福田の雑記帖

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書評:新田次郎「八甲田山死の彷徨」新潮文庫 1971年

2014年02月20日 06時00分16秒 | 書評
 わが国の近代歴史を勉強中であるが、日露戦争への過程を読み進める中で、1901年日露戦争直前に陸軍の無謀な計画で冬の八甲田雪中行軍を行い遭難し、210名中199名が死亡するという冬季軍訓練における大事件が生じている。

 日露戦争を直前にした緊張状態の中、陸軍にとって酷寒の中での戦闘対策、訓練は喫緊の課題であった。

 そんな中、雪中行軍には青森から歩兵第5連隊210名が、弘前から38名が参加した。両隊とも出発した初日から厳しい困難に遭遇し、うち青森歩兵第5連隊が遭難した。
 青森隊隊の指揮を執っていた神成大尉は秋田県出身、犠牲者の中では岩手県人が多数を占めたなど、私にとっても身近な問題であった。

 遭難の要因として、■気象条件:演習当日は、北海道で史上最低気温が記録されるなど、例年には無いほどの寒さだったといわれている。この事件は不可抗力であったとの判断がある。しかし、引き返す機会は何度かあったが、それをしなかった背景には人的要因が大きかった。■冬の山岳に対する認識不足、稚拙な装備、■集団として指揮系統の混乱、■極端な情報不足など:両連隊は、日程を始め、お互いの雪中行軍の実行計画すら知らなかった、■厳しい軍の規律:未経験な上官に対してさえ、冬山の経験ある兵ももの言えず、死の危険の前にもなす術は無かった、■極限状態の中、僅かな食料、火の火照りさえ階級優先であった、などがあげられている。

 この作品は上記の事件を扱ったフィクションで事実と異なった部分も多い。両隊の計画は個別に立案され、両隊の指揮官同士の交流も無かったし、青森隊の大尉と少佐の描写もかなり脚色されている様である。作者は小説の形をとることで犠牲者に対する敬意を表現したのだろうと思う。

 読み進むにつれて長年にわたる登山家としての経験を持つ新田氏の筆力に知らず知らず引きずり込まれていくる。
 ■見事な自然描写である。咆哮する風の音、厚く重く灰色の空と雪煙、骨まで凍らすような寒気。読んでいて寒くなる。この中で人間は小さな存在に過ぎない。
 ■雪中の死の彷徨の中、極限状態のなか、あるものは発狂し、あるものは眠るように倒れ、追い詰められてゆく様子が迫ってくる。死を前に兵士たちが出身地ごとに異なった表現で母を呼ぶ描写、何とも言えない。
 ■凍死に向かっている兵士たちの描写。仲間の介護、救援隊が仮死状態の兵士の組成を試みる場面などとてもリアルで胸を打つ。
 ■現代と異なる陸軍の階級制度の中で行われた行軍である。極限状態の中においてさえも軍の規律は個人を超えていた。結果的に階級の差はそのまま死傷率の差になって表れていた。
 ■人間、命、国家、組織、軍、戦争について、改めて思いを馳せることになった作品である。
 
 読んでいて、内容的に不快な思いを抱きつつ、一気に読み進めた。
 発売当初も読みかけた事があったが、何故か頓挫していた。
コメント
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