ラン&ウォーク」 第9弾 海南市へ入る。18.4km。

2011-10-04 16:51:54 | 熊野街道ラン

10/4(火)、体調は完璧ではなかったが、昨夜・今朝と「行程表」を作っている内に「よし行こっ」となって、そうと決めるとそそくさと午前6時過ぎに家を出る。
6時25分の区間急行に乗って「鬼平犯科帳(十)」を読んでいたら、「堺東駅」まで乗り過ごしてしまう。
ところが、折り返しの電車を10分も待つことに。
結局、「三国ケ丘駅」を7時過ぎに乗ることになってしまう。
JR・和歌山駅」には、8時過ぎに着き、8時過ぎの「和歌山電鉄・喜志川線」に乗り「伊太祈曾(いだきそ)駅」で下車、8時40分ごろから「熊野街道ラン&ウォーク 第9弾」を開始する。
実は、今日は、到着時間等を書いたメモを失くしてしまったので、大体で書きます。
まず「奈久智王子跡」に着く。 県道9号線の路側帯とも思われるような場所に説明看板のみ建っていた。

        

    奈久智王子跡   メダカ保護の看板 この道幅が続く

この辺りから、「風土記奈久智王子跡(奈久智王子とは別)」までは、道が狭い割に車の通行量も多く冷や冷やしながら歩いた。
「風土記奈久智王子跡」には、9時32分に着いたが、竹薮の中にあるとのことで、近くまで行ったが、草ボウボウの道で、“ヘビ”が脳裏に浮かんできたので、途中で行くのをやめる。
ここら辺りからの道は、軽トラが1台やっと通れるような狭い道だが、逆に街道の雰囲気が良く残っていた。
また、水路には“メダカ”が無数に泳いでいた。
近くに立っている、水利組合の“メダカの捕獲禁止”の看板には、優しさを感じた。
亀の川に架かる「六ケ橋」は、9時46分に通過する。
「松坂王子」は、県道との交差点に建っていた。祠もあり、海南市教委の説明看板も建っていた。

              

              松坂王子跡 

「潮見峠」を越えると、海南市の海が見える。
説明看板によると、京都から歩いて来た「熊野詣の人たち」は、初めての海に感激したそうだ。
海南市大野中辺りを歩いていると「木まぐれ珈琲ショップ」という看板が目に入ったので入る。 マスターと奥様とでやっておられる。

          

      手造りの店内     モーニングセット
 
喫茶店といえば、普通は、土足だが、ここではスリッパに履き替える。
モーニングを注文し、マスターと話をする。
この店は、マスターの手造りとのこと。
柱は、火でいぶし、奥様と一緒に磨いたとのことで、光っていた。
重厚な感じのテーブルも手造りとのことだが、とてもそんな風には見えない素晴らしい出来映えである。
マスターは、仲間と、無着地で「高野山」まで上がったという「サイクリング」愛好者とのこと。
みいちゃんより5歳歳下だが、アスリートという感じで、若々しい。
「熊野街道」についても、親切に説明していただいた。
モーニングも美味しかった。
「松代王子跡」は、「春日神社」の境内に鎮座していた。
「菩提房王子跡」は、説明看板のみだった。
ところが、「祓戸王子跡」は、いかにも「王子跡」という場所にあった。

        

     松代王子跡     祓戸王子跡   藤代王子社(藤白神社)

獣道のような山道を5分ほど上っていくと、路傍には、沢山の小さな“お地蔵様”が点在していて、昔の古道の趣をそのまま残していた。
鎮座する場所は、結構奥まったところにあり、静寂が支配していた。
「藤代王子社」は、「藤白神社」そのもので、藤代若一王子社ともいい、五躰王子の一として特に格式が高かったという。

今日の所は、時間的にもこれまでと決め、「海南駅」13時19分発の快速に乗って帰途に着く。
「三国ケ丘駅」には、14時47分に着く。 自宅には、16時前に着いた。
万歩計は、26,414歩、18.4km(熊野街道以外の数字も含む)を示していた。


 10/1(土)、「熊野街道 ラン&ウォーク」第8弾  海南に近づく 20.4km!

2011-10-01 16:27:15 | 熊野街道ラン

10/1(土)、「熊野街道 ラン&ウォーク」第8弾を行いました。
今日は、6時25分ごろ家を出て、「三日市町駅」6時41分発に乗り、「三国ケ丘駅」7時09分の快速に乗り、「紀伊駅」には8時07分に到着した。
8時10分にスタートする。
昨夜、地図を見ながら、「分かり難い道やナ~」と思っていたが、意外とすんなり取り付き口にたどり着く。
道は、軽トラが、ぎりぎり1台通れるような細い道ばっかし。
何故か、愛読書の「鬼平犯科帳」に見る街道風景をふと想う。

          

       川辺王子跡  中村王子跡に建つ説明板

先ず、8時27分に「川辺王子」に着く。
小さいが、石の鳥居のある、“王子らしい王子”である。
説明板は、写真入りの立派なもので、これと同じ規格のものは隋所に見られた。
「中村王子」には、9時20分ごろ着くが、これは、「川辺王子」に比べるとお粗末で、説明板のみ。 ただ、この後、「力侍神社」に合祀されていることが分かった。
この辺の街道沿いには、水路が縦横に流れているのだが、何と、その何れにも“メダカ”が沢山泳いでいる。 しかもその数たるや、何百匹という単位なんです。
これには、感激しました。いまどき、メダカなんか見る機会がないもん。
「紀ノ川」に架かる「川辺橋」の北詰には、9時48分に着いたが、渡たり終わって「南詰」に着いたのは、9時58分。 渡りきるのに10分もかかった。
「紀の川は広いな~」とつくづく実感した。
「布施屋(ほしや)」辺りに、「吐前王子」が建っていた。

           

         川端王子    旧中筋家住宅(重文)

この辺りも道は狭い。 だが、その道に沿って家が建っているのだから、車もそこそこ通行するが、「対向車が着たらどうするんだろかナ~」と、狭い道嫌いなみいちゃんは真剣に思いましたです。
「川端王子」は、布施屋と和佐の中間辺りにあった。
何故かここは、柵で囲んである。
「和佐村落」は、独特な雰囲気のところで、大きな旧家が散在していた。
わけても、「中筋家住宅」は、重要文化財に指定された、立派な家だった。
かって、大庄屋を勤めていたという。
「和佐王子」には、11時15分に着く。


             

        和佐王子跡      矢田峠越えの階段

あずまやのある立派な王子である。 時間も時間だし、ここで昼食を摂る。
“矢田峠越え”は、鬱蒼とした木々に覆われ、昼なお暗い峠で、一人で歩くには薄気味悪かった。
“ヘビでも出そうな”道で、走りたいのだが、階段、急坂でそうも行かない。
峠を越え、明るい所に出た時は、ホッとした。
「平緒王子」は、村落の会館の前にあった。

          

        平緒王子跡     伊太祈曽神社

この辺りから、「熊野古道」の標識がアチコチに見られ、地域の人の気持が伝わって来る感じだった。
一部、県道を通る時は、恐かったが、そう長い区間ではなく、また「古道」に入れた。
「伊太祈曽(いたぎそ)神社」には、12時30分に到着する。
“木の神様”として、全国から参拝客があるという。
古事記に記載のあるという“木の股くぐり”というのがあって、くぐると福が来るというのでやる。 さて、福は来るかいな~。
今日の所は、ここをゴールとして、12時40分「和歌山電鉄・伊太祀曾駅発・和歌山行」に乗る。
JR和歌山からは、13時14分の快速に乗り、「三国ケ丘駅」に14時15分に到着。
自宅には、3時過ぎに帰着した。
爽やかな風もあり、快適そのものの、「熊野街道 ラン&ウォーク」を楽しんだ。
万歩計では、29214歩、20.4kmを指していた。
交通費は、だんだん増えてきて、今日は2000円は越えた。

9/27(火)、一寸恐かった 「熊野街道 ラン&ウォーク」 第7弾・和歌山へ !

2011-09-27 15:21:02 | 熊野街道ラン

9/27(火)、「熊野街道 ラン&ウォーク」第7弾を実行しました。
やっと、“和歌山”に入りました。
天気は、晴れ、日中は、暑いくらい。
朝、6時過ぎに自宅を出る。 「三日市町駅」を、6時26分発の準急なんば行きに乗る。「JR・三国ケ丘」発7時02分の快速に乗り、「和泉砂川駅」で下車、7時35分スタートする。
初めから、「熊野街道」の雰囲気を残した町並みを歩くことになる。
日陰の中を気持ちよく歩き、7時54分に「信達一の王子」に着く。

    

熊野街道砂川付近・信達一の王子  熊野街道岡中付近  

そこを左に折れ8時07分に「林昌寺」に着く。 このお寺は、“法林の庭”という美しい庭をもった、立派なお寺だった。
ただ、回り道だったため、元の街道に戻るまでに、何度か道に迷った。
「和泉鳥取駅」には、8時59分に着いたが、“古道”を行き過ぎてしまい、10分ほどかかって引き返す。
ところが、その道は、「熊野古道」そのもので、地道で、鬱蒼とした木が生い茂り、しかも十数mもあろうかと思われる断崖の道で、説明によれば、「熊野古道中最大の難所」とのことである。
この道を、紀州和歌山藩の参勤交代が通ったというが、にわかには信じ難い。

    

 手作りの表示  地道の熊野古道   地蔵堂王子

トラロープを伝って冷や冷やしながら通る。
9時49分に「山中渓駅」に着く。
これからの、山越えの道は細く、対向する車が、いちいち徐行するような道で、そこを歩くのには、肝を冷やした。 それに、通行量も結構多い。
“恐わっ!”という思いを何回もした。

    

  馬目王子      中山王子   熊野街道滝畑付近

その上、この道が、延々1時間半も続く。


      

  手作りの表示    山口王子   熊野街道山口付近

山口村落に11時過ぎに着いたが正直ホッとした。
11時37分に、「山口神社」に着き、昼食のおにぎりを頬ばる。
12時45分頃に、紀伊上野辺りに到着した。
義兄の墓があることが頭をよぎり、「薬師寺霊苑」に寄り、墓参する。
13時02分に「紀伊駅」に到着し、今日の「熊野街道 ラン&ウォーク」第7弾を終わる。
万歩計は、31,144歩、距離は、21.8kmを指していた。
13時09分「紀伊駅」発のJR阪和線に乗り、「三国ケ丘駅」には、14時02分に着き、14時半ごろ、自宅に着いた。
結構暑かった。 鏡で見たら顔面は真っ黒だった。