河内長野WALK&RUNとともに

ランニングを通じて、健康を維持し、友達の輪を広げましょう!

             ジャズCLUBで生演奏を鑑賞!

2007-03-31 00:28:35 | Weblog
3月30日(金)、道頓堀のジャズCLUB「セント・ジェームス」で、午後8時30分から、10時20分の間、職場の友人坂Mさんとともに、ジャズの生演奏を鑑賞しました。

                             

ジャズは、20歳代から好きで、それぞれ時代は違うが、松Zさん、阪Tさん、福Dさんらに連れてもらいあちこちに聴きに行った。
また、レコードも購入し、自宅でもよく聴いています。
ただ、今までは、生演奏の場合、ピアノとソロが多かったが、今回は、ピアノ、ベース、トランペット、ドラムの四っの楽器が揃った本格的なものだった。
ビールとウイスキーのオンザロックを飲みながら聴くジャズは、どこかもの悲しくもあり、力強くもあり、非日常的なインパクトを与えるに充分だった。

     周 辺 の 花 々

2007-03-29 19:15:08 | Weblog
   

3月25日(日)あんず(清見台)         こぶし(清見台)


   

3月25日(日)さんしゅう(清見台)  3月28日(水)雪柳(千代田・南医療センター)


3月29日(木)、今年度に残った休みをもらい、3月末で退職する方々を表敬訪問しました。
皆さん、元気で退職されることは、素晴らしいことです。
それぞれ、次の職場も決まっており、顔には、「やれやれ」という、安堵の色が感じられました。
おめでとうございます。


   

3月29日(木)椿(阿倍野区三明町)      桜(清見台)


      小雨の中の「定例会(練習会)」

2007-03-25 13:05:16 | ランニング
3月25日(日)、定例会の日です。

早めに行き、「雨やし多分誰も来ないやろ..」と、車から外を見ていると、先ず村っちさんが現れる。 みいちゃんの車の助手席で話をしていると、続いて金Nさんがやってくる。 金Nさんも後部座席に座りしゃべっていると、きんちゃんが、奥様の車で登場。 浅Dさん、和Dさんもやってくる。
その後、楠Mさんも加わって、総勢7人となる。 その時、雨も一時的に止む。
「走れるわ~!」と全員の意見が一致。 ランニングを開始する。 わずかに雨が降るも殆ど感じない程度。 三日市町駅南ロータリーで、アルプスの少女ハイジさんが加わる。
みいちゃんのリードでストレッチをする。 この頃から、雨が肌に感じられるほどに降り出す。
和Dさんは、風邪を引いているとかで、体育館へ引き返す。
ハイジさん、金Nさん、きんちゃんと話しながら走る。
村っちさん、楠Mさん、浅Dさんも、これまた話しながら付いてくる。
気温は結構高く、雨の中にもかかわらず、汗が滴り落ちる。 雨さえなかったら、ランには適したコンディションと言えたかもしれない。
金Nさんは、一人天見駅までの往復(15km)を走る。
後の6人は、いずれも千早口駅までの往復(10km)に留める。
15km走った、金Nさんは走後「今日は、気持ちよく走れた」と言っていた。

皆が4月29日の「堺シティマラソン」を走るとのことで、申し込み用紙を手渡す。

4月1日(日)の、泉北ランニングクラブ主催の、「お花見交流会」にも乗り気だったので、案内を渡す。
明日は、石Dさん宅での「お茶会」に、女性陣を中心に参加するという。
「ええこっちゃ~」でも、みいちゃんは仕事のため参加できません。

3月25日(日)は、定例会(練習会)ですヨ~~。

2007-03-23 21:28:12 | ランニング

3月25日(日)は、「河内長野WALK&RUN」の、3月第2回目(第4日曜日)の定例会(練習会)です。いつもの通り、「河内長野市立体育館」「市民グラウンド」に、午前9時に集合してください。
いつものコース、体育館~高野街道~三日市町駅~南海軌道跡(緑道)~美加の台駅下~千早口駅~天見駅~蟹井神社~(更に行きたい人は)島ノ谷~21キロ折り返し地点往復を走りましょかネ。
但し、雨やゆうてますナ~。
その時は、「トレーニングセンター(体育館内)」へ。
そこで、筋トレ、トレッドミル、バイクをこなしましょう。
これはこれで、充実した時間を過ごせますヨ。

        『大阪快走クラブ 春のマラニック』に参加

2007-03-21 19:18:05 | ランニング
3月21日(水)、大阪快走クラブ主催の「春のマラニック」(※マラニック=山野を駈け巡ること)に参加した。
南海電車、みさき公園駅東口に9時10分に集合。

              


全員で15名。 その内2人は、車で、ゴールの「サンヒル阪南」まで荷物を運んでもらうことになる。 従って、最少限度の荷物をリュックに背負うことになり大いに助かる。
天気は、これ以上はないと言うくらいの好天。
リーダーは、森Rさん。 今日のために、2回も下見をしていただいたという。
従って、枝道は幾つかあったが、一回も迷うことはなかった。
みさき公園駅を9時27分にスタート、山手に向かうが、いきなり急登、そして階段の洗礼。
だが、登山口に入ると、木の葉に覆われた、なだらかな坂を登ることになる。

              

平坦な道は走るが、急な坂は走ることが出来ないので、歩く。
最初の展望は、大阪湾から、関空が眺められる。
思わず、喚声が上がる。
登っていくうちに、赤い紅葉のような木が数本見えてきた。
「今頃、紅葉はおかしい?」と思ったが近づくとそれが、山桜(ヤマザクラ:バラ科サクラ属)と分かる。
10時23分に、泉南飯盛山(384.5m)に到着。
全員で、記念撮影。

         


登山道からは、赤松が多く見られ「マツタケ林・11月は入らないで下さい」のつり札が目立つ。 最近激減の赤松が現存していることには驚く。
10時26分泉南飯盛山発。 札立山(349m)には、11時5分に到着。和歌山市の展望が素晴らしい。 紀ノ川もきれいに展望できる。

              


既に到着しているハイカーと出会う。 今日2人目である。
その後は、ハイカーによく出会った。
11時25分に見返り山(336.7m)に到着。 昼食を摂る。
和歌山市街地が手に取るように展望できる。
11時32分に、見返り山を後にする。
ここからのコースは稜線が細く、一部は補修した場所もあった。
時折、野路菫(ノジスミレ)の可憐な花を発見してホッとする。
12時12分に、大福山(427m)に到着する。
6~7月ごろには「ささゆり」の群落が見られるという。
残った枯れた茎から、その数が想像できる。
ささゆり大好き人間としては、見頃の時期に、「是非もう一度来たい」という思いにかられる。
12時30分には、俎石山(まないたいしやま・417m)に到着。
その名の通り、俎板のような平らな山頂である。
北展望台からの眺めは素晴らしい。遠くには、「関西新空港」を見ることが出来る。

              

               遠くに見えるのは関西新空港


そこからは下り一方となるが、途中で、大ブランコに乗る。

              


高い樹木に、長いロープでブランコが3っ作ってある。
皆んな、順番に乗り、幼いときの郷愁とスリルに浸る。

             


ゴールの、「サンヒル阪南」には、1時45分頃に到着、全行程約20kmのマラニックを終了する。
風呂を浴びた後、マイクロバスで「箱作駅」に向かう。
駅前の、「お好み焼き屋」で乾杯し、乾いたのどを潤す。
満足感と快い疲れが、全身を包む。
 


       3月18日(日)、『寺ケ池公園』を走る!

2007-03-18 12:15:05 | ランニング
3月18日(日)、午前8時に寺ケ池公園に集合。
ストレッチのあと、ランを開始する。

       

            義坊さん         反核・平和マラソン常連の矢Tさん

                

                反核・平和マラソン常連の岩Dさん

申告タイムは、3周(2600m×3周=7800m)を44分とする。
タイムトライアルのため、時計ははずす。
周回数はもちろんだが、申告した44分に限りなく近い方が、点数が上がるのだ。
気温は、昨日より2度は低目と言う予想だが、風がない分そう寒さを感じない。
全体の中ごろに付け、矢Tさんと話をしながら走る。
寺ケ池には、水鳥が沢山浮かんでいる。
池辺の柳も、心なしか芽を覗かしてきた感がする。
但し、池面を渡ってくる風は冷たい。
周回の中では、もくれん、こぶし、梅、桃などが咲き誇っている。
木々がようやく芽を覗かせた段階では、これらの花々が目立つ。
コースのほとんどは舗装されているが、一部地道の所もあり、これが足に気持ちよい。
1ケ所、坂があるがこれが結構きつい。
また、この坂は、車道でもあるので、たまにクラクションの洗礼をうけることもある。
3分の1は、木陰で、こもれ陽が、路面に微妙な模様を織りなす。
したがって、周回コースながら結構変化もあり、楽しいランが出来る。
義坊さん、みいちゃんとも3周する。 みいちゃんの記録は、45分52秒。
申告タイムに近いといえば近い。
ラン後は、義坊さんのリードでストレッチをして終了。
大挙して、近くの喫茶店に行き、おしゃべりに花が咲く。


 

(4月1日より大阪弁護士会会長となる)「山田庸男さんを囲む会」

2007-03-14 22:03:46 | Weblog
3月13日(日)午後6時から、アウィーナ大阪において、4月1日から、大阪弁護士会会長となる山田庸男さんを「囲む会」が開催された。

              

               関西大学弁論部の手ぬぐいを広げる山田さん(中央)


山田庸男さんは、昭和42年、関西大学法学部卒業。その後、司法試験に合格。
弁護士となった。10年前、53歳の時に、大阪弁護士会副会長を務める。
主な担当事件は、「大東水害訴訟」。水害で大きな被害が出たのは、行政の責任として闘い、和解に持ち込み、その後、再び水害の起こらない環境を確保することに尽力した。庶民派、人権派といわれるのは、母子家庭に育ち、昼間は日立製作所に勤務し、関西大学夜間部で3年間学び、昼間部へ移籍した経歴が培ったもの。
高校時代に、野球部に属していたが、人前でしゃべれるようにとの母親の勧めで「弁論部」に移籍、関西大学夜間部の3年間「関西大学弁論部」に在籍し、北海道を初めとした遊説に参加し、また、各地で行った「街頭演説」にも参加した。
みいちゃんとは、「関西大学弁論部」の1年先輩として付き合い、弁論に、飲み会
(一緒に勉強した記憶はない)に交遊した記憶は数多い。
当時は、長身にして、眉目秀麗、弁の立つ、女性の憧れの的だった。
今回囲む会を開催するにつき、みいちゃんは、同じ年次会の千H弁護士、中S君と
ともに世話人を務めた。
まず、会場をどこにするかとなった時、「ホノルルマラソン」で、行動を共にした厚Sさんが、副総支配人を勤める、Aホテルに決めた。
厚Sさんは、細かい所までよくやっていただいた。
さて、会は先ず「学歌斉唱」から始まる。
忘れていた歌詞が、何とすらすらとよみがえったのには、我ながら驚いた。
山田庸男さんの挨拶。
先ず、今回の「会長選挙」について。
「企業派といわれる候補は、かなり前から着々と準備をしていた。
誰かが対抗馬として出なければ、という思いから、自ら手を挙げた。
最初は、劣勢だったが、若い人たちが動き始めると「もしかして」との手応えを感じるようになり、結局130票差で当選した。
司法の反動化を何とか阻止したいという思いが通じたことは嬉しい。
自分は、母子家庭に育ち、昼働き、夜の大学に通った。
高校時代、母が、人前で話せるようにと野球部員だったのに、弁論部に行くように勧めた。 それもあって、大学のクラブは、「弁論部」を選んだ。
3年間、夜間部におり、その後、昼間部に転入した。
弁護士活動では、自分の生い立ちもあり、迷うことなく、貧しい人、虐げられた人たちの弁護をしてきた。
大阪弁護士会長は、日本弁護士連合会の筆頭副会長になり、担当は、「少年法の改正」となる。」

会は、盛り上がり、各自の自己紹介があり、最後は皆で肩を組み、「逍遥歌」を合唱して、会を終える。
出席者は、弁護士、行政書士、校長、会社社長など多士歳々。
会が終わっても、懇談は続いた。


         きんちゃんの和歌・四句

2007-03-12 18:41:20 | Weblog
きんちゃんは、3月3日~4日にかけて、奥様のバトミントン仲間の4家族で、白浜方面に、“和歌の会の旅”に行かれました。
以下は、きんちゃんのコメントです。

『南部梅林の下で(ほとんど散っていましたが..)和歌を詠みながら昼食。
白浜温泉では、「崎の湯」で露天風呂に入り、伊藤忠荘で、また温泉に入り、夕食宴会の後、部屋での二次会と和歌発表会が行われました。
翌日は、龍神温泉に向かう途中で「熊野古道」を1時間くらい歩き、更に車で龍神温泉に着き、温泉につかり、「高野山墓地」に参拝した後、帰宅しました。
大変楽しい二日間でした。』

         

                     3月12日・清見台にて

満開の 梅を撮ろうと 公園へ 車椅子押す 人もさわやか

梅散りて 春の日ざしに 鶯の 声さわやかに 弁当ひろげる


梅かおる 田辺の道を 友と行く 世界遺産と 海の静けさ

              

                         田辺湾

白浜の お湯に浸かりて 世の中の つらい思いよ 湯気ときえゆく

         

                          白浜

              故 郷 、 山 陰 ・ 出 雲 へ

2007-03-12 07:52:42 | Weblog
3月10日(土)、午前9時50分、大阪梅田から高速バスに乗車して、故郷の山陰・出雲(松江)へ向かう。
今回は、母の三回忌法事が、主な目的だが、もう一つは、3月10日(土)に開館する「島根県立古代出雲歴史博物館」を観覧することだ。
故郷、松江への帰郷は、最近は、高速バスによることが多い。
先ず、切符の購入が簡単なこと、駅から駅へと接続が安易であること、途中で2回の休憩があり、食事の摂取が容易であること、リクライニングシートで休みながら帰れることなどが主な理由である。
バスは、中国自動車道を走り、途中から山陰自動車道路に入る。
途中、雪を被った大山(だいせん)に遭遇し、感激する。

          

                  大山(だいせん・ほうき富士)の勇姿

今回は、松江で降りず、終点の出雲市駅で下車する。
そこから、出雲大社行きのバスに乗車し、「古代出雲歴史博物館」には、午後4時に入館する。

          

                 島根県立古代出雲歴史博物館・入口


          

                      博物館全景

閉館は午後6時だから、2時間は観覧できる計算である。
初日なので、行列かと思いきや、殆ど待たずに入館できる。
玄関に入ると、いきなり、出雲大社の境内から3本束ねた状態で出土した、直径が約3メートル、重さは約3.3トンの宇豆柱が目に飛び込む。 この柱が、平安時代には、高さ48メートルあったとされる本殿を9本で支えていたという。この高さは、奈良の東大寺大仏殿を上回る高さを誇ったといわれる。
次に圧巻は、1984年、島根県斐川町の荒神谷遺跡で、土中にぎっしり4列に並べられた、弥生時代の銅剣、358本が発見されたが、この全てが、展示されていることだ。 その数には、驚きを通り越して、愕然となる。
これらは、後に全てが国宝となっている。
次の驚きは、銅剣が発見された、12年後の1996年、約3キロ離れた、島根県雲南市で発見された、銅鐸39個だ。 たまたま道路工事中に重機に当たり、発見されたという。 当時、工事従事者は、その文化財的価値を知らず1個を自宅に持ち帰ったという。
一カ所で出土した数としては、これまた史上最多。 
こうした、大量の青銅器の出土は、当時、近畿、九州北部の2大文化圏に匹敵する文化が、出雲に存在したことをうかがわせるという。
それ以外には、唯一、完全に残っている「出雲風土記」から類推される当時の生活ぶりを表現した模型が、興味を引く。
結局、2時間掛けて観覧したが、時間の不足を痛烈に感じた。
次には、1日くらい掛けて、ゆっくり観覧したいものだ。
薄暮の中、出雲大社は、鳥居越しに参拝する。

          

                        出雲大社・入口

     3月10日(土)の定例会(練習会)の報告

2007-03-11 23:54:57 | ランニング

3月10日(土)の定例会は、みいちゃんは、故郷の山陰・松江で母の法事があり、帰郷したため参加出来ませんでしたが、だいちゃんから、要約次のような親切なメールが届いていました。 「当日は、曇りでしたが、コンディションは、良かった。
参加者は、和Dさん、浅Dさん、金Nさん、ハイジさん、きんちゃん、徳Nさん、まーねぇちゃん、だいちゃんでした。
ハイジさんは、島ノ谷まで往復20km、金Nさんは、天見駅まで往復15km、他のメンバーは、千早口駅までの往復10kmを走りました。」
みいちゃんも、故郷を走りたかったですが、法事で帰ったこともあり、珍しくランなしでした。