福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

公私混同について 公私は別々でなく互いにリンクしているのだ 

2009年03月23日 09時09分10秒 | コラム、エッセイ
 公私と言う言葉がある。これの用例としてよく「公私とも多忙・・」とか、「公私混同は困る・・」等と用いられる。

 その中で、「公私混同」は絶対にやってはならない、と言う意味の言葉であり、人としての倫理観に関わる領域まで含み、意味するところはとても重い。

 仕事や公務において、業務上の立場や業務上で知り得たことを私的な分野に利用したり、金銭を私事に流用することなどは絶対的にあってはならないことである。
 上記の面では、私は今までにやましいことは一つもないハズだ、と自賛しているが、他の人から見ればどうなのだろうか。
 尤も、私にはいわゆる権力的なものは無いし、金銭を直接動かす事などは全くない。後者に於いては全て提案書を作成、事務的に処理される。だから、やましさゼロである。各種の仲介の申し込みの話はないわけではないが、100%お断りしている。

 ただし、堂々と「公私混同」している分野がある。それは、時間と場所である。帰宅しても睡眠時間以外は大部分業務に充てているからかなり「公私混同」している事になるし、それに伴うエネルギーや機材の経費も発生している。逆に、勤務先で私的な文章書き等一切していない、と言えば嘘になる。
 先日、ある会で懇談した病院長の一人は、「自分は公私の区別は明快で、業務を持ち帰ることは一切無い」、と話していたが、そう言う世界もあるのだろう。

 しかしながら、誰であっても公私を区別出来難い分野がある。「公私混同」を精神面、心理面で考えた場合はどうなのだろうか。この領域になれば、何事も割り切って考えるようにしている私も、途端に自信がなくなる。

 今までは私の私的環境は恵まれていて、私的なことで業務を乱した、と言う自覚もそれ程ない。
 しかし、それは昨日までのことである。私はストレスには弱い事は承知しているからこそ対策も出来ていた。今までの閾値を超えるレベルの懸案をかかえた場合、集中力を欠いたり、ミスを連発したり、時にはなげやりになったりするだろう、と思われてならない。

 「公」と「私」は同一人物のなかでは絶対的に別々ではあり得ない。共に有機的につながっているのだ。最近とみにそう思うようになってきた。

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