福田の雑記帖

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佐村河内守作曲 交響曲第一番『HIROSHIMA』(2) マスコミの罪 踊らされる国民

2014年02月08日 09時30分09秒 | 音楽談義
 佐村河内守氏と交響曲第一番『HIROSHIMA』が突然話題にあがって来た。昨年、同曲と作曲家の人物像が劇的にマスコミに登場し、現代のベートーヴェンとその作品と話題になった。CDは20万枚も売り上げたと言う。これはクラシックと言われるジャンルの中では超ビッグヒットとなる。

 それが、この曲は佐村河内守氏の作でなかった。ゴーストコンポーザーとして桐朋学園大学非常勤講師新垣隆氏が名乗り出て記者会見した。18年間にわたって20曲以上を佐村河内氏に提供していた、と明かし、かつ、佐村河内氏とは通常に会話が出来「全聾と感じたことはない」とも証言した。

 昨年、NHK-TVの特集ドキュメンタリー『魂の旋律~音を失った作曲家~」を見た際に感じたことは、ここまで誇張した収録と異常状態を集めた編集で個人的事情までをあからさまに表現し放映する必要はどこにあったのか?ということである。今となれば、そう感じる。
 これはNHKだけでなく、広くマスコミ界の問題だった様で、番組で佐村河内氏を取り上げた民放TV各社、大手新聞各社もこぞって訂正、削除などの措置をとった。

 マスコミの有り様は本来こんなものである、と思う。
 今回の事件については、■ある社が注目した事象に対して、報道各社とも遅れマジと次々と特集を組む。■マスコミ独特の粉飾技法を駆使し、ある事無い事を並べてドラマ性をかき立てる。■本人も加担?売ることしか考えないレコード会社はあの手この手で売らんとする。■虚飾の内容が一人歩きする、■ゴーストコンポーザーが現れた途端にきびすを返して大騒ぎ。■賞賛報道で儲け、バッシング報道でまた儲ける。■報道各社は簡単な扱いで訂正文掲載、口頭で謝罪、訂正記事などで済ます。自らは何も損失を被らない。
 私はマスコミの有り様は本来こんなものである。

 ゴーストコンポーザーとして18年も佐村河内氏に提供し、佐村河内氏の作として発表し続けた新垣隆氏はどのような方なのか?多少の金銭授受はあったと言うが、私には分からない。例えば、作曲佐村河内守、補作新垣隆とでもすれば問題は全くなかった、と思う。作曲家が、これほど壮大で長大な曲をゴーストコンポーザーの立場で作り上げ、自らは一切表に出ない状況は、作曲に要した時間一つとっても膨大な時間を要したと思う。新垣氏は芸術家の姿として、一度しか無い人生をどうお考えなのか?、人生観についても、私の理解を超えている。
 私は縁の下の、目立たない仕事や役割を好む。表に出るのは好まない。しかし、果たした役割は何らかの方法で明確にしておきたい。彼ら二人にどんな会話があってのことなのか?私には分からない。

 交響曲第一番『HIROSHIMA』は妙なケチがついてしまったが、楽曲としては純粋に聴かれてしかるべきと思う。私は一部しか聴いていないが、名曲の一つだと思う。
コメント
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